錆の希望的生存理論   作:時雨オオカミ

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No.5385『天獄』―溺―

 

「大丈夫ですよぉ……」

 

 甘い甘い言葉。

 上に乗っかったまま彼女は、その冷たい手のひらを私の額から瞼へ移動させながら撫でる。

 ゆっくりと閉じられる瞳に、 「ああ、まるで死体の目を瞑らせようとしているみたいだ」 という感想を抱いたが抵抗することなく私は目を閉じる。

 

「ずっとずっとずっと、幸せになりましょう?」

「……」

 

 男女であったなら告白のような言葉。相変わらず手のひらで目を覆われたままだが、その言葉で彼女がとても近くにいるのが分かった。

 首筋に吐息がかかり刷り込むように、洗脳でもされているような気分になる。

 ただ堕落していく。

 でも、それもいいのかもしれない。

 だって幸せだから。

 

「…… まだ帰りたいんですかぁ?」

「…… え?」

 

 目を覆われたまま、不機嫌そうな彼女の声に困惑の声を漏らすとその手がずらされた。

 抑えられていた部分が解放されてするりとなにかが頬を滑り落ちる。

 それが涙と気がついたのは、彼女がそれを指で掬い取ってちろりと舐めたときだった。

 

「うふふ、狛枝さんったら案外子供っぽいんですねぇ」

「あ…… ごめん、ごめん。違うんだ…… こんな、違うよ…… 違う……」

「違うって、なにがですかぁ?」

 

 お願いだからその顔で、そんなこと言わないで。

 否定したくない。目を合わせるのが怖い。キミの声をもっと聴いていたいんだ。

 

「違うんだよ…… 幸せを、拒否したいわけじゃないんだ…… だから、だから……」

 

 お願いだから、捨てないで。

 あの人のように、私を捨てないで。大切な誰かに捨てられるなんて経験、またしたくない。たとえキミが彼女じゃなくたって、誰だっていい。

 

 寂しいのはもう嫌だ。

 辛いのももう嫌だ。

 置いていかないで。

 1人になりたくない。

 1人にしないで。

 

「飽きたりしませんよぉ…… いなくなったりしませんから、ずっと一緒にいましょうね」

 

 嘘だ。

 そんなの分かっているのに、その言葉に囚われる自分がいる。

 どうしてこうもこの人は、私が欲しい言葉を的確に言えてしまうのか。ズルい。ズルいよ。これじゃあ、逃げられないじゃないか。

 おかしい、これじゃまるで、恋人に捨てられそうな女でしかないじゃないか。

 私ってこんなに弱かったっけ。前はそんなことなかったはずなのに。弱みにつけ込まれているから? それとも私の気持ちまで彼女は分析できたのだろうか。私はこんなにも、臆病者なのか。

 

「…… っう、く………………」

「ほら、泣き止んでください。もうすぐお昼ご飯ですよぉ?」

 

 結局、泣いてしまって休憩どころではなかった。

 江ノ島盾子はこんなことをしてなにをしたいんだ。こんなことをしたところでメリットなんてないはずなのに。いつ、彼女がこのお遊戯に飽きてしまうかも分からないのに、縋ってしまう。希望を持ってしまう。求めてしまう。

 飽きっぽい彼女のことだから私のことなんて、いつかは捨てる。

分かっているのに、理解しているのに、抜け出せない。希望に見せかけた…… 甘い甘い絶望の沼。底なし沼のように捕らわれたら最期?

 最後には、この意識さえ死んでしまうのだろうか。

 

「目が腫れちゃいますよぉ」

「……」

 

 この意識さえ、殺されてしまうのだろうか。

 でも、そんなことはいいんだ。問題は後回し。そもそも私はこの幸せに疑問なんて持ってはいけないんだ。そうすれば楽だから。

 

 

 ―― ホントウに?

 

 

 ホントウだよ。だって、私はウソが嫌いだから。

 自己完結してコテージから出る。

 見上げればどこまでも続いていそうな青空と白い太陽…… 私の心とは裏腹に、ムカつくくらいの快晴だった。

 

「よーしよく集まったなぁオマエラ! 今日のお昼は終里さんがウツボを仕留めてきたから蒲焼きだよ! それに季節のフルーツ! そうスイカだよスイカ! 蒲焼き食べながらスイカ割りだぁ!」

 

 食事のバランス悪いな…… なんて感想を抱きながらウツボを捌いている花村クンの側に寄る。

 

「花村クン、なにか手伝うことあるかな?」

「え? うーん、なんなら狛枝さんに元気を分けてもらいたいところだけど…… 今は大丈夫だよ! お皿も既に出してあるし…… 狛枝さんは皆とスイカ割り楽しんできなよ」

 

 〝 元気を分けてもらう 〟というフレーズになにやら意味深なものを感じたけれど、まあ今はいいだろう。しかし、スイカ割り、しないといけないだろうか。

 いや、してみたい気持ちはもちろんあるし、あまりやったことがないからやってみたいのだけれど…… いい予感はしないよね。私だし。

応援と声出し指示だけに留めておこうかな?

