錆の希望的生存理論   作:時雨オオカミ

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〝 全てに背を向けようとも、生きてこそ至れるものへ 〟



No.7『逃亡』ー落陽ー

 気がついたら私は夢の中にいた。

 

 確かに、色々とショックなことが続いて精神的に弱ってはいたが、気絶はしていないはずだ。…… 連日泥のように眠っていることは自覚しているが。

 

「エントランスじゃ、ない?」

 

 メイ子さんが大変だった偽りの平和の中で既にエフェクト〝 ホイッスル 〟は入手済みであるし、姉さんたちと本当の友達になった際は上の扉を開け、『奇形物世界』にてエフェクト〝 モノアイ 〟を入手した。

 

 心の中では未だに認めたくないという思いと、あれは事実だと責める思いに挟まれかき混ぜられたままではあるが、『煙突世界』。いや、『火葬場』と言えばいいのか。そこで西洋式の美しい喪服、〝 ドレス 〟と牢屋の世界で青子さんの〝 死体 〟を入手してある。そのどれもが私の記憶に根ざす忌々しい象徴。エフェクトだ。

 

 これで現在入手したエフェクトは全部で九個。

 

・ほうき

・潜水服

・ジョウロ

・植物

・内臓

・ホイッスル

・モノアイ

・ドレス

・死体

 

の順に九個だ。

 

 ほうきの出現する意味はよく分からないが、恐らくは『 自由の象徴 』だろう。潜水服は橙子ちゃんだろうし、ジョウロと植物はメイ子さんに貰ったアネモネと『 病気の象徴 』。内臓は『 母から生まれたことの象徴 』であり、ホイッスルは『 贈り物 』。モノアイは『 ヒイラギ姉さん 』で、ドレスは『 喪服 』、死体はそのまま『 母親の死 』だ。

 

 まだ手に入っていないのは十五個もある。その中でも出現すらしていないエフェクトがあるのでまだまだ先は長い。そして、それが意味するのはまだまだ不幸が続いていくということ。憂鬱にもなる。

 

 さて、少し現実逃避してしまったが今は夢の中だ。しかも、いつもとは少し毛色の違う夢である。夢の中なのになんだか妙な感じがするが、最初に目を覚ましたのがいつものエントランスホールではなく、植物に侵食されたどこかの廊下だったのである。

 

「なに、ここ。もしかして、植物回廊?」

 

 そこかしこに亡者のような植物に侵された少年少女や怪物のような白髪がいる。どうやらこちらを襲ってくるような気配はないようなのだが、その真っ赤に充血した目はうつろで、足を引きずって歩いていたり、座り込んでいたり、様々だ。彼らが悲鳴をあげていないのが幸いなくらいで、もしもこの場で彼らが叫んでいたらまさに地獄絵図、阿鼻叫喚だ。そして私の耳も潰れていただろう。多少のうめき声すらもないことに若干の恐怖を感じるが、本当に幸いだ。

 

「部屋の前なのか」

 

 そこは植物に侵された部屋の前。どこに誘導されているのか検討がつかないわけではないが、果たしてどちらに行ってほしいのかが分からない。それに、本当に知っている場所と繋がっているのかも分からない。

 周囲にはゼンマイのようになった緑色の植物と、赤い花を咲かせている植物がある。なにも言わず、なにもしない子供たちは放っておくしかないのだ。右手を中空にかざす。すぐにほうきがその手に現れ、魔女の宅急便のような姿になる。白い髪は少し長くなり、赤いリボンでポニーテールとなっている。エフェクトほうき。便利だ。

 

「こっちかな」

 

 とりあえず、今は必要のない左の通路は無視して勘に従い、右の通路へ行く。白い怪物たちの間を抜け、相変わらずどこまでいっても植物だらけの廊下だ。入り口を抜けたあとには白髪だけでなく、黒髪の子供や茶髪の子供もいる。赤い花を咲かせるその姿はエフェクト植物を使った私の姿とよく似てる同じ境遇の子供たち。

 

 周りに生えている赤い幹の植物も緑の幹の植物も皆例外なく白い花が咲いていて、そこかしこに生えている。白い花であることには、やはり意味があるのだろうか。たしか植物のさび病は白くなっていくらしいし、それを表しているのだろうか。

 

 今度も右側の入り口を通る。すると目の前に飛び込んできたのは〝 植物 〟を取ったのと同じ部屋。真ん中にはあの大きな花と、周りに四つの小さな花が咲いている。しかし今回はそちら側に行くことはできない。なぜなら、ゼンマイたちが通せんぼしているから。もしかしたらなぎ倒すことも可能なのかもしれないが、武器は持っていないので今は無理だ。

