愛縁航路   作:TTP

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Ep.1 末原恭子のモラトリアム
1-1 噂に聞く名は、麻雀仮面


 つい一週間前までは咲き乱れていた桜もすっかり散って、四月も半ばを迎えようとしていた。厳寒であった今年の冬を引き摺ってか、肌寒さが抜けきらない。ゴールデンウィークを明ければ温暖になるであろうという気象庁の見通しを信じる他ないが、のほほんとそれを待つ余裕など、彼女にはなかった。

 

 彼女の名は、末原恭子。

 大阪出身、現住所は東京都。

 齢は二十歳、東帝大学教育学部所属の三年生。

 そして、同麻雀部部長。

 

 その立場が今、彼女を思い悩ませていた。

 講義の終わりを教授が告げ、講義室に弛緩した空気が訪れる。学生が一斉に文具を片付け、鞄を背負う。椅子の引く音と喧噪が混じり合う一方、しかし恭子はその場から立ち上がれずにいた。

 

 隣で共に講義を受けていた学友の一人がふと気付き、座したままの恭子へと声をかける。

 

「どうしたの恭子。早く行かないと学食混むよ」

「え、ああ、うん。今日は食欲ないからパスで。うちのことは気にせんでええから先行って」

「そう? あんまり無理すると倒れるよ」

「大丈夫大丈夫、軽いダイエットみたいなもんやから」

 

 ふぅん、と学友は頷いてから、

 

「そうだ。次の土曜日にみんなで温泉行こうって話あるんだけど、恭子予定空いてない?」

「あー……」

 

 一応、手帳をめくってから恭子は答えた。

 

「ごめん、練習日やから」

「そっかー、残念!」

「毎回ごめんな」

「恭子が付き合い悪いのは一年のときから慣れてるよー」

 

 何も言い返せず、恭子は愛想笑いを浮かべるしかできなかった。学友たちはさして気にする様子もなく、手を振って講義室を去って行く。友人に恵まれているな、と恭子は一人溜息をついてから、重い腰を上げた。

 

 教育学部の講義棟を出て、恭子は人の流れに逆らってキャンパスの南を目指す。ふと後ろを振り向けば、学生食堂には既に長蛇の列が生まれていた。食欲がないのは正直な回答であった上、今更あそこに並びに行くのも気が滅入る。昼食への未練はすっかり消え失せていた。

 

 このキャンパスに通う学生は軽く一万人を超える。当然全員が常にキャンパス内にいるわけではないものの、外を歩けばひっきりなしに人とすれ違う。

 

 不思議なもので、そんな中でもすれ違う相手が新入生かどうかの判別にはすぐにつく。高校生らしさが抜けきらない初々しさというべきか、大学生活への希望が溢れんばかりというべきか。ともかく、顔をみればすぐに分かってしまう。

 

 ――二年前はうちもあんな感じやったんかなあ。

 

 恭子はそう、自問する。答えは明白であるのだが。

 

 広いキャンパスを歩いて五分ほど。

 辿り着いたのは、キャンパス南の一角を支配する部室棟であった。

 

 部室棟は比較的新しい、いわゆる「新館」と、耐震設計に不安が残る「旧館」の二つが並んで建っている。恭子が足を踏み入れたのは、旧館であった。

 薄暗い館内は、冷房器具もないが陽の光が差し込まずひんやりとしている。これが夏ならばまだ良いが、冬は足元まで寒くて仕方ない。スプレーでの落書きのせいで、壁は本来の色がよく分からない有様である。一体いつの時代のものなのか、いまいち恭子には分からない。

 

 旧館三階、階段を上がって右手の突き当たり。

 そこが、現在の東帝大学麻雀部の部室である。

 

 ドアノブに鍵を差し込むが、錠は既に下りていた。――先客がいる。恭子はゆっくりとノブを回した。

 さほど広くもない部室の数少ない自慢は、綺麗に整理整頓されていることだろう。やや埃臭い廊下と違って、室内の空気は清浄だ。入って左手側の本棚には、麻雀関連の蔵書――大半が部員の持ち寄りである――が整然と並べられている。部屋の中央に鎮座するのは、一つだけの全自動卓だ。年代物だが、代えは利かない。卓の傍には、部員の一人が持ち込んだファンヒーターが設置されている。

 

