熱とは動くことで発生する。恒温動物の人間も運動をすれば体温が上昇するし、電子レンジはマイクロウェーブによって食品を温める。つまり、逆説的に動かないということは熱を発しないということである。まあ、人間は運動すれば疲れるし腹が減るし筋肉痛にもなる。筋肉痛は翌日に響くし、腹が減れば余計な食費がかかってしまう。つまり人と無駄話をするという運動もせず、生活の大半を読書か睡眠で過ごしている俺まじ経済的。
とまあ、この際俺がいかに経済的生活を心掛けているかは置いておいて――
「たまにはチェーンの喫茶店も悪くないわね」
この夏場の冷房要らずみたいな雪ノ下をどうにかしたいのだが。口調は柔らかだけど目が超どぎつい。いつから夢の国に魂を売ったのか、延々を周囲にまき散らされる冷気によって冷房要らずである。てか寒い。
俺と雪ノ下、小町で入ったスタバはびっくりするくらい静かだ。というか、殺気にも似た冷気を発し続ける雪ノ下のせいで店内の人間は皆固まってしまっている。恒温動物も動かないと体温下がるんだから皆動いて! それかアルカ姉さん炎神の息吹で皆をあっためて! マイクロウェーブでみんな死んじゃうからやめて!
優雅にコーヒーを飲む雪ノ下に対して、動くことも憚られる兄妹。なんとかコーヒーを口に運んでみるが、やべえ、苦いのかすらわかんねえ……。
「それにしても、休日に二人で買い物なんて、仲がいいにもほどがあるのではないかしら?」
「別にいいだろ……」
雪ノ下と目を合わせることができない。大丈夫、別に仲がいい兄妹なら休日に出かけるなんて普通のはずだ。
「それも恋人つなぎで手を繋いで」
「ぐっ……」
「しかもカップル限定のキャンペーンのお店から出てきたわね」
「うぐ……」
いやまあほら、別に仲が良ければそういうのも、無きにしも非ずじゃん? 口に出して反論はできないけど。
「兄妹なのにカップルと偽ってキャンペーンを受けるなんて詐欺ではないかしら?」
「いやそれは……」
「事実でしょう?」
…………。
実際、俺達兄妹は恋人同士なのだ。しかし、それを口に出すことはできない。受け入れられず、軽蔑され、拒絶されるのが分かっているから。一般論として俺達のような関係が普通ではないことは理解しているから。
だから事実を反論材料として使えない。
だから、偽る。嘘をつく。
「まあ、そう……」
「事実じゃないですよ」
その嘘は本当によって遮られた。
「小町……」
「小町さん?」
小町はじっと雪ノ下を見据えている。横から見えるその表情は硬く、視線は鋭い。
しかし、テーブルの下でそっと俺の手を握った手は、小刻みに震えていて、俺は小町の思考を正確にトレースすることができた。
こいつは分かっているのだ。ここで本当のことを言えば周囲の目が変わる可能性を、奉仕部の関係性が壊れてしまう可能性を。俺が小町に奇異な目を向けさせたくないことも、放課後のあの空間を壊したくないことも。それでも偽ることはしなかった。それは俺達の関係の強さを信じていて、起こりうる辛い可能性を信じていて、それでもきっとあの空間を共有している彼女たちなら受け入れてくれると信じているから。信じたいから。
「私とお兄ちゃんは恋人です」
本当に強いと、そう思った。俺の妹は、俺よりもずっと強い。
「それは……本当なのかしら、比企谷君?」
なら、俺も妹のために強くあろう。
「あぁ、本当だ」
「そう……」
雪ノ下は俺と小町を交互に見て、静かに目を閉じる。俺達兄妹が固唾をのんで見守るなら、静かに瞼を開く。
「そうだったのね」
ただそれだけ。それだけを発した雪ノ下は、普段は見せないような優しい目をしていた。一瞬見惚れてしまったそれはすぐに消え、小さくため息をはいた。
「? どうしたのかしら?」
「い、いえ……」
「なんかあっさりしてるな……」
「あら、まさか性欲を抑えきれず実の妹に手を出すなんて最低ね、人間性を疑うわ変態谷君。とでも言えばよかったのかしら?」
いや、別に罵って欲しいわけではないのだが。
「まあ、あなたのことだから私が軽蔑するとでも思っていたのでしょうけど、恋愛なんて正解のないものに正しいも間違っているもないじゃない。価値観も考えも皆違うのだから、本人達が納得していればそれでいいのよ。それとも、あなたたちは自分たちの恋愛に自信がないのかしら?」
「そんなわけがない。考えに考えた結果、俺は小町を選んだんだ」
