帰ってきたら気づかない内にUAが1万突破……本当にありがたい事です。
「ふぅ~……取り敢えずは一段落っスねぇ」
上品そうな磁器製のティーカップに淹れられた紅茶をフゥフゥと冷ましながら、アタシはボソリと呟いたッス。
――ここは、帝都郊外の高級住宅街に建てられた大豪邸。
その中にある良く手入れされた中庭に、今アタシはいるッス。
そしてアタシの向かい側には、げっそりとしながらテーブルに突っ伏す、ボサボサの茶髪の男の子がいました。
「ああ……そーだな。全くあのお嬢サマ、いくら何だって買い物の量多すぎだろ……」
「アハハ、しかしタツミ君も災難だったッスねぇ」
彼の名前はタツミ君――田舎者を装って屋敷に潜入したアタシの前に、この屋敷へと招かれた地方出身の少年っス――って言っても、年の頃はアタシと同じかちょっと上くらいっスけど
何でも幼馴染2人と一緒に帝都で一旗上げようと旅をしていた所を、野盗に襲われて散り散りになり、その上兵士の志願を断られ、直後に綺麗なお姉さんに騙されて有り金全部無くしてしまったらしいッス。
……まぁ、本人が世間知らずって事を加味しても、可哀想になるぐらいのズタボロっぷりッスね。
そして、行き倒れになりそうな所をここのお嬢様に拾われて、一晩休んだと思ったら一日中、屈強な護衛のオッサン達がドン引きするレベルの大量の買い物に付き合わされた訳ッスから、彼が疲労困憊になるのは無理も無いと思うっス。
――え? アタシはその間何してたかって?
あっはっは、何言ってるんスか。か弱いアタシが荷物持ちなんてする訳無いじゃないっスか。
まぁ、サボる前にタツミくんがアタシの持つ分まで引き受けてくれたんでどっちにしろ楽出来ましたけどね。
「でもまぁ、そこらで行き倒れるよりかは大分マシなんじゃないッスか?」
「んな事言ってもさぁ……うぅ、最初は地獄に女神だと思ったのに……」
そう言って再びテーブルに突っ伏すタツミ君……まぁ、ここで行われてる事を考えると、地獄の上塗りなんスけど。
――尚もグッタリとしつつも愚痴り続けるタツミくんを慰めつつあしらいながら、アタシの思考は今まで集めた情報を整理する作業に入っていました。
タツミくんは気付いて無いようッスけど、やっぱりここには
その根拠としては……まず第一に、地方から来た旅人の保護っていう慈善事業――っつーか、個人の趣味的なモンッスけど――の評判の割には、人が少なすぎる事。
アタシ達の以前にここに来たっていう人もチラホラいたので、その人達に聞いてみたんスけど、翌朝に起きてみたら先客の姿が無くて、ここの主や使用人に行方を聞いたら、『朝早くにここを発った』って答えが帰って来たッス。
まぁ、それだけなら『ここに旅人が泊まれるのは一日だけなのか』と思うだけなんスけどね……問題は、その事を話してくれた老夫婦も、
『ある程度の目処が立つまではお世話になろうかと思う』って言ってたッスから、一日限りっていうのは考えられない以上、あの人達には何かがあったと思う方が自然ッスね。
そして第二に、事前にザンクさん達に調べて貰った、この屋敷に入っていった旅人達の数に比して、彼らのような身分の者達が泊まるに相応しいランクの部屋が、あまりにも少ない事。
いくらこの屋敷が広いとは言え、ここの主である者やその専属の家令や使用人が暮らす本邸は、大貴族を名乗るに相応しいレベルの客間しか存在しません。
そんな所に、下手したら月レベルで入浴やら水浴びやらの体の手入れをしていない人間を泊める酔狂な貴族がいるか、と言われたら、普通は否、と言わざるを得ないッスよね。
一応下級の使用人が住む離れなんてのもあるッスけど、あくまで庭園の景観を損なわない程度の必要最低限レベルのもの……その気になれば不可能じゃ無いんでしょうが、元いた人達を圧迫してまでやる意味が無いッス。
そして第三は……笑われるかもしれないッスけど、『勘』ッス。
根拠は無いッスけど、アタシの第六感……分かり易く言えば、臆病者センサーが脳に警鐘を鳴らしてます。
普通だったら鼻で笑い飛ばされるような感覚ッスけど、アタシはコレに従って何度も危機から脱したり、生き延びたりして来ましたから、以外と馬鹿に出来ないモンなんスよ?