 

 隣の入り口を通って、今までとは違った暗い世界に入った。先程と同じように緑や赤の白い花を咲かせる植物がいたるところに生えているが、不思議と私の前にはなにもなく、一本道になっている。これは知っていたことだ。もう忘れかけているが、この先にあるものも知っている。予想通りならば、とうとう来てしまったのか。早い。早すぎる。まだ母が逝ってしまってから一ヶ月と経っていないというのに。

 

 ああ、ここから先に進みたくない。進みたくなくて、ほうきから降りた。足が重い。胸の中に鉛が入っているようだ。今すぐにでも、例え夢の中だとしても気絶して何もかもから逃げ出したかった。それでも足を進めるしかない。そうしなければ自分が生き残る可能性すらも潰えるかもしれない。それだけは放棄するわけにはいかない。痛いのは嫌だ。死ぬなんてとんでもない。なにがなんでも、たとえ自分の精神が悲鳴をあげていてもそれだけは諦めることはできないのだ。死を遠ざけるにはそうするしかないのだ。

 

「日没、か。嫌だなあ」

 

 そして私は光射す世界に踏み出した。

 

「っ……」

 

 不気味な空と、右側に伸びる電柱の影。水溜りのような落とし穴。そして、西に向かって引き寄せられるように歩いていく同属たち。諦観の思いでホイッスルを取り出す。オレンジ色のそれは橙子ちゃんからもらったものだ。これは私が吹いた方向に夢の人物たちが動いてくれるというものだ。そのわりに音はならないのだが。とにかく、無駄だと分かっていながら私は東を向いてから笛を口にくわえ、思い切り吹いた。

 

 こちらに迫ってくる子供たちの歩みが止まる。

 しかし、それ以上のことはなにも起こらない。

 

ここで西に向かっている子供たちは歩みを止めることこそできるが、反対側へと進ませることができない。日が落ちる。まるで死に向かって歩いているようだ。ゲームをしたそのときからここは嫌いだ。子供たちが死に行くのを私は止めることができない。だから、嫌いだ。

 

「うぅ……」

 

 少しずつ、足を進めていく。皆とは逆に、東の方へ。東南の方向へと斜めに歩きながら行くとやがて歩きもせずになにかを囲んでいる集団が目に入る。赤い空を映した水溜りが沢山ある場所。その中心部に倒れたお母さん。そして、それを囲む黒と白の子供。

 

 ああ、そうだ。あの諦めた目をした人はもういないのだ。

 

 ますます気分が悪くなって元来た道を戻り、光から影へと身を隠す。すると今度は植物回廊に戻るでもなく、真っ白な病院へと繋がった。この夢は私になにをさせたいのだろう。

 

「私の部屋だ」

 

 そこは私の部屋だった。白くて嫌な場所。でも、好きな色。歩き回って、橙子ちゃんやりん子姉さん、ヒイラギ姉さんがいることに安堵を覚えたが、皆こちらに興味を向けることもなく、その場に佇んでいるか歩き回っているだけだ。それに少しだけ寂しく感じて外に出る。診察室に入るといたのはクソ親父。まったく、人の夢にまで入ってきて不快にさせるとはなんてやつだ。

 

「あれ、既視感?」

 

 少し、焦燥感を覚えた。今まで既視感を無視して碌な目にあったことがない。診察室を出て玄関に向かう。ほうきで飛んでいても遅く感じて、私は自らの足で走り出した。

 

「お母さん!?」

 

 そこには、いるはずのない人青子さんが待っていた。飛びつきたくなったが、すぐ眩暈に襲われて抱きつくこともままならない。

 

 

目が覚めると、また自室にいた。

 

 

「あれ?」

 

 目を擦る。頭を振って周りを見渡す。

 

 カチコチと硬質な音を立てて時計が現在時刻を主張している。いつもよりも随分と早い起床だ。部屋の周囲はとても、静かで、物音一つなく、生の音も、静の物音も聞こえやしない。そう、なにも聞こえない。

 

 私は音を立てないようにベッドから降り、いつも寝るときには外すホイッスルを身につける。ベッドの脇にある床頭台には写真立が二つ。それを見てから胸元に揺れるロケットペンダントに触れる。

 

 アネモネは既に枯れかけていて、その脇に置いてある小さな掌サイズのジョウロをポーチに詰めた。なんだか淡々としている私に笑ってしまいそうだった。だが、周りはとても静かなのだから笑ったら皆を起こしてしまう。それだけは避けたい。私が出かける準備をするのは必然だ。

 

 なぜなら、静かで、静かで、飾り気のない白い壁がそこにあるから。理由はそれだけで十分だよね。

 