 

「おう左右田、頑張れよ!」

 

 九頭龍クンが爽やかに笑いながら左右田クンの背を叩いている。

 どうやらソニアさんにいいところを見せようと名乗り出たらしいが、結果は目に見えているよね。

 それと、九頭龍クンが彼の背を叩いて激励しているが、どう見ても背が足りない…… おっと、睨まれるからこれ以上考えるのはやめておこう。

 

 スイカはモノクマが用意したブルーシートの上に乗せて置いてある。

 左右田クンは帽子を目元まで下げたうえで目隠しをし、九頭龍クンに渡されたバットを中心にぐるぐる回る。回るのをやめるタイミングを決めるのは皆なので、しばらく回っていた彼はふらふらとしていた。

 

「うっふーん!」

「うわー、キモいんだけどー!」

 

 …… スイカの場所から少し離れた場所ではモノクマが砂に埋まってボンキュッボンの体を自分で作っている。西園寺さんが引いているのは極めて正しい反応だと思う。クマの顔に人型の砂山だから本当に気持ち悪い。

 絶望の残党が確か、モノクマの顔だけ被っていたのだったか。それの人間部分が水着を着たナイスバディな女性の身体だと思ってもらえればその気持ち悪さも分かるだろう。

 ふと思いついて電子生徒手帳を確認してみれば、その校則にモノクマへの暴力禁止は入っていない。よし、殴ろう。スイカ割りの事故って言えば問題なんてないよね!

 

「左右田さん、そこを左ですよ!」

「はいソニアさん!」

 

 積極的に嘘を吐くソニアさんに首ったけな左右田クンは他にも指示が飛んでいるというのにまったく耳に入っていない。

 そのうちヤシの木に突貫して盛大におでこをぶつけて倒れてしまった。

 

「あら……」

 

 責任とって介抱してあげなよ、王女様。

 

「はわぁ! 左右田さーん!」

 

 …… なんて、その前に罪木ちゃんが動くに決まってるか。

 

「次は誰にする?」

「私がやろうか?」

「ペコちゃんがやったら1発で終わっちゃうっす!」

「わたしは左右田おにいと同じことになると思うけどなー」

 

 チラ、とこちらに向く視線。

 ああやればいいんでしょ。せっかく用意したんだから参加しろよって思ってるんでしょ? 分かってるよ。

 しょうがないな…… 狙うはモノクマ。え? スイカ割り? どうせ後で全員で食べるんだから無視無視。

 

「運が良かったら割れるかもね」

「お、凪ちゃんやるっすか!」

「よーし目隠ししちゃうぞー!」

「あ、花村クンはノーサンキューで」

「ええっ!」

 

 悪寒を感じるので。

 自分で前髪を上げ、目隠しをする。白い目隠しだが透けはしない。完全に勘頼りだが私の運があればなにも問題はいらない。

 その後の不運がちょっと怖いが、この世界なら大事にはならないだろうし。

 

「よし」

 

 バットでぐーるぐる。

 目は回るが目標は見失わないように。

 

「ストーップ!」

 

 細胞、じゃなくって……

 

「左だぜ!」

「右だよ!」

「いいえ、後ろです!」

 

 うーん、こっちかな…… と自分の勘を頼りに進んでいく。

 

「ちょちょちょ! 凪っちゃん指示のないほうに行っちゃだめっすよ!」

「うーん」

 

 聞こえないフリー。聞こえないフリー。

 

「ええっ! なんでこっち来るの!? う、逃げられない! 西園寺さーん! 先生を助けて!」

「嫌に決まってるじゃーん!」

「うわわっ、わぁー!?」

 

 ボコンッ! といい音がした。

 うん、やったね。

 

「なにやりきったみたいな顔してるの!? わざとだよね! 絶対見えてるでしょ!?」

「えっ、見えてないに決まってるじゃない」

「絶対嘘だ!」

「やだなぁ、私は嘘が嫌いなんだよ? モノクマ先生は生徒の言葉が信じられないの?」

「ぐぬぬっ」

 

 楽しい。

 もちろん悪意はあるけどそれは隠しておく。 「悪意がない」 だなんて言ってないから嘘ではないよね。

 

「結局スイカ割りは達成できなかったかぁ」

「ま、仕方ないね…… で、こちらが割ったスイカでございます〜」

「用意が良いなぁ!」

 

 どこから出したのかさっぱり分からないが、とりあえずモノクマが大皿に乗ったスイカを配り始めた。

 私はそれを受け取ってちょっと高いところにあるヤシの下で涼むことにする。下は海なので景色も良いし、1人で黄昏るのもなかなか乙だろう。

 いつもヤシの木でひどい目に遭うが、砂浜にはそれくらいしか木陰がないのだ。それに、ビーチパラソルは他の女子勢がいることだし今は1人になりたいからこっちのほうが気楽だ。

 

 でも、こんなときに必ず私を誘いに来る人は………………

 

