夜を染める黒(旧題 : 俺ガイル×ブラック・ブレット)   作:つばゆき

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血染めの大地、眩き光芒

 

 八幡が影胤との死闘に身を投じる数分前、蛭子影胤追撃作戦本部は不気味なほどの静寂を保っていた。

 

 大型スクリーンからは、衛星から絶え間無く送られてくる戦場の様子が窺える。画面には比企谷八幡と、蛭子影胤、小比奈の三人が映し出されていた。

 

「天童社長。比企谷さんは……」

 

 聖天子の声音には隠しきれないほどの焦燥、そして不安の色が滲み出ている。ステージⅤスコーピオンの召喚が成され、唯一の撃退の可能性である《天の梯子》による狙撃すら影胤によって妨害されようとしている。当たり前といえば当たり前なのかもしれない。

 

「……確かに彼の選択は理に適っています。アクシデントが起こった際に対処しきれない可能性の高い単独での《天の梯子》到達は避け、里見くんたちを先行させた上で自らは殿を務める────この状況下、1%でも可能性を上げるためには最も合理的な判断とも言えるでしょう」

 

 木更は言いながらも自分で分かっていた。聖天子が言いたいことはこんなことではないと。

 

 おそらく、東京エリアが滅ぶ滅ばないに関係無く八幡は死ぬ。蛭子ペアを撃破しない限りは生き残れない。それは八幡自身も分かっていることだろうし、八幡自身が選択したことでもあった。

 

「里見くん曰く、白兵戦にかけては自身と比企谷くんの実力は拮抗しているとの事。時間を稼ぐという点においては十分のはずです」

 

 聖天子が何か言いたげな顔で口を噤む。八幡をどうにか助けたいという気持ちがあるのだろうが、それは無理な相談だった。仮に八幡が単独で《天の梯子》到達を目指したとしても、起動させれば影胤に目論見が露見する。

 

 そして、今ここで里見ペアを八幡のもとに引き返させれば東京エリアの大絶滅が確実なものになる。東京エリアが助かるのかもしれない最後の可能性までも踏みにじることは出来ない。それがどんなに薄い希望だったとしても。大局を忘れて私情に走るのは権力者として下の下の行為だ。それを分かっているからこそ、聖天子は何も言えずに黙り込むしか無かったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 影胤と八幡が対峙する。足元の砂利が耳障りな音を立てる。

 

 蛭子影胤。今まで何百体もの死体の山を築き上げてきた悪鬼。それが今、目の前にいる。

 

 蛭子影胤の武装────遠距離では、スパイクと銃剣を取り付けたフルオートカスタムベレッタ二挺。多弾倉マガジンにより継戦能力の増大が図られている。

 

 近距離においては先ほどのカスタムベレッタに取り付けてあるスパイク及び銃剣による近接攻撃。そして蛭子影胤の代名詞とも呼べる斥力フィールドの展開。斥力フィールドは範囲の拡大が可能で中距離までカバー。格闘能力においては近接戦闘に特化した里見蓮太郎を以ってしても手に余る実力。他の武装は確認されていない。

 

 蛭子影胤のパートナーであり、娘である蛭子小比奈の戦闘能力。腰に差した二本の小太刀による近接攻撃が戦闘の要。カマキリの因子を持つ、モデル・マンティスのイニシエーターであり、足を止めての近接戦闘は自殺行為。

 

 遠距離攻撃の手段こそ無いものの、高精度の小太刀の投擲が可能。更に中距離程度ならば一瞬で距離を詰めてくるほどの身体能力を有する。

 

 対して、比企谷八幡の武装。遠距離では司馬重工によって改良されたフルオートグロック拳銃、グロック18Sが二挺。こちらも蛭子影胤と同様に、多弾倉マガジンにより継戦能力の向上が図られている。更に破砕手榴弾と閃光音響弾が一つずつ。スナイパーライフルと短機関銃、その他銃火器は近接戦闘に支障が出るため持って来ていない。

 

 近距離ではバラニウム製のタクティカルナイフが一本。ただし通常のナイフより若干刃渡りが長く、バラニウムの純度も高いため壊れ難い。こちらは小比奈との近接戦闘の補助として扱う事となるだろう。それに、グローブや戦闘服の各所に隠された暗器。これは暗殺専用の武器の為この場では役に立たない。

 

 そして、比企谷八幡の切り札にして最大の武器である、両脚の義脚による攻撃。脚部に搭載されたスラスターユニットの推進力による基本攻撃力の底上げと三次元高速機動だ。現状の八幡の頼みの綱は前述の通りスラスターユニットの加速を主とした機動力だが、身体に甚大な負担がかかるため濫用は出来ない。一対一ならまだ手の打ちようがあったが、相手が二人では攻撃を回避するだけで手一杯だった。正直、手詰まりだ。

 

 だが、現在の八幡には《奥の手》なるものが存在する。

 

 《AGV試験薬》。20%もの超高確率でガストレア化する危険を孕んでいるものの、それに耐えればガストレア並の再生力を発揮出来る禁断の一手。無論、これを使うときは賭けの成分が大きくなる。しかも、仮にガストレア化しなかったとしてもそれが決定打には成り得ない。だが、事実これしかないのだ。最悪これを行使すればある程度の被弾は無視出来る。そこから活路を見出すしかない。

 

 

 

 

 

 足を止めてのお互いの初手の読み合い。この僅かな均衡を先に破ったのは小比奈だった。

 

 延珠の追跡を阻まれたという憤怒を滲ませ、小比奈がコンクリートの大地を踏み締める。彼我の距離は二十m弱。弾丸のように飛び出した小比奈はその距離を一秒もせずに詰めてくる。

 

