錆の希望的生存理論   作:時雨オオカミ

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No.5『怪物』ー療養ー

「却下させていただきます」

 

 涼しい顔で言い放ったメイ子さんの言葉にベッドに寝かされたままの私は涙目になりながら迫る彼女の手を防ぐ。

 

「メイが過保護過ぎるんだって!」

「だめだといったらだめです」

 

 うるうると涙を溜めたいたいけな少女に揺らがないだなんてあなたは鬼か! いつもは女神のように優しくて私のことを優先して考えてくれているというのに、今はその優しさが私を苛んでいる。どんなに懇願しても、どんなに訴えてもメイ子さんは首を縦に振らない。

 

「そこをなんとか!」

「恥ずかしいのは分かりますが、こればかりは我慢していただかなければなりませんよ」

 

 なぜこんなことで恥ずかしい思いをしなければならないのだ。ただ罅が入っただけだというのにこの対応はなんだ! 松葉杖を使えば問題なんてないはずだろ? どうして許してくれないんだ!

 

「トイレくらい松葉杖があればいけるってば!」

「だめです」

 

 私は見事に崩れ落ちた。

 そう、怪物たちによって階段から突き落とされた私は怪我を負って療養中の身なのである。一生懸命這いながら笛を口に咥え、思い切り音を鳴らして助けを呼んだあのときだ。私は酷い全身打撲で動けなくなっただけだと高を括っていたが、左足が見事に折れていたのだ。

 まあ、折れていると言っても酷い罅が入って危ない状態であるだけなので松葉杖があれば恐らく歩いてトイレに行くことぐらいは出来るはずだ。

 

 だというのに彼女は過保護にも尿瓶片手に真顔で待機している。これはきつい。肉体的にも精神的にもいろいろときつい。これがまだおまるとかならはまだ分からないこともない…… がやっぱり嫌だな、うん。たとえ肉体が六歳で、精神も多少それに引きずられているとしてもこれはない。

 

 扉を少しだけ開けてくすくす笑っている白いツインテールが見えるが無視だ無視。誰のせいでこうなってると思ってるんだまったくもう。

 

「ほら、せめて車椅子とかさ」

「そんなに嫌ですか」

「嫌です」

 

 いくらメイ子さんのことが大好きでもこれはきついんだって、分かってくださいよ。両足骨折とかならまだこの対応も納得できるけど、罅が入っただけで大袈裟なんだって。

 

「畏まりました。では車椅子を借りてきますので少々お待ちくださいね」

「うん、よろしく」

 

 その対応を食事とかに回してくれればいいものを…… なぜ不服そうな顔をしてるんだメイ子さん。早く行って来なさい。まだ催してないから多少時間かかっても大丈夫だよ。

 

 ガラリと音を立ててメイ子さんの姿が扉の向こう側へと消える。先程覗いていたツインテールは既に何処かへと行ってしまったようだ。メイ子さんからは見えないからって堂々と覗き込みに来るのやめてほしいな、本当。私からは丸見えだっての。

 

 ベッドに寝ながら天井を見上げる。病院特有の染み一つない真っ白な天井だ。次にチラリと目を傍に向ける。白いカーテンに、広くは開けられない窓。窓際には小さなジョウロとそろそろ限界を迎えそうな赤いアネモネ。所々の葉が茶色く変色し、花も元気がない。枯死してしまうのも時間の問題か。だが季節的にももうすぐ梅雨となる時期だからよく持ったほうだと思う。

 

 本で調べたところ、アネモネの開花時期は3~5月の少し肌寒い時期らしいのでかなり持っているほうだ。枯死したあと夏には球根を掘り出して保存しておけば翌年もまた同じ花が楽しめる。メイ子さんがアネモネを買ったのはクリスマスの時期なので温室で育ったアネモネだろうから実に半年は咲き続けている。私の世話が上手いのか、メイ子さんの世話が上手いのか…… まあ確実に後者なんだろうけど彼女からもらったものが長く楽しめるのは良いことだ。

