夜を染める黒(旧題 : 俺ガイル×ブラック・ブレット) 作:つばゆき
ステージⅤが、召還された……!?
その報せは、極限状態でもなお諦めず戦闘を辞めなかった八幡を、容赦なく打ちのめした。
ステージⅤの召還。モノリスの崩壊。引き起こされる大絶滅。
東京湾に姿を現したゾディアックガストレア・スコーピオンは、その姿が認められるや否や即時展開された陸海空の自衛隊によって集中攻撃を受けたが、損傷らしい損傷を一切見せずに行軍を続けているらしい。
その強固な外骨格にはミサイルや魚雷、戦車砲ですら傷を付けられず、バラニウム徹甲弾でも甲殻に衝突した瞬間明後日の方向に弾き飛ばされて終わったという。ガストレアウィルスの恩恵故か化学兵器である細菌兵器まで投入されたが、スコーピオンはその細菌を取り込むことで抗体を持つだけに留まった。戦闘機は触手に絡め取られ、あるいは叩き落とされ撃墜し、艦砲射撃を行っていた水上打撃部隊もスコーピオンの触手に薙ぎ払われるか、巨体が引き起こす波に呑まれ轟沈した。
蛭子ペアと里見ペアの戦闘を固唾を飲んで見守っていた司令部も、スコーピオン出現の報せを受け、現在恐慌状態に陥っているという。
「俺たちは、間に合わなかったと……?」
『落ち着いて下さい比企谷さん。ここで貴方までパニックに陥ってしまわれては困ります』
聖天子の物言いに僅かばかりの違和感を抱く。
『比企谷さん。この状況を打開できるかもしれない策が一つあります』
「策……? ステージⅤに対して一体何が……」
『南の空をご覧ください』
八幡は聖天子に言われた通り南の空へ顔を向け、言葉を失った。
満月をバックに、細長い長方形の物体が空に向かって伸びている。雲を貫いてなお先端の見通せない異様なほどの長さを誇るそれは、見るもの全てに畏敬の念を刻み付けさせた。
「まさか……ッ」
『《天の梯子》。東京エリアを救う可能性を唯一秘めた、私達の最後の希望です』
比企谷八幡は、迷っていた。一体自分はどうすべきなのかと。
夏世とここに残って周囲のガストレアを一掃してから向かう?駄目だ、ガストレアの総数は異常な程に多く、全く現実味が無い。
交戦中の蓮太郎の援護に回る?影胤は延珠と共に三人でかかればあるいは倒せるかもしれない。だが、時間がかかり過ぎ、スコーピオンが手遅れのところにまで到達してしまうかもしれない。
夏世も蓮太郎たちも見捨てて単身レールガンモジュールに向かう?それこそ悪手だ。単独では何か起こったときのリスクが格段に跳ね上がるし、八幡が倒れれば本当に打つ手が無くなる。それにレールガンモジュールを起動させれば自然と影胤にも目論見が露見することとなり、満身創痍の蓮太郎たちには食い止め切れるかわからない。
となると、最も現実味があるのは……。
夏世にこの場を任せ、蓮太郎たちをレールガンモジュールに向かわせた上で八幡が蛭子影胤の追撃を食い止める。
夏世はガストレアの物量にやられて死ぬかもしれない。八幡も蛭子影胤に殺されるかもしれない。だが、蓮太郎が《天の梯子》に辿り着き、レールガン発射までの時間さえ稼げれば────
東京エリアは救われる。八幡たちの犠牲を伴って。
……駄目だ。
何故だ?何故今になって躊躇う?100を生かす為に10を殺すなど、もうとっく慣れていた筈だろう?なのに、なのに何故、今更躊躇う?
今更────
「……行かないのですか?」
自問を続けていると、すっと夏世の声が頭に溶けるように響いてきた。
「千寿……」
夏世は既に呼吸も落ち着いたのか、フルオーショットガンのリロードを終え、残り少ない弾薬の全てを自分の周りに集めている。自分はここに残って戦うという、これ以上ない程の意思表示。それを見て、夏世の戦う気力が未だ失せていない事を改めて認識する。
「……さっきの電話、聴いていたのか」
「耳は良いものですから」
八幡の方を見ないまま夏世は続け、それからゆっくりと八幡の方を向いた。
「貴方は、どうするつもりなのですか?」
夏世の声に言葉が詰まった。
俺は、どうしたいのか?
