やはり妹の高校生活はまちがっている。   作:暁英琉

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比企谷八幡はなおも同じ道を選ぶ

 ――おかしい。

 

 噂が流れ始めてから1カ月ほど経った。噂はそろそろ鎮火を始め……ることなく拡大を広げていた。事実無根な噂を交えて比企谷八幡の悪評は学校中に展開されているようだ。

 一過性の噂でここまで広がるものだろうか? 去年の文化祭後も割とすぐに俺の悪評が表から姿を消し、せいぜい戸部がネタにするくらいだった。おのれ戸部許さん。聞いた感じではもう女子の間でもあまり表だって噂になっているわけでもないのに、ご苦労なことと言うかなんというか。

「…………」

 しかし、あまりのんきなことも言っていられないかもしれない。昼休み、いつもの場所で一緒に昼飯を食べている小町に覇気がない。最近はずっとこうだ。話しかければちゃんと反応するし、笑いもする。けれど、そこにはどうしても無理があって、俺は言い知れない怒りを抑えるために何度も奥歯を噛みしめた。

「……ごちそうさま。じゃあ、小町戻るね」

「……あぁ」

 前は昼休みの終わるギリギリまで話したり、なんとなしにぼーっとしたりしていたが、今は食べ終わるとすぐに別れる。本当は離れたくないのに、長くいると余計傷つけてしまいそうで……かける言葉が、俺にはなかった。

 噂話というのは可変的側面を持つ。伝言ゲームでどんどん内容を改変られて行き、脚色され切り捨てられ、膨張する。語っている人間たちはもはや何が真実で何が虚飾かを理解していない。理解する気がないのだ。彼らの前では、青春の前では楽しさのために全ては肯定される。

 しかし、それによってはじき出される人間がいる。俺はいい。元々俺のまいた種だし、俺自身はなんと言われようが気にしない。しかし、小町はそうじゃない。不愉快なことに俺と一緒にいることで小町に対しても事実無根な噂が立ち始めている。あいつは自分に向けられる悪意に慣れていないし、俺のためにことを荒げないように我慢し続けている。このままではいつか崩壊する、小町が持たなくなってしまう。自身に向ける憎悪と殺意で呼吸が荒くなる。

 

 俺は……俺は……。

 

「あ……れ……?」

 そこでふと思考が止まる。どうして俺はこんなに小町のことばかり考えているんだろう。もちろん、由比ヶ浜や雪ノ下のことも考えている。一色とも関わることが多いし、戸塚だって風評被害を受けるかもしれない。それは分かっている。しかし、頭はの大部分は小町の心配で埋め尽くされていた。

 なぜ俺はこんなに小町の心配にウェイトを置いているんだ? 他の奴らの心配が疎かになっていて失礼という点はこの際脇に置いておくとして、俺が小町をここまで心配する理由はなんだ? 最愛の妹だからか? 妹に迷惑をかけたくないならせめて学校での接触を控えればいいじゃないか。なぜそれをしない? さっき言った、離れたくないからだ。なぜそこまで離れたくないんだ。小町を傷つけると分かっていてなお……。

「ぁ……」

 これはダメだ、してはいけない思考だ。理性が警告を鳴らし続ける。しかし、理性を無視して思考が止まらない。論理的、倫理的、感情的様々なアプローチで思考が繰り返される。そして、理性の、自意識の闇に隠していたブラックボックスを見つけてしまった。

「俺は……俺は……」

 

 俺は――

 

 

「はぁ……」

 席に戻ると無意識にため息を漏らしてしまいました。

 お兄ちゃんの噂は収まる気配を見せず、ありもしない噂が増え、小町に関わる噂も出るようになっていました。男子の噂の声も一か月前よりも明らかに大きくなったように感じます。女子にも多少悪い噂は伝播していますが、良い情報の前では悪い情報もスパイスになるのか、あまり表立った噂にはなっていないようです。ただしイケメンに限るってやるでしょうか。

 正直、小町の噂はどうでもいいんです。小町はこうなることを覚悟の上でお兄ちゃんと今まで通り仲良くいようと思ったのですから。けど、きっとこの小町のわがままでお兄ちゃんが苦しんでいる。お兄ちゃんは優しいから、小町のことを悪く言われるのは耐えられないだろうな。

 お兄ちゃんのそばにいたくて、けど傷つけたくなくて、苦しませたくなくて、けど離れたくなくて……。こんなのは小町のエゴです。小町、お兄ちゃんに甘えすぎですね。これじゃあ、ブラコンって言われても仕方ないです。

 けど、それでも小町は……。

「小町さん」

「ふぇ?」

 呼ばれた名前に反応して顔を上げると、一人の男の子がいた。確か、バスケ部に所属している人だ。割と整った顔立ちをしてして、クラスの男子の中心に近い人物のはず。

「ちょっと話があるんだけど、いいかな?」

 時計を見ると、まだ五時間目が始まるまでには時間がある。断ってもいいけど、後が面倒くさいな。

「ん、いいよ」

 彼に付いてくるよう促されて教室を出ました。人のあまり来ない渡り廊下まで来ると彼は振りかえります。

「小町さんはさ、今日もお兄さんと昼ごはん食べたの?」

「……うん、そうだよ」

 なんでそんなことを聞いてくるんだろ。小町がどこで誰と食べようが関係ないじゃん。あと、「お兄さん」って言うとお兄ちゃんに鬼の形相で殴られるよ、殴らないけど。

「小町さん! 明日からお兄さんとじゃなくて俺達と昼ごはん食べようよ」

「……なんで?」

 なんで? なんでお兄ちゃん以外とご飯を食べなきゃいけないの? あと君、なんか近いよ?

