夜を染める黒(旧題 : 俺ガイル×ブラック・ブレット)   作:つばゆき

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蛭子影胤追撃作戦 二

 

 蓮太郎を病院に送り届けたあとの、聖天子直々のブリーフィングが始まる少し前、八幡は自らが通う高校で平塚先生と会っていた。

 

 自らが民警である事を伝えるためと、それを打ち明けた上で口止めをするためだ。

 

 東京エリアに腰を落ち着かせてからは比較的平穏に生活を送っていた八幡だったが、最近になってそれも崩壊し始めている。学校に行けなくなる日も増えるだろう。ならば、早いうちに教師である平塚先生に打ち明けておいた方が良い。無論校長には知られる事となるだろうが、そこは致し方あるまい。生徒に知られなければ充分だ。

 

 民警であると伝えた直後の平塚先生は、指を組んで顔を隠したまま数分間動かなかった。だが、やがて大きく溜め息を吐くと、そうかとだけ呟いた。

 

 平塚先生にはもう一つ、雪ノ下と由比ヶ浜にはこの事を黙っていてもらうように頼んだ。極力、彼女らには知られたくない事であったし、いずれ露見することにせよ知られるのであればなるべく後の方が良いと判断した。

 

 最後に、これから政府主導の大規模な作戦に参加するということ、それが原因でまだあと数日休むと伝えたら、彼女は引き止めるでもなくただ「死ぬな」とだけ言った。

 

 無理に引き止めないその気遣いに思わず礼を言ってしまったが、平塚先生は苦笑しながら、明らかに間違っているような事でもない限り君の決定に茶々を入れるような事はしないさ、と付け加えた。

 

 平塚先生には世話になった。雪ノ下たちも高校生活を数ヶ月とはいえ共にした仲だ。蓮太郎や延珠、木更も民警としてなんだかんだやって来た仲でもある。材木座?そんな奴は知らん。出来る事なら八幡の知る情報を全て教えて東京エリアから逃げ延びて欲しい。しかし、それをしたら機密漏洩の罪に問われる事になるだろう。伝えた相手にも被害が及ぶかもしれない。

 

 以前の八幡なら自分だけ他のエリアに逃げていただろう。そして、自分がいたエリアが滅んでいく様を安全な場所から静観していたに違いない。

 

 だが、八幡は東京エリアで自らの居場所を見つけてしまった。なんにせよ、八幡には東京エリアに残って戦う以外の選択肢は残されていなかったのだ。

 

 思索に没頭していた八幡は、ふと視線を感じて顔を上げると、急に黙り込んでしまった八幡を心配に思ったのだろう、平塚先生がじっと八幡の顔を見ていた。それを見て、八幡は自分が何処にいたのか思い出した。

 

 もうそろそろ行くと告げると、平塚先生は少し寂しそうな顔で行ってこい、と言った。

 

 相手は元序列134位の怪人、蛭子影胤。八幡や蓮太郎も蛭子影胤と同様機械化歩兵であるが、彼らほど序列が高いわけでもないし、戦闘の経験があるわけでもない。二人がかりで全力で挑んだとしても、下手したら返り討ちにされかねない、というのが現状だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうすぐ降下地点です!」

 

 操縦士の声によって八幡の意識は思索の世界から現実に引き戻された。

 

 八幡は数日前と同じ様にヘリに乗っている。今日は蛭子影胤追撃作戦当日だ。この作戦には既に何組もの民警ペアが投入されており、そろそろ他の民警達もヘリでそれぞれのポイントに降下し始める頃合いだった。

 

 窓の外を確認すると、前回とは打って変わって今日は雨は降っていなかった。現在の時刻は二十一時過ぎ。周囲には既に闇夜が広がっている。

 

 後五分もせずに降下する。八幡は前回乗ったヘリより幾分広い機内を眺めながら装備の再確認をする。

 

 グロック18Sフルオート射撃拳銃が二丁、タクティカルナイフが一本、手榴弾と音響閃光弾が複数個。

 

