“結鷹、起きなよ。早苗が来たよ”
東風谷じゃない誰かの声。目は閉じたままの真っ暗な視界、薄ぼんやりとした意識の中、その誰かの声がはっきりと頭に響いた。きっと、声の幼さからすると、諏訪子様じゃないだろうか。
そこまで思考が働いて、その声が聞こえたということに、心より先に身体が反応して跳ね起きる。
視界は開け、広がった光景を見て、自身の家では無いことに気付く。
「あ、俺、寝てたのか」
目に映る景色から、状況を判断し、時間が経つごとにどういう経緯があったのかを思い出していく。
東風谷が散々はしゃいだあとに、神社に合格祈願を兼ねて初詣をして、お賽銭を入れ参拝を終えた頃には、時刻も昼になろうという頃だった――と、言うのも、東風谷に初詣の際の作法を口酸っぱく説かれたので時間が掛かったのが原因だろうか―――ので、一度昼食を摂りに家にあがっていたのであった。
蕎麦があるので、さくっとやっつけてきます、と意気揚々と台所へと向かって行った東風谷を見送ってから、炬燵に入っていた俺は、気づかぬうちに眠ってしまったらしい。
手伝おうとも思ったが、こういうのは女子の仕事ですから、とは東風谷の言だった。あれから、あまり時間は経っていない筈だが、それだけに炬燵の魔力は恐ろしい。
大きめのお盆に、かけそばを入れて白い湯気のたつ器を二つ乗せてきて、テーブルの上に置いている最中だったらしい東風谷の顔は少し驚いた様子で、こちらを見て固まっている。
「どうした?」
「いえ、今、結鷹が諏訪子様の声に反応した様に見えるくらい間が合っていて、ちょっとびっくりしました」
「ああ、やっぱり今の、諏訪子様の声だったのか」
先ほどの声が、今一度、頭の中で再生される。声の感じからして、俺のイメージでの神奈子様の声らしくない。あの風体でこの声だったら、それはそれで驚きだ。
「聞こえたんですか?」
「うん、本当にたまにだけどな。で、声の幼さからして諏訪子様かなって」
東風谷に一瞬見えたあの景色のことを話した際に、二柱のことを聞いてみたところ、どうやら、紫の髪の威厳ある感じの女性が神奈子様で、へんてこな被り物をしていた子供のような背格好の女性が諏訪子様らしい。
その言葉を聞いて、東風谷が少し笑った。
「ん?」
なにかおかしかったか。
「諏訪子様が、結鷹に幼いって言われるのは心外だって、ちょっとむくれてます」
「え? ああいや幼いというか、こう……そう! 鈴の音のように美しい声という意味でして!」
神様の機嫌を損ねてしまったということが俺の心を焦らせ、自分でも訳わからないくらいに意味のないジェスチャーをしながら、言い訳を捲し立てる。東風谷には見えているのだろうけど、俺には見えていないせいで、透明人間に説明しているみたいで変な気分になる。
しかも、その言い訳も苦しいものがあるあたり笑えない。
「綾崎、後ろですよ。後ろ」
どうやら、俺は全く見当違いな方に向かって話していたようだ。振り返って、頭を下げる。
「え、ああ、いや本当に申し訳ありませんでした」
もう、俺の処理能力を超えている。やはり、受け入れたところで隔たりは消えない、と度々思う。
それでも。
こうして、時折、見えないながらも東風谷を通してコミュニケーションを取ろうと努力はしている。少しでも、東風谷の見えているモノに近づくために。
「諏訪子様はもう許すそうです。あと、蕎麦が冷める前に食べなさいって、神奈子様が」
「そ、そうか。それは良かった、じゃあ、食べるか」
「はい、いただきます」
東風谷が両手を合わせて言う。俺もそれにならい、両手を合わせて唱和してから、箸を取る。
「一味、要りますか?」
東風谷は、茶色い瓢箪型の小さな容れものを差し出してくる。
「ん、さんきゅ」
それを受け取って、適当に振って、東風谷に返す。その際に手が触れ合うことに意識がいってしまうのは、男の子だし仕方ないよね。
東風谷お手製のかけそばには、かまぼこと揚げが入っていて、器からもくもくと立つ白い湯気は、この寒い時期にはなんとも食欲がそそる出来となっていた。
