錆の希望的生存理論   作:時雨オオカミ

27 / 138
〝そして小石は坂へ〟


No.6『日没』ー白黒ー

 それは、寒さも厳しくなってきた冬の出来事だった。

 

 今世で始めて、病院の外に出ることになった。それはとても素晴らしいことだろう。しかし、私にとってはそれがなによりも残酷なことだったのだ。

 どうしてこんなにも不幸なのだろうか。そんなことを真剣に考えてしまうほど私は参っていた。

 

「……」

 

 西洋式の黒いドレス(喪服)を身に纏い、ただ目の前にあるものを見つめる。

 目の前には棺。その中にはもう二度と目を開くことのない彼女がいる。白く、化粧を施されて人形のように整った顔。白髪の目立つ長い黒髪。

 

 前に見たときは頬がこけ、顔が青白く不健康で、諦観の浮かぶ目をしていたその人。棺の中にいるその人は見たこともないくらい健康的な顔をしていて生気に溢れていた。きっと私が生まれてくるずっと前はこんな顔をしていたのだろう。既にその魂は天へ還ったというのに生きていた頃よりも生気を感じるだなんて皮肉なものだ。

 

「っ――!!」

 

 どこかで狂ったように叫ぶ声が聞こえる。男泣きの醜い声。

 

 私は声も上げず、瞬きも忘れ、信じられないその光景に呆然とするしかなかった。こんなにもまともな葬式が行われる意味も理解できない。クソ親父は非人道的な実験を妻にしていた。かなり衰弱していたし、体のあちこちに傷痕がついていてもおかしくはないのに、何故言及されない? 母は苦しんでいたというのに!

 

 だが、ここで私が真実を叫んだとしても周りにいるのは病院の関係者だけ。メイ子さんが理解を示してくれていたとしても彼女もまた未成年。大人が信じてくれる道理はない。こんなときだけは本当に身勝手な大人を恨みたくなる。所詮子供だと見下すあいつらを見返したくなる。腹の中に溜まったドス黒い気持ちを渦巻かせ、冷めた目で泣く男を遠く見つめる。ああ、腹立たしい。一番妻を苦しめたのはお前じゃないか。なのになぜ泣く?なぜ悲しむ?それは実験体がいなくなってしまったための悲痛の叫びなのか?なんでなんでなんで、なぜ唯一と決めた女性をそんな風に扱うことができるんだ。

 

 これが、これが病院関係者のやることか?人の命を救う機関がすることなのか?こんなんじゃ、ただの犯罪組織と変わらないじゃないか。子供を実験に使用して、妻を使って研究し続けるなんて、まるで拷問みたいじゃないか。

 

 そんなアイツが、あんなヤツが超高校級の精神科医候補だったなんて信じたくもない。こんなことをしたヤツが、あんな狂ったヤツが、希望の象徴に少しでもなりそうだっただなんて、そんなことはありえない、ありえない、ありえない、ありえないありえないありえないアリエナイ……

 

「お嬢様」

 

 隣にいたメイ子さんが私の手をその手で覆う。耐え難い思いにより握っていた拳を優しく包まれ、黒く渦巻いていた感情が霧散していく。みっともなく取り乱してしまっていたようだ。心の中での悪態だったのにもかかわらず気づいたのは、そこはメイ子さんだからだろうか。

 

 なぜ、あんなにもアイツが超高校級候補だったことに黒い気持ちが向いたのか漠然としていて分からないが、やはりこの体が狛枝凪斗をベースにしているからなんだろうか。私自身、希望に人生を見出しているわけではないのに。なんとも不思議なこともあるものだ。

 

 だがまあ、爪が刺さって血が出るだなんてことは起きなかったが強く握り締めていたことは事実。顔にもそれが表れていたのかもしれない。ギリギリと噛み締めていた口を緩ませ、メイ子さんを見上げる。

 

「ごめんなさい」

「いいえ、私もお嬢様の気持ちは痛いほど解りますから」

 

 彼女もやりきれないような、どこか悔しそうな、そんな滅多に見せない感情を表に出して悲しんでいる。その目許はどこか潤んでいるようにも見えて、必死にそれが流れ出ないようにしているのが予想できる。私が泣かないのだから彼女も泣かない。そんなことを思っているのかもしれない。そうだとしたら、少し嬉しい。だがそれと同じくらい寂しく思った。悲しみの気持ちくらい思い切り吐き出せばいいのに。