 

 アネモネから目線を動かし、部屋の中を見渡す。ベッドには相変わらずお気に入りのピンクの猫クッション。それに床頭台の上には携帯ゲーム機。中身は勿論SINSOKUNEKO(しんそくねこ)だ。結構やり込んでいるが中々難しいので成績はあまりよろしくない。あれで何十コンボも決められるメイ子さんがおかしいのだ。私が下手なわけではない。何個も迫る魚を猫を操作してポイントを獲得。それも時折追加されていなくならないお邪魔物体を引っ掻きで退けつつポイントを取って行かなければならない。裏技で文字通り猫を神速にすることができるが非常に扱いにくく、沢山落ちてくる魚やお邪魔物体を全て取得・引っ掻きしなければならず、失敗は三回まで。高ポイントを取るなんて不器用な私には無理難題だ。

 

 部屋には他にもシャワー室がある。トイレは表にある共用のものを使っているのでない。十分な大きさの風呂は病院の浴場を使わなければならないので基本私はシャワーしか使わない。髪も整えるのが面倒なのでわりとばっさり切っている。その代り天然気味な髪はすぐ寝癖がついてぴょんぴょんと跳ねることになる。

 

 あと目立つ物と言えば小さな冷蔵庫に医学関係の本や漫画・小説関係。まだ一冊しかない日記と筆記用具類などだ。刃物などは持ち込めないので鋏もカッターもない。果物を食べる際などに使うナイフは毎回メイ子さんが持ってくるので支障はない。まあ、患者が自傷行為をしないために必要な措置だろう。りん子姉さんのことがあったので鉛筆も没収されるかもしれないと思っていたが、特にそんなこともなく毎日ゆめにっきをつけている。

 

 空を見つめ考え事をしながら改めて部屋を見渡していると新たな発見をすることが多い。部屋の隅まで掃除してあるからぴかぴかだ。メイ子さんが掃除をしている姿を見たことがないのでいつ掃除をしているのかが分からないのが謎なのだけれど。

 

 姉さんや橙子ちゃんの部屋よりも物が多いというのもこの部屋の特徴だろうか。整理はされているが雑然としていて生活感に溢れている。そんな感じだ。りん子姉さんの物が殆どない部屋とか、目隠し姉さんの手すりや点字の多い整理された部屋に比べるとやはり整理されていても汚く感じる。橙子ちゃんの部屋は壁紙や天井も温かいオレンジ色で、柔らかな雰囲気の小物が多く全体的にお洒落な部屋だ。

 部屋だけでもそれぞれの特徴がなんとなく分かるのがなんだかおもしろい。

 

「こんにちはー」

 

 メイ子さんはまだ帰ってこない。そろそろ考え事をするのにも飽きてきたとき、扉が開いて目隠し姉さんが顔を出す。相変わらず目には包帯を巻いていて白い杖をついているが足取りは随分と軽やかで目が見えているのと変わらない足取りだ。それだけで病院内を歩くのに慣れているのがよく分かる。

 

「お邪魔するよ」

 

 その後ろからはりん子姉さんがぎこちない歩みで歩を進めて入ってくる。ちゃんと義足をつけているみたい。部屋から出ても意味がないからと足を切断したというのに、ものすごく珍しい光景だ。

 

「来てくれたんだ!」

「本当はこんなもの使いたくないんだけれど、この子がどうしてもって言うから着けてみたわ。ま、妹のためだものね。いつもはこっちに来てもらってるし、たまにはこうするのもいいかもしれないね。どう、凪。違和感ないかしら?」

 

 りん子姉さんはさらりと髪を払いながら近くの椅子を引っ張り出して座る。慣れないせいで義足を使うのも疲れるのだろう。黒光りする義足がスカートから覗いていて、まるで長いソックスを履いているようにも見える。彼女の白い肌に映えるそれを一旦見回してから私は 「うん、違和感ないね」 と言った。

