夜を染める黒(旧題 : 俺ガイル×ブラック・ブレット) 作:つばゆき
トーチカ内にて。
なんだかんだでこのトーチカで夜を明かすことになったわけだが、蓮太郎達がここに辿り着いた理由は八幡達と似たようなものだった。
蓮太郎と延珠ステージⅣのガストレアに追われてここに来たと言うが、特に目立った傷も無く、二人ともぴんぴんしていた。相変わらず元気だけは有り余っているようだ(特に延珠が)。
延珠と夏世は同じ境遇の同年代と久し振りに接したらしく、性格的にはほぼ真逆の二人だったが案外意気投合していた。
「あの子、随分落ち着いてるんだな」
「モデルとなったものがイルカだからな。知能が高いらしい」
「ええ。IQは大体210くらいあります」
IQ210。凄まじい数値だ。八幡でもせいぜい120そこそこしかないというのに。ちなみに、東大合格者平均IQは130ちょいくらいである。
「IQ210ってそんなに凄いのか?蓮太郎」
そういう知識には疎いらしい延珠が蓮太郎に問い掛ける。対して蓮太郎はその数値に目を剥いていた。
「210!? 俺の倍以上あるのかよッ?」
里見よ。それは少なすぎだ。…………いや普通か。一般人の平均IQはせいぜい100くらいだったと記憶している。つまり俺はめちゃくちゃ頭良いということだ。やったね!
「千寿」
「なんでしょうか」
「その銃……見せてくれないか?」
八幡が指したのは、壁に立て掛けてある夏世のショットガンだ。
夏世は八幡の問いに少し迷う素振りを見せたが、すぐにショットガンを手渡した。
「どうぞ」
手渡されたのは、専用サプレッサーとグレネードランチャーユニットのついたフルオートショットガン。夏世の体躯でも扱えるように全体的にコンパクトに製作されている。製作は司馬重工。なるほど、完成度が高いわけだ。
感心した様子でショットガンを眺めていると、それを見咎めた蓮太郎がやや驚いたような声を上げる。
「随分あっさりと渡すんだな」
「比企谷さんは、ほとんど初対面の私を何も言わずに助けてくれましたから」
「……だから?」
「…………その、ありがとう、ございました」
「…………」
八幡は夏世の存外直接的な物言いに気恥ずかしくなって顔を背ける。それに気付いた蓮太郎がまたもや反応する。
「比企谷、もしかして……照れてんのか?」
「照れてない」
「いや、だって」
「いや照れてねぇし」
八幡は蓮太郎の追及に大きな溜め息で応じると、やや投げやりに応えた。
「あの状況でこいつを助けられたのは俺だけだからな。別にこいつだから助けたってわけじゃない。助けなかったら後味悪かっただろうし、後でそれが他の奴らに知れたら面倒だ」
それに、となおも畳み掛けるようにして続ける。
「だからといって、こいつに礼を言われる筋合いもないし、ましてや俺が照れる要素なんて何処にもない」
と、そこまで言い切ってから八幡は蓮太郎と夏世がぽかんと自分を見ていることに気付いた。
気付いたときにはもう遅い。八幡はばつが悪そうに口を噤むが、蓮太郎は不幸顏をぽかんとした表情から一瞬で歪めると、納得したように手を打った。
「やっぱり照れてんだな」
「なんでそうなんだよ」
八幡は大きく咳払いをすると、夏世に向き直る。手元にあるのはショットガンについていたグレネードランチャーユニット。中身は空で仄かに硝煙の臭いが漂っている。
「…………何故、森で爆発物を使った?あそこでグレネードランチャーを使ったらどうなるかくらい、お前なら想像するのは難しいことじゃ無かった筈だ」