 「邪魔を、するなぁあああっ!!」

 

 次の瞬間振るわれる二本の凶刃。凄まじい速度で振るわれるそれらを超バラニウムの右脚で応じる。甲高い金属同士の摩擦音を立て、八幡は支えとなっている左脚を地面に陥没させながらも小比奈をなんとか押し返す。先の一撃で小比奈のイレギュラーさを身を以て思い知る。小比奈の攻撃を押し返せたのは一重に彼我の体格差があったからだ。仮に小比奈の体格が八幡と同等か、もしくは筋力特化型イニシエーターだったとしたらそのまま押し込まれた可能性が高い。八幡は戦慄しながら態勢を立て直す。

 

 小比奈に向かってグロックをドロウ、セミオートで牽制射撃。小比奈は放たれた弾丸を全て小太刀で斬り伏せながら後退する。

 

 射撃を継続しようとして不意に強い殺気を感じる。咄嗟に身を屈めると、爆音の如き銃撃音と共に八幡の頭があった場所を銃弾が飛び去った。小比奈が後退するや否や今度は影胤のカスタムベレッタから放たれた銃弾が八幡に迫る。銃口の向きやトリガーに意識を集中し、紙一重で回避。直後に義脚を解放し、スラスターユニットから蒼白い炎を迸らせながら加速、影胤に向かう。八幡はフルオートで乱射される弾幕のなかに僅かな間隙を見出し、そこに身体を躍らせる。加速した八幡の服や髪をカスタムベレッタの弾丸が掠め、すぐ後ろの地面を穿つ。

 

 スラスターユニットを行使し、全力疾走の数倍────否、それを軽く超えるスピードを誇る八幡を、目で追いながら銃撃を行っているのだ。凄まじい精密射撃。とても二挺拳銃を使っているとは思えない。

 

「マキシマム・ペインッ!」

 

 影胤が腕を振るうと、青白く輝くドーム状のフィールドが八幡に迫る。斥力フィールドでの迎撃。八幡にとっては既に想定済みの一手。だからこそ八幡はそれを避けない。それよりも斥力フィールドの展開を認識した上で更に加速を図っている。

 

 その様子を無謀と受け取ったのか、はたまた蛮勇と評したのか、影胤が一瞬哀れむような視線を向ける。八幡はそれに対し不敵に笑ってみせた。

 

 眼前に迫り来る燐光に八幡は何ら臆することなく挑みかかる。脚部ユニットから燃料を燃焼爆発させ、ジェットエンジン排気と共にスラスターから排出、超加速。

 

 轟然と風を切る音を立てながら八幡の義脚が円い弧の軌跡を描く。次の瞬間、超バラニウムの義脚と対戦車ライフルの弾丸をも弾く斥力フィールドが轟音と共に空中で衝突した。衝撃波が大気を震動させ、足元の砂利を円弧状に吹き飛ばす。

 

 数秒にも満たない刹那の拮抗の後、盛大な音を立てながら両者互いに大きくノックバック。常人ではまず見ることのない膨大な力と力の衝突。果たして競り勝ったのは八幡の方だった。

 

「斥力フィールドを押し返したのか……!」

 

 斥力フィールドは破られてこそいないものの、最大出力だったにも関わらず障壁は軋み上げ、影胤の内蔵にも負荷がかかっている。

 

 噴射加速機構を十全に使い、充分な加速を果たした八幡の義脚は、本来のスペック以上の性能を発揮した。先の一撃はおそらく蓮太郎の義肢に匹敵する威力だったに違いない。影胤は自らの斥力フィールドに真正面から対抗し、なおも立っている八幡の姿に瞠目する。

 

「……あまり舐めて貰っては困る」

 

「ほう…………ならば、認めよう。どうやら君は、私が全力を出すに値する敵のようだ」

 

「……そいつは光栄だ」

 

 口元に若干の笑みを浮かべて肩を竦めると、再びスラスターを吹かして再び影胤との距離を詰める。ここで防御に徹するのは下策だ。人数で劣っている以上、戦闘の流れが完全に向こうに回れば撃破されるのは時間の問題となる。ならばせめて戦いの主導権はこちらが握っておかなければならない。

 

 影胤の前に小比奈が立ち塞がる。八幡は今まで『呪われた子供たち』のことを気にかけてきたが、今眼前にいる小比奈は敵だ。それも快楽と悦のままに人を斬り続けてきた殺人鬼。ならば手加減などする余地も無い。全力で以って叩き潰す。

 

 加速した勢いを乗せて八幡が脚を振り下ろす。高速で繰り出された踵落としを小比奈は二本の小太刀を交差させて受け止めた。細い腕を軋ませ、両足を地面に陥没させる。先ほどとは真逆の構図。

 

 八幡の攻撃力を甘く見ていたらしい、想像以上の重い一撃を受け止めた小比奈が僅かに苦悶の表情を見せる。小比奈の出鱈目な剣技ではなく、修練を積んだ研ぎ澄まされた一撃。蛭子影胤に屠られた、今は亡き伊熊将監のように筋力に物を言わせた一撃ではない。同じ体格同士でも、武術に通じているか否かでは決定的な威力の差がある。今の八幡がそうだろう。それに義脚の加速を重ねた一撃は、『呪われた子供たち』である小比奈と同等以上の攻撃力を発揮している。だが、イニシエーターの膂力はこの程度では屈しないらしい。

 

「防ぎきったか……ッ」

 

 悪態をつく。が、その間にも八幡の義脚を弾き返した小比奈はすぐに態勢を立て直し、凄まじい速度で追い縋ってくる。八幡は一旦バックステップで距離をとると、ナイフシースからタクティカルナイフを展開し、小比奈を迎え撃った。