 本棚とは逆、右手側のホワイトボードだけが最近買ったもので、ヒーターを除けばこれが一番真新しい。赤字で踊る文字は、「目指せ! 関東一部リーグ!」。

 

 そのホワイトボードの手前には、ミーティング用の長机が二つ並べられている。パイプ椅子に座る先客の姿を見つけたとき、恭子の心臓はどきりと跳ねた。

 

「あ、末原先輩。こんにちはー」

 

 お箸を持った手を軽く掲げて挨拶をしてきたのは、今年入ってきた新入部員。

 

「――なんや、須賀やったんか」

 

 そして唯一の男子部員である、須賀京太郎だった。できる限りなんてない風を取り繕いながら、恭子は部室の中に入る。

 

 金髪長身の後輩は、「なんや、とはご挨拶ですね」と文句を言いつつもその表情は明るい。見た目は軽薄そうな男子だが、存外礼儀正しく不快感はない。加えて人と壁を作らないスタイルなのか、誰とでもすぐ仲良くなっている。先日も、学内で多くの友人に囲まれているのを見かけた。

 

 しかし。

 

 恭子はあまり、京太郎の相手をするのが得意ではなかった。その理由は――恭子自身にも、よく分からない。嫌いというわけでは決してない。ないが、とにかく彼を相手にすると過剰に意識してしまい、上手い距離感を掴めないのだ。男子と女子の違いからだろうか。高校時代の後輩たちを相手では、もっと強気でいられたというのに。

 

 当然、二学年先輩としてはそんなものをおくびにも出すわけにもいかず。恭子は京太郎の対面に座りながら訊ねた。

 

「えらい早く来たみたいやけど、どうしたん?」

「二コマ目、急に休講になったんです。大学って思ったより適当ですねー」

「あー、もしかしてリーディングの工藤先生? あの人すぐ海外行くからなぁ」

「そうなんですか?」

「そうそう。別にあんな人ばっかりちゃうで」

 

 学部は違うが、一般教養の講義は大抵被るので恭子もすぐにピンと来た。よしよし、と彼女は一安心する。ひとまず先輩らしく振る舞えている、はずだ。

 

 と思ったら、

 

「ああ、暇だったんで牌譜の整理しておきましたよ。前節の関西一部リーグのやつ」

「……すっかり忘れてたわ」

「先輩たちみんな忙しそうでしたもんね」

「いや、ごめんな、雑用ばっかやらせて。助かったわ」

「慣れてるから平気です。一年、俺だけですし」

 

 京太郎の言葉は至極真っ当であり、恭子も理解出来る。麻雀は文系競技だが、ここは大学公認のインカレを目指す競技志向の部である。そこらの林立するサークルとはわけが違う。一種の体育会系、縦社会が横行して当然だ。事実、恭子の母校でも一年生が雑務を担当する決まりであった。

 

 しかしながら、東帝大学麻雀部に所属する部員は、現在部長である恭子を含めてたったの五人だ。高校の部活とは違い処理しなければならない仕事も多い。負担が偏重するのは避けたかった。それが原因で数少ない部員が離れていったら元も子もない。

 

「でもうちの部はこういうの分担してやる方針やから。次はちゃんと言ってな」

「あ、はい。分かりました。すみません、勝手やって」

「あんま気にせんといて。元々うちの落ち度やし」

 

 恭子は苦笑しながら、京太郎と目を合わせられず、視線を机に落とす。彼の手元には、お弁当箱があった。

 

「……須賀って、実家暮らしとちゃうよな?」

「今は一人暮らしですよ。実家は長野です」

「そのお弁当って……えっと、誰が作ったん?」

 

 女子学生でもお弁当を作ってくるのは少数派だ。男子なら言わずもがな、講義のある日のお昼は学食で済ませるのが主流である。ならば――と、恭子は想像を巡らせる。しかし京太郎はあっさりと、

 

「これは自分で。高校時代、料理教えてくれる人がいて、これが結構はまっちゃって」

「へ、へぇー。偉いやん」

 

 予想していた返答とは異なり、恭子はほっとする。

 

 ――っていやいや、何を安心しとんねん。

 

 自分でも意味が分からず、恭子はぶるぶる首を振った。それから誤魔化すように、彼の弁当箱の中身を覗き込む。おかずの内容は、鶏の唐揚げ、卵焼きに、ほうれん草のおひたしときんぴらごぼう。主食は麦御飯。

 

 ぐぅ、と恭子のお腹が鳴る。確かになかったはずの食欲が、そそられてしまった。

 