「小町もお兄ちゃんが好きなのは絶対です」
なら何も問題ないわ、と雪ノ下はコーヒーを口にする。
そう、なにも問題などないのだ。倫理観がどうだとか普通がどうだとかそんな大衆感情はどうでもいい。俺達は、ただお互いのことが好きなのだから。そして、雪ノ下はそれを受け入れてくれた。それが素直にうれしかった。
「ありがとな、雪ノ下」
「あなたからお礼を言われるなんて驚きだわ。……けど、これからが大変なのではないかしら?」
言い残して、雪ノ下は席を立つ。それは返答を求めていない問いだった。
確かに、大変なのはこれからだろう。雪ノ下は理解し、受け入れてくれた。雪ノ下と俺達の関係は壊れなかった。
しかし、奉仕部というあの心地のよい空間には、由比ヶ浜と一色もいる。正確には一色は奉仕部ではないが、彼女もあの空間には大事な人間に違いはなかった。そして、彼女達からの行為も、俺は確かに感じていたのだ。
決して俺は鈍感な人間ではない。敏感で、むしろ過敏だ。人の行為の裏を読む癖がついてしまっているとしても、さすがになにもわからないほど捻くれてはいなかった。彼女達からの裏のない好意を心のどこかで理解していながら、受け入れきれなかったのだ。もし告白されたならその気持ちを受け入れることができないから、関係が壊れてしまうと思ったから、鈍感を装い、距離を取り、しかし離さなかった。自分でも残酷なことをしているという自覚はある。けれど、俺は彼女たちとの関係を、あの空間を、ただ守りたかったんだ。
選ばない葉山のことを言えないな。選んで変わることを恐れた臆病者。この関係性を信じていながら、本当の意味で信じきれていなかったんだ。でも――
「ちゃんと伝えるさ。ちゃんと……」
動きだした歯車は停滞を許さない。だから動きだすんだ、次は信じきるために。
「大丈夫だよ……」
「小町……?」
手を握る力が強くなる。強く、しかし優しいその手は不思議と俺を安心させた。
「きっと、大丈夫」
だから、その言葉も不思議と信じることができたのだろう。
いやいや、実際問題その時になると安心も信じることもできません。
明くる月曜、朝学校へ向かう時にはヤッテヤルデスと意気込んでいたのに、放課後が近づくにつれて不安に押しつぶされそうになっていき、放課後の今はすぐにでも吐きそうになっている。
「帰りたい……」
「こらこらお兄ちゃん……」
奉仕部前の廊下の隅に座り込んでいる俺の肩を小町が呆れながら叩いてくる。なんでこの子平気なの? メンタル強すぎない? 俺の妹なのに……俺のメンタルが弱すぎ?
「小町だって不安だよ? けどね、小町はお兄ちゃんを信じてるから」
俺の頭に小町の手が乗せられる。いつもとは逆の構図。乗せられた手はわずかに震えていて、小町の不安が伝わった。しかし、それ以上に俺を信じる想いが感じられた。
「だから――お兄ちゃんも小町を信じて?」
相互信頼。お互いがお互いを信じられるなら、きっと周りにもこの想いは伝わる。理解してもらえる。だから大丈夫。
「……行くか」
「うん……」
立ち上がり、小町の手を取る。絡ませた指から勇気を互いに分け与える。お互いに分け与えた勇気は、きっと無限に増幅する。二人で共有することで、なんでもできる気がした。
深く深呼吸をして、扉を開ける。
「ヒッキー、小町ちゃんやっはろー!」
「せんぱいに小町ちゃん、こんにちは~!」
すでに部室には三人が揃っている。雪ノ下に頼んで一色にも来てもらっていた。
言うなら勇気が満ちている内がいい。臆病な俺は後にしようとしたらどんどん言えなくなってしまうから。小町と目を合わせ、小さく頷く。
「実は、話がある」
――――――
――――――――
――――――――――
「…………」
沈黙。俺達は付き合い始めたこと、互いへの想いを伝えた。その末の沈黙。音が存在しないことがこんなに怖いと思ったことはなかった。信じ切ろうとしても、どうしても不安は付きまとう。沈黙は、その不安を増大させた。
「……ふう、ようやく言ってくれましたね」
「……え?」
沈黙を破る一色の思いの外明るい声に自分でも間抜けな声が出る。
「だね。全く、ヒッキー達言うの遅いよ」
「あの……あれ?」
いつもと変わらない口調の由比ヶ浜に対して、俺達兄妹は完全に混乱していた。
いや、確かに信じるとは言ったけど、なんか予想してたより軽い気がするのは俺の気のせいでしょうか……?