今回蛭子影胤追撃作戦のステージとなっているこの未踏査領域では、少しでも音を立てるとその音を聞きつけた周囲のガストレア達が一斉に集まってくる。その上グレネードランチャーを、昼間はおろか夜間に音を立てるなど言語道断どころの話ではない。夏世の腕の生々しい傷がその結果だ。
「この程度の怪我で済んだからまだ良かったものの……」
夏世は反省するように顔を伏せると、再び膝を抱えた。
中央では新しく焚き木を放り込まれた炎がパチパチと音を立てて燃えている。
「私と将監さんは罠にかかりましてね。ヘリから森に降下したあと、森の奥に青いぼんやりとしたライトパターンの光が見えたんです。同じ民警だと思って近付いていったのですが……」
「ガストレアだった、と」
夏世の途中で切れた言葉を引き継ぐ。しかし、光を発するガストレアか……。
「里見、何か分かるか?」
蓮太郎は少し考える素振りを見せたが、それだけの情報では足りなかったのだろう。
「他には何かあったか?」
はい、と思い出すことすら嫌そうに夏世は声を絞り出す。
「近付くにつれ、腐肉のような強烈な腐臭が漂って来ました。歩みを進める毎にそれはどんどん強くなっていったんです。本来ここで気付くべきでした。あんな色のライトなんて誰も使っている訳がないと、こんな腐臭が漂っている場所に誰も来る筈がないと」
夏世はその姿を思い出したのか、自分の身体をかき抱くようにして手を回すと、顔を俯かせた。
「そのガストレアは全体がぶよぶよとした肉や、昆虫のような甲殻に覆われていて、ところどころに毒々しい花が咲いていました。臭いに誘われたのか色々な虫が群がっていて、尾部が青く発光していたんです。きっとこの光が私たちを誘き寄せたのでしょう。それはこっちの姿を認めると身体全体を大きく蠕動させて、粘着質な音の混じったような気色の悪い奇声を発しました。慣れない暗闇の所為もあったのか、訳の分からない恐怖に駆られて咄嗟に榴弾を使ってしまいました」
八幡はその姿を想像して鳥肌がたった。知能の高い夏世故に豊富な語彙を以って語られたそれは、八幡の脳内に鮮明な姿を描かせるのに十分過ぎたほどだった。
「……きっとそれは、ホタルのガストレアだ」
ホタル?と、八幡と夏世の怪訝な声が重なる。蓮太郎は二人の反応に頷くと、説明を続けた。
「いんだよ、ホタルの中には。ホタルってのは普通川辺で光ってて水しか飲まないイメージがあるだろ?夏世が見たのはおそらく肉食のホタルで、仲間だと思わせるようなライトパターンの光を発したり、腐臭を漂わせたりして近付いて来たところを捕食するやつだ。他の植物やら昆虫やら哺乳類が混じって判断付きにくかっただろうけどな。ステージは大体ⅢからⅣってとこか」
蓮太郎の説明で納得がいった。夏世もあぁ、なるほどといった風体をしている。
「ガストレアが意図的に罠を掛けたんじゃなく、元となった個体から引き継いだ習性か」
「ああ。知能の高いガストレアなんて増えたら簡単に人間側は負けちまう」
「まぁ、確かに純粋に強い個体よりも知能の高い個体の方が面倒臭いからな。このままじゃガストレアを統率するガストレアが出てくるかも知れんぞ?」
「やめてくれ、ぞっとしない」
人間側がガストレア戦争を経て生き残れたのは、ひとえにガストレアが協調性を持たないからでもある。ガストレアは人間側を圧倒する物量と、人間側を軽く凌駕する単体戦闘力を持っている。今までは対地ミサイルや絨毯爆撃など兵器を以って侵攻を凌いできたが、仮にモノリスの一角が崩壊し、ガストレアが戦術、戦略を用いて侵攻してきた場合人間側はろくな抵抗も出来ずに蹂躙されるだろう。
「驚きました、里見さん、詳しいのですね」