そんな事を考えながら、ようやく程よく冷めてきた淹れたての紅茶を一啜りして――その瞬間、アタシは自分の直感が正しかった事を知ったッス。
(はぁ……何とまぁ、そこらの兵卒の給料吹っ飛ぶような高級茶葉に、無粋な味付けカマしてくれるッスねぇ……)
……こんなモノを客人に振る舞うなんて、とんだ慈善事業があったものッス。
独特の苦味を持つその味に少しだけ顔を顰めながら、アタシはそんな事を思いました。
まぁでも、これで話は大分早くなったッス。
後は第三者にも分かる決定的な物的証拠を得る為のお膳立てを済ませるだけなんスけど……目の前にいるタツミ君を巻き込むのも忍び無いし、結局は夜を待っての行動になりそうっスね。
「ところで、ラヴィ……っつったっけ? お前良くそのお茶飲めるなぁ。
――帝都っつーか、貴族サマの間じゃこれがお上品な味なのかもしれねーけど……悪ィけど口に合わねーわ」
そんなアタシの思考を知ってか知らずか、タツミ君はその『お膳立て』の為の小道具を指さしながら、うげーっと舌を出しながら顔を顰めたッス。
多分、野生の勘ってヤツなんでしょうか、彼は目の前にある紅茶に入った味付けを、不快な味として認識してるみたいッスね。
まぁ、一口でどうこうなるようなモンじゃないので、大丈夫でしょう。
「――そうッスか? 慣れたら結構オツなモンッスよ?」
アタシはそんな彼へと得意げな笑みを浮かべながら、
(――取り敢えずこっちはそれなりに順調っと……後は、外のザンクさん次第ッスね)
そして、恐らくは帝具の力でこちらを伺っているであろう、ムカつくけれども頼りになるアタシの部下に向かって、周囲に気づかれないように小さくウィンクしました。
―――――――――――――――――――――――
――屋敷の中にいるラヴィの予想通り、その合図の様子をザンクはスペクテッドの能力である『遠視』によって捉えていた。
「ククク……了解、と。普段はビビりな割には随分と肝が座ってるねぇ、我らが隊長殿は」
愉快愉快、と楽しげに独り言ちながら、高級住宅街を見下ろす教会の鐘楼から再び辺りを見回す。
そこには一面、良質な大理石や煉瓦で築かれた、美しい貴族たちの邸宅が広がっている。
一見すれば華やかに見えるが、かつて彼らに体よく利用され続けた経験のあるザンクからすれば、着飾った糞の山にも等しい程に不快だった。
――そしてその間に伸びる綺麗に舗装された道を歩くのは、同じく無駄に豪華に着飾った、張り付いたようなヘラヘラとした笑みをだらしなく浮かべる屑の群れ。
そんな彼らを見る度に、ザンクの中に昏い衝動が沸き起こるのだ。
嗚呼、首を刎ね飛ばしてやりたいと。
「――おっと、いけないいけない……一々易きに流れそうになるのは、俺の悪い癖だねぇ」
限界まで吊り上がりそうになる口を手で抑えながら、ザンクは相変わらず制御し辛い己の気性に苦笑する。
恐らくラヴィに出会い、エスデスの庇護下に入らなければ、きっと彼は道行く人々の首を無差別に刎ね落とす殺人鬼と化していただろう。
――ザンクの生家は、代々続く処刑人の家系だった。
一般人からは忌み嫌われる日陰の生業ではあるが、両親を含めた一族の者達はそれを誇りに思っていたし、ザンク自身もまた、そうだった。
だからこそ、彼は幼い頃から処刑場や収容所に出入りし、人体の構造や如何に罪人を苦しませずに殺すための剣技を学び、当然のように跡を継いだ。
ザンクはその甲斐あって、成人する頃には既に一端の処刑人になり、時には貴族のような貴人の公開処刑をも行える程の才能を開花させていった。
……だが、彼にとっての不幸は、その才を当時大臣になったばかりのオネストに目をつけられてしまった事。
