錆の希望的生存理論   作:時雨オオカミ

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No.4『自由』ー錯乱ー

 隣室の目隠し姉さんとの面会がとうとう許された。その報せを聴いたのはうろちゃんと出会ってから少し日が経ったときのことだった。あのあと、自室でこってりとメイ子さんに絞られ、不貞寝したあとにやっと許可が出されたらしい。

 

 夢では特に変化もなく、関係者( 私やりん子姉さんなど )にしか許されていない面会をするために隣室の扉の前へと立つ。

 

 扉に手をかけるが、そのまま少しの間取っ手を見つめて時間が立っていく。手が震えているからだ。前のように気軽に立ち入ることができないのは、連日聞こえていた隣室から響く破壊音の所為だ。ずっとずっと何かを壊した音や、ぶちまける音が続いていた。

 

 だが今は不思議と静かで、いっそ不気味に思うほど音がしない。もしかしたら、心臓の動く音が大きくなりすぎて一時的に周りの音が聞こえなくなっているのかもしれない。とはいっても耳が聞こえなくなるような物理的な意味ではなく、本を読んでいるときとか、何かに集中しているときに周りの音が聞こえなくなる、あの現象のことだ。

 

 物に当たっているくらいなのだ。手術が成功したとはとても思えない。むしろ失敗よりも最悪な事態になっている可能性すらあるのだ。

 

 りん子姉さんのときも無性に嫌な予感がしていて、面会可能になってからは至って普通( 少し言動が狂気じみているのはいつも通り )だったが、本人曰く病院の職員が彼女の病室に入る度に怒鳴り散らしていたということらしい。

 

 彼女が大きな声で話すことなど想像もできないが、本人が恥ずかしげに「 あんなこともあったものだよ 」などと言っているので間違いはないだろう。嘘を吐いていない限りは。それに、あのカルテを信用に足るとするならば職員には凶器(えんぴつ)を振り回して取り乱したりしたことは事実なのだ。

 

 りん子姉さんのときは足を失っても私たちの前では取り乱す素振りも見せなかった。果たして、目隠し姉さんもそうなるだろうか?否、無理だろう。常日頃感情をあまり表に出さず厭らしい笑みを浮かべている胡散臭さ全開のりん子姉さんに比べれば彼女は酷く感情的だ。良くも悪くも子供らしく、沸点の低い彼女では怒りの奔流に飲み込まれてしまっているのが関の山だ。精神的にもまだ未成熟で、脆い。そんな子供がショックな出来事に遭っている。

 

 私は何と言葉をかけるべきなのだろうか? 何を言うべきなのだろうか? 目隠し姉さんに言う言葉が一向に見つからない。私の貧弱な語彙力ではかけるべき言葉が見つからない。きっとこのままでは彼女の前でも口を開くことができないだろう。引き返すか、このまま当たって砕けてみるか、二つに一つ。

 

 きっと数分も経っていないだろうが、何時間も取っ手を握っているように思えて覚悟を決めた。ええい! 当たって砕けろ!

 

「こんにちは」

 

 ガラリと扉をスライドして開けた瞬間、真横を何かが通り過ぎていった。

 

「出て行きなさいよ!」

 

 そこにはボロボロになった病衣を着た、包帯だらけの彼女がいた。相変わらず両目を覆う様に鼻の上から包帯が巻いてあり、前はなかった体のほうにも包帯が沢山巻きついていて、特に腕が酷かった。服から出ている場所の多くは包帯が占領していて、これではまるでミイラだ。

 

 彼女の病衣は何かで突き刺したように穴だらけで、そこら中に綿の出たぬいぐるみやら枕やらが転がっている。相変わらず言葉が見つからず私が黙ったままでいると、彼女は二度目の開閉音が響かないことに怒りを見せた。

 

「だから出てけっつってんでしょう!?」

 

 近くの床頭台(しょうとうだい)に置いてあった花瓶が盛大な音を立てて引き倒され、粉々に割れてしまう。そのときに傷ついたのか、彼女の腕に巻いた包帯から赤い染みが広がった。

 

「あの、姉さん?」

 

 私が戸惑いながら声をかけてもなお、彼女は甲高い声を上げて私に退場を命令し、罵声を浴びせる。美人の罵声はときにはご褒美になるものだが、この場合は最悪だ。当たり前だ。友達の悲痛な言葉をご褒美に変換する人間なんていないだろう。いたとしたらそいつは恐らく変態と言う名の紳士(外道)だ。