「だって、小町さんのお兄さん、良い噂聞かないじゃないか。そんな人と一緒にいたらダメだよ」

 何がダメなんだろう。一緒にいたい人と一緒にいるのは普通のことじゃないの? ハリーだってマルフォイに「自分の友達くらい自分で選ぶ」って言ったじゃん。小町が一緒にいたい人を小町が選んで何が悪いの?

「去年の文化祭のこと以外でも、他の高校と暴力沙汰を起こしてるとか」

 兄妹喧嘩ですら一度も手を上げたことのないお兄ちゃんがそんなことするわけがないじゃん。やめてよ……。

「何股も女遊びをしてるとか」

 女の子が近くに来ただけで顔を赤くする純情お兄ちゃんにそんなプレイボーイ展開ありえないし。ほんとにやめて……。

「休日は夜中までチンピラとつるんで悪さしているとか」

 健全すぎて休日は外に出ないまであるお兄ちゃんがチンピラとか、いい加減に……。

「他にも――」

 いい加減にして!!!

 

――――ッ!!!

 

気がついたときには彼の頬を力いっぱい叩いていました。突然の事態に呆然とする彼。当然です、小町だってびっくりしてるんだから。けど、一度決壊した心を止めることはできません。

「君にお兄ちゃんの何が分かるの!? お兄ちゃんのことまとも分かろうともしないくせに! お兄ちゃんがどれだけ苦しんでるのかも知らないくせに!」

「で、でも……!」

 肩を掴まれる。怖い、近い、近い、近い――気持ち悪い。

 彼のギラギラした目を見たとき悟りました。この人は小町が可哀そうとか考えたからこう言っているわけじゃないんです。お兄ちゃんの悪評を利用して小町に近づいて、小町を自分の近くに置きたいんです。女の子をステータス程度にしか考えていない男。

 

 ――――ッ!!

 

 肩に乗せられた手を払いのけてもう一度からの頬を叩いて、教室に走って戻りました。途中で誰かに呼び止められた気がするけど、止まる気になれず、教室に戻ると腕に顔を押し付けて机に伏せました。今頃になって溢れだす涙と漏れそうになる嗚咽を隠すことに必死で、周りの音も聞こえませんでした。

 悲しさと悔しさと切なさと、いろいろな感情が混ざってぐちゃぐちゃになって身体中を暴れまわります。

 

 ――助けて、お兄ちゃん。

 

午後の授業はそもそも始まったことすら気づくことはできませんでした。

 

 

「すみません、比企谷先輩はいらっしゃいますか?」

 五時間目の休み時間、聞き覚えのない声で聞き覚えのある名前を呼ばれて顔を上げると、教室の入り口にいる下級生の姿が目に入った。その女子には見覚えがある。確か、眼鏡を買う前に放課後会った小町の友人だ。

「なんか用か?」

「あ、あの、ちょっとお話があるんですけど」

 ふむ、俺とあまり面識のない女子が俺に話。リンチか弱みを握って脅してくるのかな。そんなことがごく自然に出てくる自分が悲しい。が、クラスの連中が俺達に向ける視線を感じて、もうひとつ最近なら発生しかねない可能性を思い出した。

 告白、の可能性もあるか。

「あぁ、大丈夫だ」

 どの道、ここでする話ではなさそうだ。踵を返す彼女の後に付いていく。今までのは手紙ばかりだったからお断りの返事を書いたり、無視したりで十分だったわけだが、まさか教室に直接来る女子がいるとは。

「ここで……いいかな?」

 連れてこられたのは屋上。ここまだ鍵直してないんだ。いい加減直せよ学校側。

 しかし、いかにもな場所。誰かがいる様子もない。これはほぼ確定だろうか、面倒くさい。六時間目もあるし、さっさと終わらせた方がいいだろう。

「あ、あの……」

「すみません、無理です」

「え?」

「え?」

 え?