オネストは先の皇帝が病床に伏したのを期にその本性を見せ、彼を糾弾したり、政策を異にする文官や武官、賄賂や便宜を断り、庇護下に入る事を拒んだ商人、彼の機嫌を損ねた使用人や平民等々を次々と排除し始め、その罪の連座は親類・縁者にまで及んだ。
更に、オネストの腰巾着となった者達もそれに倣うようになり、帝都における『犯罪者』の数は雪だるま式に増えていった。
既存の収容所では収まり切らないし、かと言って悠長に裁判をしている時間もカネも勿体無い。
ならばどうするか――その対策として、最も残酷で、ある意味最も効率の良いものであった。
――それからザンク達処刑人に命じられたのは、集められた罪人達を、裁判も、尋問も、それどころか罪の有無すら確認する事無く即座に首を切れ、という信じ難いもの。
その中の大部分は、無実の罪の人々だと言うにも関わらず、である。
確かに罪人に対して最後に手を下すのは自分たちだ。
しかし、だからこそ処刑人は例えどのような極悪人達であっても、最後まで敬意を払って手にした刃を振り下ろすのだ。
その命令は、この帝国に生きる全ての処刑人の誇りと名誉を足蹴にするにも等しい暴挙であった。
しかし、ザンクを始めとした処刑人達はそれに従わざるを得なかった――仮にオネストの命令に逆らってしまったのならば、次に獄に繋がれ、首を切られるのは自分たちの番……いや、それだけに留まらず、家族、友人、恋人といった自分達の関係者達もその後に続く事になるからだ。
だから、ザンクは切った――己の無実を、助命の嘆願を、憎悪と憤怒の叫びを上げる人々の首を、来る日も、来る日も、何人も、何十人も、毎日、毎日――。
周囲の処刑人達が音を上げ、心を狂わせても、ザンクは首を切り続け……そして、大臣の命令に逆らったとして、親兄弟を含めた一族の者達の首をも切った時、彼はもう、誰かの首を切らなければ生きていけない程に歪んでしまっていた。
――ただ座しているだけの罪人だけでは足りない。
――毎日決められた人間を機械的に斬首するのでは無く、街に赴き、自分の意思で獲物を選んでみたい。
そんな湧き上がる衝動を抑えながらも、自らの
だが、それも日に日に限界に近づいて行き、とうとうそれが爆発しそうになった時……ザンクはラヴィに出会ったのだ。
刑場を視察に来ていたというエスデスの共として随伴していた彼女は、自分の心を救ったばかりか、己にあの地獄から救い上げる為の道まで示してくれた。
それに何より、ラヴィや三獣士、エスデス達との交流は、ザンクにまだ自分が外道に落ちる前の人の暖かさを思い出させてくれる――スペクテッドで覗いたとしても、決して壊れる事の無いものがそこにあるのだ。
歪みきった自分に、
(……まぁ、本人は俺を救ったなんて自覚なんぞ無いのかもしれないがねぇ)
クックックッ、と愉快そうに口を歪めながら背を丸め……再び体を起こした時には、ザンクの表情は無機質で、冷静な『仕事用』の顔へと変貌していた――戯れはここまでだ。
――先程までのグツグツと湧き上がるような
スペクテッドの持つ5つの『視る』能力の一つである『遠視』の力を使い、鐘楼の上から見える限りの、ターゲットの屋敷の様子を伺えるポイントを一つ一つ確認していく。
そしてとある古びた屋敷の屋根の上――そこにスペクテッドの視線を合わせた所で、ザンクの動きがピタ、と止まる。
「――んん?」
使用者であった貴族が取り潰されたのか、蔦に覆われ、荒れ果てた様子のバルコニーの柱の影――ただ蔦の葉が風に揺れるだけのように見えるその場所に、ザンクは何か違和感を覚える。
――スペクテッドの視線はただ『視る』だけのものでは無い。