 ああ、一刻も早くここから出なければ。魂に刻まれた記憶から本能的に、そう思った。

 

 自室からそろりと抜け出し、ふらふらと、じぐざぐに、まるで酔ったように走りながら玄関を目指した。走って、走って、誰かの部屋の前も通り過ぎて、目に留まる全ての変化を受け入れず、耳に入る全ての音を拒絶して、ただ無我夢中で走った。足がもつれそうになるのも我慢して、なにかにぶつかりそうになってもじぐざくに移動して避けた。誰かが呼び止める声も、恨めしそうな目線も、全てを拒絶して、振り切りながら一生懸命出口まで走った。

 

「あぅっ」

 

 とうとう出口の前で転ぶ。もう駄目だ! そう思ったときには、誰かに抱きとめられていた。

 

「メイ!」

「凪様! 早くこちらへ!」

 

 いつもの白衣のようなメイド服ではなく、私服のような服装に身を包んだ彼女に抱きつき、後ろを振り返る。そして自己防衛本能が遮断していた全てがこの目に、耳に届き、理解したくなくて放棄したそれを強制的に理解させられる。

 

 

 そこにあったのは、正しく地獄絵図であった。

 

 

「見てはなりません凪様!」

 

 メイ子さんの注意虚しく、私は見てしまったのだ。

 

白い壁は赤や別の白で汚され、病院ではないなにかおぞましいものへと成り果てている。

 

 私が通って来た道のいたるところに人間が横たわり、生の光を失った目がこちらを睨んでいたり、まだ息のある者が床に絵を描きながら這いずりこちらに手を伸ばす。

 

 許容しきれないほどの悲鳴と笑い声が開けた聴覚を叩く。いっそ耳が壊れてしまいそうなほどの轟音。そのせいで頭は割れるのではないかというほど痛み、意識にもやがかかる。

 

 そしてその真ん中で狂った父親が刃物を手にして兄弟達を蹂躙している。

 姉さんたちが変わり果てた姿で横たわっている。

 橙子ちゃんが、そのヘルメットを外して倒れている。

 残った怪物の一人が抵抗むなしく胸を突き刺され絶命する。

 

 倒れたもの、血を流したもの、頭と体が離れたもの、部位欠損しているもの。そこに地獄をぎゅっと詰め込んだようなそんな阿鼻叫喚。やがて廊下の奥で暴れていた父親は私たちに気がつくと、歪な笑みを浮かべて歩み寄ってきた。

 

ひたり、ひたりと足音を立ててアイツが近づいてくる。

アイツの持ったメスやハサミが割れた蛍光灯の光でギラリと光る。

死が、近づいてくる。

 

「なにやってるんだよお前!」

 

 「お嬢様、こちらです」と言うメイ子さんに手を引かれてその場から逃げ出そうとする背中に、いつか聞いた怪物兄の声が響いた。悲鳴が木霊する世界でも聞こえたのは、それが近くから発せられたからに他ならない。

 

 走りながら振り返る。

 

「おらぁ!」

 

 赤い目を充血させた彼がこちらに迫る殺人鬼の背中にタックルを仕掛け、一緒に倒れこむのが見えた。

 

 強く手を引かれて、見たのは一瞬。だが、それでも彼が笑みを浮かべているのは分かった。

 

 前を向いて走る、走る。暫く怒号と笑い声が響き渡り、なにかを叩き潰したような鈍い音が背中から響く。それでも振り返ってはいけないと心に念じて前を進む。

 

 裾についた血が足を濡らして気持ち悪かった。そしてなにより、皆を見捨てて自分だけがのうのうと生き延びたことに罪悪感で一杯になった。二人で生き残る。それは達成されたが、ちっとも嬉しくなかった。

 

 …… はは、私はな に を 言って、いるんだ?

 

 自分が生き残ればいいと言いながらなにを世迷いごとを言っているんだ。これが本音か? 違うだろう。私は誰よりも死を否定していて、誰よりも生きたがりなのだ。ちょっと親しかった人物(他人)が盆から零れ落ちたってなんだっていうのだ。

 

 ああ、今ならりん子姉さんが言いたかったことが分かるよ。姉さんは私のことを偽善者だって言いたかったんだ。

 

 そう、その通り。

 

 自分が嫌われたくないから、死ぬ可能性を少しでも低くしたいから恐怖を押し込め、震える手を叱咤し、ヒイラギ姉さんに手を差し出した汚い偽善者だ。

 優柔不断すぎて笑えない。今だから気づけた。でも、もう戻れないんだよ姉さん。

 

 私は私。〝 生き残らなくてはいけない 〟それが私の行動理念。凝り固まってもう解けない固定概念。

 

