窓辺のアンチューサ
カシュッと、軽い音がして目を覚ます。
目の前のガラスが徐々に開いていき、視認したそこにはモニターの群れが存在していた。
「あ、起きた?」
目線を声の方向に動かせば、首がギシリと痛む。
長時間寝かされていたせいで凝り固まり、動かすだけで少しだけ痛んだ。
「り…… づき……」
そこにいたのは犬耳のように髪をピョンピョン跳ねさせた姉さんの姿。他には誰もいないようだった。
そのことに僅かながら不快な気分になり…… そして同時に安堵したように嘆息する自分に疑問が湧き上がる。私は誰がいることを期待していたというのか?
「あ、動けないよね。ちょっと待っててね。起きたばかりじゃ自力移動も難しいだろうし、今ストレッチャー持ってくるからさ」
自力移動も難しくなるほどの時間プログラムにかけられていたのか、と考え無意識に背を向ける彼女に手を伸ばそうとするができないことに沈黙。
そうだ、私はあの屋上で――
◆
「凪様、多くは言いません。ですがどうかもう1度、お話だけでも聞いてはいただけませんか?」
「そんなことを言って、キミはもう私のメイドじゃないんでしょ? なんでまだ丁寧語で話すの? 様付けするの? それは江ノ島盾子様にでも言ってあげればいいじゃない!」
それはまるで別れ話を拗らせた男女のようで、馬鹿らしく思いながらも体は言うことを聞かなくて、私はひたすら彼女を遠ざけた。
「うるさいうるさい! キミの言葉なんて聞きたくない!」
遠ざけて拒絶して、溢れ出てくる涙なんて嘘だと決めつけて、キミを傷つけるように言葉を選んで、酷い奴だ。こんな酷い奴は嫌いでしょ? キミの知ってるカワイイ私なんてもうどこにもいないのだから、いい加減諦めてよ!
「凪様…… っ」
なんでキミが苦しそうな顔をするの?
苦しいのは私なのに。裏切られたのは私なのに。キミはアイツを選んだんだ。そうでしょう? 知ってるんだから。見せられてしまったんだから。キミは自分のモノだって、アイツの嗤い声が頭の中に何度も響いて焼きつけられている。
「まだ分からないの? 私は人殺しなんだよ? もう子供じゃないんだ。キミの知ってるカワイイ凪ちゃんはもうとっくに殺されちゃったんだよ!」
分からず屋のキミなんて大嫌い。
武器まで持ち込んで私を殺す気満々でさ。なのに躊躇うなんて馬鹿だよね?
こんな思いさせられるくらいならいっそ殺されてしまったほうがまだマシだ!
「あはっ、盗られたモノは、盗り返さないと…… っね?」
キミは道具なんかじゃない。分かっている。
だからあれもこれも、私が裏切られたと思っている事実も全部キミの意思。でもね、それを許容できるほど私はできちゃいない。
そう、身も心もアイツに奪われて失くしてしまったのなら、なにをしてでも取り戻す。
そのためにココに来たんでしょう?
キミは最後の未練である私を殺しに、そして私はキミを取り戻すためにキミを殺す。それだけ。それだけの話だ。
それとも私がキミの未練っていうのさえも自惚れなのかな?
そうだとしてもコロシアイする関係には他ならないよね!
さあさあ精々楽しくコロシアイでもしようか。絶望的な予定調和を見せつけてアイツを絶望させてやろう? そしたら喜んでくれるはずだから……
あれ、誰が?
まあ、いいや。
殺し殺されコロシアイ。キミとするなら、構わないよ。
「…… くっ」
「なになに? なんでそんなに辛そうなの?」
鉄パイプを構えて突っ込んでみればすぐ側にあるチェーンソーは使わず、手に持っている手甲だけで受け止めてくるメイ。
そんなものどこで手に入れたんだろうね? 知らないことばっかりだ。それもアイツからもらったのかな? ねえ、絶対に許さないから。
「探して…… いたのです…… なのに…… !」
「探して…… ? ああ、そういえば今アイツは行方不明なんだっけ?へえ熱心だね。でも私は居場所なんて知らないよー? ざーんねん!」
「ちがっ」
「なにが違うの? ああっ! もしかして私を探してくれてた? メイったら私のこと大好きだもんね!」
「そうです、貴女を…… !」
ありがとう!嬉しいよ、大好き!
「…… 嘘吐き」
なんて、嘘だよ!
そんな嘘つかれても嬉しくなんてないよ、メイなんて大っ嫌い!
「なっ」
「私、嘘が嫌いなんだよね!」
ねえ、いつまでいい子ぶってるのかな?
そんなことしたって昔の私は戻って来ないよ?
いい加減、勘弁してよ。そんな甘言なんかに騙されないんだから。私が騙されやすいことなんて百も承知なんだからさ、そんな嘘で惑わさないで。期待なんてさせないで。そのほうが何倍も辛いし、絶望させることになるって、なんで分からないの?