「……お昼、まだなんですか?」

「食べへんつもりやったんやけど」

 

 恭子は頬を朱に染める。恥ずかしい音を聞かせてしまった。

 

「お一ついかがですか。なんでもどうぞ」

「えっ」

 

 京太郎がお弁当箱を目の前に差し出す。恭子は僅かに逡巡してから、

 

「なんか、ねだったみたいで悪いな」

「良いですよ、このくらい」

「それじゃ、遠慮なく」

 

 唐揚げを一つ、つまむ。ひりりと辛味が効いていて、冷めていても美味しいように工夫がなされていた。

 

「……美味いやん」

 

 賞賛を送りつつも恨みがましい語調になったのは、敗北感からか。男子なのに、女子力がとても高い。

 

「どうもです。お茶もどうぞー」

「あ、ありがと」

 

 水筒に注がれるお茶を眺めつつ、恭子は内心溜息を吐いた。

 

 ――こいつが女子やったら、もっと色々楽やったんかなぁ。

 

 そんな、益体もないことに想いを巡らせてしまう。

 

 春は出会いと別れの季節というが、今年はほとんど別ればかりで、現状出会いはほぼない。唯一の例外が、京太郎だ。一人でも入部してきてくれたのは本当に嬉しい。嬉しいが、女子部員は四人だけ。関東麻雀大学リーグ戦へ参加するために必要な人数は五人からなので、このままだと人数合わせの助っ人を友人に頼むことになってしまう。

 

 正式な部員全員がインハイ経験者ということもあり、下部リーグまでならそれも通じたが、そろそろ限界が近い。即戦力かどうかはともかくとして、麻雀に熱意を燃やす上昇志向の強い部員が必要だった。

 

 だが、諸般の事情で東帝大学麻雀部が敬遠されているのも事実。中々思うように新入部員は入ってきてくれない。

 

 新学期が開講して既に二週間。じわりじわりとタイムリミットが迫ってきていた。彼女が悩むのも無理なきことであった。

 

「末原先輩」

「ん? ど、どうしたん?」

 

 京太郎から呼びかけられて、恭子は声を上擦らせる。

 

「眉間に皺寄せて、考え事ですか?」

「ああうん、ちょっとな。大したことないから気にせんでええよ」

 

 あまり心配をかけたくなく、歯切れの悪い返答になってしまった。京太郎は「そうですか」と軽く流してから、

 

「そういえば」

 

 と、何事か思い出したように切り出してきた。

 

「例の噂、聞いたことありますか」

「噂? 何の話?」

「あれですよ、あれ」

 

 お弁当箱を包みながら、彼は言った。

 

 

「――麻雀仮面の噂です」

 

 

 言葉の意味を理解出来ず、恭子は目を瞬かせる。それから眉根を寄せて、鸚鵡返しに訊ねた。

 

「麻雀仮面? なんやそのけったいな名前は」

「自称らしいです」

「らしいってまた曖昧な」

「俺も噂に聞いただけですから」

「どんな噂なん?」

 

 こほん、と京太郎は咳払いしてから続けた。

 

「なんでも、最近都内の雀荘に仮面を被った女が出没するそうなんです。そして、大学生相手に勝負を挑んでいるらしいんですよね。それでもって、連戦連勝。真偽は不明ですけど、一部リーグのレギュラー選手もやられたとか」

「……ほんまなら凄いけど。なんで仮面被っとるん?」

「知りませんよ。でも、『負けたら仮面を脱ぐ』と宣言しているとか。その物珍しさから、勝負を受ける人が多いらしくて」

 

 ただの客寄せか、他に別の意図があるのか。少なくとも、現状では恭子にも京太郎にも判断を下す材料はなかった。

 

「とにかく、あまりの強さに麻雀仮面と渾名されるようになったそうです。物腰から年若い女性と目されていて、勝って仮面を剥がしてやると息巻いてる人もいるそうですよ」

「ふーん」

「あんまり興味ないですか?」

「須賀もそいつの仮面の下、見てみたいん?」

「そりゃあ。超美人、みたいな予想もありますからねー」

 

 冗談めかして言っているのは、恭子も分かった。分かったが、どうも納得できない。胸の中が、もやもやする。

 

「まぁ、あくまで噂ですよ」

「にしては、えらい具体的やったな。どこでそんな話聞いてくるん?」

「独自の情報ルートがあるんですよ」

「須賀は東京来てまだ半月くらいやん」

 