 

 右手にナイフ、左手に拳銃。対して小比奈は両手に小太刀の二刀流。互いの立ち位置を目まぐるしく変えながら八幡は小比奈と互角に切り結ぶ。……互角? 否、現状では八幡が優勢だ。

 

 何故か。それはリーチの長さだ。仮にも高校生である八幡と、たかだか十歳の小比奈の間には、手足の長さ、埋め難いリーチの差がある。八幡は常に小比奈の小太刀の届く範囲に入らないよう立ち位置に気を使うことで、小比奈の土俵に立たないようにしていたのだ。加えて、八幡の左手にはグロック拳銃が握られている。不用意に近づけば迎撃不可能な超至近距離からフルオートで銃弾を叩き込まれかねない。その上、小太刀を捌く、いなす事に注力していれば拳銃でも対応可能。両手の小太刀しか使えない小比奈に対し、八幡は両手両脚を使えるというアドバンテージを持っている。

 

 立ち位置に気を使い、小太刀を上手くしのげれば、八幡は小比奈の攻撃範囲外から圧倒的な手数で一方的に攻撃出来る。事実小比奈は苛立ちの表情を露わにさせている。八幡は内心ほくそ笑んだ。感情の昂ぶりと比例してだんだんと太刀筋も直情で読み易くなっていっている。だが、決して油断だけはしない。充分に加速の得られない状況では、小比奈と比べて一撃の攻撃力の差がある。八幡も小比奈が重い一撃を出しにくいようにしているのだが……

 

 八幡と小比奈の間には、もう一つ決して埋められない差があった。それが、技術の差だ。小比奈はイニシエーターらしく、身体能力において八幡を圧倒している。だが、八幡はそれを埋め合わせるだけの技術を持っていた。幾度も修羅場を潜り抜けてきた八幡の技巧と経験は、小比奈との身体能力の差を補って余りある。

 

 八幡は小比奈を懐に入れないように小太刀をしのぎ、牽制射撃を繰り返す。影胤からの援護射撃も小比奈との立ち位置を工夫することで避け、器用に立ち回る。そのお陰で攻めきれないというのもあるが、大した問題ではない。そう遠くないうちに小比奈の集中力も途切れる。攻勢はそのときに仕掛ければ良い。

 

「────!」

 

 銃撃音が途絶えた。そう悟ってから数秒。間近に強烈な殺気を感じて飛びすさると、八幡の鼻先を白い手袋のついた拳が擦過した。八幡は再びバックステップで距離をとると、大きく舌打ちをする。

 

「よく避ける……。想像以上だよ、比企谷くん」

 

「二人揃って前衛かよ……。全く、大人げ無いな」

 

「このままでは埒があかなそうなんでね」

 

 それに、舐めて貰っては困ると言ったのは君だろう、と付け加える。拳を振り抜いた姿勢から手を開閉させ、首の筋をコキコキと鳴らしながら影胤がこちらに向き直った。

 

 状況は極めて良くない。影胤もこのままではジリ貧、最悪小比奈が撃破されると踏んだのだろう。的確な状況判断。加えて自ら前衛に出て来る大胆さもある。やはり、手強い。今まで有利に戦況を運んでいたが、それはあくまでも一時的なもの。イニシエーターの小比奈はともかく影胤の戦闘力は未だ計り知れない。

 

 影胤と小比奈が二人掛かりで八幡を襲う。影胤が八幡のグロックの射撃を斥力フィールドで弾きながら接近、右脚を振り上げ回し蹴りを放つ。八幡はすんでのところで上体を反らして回避、勢いを殺さず倒立背転を繰り返し、距離をとる。顔を上げると影胤の仮面の奥の目と視線が絡んだ。

 

 滑らかに滑り込むように踏み込み、繰り出された影胤の鋭い拳が八幡の拳打と打ち合わされる。八幡の総身を衝撃がビリビリと走り抜け、鈍い痛みに歯を食い縛る。

 

 弾き返されそうになる勢いを無理矢理殺し、影胤の懐に飛び出す。超至近距離でグロックをドロウ、影胤も同様にベレッタをドロウ。

 

 次の瞬間始まるガン=カタ。照準したグロックの銃口は影胤の手甲によって弾かれ、鼻先に突きつけられたベレッタはグロックの銃把で照準をずらす。連続する銃撃。飛び出る弾丸が八幡の頬を掠め、影胤の燕尾服を破く。ナイフを抜く暇はない。距離をとる隙もない。ならばこの超至近距離の銃撃戦で活路を見出すしかない。

 

 凄まじい殺気とともに風を切る音が耳に響く。今まで培った勘に任せて身を反らすと、八幡の首があった場所を鈍く輝く小太刀が過ぎ去った。思い切り後方に跳躍し、続く二撃を回避する。間髪入れず放たれる影胤の追い打ちの射撃。スラスターユニットを吹かし、加速しながら空中で強引に身を捻る。地面を穿つ弾丸のうち一発が八幡の肩に命中し、バランスを崩させた。なんとか姿勢を立て直し、靴の跡を引きながら着地する。

 

 激痛に疼く肩の銃創を抑えながら影胤を睨めつける。傷口が燃えるように痛い。だがどうしようもない。部位が部位ならナイフを突き刺してでも除去したが、肩の、それもかなり深くまで入り込んでいるためそれもできない。銃撃を受けた方の腕の動きが鈍るのも必至だ。

 

 そして八幡は未だ劣勢のまま、戦闘は佳境に突入した。

 

 

 

 

 