一度、お互いに蕎麦を啜り始めたら、そこからは二人とも特に話すことはない。いつもの昼食と同じだ。
うん、美味い。
普段は食事中には話さないが、何も手伝わずに作ってもらっただけに、感想の一言くらいは食事中でもいいか、とふと思う。
「美味いよ、正直、東風谷が料理できるのは意外だったな」
一度、箸を止めて、向かい側に座る東風谷に顔を向けて感想を口にする。
すると、東風谷も箸を止めて、腰のあたりに両手を当てて、えっへん、とドヤ顔になる。
「この早苗、伊達に東風谷家を切り盛りしているわけではないんですよ? 認識を改めることですね」
「まあ、でも、かけそばだしな」
その東風谷の様子が可愛らしい反面、おかしくて、ちょっと意地悪を言ってみる。
「な!? まさか綾崎は、私がインスタントラーメンやかけそばみたいな茹でるだけの簡単なものしかできない女子力5以下の雑魚と思っているんですか」
むむ、と東風谷は眉を寄せ、頬を膨らませて、釣り餌である俺の言葉に食いついてくる。
いや、そこまでは言ってないけどね。
ていうか、その5っていう数字はどこからきた。
「このかけそば一つとっても、この寒い中、結鷹に少しでも美味しいものをと茹でてから冷水で、ちゃんとしめてきたというのに、この仕打ち、許せません!」
「いや、あの、早く食べた方が……」
東風谷がヒートアップしていくのを肌で感じた俺は急いで止めに入ろうとする。だが、手遅れだったらしい。
「いいでしょう。その挑戦、受けて立ちます。今度私が結鷹に弁当を作ってあげますよ。リクエストがあれば聞いてあげますよ? オムライスでもハンバーグでも何でもござれです。そして私の料理の腕を知ってひれ伏すが良い」
「なんか、リクエストのチョイスが子供っぽいのはなんでなんだ」
大体の人が好きそうな物ではあるが、その中でも結構俺の好みのものを言い当てられて、少し疑問に思う。
「え? そりゃあ結鷹は子供っぽいですからね。格好つけて大人ぶってますけど、案外お子様なの、私知ってますもん」
東風谷は、一瞬ポカンとして、何を言っているんだお前は、と言った様子で返答する。
なんというか、そう言われると言い返せない。ムキになって言い返したら、ガキ確定アシストだし、言い返さなくても、それが所謂、大人ぶってる、ってやつな気もするし。
実際、大人っぽいなんて評価を受けている子供は、大人しいとか、目立ちたくないとか、内気な奴がほとんどだ。
俺も、その例の一つに過ぎないのだろう。騒いでる奴に混じれないのは、自分がそういう気性でないというのもあるが、どちらかと言うと、それは自分に自信が持てないから。育ちが良くて、垢抜けている奴も居るのだろうが、それは本当にレアなケースだろう。
ただ、少し、カチンときたので、ムキになって返す。なんだ、やっぱ俺ガキじゃん。
「ほう、じゃあ、その時にお手前拝見させてもらおうじゃあないか」
「ええ、いいでしょう。その胃袋を鷲掴みにして、私の手料理抜きでは生きられない体にしてやります」
お互いに、長年の宿敵との対決のような好戦的な笑みを浮かべる。東風谷に至ってはいつの間にやら立ち上がって、顎をやや上向きに、こちらを見下ろしている。それが物凄く悪役っぽいせいか、くだらない茶番にも熱が入るというものだ。
悪いが俺の胃は鋼鉄、易く掴めるとは思うなよ――――。
が、ふと、蕎麦に目を落とす。炬燵に入っている俺たちはいいが、この部屋は、今空調を効かせていない。
つまり。
「あ、つゆ、ちょっと冷めてる」
その一言で、茶番劇はその帳を下すことになり、東風谷と俺は、温くなった蕎麦を、急いで食べるのであった。
やっぱり、食事中に喋るのは良くないね。特に、喋りだすと止まらない間柄の相手とは。
「絵馬におみくじに、破魔矢にお守り! 何でもありますよ」
「へー、意外に色々置いてあるんだな、この神社」