例え肉眼では到底見えないような豆粒の如き事象を捉えるだけでなく、その質感や存在感……それが武器ならば金属の輝きや冷たさ、それが人ならばその息遣いや発する熱や気配のような物であっても、目の前で見ているかのように感じ取る事が出来る。
間違いない、確実に何かがある――そう判断したザンクは、『遠視』を発動しつつ、同時に『透視』の力を行使した。
「……っぅ……流石にこの距離じゃキツいねぇ……」
まるで脳自体を締め上げるかのような鈍痛が走り、ザンクは思わず顔を顰める。
並の所有者ならば、精神力を使い切るか、脳神経が焼き切れて廃人になるであろう行為だが、彼は類稀なる同調率と、絶え間ない研鑽によって、この超絶とも言える能力の行使を可能としていた。
果たしてまるでガラスであるかのように柱が透けて行き――その影に、ザンクでも見事と賞賛したくなるほどに巧みに姿を隠した2つの人影が映しだされる。
体格と立ち振舞いから察するに、どちらも女性。
丁度両者が重なっているため、内1人の顔は伺い知れないが、手前側の柱に背を預けるように立つ少女の顔に、ザンクは見覚えがあった。
「ほぉう……これはこれは……まさかの大当たりだねぇ、愉快愉快」
思わず口の端が吊り上がり、笑みが漏れる。
足まで届く長さでありながら癖一つない黒髪に包まれた顔は怜悧な美貌を携え、首元に赤いスカーフをあしらったノースリーブのシャツと太腿の半ば程のスカートから伸びる肢体は、スラリと長く、艶めかしい程の瑞々しさを放っている。
それだけ見れば、世の男性が放っては置けない美少女――しかし誰が知ろう。
彼女こそ帝国の暗殺者養成機関における最高傑作にして、巷を騒がせる義賊『ナイトレイド』における『百人斬り』のプラートと並ぶ最強の『切り札』だという事を。
名をアカメ――その刃で一度傷を受ければ、問答無用で死に至ると言われる刀の帝具『一斬必殺』村雨を所持する、剣士である。
現在帝国におけるお尋ね者の中でもトップランクの危険度と賞金を誇る、隠密機動部隊の中でも最重要人物としてマークされている人物だ。
あれだけあからさまに、無辜の民を餌に後ろ暗い事をやっている大貴族……不特定多数の人間から様々な恨みを買っているだろう事から、ナイトレイドの出現を予想していなかった訳では無かった。
しかし、それはあくまで万に一つというレベルの偶然が重ならなければ起こりようが無い程に都合が良い事態であるため、プランの中には到底入れられないレベルの話……の筈だった。
(――まさか、隊長サマは幸運も呼ぶって事かねぇ……? いや、この場合は不運か)
ザンク達隠密機動部隊の面々は、隊長であるラヴィの潜入を受けて、ここまで万全とも言える体勢を取って対応している。
この場にいる彼を含めて、この屋敷を監視・潜伏している隊員は十数名――いずれもエスデス軍の中では精鋭とも言える実力を持った者達であり、ザンクの号令一つで一気に突入させる事も可能だ。
屋敷の中にいる護衛の兵士の正確な数は分からないが、何度か見かけた者の立ち振舞いを見れば、例えこちらの2倍、3倍の規模であっても容易く殲滅出来るだろう事は明白だった。
しかし、そこにナイトレイドという第三勢力が加わったのならば話は別だ。
ナイトレイドの最大の特徴としては、判明しているメンバーの全てが帝具を所持している事。
帝具は帝具でしか対抗出来ない――これらを前にしては、どのような万夫不当の兵もただの赤子と化す。
帝国最高の拳法寺・皇拳寺のマスタークラスや、かつて隆盛を誇った暗殺結社『オールベルグ』の精鋭等の極々一部の実力者ならば話は別だが……そんな人間など、指折り数えた方が早いレベルの人数しかいない。