 

「さ、お嬢様。枕花を供えてさしあげましょう。奥様も喜ばれます」

「うん」

 

 枕元にそれぞれが一輪ずつ供えていく。それは胸元に置かれた白菊だったり、大きな蘭だったり白いものが多いが、彼女を彷彿とさせる青い色をしたデルフィニウムも供えられている。私はそれ(デルフィニウム)を一輪手に取り、頭の横に置く。メイ子さんは薄桃の百合を選んだようだ。

 

 親父(アイツ)はいつまで経っても彼女の傍から離れることもなくわんわん泣き叫ぶばかり。そんな父親と顔に何も出さない娘である私を見て顔を顰める関係者もいるが泣きそうなメイ子さんが頭を撫でながら 「気にしないでくださいね」 と言ってくる。気にはなるが問題はないだろう。

 

 チクチクと胸が痛んだが、分からないフリをした。

 

 そのまま時間が経っていき、霊柩車が発車し、私たちもそれを追う。

 火葬場ではすぐさま彼女の姿が消えてなにをするでもなく、呆然としたまま他の人たちに混ざり火葬が終わるのを待つ。父親の姿が見えなかったので、もしかしたらずっと祭壇の傍にいて見ていたのかもしれない。

 

 本来火葬中は暇なものなのだが、今はなにかを食べる気も、飲む気も全く起きず、なにかをする気力もない。関係者は普通に備え付けの新聞を読んでいたり、なにか話していたり、携帯電話を弄っていたりと自由に過ごしている。その中で私は一人だけ宙を見てぼうっとしているだけ。メイ子さんが心配してジュースを勧めてきたり、小腹は空いていないかと訊いてきたり配慮してくれているが、それでも上の空だ。そんな状態で一時間、二時間と過ぎていき、やがて係員の人が空ろな目をした父親を連れ立って来た。火葬が終わったらしい。

 

 係員の先導により収骨室に案内され、父親が相変わらず空ろな目で骨壷を危なげに受け取り、母親だったものの頭上へ移動する。少しゆらゆらと揺れて虚空を見つめるその姿はよく言えばショックで上の空。悪く言えば狂った異常者だ。

 順番に、親しい者から骨箸を受け取る。私とメイ子さんが一番最初だ。二人で何回か箸渡しをしながら骨壷にその骨を納めていく。そして次々と骨は壷の中に納まっていき、とうとう最後の一つが納められる。ただでさえ小さく感じた彼女がとても小さな壷に納まりもう二度とその姿を見ることはなくなる。

 

「母さん」

 

 案外冷静にその声は出た。震えることもなく、涙で視界が滲むこともなく。

 

 最期まできちんとお母さんと言ってあげることはできなかった。

 最期まで彼女を母親なのだと認識することができなかった。

 

 私はこんなことになるまで、前世の記憶を引きずっていたのだ。今更だけれど、青子さんが母親で良かったと思う。失ってから気づくだなんて、私は馬鹿だ。だけれど、これだけは言いたかった。彼女がどうか安らかに眠れるように。

 

「ありがとう」

 

 火葬場を出て、空を見上げる。夕日が空を赤く染めるのが見える。周囲の建物は皆影のように黒く塗りつぶされ、夕日の毒々しい赤を背景にしてとても映える景色だ。今の精神状態に染み渡るようにこの景色は美しい。今まで我慢してきたものが思わず溢れ出しそうな、そんな感じがしてうずくまる。不安定になっている心ではどんなに些細なことでも壊れてしまいそうだ。

 

 静かに頬を濡らしながら先日降り積もったのであろう雪を掻き集める。そして一心不乱に手のひらサイズのかまくらを造って移動する。意味はない。ただそうしたかっただけにすぎない。だが、遊んでいるという意識もなく黙々とかまくらを造った。ドレスが雪で汚れようと気にはならなかった。

 

 帰っていく一団と、メイ子さんの後ろ姿を見送って雪の中また空を見上げた。

 宵が近づき、赤に黒が混ざり始めて一層不気味な色が広がっている。まるで夢の中にいるみたいだ、と苦笑して立ち上がる。

 