夏世も蓮太郎の推理に驚いているようだった。蓮太郎の事をよく知らない人間からすれば、確かに異様だろう。
「こいつは重度の虫オタクだからな。俺も軽く引くレベルだ」
「おいやめろ」
八幡の補足に蓮太郎からツッコミが入る。
「虫オタクはやめろって前から何度も……」
「……貴方たちのようなプロモーターと一緒にいられたら、毎日が退屈しなくて済みそうですね。比企谷さんはぶっきらぼうだけど優しいですし、里見さんは愉快ですし。……延珠さんが少しだけ羨ましいです」
ふと、焚き火を見つめていた夏世が、いつの間にか蓮太郎の膝の上で眠ってしまっている延珠を見て口を開いた。その口調は何処か達観しているようにも見える。
「……なんか俺だけ複雑なんだが」
ちなみに今の発言の主は蓮太郎だ。
「……千寿。やはり今のプロモーターに不満があるのか?」
「イニシエーターはプロモーターの、戦闘の為の道具に過ぎませんから。そこにパートナーを選ぶ権利などありません」
「…………」
夏世は八幡の疑問に一切の淀みなく答える。そこに感情など存在しないかのように。
「延珠さんは、人を殺した事がありませんね。純粋で無垢な瞳をしています」
「お前はしたことがあると?」
「ええ。ここに来る途中に他のペアを二組ほど」
八幡は、蓮太郎の顔色が変わったのを察した。
「どうしてそんなッ」
「────大方、あのプロモーターの指示ってところか?」
八幡は蓮太郎の言葉を遮るようにして言う。
「その通りです。将監さんは蛭子影胤討伐の手柄を独占するつもりらしいので」
「お前は、それが正しい事だとでも思っているのか?」
「いいえ。でも、命令でしたから」
「殺すことに躊躇いは無かったか?」
八幡は問いを続けた。今この子にどんな言葉をかけるべきか、少し迷っていたからだ。これが有象無象の人間なら関わろうともしなかっただろうが、八幡はイニシエーター、呪われた子供たちには気をかけている。
「怖かったです。手が震えて、脚が竦みました。でも、それだけです。そのうち慣れます」
「慣れる、じゃない。怖いっていう気持ちが無くなる前に、殺人という行為からとっとと足を洗え」
「……何故ですか?」
「お前はそのうち慣れる、と言ったな」
八幡は大きく息を吐くと続けた。
「お前のそれは、人が殺人鬼になる過程に酷似してる。人間はな、犯した罪が罰せられないと知ったあと、それを繰り返すようになるんだ。ほとんどの例外なく、な」
「それは……あなたの体験談ですか?」
八幡は夏世の問いに小さく首を横に振った。
「……いいや。俺は初めから怖くなかったからな」
そうだ。八幡は今の序列に駆け上がるまでの過程で、ガストレアの他、依頼で人間も多く殺してきた。一匹でも多くのガストレアを葬る、という目的と、その為の序列向上の手段が入れ替わってしまったが故の悲劇。当然、あの頃の八幡は護衛、暗殺、諜報、輸送、破壊工作など様々なエリアの政治的上層部からの依頼も、多額の依頼料と序列向上を報酬に請け負っていた。昨日護衛したばかりの要人を翌日暗殺することなど、そう珍しいことではなかった。
そこまで思い至って、八幡はやはり自分がそんなこと言えた義理ではないと思った。でもこの子がイニシエーターだからか、そういう悪事に手を染めて欲しくないという気持ちがあるのも事実である。
「だが、千寿。一つだけ言える事がある」
「なんですか?」
「…………お前は人間だ」
夏世がその台詞に瞳を大きく瞬かせる。八幡は何事も無かったように立ち上がると、服についていた埃を払う。
「もう寝ろ。子供が起きていて良い時間じゃない」
「比企谷、お前……」