 

「ちょっと姉さん! ち、違うわよ! あんたが寂しくて泣いてるかもしれないから仕方なくお見舞いに来たのよ。そのついでにお喋りして場を明るくしてあげようとしただけで! 姉さんを呼んだのだって1人だけ仲間外れは嫌だし、ってあああああ! 違うんだってば! んもうこの馬鹿凪!」

 

 目隠し姉さんがあわあわと顔を振りながら手で覆う。包帯と手の隙間から覗く頬は赤く、目が見えていたらきっと左右に泳がしていただろう。ツンデレ気味に否定をしようとして、でもお見舞いに来たことは事実で否定しきれないから顔を真っ赤にして行き場をなくした羞恥心をぶち撒ける。困ったらとりあえず馬鹿凪って言っちゃう姉さん可愛い。

 

「そっかそっか。でも遊びに来てくれただけで嬉しいよ姉さん」

「そ、そう? ま、まあそれだけ元気そうなら大丈夫そうね」

 

 そう? と少し上ずった声で顔を逸らす姉さん。心なしか声色がなんだか嬉しそうだ。

 

「キミは素直じゃないね。ま、そんなところが魅力的なんだけどね」

 

 椅子に座ったまま手を組んでりん子姉さんが言う。いつもよりもにやにや笑いが増しているように感じるので目隠し姉さんの反応を楽しんでいるのかもしれない。わざわざ反応の大きい言葉を選んでいるあたりに悪意を感じる。

 

「姉さんは余計なこと言わないでよ!」

「ああそうかい。そんな意地悪なことを言ってるとキミの恥ずかし~秘密をバラしちゃうよ?」

 

 意地悪な表情でりん子姉さんが言う。その一言で一瞬凍りついた目隠し姉さんが口をパクパクとさせながら何かを言おうとするが言葉が出てこないらしい。秘密? 秘密ねえ。目隠し姉さんに言われてないことなんてあったっけかな。まあ秘密なんて誰にでもあることだから気にしないでおこう。反応からしてどうやら知られたくない秘密のようだし。

 

「姉さんのほうが意地悪じゃないの! んもう」

 

 小さな声で呟きながら俯く姉さん。りん子姉さんはそれに気付いていながらうふふと笑い、乗り出してもう一脚椅子を出し、座るように促す。

 

「ほら、キミも座りなよ」

 

 りん子姉さんは彼女の手を引いて椅子の背を触らせ、場所を知らせる。姉さんはそれに吃りながら 「ありがとう」 と小さく言って座る。杖はすぐ近くのベッドに立て掛けてあるので立つときも問題ないだろう。

 

「改めて、お見舞いありがとね」

「ああ、話し相手がいないからつまんなくてね」

「仕方なくよ仕方なく!」

 

 友達がいるっていいことだなぁ。

 しみじみとそんなことを考えながらお喋りに集中する。なんでもない話題でも今の私にはありがたい。暇で暇で仕方なかったのだから当たり前だ。私はよく愚痴を漏らしているがメイ子さんは軽々しく病院内のことで愚痴を言ったりしない。真面目な人だ。

 

「そういえば、今日はメイドさんいないの?」

 

 目隠し姉さんが言う。メイ子さんは先程車椅子を借りに行ったので暫く戻って来ないだろう。しかし、確かに帰りが遅いような気もする。道中で仕事でも入ってしまったのだろうか。

 

「メイは車椅子借りに行ったよ」

「え、なんで?」

「そりゃあ、私と同じ理由だろうね。アシ(・・)がないとトイレにも行けないもの」

「って、なんで分かるの!?」

 

 足はあるよ! と突っ込みそうになる自身を抑えて姉さんに食ってかかる。皮肉にも自嘲しているようにも聞こえるから困る。こんな言葉遊びのようなことを言って、他の人の反応を楽しむのが姉さんの常だ。結構質が悪い。

