夜を染める黒(旧題 : 俺ガイル×ブラック・ブレット) 作:つばゆき
東京エリア──
二〇二一年にガストレアによる侵攻を受ける以前より、一千万を超える人口を保有するメガロポリスであった東京は、侵攻後に東京エリアと名を変えた後もやや人口が減りこそすれ、その高層建築の数々や近代開発の波により、大阪エリア、仙台エリアとは今なお一線を画す規模を誇っていた。
東京エリアを囲むように建造された、天を衝く漆黒の威容──モノリス付近こそ打ち棄てられ、今はホームレスしかいない廃ビル群が残されるばかりであったが、モノリスから一メートルでも離れるよう、増築に増築を重ねた超高層建築は中心に向かい乱立している。
そういう
比企谷八幡は内側とも外側ともつかぬ微妙な塩梅の位置に開いていた、落ち着いた雰囲気の喫茶店で一服しながら、東京エリア全体の地図と聖天子の警護計画書を眺めていた。既にどちらとも赤や青のボールペンで幾度となく添削がなされており、持ち主の熟考具合が窺える。
誰が見ているかもわからぬ喫茶店で無造作に重要書類を広げるのは不用心と思われるかもしれないが、監視カメラもなく、人の来ない奥まった席で見る分には問題はないと判断していた。たまたま聖天子暗殺計画の関係者がたまたま同じ喫茶店に居合わせ、八幡の手元の資料を覗くことはまずないと判断した結果である。
八幡は頬杖を外し控えめに伸びをすると、冷め始めた傍らのコーヒーを啜る。徹夜を重ねて睡眠不足に陥った脳がカフェインを求めている。人の住める状態ではなくなったマンションを引き払い、愛猫カマクラを菫に預けて仮拠点に移動、それから一睡もせずに動き続けていた八幡には確実に疲労が蓄積していた。ここらで一息入れたいところだったが、状況は未だ予断を許さず、作業の進行具合によってはもう一徹ほど覚悟しなくてはならない。甘党の彼は砂糖とミルクをいつもより気持ち多めに投入すると、一息に飲み干した。
気分を一新した八幡は再び資料とにらめっこを始めた。
手元の警護計画書は、以前の警護二回とは打って変わって杜撰とも取れる仕上がりであり、あからさまな狙撃ポイントが一つ、まるであつらえたかのように存在している。勿論、これは狙撃手を誘い出すための罠である。聖天子を護送するルートに一つ。そして今回の会談場所は以前にも使用した高層ホテルである。そして会談をする階層は全方位がガラス張り──もちろん、アンチマテリアルライフルの狙撃を到底凌げるものではない。
つまりは、狙撃犯であるティナには代償として最低でも二回のトリガーチャンスを与え──代価としてティナの狙撃ポイントを割り出そうというのだ。
とはいえ、すでにその作業は昨夜の内に完了していた。東京エリアは中心部に近づくのに従い、高層建築物が加速度的に増加する。会談場所の高層ホテルもその例に漏れず、周囲に高層ビルが乱立している以上、建物自体が狙撃の障害とならないよう狙撃ポイントは厳選しなくてはならない。そして狙撃に関しては、より標的と高度が近い場所を選ぶのが定石だ。標的が狙撃地点より高過ぎると射角が取れず、撃ち下ろしの射撃では弾道計算が複雑化し、狙撃の難易度が飛躍的に高まる。ティナの技巧をもってすれば多少の高度差があっても不可能ではなかろうが──恐らく、今の彼女にはもう後がない。
彼女のバックについているエイン・ランドの性質については菫より聞かされていた。プライドと自尊心が高く、プロ意識の強い男。そんな男がティナの任務失敗をそう何度も許すはずがない。絶好の機会を得た今回、相当彼女にプレッシャーをかけている事だろう。ティナは可能な限り成功率を高めようとするはずだ。
その上で、道中の狙撃と会談時の狙撃──両方に臨める狙撃ポイントは四箇所。内二つはエリアの
消去法により外部居住区──
昨夜未明に近辺の古いアパートが火事になる騒ぎがあったらしい。事故や自然発火などではなくあからさまな放火だったことと、築数十年以上の古い木造建築だったため、柱や基盤が腐っていたのか建物が丸ごと倒壊し、作動した火災報知器もほとんど意味をなさなかったという。