「だって……ねえ?」
「バレバレでしたし……ねえ?」
「はい……?」
バレバレ? ヴァレヴァレ? Varevare? いやいやいやいや、ちょっとなに言ってるのか分かんないんですけど?
「だって、最近のせんぱいと小町ちゃん、もうべったべただったじゃないですか~」
「しかもべたべたしながら目があっただけで赤くなったりしてたし」
え? まじで? 俺らそんなことしてた? ちょっと記憶にござらんのですが……。小町を見てみるが、こちらも何のことか分かっていないようでクエスチョンマークが飛んでいる。
「え、まさか自覚なかったんですか? ごめんなさいせんぱいさすがにそれはキモいです」
「ヒッキーキモい!」
「キモくはねーよ」
いや、たしかに無自覚でべたべたしてたらキモい……かも……。
つまりなに? 自己申告するまでもなく皆気付いてたの?
「俺達の覚悟って……」
「なんだったんだろ……」
二人して座りこんじゃった。なんかもうね、一気に力が抜けちゃったよね。なんかそんな俺達見て三人とも笑ってるし。起こる気にもならねー。
「けど、ヒッキー達から直接聞きたかったからね」
「まあ、それは……遅くなって悪かった……」
言ってくれたからいいよ、と笑う由比ヶ浜に、ほんと遅いですよ、と呆れる一色、こうなることが分かっていたのであろう自信にあふれた表情の雪ノ下。そこには俺達への軽蔑も失望もなかった。奉仕部の空気はなにも変わらない。いつも通り温かくて、優しくて、安心できて――
「お兄ちゃん?」
「ぁ――」
不思議と涙が出ていたんだ。
「ところでせんぱい、小町ちゃんと付き合うにしても兄妹だといろいろ大変なんじゃないんですか?」
ようやく涙の止まった俺に一色が声をかけてくる。
「まあ、知らない奴らの反応なんてどうでもいいけど、問題は親だよな」
特に親父の説得どうしよ……まだ養ってもらわないといけないし、それ以前に下手したら殺されかねん。ただ、これは時間をかけて説得していくしかないよな。
「いや、それもあると思いますけど、ほら……」
「私たちは納得したけど、ほら兄妹での結婚とか……あれとか……禁忌だし……」
由比ヶ浜、お前……。
「お前禁忌なんて言葉知ってたのか!」
「突っ込むとこそこじゃないし!」
「驚きだわ」
「ゆきのん!?」
まあ、由比ヶ浜と一色の言いたいことはわかる。まあ一般認識では近親での恋愛はいろいろ偏見があるしな。
「そこはそんなに問題ないぞ。周りの偏見はともかく、日本の法律は近親者による婚姻届の受理を認めてないだけだ。それ以外に法律的縛りはない」
「そうなの?」
「しかも事実婚は許されている。まあ、戸籍上は兄妹のままになるだろうけど、実質的な夫婦になることに変わりはないというわけだ。性交渉に関しても……もがっ」
懇切丁寧に説明してたら小町に口抑えられたんですが!? ちょっと苦しい苦しい小町ちゃんどいて! お兄ちゃん殺されちゃう!
「お兄ちゃん! 恥ずかしいからそういうの言わないで!」
「ぶはっ……いやだって説明しないと……」
なんか真っ赤なになってるんですが。なにこの子かわいい。
「せんぱい、デリカシーないです。最低です」
「ヒッキーさいてー」
「黙った方が身のためよ、最低谷君」
「説明してあげてたのに酷くない!?」
そもそも由比ヶ浜が禁忌だのなんだの言ってきたのが原因だし、俺も恥ずかしかったからできる限り説明口調にしてたのに!