 お迎えが来て(見つかって)しまったのでもうここにはいられない。

 

「お嬢様、お願いですから逸れないでください。心配したのですよ?」

「うん…… 帰ろうか、メイ」

「ええ、帰りましょう」

 

 赤くなった目元を優しくハンカチで押さえ、耳の横を通って軽く髪を梳く彼女の手は冷たい。先程まで夕方だったというのにいくら日が落ちるのが早いとはいえ、既に暗くなり始めている。結構な時間探してくれていたのであろう。心配させてしまったことへのお詫びとお礼を込めてその手を握る。感情が昂ぶって熱くなった体温には心地よいそれを頬に当て、 「メイの手冷たくて気持ちいいね」 と素直な感想を洩らす。思ったよりも震えた声に一人で驚き、苦笑すると正面から優しく抱きとめられ、体を持ち上げられた。

 

「重くないの?」

「成長をこの身で実感できるのですから問題ありませんわ」

「重いってことでしょ? 誤魔化しても無駄だよ」

「そうとも言いますね」

 

 うふふ、と笑って歩き出すメイ子さん。抱っこされたまま移動するのか、そうなのか。

 またいなくならないように捕まえておこうとでも考えたのか、どこか嬉しそうに笑う彼女では判断できない。

 

「こうしていれば運転手にも、私にも見えませんわ」

 

 その言葉で気づく。

 彼女は泣くところを見られたくないと思っている私を気遣ってこうしているのだと。

 じわり、じわりと溢れてくる思いに流され、声を出さないようにするのが精一杯になる。今、なにか喋ってしまったら震える声が一層涙声になってしまいそうだ。

 

 メイ子さんの服を正面から掴み、顔に押し当てる。服を汚してしまうのを承知でこうしてくれているのは分かるが、さすがに鼻水をつけるわけにもいかない。上手くできない呼吸で口を開け、鼻を時々すする。傍から見れば泣いていることは一目瞭然だろう。それでも良かった。メイ子さんの気遣いが嬉しかった。自分のせいで怪物が死に、友達の災難を知り、メイ子さんが大罪を犯し、そして母親が死んだ。思えば、泣く機会はいくらでもあったのだ。怪物の死ではそうとう取り乱し、泣き喚いたらしいがあまり記憶には残っていない。自分のために泣くことはすれど、こんな風に誰かのために泣くなんてことはなかったはずだ。

 

 やつれる前の、元気な姿を見たことがなかった。

 本気で笑う姿も見たことがなかった。

 その目に希望を宿している姿を見たことがなかった。

 一緒に食事したことも、話したこともなかった。

 傍にいたのはそう、ほんの少しの時間だけ。

 きっとすぐに声も思い出せなくなるだろう。

 それでも彼女は、私の母親だったのだ。

 

 メイ子さんの腕の中で目を瞑る。

 平穏は近日中に終わってしまうだろう。そんな予感を胸に、私は心地良い体温に揺られながら眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

 




・お葬式
 こういう描写って書いていいものなのだろうかと葛藤しつつ書き上げました。ものすごく書きづらかったのは言うまでもない事実。実在の人物でもないし、四谷怪談書いてるわけでもないし、お祓いはいらないはず。
 手順とか言葉とかの調べが間違っていたらどうしようとドキドキ。間違っていましたら遠慮なくご指摘ください。
 主観での物語では青子さん退場です。お疲れ様でした。どうか安らかに。

・喪服
 エフェクト〝ドレス〟です。黒い洋風の綺麗なドレス。エフェクトのある場所が煙突のようなものから煙が出ている雪景色の場所ですから、火葬場だと解釈する方がとても多い。私もその一人です。

・雪景色の火葬場
 ここに出てくる小さなさびつきはホイッスルでしか現れてくれませんので本当は迷子になった凪がメイ子さんを探すために貰ったホイッスルを吹くという形にしたかったのですが無理がありました。
 あの凪お嬢様Loveなメイ子さんが迷子になるまで放っておくわけがないんですよ。今回の一時見失う状況も少し無理があったのですがこうするしかなかったんですよね。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。