 呆然とする彼女。というか、告白するにしてはなんか雰囲気が違うような……。背中にたらーっと嫌な汗が伝う。これは……まさか……。

 最初俺になにを言われたのか分かっていなかったであろう彼女は、少し思案し、何かを思いつき、顔を真っ赤にして弁明する。

「あ、いや! 告白じゃないですよ!」

「で、ですよねー」

 うん、大丈夫。君は悪くないよ。最近の生活に慣れて自意識過剰になっていた俺が悪いんだ。また黒歴史が厚さを増したよ……。

「で、でも、それならなんの用なんだ?」

「あ、そうでした。実は……」

 俺は彼女から、昼休みの小町の事を聞かされた。どうやら、男子に連れて行かれた小町を心配して様子を見に行ったらしい。

「……そうか……」

「比企谷先輩……なんとかできないんでしょうか?」

 現状、なんとかする手段はあるにはある。しかし、それには人を頼らなくてはいけない。これ以上誰かを巻きこみたくはなかった。しかし、目の前で小町のために不安そうにしている少女にそんなことは言えなかった。

「俺がなんとかする。だから、君は小町を支えてくれないか?」

「……わかりました」

 強い目だ。小町はいい友達を持ったようでお兄ちゃんはうれしい。

 彼女と別れて教室に戻る。授業は聞くつもりがなかった。ひたすら考える。これ以上、被害を広げない方法を。

 

 

「うす」

「あ、お兄ちゃん!」

 放課後、奉仕部の扉を開くと小町が抱きついてきた。顔を少し上げてくるが、目は合わさない。だが、若干赤くなった目を見た瞬間、胸が締め付けられ、小町を抱きしめ返す。

「公共の場でそういうことはやめてくれないかしらシス谷君」

「開口一番にそれはひどくないっすかね……」

 部室にはすでに雪ノ下と由比ヶ浜、一色もいた。いやだからなんでナチュラルにいんだよ一色。まあ、今回はそれで都合がいいわけなのだが。

「今日は皆に話がある」

 まじめなトーンを出すと皆顔色を変える。こんな話は正直したくないし、簡潔に済ませたい。だけど、勇気が足りなくてゆっくり、ゆっくりとしゃべりだす。

「……一月前から再燃し始めた俺の噂が途絶える様子がない。何か対策を講じようにも、やはり無視するのが最善だ。だけど、お前達にまでいやな噂が飛び火し始めている。だから……」

 噂を抑える対応策がないならその問題はもう無視だ。それなら別の問題、別の人間に余計な被害が及ばないように策を講じる。見た目は変わっても、俺にはやっぱりこれしかないから……。

「だから、当分お前らとの接触を避ける」

「なっ……」

「えっ」

「ちょっと、せんぱい!?」

「……お兄ちゃん」

 小町以外は驚きに目を見開いている。小町は……俺に相談したことを友達から聞いたのかも知れない。どこか沈んでいるが、取り乱した様子はなかった。

「噂の収束は見込めそうにない。恐らく、情報発信者が定期的に流している可能性があるから、そいつを発見、説得するまで奉仕部にも来ないし、一色の手伝いもできない。それに……」

 小町の方を見る。視線に気づいた小町が顔を上げた。そんな顔するなよ。いつもみたいに「ばかだなあ、ゴミいちゃんは」って呆れてくれよ。先の言葉が言えなくなりそうになるが、嫌な感情を理性で丸めこむ。ごめん、と心の中で謝りながら言葉を紡ぐ。

「登下校、昼食は一人でする。小町は昼飯は友達と食べてくれ」

 できるだけ優しい顔をしようとした。したつもりだった。けれど、自分でもわかるくらい表情筋は硬く、きっと名前もつけられないようなちぐはぐな顔をしていただろう。

「あなたは、またそうやって自分を犠牲にするの?」

「犠牲じゃない。そもそもこれは俺の撒いた種の結果だ。お前達に被害が及ぶのは本意じゃない」

 努めて自然な表情に戻す。できているかどうかは分からないけれど。

「けどヒッキー、情報発信者探しはどうするの?」

「俺一人でやる。お前らが動けばきっとありもしない新しい噂が流れるから、お前らはなにもせず、いつも通り過ごせ」

 俺と関わらなければ、噂のせいで皆が俺から離れていったと考えるはずだ。そうすれば、こいつらに変な噂が立つこともないはず――。

「……だよ」

「小町?」

 静かだった小町の方を見て、息をのむ。小町は両目いっぱいに涙をたたえて俺を見ていた。嗚咽を漏らしそうになる口を戦慄かせて、しかし、目はしっかりと俺を見据えている。

「やだよ! 小町はお兄ちゃんと一緒にいたい! 一緒に学校行きたいし、一緒にご飯食べたい! 帰りも学校の話しながら一緒に帰りたい!」

「しかし小町、俺といるとお前まで悪い噂が――」

「いいもん! 小町はそれでもお兄ちゃんと一緒にいたいんだから! だって小町は……小町は……っ」

 言葉を飲み込み、小町はふらふらと入り口に向かう。 かける言葉が見つからない。葉山なら、こういうときうまく切り抜けるのだろうか。いや、そもそもあいつはこんな状況にはなりえない。こんな状況を作ってしまったのは俺だ。問題は起こすのに、解決ができない。身体は鉛のように重い。

 扉に手をかけた小町は、振り返ることなく静かに入口を開く。

「お兄ちゃんの……バカ」

 逃げるように走っていく小町を、俺は呼び止めることも、まして追い掛けることもできなかった。

 




もうちょっと書き進める予定でしたが、キリがいいので今回はこの辺で。

五人もいると誰にセリフを言わせるか悩むとこですね。
こういうところも練習しないとなー

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