 横ではてなを浮かべた顔で首を傾げる目隠し姉さんに癒されながらベッド傍の水差しを取り、水を飲む。だめだ、興奮しちゃいけない。私は大人だ、そうだろ? 大人気なく怒鳴っちゃだめだ。

 

「メイが過保護なんだよ。杖をつけば私だって歩けるはずだよ」

「どうしてもって言うなら私の杖、貸してあげても──」

「治りにくくなるからだめなんだろうね。骨くっつけてからならまだ分かるけど。今は甘んじて受けておいたほうがいいよ」

「そ、そ、そうね。ちゃんと寝てなさい!」

 

 目隠し姉さんの言葉を遮ってりん子姉さんが言う。真っ当な正論だったから私は何も言えない。恥ずかしいからと言って療養期間が伸びたらそれこそ馬鹿だ。馬鹿凪の称号は返上するつもりなので大人しく言うことを聞いたほうがいいのかもしれない。あんまり納得したくないけど。

 

 頬を真っ赤に染めた目隠し姉さんが手に取った杖を握り締めながら姉さんの言葉に乗っかる。誤魔化しきれていないからかりん子姉さんが横目でくすりと笑っているが何も言わずに話を続けてくれた。そこは配慮してあげるのね。

 

「じゃあ、私たちはそろそろ行くことにするよ。メイドさんによろしく」

「大人しく寝てるのよ!」

「うん」

 

 りん子姉さんはベッドの端で体を支えながら義足で立ち上がる。少々ふらつきながらなので側から見ていると危なっかしくてしょうがない。だけれど私は動くことができないので見ているしかできない。

 目隠し姉さんは握り締めた杖をついてスッと立ち上がる。こちらは手慣れているので危なげない。ずっと盲目のまま過ごしていたからか耳が良く、部屋の反響音でなんとなく全体像が掴めるらしい。大きな欠点かあるとそれを補う機能が鋭敏になるのは生命の神秘だね。

 

「じゃあまた」

「今度はこっちに来なさいよ!」

「早めに治すよ」

 

 お互いに手を振って別れる。

 今まで人がいて賑やかだった空間は一気に静まり返り、私の息遣いだけが周りに響く。お手洗いにはまだまだ行かなくても大丈夫なのでひと眠りすることにしよう。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 エフェクト〝うで〟を探しながら夢の中を歩き回っていたが幾ら探しても見つからず、頬をつねる。ぴりりとした痛みが自分を襲ったあと、ゆっくりと目を覚ますと既に夕方になっていた。

 

「あら、起きられたのですね」

「ん、おはようメイ」

 

 欠伸をしながら声のしたほうへ目を向ける。

 そこには椅子に座り、刺繍をしながら微笑んでいるメイ子さんがいた。

 

「メイ、車椅子借りられた?」

 

 寝ているときはさほど気にならなったが、流石に半日経っているので少し辛い。シーツを掴みゆっくりと体を起こす。

 

「ええ、行きますか?」

「うん」

 

 自覚したら余計酷くなってきた。メイ子さんの手を握り、車椅子に移動させてもらう。動かし方は電動のものなので殆ど把握しなくても大丈夫だ。それに今はメイ子さんが押して行ってくれるので問題ない。

 

 病室を出て少しし、メイ子さんに手伝ってもらってどうにか恥ずかしい思いはせずに済んだ。これはこれで恥ずかしかったが。車椅子を押されながら病室まで戻る。途中、院内で怒鳴り声が聞こえてきたのだがメイ子さんが耳を塞いでしまったので内容を聞き取ることはできなかった。なにかが起こっているのだろうか。それともなにかが起きる予兆なのだろうか。不安が過る。

 

リンゴを剥いてもらいながら不気味なほど赤い夕陽を見て、私はもう少し穏やかな日常が続くことを願った。

 

 

 

 


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