消防車が駆けつけたときには大量の火の粉を巻き上げながら倒壊していたというが、幸いにして居住者が一人しかおらず、その一人も外出中だったため怪我人が出ることもなかった。延焼する前に建物が倒壊したお陰で火の手は燃え移る対象を失い、目立った被害はアパート単体で済んだという。
不思議な点があるとすれば、外出中だったという居住者が未だに姿を現さない点だ。当人からすれば外出中に住処と財産をまるごと失ったことになるから、なんの保険に入っていなかったとしても失踪というには違和感がある。
八幡はその居住者を狙撃犯であるティナだと睨んでいた。近隣住民に聞き込みをした結果、アパートに出入りしていたのは年端のいかぬ少女だったという。居住者名簿にはあからさまな偽名が使用されており、医療機関や空港の顧客名簿にもその名は見られなかった。更に言えば倒壊したアパートの残骸からは、少女用とみられる衣服の燃え滓が発見されている。
偽の警護計画書が情報リーク容疑者に流されたのが一昨夜。そして昨夜未明にアパートが焼け落ち、住人は姿を消した……会談は警護計画書が作成されてから三日後。つまり明日の夜ということになる。間近に迫った任務に備え、拠点を放棄しその身を隠匿した、というのが真相だろうか。八幡は狙撃ポイントの特定と平行してティナの行方を追ってはいたが、アパートの倒壊の報を受けてから捜索の手を完全に打ち切った。拠点を捨て雑踏に紛れる対象を追うのは困難だ。あとは予測できる狙撃ポイントに先んじて急行し、トラップを仕掛けておくのが最善の手だろう。
単独で事前に打っておける手はほとんど打った。ならば思考を無駄に費やして時間を浪費する事もない。
八幡は思考の海に埋没していた意識を引き揚げると、手元の資料を畳んで席を立った。
× × ×
病室のカーテンの隙間から差し込む日光が角度を変えて白いシーツの上を滑っていく様を、里見蓮太郎は面会用の椅子に腰掛けながら見守っていた。
傍らのベッドには病院服を纏った延珠が横たわっている。彼女は保護されて以来、未だ一度も意識を回復させていないが、それでもガストレアウィルスの強力な治癒力は延珠の身体から綺麗に銃創を消し去っており、傍目から見れば眠っているだけのように見える。
延珠が保護されてから実に二日が経過していた。胴体に風穴を開けられただけに留まらず、致死量の数十倍の麻酔を静脈注射されて郊外に放置されていた延珠は、外見こそ今では問題はないが、意識の回復に今しばらく時間がかかるものと思われる。次回の会談までに目を覚ますかどうかは五分といったところだ。
蓮太郎は菫と決別してから、司馬重工本社ビルのVR訓練室でシミュレータ訓練を行う以外の時間のほとんどを延珠の面会時間に当てていた。司馬重工のテクノロジーを結集したVR訓練室は仮想空間が現実世界もかくやという再現度を誇り、各種兵器、爆薬が使用できあらゆる訓練が可能だった。
しかし、如何に司馬重工の誇るテクノロジーが蓮太郎の技術を向上させようとも、彼のメンタル面のケアまでは行えない。無心になって対狙撃手戦のシミュレートをこなしながら、蓮太郎は言いようのない焦燥感と無力感に苛まれていた。蓮太郎のティナとの関わりは、きっかけこそ八幡からもたらされたものであれ、彼よりもよほど長いあいだ彼女と関わってきた。故に聖天子襲撃犯が彼女だと知らされたときの衝撃はひとしおだったし、延珠が重傷を負って保護されたと聴いた時も無力感と罪悪感にうちのめされた。
蓮太郎は銃を握りすぎてマメが潰れた指先で延珠の頬を撫ぜ、枝毛など見つかりようもないさらさらの髪を梳いた。呼吸と共に膨らみかけの胸を上下させ、穏やかな表情で眠る無垢な寝顔が愛おしい。このまま待っていればすぐにでも起き出してきそうなほどに穏やかな寝顔が蓮太郎の心を苛んだ。もっと早くにティナが襲撃犯だと気付いていれば、こんな結果にはならなかったはずだと。
己の怠慢が聖天子を危険に晒した。己の怠慢が八幡から住む場所を奪った。そして今、己の怠慢が延珠をこんな目に遭わせている。
なによりも許せないのは己自身だった。他でもない蓮太郎自身が自分自身を責め立てる。気付けず、阻めず、守れなかった、己の無能を許すなと。
