錆の希望的生存理論   作:時雨オオカミ

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〝 静止した過去は消えない錆となり
 未来は絶望的なまでに歩みが遅く
 現在の幸福は矢のように飛び去って行くのです 〟


No.10『笑顔』ー旅行ー

 

 

 

 

 そう、それは旅行帰りのことだった。

 生ぬるい幸福に浸かって恐ろしい「幸運」を野放しにしていたのが祟った出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 突然だが、私は今旅行に来ている。

 青い空、白い雲。青い海、白い波。ゴミのない白い砂浜。

 海辺で鳴くウミネコたちがみゃあみゃあと可愛らしい声で鳴き、アザラシが遠くの岩肌で寝そべっているのが見える。

 

 私の立っているこの場所はガラパゴス諸島の一つ。ダイバーが多く訪れる場所であり、東に行けばアシカの住むロボス島。西にはカメの保護園。沖のキッカーロックの下は有名なスノーケリングスポットになっていて、運が良ければハンマーヘッドシャークを見ることもできるらしい。いや、私の場合運が悪ければ、かな。

 

 どちらにせよ、泳ぐのが好きだからといって沖に出るのだけは勘弁願いたい。どう考えてもパニック映画さながらのことになるのは目に見えているからだ。ショノーケリングしていた人がボートの傍から急にいなくなり、血だけが海面に浮かび上がるなんて体が震えるほどベターなことにリアルでなりかねないのだ。

 ただでさえ島と島を渡る際の船移動が高波に襲われたりするのにそんなことになったら暫く日本に帰れなくなりそうだし。

 

 ここはサンスク……なんとか島。両親から聞いたはずなのだが思い出せない。外国の場所の名前って日本語だと言いづらいし、発音しにくいし、覚えられないのも無理ないと思う。

 

 私はそこのビーチに一人佇み、ひたすら潮溜まりを見つけては観察するだけに留めた。パレオ付きの子供用水着に黒いパーカー着用。暑いが、長いパーカーなのでフジツボで膝を切るという事態にもならないはずだ。フジツボで膝を切って皿にフジツボびっしりみたいな都市伝説のようにはなりたくないからね。

 

 狛枝の幸運は不運があれば来ることが予見できるが、不運のほうは不規則でやってくるため油断大敵。海なんて危険生物の巣窟は以ての外。プールでも排水溝にホイッスルが吸い込まれて溺れかけたことがあるというのに海に入るなんてとんでもない。

 

 どうせダイビングしたらゴマモンガラやサメに出くわし、浅瀬で遊べばウミケムシを踏み、モンハナシャコに骨を折られ、デンキクラゲに遭遇して瀕死になる未来しか見えない。もっと沖に行けば潮の関係で戻れなくなり、サメの集団がぐーるぐる取り巻き、助けに来た人が次々と……

 

 ああだめだ。嫌な予感がぬぐえない。

 海好きなのに入れないだなんて悔しいなあ。

 とりあえず海に入れない理由は海水の塩分で肌が炎症を起こすって言ってあるので両親も泳げないなら教えてあげよう!みたいに無理矢理克服させてこようとはしない。そこは安心だ。

 

 山だってスズメバチの巣が上から降って来る(クマが近くにいて攻撃中だった)し、鈴を持っているのにクマとエンカウントした数は数十回にものぼり山小屋やコテージに泊ればムカデとこんにちは。トイレにはマムシかヤマカガシ。なぜだ。がっちり服装をかためていてもヒルがいつの間にかくっついているし、チャドクガの毛がコテージに残っていることなんてザラ。

 両親とはプライベートな理由で泊まる場所を分けると言ってあるが、実際にはこれが原因である。あの優しい人たちをこんなことに巻き込むわけにはいかない。スズメバチの巣が降って来たのも朝の散歩中で必死に遠回りして逃げてコテージ付近に来ないようにしたしね。

 

 遊園地に行けばデッドコースター状態が発生しかねないので行くこともできず、プールでは前述の通り排水溝に引き込まれて溺れかけたことがある。映画は幸運なことに前の席なんかを取ることができるとその後トラブルに巻き込まれやすくなるし、不運期間だともれなく背中にジュースが飛んで来たり、マナー違反な人たちの近くになったりするしビデオカメラ撮影している人が背後にいて濡れ衣を着せられそうになったりする。

 

 ああ、不幸だ……

 

 閑話休題(まあ、それはともかく)

 私がここに来たのは純粋な旅行と、〝 人を恐れないアシカ 〟を間近で見るためだったりする。

 勿論、人を恐れないはずのアシカが私を襲ってくる確率は五分五分だ。事前に幸運な出来事があれば間違いなく襲って来ると断言できてしまうこの才能が疎ましい。

 