 グロック拳銃にはサプレッサーとフラッシュサイト、レーザーサイトを着けている。おかげで重量が増した上、取り回しも若干悪くなったが、蛭子影胤と遭遇したらそれらは投棄すれば良い。手榴弾を入れてあるポーチには予備弾倉、多弾倉マガジンを詰めている。背負っている小さなリュックに入っているのは携帯食糧とサバイバルキット、照明弾だ。照明弾は蛭子影胤と遭遇した際他の民警に救援を請う為らしい。

 

 そして、八幡は懐を確認する。

 

 連結された三本のAGV試験薬。ガストレア並の治癒力を発揮する恐るべき薬であるが、使用者が20%という高確率でガストレア化するという無視出来ないリスクがある。これは奥の手だ。使わないことに越したことはない。

 

 操縦士の降下地点到着の声に顔を上げると、ヘリの扉を開け放つ。グッドラック、と言う操縦士に軽く手を上げて応えると、空中に身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 降下用ロープを巧みに使って降りた地点は、人間が介入しなくなって久しい草花が伸び放題の森林だった。

 

 数分すると、なんとか周囲の様子を観察できる程度には目が慣れた。

 

 草花が伸び放題の森林。……というよりも、そこはもはや樹海だった。

 

 八幡の見たことの無い植物がわんさか生えている。すっごい毒々しい花とか。うわあれ食虫植物じゃね?

 

 空を見上げると、木々の隙間から月明かりが見える。開けた場所ならある程度は役に立ったのだろうが、月光を木々や葉が遮り、あまり明るくない。これじゃろくに歩かずに植物に足を取られるだろう。

 

 地形もガストレアや大戦期の人間の手によって変化しており、地図もあまり役に立たない。どこぞの異星起原種みたいに片っ端から地形を平坦にされるよりはマシだろうが。

 

 正直もうここには居たくないし、さっさと市街地に向かうことにした。

 

 民警達は降下された地点周辺を捜索しろと言われているが、そんなもの知ったことではない。そもそも、蛭子影胤の性格からして森に潜んでいるよりも開けた場所で民警達を堂々と待ち構えているだろうし。ちなみに本音は純粋にここに居るの嫌だからである。虫とか超出てきそうだし。あとなんか薄気味悪いし。やだあれも食虫植物?

 

 方位を示す以外ほとんど役に立たない地図を地面に投げ捨て、市街地方面に向かって歩みを進める。

 

 足音を消す必要は無い。存在感が最初から稀薄な八幡はそもそも意識せずとも足音が立たない。長年のぼっち生活の賜物である。

 

 ふと、前方に気配を感じた。そこもさすがはぼっちというべきか、気配やら何やらに敏感なのだ。ぼっちで良かった。ぼっち最高。

 

 姿勢を低くし、ほぼ無音で近くの木の側にまで移動する。木の幹に背を預けながら気配のする方を覗き見ると、若干森の開けた場所にガストレアが二匹いた。ステージⅠとステージⅡが一匹ずつだ。

 

 排除するか、このままやり過ごすか迷うが、排除することにした。

 

 なるべく音を立てず市街地に向かう必要がある為、行軍速度は自然と遅くなる。あのガストレアたちが動き出した場合、発見される可能性は無視出来ない。それに、こういう状況は今後も遭遇するだろうから今のうちに慣れていた方が良い。

 

 グロック拳銃のセーフティを外し、手に黒いグローブを着ける。他のガストレアに気付かないようにする為手榴弾や音響閃光弾は使えない。音を立てず、迅速に無力化する必要がある。

 

 グロックのレーザーサイトを取り外し、サプレッサーを取り付ける。彼我の距離は約30m。

 

 木の陰から飛び出し、姿勢を低くしたまま走り出す。木の陰や茂みの間を移動しつつほとんど足音を立てず対象に接近する。

 