 一転して変わった戦況で、八幡は影胤と小比奈に圧倒される。これでも親子というべきか、想像以上の連携に八幡は舌を巻いていた。銃剣付きのベレッタと斥力フィールドを巧みに使い分ける影胤も然ることながら、小比奈も先ほどとは一転、本来の鬼神の如き強さを発揮している。先ほど圧倒されていた鬱憤を晴らすかのように小太刀を振るっている。小太刀の二刀流も攻撃を重ねていくうちにどんどん回転数が上がっており、いずれ八幡も対応しきれなくなるだろう。

 

 言いようのない焦燥が八幡を襲う。先ほど無理をしてでも小比奈を仕留めておくべきだったか。今更のように後悔するが、もう過ぎたことは覆せない。

 

「考え事とは、随分と余裕だね」

 

「ッ!?」

 

 防御の際に生じた一瞬の隙を狙ったのか、影胤が至近にまで接近していた。悪趣味な装飾のついたカスタムベレッタが八幡の眉間に照準される。必死に頭を逸らしてベレッタの射線から逃れる。すると影胤は逃れた八幡を追うようにさらに深く、大きく踏み込み、ベレッタのスパイク部分で八幡の頭部を殴打した。

 

「ぐっ!」

 

 よろめいた八幡を追い打つように小比奈が距離を詰めてくる。一撃、二撃。三撃目を防いだところで不意に顎を強烈な衝撃が襲った。小比奈が八幡の顎を蹴り上げたのだ。全くもって出鱈目な剣技だ。四肢全てが凶器と成り得るのか。揺らされた脳でそんなことを考える。

 

 たたらを踏む八幡目掛けて更に振るわれる漆黒の刀身。何人もの人間、ガストレアの血を吸ったそれは、反応が遅れた八幡の胸、腹を容赦無く斬り裂いた。

 

「があぁぁぁッ!!」

 

 次の瞬間、傷口からおびただしい量の血が吹き出し、返り血が小比奈の凶相と影胤の白貌を紅く染める。怨敵の血潮に小比奈が口元を歪める。更に一瞬後、八幡は衝撃と共に紙屑のように吹き飛ばされた。小比奈が小太刀を振り抜いた姿勢から思い切り体当たりをしたのだ。

 

 吹き飛ばされた八幡は風化して脆くなったコンクリート製の廃ビルに激突した。十年来放置され続けた廃ビルは想定外の衝撃に耐えきれず、激突した一階部分の壁を圧壊させる。

 

 

 瓦礫の山の中、粉塵と自らの血に塗れながらも八幡はゆっくりと身を起こした。

 

 ……立ち上がれなかった。

 

 体が重い。視界が暗い。胸部、腹部から足元にかけておびただしい量の血が八幡の体を濡らしている。このままでは失血多量で死ぬだろう。

 

 死ぬ?冗談じゃない。死んでたまるか。ここで死んだら世界が終わる。

 

 まだ終われない。

 

 八幡はおぼつかない手で懐から一つの注射器を取り出した。

 

《AGV試験薬》。緩慢な動作でキャップを取り外すと、おもむろに針を腹部に突き刺した。中の液体を全て体内に注入しきったのを確認すると、針を引き抜いて注射器を投げ捨てる。変化はその直後に起こった。

 

 心拍数が急上昇し、呼吸が荒くなる。体が灼けるように熱い。鼓動の音が大きくなり、自分の鼓動の音しか聞こえなくなる。

 

 頭部、胸部、腹部に負った傷が目に見えて再生していく。めり込んだ弾丸も外に押し出され、切創、銃創が癒着していく。まるで自分の体じゃないようだ────と、他人事のように考える。体の内側からの突き上げるような衝撃に上体を仰け反らせ、喀血した。

 

 傷が治癒しきったようだ。視野が明るくなっている。依然として体は重い上に、痛みの残滓も残っている。が、痛いだけだ。動けないわけではない。

 

 瓦礫と粉塵の舞う中、八幡はゆらり、と幽鬼のように立ち上がった。

 

 その姿を見咎めた影胤が瞠目する。

 

「…………まだ、立ち上がるのか」

 

 戦慄する影胤に八幡は凄絶な笑みを浮かべる。普段の玲瓏な印象とは程遠い────見る者全ての背筋を凍らせる、凄味を帯びた表情。暗殺者としての八幡ではない、八幡が初めて見せる、機械化兵士としての顔だった。

 

 

 義脚を完全に解放した加速。今までにないほどの加速を見せた八幡は、風を切りながら敢然と二人に挑み掛かる。全身の重量をその脚に乗せ、先ほどと同様の凄まじい威力の踵落としを繰り出す。

 

 また同じ攻撃か────と、影胤が両腕を交差させてその攻撃を受け止めた。受け止めた腕を軋ませながら、影胤は想像以上の重い一撃に両足を地面に陥没させる。

 

 八幡は先の一撃とは異なり、受け止められた脚を軸に全身を持ち上げる。完全に全身を宙に浮かせた状態で再加速。空中でスラスターノズルを後方に展開し、一気に影胤の背後に回り込む。

 

 一瞬で後ろに回り込まれた驚きよりも、影胤には長年培った勘が勝った。後方からの二連撃をどうにか躱すと、裏拳を叩き込む。が、繰り出された拳はあえなく空を切った。不意に全身に怖気が走り、上体を反らすと一瞬前まで影胤の頭があった場所を側面から繰り出された八幡の義脚が擦過する。

 

 鳥肌が立ち、バックステップで距離を取ろうとするが、八幡はそれ以上の反応速度で影胤に追いすがる。

 

 十合、二十合と影胤の拳や小比奈の小太刀が八幡の義脚と切り結ぶ。通常の戦闘ではありえない機動をする八幡に、影胤や小比奈も対応が追いつかない。今の二人は銃弾や拳打、一撃が致命傷と成り得る蹴りなどが四方八方から降り注いでいる状態に等しいのだ。