そもそも帝具を抜きにしたとしても、基本スペックが違いすぎる――アカメは言うまでも無いが、傍らにいる女性も相当な実力を備えている事は明白だ。
――そして、そのザンクの予想を肯定するかのような事態が起きる。
スペクテッドに映る2人の顔が、射抜くかのような眼光と共に、弾けるかの如くこちらを向いたのだ。
「……っ!!」
咄嗟にスペクテッドの能力をカットし、素早く身を隠す。
全ては一瞬――しかし、ザンクは荒くなる呼吸と背中を濡らす冷たい汗を抑える事に必死になっていた。
「いやぁ……失敗失敗。気は抜くもんじゃあないねぇ……」
気付かれた……訳では無いだろう。
恐らく彼女達は、スペクテッド越しのザンクの視線を殺気として感じ取り、それに反射的に反応しただけだ。
それだけだというのに、己の心胆を凍えさせるようなあの視線――彼は頭のなかで練っていたプランを大幅に修正する。
そして同時に、先程まで抑えていた衝動がムクムクと湧き上がって来るのを感じていた。
「ククク、こいつは決まりだねぇ……愉快愉快」
ザンクは再び口の端を禍々しく吊り上げると、鐘楼の下で待機していた部下達に次なる命令を下した。
―――――――――――――――――――――――
「……気付いたか?」
その同時刻――アカメは共に今回のターゲットが住む屋敷の監視をしていた金髪の女性に向かって、目配せして語りかけていた。
「ああ……間違い無ぇ、『何か』が私らを見てやがった」
女性は、アカメの言葉に頷くと同時に辺りに素早く視線を巡らせる。
そして、鼻をすんすんと鳴らし……驚くべき事に、
「辺りにそれっぽい影も、臭いも、音も無し……っと。流石に私らに気付くような奴じゃ、そう簡単にシッポ掴ませちゃくれねーか」
悔しげにボリボリと頭を掻く腕の肘から先は金色に輝く美しい毛並みに覆われ、指先からは鋼鉄をも切り裂けそうな程に堅く鋭い、それでいて生物的な光りを放つ爪。
背中の半ばまで伸びる癖毛はまるで鬣のようにうなじを守り、必要最低限の布地に守られた豊満な肉体は、見る者に性的な欲求よりも、野生的な美しさを覚えさせる。
彼女もまた、アカメと同じくナイトレイドの一員であり、その中でも類稀なる身体能力と肉弾戦闘能力を持つ組織のムードメーカー。
名をレオーネ――所持する帝具は腰のベルト、人の身に獅子の如き力と鋭い五感を与える『百獣王化』ライオネルだ。
「だーっ!! クソッ!! 出歯亀野郎め~……会ったら絶対金取ってぶん殴ってやる~!!」
私の体は安くねーんだぞー!! と冗談なのか、本気なのか定かでは無い文句を垂れるレオーネに内心苦笑しながらも、アカメは先程まで感じていた視線について頭を巡らせていた。
(レオーネの言う通り、周囲にそれらしき人影も音も気配も無い……しかし、確かに感じた)
明らかに近くから見られているかのような強い視線を、しかも
こちらに容易に探知出来ないような位置から、障害物を越えてこちらを監視する正体不明の敵……厄介なのは間違い無い。
「――レオーネ、ふざけるのはその辺にして、別の場所へ移動しよう。さっきの視線を考えれば、ここは既に割れていると考えた方が自然だ」
「あいよっ、退散退散っと」
そう告げながら屋敷の屋根へと飛び上がると、レオーネは先程までの怒りが嘘のように冷静な顔で頷き、その後に続く。
2人は貴族の屋敷の屋根から屋根へ、音も気配も無く移動していく――それだけでも、この2人の技量の高さが伺えた。
「……まずはラバックの所に行こう。他の皆に伝えて貰わないとな」
「そーだな、今回の任務……ちょーっとヤバい臭いがするぜ」
他の仲間たちへの連絡役の潜伏先へと向かいながら、ただ人数が多いだけの外道どもを殲滅するだけだった筈の今回の任務に、2人は言いようも無い『何か』を感じていた。