距離20m。グロックを構える。ステージⅡの方のガストレアの頭部を狙い、発砲。司馬重工のサプレッサーは発砲音の他マズルフラッシュも低減させていて、想像以上の高性能さに正直舌を巻いた。

 

 飛翔した弾丸が狙い過たずガストレアステージⅡの頭部に直撃。モデルは何かしらの哺乳類らしく、骨格もそこまで硬く無かった為、今の一発で脳を破壊出来た。

 

 距離10m。自身の側でガストレアが倒れ伏した様を目の当たりにして、ステージⅠが何事かと首を巡らせる。流石に距離が近かった為か、ついに八幡はガストレアに発見された。仲間を呼ぼうとしたのだろう、ガストレアが大きく息を吸い込む。

 

 しかし、それを許す八幡ではない。10mの距離を一秒未満の速度で一気に詰め、ガストレアに肉薄。右手にはタクティカルナイフが握られている。

 

 地面を踏みしめ、左手をガストレアに向かって突き出す。凄まじい速度で繰り出された掌打はガストレアの喉を叩き潰し、頸椎をへし折る。結果声を出せなくなったガストレアは抵抗する間もなく次の瞬間八幡の右手に握られたナイフで心臓を貫かれた。

 

 二匹のガストレアを無力化するまで十秒未満。戦闘行動に移ってからは五秒にも満たない。まぁ及第点だろう。地面に崩れ落ちたガストレアを一瞥し、時刻を確認する。現在二十三時。八幡が森に降下してから二時間が経過した。日付けが代わるまであと一時間。夜を明かす場所を確保した方が良いのかもしれない。

 

 タクティカルナイフをナイフシースに収納し、再びグロック拳銃を片手に行軍を開始する。あと二時間以内には休憩場所を確保したい所だ。睡眠時間も三時間は欲しい。作戦はいつまで続くかわからないのだ、何事も早目に行動するに限る。

 

 歩いていると、途中で不発弾らしいミサイルっぽいものを見つけたり、危うく地雷を踏みかけたりした。こういうものは昔も何度か経験しているため、一度発見してからは比較的早い段階で見つけられるようになり、的確な対応ができた。不発弾に銃弾撃ち込んだら爆発すんのかなーとか考えたが、命はまだ惜しいのでやめた。

 

 時折、ガストレアの足跡────ステージⅢや、Ⅳくらいのものがあり、その度に進路を変えながら進んだ。ステージⅢや、Ⅳは倒せないわけでもないが、無音で倒すのは流石に難しい。遭遇したら倒す前に大量のガストレアが集まってくるのは想像に難くなかった。市街地のようにゲリラ戦が可能な場所ならともかく、可能であっても慣れていない上、乱戦状態では簡単に居場所の露見する森林の中で、それらを対処しきる自信はなかった。

 

 慎重に行軍を続けていると、不意に森の中に爆発音が響いた。

 

「なっ…………!?」

 

 他の民警が手榴弾かグレネードランチャーでも使用したらしい。音に驚いたのだろう、木に止まっていた鳥たちがバサバサと羽根をはためかせながら飛び立つ。

 

 これが昼ならまだ良い。だが、夜は不味い。ガストレアも睡眠をとる。その睡眠をとっていたガストレアが一斉に目を覚ますのだ。そして、音の発生地点に殺到するだろう。

 

 近い。距離からして約100m。加勢に回るため音の発生点に向かって走り始める。が、走り始めて数秒もしないうちに八幡の視界の端に巨大なシルエットが映った。

 

 ガストレアだ。それもステージⅣ。倒すのは得策ではない。時間がかかり過ぎるし、その間に確実に他のガストレアが集まってくる。必然的に選択肢は逃げるしかない。だが、あの巨体を相手に逃げ切れるのか?