 

 地を這うように駆け、隼の如く宙を鋭角に舞う八幡を捕捉するのは正しく至難。一挙手一投足どころか総体すらブレて視認もままならないほどである。八幡が踏み締めた地面は罅割れて陥没し、足場として蹴った壁面は金属部分がひしゃげて捻じ曲がっている。

 

「なっ────!」

 

 攻撃を受けたと思ったら後方に回り込まれている。カウンターとして放った拳は嘲笑うかのように回避され、一撃一撃が嘘のように重い。それに対し影胤と小比奈が劣勢ながらも対抗している時点で尋常ならざる事態ではあるが、その状態が長続きするとは想像に難かった。

 

 八幡の表情が苦悶に歪む。視認不能な程の高速で機動を繰り返すあまり、内蔵が甚大なダメージを受けている。塞がりかけている傷も再び開き、血が滲み出している。だが────

 

 AGV試験薬の効果は想像以上だった。小比奈に切り裂かれた傷は開きながらも治癒を開始し、内蔵は凄まじいダメージを受けながらもそれでも機能している。身体が動くならそれで構わない、と八幡は口角から血を飛ばしながら更に加速する。

 

 八幡が空中で何度もノズルの向きを変えながら跳躍し、噴射された炎が蒼い軌跡となって八幡の機動の凄まじさを物語る。スラスターユニットを使用した多角形三次元機動こそが機械化兵士、比企谷八幡の真骨頂。地表空中関係無く縦横無尽に舞うその姿は人の耐えられる限界を超えてなおも加速する。

 

「うおおぉぁぁぁぁッ!!」

 

 身体に掛かる負担を度外視し、更なる加速を図る八幡が喉も張り裂けんばかりに咆哮する。身体に掛かる無視出来ないほどのGが、八幡の身体を軋ませ、至る所で内出血。いつ何処で全身の腱が切れるか、骨が折れるか分からない。否、既に何本かに罅が入っているが、それすらも無視して機動を続ける。

 

 小比奈のガードが崩れた。好機と判断した八幡が更に踏み込む 。凄まじい速度の蹴り上げ。小比奈の小太刀が跳ね上がる。横合いからの影胤の拳を左腕でいなし、手持ちのグロックで牽制射撃。グロックの弾薬が尽き、リロードをしながら後方上空に飛び上がる。

 

「────ッ」

 

 ポーチから閃光音響弾を取り出し、影胤と小比奈の中間に投擲する。

 

「くっ…………!」

 

 影胤が斥力フィールドを展開し、小比奈が後方に跳躍する。直後、網膜を覆う程の閃光が視界を真っ白に焼き尽くす。

 

「っあ、ああっ!」

 

「────クッ」

 

 小比奈の悲鳴と影胤の舌打ち。咄嗟に破砕手榴弾と閃光音響弾の区別がつかなかったのだろう、斥力フィールドの展開に成功した影胤は衝撃波こそ最小限に抑えたものの、発した光に網膜を焼かれその場から動けなくなっている。斥力フィールドの恩恵を受けられず、後方に跳躍しただけの小比奈は言わずもがな、衝撃波と閃光、大音響の全てをまともに受け、着地すら危うい。

 

 手持ちの手榴弾はこれで尽きた。AGV試験薬の効果も既に消えかかっている。これでどちらか一方を脱落もしくは負傷させなければ、押し込まれる。

 

 腰のホルスターからもう一挺のグロックをドロウ、さながら二挺拳銃のように銃口を小比奈に向けつつ接近、フルオート射撃。腕を蹴り上げる二挺の感覚は反動を軽減させる改良を施したとはいえ無視出来ないほど大きい。

 

 小比奈は未だ視力の回復仕切っていない目をこじ開けながら応戦する。だが、相手は毎分1200発もの弾丸を吐き出すフルオート射撃拳銃二挺だ。驚異的な動体視力で何発も斬り伏せていくが、捌き切れずに肩、腹、腿と被弾していき、苦痛にその顔を歪ませ、衝撃に身体を躍らせる。両手のグロックがほぼ同時に弾切れ。ホルスターに二挺を仕舞い流れるような動作でナイフシースを展開し、タクティカルナイフを取り出す。────投擲。

 

「ぐっ!」

 

 身体の各箇所を被弾していた小比奈が強引に投擲されたナイフを弾く。だが、刀身が長くそれなりに質量のあるナイフを強引に弾いた代償は、小比奈の態勢を大きく崩すという形で現れた。

 

「────シッ!!」

 

 スラスターユニットを使用し、至近距離で放つ全力の蹴り上げ。その一撃は小比奈のガードに使われたもう一本の小太刀を遥か遠くまで弾き飛ばした。そして────

 

「がっ…………かはっ」

 

 八幡の拳が小比奈の鳩尾に捻じ込まれ、動きを止めた小比奈はゆっくりとその場に崩れ落ちた。

 

 やっと一人。それを認識するとほぼ同時に全身の骨、筋肉が軋み上げ、悲鳴をあげた。負担を無視して無理矢理機動を続けた代償だろう。骨に罅が入り、腱がボロボロになっている。無茶をした代償がこれだ。その痛みが認識出来るようになって初めて八幡も自身の身体の損耗の酷さを思い知る。

 

 不意に、左肩に激痛。痛みに呻く暇もなく振り返ると、カスタムベレッタを構え、その目を憎悪に燃やした蛭子影胤がいた。

 