「ねえメイ、わたしのモノになって?」
鉄パイプを際どいところに打ち付けてみるが、彼女は容易く避けてとうとうチェーンソーを手に取る。
私はそれを見て口元を釣り上げた。やっとそれを取ってくれたね。
「ほらほら、生存欲勝負だよ? 死にたくないなら全力でかかってこいよ」
「…………」
俯いてないでこっち向いてよ。私を見て。
私が必要なのはもうキミだけなんだから、キミも私だけを見てよ。
そうしたらもう忘れられないよね。置いていかないよね。ずっとここでコロシアイしてればずっとキミは私を見てくれるよね。
無言で振るった鉄パイプは甲高い音を立てて私の手から飛び出して行った。
鉄パイプを握っていた左手が震えて、一筋の血が流れて行く。今の攻防でチェーンソーが当たったらしい。指の一本でも飛んだかなと思ったが、ただ手のひらが抉れただけらしい。なんだ、つまらない。
「なぜ…… 左手で鉄パイプを使うのですか……」
「そりゃあ利き手だからね」
「あなたの利き手は右でしょう。死にたくないのなら、なぜそちらを使わないのですか…… ?」
キミが知らない間に両利きになっただけだよ? なんて嘘はもうつけないか。
嘘1つ吐くのがこんなに難しいなんてさ、知らなかったよ。なるべく嘘吐かないように生きてきたからかな? 今日1日で一生分の嘘を言った気がするよ。それもキミだけに、さ。
鉄パイプはもう手元にないし、仰向けに倒れた肩のところにチェーンソーは刺さってるし、 「観念しろ」 って言われたほうがまだ自然だよね。
「…… キミになら殺されてもいいかなって」
「…… っは?」
嘘だと、思う?
この私が言うことなんだよ?
「殺されなかったらきっとまた私は絶望のために動くことになるんだろうね…… 今がチャンスだよ? 国外に逃げる人たちを狙い撃ちにする私みたいなのがいると復興も上手くいかないでしょ? ほら大勢の命を救うためには1人の命を…… なんて言うよね。そういうことなんじゃないかな?」
「そのために殺されてやるとでも? その他大勢の、為に…… ?」
まさか。
「殺されてやるのは、キミにだけだよ」
これが、今できる精一杯の甘えなんだよ。
このチャンスを逃したら本当に今度は捕まえられないよ。キミはそれでいいの?
「キミが泣いてくれるのなら、死ぬのも悪くはないかもね」
あーあ、追い詰めてるのはメイのほうなのに泣いちゃってさ。
上からぱたぱたと、私の服に涙が降ってくる。なに汚してくれてんの? 制服は何着もあるんじゃないんだよ? 案外高価な物なんだからさ。
「約束は…… 違えません……」
約束…… って、なんだっけ。
「あなたが間違った今、私は…… なにをしてでも、止めてみせます。あなたの許可なしに死ぬことは有り得ません。迎えが遅くなって、申し訳ありませんでした…… !」
「迎えって…… なにを今更…… っ、あ、れ…… ?」
なんで私泣いてるの?
「お許し、ください……」
「許さないよ」
……でも
「キミになら、殺されてもいいっていうのは…… 本心だ」
目を瞑る。額に軽く柔らかい感触。擽ったくて、久々に本当の意味で笑ったかもしれない。
瞬間、腕にチクリとした痛み。そして消える様々な感覚。
ああ、もうどこにもいけない。キミから、逃げられないな。
手を伸ばそうと思っても、もうそれはできなかった。
◆
私はあの屋上で自由に動き回る足も、キミに伸ばす腕も失った。
それは〝 だるま 〟のエフェクトが示す通り。けれど、捨てたはずのエフェクトが手元に残っていることを夢で確認してプログラムの中の私もそれを知っただろうことが分かった。
プログラムの中で、私はなにを思ったろう?
私は今……
「どうして、殺してくれなかったの」
分かりやすく失望していた。
「どうして死んでないの……」
そりゃあ、プログラムの私は死にたくなかった時代の自分だろう。
けど、モノクマなら、江ノ島盾子なら、1番自殺願望が強かった私を放っておくわけがない。なのに、どうして生きているの?