 

 自問していると、近くの茂みから一人の少女が飛び出した。ショットガンとウエストポーチを身につけている。その少女は八幡の姿を認めるや否や叫んだ。

 

「何をしているんですか!? 早く逃げて下さい!!」

 

 言われるまでもない。踵を返そうとすると、少女の背後にいたガストレアが少女に向かって、鋭い牙のついた口で噛み付いて来た。爬虫類やら鳥類やらいろいろ混じり過ぎて元がなんなのか見当もつかないが、あれに捕まったらヤバいということは分かる。少女は八幡と比べて一拍遅れて気付いた為、反応が遅れてしまっている。腕に牙が引っ掛けられ、牙が触れた部分が容赦なく抉られた。

 

「ぁぐっ!」

 

 少女から苦悶の声が上がる。このままでは逃げ切れないと悟った八幡は、少女とガストレアの間に飛び出すと、噛み付いて来たことにより位置の下がったガストレアの頭部に向かって中段後ろ回し蹴りを繰り出した。

 

「────シッ!!」

 

 八幡の靴の裏が、ガストレアの顔面に激突する。

 

 手持ちの武器の中では、手榴弾以外にガストレアステージⅣにまともにダメージの与えられる武器はない。

 

 アサルトライフルやサブマシンガンも今回の作戦では身軽さを意識したため持ってきていない。

 

 グロック18Sも零距離射撃ならダメージを与えられるかもしれないが、余計な弾を消費するのは躊躇われた。

 

 従って、残された選択肢は己の身体を使い攻撃をすること。一般人や素人の蹴りは銃火器の打撃力に遠く及ばないが、生憎八幡は一般人とは程遠い。

 

 プロレスラーのパンチや蹴りは、数百kgから一tにまで及ぶらしい。細身で体重の軽い八幡にはそこまで重い蹴りを出すのは難しいが、蓮太郎の天童式戦闘術のように独自の戦闘法を持つ八幡の蹴りは、プロレスラーのそれに近い、決して侮れない威力を持っていた。

 

 確かな手応え。延珠の靴と同様バラニウムで補強された八幡の靴は、インパクトの瞬間確実にガストレアの鼻面をへし折っていた。ガストレアが苦悶の声をあげて大きく仰け反る。

 

 少女は八幡の行動に一瞬驚いたようだが、すぐにガストレアに接近すると、至近距離からサプレッサーがついているのだろう、発砲音が極端に抑えられたショットガンを頭部に照準し、引き金を引く。

 

 立て続けに攻撃を受け、怯んだガストレアは逆方向に向かって逃げて行った。

 

「ここにもすぐにガストレアが集まってくる。さっさと移動するぞ」

 

 追い払ったという刹那の安堵からか八幡は小さく溜め息をつき、振り返った。目の前には少女が佇んでいる。この少女に文句や嫌味の一つでも言ってやりたかったが、それは場所を変えた後だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、八幡と少女が移動した先は、ほとんど朽ちかけていた石造りのトーチカだった。

 

 いつ造られたのかわからないほどボロボロになったそれは形こそトーチカの風を保っているものの、ひとたび強い風が吹けば崩れてしまいそうなほど風化していた。

 

 そのトーチカの中で、適当に拾い集めた焚き木を一箇所にまとめ、火を着ける。最初は小さかった火もやがて大きくなり、体を暖められる程には勢いも強くなった。

 

 リュックの中から応急キットを取り出し、血がどくどくと流れ続ける少女の腕を慣れた手つきで止血し、消毒する。

 

「…………ぅ、くっ……」

 

 相当痛いのだろう、歯型に抉られた腕を消毒するたび少女の顔が苦痛に歪む。傷口が大き過ぎて止血には苦労したが、これだけ抉られているのに骨が見えていない分だけマシだと思い、淡々と応急処置を施していく。

 

「……痛いか?」

 

 声を出すことすら辛いのか、少女は苦痛に耐え、歯を食いしばりながらもなんとか首肯する。

 

 同年代の子供なら痛みの余り泣き叫んで当然な程の怪我だが、大分肝の据わった少女のようだ。

 

 ポケットをまさぐり、ハンカチを取り出す。家を出る際に入れたばかりだし、衛生面には問題ないだろう。

 