「……何故だ。何故私達の邪魔をする? ゾディアックスコーピオンは既に召還された。もう幾らもしないうちに東京エリアまで到達する。私達、機械化兵士は殺す為に造られた。戦争が始まれば、私達の存在意義が証明される。再度のガストレア戦争の勃発こそが、我々新人類創造計画の兵士の勝利のはずだ!」

 

「ふざけるな。新人類創造計画の兵士の勝利? 再度のガストレア戦争の勃発? 俺はそんなもの望んじゃいない。里見たちもまた然りだ。お前等の勝手な都合で、関係のない俺たちを巻き込むんじゃねぇ!」

 

 八幡のどろりと淀んだ眼が凄みを帯び、影胤の紅蓮に燃える双眸と正面から睨み合う。

 

「君には分からないのか? 呪われた子供たちは、未だ社会から人を人とは思わぬような扱いを受けている。私達もこのままでは誰からも必要されないまま朽ちていくだけだ。憎しみは消えない。戦争は終わらない。私達は必要とされる! さぁ戦争を! もっと闘争をッ!! これは私の私による私のための戦争だ。誰にも邪魔はさせない」

 

「貴様一人の都合で、一体何人の人間が犠牲になると思っている!? 貴様がやっていることはただのテロだ。貴様が垂れ流しているのはただの妄想だ! 貴様こそ分からないのか! 貴様の語る馬鹿げた理想とやらで、人類が滅ぶかも知れねえんだぞ!!」

 

「テロか。あぁ、テロで構わないとも。人類の滅亡? そんな事は些事に過ぎん。所詮この程度のことで生き残れないようでは、どのみち私の掲げる理想郷の中で、ガストレアに屠られるだけだ」

 

 影胤の演説は続く。

 

「────私は選ばれた。里見くんたちも選ばれた。君も、君がかつて失ったあの子もだ。君だって里見くんのイニシエーターが学校で受けた事の顛末を、知らない訳ではないだろう? 君は今の立場に甘んじたままで良いのか? 自己顕示欲は無いのか? 私に従えば、君の欲望の全てが満たされる。さあ、比企谷八幡。私と共に来い!」

 

「黙れ!! 俺は貴様には従わない。それと────」

 

 八幡は拳を握り締め、血走った目で続けた。

 

「二度と俺の目の前で、その子の事を口にするんじゃねぇ……!!」

 

「ならば、死ね!!」

 

 影胤が八幡に向かって飛び出す。こちらの消耗を鑑み、もう義脚がほとんど使えないと踏んでの事だろう。その判断は正しい。事実八幡の酷使された身体は既に限界に近い。骨の至るところには亀裂が入り、激痛を発している。特に損傷が酷い左腕は腱が切れかかり、その上影胤の銃撃を受けてほとんど動かない。鎮痛剤を注射したとしてもせいぜいがグロックの射撃程度だろう。だが、ここで殺されるわけにはいかない。

 

 影胤と繰り広げる近接格闘。ナイフは喪失。手榴弾は既に二種類とも使い切った。残る武装は戦闘服やグローブに仕込んだ暗器とグロック拳銃二挺のみ。暗器は当然暗殺用のため使用に耐えない。グロックは残りマガジンは二つ。数は限られている。弾幕を張ればすぐに弾切れを起こすだろう。

 

 影胤の損耗はほとんど無いと言っていい。あるとすれば最初に八幡の義脚と斥力フィールドがぶつかり合った際、影胤の内蔵にどれだけダメージがあったかだが、期待は出来ない。だが、見る限りは相当疲弊しているはずだ。武装は当初と変わらずカスタムベレッタ二挺のみ。どれだけ控えめに見たとしても圧倒的に八幡が不利。

 

 両者の拳がぶつかる。走る激痛に顔を歪ませながら振り上げた右脚は影胤の左腕に阻まれた。首筋を狙った手刀を頭を屈めて躱し、肘を鳩尾に叩き込もうとするが、不意に跳ね上がった影胤の膝が二の腕を蹴り上げる。走る鈍痛────腕を庇いながら半歩後退。腹部を狙って踵から入る回し蹴り。下げられた腕と上げられた脚によって防御される。一合、二合が全身に激痛をもたらし、苦痛に声を上げそうになる。

 

 中途半端に距離があいたことにより、影胤がカスタムベレッタを構えた。狙うは八幡の頭部。背中に流れる冷や汗。勘に従って咄嗟に上体を反らせると、一瞬前まで八幡の頭部があった場所を銃弾が通り過ぎた。

 

 銃撃が途絶える。おそらく弾切れ。反らせた勢いのまま再び倒立背転を繰り返し、距離をとる。

 

 始まる銃撃戦。互いに弾数の限られているなかでの撃ち合い。八幡の放つ弾丸を影胤は斥力フィールドで防ぎ、影胤の放つ弾丸は高機動で回避する。三次元機動こそ出来ないもののそれでも機動力は折り紙付きだ。あとは銃撃のときに途切れる斥力フィールドの合間を狙って撃てばいい。

 

 弾薬が切れたのか、はたまたここで決着を着ける気か。ここが正念場だと彼とて弁えているのだろう、影胤が八幡に向かって突っ込んできた。近付かせてはいけないと、八幡の本能がそう叫ぶ。両手のグロックでフルオート射撃をしながら後退。斥力フィールドは貫けなくとも、気を散らすことは出来るはず────

 

 突如、鈍い金属音と共にトリガーが固まった。八幡が戦場に於いて数えるほどしか遭遇したことのない、それでいて致命的な────

 

 まさか……弾詰まり!?