守矢神社は、初詣の時期でもいつもと変わらず人が訪れず、閑散としている。俺がどうやらこの神社の唯一の参拝客らしい。二柱の事を思うと、その事実を悲しいと思う。俺だけはなるべくこの神社に通い続けようという気にさせられる。
蕎麦を食べ終えてからしばらくして、ふと、ここっておみくじとかないの、と東風谷に聞くと、どたた、と足音を立ててどこへやら姿を消していたのだが、丁度、腕一杯に色々抱えて、部屋に戻ってきた。
東風谷はテーブルの前に立つと、ばたた、と抱えてきた物を置く。その置き方は貴重なものを置くと言うより、手を放して、集めてきたガラクタをその場に落とすといった感じだ。ちょっと乱暴じゃないですかねえ、それ。言い方悪いけどあなたの神社の商売道具ですよ。
「意外とは失礼です。刎頸に処します」
首を刎ねられるのは嫌なので、東風谷の言葉はスルーする。
テーブルの上に、ごちゃごちゃに広げられた物の中に、放られたお守りに、学業成就の文字を見つけて、漁って拾い上げる。
「あ、お守り買おうかな、値段どれくらい?」
流石に友人の神社とはいえ、お金を払わないわけにはいかないだろうと思って、値段を聞く。
「うーん……、400円ですかね。あと、納めるって言ってもらえますか、一応」
「いま決めなかったか、その価格」
「あ、ばれちゃいました?」
てへ、と舌を出す東風谷。ていうか、隠す気無かったよね、今。思いっきり値段設定に迷ってたような間が合ったもの。
「でも、お守りなら、前に私があげましたよね? あれじゃダメなんですか?」
東風谷は人差し指を当てて、不思議そうに俺に言う。
彼女の言っているお守りとは、今俺のズボンのポケットに入っているものの事を指しているのだろう。
なんでも、俺は妖怪などの気を惹く体質らしい。生まれてこの方。東風谷との繋がり以外で、そういう非現実的な現象にはお目にかかったことは無いので、全く実感がないのだが放置しておくには危ないものらしい。
そこで、それを封じる札と、“もしも”の時用の護身用の札を中に入れたお守りを貰ったのだ。取りあえず、常に身に着けていろと言うのは、早苗曰く、神奈子様のお言葉だとか。
神様の助言ならば、聞いておくが吉であろうし、早苗が折角、用意してくれたものを無碍に扱うというのは俺にはあり得ないことなのでそれ以降、出かけるときは、肌身離さず、持ち歩くことにしている。
「今年受験だし、あれとは別だろこれは」
言いながら、財布から400円を取り出して東風谷に手渡す。東風谷は頷いて受け取ると、彼女自身も、がま口の、緑色のデフォルメされた、蛙を模した小銭入れを懐から取り出す。
「それもそうですね。じゃあ私もかお……納めることにしましょう」
「おう、人に言っておいて自分が言い間違えるな」
「し、仕方ないでしょう。私も結鷹と約束してから色々教えようと必死に調べたんで……あ」
「へー、そーなんだー」
自分でも今意地の悪い笑みをしているのが分かる。まあ、東風谷が案外疎いのは理解できないでも無かった。ろくに人が来ることが無いだけに、参拝客に対する知識が身に着いて居ないのも致し方ないという気もする。
それに参拝前の手水舎にて身を清めるときに、その正式な手順を二柱に聞いているっぽかったっていうね。
それが、東風谷の二柱の神への不徳とは、誰も思わないだろうが、東風谷自身はそうではないらしい。
顔を紅潮させていく東風谷は、話題を変えるように言葉を発した。
「ほ、ほら。おみくじとかどうですか? 綾崎も気になるでしょう?」
そう言って、東風谷は円柱の筒状のおみくじ箱を拾いあげる。確か、細長い棒を引き出して、出た番号に対応する箋を貰うのだったか。
毎年参拝だけして初詣を終えていたので、正直この手の知識は疎い。
だが、流石にこれ以上イジるのは、東風谷がかわいそうだったので、その提案に乗ることにする。
「いいな、やるか」
「ですね! では、私から」
東風谷は、口を一文字にして力一杯振ると、ガラガラと音を立てた後に、箱の中から細長い棒が出てくる。東風谷はその棒の端に書かれた番号を確認して、口にする。