 ハンカチの余分な部分を千切り、適当な大きさに調整して畳むと少女の口元に寄せた。

 

「噛んでろ。歯が割れるぞ」

 

 これは経験則だ。八幡も重傷を負ったことはそれなりにあったし、応急処置の際に歯を食い縛り過ぎて奥歯が欠けた事がある。

 

 少女は少し躊躇う様子を見せたが、これ以上余計な醜態を晒すよりは、とでも思ったのだろうか、諦めたようにそれを咥えた。

 

 それを見て応急処置を再開する。八幡自体イニシエーターを失って久しいためどの程度で回復するのかわからなかったが、目の前の少女の再生速度は早いとは言えない。放置するよりはマシだろう。

 

「〜〜〜〜!!」

 

 なるべく優しくやっているつもりだったが、やはり痛いようだ。自分の傷の処置をするときは痛みなど度外視していたため、応急処置自体には慣れていても痛みに気を使うのは慣れていない。

 

 少女は耐え難い苦痛にぎゅっと目を瞑っており、必死でハンカチを噛み締めている。それに、負傷していないもう片方の手で八幡の腕を痛い程に握りしめており、爪が立って八幡の皮膚からは血が滲んでいた。

 

「ほら、終わったぞ」

 

傷口を圧迫し過ぎないように包帯を巻くと、頭をぽんと叩く。全身の力を抜いた少女はゆっくりと顔を上げると、大きく息をついた。

 

「………ありがとうございました」

 

 礼を言われて初めて八幡は違和感に気付く。

 

 痛みに涙を滲ませ耐える様は年相応の少女のようだが、如何せん雰囲気が年齢の割に落ち着きすぎている。感情が読めない……というより、つかみ所が無い印象、といったところか。

 

「自己紹介が遅れました。三ヶ島ロイヤルガーター所属、千寿夏世と言います。モデル・ドルフィンのイニシエーターです」

 

 モデル・ドルフィン。イルカの因子を持つイニシエーター。聞いてはみたものの、正直ぴんとこない。イルカと言えば、超音波を発して敵味方を補足するような能力だろうか。水中ならともかく地上では大したアドバンテージにはなるまい。

 

 俺の怪訝そうな表情を察したのだろう、千寿夏世と名乗った少女が付け足すように言う。

 

「……まぁ、確かに私のモデルとなったイルカには、戦闘に何かしら特別な恩恵があるわけではありません。私の場合、戦闘に向いていない代わりに知能が高くなっています。今は将監さんが前衛、私が後衛、といったところです」

 

 プロモーターが前衛で、イニシエーターが後衛。いままで単独で民警をやってきた八幡が言えることでは無いが、このスタイルでやるのは珍しい例ではないのだろうか。それとも、高位序列者故にプロモーターの戦闘力が高いからか。

 

「確か一度……防衛省で顔を合わせてたな」

 

 彼女の事は蓮太郎に絡んでいたプロモーターの相棒、として記憶している。

 

「はい。確か比企谷八幡さん、でしたね」

 

「覚えていたのか」

 

「ええ、このくらいしか取り柄が無いものですから」

 

 そう言って夏世は、少しだけ自虐風に笑った。

 

「それに、将監さんには後衛なんて向いてません」

 

「性格的にアレなんだろ」

 

 夏世は八幡の身も蓋もない言葉に頷きを返す。

 

 八幡は、以前一度だけ目にした夏世のプロモーターを思い出す。身の丈ほどもあるバスタードソードを持った、ドクロのフェイススカーフの巨漢。あのときいち早く影胤に攻撃を仕掛けたのも彼だ。動きを見る限り相当な使い手だと分かった。確かに彼には後衛は向いていないだろう。

 

 改めて夏世の姿を見ると、あまり戦場には似つかわしくない格好をしていた。茶色いネックウォーマーに長袖のワンピース、そしてスパッツ。黒を基調とした八幡の戦闘服とは随分な違いだ。

 

「そういえば、比企谷さん。貴方のイニシエーターはどうしたんですか?はぐれたのならすぐにでも合流をした方が…………」

 

「…………っ!」

 

 俺の…………イニシエーター?