「気を引き締めよう――今回の任務、恐らく只では終わらない」
――そんなアカメの言葉通り、その夜事態は大きく動いた。
―――――――――――――――――――――――
「……き……て……さ……」
とんとん、と肩を叩かれて、アタシは目が覚めたッス。
いけないいけない……程よく紅茶の隠し味が効いて、ウトウトしてたみたいッスね。
う~ん……まだまだ死んだ婆ちゃんみたいには行かないッスねぇ。
「……起きて下さい、お客様」
「ん~……今起きるッスよ~~」
少し間延びした声で、使用人さんらしき人の呼びかけに答えながら、起き抜け特有の気怠さを打ち払うように背伸びを……しようとして、失敗しました。
何故なら今、アタシの体は手足を雁字搦めに縛られ、冷たい石の床に転がされていたからッス。
可能な限り首と目を動かして辺りを見回せば、周囲には10数人程のメイド服や家令服を身に纏った使用人らしき人達。
皆が皆、屋敷で給仕をしていた時のようなにこやかな笑みを浮かべていたッス。
まるで、お伽噺とか演劇の一幕みたいな、お姫様の目覚め――縛られた上に床に転がされてるこの状況と、彼らの手に握られてるモンに目を瞑ればッスけどね……。
使用人さん達の手には、大小様々な得物が握られていたッス――それも、猫の尾と呼ばれる棘付きの鞭に、歯を抜くためのヤットコ、手足を叩き斬る為の牛刀や、果てには『苦悩の梨』なんかを弄んでる奴までいるッスね。
言うまでも無く、それらは拷問……それも本来の目的では無く、被害者の苦痛や悲鳴を楽しみ、最後には殺してしまう事を目的とした歪んだモノッス。
更に、周囲にはスパイクの生えたイスや鉄の処女、あー……水責めに使う水車とかもあるッスねぇ……。
しかも壁や天井のあちこちには、程よく
「お早うございます……良い夢は見られましたか?」
お辞儀するその姿は、流石は大貴族サマお抱えの召使い……でも、こんな所でそんな立ち振る舞いされたら、はっきり言って狂気以外の何物も感じないッスよ。
「…………少なくとも、目覚めは最悪ッスね」
「それは残念です。お客様の最後の安眠が、安らかであれば良かったのですが」
縛られたアタシを見下ろしながらも、尚もコロコロと笑う使用人さん。
周囲にいた人達も、それに併せてクスクスと笑みを零したッス。
「……で、何でこんな事になってるんスか? んで、ここは何処ッスか?」
「あらあら……こんな状況になっても、呑気なものねぇお嬢ちゃん?」
アタシの言葉に、先程までの恭しい雰囲気をガラリ、と変えて、嫌らしいニヤニヤとした笑みを浮かべた使用人さん――いや、もうこんな奴らに敬称付ける必要なんか無いッスね――使用人の女は、こちらに見せびらかすようにコルク抜きのように捻じ曲がったナイフをひらひらとさせます。
「チッ、何だよ……目覚めてすぐに喚き散らして震えた方がこっちも楽しいのによぉ」
「まぁまぁ、きっとまだ寝惚けて現実味が湧かないんでしょ? そもそも鈍臭そうなチビだしね」
周囲の奴らも、何だか好き勝手言ってるッスが、そんなのを無視して言葉を続けるアタシ。
「――ウザったいんで、無駄話してないでとっとと答えて貰いたいんスけど?」
「……ンの餓鬼、調子に乗るんじゃ――」
「落ち着きなよ、今から痛めつけちゃ長く保ってくれないじゃない――それに、あの世への土産として答えてあげないとね」
無力な筈のアタシの言葉が生意気に感じたのか、使用人の男がアタシを蹴り上げようと脚を振りかぶるのを、まぁ何ともお決まりのセリフを吐きながら女が止めたッス。
「それじゃあ、答えてあげるけど……ここは屋敷の中にある倉庫の一つを改造した、ご主人様方特性の拷問部屋よ。