いやまあ、俺自身この間調べるまで結構ガチガチに法律で禁止されてるのかと思ってたんだけど、びっくりするくらい緩かったからな。驚き桃の木山椒の木である。日本国憲法は千葉の兄妹に優しかった。
「ということは、せんぱいは生涯独身ってことですか?」
「ん? まあ、そうなるか」
少なくとも書類上は独身ということになる。まあ、書類だの戸籍だのなんてそんなに気にするようなものじゃないと思ってるけどな。むしろ書類上ぼっちを維持できて俺のアイデンティティが保たれるまである。
「ということは~、戸籍上のお嫁さんの位置はまだ入れるってことですよね?」
ん? この子はなにを言っているのかな?
戸籍上も何も、俺の将来の嫁は小町なんだが?
「あ、そうか! まだチャンスはあるってことだね!」
「待て待て待て! お前ら何を言っているんだ」
「私~、せんぱいのこと好きですから!」
おい一色、お前葉山のことどうした! いや、もう葉山狙いをやめたことは分かってるけどこのタイミングで告白はおかしいだろ!
「私もヒッキーのこと……好きだよ?」
由比ヶ浜さん空気読んで! 二人で暴走したら怖くないとか思わないで! 何人で渡っても赤信号はだめなの!
小町に助けを求める。ここは彼女がきつい一言を言ってくれればこいつらの暴走も止まって丸く収まるはずだ。
「お兄ちゃん……」
あの……小町さん、どうしてそんなに考え込んでいるんでしょうか……? 助け求めたけど、なんかすごい怖いからやっぱ黙っ――。
「……小町的にはお義姉ちゃんも欲しいかも」
「小町いいいぃぃぃぃぃ!?」
最愛の妹兼彼女に裏切られた!? 八幡人間不信になりそう! 小町帰ってきて! お兄ちゃんにナチュラルに浮気を推奨しないで!
「二人が諦めないのなら私も諦めなくていいわよね?」
「え……雪ノ……下?」
なに君まで悪ノリしてるのん? 最近俺以外の奉仕部部員&一色に甘いからってそんな流れに乗らなくていいのよ?
「あら、いつから私があなたを好きじゃないと、その……錯覚、していたの、かしら……」
「途中で赤くなってどもんなよ! 『なん……だと……?』って返せないじゃん!」
かわいくてドキドキするからネタ込めて言うなら真顔でやって!
「せ~んぱい」
「ヒッキー」
「比企谷君」
三人してにじり寄ってくる。好意は感じるけどそれ以上に怖い。後怖い。奉仕部風紀の乱れありすぎでしょ。
雪ノ下、確かにお前の言うとおり、これからが大変そうだ。全く予想外の方向に大変そうだわ。
「あ、でも……」
正面にいる小町が上げた声に何事かと顔を下に向けると――
「んっ……」
「「「あ……」」」
小町に唇を奪われた。時間は十秒程度でそこまで長くない。しかし、じりじりと近づいてきていた三人には効果が抜群だったようで、動きが止まる。
「ぷはっ。一番愛されるのはもちろん小町ですからね!」
こいつは……。
俺も義姉も欲しいと言いながら一番愛情を注いでもらいたいとも言う。なんとも傲慢で、独占欲が強くて、あざとい妹兼彼女を持ったものだ。まあ、そういうところもかわいいわけだけれど。
俺が変わらないことを望んだ奉仕部は少し形を変えてしまった。しかし、それは決して悪い変化だとは思わなかった。そう思えるなら、きっと良い変化なのだろう。
……俺の精神力が持つかは別問題として。
やあ
まずは言い訳をさせてほしい
実は一回書きあがったんだけど、なんか気にいらなくて半分ほど消して書きなおしたんだ
そしたら女性陣が驚異的な暴走を始めた
なにを言っているのか分からないと思うが、私もなにが起こったのか分からなかった
結論が先延ばしになってる!?
いつから本編中に結論が全て語られると錯覚していた?
なん……だと……?
いやまあ、こういうのもありかなーって(諦め
予定では次回で本編は最終回になる予定です(予定
※UA60000ありがとうございます!