 突っ込むと、京太郎は「確かに」と笑った。全く、と恭子はこれみよがしに溜息を吐いてから言った。

 

「昼休みの余興にしてはおもろかったわ」

「信じてませんね」

「信憑性なさすぎやもん」

 

 恭子は大袈裟に肩を竦め、後輩に向けて微笑みかける。

 

「次は、もっとおもろい話を期待してるで」

 

 麻雀仮面なんて下らない噂だ。大学生に勝負を挑む女性雀士は実在するかも知れないが、そこに尾ひれがついたのだろう。恭子はそう判断した。

 しかし意外にもすぐ、彼女は別の人間から麻雀仮面の証言を聞くこととなった。

 

 

 ◇

 

 

 翌日の夜。

 部の練習後、恭子は一人渋谷駅で電車を降りていた。彼女の下宿先はここではないが、今日は学外の友人と会う予定だった。

 

「っと」

 

 駅を出てすぐ、探し人は見つかった。

 モデルばりの高身長に、怜悧な瞳。高校時代から艶やかさを失わない髪は、いつも通り腰まで落ちている。

 

 帰宅ラッシュと若者で溢れかえる人混みをかきわけ、恭子は彼女に声をかける。

 

「菫、こっちこっち」

「ああ、恭子。久しぶりだな」

 

 弘世菫。高校女子麻雀界でも有名な、白糸台高校の元部長である。シャープシューターの二つ名を背負い、大学でもその名を轟かせている。

 

「三年になってから直接会うんは初めてやったか」

「それどころか二月から一度も会っていなかっただろう」

「そうやったっけ? ネト麻でよく打ってるから、そんな気せぇへんわ」

 

 二人は肩を並べて歩き出す。

 彼女たちは、高校時代からの知己である。東に白糸台あれば、西に姫松ありで、遠方ながら練習試合もよく組んでいた。その際部員代表として菫と一番接していたのは、他でもない恭子であった。当時はライバルとして気を許せない部分もあったが、現在はまた話が別である。

 

 二年前、単身上京した恭子を何くれと世話してくれたのが、他でもない菫であった。東京での生活、大学麻雀部の運営についての助言、その他諸々枚挙に暇がない。そこには多分に同情が含まれていたのだろうが、恭子は非常に感謝していた。学外では、東京における一番の友人なのは間違いない。

 

 客引きの声が一番大きかった居酒屋を選び、恭子と菫は個室に案内される。大学に入りたての頃は緊張もしたが、今は立派にアルコールを注文できる年齢にもなった。昨年二十歳を迎えてから気付いたが、恭子も菫も酒は結構いける口であった。

 

「改めて。聖白女、前節一部リーグ一位おめでとー」

「東帝も三部リーグ昇格おめでとう。と言っても、もうじき次節が始まってしまうがな」

 

 グラスをかつんとぶつけ、乾杯。

 関東麻雀大学女子リーグは、一部から六部までの六部制リーグである。一年に二回あるリーグ戦で昇格、残留を懸けて多くの大学が鎬を削る。大学生雀士の最大の目標、インカレに出場できるのはリーグの頂点・一部リーグに属する大学のみで、当然恭子たち東帝大学麻雀部も一部リーグ昇格を目指して下部リーグで戦っている。

 

 対して、菫が所属する聖白百合女子は関東リーグの頂点だ。この辺りの立場の違いがまた、恭子と菫の間に気安さを生んでいた。

 

「うちは無事にリーグ開幕を迎えられるかも不安やからな」

「まだ新入部員は掴まらないのか」

「中々苦戦しとるわ。そっちは調子どうなん?」

「完全に気が緩んでいる。特に二年がな。正直次節は不安だよ」

 

 こうしてたまに会っては、愚痴を言い合う仲だ。元々菫も苦労人気質なところがあり、恭子は共感を覚えていた。

 

「どこも大変やなぁ」

「お前に比べれば贅沢な悩みだよ。まぁ、まだまだ勧誘の時期だ。ゴールデンウィークまでには新入部員の一人や二人、見つかるだろう」

「だったらええんやけどな。今のところ、男子一人だけやから」

「……それはもしかして、須賀君のことか」

「知っとったん?」

 

