錆の希望的生存理論   作:時雨オオカミ

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〝 私はこうして独りになっていった 〟


ーGood Luck-
No.8『逃亡後』ー別離ー


 

 

 

 

 

 

 ザザザ…… ザザザザ……

 

 

 

 ノイズが走る。そう、まるであのときの巻き返し。

 

 

 

ザザ……

 

 

 

 《…… 県内の○○病院にて無差別殺人事件が発生しました。…… 県警は―― ザザ―― 火災も発生しており早急に―― なお、生存者は二名おり―― ザザ―― さんが行方不明となっており行方を追って―― ザザ―― の研究をしていた○○さんが感染しザザ―― 行方不明の○○さんザザザ―――― ザ、ザザ―――――――――――― 》

 

 

 

「ああ、もう。使えないラジオだな」

 

 所詮ラジオなんてそんなものか。そう結論付けてスイッチを切る。本当はテレビで何度も聞いたニュースだったが、今一度流し聞きをするにはラジオが良いかとつけていたのだが、ノイズ音で余計に気になってしまってBGMにもなりはしない。本当に期待外れだ。

 

「お嬢様、そのニュースは…… 」

「とんでもないよね、あんな狂気じみた人体実験がついぞ発覚することはなかった。普通の人なら頼もしい警察も私にとっては無能としか思えない仕事っぷり」

 

 ゴウゴウ耳に当たる風の音を極力意識せずにメイ子さんの声を聴く。なにもこんな風のうるさいところで話さなくても、と思われてしまいそうだが、この話題はこういうところでしか話せない。ある程度離れれば言葉はかき消されてしまうので都合がいい。

 

 私たちはとあるマンションの屋上にいた。

 錆だらけの非常階段に、錆だらけのパイプ。屋上の貯水タンクは酷いもので、私だったら絶対にこのマンションの水を飲みたくない。

 

 入り口付近から声が聴こえる位置にまで移動したメイ子さんは痛ましい顔をして私を見つめている。そんなに見つめてもなにも変わらないのに。

 

「本当、おかしいよ」

 

 あの事件は世間に公表されたが、人体実験と研究の痕跡は残っていなかったらしい。いや、消されたと言ったほうが良いだろうか。なぜなら、都合よく起こった火災が全てを無に帰してしまったからだ。何故か死体で見つかった父親と、行方知れずとなった無口な看護師さん。あの場にいた私たちならばなんとなく結果は予想できる。私たちは偶然燃えなかった玄関の監視カメラによって猟奇的な犯行をする父親が写りこんでいて完全な被害者であることを証明できている。

 

 火災はかつて母がいたところから起こったようだ。そこであれば面倒な代物を全て燃やしつくせることが分かっていたのだろう。あの看護師さんは本当に謎だ。皆も置いてきてしまったことだし、名実共に二人だけの現状。いや、写真や小物は身につけていたから心情的には二人きりというわけでもないのだが―― やめよう。虚しくなるだけだ。

 

 とにかく、被害者であることが証明されてから何度かマスコミがうろついたものの、引きこもったまま過ごしていたためストレスとイライラが溜まるだけでなにもなかった。引き剥がすのには苦労したものの、私が幼く、メイ子さんもまだ大学生で通じる年齢のため警察が配慮してくれたようだ。無能ではあるが、これだけは感謝している。メイ子さんが矢面に立って過労にならずに済むからだ。

 

「お嬢様、いえ、凪様」

「それ以上は言わないで。知ってるから」

 

 メイ子さんが悲しそうに口を噤む。きっとその内容を言っても言わなくても同じ表情を見せるのだから関係ない。屋上のフェンスに手をかけ、寄りかかるふりをしながら夕日を眺める。

 

 寄りかかるフリ(・・)なのはもし万が一にフェンスが外れ、不運なことに墜落死しましたってなりたくないからだ。

 でも、夕日に惹かれるのはなんだか分かる。今この場からなら手が届いてしまいそうな、夕日を掴んでしまいそうな、そんな風に思えるほど屋上で見る夕陽は不思議だった。

 これが夢の中であったならば、箒を使わず躊躇いなくその光の中へと飛び込むだろう。そして夢の中で死に、強制起床させられるのだ。それもいいかも、だなんて考えて風で攫われる髪を押さえつける。

 

 ―― ああ本当に綺麗だ。

 