 

 そのとき八幡の身体が震えた。八幡はイニシエーターを失ってから久しい。あのときからもう二年以上立っている。だから、八幡の側には誰もいないのが当たり前となっていたのだろう。

 

 質問を投げかけられたとき、八幡は久し振りに動揺する素振りを見せた。一瞬息が詰まり、八幡の顔が強張る。夏世はそれだけで八幡が過去に何があったのか理解した。

 

「…………すみません。配慮が足りませんでした」

 

 年端もいかない少女の謝罪を八幡は手で制すと、勢いが弱まりつつある火に身体の向きを変え、後ろに手をついてボロボロの天井を見上げると、溜め息をついた。

 

「…………。……数年前に、殉職した」

 

 良い子だった。明るくて、年齢の割りに気配りが出来て、その実意外と繊細で。卑屈な八幡に嫌な顔ひとつせず接してくれていた。

 

「…………」

 

 夏世は、膝を抱えて俯いている。聞くんじゃなかったと、後悔した。答えは容易に想像出来た筈なのに、不用意に聞いてしまった自分の迂闊さが恨めしい、と戒めるように自分の唇を噛む。

 

 八幡は、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 今でもたまに、夢に見る。

 

 二年以上前に起こった、自らの不用意さが引き起こした悲劇。

 

 民警になってまだ数ヶ月のときの出来事だ。モノリス付近に出現したステージⅠガストレアの討伐という依頼を達成し、帰っている途中にステージⅣのに襲われた。まだ実戦経験に乏しかった八幡は、ステージⅣに対抗する力は当然持ち合わせて居なかった。ガストレアの奇襲を最初に受けた彼のイニシエーターは、抵抗する間もなく左腕と右脚をもがれ、腹部を貫かれた。

 

 激昂した八幡は勇敢にも、……愚かにもそのガストレアに立ち向かうが、当然の如く歯が立たず、結果股から下、両脚を喰い千切られ、為す術もなく近くにあった廃墟の壁に叩きつけられた。

 

 その後、八幡が目を覚ますとガストレアは去った後だった。暗くなり始めた空には雲がかかっていて、月を覆い隠している。周囲を見回すと彼のイニシエーターがうつ伏せに倒れていた。駆け寄ろうとするが、立ち上がれない。半分パニックに陥りながら下半身を見下ろすと、やっと自分の両脚が無いことを思い出した。

 

 脚以外にも身体全体に打撲や裂傷ができ、酷い有様だったが、それでも八幡は無事だった両腕を駆使し、彼女の元に必死に這って行く。やっとの思いで彼女の元に辿り着くと、なんとか彼女の身体を抱き起こした。抱き起こされた彼女は目を薄らと開け、八幡の姿を認めると、既に青くなっていた唇をゆっくりと開いた。

 

『せめて…………ヒトのままで死なせてください』

 

 彼女の身体はもう限界だった。左腕と右脚をもがれ、腹部を貫かれた状態でここまで持っていたのが奇跡といえたほどだった。彼女の呼吸はかなり浅く、今にも息絶えそうなのに、傷口は凄まじい速度で再生していく。八幡の脳裏にガストレア化の文字がよぎる。彼女の体内侵食率は確実に50%を超えていた。

 

 まだ十代の半ばに差し掛かったばかりの八幡にはそれは受け入れ難い現実だった。自分の目の前で、自分のせいでイニシエーターが命を落とすということも、その命を自ら奪うということも。

 

 ……でも、それが彼女の望みなら。

 

 ……きっと辛かったのは彼女も同じの筈だった。まだ十年も生きていないのに、死ぬのは凄く怖かっただろうに。それを受け入れた上で、彼女は八幡に自分を殺してくれと訴えてくる。

 

 八幡は震える手で銃を取り出し、彼女の額に銃口を向けた。

 