 

 表情を凍らせた直後、影胤がすぐ近くまで接近していることに気付いた。不味い、そう思ったときにはもう遅い。紅い燕尾服の長身が、蛇のように滑らかに、八幡の懐に滑り込む。右腕を身体の後ろに引き絞り、八幡の身体を貫かんと力を込める。手の形からして繰り出されるのは掌底。全力で跳躍しようとするが間に合わない。

 

「エンドレスッ────」

 

「しまっ────」

 

「スクリイイイイイムッ!!」

 

 瞬間、抗い難い衝撃が八幡の全身を襲った。影胤の右腕が炸裂した腹部を中心に、頭部から爪先まで凄まじい衝撃が駆け抜ける。吹き飛ばされた八幡は紙屑のように宙を舞い、コンクリートの壁面に、再び強かに叩きつけられた。受身などとる余地もない。内蔵を滅茶苦茶にかき混ぜられたような影胤の掌底は、八幡の脳内を激痛だけで支配するには十分過ぎる威力を持っていた。

 

 痛みが全身を支配するなかで、八幡は無理矢理身を起こす。先ほどの掌底は、威力こそ凄まじかったものの、それでもまだ身体は動く。ならば、影胤に追撃の隙を与えてはいけない────

 

 そう思い、立ち上がろうとした瞬間、八幡は大量に喀血し、力を込めたはずの脚はあまりにも呆気なく地面に屈した。

 

「────な…………?」

 

 理解出来なかった。何故身体に力が入らないのか、何故足元に大量の血溜まりが出来ているのか、何故こんなにも頭がぼんやりとするのか。

 

 八幡は自らの腹部の惨状を見て、あぁ、と呟いた。

 

 八幡の脇腹には、円い大きな穴が空き、色鮮やかな内蔵が覗いていた。

 

 八幡は影胤の掌底を食らう直前に一瞬見えた、右腕の周りの燐光を思い出した。あれは影胤がいつも斥力フィールドを発生させるときに生じる光だ。そして、先の八幡の腹部を貫通せしめた技はその応用。おそらく斥力フィールドを円錐の槍状にして腕の周りを覆ったのだろう。

 

 背後への咄嗟の跳躍は間に合ったとは言い難い。槍が完全に貫通し、内蔵を根こそぎ吹き飛ばされる事こそ防げたものの、内蔵が一部潰れている。頭がおかしくなりそうなほどの激痛に、声すら上がらない。いや、仮に跳躍しなかったら確実に即死していたのだ。それを考えればまだ間に合ったと考えていいかも知れない────と、そこまで思い至ってこの考察が無意味な事に気が付いた。……この傷では、どちらにせよ助からない。早いか遅いかの違いだ。

 

 頭を上げると、影胤の仮面の奥の双眸と目があった。

 

「…………君の、負けだ」

 

 その言葉を聞き届けたあと、八幡はゆっくりと地面に倒れ伏した。

 

 薄れゆく視界の中、影胤が十字を切っている。

 

 視線を下ろすと、すぐそばには民警の骸が転がっている。今の自分もこの遺骸とそう変わらないような有様なのだろう。そう自嘲し、瞼を閉じようとしたとき、ふと右手に何かが触れた。

 

 これ、は────

 

 

 

 

 

 影胤は潰えゆく怨敵の姿を見据え、ゆっくりと十字を切った。これは、彼が認めた戦士を葬る際に行う、もはや慣習とも言って差し支えない行いだ。目の前の骸からは既に生気が失われ、貫いた腹部から血が広がっていく。

 

 不意に訪れた鈍痛に、影胤は怪訝そうに自らの腹部を抑えた。二度に渡り受けた八幡の蹴りによって、斥力フィールドで受けた方は内蔵へ、両腕で防御した方は右腕に罅を入れるという形で影響を来たしている。

 

 思えば、まともにダメージを受けたのは何年振りだろうか。そう思うと、殺してしまった事が惜しく感じてしまう。だが、もう終わったことだ。もう、殺してしまった。呆気ないと言えば、あまりにも呆気ない。

 

 その骸は目の前に転がっている。今まで刃向かって来た者を何人も屠ってきたが、彼もそのうちの一人に過ぎないのだ。

 

 そう割り切ってしまえば後は早い。小比奈を回収しようと踵を返すと、ほんの僅かな金属音が耳に響いた。聞き慣れた金属音。まるで、拳銃のスライドストップを上げたときのような────

 

 嫌な予感が走り、先ほど仕留めた敵の骸を確認しようと咄嗟に振り向く。その瞬間、銃撃音と共に影胤の顔面に鈍い衝撃が走った。

 

 

 

 

 

 ────防がれた?いや、まさか。

 

 疑問が脳を満たすよりも早く、八幡はフルオート射撃で影胤の動きを足止めする。

 

 防がれたのではない。正確には、頭部を狙った弾丸は命中したものの入る角度が浅く、仮面を貫通することなく弾かれたのだ。その証拠に、仮面の左眼の上辺りに弾丸を受けた罅が入っている。

 

 影胤は斥力フィールドで弾幕を防ぎながら驚愕する。何故だ。槍状に編み上げた斥力フィールドは確かに八幡の腹部を貫いた。即死とまではいかなくとも、確実に致命傷のはず。仮にまだ息があったとしても、激痛で身じろぎすらも出来ないだろう。それが、あまつさえ不意打ちを行うなどと。

 

 八幡とて、自分がここまで動けるとは想定外だった。

 

 倒れ込んだ直後、八幡は歯に仕込んであったモルヒネで痛みを緩和し、反撃の機会を伺っていたのだ。本来ならこのまま出血多量で死亡、もしくは昏倒していたところだが、八幡の精神力がそれを良しとしなかった。

 

 本来なら全て諦めてしまうところだったのに、何故こんなにも足掻くのか。生に執着しているのか、東京エリアを救わなくてはいけないという使命感か。皮肉なものだ、と思う。全く変な方向にしか成長していない。