「里見、もういい。少し眠れ。俺は外を見てくる」
蓮太郎に皆まで言わせず、八幡はトーチカの外に出た。すると、予想外に冷たい空気がトーチカ内で火照っていた八幡の身体を冷やしていく。
「…………満月か……」
八幡は空を仰ぐと、誰に言うでもなくそう呟く。
口の中は、土の味がした。
見張りと称してトーチカ外の小高い岩の上で夜空を見上げていると、不意に後ろから声がかかった。
「……なに黄昏れてんだよ」
肩越しに流し見るように声のした方を見ると、そこには腰に手を当てた蓮太郎が八幡を見上げていた。外に出てから二時間以上。疲労が溜まっていたのか、蓮太郎の接近に気付かなかったらしい。
「……仮眠はいいのか?」
そう言って、視線を戻す。ところどころが曇っていた空は、今は雲一つなく澄み渡っており、星が良く見える。皮肉なことに、ガストレア戦争のはじまる十年前にはとても見られなかった景色だ。
「夏世のプロモーターの伊熊将監から蛭子影胤を発見したとの報告が入ったらしい。今は周囲にいる民警総出で奇襲をする手筈になってるとよ」
「全滅するだろうな」
蓮太郎の報告に八幡はにべもなく即答で返す。蓮太郎は否定するでもなく頷いた。
八幡は岩から飛び降りる。
「で、行くのか?」
「行く。夏世も行くっつってるからよ。俺たちも行く」
「そうか」
「それに、あいつは俺がやんなきゃなんねぇ」
蓮太郎の目には未だ隠しきれない迷いがあったが、それでも自らの役割を果たそうとしているのがわかる。
蛭子影胤に奇襲を敢行する民警チームは多くても十数組。中には影胤に迫るほどの序列の民警もいるのだろうが、影胤のイマジナリー・ギミックを破れる民警がいるとは思えないし、イニシエーターの小比奈の戦闘力も、八幡が今まで見てきた中でも突出している。蓮太郎がどう思っているのかは分からないが、民警チームの勝算は薄いように思えた。
背後では、延珠と夏世が各々の武装を持って来ている。
「千寿、傷は治ったのか?」
聞くと、夏世はこくんと頷き、八幡の巻いた包帯をとってみせた。
「おかげさまで」
骨が見えそうなほど抉られていた生々しい傷は、跡がわからない程に完治していた。これなら戦闘も問題なく行える筈だ。
八幡は夏世から武装を受け取る。
「行くか」
未だ暗いが、もうすぐ夜も明けようといった時刻に八幡たちは海に隣接している旧市街地に向かって行軍を開始した。
夏世のソナーなどを利用してガストレアのいそうな場所を避けつつも順調に行軍を続ける。やがて、市街地が見下ろせそうな小高い丘に着いた。
旧市街地はもう十年も放置された街だけあって完全なる廃墟と化していたが、建物の中でも一際目立つ教会のような建物がぼんやりと光っているのが見えた。
「……あそこか」
「おそらくな」
教会のすぐそばには港の為の倉庫街やコンテナが立ち並んでおり、ほど近い場所の湾には漁船やボートが係留してある。
眺めていると、教会の方から突如銃撃音が響いてきた。蛭子影胤・小比奈ペアと民警チームの戦闘が始まったらしい。
「蓮太郎ッ」
「分かってる!」
蓮太郎と延珠が旧市街地に向けて走りだそうとするが、八幡と夏世は全くの逆方向を向いていた。
「私はここに残ります」
夏世の声。予想外の言葉に蓮太郎は困惑したような表情で叫んだ。
「なんでッ」
「里見、見てみろ」
夏世が向いている方向を顎で示すと、八幡たちが抜けてきた森から獣の唸り声が聞こえてくる。見えるのは無数の赤い光点ブリップ。ガストレア特有の赤く光る目だ。
「尾けられていたようです。里見さんなら分かる筈です。ここで誰かが食い止める必要があります」