 

「姉さんちょっと」

「うるっさいのよぉ! あんたなんか嫌い嫌い嫌い! 白髪なんて気持ち悪いのよ、近付かないでよ! いっつもいっつもそうやって大人ぶってさ、見下してんじゃないわよ! 可哀想だって思ってるんでしょ!? 馬鹿じゃないの!? あんたのほうがよっぽど大事にされてるもんね! ねえそう思ってるんでしょう!? 化け物のくせに!」

 

 パニックというのだろうか、錯乱と言うべきか、ともかく、思うことを次々と喋っているせいか早口な上に支離滅裂だ。いつもこう思っていたのだろうか、と考えると少し辛くなってくる。

 

 だが、こういうとき何を言えばいいのかがやはり分からない。口を開けど出るのは息ばかりで言葉となっては現れず、唇を軽く噛んで悔しさを閉じ込める。友達が苦しんでいるときに何も言えないだなんて、早く何か言うべきだ、なんて言葉が頭の中をぐるぐる回るが一向に思考は纏まらない。

 

 叱咤しても、激励をしても悪化させてしまいそうに感じるし、下手なことを言ってしまったら溝は決して埋まらない。そんな気がするのだ。 

 

 荒く、短い呼吸をし、涙が止まらないのだろうか、包帯が広範囲にわたり塗れている。あのままでは辛そうだ。何も言ってはいけないのなら、なにか行動に移すべきなのだろう。こういうとき、何か下手な慰めをするよりもただ傍にいるだけで人は安心するものだ。アニマルセラピーなんかがそれに当たるだろうか。純粋な動物と一緒にいて、与えたものがそのままそっくりこちらに還って来るのがいいのだろう。動物は好意には好意で返す。動物は裏切らない。そんな言葉があるくらいだ。ただ傍にいるというだけでも効果はあるだろう。これがもしだめだったとしても諦めてはいけないのだ。でないと彼女を落ち着けることはできない。無言でも傍に居続ければそのうち冷静になってくれるだろう。わりと楽観的だが、不思議と彼女が危害を加えてくるかもしれない可能性は除外されている。

 

「ハッ、ハッ、そんな目で見ないでよ! 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ちわる……」

 

 狂ったように言葉を続けて自分自身に言い聞かせるようにしている彼女に無言のまま抱きつき、ベッドに押し込む。

 

 下手をしたら目の見えない彼女は頭を打ってしまうかもしれなかったので、急に抱きついて驚いた一瞬の硬直の間に一気に押し倒した。しかし驚いたのもつかの間、多少長くなった爪で腕を思い切り掴まれ、血が滲むし、首目掛けて噛み付いてきたので慌てて避けたが密着しているせいで避けきれずに右肩を激痛が襲う。息を切らせながらひゅうひゅうと音を立てている彼女に少しまずいな、と判断して背中を一定のリズムで叩く。体格の差で既に上下は逆転して私が押し倒されるような状態になっていたのでこれは簡単なことだった。

 

「姉さん、ゆっくり、ゆっくり息して」

「……」

 

 ふうふうと荒げていた息は段々と静かになっていき、やがて肩から口が離れて掴まれていた腕の拘束も緩んだ。今更になって肩が痛くて生理的な涙が出て、視界がぼやける。どうやら落ち着いてくれたようだ。

 

「よかったぁ」

 

 思わず私は安堵の息を吐き、全身の力をゆっくりと緩めた。緊張と痛みで思った以上に体が固まってしまっていたらしい。

 

「……悪かったわ」

 

 落ち着いた後の目隠し姉さんは顔を背け、噛み付いて血が滲んでいる箇所を少し撫でてから言った。とても小さい声だったが、錯乱してしまっていたのだから仕方ないだろう。落ち着かせなければ自傷行為にでも走りそうだったから止めたのにすぎない。実は、本当に止められるとは思っていなかったのだけれど。

 

「また三人で会う気になってくれたら許すよ」

「目のことは言わなくてもいい?」

「言いたくないなら言わなくていいと思う」

「そう、なら今日は一人にしてくれる? 明日からはちゃんと付き合うわ」

「分かった」

 

 一息に問答を終えてもう一度姉さんに抱きつく。

 

「私姉さんのこと好きだよ」

「そう」

 

 素っ気無く姉さんは答えたが、今度は振り払おうとはしてこなかった。

 

 

 






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