 目からは涙がとめどなく溢れ出ている。奥歯が割れんばかりに歯を食い縛り、今にも漏れ出そうな悲鳴を必死で噛み殺す。

 

 そんな八幡を彼女は困ったような顔で見上げると、ただ一言、

 

『ごめんね』

 

と言った。

 

 それが彼女の最期の言葉だった。それを聞き届けた八幡は震える手でゆっくりと引き金を絞った。乾いた銃声が夜空に響き渡り、彼女の残った左腕が力なく垂れ下がった。

 

 そしてそのまま八幡は、出血多量で気を失った。

 

 

 

 

 

 今でもたまに、夢に見る。

 

 八幡は暗闇の中、血塗れの死体に囲まれていた。

 

 それらはゆっくりと立ち上がり、眼球を抉られて光を失った双眸を八幡に向け、傷だらけの生々しい腕を彼に伸ばす。

 

「どうして、貴方は生き残ったの……?」

 

「どうして、貴方は生き永らえているの……?」

 

「どうして、どうして私を助けてくれなかったの……!?」

 

 

 

 

 

「……まだ、引きずっているのですか?」

 

 はっとする。その声によって、八幡は現実に引き戻された。そこは死体に囲まれた暗闇などではなく、勢いの弱まった火がボロボロの壁を照らす、朽ちかけたトーチカだった。

 

 常人離れした頭脳を持つ夏世は八幡の心情を敏感に感じ取り、乾いた唇を開く。

 

「私が何かを言えた立場では無い事は分かっています。ですが、過去を引きずっていても今に何も益をもたらしませし、ただ自分の心を蝕むだけですよ。後悔するのも自身を責めるのも自由ですが、それは何も意味のない行為です」

 

 諭すように告げる夏世の声には、その内容ほどの険は無い。ただ、責めるでもなくじっと八幡を見つめている。

 

「俺は、…………」

 

 何かを言おうとして、そこで八幡は気付いた。こんな少女に何か言ったとして、それが何になる。それこそ何の益ももたらさない。

 

「……すまん、ぼーっとしてた」

 

「はい」

 

 付け足すように言うと、夏世も追従するように頷く。何か言おうとした、というのは夏世も気付いているのだろうが、それを追及する気はないらしい。どこまでも大人びた少女である。

 

 不意に、トーチカの外に気配を感じた。

 

 人数は二人。誰なのかは分からないが、警戒しながら足音を消しトーチカにゆっくり近づいてくる。索敵能力に長けているのは、なにもソナーを持つ夏世だけではない。長年のぼっち生活によって培われ、菫の伝手の下で訓練し、精度を増した八幡の気配探知能力も相当なものである。

 

「……千寿」

 

「ええ」

 

 やはりというべきか夏世も気配は感じていたらしい。八幡がグロック拳銃を取り出すと、夏世も壁に立てかけてあったショットガンを構える。相手はおそらく民警だろうが、万に一つ、蛭子影胤という可能性もなくはない。

 

 ハンドサインで合図すると、入り口の近くの物陰に身を潜ませた。

 

 静寂が場を支配すること数秒。

 

 先に動きを見せたのは外の人間の方だった。一人目がトーチカの入り口に近づくのを敏感に察知した夏世が物陰から飛び出す。

 

「動くんじゃねぇ!」

 

 怒声。怯まず夏世もショットガンを入り口に向け、相手のハンドガンとほぼ同時に照準した。

 

 間髪入れず、完全に気配を遮断した状態で接近していた八幡がその頭部にグロックの銃口を押し付ける。

 

「動くな。……そこのイニシエーターもだ」

 

 裏口から入ってきたイニシエーターの方にもすかさず腰からもう片方のグロックをドロウし、銃口を向けて動きを止めた。

 

「銃を捨てて両手を……って、マジか」

 

「え、あ、比企谷?」

 

「…………里見か……」

 

 トーチカに現れた予想外の相手に、八幡は気の抜けた声を出した。

 

 

 

 


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