そう言って夏世は手持ちの弾薬をありったけ出すと、地面に置く。何がなんでもここで食い止める気らしい。八幡は森に降下したときには持っていなかった古いバッグを下ろすと、中身を夏世に投げ渡す。
「これは……」
「さっきのトーチカから持ってきた弾薬だ。フルオートショットガンとハンドガンの分だけ持ってきた。弾の規格はあってる筈だからそのショットガンでも使える。多分な」
夏世は驚きに目を見開く。
「俺もここに残る。一人より二人の方が良い」
「……ありがとうございます」
「だったら俺たちも……」
里見がそう言った瞬間、暗闇から一体のガストレアが飛び出してくる。夏世がショットガンを構えるより早く八幡が地面を蹴り、ガストレアに肉薄する。
ブオン、と風切り音が聞こえるほどの強烈な蹴り。八幡の蹴りを横っ面に受けたガストレアは体液を撒き散らしながら吹き飛ぶ。すかさずグロック拳銃をドロウし、頭部に照準、射撃。脳を破壊されたガストレアは動かなくなった。
「行け、里見。ここは俺たちに任せろ。蛭子影胤を倒すんじゃなかったのか」
「……わかった。行くぞ、延珠」
「う、うむ」
蓮太郎と延珠が丘を駆け下り、やがて姿が小さくなる。
八幡と夏世は得物を構え、無数のガストレアたちと相対した。
「……やるか」
「はい」
ポーチの中から取り出した手榴弾をガストレア群に向かって投擲する。集団の中央で炸裂した手榴弾は一撃で多数のガストレアを屠っていく。火薬の量を増やし、バラニウムの粉末を混ぜて対ガストレア用に特化した手榴弾は、甲殻の薄いガストレアの身体を根こそぎ吹き飛ばし、至近で爆風を受けたガストレアを確実に絶命させていた。市街地からの爆音でもう手榴弾の使用を憚る必要もない。
しばらくの間静かだった市街地から、先ほどとは比にならないほどの轟音と金属音が響いてきた。蛭子影胤、小比奈ペアと里見蓮太郎、藍原延珠ペアの戦闘が始まったらしい。
蓮太郎は今までに蛭子影胤と二回戦闘し、二回とも惨敗している。それを引きずってはいまいか、それとも使用を忌避していた義肢に抵抗を覚えていないか。心配だが、今は彼らを信じる他はない。
考えごとをしていると、ステージⅡ相当ほどのガストレアが目の前まで迫ってきていることに気がついた。既に銃で対応出来る間合いではなく、慌ててタクティカルナイフを抜こうとするが、間に合わない。
「────!」
突如、八幡に迫っていたガストレアの顔面が銃撃音と共に吹き飛んだ。遅れて夏世がフォローに入ってくれた事に気付く。
「すまん」
「考え事をしている暇はありませんよ!」
休む暇もなくガストレアが次から次へと二人に迫ってくる。最初の方こそそこまで数は多くなかったが、それらに対応していくうちにどんどん数が増えてきている。トーチカから持ってきたおかげで弾薬にはまだ余裕はあるが、それが尽きるのは時間の問題だと思われた。
「多いな……!」
「全くです……!」
右手からステージⅠと思われる小型ガストレア集団。多弾倉マガジンで装弾数の向上したグロックで横薙ぎに掃射する。数秒後弾が尽き、マガジンをリロード。集団のうちほとんどが今の銃撃で地に臥したが、未だ数体が健在で傷付きながらも突進してくる。グロックをホルスターに収納し、ナイフシースを展開、タクティカルナイフを取り出す。
至近にまで接近された敵には銃よりナイフの方が応じやすい。なにより状況が状況のため、弾薬はなるべく節約する必要がある。