そして貴方は、数ある『お客様』の中から、ご主人様方の『趣味』に特別に参加する事を許されたという訳」
「私としては、あっちの茶髪の男の子の方が良かったんだけどなぁー」
「無茶言うなよ、あっちはアリアお嬢様のお気に入りだ。俺たちが手を出したら殺されちまうよ」
「あら、でもちょっとはつまみ食いもいいんじゃない? 手足はともかく、目玉の一個くらい大人しくさせるため仕方なく……ってね」
「チッ、たまにはお零れじゃなくて1から10までやらせて欲しいもんだぜ」
楽し気に、まるで茶飲み話のおような調子で嗤うその姿は、正しく悪鬼……大臣なんかと比べたら小さすぎる位ッスけど、そこには確かに外道の群れがいたッス。
「まぁ、そんな訳だから諦めてオモチャになって頂戴? 最期に、あんた達みたいな田舎者には不相応過ぎる場所で過ごせたのだから、思い残す事も無いでしょう?」
まるで捕まえられた昆虫が、虫かごの中で動くのを外から眺めるような優越感に浸った目をしながら、女はアタシに向かって自分勝手な理屈を並べたてます。
それをアタシは冷めた目で見つめながら、最後の質問を投げかけたッス。
「――こんな事をして、アンタ達は何とも思わないんスか? そもそも、何でそのご主人様の趣味とやらに、アンタらまで参加するようになったんスか?」
アタシの言葉に、使用人達は一瞬互いに顔を見合わせると、爆発したかのようにゲラゲラと笑い始めたッス。
「アハハハハッ!! そりゃ思ってるわよ……世間知らずのお上りさんを痛めつける事が出来て、楽しくて楽しくてしょうがいないとかねぇ!!」
「勿論最初は驚いたし、恐ろしかったぜぇ? 手伝いを嫌がったらここにいる奴らと同じように殺されたし、機嫌を損ねたら放り出されるかもしれなかったからな」
「……でも、その内ご主人様方も私たちを信頼して色々と任せてくれるようになったら、段々と楽しくなって来てさぁ」
「あぁ、圧倒的な強者にしか許されない高尚な趣味だよこれは……俺達は選ばれたんだ!!」
「それにアンタ達田舎者のせいで、帝都の治安は乱れる一方――ただでさえ困ってるのに、余計な手間かけさせるなってのよ」
「そうそう、これは間引きだよ。俺達は無能な役人たちの手助けをやってやってるんだよ。感謝して欲しいもんだぜ全く」
――それを聞いて、アタシは深く溜息を吐いたッス。
嗚呼駄目だこいつ等――救い様が無い、と。
彼らの言い分通りならば、最初こそサディストな主人の後始末を嫌々任されていたんでしょう。
でも本当に嫌ならば、そこで逃げ出したり、何とか外にこの事を伝えたり、何かしらの事は出来た筈ッス。
けど、彼らはそれをしなかった。
怖いから、死にたくないから、仕方無い、これは正しい事なんだ……そんな言い訳を続けながら、いつしか何の理念も覚悟も無く、弱者を痛めつける事に酔いしれた愚物――エスデス様だったら、そう評するでしょうね。
……さて、そうと分かれば長居は無用ッスね。
「よいしょっ……と」
「おいおいお嬢ちゃん、何やってんだ? 雁字搦めに縛り上げた上に、痺れ薬入りの紅茶をたっぷりと飲ませたんだ。
抵抗するだけ無――」
アタシがもぞもぞと体を動かしていると、それに気づいた使用人の一人が嘲笑を浮かべたッス。
けどそんな彼をあざ笑うかのように、はらり、と解ける縄と、立ち上がるアタシ。
「ふーっ、ヘッタクソな縛り方ッスねぇ。おかげで体が痛いッスよ」
「…………は?」
体を解すようにコキコキと首を鳴らし、今度こそ伸びをするアタシに、使用人が呆けたように口を半開きにして固まりました。
「な、何で!? あんなに頑丈に縛ったのに!?」