昔の八幡なら迷わず選べた選択肢を、今の八幡は選べないでいた。まるで、誰を殺すか、と言われているかのようで。
誰を殺すか。誰を生かすか。誰が救われるのか。
誰かが犠牲になることが確実なのだとすれば、最も被害の少ない選択肢を選ぶしかない。最も生存者が多くなる選択肢を。
となると、おそらく一つしかない。
八幡は意を決して口を開く。
「俺は…………」
俺は……。
……………………。
開いた口からは、それ以上言葉が紡がれる事は無かった。まるで、その選択を本能が拒否しているかのようで。
「……貴方は行くべきです。ここで動けるのは貴方しかいません」
「…………無理だ。もう、スコーピオンが召還された時点で手遅れだ。諦めて他のエリアに脱出を図った方がまだ助かる可能性が高い」
「まだ終わった訳ではありません。助かる方法を模索して、全力で事にあたれば……まだ、東京エリアを救える余地はあります」
「……東京エリアを救うために自分たちの身まで危うくしてどうする?仮にそれをするとしても……二人でここ一帯のガストレアをどうにかしないと……」
そんな気はないのに、自分の口は意思とは関係なく言い訳を並べ立てる。まるで、選択することから逃げようとしているかのようだ。そんな自分に嫌気がさす。だが、それでも口は止まらない。
仮に鍛錬を怠っていなかったとしても、平和で平穏な日々は確実に八幡を弱くしていっていたのだ。
心が弱くなった、という表現は余りに俗的かも知れないが、きっとこれはまちがってはいないのだろう。
夏世は意外なほど穏やかで、尚且つ寂しそうな表情で告げる。
「比企谷さん、どうか自分を責めないで。悪いのはこんな選択を強いる世界なんだから……」
諭すかのような夏世の声を聴いて、八幡は悟ってしまった。
…………ああ、きっとこの子は分かってて言っているんだ。
八幡がどれを選んでも、自分は助からないという事を。
脳内で問答を続けていくうちに、自己嫌悪の海に引き摺り込まれていく。仕方ないと諦めてしまう自分の横で、もう一人の自分が嘲るように笑っている。
一番嫌だったのは、どれを選んでも夏世が死ぬという事実を、自分の意思で選んだんじゃないと、まるで免罪符を持ったかのように安堵している自分がいる事だった。
二年以上前に死んだ筈の八幡のイニシエーターが、幾つもの亡霊となって彼の周囲で呪詛を唱え始める。
『またそうやって殺すんだ』
『みんなみんな、貴方のせい。この子が死ぬのも、あの民警たちが死んだのも』
『結局、貴方がみんな殺したの』
「俺は……」
「貴方がっ!!!!」
響き渡る絶叫。驚いて振り返ると夏世が髪を振り乱して叫んでいる。
「貴方が! 貴方がやらなければならないんです! 貴方にしか出来ないんです!!」
「お願いです比企谷さん……。東京エリアを……世界を、救ってください……」
はっとして顔を上げる。東京エリア全市民と命二つ。どちらが尊いかなど、そんなもの天秤にかけるまでもない。だが、そんな押し付けられた事実よりも八幡を驚かせたのは、その選択を自ら迫る夏世の方だった。
東京エリアが滅んだら、誰が死ぬ?