ガストレアたちの突進を、間を縫うように躱し、すれ違いざまにナイフを一閃する。胴体を裂かれたガストレアは血を吹き出しながら地面に倒れた。バラニウム製の刀身を長めに作られた八幡のタクティカルナイフは、刃さえ通ればステージⅡ、Ⅲのガストレアとて十分に殺傷可能である。
ガストレア集団を排除すると、ほとんど間を置かずに巨大な哺乳類のガストレアが殴りかかってくる。大きさからしてステージⅡだろう。八幡は背後から殴りかかってきたガストレアの腕を屈んで躱すと、地面に手をつきつつほとんど垂直に足を蹴り上げる。
ほぼ真下からの蹴りを受けたガストレアは、八幡の脚の直撃を受けた胸部を陥没させ、衝撃に身体を浮かせる。僅かな隙で態勢を立て直した八幡は、陥没した胸部に追い打ちをかけるように掌打を叩き込む。空中で姿勢を崩していたガストレアは吹き飛ばされ絶命した。
左手では夏世がショットガンや手榴弾を駆使しながらなんとかガストレアの侵攻を押しとどめている。イニシエーター故に力技に訴えられるのは強みだが、戦闘特化でない彼女の能力では遠からず体力の限界がくる。ただでさえ攻撃の手段をショットガンと手榴弾に頼っている状態なのに、それの数が限られているとなっては火力不足が否めない。
「ッ!!」
夏世に気をとられ接近を許してしまったガストレアの前腕を地面に身体を投げ出すようにして避ける。受け身を取りながらグロックをドロウし、前腕を振り抜いた姿勢のガストレアの頭部に向かって射撃、命中させる。好機と思ったのか倒れた状態の八幡に向かって一体の狼のガストレアが噛み付いてきたが、八幡は跳ね起きざまに膝蹴りをガストレアの顎に叩き込み、グロックを眉間に押し付け射撃。零距離で撃たれた銃弾はガストレアの頭蓋を貫通し脳を破壊する。
走り寄ってくるゴリラが元であろうガストレアには、クロスカウンターの要領で顔面に拳を叩き込む。その態勢のままガストレアの右腕をホールドし、鳩尾に膝蹴り、すかさずグロックの銃把で眼球を潰す。そして怯んだガストレアの胸部にタクティカルナイフを突き刺した。
ドズッ!という音と共にナイフが刃の根元まで埋まる。ガストレアの頑強な皮膚を貫いた刀身は確実に心臓を穿っていた。
全身から力が抜けるガストレアを蹴り倒し、息を吐く。振り向くと、夏世も同様に息を切らせていた。今丁度周りのガストレアを倒しきったようだ。やっと第二波が過ぎ去った、というところらしい。ほどなくして第三波がやってくる。おそらく今以上の物量で。このままではジリ貧だ。だが、この状況を打開する策がない。八幡は焦燥の余り舌打ちをする。
「はっ…はっ……千寿」
激戦を抜けて、体力の消耗も激しいなかなんとか声を絞り出す。
「ッ、ハァッ、ハァッ、な、なんですか?」
夏世も息も絶え絶えに返事をする。夏世は先ほど説明したように攻撃の手段がショットガンと手榴弾しかない。近接戦闘を不得手としない八幡と違い、戦闘に柔軟性が無いため、体力の消耗が激しいのだろう。右手は八幡、左手は夏世といった風に請け負い、真ん中は状況に応じて対処しやすい方が、という取り決めだったが、八幡が率先して倒していた。だが、それでもこの消耗ぶりである。これからは更にガストレアの物量に圧倒されるだろうから、最悪の可能性も考慮し、早々に撤退の選択肢も考えた方が良いかもしれない。
だが、今はまだ駄目だ。背後の旧市街地では未だ大きな銃撃音や破砕音が響いており、蓮太郎たちが戦闘を続けているのが分かる。彼らの邪魔をしてはならない。
八幡は軽く息を整える。
「千寿、フォーメーション変更だ。俺が前衛、お前が後衛でサポートをしてくれ」
これは苦肉の策だ。これをやってどうにかなるとは到底思えなかったが、少なくとも夏世の負担を減らすことができる。ただし、八幡の消耗は遥かに大きくなるだろう。しかし、これしか方法が無いのも事実である。