「37番です。では、綾崎。はりきってどうぞ」
別にはりきっても何も変わらないけどね。
東風谷から、おみくじ箱を手渡される。張り切っても何も変わらないとは分かっていても、いざ自分がやると少し力が入る。
「……」
ガララ、と音を立てて振ると、同じように筒の箱の小さな口から、細い棒がひょっこりと出てくる。
棒の先端を見てみると、“11”と記されていた。
「11番だな」
「では、整理箱から取ってくるので、待っていてください」
東風谷は、今日はなんだか慌ただしい。別に、彼女一人が何度も行ったり来たりしなくとも、着いて行って俺も一緒に確認すればいいだけの話なのだが、そういう前に、走り去ってしまった。
少し申し訳ない気持ちが湧くものの、待っていろと言われたままに、行かせてしまった手前、今から追いかけるというのも変だ。
それに、炬燵あったかい。
炬燵は人をダメにする、と改めて認識してから、数分を待たずして、東風谷がおみくじ箋を握って帰ってきた。
白い息を俺の2倍くらいの頻度で吐いて戻ってくる彼女を見ると、やはり、着いて行ってやれば良かったな、と感じる。
「せーの、で見ましょう」
意気揚々と言った様子で、東風谷が提案してくる。
「了解了解」
そう返して東風谷の提案を呑むと、彼女は静かに頷いて紙を手渡してくる。その雰囲気はどこか重く、真剣な様子だ。
いや、ただのおみくじだからね、もっとワイワイやればいいのに。二人だけだけど。正確には二人と二柱。
「では」
その東風谷の合図の言葉と共に、視線を手の中の紙片へと向ける。
見ると同時に、俺は馬鹿みたいに口を開けて呆けた代わりに、東風谷の方からは俺の分まで含んでいるのではないかと思うほど、大きな歓喜の声があがった。
「見てください、大吉です、大吉ですよ!」
飛び跳ねて喜んだ東風谷は、次に俺の隣に小走りで来て座り込み、その堂々たる結果を俺の眼前に見せつける。そこには、37番大吉と、でかでかと記されている。
やっぱこいつ持ってるわ。
「結鷹はどうですか? ……、あ」
俺の顔のすぐ隣に顔を持ってきて覗き込むように俺の手元を見た東風谷は、俺と同じように絶句した。それもその筈、俺の、みくじ紙には、東風谷と正反対の結果、対極にある文字が、記されているのだから。
11番、大凶。
お、おう。ま、まあ、あれでしょ。これ朝の星座占いで今日の運勢は最悪ですって言われるのと同じようなもんでしょ。あんなん十数回やったら皆一回は最下位回ってくるんだから関係ないよ、大丈夫大丈夫。
……いやあ、流石に落ち込む。
「いや、でも。でもですよ、大吉と同じくらい大凶も珍しいですし、数で言ったら大凶の方が少ないんですから、むしろ運が良いとも……、そうですよね、神奈子様! 諏訪子様!」
「いや、良いんだ、それにおみくじは単なる占いとは違って、これからその人がどうするべきかってのが肝だから、うん」
ていうか、そのフォローはむしろ、俺の心が痛みます、東風谷さん。最後に二柱に投げるあたりの無責任さと言ったら……。
あと正直、もうおみくじの結果よりあなたがやたらと近い方が気になってる。
あなたのその巫女服、構造が構造だけに真横に居られると、形がちょっと見えちゃうから、いや、何がとは言わんけど。
その後しばらく、東風谷の俺への必死のフォローが続き、二柱の神への同意を促し、俺はそれを聞きながらも、自らの理性と本能との諍いの最中にあり、近づいて俺を慰めようとする東風谷から後退り続けるという、何とも混沌とした空間が、東風谷家に出来上がっていたのであった。
しばらく騒がしい空間が続いた後に、疲れ果てて炬燵に入って二人と二柱とでTVを見ながら話していた。それは昔、両親とTVを見ながら、あれはどうだとか、これは面白いとか、リビングを囲んで、そんな風な話をしていた懐かしい時期を思い出させた。
「東風谷。今日は呼んでくれて、ありがとな。……東風谷?」
返事がないので、座っている左側に配置されたTVを眺めていた視線を外して、ふと、向かい側を見ると、東風谷が、突っ伏して、自らの両腕を枕にして眠ってしまっていた。