 

 グロックの弾丸が切れた。ジャムを起こしたもう片方は吹き飛ばされた衝撃で何処かに飛んでいってしまったのだろう。八幡は弾丸の切れたグロックを躊躇なく投げ捨て、足元のカラシニコフを構える。八幡の近くの首なしの遺体の手元にあったものだ。マガジンの中身はまだほとんど残っている。

 

 八幡はカラシニコフで射撃を開始する。グロックよりも遥かに凄まじいその反動が傷口を刺激する。気絶してしまいそうになるほどの激痛。歯を食い縛った口元からは血が滲んでいる。それでも八幡は決して射撃を辞めず、トリガーを引き絞り続ける。

 

 八幡は射撃と同時に懐から取り出した残り二本のAGV試験薬を、歯でキャップを抜き身体に突き刺した。注入される赤い液体。ともすれば血とも見紛うほどのその液体は、八幡の身体に流れ込んだ瞬間甚大な変化をもたらした。

 

 四肢が熱い。最初に使ったときとは比べものにならないほどの苦痛が八幡を襲う。銃創や吹き飛ばされたときについた切創、打撲はほぼ一瞬で完治、腹部に空いた大穴こそ完治とはいかないが、じわじわと再生を開始している。身体の内側で始まる再生と治癒が影響し、射撃しながらも八幡が血を吐く。

 

 腕が動く。脚にも力が入る。戦闘行動に支障は無い。弾丸の尽きたカラシニコフを投げ捨てると、影胤目掛けて飛び出した。後のことなど顧みない全力加速。総身を急加速によるGとそれによる激痛が蹂躙する。影胤のカスタムベレッタが放つ銃弾を三次元機動で回避すると、驚異的な速度で肉薄する。

 

 再び腹部から血が吹き出すが、そんな事は些事だと気にもとめない。これだけ無理をすれば、遠からず動けなくもなるだろう。持って一分。いや、30秒。だが、今身体が動くのなら、影胤を撃破するまでの時間身体が持つなら、問題は無い。

 

「おおおぉぉッ!!」

 

 全力で放つ回し蹴り。義脚と斥力フィールドの再びの激突。凄まじい運動エネルギーと運動エネルギーが衝突し、大気を震わせる。斥力フィールドを大きく軋ませるが、まだ破壊には至らない。

 

 押し返されそうになる衝撃をスラスターユニットの後方展開で強引に押し殺すと、八幡はその場で身を捻って回転し、更に蹴りを放つ。一撃。更に一撃。凶器と化した爪先が螺旋を描き、轟然と唸りを上げて何度も斥力フィールドに降り注ぐ。

 

 十発、二十発。蹴りを放つごとに加速していくソレは、音速を超えて竜巻を生まんばかりの勢いで更にスピードを上げていく。何十もの蹴りを受けた斥力フィールドは衝撃に軋み上げ、表面に罅を入れさせた。

 

 これだけの負荷を身体にかければ、無論八幡とて無事では済まない。凄まじいGに視界が真っ赤に染まり、身体中の至る所で血管が切れて全身から血が吹き出す。そして、有り得ない負荷に崩壊する肉体を、二本まとめて注入したAGV試験薬の効果が再生させていく。

 

 何度も鋼の暴風に曝された斥力フィールドが、凄まじい破砕音と破片を撒き散らしてついに圧壊した。斥力フィールドを破られたことにより内蔵に極度のダメージを受けた影胤が大きくよろめく。

 

 斥力フィールドを粉砕し、着地した八幡が影胤に迫る。逆転する立場。たたらを踏んだ影胤の懐に黒衣の痩身が死神の如く滑り込む。叩きつけられた義脚がコンクリートの地面を踏み砕き、相手を貫かんと突き出された拳が影胤の腹部に捻じり込まれる。肋骨の二、三本────骨を砕いた手応えを感じながら八幡はその腕を振り抜いた。もろに受けた影胤は斜め上空へと吹き飛ばされる。

 

 八幡の攻勢はそれでは終わらない。スラスターユニットを再び点火、空中の影胤に追い縋る。

 

 飛び上がった八幡は影胤の真横で身を捻る。スラスターユニットの出力全開。

 

 ────これで、仕留める。

 

 黒い光沢が目に焼き付く。蒼い炎が軌跡を残す。

 

 全力で放たれる義脚はインパクトと同時に分解するだろうが問題ない。次の一撃で確実に仕留める。

 

 躊躇もない。焦燥もない。あるのは眼前の敵を打ち砕く一念のみ。

 

 

「はぁああああぁぁぁぁッ!!」

 

 

 衝撃。

 

 義脚の一撃を腹部に食らった影胤は身体をくの字に折り曲げ、凄まじい速度で海面に水柱を立てながら着水した。

 

 八幡は蹴りの衝撃をなんとか殺し、空中で姿勢制御しながら着地する。

 

 ────終わった。

 

 八幡が悟るのにそう時間はかからなかった。憎たらしいほどに澄み切った空の下、八幡は顔を血の絡んだ唾を吐き天を仰ぐ。

 

 勝ったというのに、清々しい気分も得られるはずの達成感も何一つ無い。

 

 八幡は夜空に輝く蠍座(スコーピオン)に、血に塗れた手を伸ばした。

 

 

 骨身を削り、血肉を注ぎ、手にした勝利のなんと苦々しいことか。

 

 身体の限界が来たのだろう、八幡はゆっくりとその場に崩れ落ちた。

 

 言うことの聴いてくれない身体に嘆息し、薄れゆく意識に身を任せる。

 

 暗転していく視界の端に、夜空に伸びる一条の光芒が見えた。

 

 

 


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