「そんな、比企谷さん!それでは貴方の負担が────」
「いいから体力の温存をしろ。子供は黙って年上の言うことを聞け」
有無を言わせず、八幡は夏世の前に立つ。
「お前に先に倒れられちゃ面倒だからな。辛くなったらフォロー頼む」
「……すみません」
あれからどのくらい経ったのだろうか。数分か、数十分か、はたまた数時間か。少なくとも八幡の体感では何時間も経っているような錯覚を受けていた。
「はぁッ、はぁッ、はぁッ……」
膝に手をつきながら荒い息を吐き出す。討ち漏らしたガストレアの処理だけを夏世に任せ、あとは雪崩のようなガストレアの奔流をたった一人で受け止めていたのだ。こうなるのも無理はない。今は何時だ?時間を確認したいがスマホを取り出す気力もなく、立っているだけでも辛いくらいだった。五体満足でこの場に立っているのが奇跡にも感じる。未だ目立った外傷は無いが、いつ集中力が切れてダメージを負うかも分からない状況だった。
「比企谷さん……」
夏世が悲痛な声を絞り出す。目の前で自分を庇って身を擦り減らす八幡を見て、良心が苛んでいるのかもしれない。
八幡はなんとか呼吸を整え、体力がある程度回復したのを確認する。弾薬の節約のためガストレアの六、七割がたを近接戦闘で葬ってきたため四肢の至るところが痛み、全身が鉛のように重い。できることならこのまま地面に倒れ伏し、薄れゆく意識にこの身を任せたかった。だが、かろうじて残っている理性がなんとか意識を繋ぎ止める。
周囲には無数のガストレアの死骸が積み重なっており、濃密な血臭が鼻をつく。何体倒したのか……。五十体目を倒してからはもう覚えていない。
ここ数分ではガストレアの襲撃も散発的になり、幾らか楽になったがいつまたさっきのような波がくるかわからない。
「はぁ……はぁ……、千寿、大丈夫か?」
「……はい」
返ってきた返事は重い。 やはり八幡に対して罪悪感を感じているようだ。
「貴方は、どうしてそこまで……」
「…………」
不意に、八幡のポケットからスマホのバイブレーションが鳴る。苛立ち混じりに電話に出ると、耳に澄んだ声が聞こえてきた。
『比企谷さん、私です』
「……聖天子様?」
驚いた事に八幡にかけてきたのは聖天子だった。驚きの余り呆気にとられてしまうが、それでも努めて冷静さを欠かないようにする。
『本作戦において私たちは貴方たち民警全ての行動を把握しています。もちろん、あくまでも推測ですが、何故貴方がそこでガストレアとの戦闘を続けているのかも』
聖天子の声は静かだったが何処か焦っているようにも感じる。
『比企谷さん、朗報が一つと凶報が二つあります。……どちらから先に聞きますか?』
「……朗報から聞くのがお約束でしょう?」
『わかりました。まずは、朗報からです。とりあえず、里見さん、藍原さんペアは生きています。ただし、両名とも満身創痍ですが』
それはわかる。未だ背後の市街地では銃撃音や破砕音が響いてきている。それが彼らが生きている何よりの証拠だ。だが、それは蛭子影胤、小比奈ペアが未だ健在だということも意味する。
『次は凶報です。一つ目は、里見さんたちが到達する前に蛭子影胤に奇襲をかけた民警チームは……全滅しました』
やはり全滅していたか……。今更驚くことでもないが、聞くと改めて蛭子影胤の強大さを思い知らされる。
『次が最後です。比企谷さん、落ち着いて聞いて下さい』
そう告げた聖天子は俄然緊張した声になった。
『ステージⅤ、ゾディアックガストレアが出現しました』