 火が静かに消化されていくような、光が引き絞られていくような、花火が散っていくような…… あるいは、生命の終わりを表すような、そんな感想を抱く。

 

 夕日は終わりの象徴。でもまた朝日は昇る。だけれど、死者は決して蘇ることはない。恨んでいるだろうか。憎んでいるだろうか。のうのうと生きている私を、皆はどう思っているだろうか。たとえそれが独りよがりだとしても、そう思わずにはいられない。罪悪感などとうにないが、気になるものは気になるのだ。それがたとえ、自己満足だとしても。

 

「メイ。私のお願いを聴いてくれる?」

「…… はい」

 

 もはや命令だな、拒否権は初めからない。自嘲しながら笑って、声をかける。だが、私は振り返らない。彼女に背を向けたまま何度も訪れるこの世の終わりの一つを眺め続けているのだ。

 

 

 

「ねえメイ。私、キミに呪いをかけようと思うんだ」

「なんなりと」

 

 

 

 声に、詰まった音がした。

 なにを言い出すのだと吃驚したのだろう。昔から彼女はクールなのに変なところで素直で、ちょっと天然で面白い人だ。私なら彼女の好きなものは何でも分かるし、スリーサイズまで把握済み。言うなれば、私は彼女の説明書だな。知りたいことが知れる説明書。だがそれはあちらも同じことだろう。私のことはそれこそ離乳食やってた頃から隅々まで知られているのだ。そう思うと少々気恥ずかしいが、お互い様だな。

 

「いつか、私がなにかとんでもないことをやりそうになったとき、狂って正気を失ってしまったとき、そんなときが来たらどんなことをしてでも止めてね。キミにはその権利がある。いや、義務かな。これは大好きなキミだからこそに頼むこと。ね、受けてくれるよね」

 

 疑問系はやめた。

 自分勝手で、傲慢で、偽善者なんていう最悪な私に付き合い続けた彼女のことだ。

 

 

 

 

 

 彼女(メイ)は断れない。

 それを、私は知っている。

 

 

 

 

 

 ああ、卑怯だ。嫌われても仕方ないことをしている。それでも、この問答は必要だった。私が独りで生きるか、それとも隣に彼女がいるのか、そんな別れ道。

 

「お望みのままに」

「…… ありがとう」

 

 蚊の鳴くような小さな声で言い、彼女に向き直る。

 いつの間にか伸びた髪が現実でも魔女の格好ができるほど長くなっていて鬱陶しい。だから鋏を取り出して、肩の上でざっくばらんに切ってしまった。髪が伸びて重くなれば少しはクセ毛も寝癖も直るかと思っていたが無駄骨だったよ。

 いや、恥ずかしいことだが本音で言えば髪を切るだなんて思いつきもしなかったのだ。それほどまでに余裕がなくて、なにも見たくなくて、なにも聴きたくなくて、なにも話したなくて、なにもやりたくなくて、なにもできなかった。

 

 だがこれでもう誓いは済んだ。ただの口約束だけれど、きっと彼女は守るだろう。それならば問題ないのだ。

 

「いつか、迎えに来てね」

「ええ、いつか」

 

 知っていた。私に引き取り手がついたのは知っていたことだった。

 メイ子さんがこの屋上に来て、とても悲しそうな、嬉しそうな、複雑な顔をしていたからその心情をなんとなく悟ってしまった。私が普通の家庭に入れることを喜べばいいのか、己の感情に任せて悲しめばいいのかが分からないのだろう。

 

「私の一番は、いつまでたってもキミしかいないんだからね」

「ええ、存じております」

 

 子供のように念を押して、満足する。

 

「暫くさよならだよ」

「願わくば、貴女様が幸せになれますように」

 

 

 互いに誓い合って、屋上を後にした。

 手を繋いで、少しずつ階段を下る。エレベーターは使わない。あと数日間。大好きな彼女と幸せに過ごすことにしよう。最後のひととき。

 

 

 

 

 

夕日はとっくに空の彼方へ姿を消していた。

 

 

 

 





・散髪
 切った髪をどうしたかは考えてはいけない(戒め)

・一時の別れ
 原作狛枝としての人生が始まります。
 近くにいると些細なことで死亡フラグが立ってしまうので避難してもらいました(建前)
 メイ子がいるといつまでたっても発狂しないじゃない!(本音)


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