蓮太郎が死ぬ。延珠が死ぬ。木更が死ぬ。聖天子が死ぬ。菫が死ぬ。雪ノ下も由比ヶ浜も平塚先生も戸塚も川崎もめぐりもいろはも葉山たちも陽乃さんも材木座も。
ここで八幡が動かなければ、全員が死ぬ。
ガストレアに四肢をもがれて。崩落する家屋に押し潰されて。燃え盛る街の中で絶望に屈して。
あげていった全員の顔が脳内にフラッシュバックする。
「……千寿。お前は……」
「……私なら大丈夫です。劣勢になったら逃げますから」
彼女の背後の森を見る。森の億に赤い光点が幾つも現れ、低い唸り声が何重にもなって響いてくる。度重なる襲撃を経て得た束の間の休息も、もうすぐ終わろうとしていた。
「行ってあげてください、比企谷さん」
そう言って、夏世は少しだけ寂しそうに笑った。
「……わかった」
八幡は僅かな逡巡のあと、走り出した。
「……ありがとう」
夏世は何処か満足げな表情でそう呟くと、フルオートショットガンをゆっくりと構える。
か細い声で呟かれたその言葉は、踏み締める葉や枝の立てる音によって掻き消され、八幡に届く事はなかった。
ふとした拍子に止まってしまいそうになる自分の足に鞭を打ち、ひたすらに市街地に向かって走り続ける。背後から聞こえてくる銃撃音に後ろ髪を引かれながらも、八幡は必死に足を前に送り続けた。
遠目から見て随分朽ちているなと思っていた旧市街地は、近付くとより一層荒廃ぶりを露わにさせた。
ビルや家屋は元の形こそ保っているものの、所々に亀裂や苔がある。人の手の加えられなくなった市街は十年間のうちにここまで風化と侵食を進ませた。ガストレアの活動の影響か、一部が倒壊した建物もあり、まさに廃墟群といった風体だ。
海に隣接しているこの市街地は、港部分に倉庫街やボート、小型船が係留してあり、錆びついていたり半壊しているのがほとんどだった。
廃墟と化した市街地を延々と走り続けていた八幡だったが、それも半ばまで到達した頃に走るのを辞めた。教会からはほど近い。影胤に捕捉される可能性がある。走るのを辞めた八幡は隠密性を重視し、姿勢を低くしながら廃墟の影に隠れるように進んだ。教会の方からは凄まじい破壊音と銃撃音、剣戟音が響いてくる。どれだけの戦いを繰り広げているのかはここからは分からないが、それが既に人智を超えた域にあるということは嫌でも分かった。
近付くにつれだんだんと血臭が濃くなっていく。鼻をつまみたい衝動に駆られながらも歩みを止めずにいると、ふと、足に何かがあたる。手持ちのライトでそれを照らすと、人間の右腕だと言うことが分かった。周りを見渡すと、至るところに死体が転がっている。両眼の眼窩を撃ち抜かれている者、上顎から上をもぎ取られている者、右半身と左半身に切り裂かれている者、さまざまだ。首だけになったイニシエーターを見つけたときは、怒りよりも先に戦慄した。これが、奴らの所業だと言うのか。暗殺、拷問など様々な事をやって来た八幡でも、ここまで残虐非道な殺し方はしたことがなかった。
教会をゆっくりと回り込み、すぐそばのコンテナの影へ。倉庫の屋根に登り、戦場が俯瞰出来る場所まで移動した。
────見つけた。近い。距離は50mにも満たない。
対峙する里見ペアと蛭子ペア。蓮太郎はあれだけ毛嫌いしていた義肢を解放しており、影胤と正面から渡り合っている。
漆黒の剛拳を青い燐光が受け止める。黒い刀身をブーツの靴底が弾き返す。十合、二十合がほんの数秒のうちに打ち合わされ、互いの位置が目まぐるしく入れ替わる。
影胤のカスタムベレッタの銃弾が蓮太郎の左肩を捕らえた。激痛に呻き肩を抑える蓮太郎に影胤は一瞬のうちに距離を詰めると、ボディブローを入れる。たたらを踏む蓮太郎の顔面を細長い五指で掴むと、地面に叩きつけた。
「蓮太郎!」
延珠が叫ぶ。小比奈のバラニウムの刀身を靴底で受け止めると、その態勢で静止した。
蓮太郎が頭をあげると、額に影胤のベレッタの銃口が照準され、蓮太郎は動きを止めた。
八幡は腰のホルスターからグロックを取り出し、影胤に照準する。────発砲。
着脱式のサプレッサーを取り付けて減音されたグロックは、銃らしい音をほとんど立てない。影胤に向かって高速で飛翔した弾丸は、命中する寸前で青い燐光に阻まれた。甲高い音を響かせながら強制的に方向転換させられた弾丸は、明後日の方向に飛び去る。蓮太郎は影胤の意識が八幡に向いた隙に距離をとった。
「君を呼んだつもりはないが……決闘の邪魔とは、随分と無粋な真似をするね。比企谷くん」
弾丸を弾き返したのは影胤のイマジナリー・ギミックだった。やはり自分の存在を悟られていたのかと八幡は内心歯噛みする。