 両親は熱心にバードウォッチングに勤しんでいるが中々見つからないらしく、これが難航しているため今は三日目。アオアシカツオドリやダイビングでシュモクザメを見るまで帰るつもりもないんだそうだ。

 

 既にエスパニョラ島にて二日を過ごし、大量のガラパゴスアホウドリを撮影してきたようなのでもういいんじゃないかと思うが、私としても小学生最後の夏休みだから思い出と自由研究用に絵日記なんかを残していたりする。勿論夢を書く方の日記は別なので二冊。

 

 私たちがこの一週間で行った島はまずこのサンなんとか島。ここに空港があるのでエクアドルを経由してやってきている。それからほど近いサンタ・フェ島。エスパニョラ島。一番最後にフロレアナ島で有名なポスト・オフィス湾の無人郵便局を覗き、ここサンなんとか島に帰ってきている。

 

 実は私自身も諸島内で唯一熱帯性であるガラパゴスペンギンを見てみたかったのだが叶っていない。その代りと言ってはなんだが自然公園内や海岸で遠目にウミイグアナを目撃しているのでちょっと満足。

 海で泳げないならばその周囲にいる動植物を鑑賞したり、貝を拾ってみたり、砂の城を作るしかない。

 

「あー!」

 

 そして、どんなに海辺から遠くで砂の城を作っていても高波かその辺の子供に破壊されてしまう。ああ、原作通りだね。狛枝はなにかを完成させることができない。編み物は大丈夫だがミシンを使う裁縫は必ず誤作動で停止したり滅茶苦茶に縫い付けられてしまったり散々だ。ハンドクラフトを趣味にするのは諦めろという神様からのお達しだろうか。ええいっ神なんて大嫌いだ!

 

 岩肌の近くで僅かにある砂で城を作るのはやめ、ふとすぐ近くにあった潮溜まりを視界に入れる。

 

「あ、ウミウシ発見」

 

 ウミウシなら、手に乗せる人もいるし問題ないよね?

 そろっと手を伸ばし、潮溜まりに浮かぶ小さな生き物を……

 

「凪ちゃーん!」

 

 遠くから声が聞こえ、勢いよく振り向く。岩場の向こう側に保護者の寛人(ひろと)さんと和子さんの姿を認めて声を上げた。

 

「あ!寛人さん和子さ、うぎぃ!?」

 

 海水に浸していた指に電流が走ったような痛みが襲い掛かり、情けない悲鳴を上げて手を素早く抜き取った。

 

「で、で、電気クラゲだとぉ!?」

 

 お前潮溜まりなんかにいちゃいけないやつだろ! というよりも本当にまずい。殺人クラゲで有名な上アナフィラキシーショックを引き起こすやばいクラゲだ。いや本当、なぜこんなところに!

 

 必死に海水で洗ったが腫れはやまず、病院送りになって国へ帰るのが一日延びたのは言うまでもない出来事だった。

 

 

 

 




今回少ないですね。
海に行っても山に行っても怖い思いをするさび枝さんです。都市伝説のようなありえない出来事まで心配しなくちゃならないなんて不幸ですね(ゲス顔)


・サンなんとか島
 一体何バル島なんだ…
 実際にあるとは思ってもみなかった島。調べれば調べるほど行きたくなっていく。イグアナとかアシカを見たい。

・ゴマモンガラ
 50㎝の大きさで縄張り意識が高く、珊瑚も嚙み砕くその鋭い牙でしつこく噛みつき追いかけ回してくる危険な魚。シュノーケリングスポットには必ずと言っていいほどいる。場合によってはサメよりも恐れられる魚。詳しくはggろう

・ウミケムシ
 岩や砂の下にいるため知らずに踏み、威嚇して逆立てた剛毛から毒が侵入する事故が多い。長い毛を引き抜いても既に毒液は注入された後なので後の祭り。

・モンハナシャコ
水槽や指の骨なら簡単に割ったり折ったりしてしまう時速80㎞のパンチが危険。人間のプロボクサーのパンチでも時速30〜50㎞である。

・その他
 それぞれ海・山の危険生物で探せばすぐに出ます。

・デッドコースター
 ファイナル・ディスティネーションというシリーズ映画の三作目のこと。
 一作目の上記は飛行機事故を予知して回避したが死の運命はどこまでも追ってきて死の連鎖が迫るという内容。
 二作目の舞台は高速道路。三作目が遊園地。四作目がサーキット。五作目が吊り橋。
 それぞれ死ぬはずだった人間が予知する人間により助かるが、死の運命からは絶対に逃れられないんだよ! とどうあがいても絶望な恐怖に襲われる映画。

 ただしこの小説はハッピーエンド前提である。(バッドエンドがないとは言っていない)

正直嵐の前の静けさワンクッションな日常回でした。

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