「んー? さっき言った通り、縛り方ヘタクソ過ぎッスよ。あんなんで訓練された人間を拘束しようなんて片腹痛いッス」
「訓練された……!? な、なら痺れ薬は!?」
「あー、そっちは体質ッス。昔取った杵柄とやらで、毒とかそっち系の奴は効きにくいんスよねー」
まぁ、詳しい経緯は記憶がチーズ状態なんでロクに覚えて無いんスけど、そこまで教える義理は無いッスからね。
何となく、
アタシが拘束から逃れた自失から立ち直った使用人たちが、一斉に詰め寄って来たッス。
「け、けどこの人数に囲まれたら逃げられないでしょ!?」
手にした得物を振り上げて迫る彼らに、アタシは深い溜息で答えます。
「……あのッスねぇ…………舐めるのもいい加減にするッスよこンの屑共」
瞬間、手近な所にいた使用人の1人の顔面が陥没し、血飛沫と砕かれた歯が宙を舞ったッス――勿論、やったのはこのアタシ。
周りに粗末な毛皮を巻いて偽装していた白兎の脚甲で、能力を使わずに蹴りつけただけッス。
一応殺さないように手加減はしたッスけど、まぁ一生ベッドから起き上がれない程度には痛めつけさせて貰ったッスよ。
「……っ……こ、このっ!!」
顔面を文字通り崩壊させた同僚の惨状から立ち直った女が、猫の尾を振り上げたッスが、三獣士の皆やエスデス様に鍛えられたアタシにとっては、止まって見えるぐらいに遅いッス。
振り上げた腕に蹴りを叩きこんでへし折り、そのまま返す刀で両膝に足裏を叩きこみます。
そこまで戦闘能力の無いアタシでも、弱者痛めつけて調子に乗ってる一般人をノす位なら朝飯前ッス。
「あ、が、ぎゃああああああっ!!」
両膝を曲がってはいけない方向に捻じ曲げながら、悲鳴を上げて倒れる女を尻目に、アタシは白兎の能力を使って天井へと飛び上がり、そのまま勢い良く壁に向かって突進したッス。
「うりゃああああああああっ!!」
轟音を立てて壁に穴が開き――その向こうからは、月夜に照らされた庭園の光景が広がっていたッス。
どうやら、庭の外れの辺りだったようッスね。この後の行動がやり易くなりそうッス。
「あ、ありえねぇ……て、てめぇは、い、一体何者なんだ!?」
壁抜けなんていう所業を成し遂げたアタシを見上げて、使用人が怯えたように叫びます。
まぁそりゃこんな小娘が帝具持ちなんて想像してない奴らにとっちゃ、アタシはさぞ化け物に見えるでしょうね。
しかし、説明する暇も義理も無いんで、それを無視してアタシは彼らを見下ろしながら一方的に通告したッス。
「さて、アンタら覚悟は出来てるッスよね? 今まで好き勝手やって来たんスから、それなりの報いは受けて貰うッスよ?
……楽しい時間は、これで終わりッス」
「は……はっ!! 衛兵にでも訴えるつもりか!? あいつら如き、ご主人様達の権力で――」
「分かって無いッスねぇ……もう、終わりッス……終わりなんスよ」
尚も強がってみせる彼らに若干憐みを覚えながら、アタシは一枚の羊皮紙を投げつけたッス。
そこには、貴族に関係する者ならば誰もが知っているこの国の重臣――ブドー大将軍の紋が焼き付けられています。
「これがアタシの後ろ盾ッス。如何に大貴族でも、大将軍が本腰入れたら、逃れられる訳が無い」
「ひ……あ……」
「さぁ、今度こそ覚悟は決まったッスか?」
今度こそ絶句する使用人達――ブドー大将軍が本気になった時点で、そしてアタシ達隠密機動部隊がこの任務に従事した時点で、アンタらは狩る側から狩られる側になったんス。
――そしてアタシは、エスデス軍の『首切り兎』。
「――――兎の牙が、その首刈りに来たッスよ」
その名にかけて、狙った獲物は逃さない――!!
ここまで来てようやく原作第一話半分程……先は長いです。