「生憎だが今そいつに死なれるとこっちも困るんでな」
「比企谷……!?」
「なんで八幡がここにいるのだ!?」
「とりあえず双方共に引いて貰おうか」
影胤はやれやれとでも言うように肩を竦めると、ベレッタを下ろし下がる。それに呼応するように小比奈も小太刀をしまい飛びすさった。
「どういうことだ比企谷。千寿夏世は……伊熊将監のイニシエーターはどうした?」
「大丈夫だ。死んではいない」
「でも、あそこに置いてきたのであろう? 妾たちがいなくて大丈夫なのか?」
「……ステージⅤ、ゾディアックガストレアが召還された」
八幡のもたらした情報に二人は驚愕に目を見開く。
「そんな……」
「落ち着け。まだ手はある」
狼狽を露わにする二人を制すと、視線を南東に向ける。
「《天の梯子》」
「……!」
「お前がやれ。俺に《英雄》は似合わん。ここは俺に任せろ」
蓮太郎は悔しそうに目を伏せたが、やがて顔を上げた。
「……死ぬんじゃねえぞ」
「死なねえよ。先生んとこでカマクラも待たせてる」
「……八幡?」
延珠が心配そうな様子で八幡の顔を覗き込む。蛭子影胤、蛭子小比奈の二人に対し、一人で挑む八幡を気にかけてのことだろう。
「延珠、お前も行け。里見にはお前が必要だ」
「……うむ、そうだな」
延珠は頷くと、蓮太郎とともに駆けて行く。
だが、それを見咎めた小比奈が小太刀を抜き放ちつつ飛び出した。
「延珠ッ、逃がさない!」
八幡はグロックをクイックドロウ、小比奈の足元に銃弾を撃ち込んだ。
「っ!」
小比奈の動きを止めると、影胤と向き直る。
「……どういうつもりだい? 比企谷くん」
「悪いが、あいつらを追いたければ俺を殺してから行くことだな」
行く手に立ち塞がる八幡を見て、影胤は心底不思議そうに言った。
「何故だ? 多くの民警は殺され、ステージⅤは召還された。東京エリアの大絶滅は必至だ。君が戦う理由など……」
影胤はそこまで言ってから何かに気付いたように言葉を切った。
「……なるほど、《天の梯子》か。面白い事を考える」
「ああ。これがステージⅤをどうにか出来る最後の可能性なんでな」
「なら、なおさら里見くんたちを追わなくてはね」
「それをさせないのが俺の役目だ」
「……いいだろう。ならば君から先に始末してあげよう」
影胤が言い終わると同時に八幡も一歩踏み出す。八幡の両脚の人工皮膚が戦闘服を破りながら剥離し、真っ黒な金属の表面が顔を出した。漆黒の義肢は表面に独特の光沢を出し、異様な存在感を放っている。
次世代合金、超バラニウムの義肢。試作型ながらも、神医室戸菫に最高傑作と言わしめたうちの一人である。
バラニウムの義肢を持つ機械化兵士といえば、大口径カートリッジの撃発による瞬間的な攻撃力を持つ里見蓮太郎が筆頭に挙げられるが、八幡のものはそれとは異なり両脚にスラスターユニットを搭載している。これにより瞬間的な攻撃力ではなく継続的な機動力の確保に成功した。燃費の面も考慮した代償として長時間の滞空こそ不可能なものの、跳躍距離の増大や義肢による直接攻撃の威力上昇が成されている。
「バラニウムの、義肢……? ク、クククッ、ハハハハハハハハッ!」
それを見ていた影胤な不意に肩を震わせ、初めて邂逅したときのように大笑を始めた。八幡の胡乱な視線が刺さるが、影胤は気にした様子もなく笑い続ける。
「ああそうか! そういうことかッ! 素晴らしいッ!! いやまさか一晩のうちに二人もの同類に会えるとは!」
何が面白かったのかは分からないが、影胤はひときしり笑うとゆっくりと八幡を見た。二人の視線が絡む。
こちらからは仮面の奥の表情は読めない。だが、今影胤は唇を歪ませ嗤っている事を、直感で感じ取った。そんな八幡に影胤が名乗りを上げる。
「……君に名乗るのは二度目だったね。私は序列元134位、元陸上自衛隊東部方面隊第七八七機械化特殊部隊『新人類創造計画』蛭子影胤」
序列134位。何度聞いても驚異的な数字だ。 全世界民警70万ペアの中で134位、実に上位0.0002%の猛者である。
八幡は中途半端に弾薬の残ったマガジンを潔く捨て、フルオート射撃に対応した多弾倉マガジンをリロードする。右脚を後ろに下げ、腰を落として影胤を見据えた。対する影胤は踵同士をぴったりと付け、両手を腰の後ろで重ねたまま。小比奈は二本ある小太刀を直角に交差させている。
「俺も名乗ろう影胤。序列994位、元陸上自衛隊東部方面隊第七八七機械化特殊部隊『新人類創造計画』比企谷八幡。────推して参る」