…… 私は間違っているのかな。
「用意できたよ、凪ちゃん」
「おはよーさん、凪。ストレッチャーに移すのにちょっくら持ち上げるぜ」
この場にメイがいないのだけが幸いか。
「うん、よろしく」
それからはあれよあれよといううちに移動させられ、病室チックな場所に寝転がされた。うつろちゃんはそのうち義足と義手を持ってきてくれると言っていたので、それを待つことになるだろう。
長い間寝てたから私は知らなかったが、自主的に出頭してきたうちの1人である左右田クンがいつの間にか作ってくれたようだ。
神経が繋がっているかのように動かすことができるらしいから、ちょっとだけ楽しみにしておこう。自由に動けるって素晴らしいよね。
「凪様、お食事をお持ちしました」
「いらない」
「凪様……」
口で反抗したってどうせ無理矢理するんでしょ? なんて際どい言葉で翻弄してみるも、彼女は眉をハの字にして困るだけだ。
なんて面白くない反応。もう少し振り回されてくれてもいいのに。
結局私が拒否すると無理強いすることはなく、栄養を直接点滴することにしたみたい。
私と同様に起きてきたらしい罪木ちゃんが甲斐甲斐しく看病してくれた。
絶望していたときは私1人だけ塔和シティのマンションに監禁されていたから、彼女自身のしていた活動は知らない。
そもそも私が監禁されていたのも、メイが無印メンバーと同じ学年だったからだ。無印メンバーの大切な人が1人ずつ塔和シティに監禁されていたはずだから、それに私は選ばれてしまったのだ。
七海さんのおしおきで私だけ絶望堕ちしきれなかったというのもあるけれど…… その監禁生活中、トドメに届けられたのがコロシアイ学園生活に彼女がいるという事実と、彼女が江ノ島盾子に籠絡したらしき映像だった。
そこで私は壊れてしまった。
塔和シティで好き勝手して、召使いなんてやったりして、そして脱出したあとは避難民の乗る飛行機や船に密航してわざと墜落させたり沈没させたり好き放題だ。
たくさん人が死んだ。
だからもう私は立派な人殺し。
その報いなんて、私の死以外にあるわけがないのに。
許されることじゃないのに、なんで私は生きてるかなあ……
絶望状態のわりに罪木ちゃんは私を親しく呼んでお世話してくれるが、一体どういうことなのだろう? 1回訊いてみたら酷く傷ついた顔をしながら 「思い出せば分かりますよぉ」 ときたもんだ。
もしかして彼女、プログラムの記憶があるのかな? そんなの有り得ないのに……
「狛枝さぁん、義足と義手の調整が終わったそうですぅ。使ってみますかぁ?」
「お願いしてもいいかな?」
まずは義手だ。
これがないとどうにもならない。
装着してもらうと、確かに自然に腕が動く。まるで本当に腕が復活したみたいだ。人工皮膚なんてものまで貼り付けてあって、見た目だけは本当に完璧だ。メカニックってこんなことまでできるのか?
いや、もしかしたら不二咲クンのプログラムも関わっているのか?
そうそう、不二咲クンも生きている。
私はメイの裏切りで見るのをやめてしまったが、どうやら無印メンバーは全員生還しているみたい。ただ、クソクマを操っていた黒幕様は生死不明の行方不明らしいが。これ、まずいんじゃないかな?
ともかく、腕は完璧に思い通り動く。足も同様みたいだ。
装着の仕方は見て覚えた分で十分だ。
「ねえ罪木ちゃん、せっかく腕と足をつけたんだし今度はちゃんと自分で食事するよ」
「そうですかぁ!」
ぱあ、と顔を明るくした彼女が部屋を出て行く。
…… 舌を噛んで死ぬのもいいが、それは最終手段だ。
ここは確か中央の島。プログラム世界では公園と銅像しかないが、ここは未来機関の建物だ。構造はそこら中にある案内図で、ストレッチャー移動している最中に記憶した。
皆の配置場所は分からないが、ここは幸い一階だ。多分私が歩き回りやすいように階段の少ない場所を選んでくれたのだろう。ありがたい。
「ばいばい、罪木ちゃん」
食事くらいはもらっておいたほうが良かったかな? なんてつまらない後悔をしつつ駆ける。
なにって?
脱走に決まってるじゃない。
どこかでとても身近な人の悲鳴が響いたけれど、私はそれを無視して近くの船着き場まで一直線に走った。
誰にも会わずに外に出ることは成功。クルーザーの運転くらいなら軽く本で読んだことあるし、いけるでしょ。幸運様舐めるなよ。
「どうしました、罪木…… じゃない。どうした罪木?」
「あ、髪……」
「ああ、切ってきた。で、どうした?」
「あ、そ、そうなんですぅ!日向さぁん、こ、狛枝さんが…… 狛枝さんがいなくなってしまいましたぁ!」
「ったく、仕方ない奴だなぁ……」
うーん、案外運転が難しい。
どこに着くかは運次第になるかもね。
ま、このまま海の真ん中で入水自殺してもいいけれど、それはつまらないでしょ。
なにより……
「ひっそり死ぬのは、ちょっと嫌かな」
我儘な自分を自覚して、私は自嘲気味に笑った。
窓辺に置かれた小さな青い花の花言葉は、「あなたが信じられない」だ。まるで、今の私みたいだね。なんて…… 笑っちゃうや。
・アンチューサ
=ウシノシタクサ。花言葉は「あなたが信じられない」や「真実」など。
※ 2017/09/30 挿し絵追加