 他のなにを犠牲にしたとしてもそれだけは変えることができない。生存することが全て、私の全て。そう、〝 自由 〟こそ至高であるとした空井織月のように。

 

 思えば、私は自分のことを棚に上げて随分織月に対して怯えてしまった。それはつまり他人から見た私が彼女となんら変わらないということに他ならない。そんな私とずっと友達だと思ってくれていた橙子ちゃんや姉さんたちには感謝するが、すでに彼女たちはいないのだ。もう私を止める人なんて、誰一人居やしない。

 

 

 ほら、隣にはなによりも大事な人(メイ子さん)がいる。

 大事な物は全部傍にある。それだけで万々歳ではないか!

 

 私は生きる。生きてこの地獄から抜け出すのだ!

 

 

「うふふ、ふ、あは、はは、あははっ! あははははははははは!」

 

 気がつくと私は壊れたように笑っていた。とめどなく溢れる涙をそのままに狂ったように笑い続けた。そんな中、ずっと私の手を握り続けていたメイ子さんには感謝してもしきれない。

 

 いつしか私たちは警察に保護され、二人一緒に話をさせられた。

 相変わらず私は笑っていたのでメイ子さんだけ。そのときに、耐えられなくなった私はとうとうやらかしてしまったのだ。

 

「うふふ、ははっ、ははは、ううぅぇ、あ、う…… うううう!」

 

 胃の中身が逆流するように口内を叩き、こみ上げた衝動のままに私はその場にうずくまる。抑えようと伸ばした手の隙間から漏れ出るモノが床をビシャリと濡らしていく。薄汚れた警察署の床が更に汚れていき、慌てたメイ子さんが服の中からタオルを取り出す姿が見えた。

 

 謝罪の言葉も喉の奥に粘液で絡まり出てこない。ゲホゲホと咳をして目には涙を溜め、大きな音を立てて机に手をかけ、やっとのことで立ち上がる。

 

「うううぅぅぅ……」

「凪様!」

 

 メイ子さんが私に近づく。ふらりとよろけた私はそのまま彼女に寄りかかるように身を預け、メイ子さんはメイ子さんで服が汚れることも気にせずに私を受け止める。

 

「ぉ…… ご、め……」

「気になさらないでください」

 

 警察の目の前で嘔吐してしまった私は、メイ子さんに抱きかかえられたまま意識が暗く塗りつぶされるのを感じた。

 

 最後の足掻きか、抵抗か、これが夢だったらいいのに、と今まではちっとも本気で思わなかったことをドロドロの顔で、笑みを浮かべたまま考えた。

 

 




後書き長い(くどい)です。

・静かな部屋
 起きたらとっても静かでした。本 当 に?
 認めたくなかっただけ? 聞きたくなかっただけ? 見えないふりをしていただけ? いいや、全部ですね。自分をいくら誤魔化したって事実は揺るがないというのに。
 拒絶は一時の幸せをもたらします。ですが認めれば打ちのめされてしまうでしょう。そしてそれを受け入れれば永遠の狂いをもたらすことでしょう。全てを受け入れるというのはとてもとても残酷なのです。

 お め で と う!
 残りSAN値は 夢の30代に突入したぞ!

・parade(パレード)
 章タイトル回収。.flow ver0.16ネタです。
 そういえばダンガンゼロの暴動の名称もパレードでしたっけ。わりと偶然の産物。

・日没
 あの、ホイッスルの効かない怪物たちの世界では影が右向きに伸びています。そしてどことなく赤っぽい背景。紛れもない日没の世界だと思うのです。ゲームでは左を西、右を東としていますしね。北欧神話でも神と怪物たちの最終戦争〝 ラグナロク 〟は〝 神々の黄昏 〟という意味を持っていることですし、日没は終わりの象徴です。

・生存厨
 生存厨誕生の歴史的瞬間。感動的ですね(白目)

・怪物兄
 最後まで凪をいじめることに迷っていた人がとうとうイケメン化しました。しかしフラグが立つには遅すぎたのです。最期に凪を守り、儚く散ることとなりました。

 彼ら怪物兄弟には最期まで名前が明かされることはありませんでした。わたくし自身としてはどんな名前を付けても彼らに見合った意味が付与されず、納得がいかなかったことが要因です。ですが、だからこそ気持ちを入れて書くことができたのかも、とも思います。
 「名前のない怪物」を聴きながら書いていたという裏話があったりなかったり。

・結果
 橙子・りん子・ヒイラギ・怪物三人・病院の院長 その他 死亡。
 院長と懇意だった看護師 行方不明
 凪・メイド 生存。
 境遇リセット .restart

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