 まあいい。輪に入れようとする…… えっと、予備学科がいないくらい、寂しくともなんともないからね。

 あー、えっと…… そうそう、七海さんも、いたら夏の行事に興味津々になったりしたのだろうか。

 危ない危ない、2人の名前が本格的に思い出せなくなってきている。あとでなにか書いておかないと思い出すことさえできなくなってしまいそう…… 特に罪木ちゃんといると記憶が奪われていくようでちょっと怖い。それでも、離れられないんだけどさ。

 

「うおぉりゃぁぁぁぁ!」

「甘いぞ終里! お前さんの力はそんなものかぁぁぁ!」

 

 終里さんと弐大クンはどうやらモノクマの提案でビーチバレーを始めた様子。あれ、バレーボール割れたりしないんだろうか…… 手が当たった部分が完全に歪んでいるのが見えたのだが、モノクマ特製だと割れにくいとか?

 …… 電脳世界にそんなリアルな事情は関係ないか。

 

「はあ……」

 

 さらっと塩を振ってからもそもそとスイカをかじる。甘い、甘いなあ。タネはきちんと皿へ。ヘタに種マシンガンなんてやったらポイ捨て禁止に触れてサイレンが島中に鳴り響くことになってしまうから。

 そんなことで晒しあげられるのは勘弁だ。

 

 膝を立てて海を眺める。そんなときに、どこかで甲高い音が鳴り響いた気がした。

 

「―――― !」

 

 周りの音が一歩遅れて私の耳に入る。

 それか私の名前を焦って呼ぶ声だと気がついたときにはもう遅かった。

 

「っー!」

 

 咄嗟に目を瞑ろうとしたものの無理だった。

 目と鼻に激痛。ぶち当たる直前、一瞬だけ見えたのは終里さんが焦る顔だった。夢中になりすぎてコントロールをミスったのかもしれない。

 体が傾き、浮遊感。ヤシの木に頭をぶつけるくらいならまだ良かったのだが、残念ながら当たりどころが悪かった。

 小高い場所から一直線に海へと落ち、目が開けられない状態のまま水の中に沈む。

 「あー、これは鼻血出てるな」 なんてどうでもいいことを考える余裕はすぐに消えた。目が開けられないためどちらが上か下か分からず、バランスを取れなくなってもがく。

 しかし手が掻くのは水だけで泡が体にまとわりついてまるで引き摺り込むように、幽霊に足を引っ張られているのではないかと錯覚するくらい水中から抜け出すことができない。

 パーカーが、スカートが、シャツが、水を吸って私の足を引っ張っている。服を着たまま溺れているうえどちらが地上かも分からず、最悪の状態。

 

「っ、うぶ」

 

 ボコリ、と口から酸素が抜けていく。

 パニックになった私は落ちてすぐに限界を迎えていた。

 気泡が私を置いてどこかへ逃げていってしまう。暴れる力も薄れて来たとき、伸ばした手を誰かが掴んだ。

 

「…… !…… !」

「……」

 

 まさにこれこそが藁にもすがるってやつだろう。

 私は必死にその分厚い手を掴んで離さないように力を入れる。

 そのうち背に腕が回され、やっと海中から顔が出るのが分かった。

 

「息はできるか?」

「…… うっ、く………… ぐ」

 

 水をかなり飲んでしまったみたいで、返事をしようにもあんまりうまくはいかなかった。

 耳も水の膜が張って中々音が通らないが、声からして恐らく助けてくれたのは十神クンだ。

 

「っげほ…… と、がみ…… グン……」

「自力で出したな? ならもう大丈夫だろう。念のため罪木に診てもらえよ」

「げほっ、んぐ………… わがった…… あ、りがと……」

「礼は後でいい。俺ができるのはここまでだ」

 

 水はどうにか吐き出すことができたが、海水で喉が焼けている。すごく喋りにくいし、痛い。目はまだ開けられないし、鼻も血が出ていたところに海水が入り込んだせいでかなり痛い。これぞ傷口に塩か? 海水だけど。

 

「狛枝さん! 狛枝さぁん! 早くこちらに!」

 

 …… 辛うじて感触で分かったことといえば、十神クンも服のままだなということくらいかな。本当、この人運動神経いいよね。

 太ってるほうが浮きやすいんだっけ? それにしてもあの巨体で服を着たまま服着て溺れている私を抱えるなんてすごいと思う。

 

「でも、ありがと」

「…… ふん」

 

 そっぽを向いて 「俺は着替えてくる」 と言い残し、去っていく十神クン。

 その背中にもう一度 「ありがとうね」 と言ってから罪木ちゃんの看病を受けることにした。

 

「わりぃ狛枝! 大丈夫か!?」

「うん、大丈夫、だよ終里さんも、気に…… しないでね」

 

 喋りづらい。

 

「狛枝よすまん! わしがボールを止められればよかったんだけどな」

「気にしないでよ、無事だったんだからさ」

 

 軽く2人と会話してからモノクマが出したテントの中で横になる。

少し休んだら、よくなるだろう。

 

 近くにいる罪木ちゃんに見守られながら、急激に体力を失った私は気絶するように…… 眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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