今日は、いつに無く、はしゃいでいていたのが俺からでも分かった。何がそうさせたかは、俺でも何となく察せる。朝からフルスロットルで飛ばしていたものだから、体力を使い切ってしまったのだろう。遠足の帰りに疲れきって寝てしまう、小さな子供のようだ。
東風谷の服装は、まだ例の青白巫女服のままで、今日はどうやらこのまま過ごす気らしい。肩がから二の腕にかけて露出しているその姿は、扇情的だ。けれど、その寝顔はあどけなくて、とても愛おしく思う。
もちろん、それで彼女をどうこうする勇気など俺には欠片も無い。それだけ積極的になれるのなら、俺の青春はもう少し、色めきたっていただろう。
そういうのが欲しいわけじゃないんだ。
それでも、これくらいなら。
身体を少しテーブルに乗り出して、東風谷に腕を伸ばす。指で、彼女の前に垂れて煩わしそうになっている髪を整えてやる。すると、寝ながらでも、やはり、顔の前に垂れた髪は邪魔だったのか、心なしか、表情が和らいだ気がする。
その様子を見て、俺も安堵する。こんなちょっとしたことに幸福を感じる俺は、こいつの親か何かか。
ばれなきゃ何とやらだ。客が来ているというのに、ぐっすり眠る彼女に文句は言わせはしない。彼女のその緑がかった髪の上に手を乗せて、優しく撫でる。彼女の髪は綺麗に手入れされているのであろう、指と指の間に束ねた髪が指を滑らせた時に、一切引っかかるようなことがない。撫でられて、心地よさそうな顔をする東風谷は、なんだか猫のよう。
ああ、綺麗な髪だ、としみじみ思う。
そう、昔のことである。
彼女と仲良くなったきっかけ。
それは、ライダーでもロボットアニメの話でもなかった。
幼い頃、誰もが東風谷の髪を、長い綺麗な黒髪だと言っていた中で、俺だけは彼女の髪を、緑がかった綺麗な髪の毛と評した。
初めて見た時からだ、一目、彼女をこの目に捉えた瞬間には、この女の子は変わっていると思った。他にあんな髪の色の子は見たことが無かった。そして、誰もその事を指摘しないのは不思議だと感じた。触れてはいけないことなのかも、とも考えた。
けれど、子供心にそれを、とても美しいものだと思ったものだから、彼女にその思いのままを語ったのだ。それを聞いた周囲は、文句にも似た疑問の声をあげていた。
だけど、それを受けた東風谷だけは、とても目を輝かせていたのを思い出す。当時の俺には、それが堪らなく嬉しかった、ような気がする。
きっと、始まりはそんなものだった。
これが、唯一昔から、多くの人には分からず、俺と彼女とが共有していた一つのものだった。
いつかは破綻するのかもしれない関係。それでも、今はまだ、互いに居ることができる、許されている。その事実を確認するように、この儚い少女に触れる。
此処は良い。自身への嫌悪も、何もかもが彼女と居れば、些事のように思えてしまうのだから。
「今年もよろしくな、早苗」
この関係が、いつまでも続きますように。
そんな願いを込めて言葉にしたそれは、寝ている彼女に届いたのだろうか。僅かに顔を綻ばせた東風谷の寝顔を見て、そんなことを考えてしまう。
目の前にある、心の安らぐ居場所。その温かみを感じられる現在こそが最も尊いのだと、俺はそう思う。
この話は、場面の転換が多くて申し訳ない。
元々は、前回の話も含めていたりしていて、流石に読みにくいかと思って、先に出来上がった分だけ、分けさせてもらいました。それでこの結果かよ、という感じではありますが。
ちなみに、早苗の、結鷹への呼び方が安定しないのは、苗字で自分を呼ぶ結鷹に対抗して、結鷹のことを苗字で呼んではいるけど、気を抜くと普通に地が出てしまっているということの表れだったりします。
大凶を引いたシーンでは、見えていないのに、大慌てで結鷹をフォローしようとする二柱の姿があったり、普段は生温かい目で二人を見守っていたり……。
結鷹視点だとここら辺を上手く書く技量が無くて書けないのが、微妙に辛いですね。