 恭子は少し驚いた。薄いながらも、菫と京太郎には縁がある。菫の元チームメイト・宮永照には妹がいる。かつて恭子も同じ卓を囲んだ、宮永咲。その彼女と京太郎は、同じ高校で同じ部活に所属していたのだ。

 

 とは言っても、恭子の知る限りでは菫と京太郎に面識はほぼないはずだ。京太郎の進路を知っているほうが不思議である。

 

 あるいは後輩のあの子から直接聞いたのか、とも恭子は考えた。繋がりと言えば、彼女のほうがよっぽど濃い。

 しかし、菫が口にしたのは別の名前だった。

 

「淡だよ。大星淡」

「……大星プロ?」

 

 菫の後輩にして、今年の麻雀プロ大型ルーキーの一人、大星淡。麻雀界に身を置いて彼女を知らぬ者などモグリであろう。

 

「何があったか知らんがな、高校時代から淡は須賀君に懐いているんだよ。プロのスカウトを蹴って須賀君と同じ大学に行く、なんて言い出すくらいに」

「……ほんまに? え、付き合ってるん?」

「いや、それはない。淡が一方的に押しかけているだけだ。結局須賀君と照に説得されてプロを選んだみたいだが」

 

 寝耳に水とはこのことである。恭子とて、まだ京太郎とは付き合いが浅い。彼が誰とどんな関係を築いているかなんて、詳らかに知るわけがない。

 

「この間、須賀君に会いにお前の大学に遊びに行ったらしいが、空振りだったそうだ。……知らなかったのか」

「いいや、聞いてないわ。……他の誰かが上手くとりなしてくれたんかな」

「かも知れんな。もしもまた淡が来たら、追い払ってくれて構わないからな。迷惑をかけたらすぐに私に言ってくれ」

「菫は大星プロに厳しいなぁ」

「高校の内にもっと躾けておけばよかったと後悔してるんだよ」

 

 ぐい、と菫はサワーを煽る。丁度、恭子のグラスも空になった。

 タッチパネルで次のドリンクをオーダーしながら、恭子は恐る恐る訊ねてみた。

 

「……菫は、須賀のことよく知ってるん?」

「淡に惚気話を聞かされているのと、多少会話したぐらいだが。どうかしたのか」

「んー、ちょっとな。なんでうちの部、入ったんかなーって思って」

 

 菫は首を傾げて、「どういう意味だ?」と恭子に訊ね返す。

 恭子は一度思案してから、答えた。ここのところずっと考えていた悩みの一つだ。

 

「ほら、あいつ高校時代一、二年のときはぱっとしない成績やったけど、三年じゃインハイでそこそこいったみたいやん。せやのになんでうちみたいな訳あり麻雀部に入って来たんかな、と思って」

「麻雀じゃなくて大学で進学先を選んだんじゃないのか」

「打つだけでええなら、いくらでもサークルあるやん。うちじゃろくすっぽ打てへんのに。事実男子部員は須賀だけやし。菫はなんか聞いとらへん?」

「いや、知らないな。進路相談を受けるほどの仲でもなかったし。……というより、そんなこと本人に直接訊けば良いだろう」

 

 正論だった。ぐうの音も出ない。だが、正論だけで世の中が回るほど単純ではない。はぁ、と恭子は深い溜息を吐いて、

 

「それができたら苦労せんわ」

「……なにかあったのか?」

「なんもないけど。なんかこう、須賀相手やと訊きづらくて」

「そんなものか」

「そんなもんや」

 

 そうか、と菫は曖昧に頷く。どうにもピンとこないらしい。恭子は手をひらひら振って、軽く謝る。

 

「変な話でごめんな」

「いや、こちらこそろくにアドバイスできずにすまない」

「ええってええって。……変な話といえば、その須賀が昨日変なこと言うてたな」

「変なこと?」

 

 運ばれてきたサラダを取り分けながら、恭子は首肯した。

 

「そう。けったいな噂が流れてるらしいで」

「ほう、どんな噂なんだ?」

「麻雀仮面」

 

 恭子がその名を告げた途端。

 すぅっと、菫が目を細めた。

 

「この辺の大学生相手に、仮面を被った女が次々と勝負を挑んでるって噂なんやけど――菫?」

「知っている」

 

 まさかの菫の返答に、恭子はぽかんと口を開けた。

 

「は?」

「知っているぞ、その話。――麻雀仮面の名前はな」

 

 

 

 




次回:1-2 麻雀仮面の挑戦

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