だが──仮に。ティナが聖天子暗殺を企ていると一週間前の己に忠告したとして、蓮太郎自身はその忠告を聞いただろうか。脳裏にティナの無垢な笑顔がちらついた。おそらく蓮太郎は一笑に付したに違いない。そんなはずがあるものかと。延珠の寝顔を眺めながら、蓮太郎はティナとの短くも穏やかな日々を回想する。少なくともティナは、蓮太郎に対して一度たりとも負の感情を覗かせたことはなかったし、本心からの笑顔を向けてくれていた。一週間ほどの短い間ではあったが、彼女の心根は理解しているつもりだった。言動と行動は適当なきらいはあったが、少しだけ見栄っ張りで、いつも眠そうな顔も愛嬌があった。そんな彼女に親しみさえ感じていたのだ。一体どうして疑えようか。
苦悩と葛藤に蓮太郎は頭を抱えた。シミュレータで酷使した全身がじくじくと痛む。募る焦燥感と無力感は蓮太郎に自傷に近い修練を課し、つい数時間前、未織に丸一日のVR訓練室の使用禁止を言い渡されたのだ。
不意に病室に響いたノックの音に、蓮太郎は肩を跳ね上げた。延珠の眠るこの病室は個室である。であればノックの主は延珠もしくは蓮太郎の関係者であり、赤の他人はありえない。
果たしてカラカラと扉を開けて病室に入ってきたのは、見慣れた黒のロングヘアと黒いセーラー服。天童木更だった。
「木更さん……」
「未織のところにいったら里見くんは帰したっていうから、きっとここだと思って来たの」
蓮太郎の横に、立てかけてあったパイプ椅子を広げて座った木更は静かな寝息をたてる延珠に目を落とす。
「聖天子様の非公式会談の警護計画書ができたらしいわ。メールで送ったけど、見た?」
「……いいや」
「そう思って来たのよ。里見くん随分自分を責めてるみたいだし、言われるまで気づかないと思って」
呆れたように嘆息する木更を見て、蓮太郎は自らの不明を恥じた。鍛錬に腐心するのはいいが、日程すら把握せずにどう聖天子を守り、ティナを捕捉しようと言うのか。
「……それで? 会談の日時は?」
「明日の夜九時からよ。会談場所は最初に使った高層ホテル」
「あそこか……」
聖天子の護衛として動いていたわけではない蓮太郎だが、過去二回の護衛計画についてはおおまかな概要を八幡から聞かされていた。高層ホテルも鵜登呂亭も、天童を木更と出奔する以前ならともかく、小市民である蓮太郎には縁もゆかりもない場所だ。
蓮太郎が聞かされた高層ホテルの場所を記憶から探りあてる中、木更が沈鬱な表情で口を開く。
「ねえ里見くん……無理しなくていいのよ。延珠ちゃんもこんな大怪我するような相手なんでしょう? 危険すぎるわ」
木更の言葉に、蓮太郎は黙ってかぶりをふった。
目を合わせようともしない蓮太郎に木更は身を乗り出して、蓮太郎の双眸を覗き込む。頑なな子供を諭すように。
「比企谷くんだって襲われたって言うじゃない。それに義肢が破損したって……。このままじゃ里見くんだって襲われるかもしれないでしょ。藪をつつく必要なんてない」
「……だめだ。ティナは俺が止めなきゃ」
「どうして!」
木更は悲鳴のような声をあげた。
「どうしてそこまで固執するの!? あのティナっていう子、序列九十八位なんでしょう? 里見くんじゃ殺されちゃう!」
「じゃあ、黙って聖天子様を殺させろっていうのかよ!」
思わず木更は口籠った。
蓮太郎もまた、咄嗟に放ってしまった怒声に他ならぬ自分自身が面食らう。ばつが悪そうに目をそらすと気まずげに口を開く。
「比企谷は襲撃自体は凌いだらしいがこの前の狙撃で負傷した。次の会談じゃあいつが聖天子を守り切れる公算は低い。それに──」
言葉を切る。
揺れる木更の瞳に目を合わせ、続けた。
「──あの子は、顔見知りなんだ。
聖天子が危険に晒されてるっていうなら、その責任の一端はティナのことを見抜けなかった俺にある」
束の間、沈黙が病室を支配した。
木更が蓮太郎の瞳をじっと見つめる。普段なら数秒も持たずに顔を赤くして目をそらす蓮太郎だが、今回に限っては真剣だとばかりに目を逸らさない。
決意は固いとみて、木更は呆れたように嘆息した。
「ほんとに、変なところで頑固なんだから。おばか」
「ごめん、木更さん。でも──」
ふと、息がかかる距離までに互いの顔が接近していたことに気付き、蓮太郎は慌てて顔をそむけた。ついさっきまで呼気のふれていた唇を手で抑える。
そんな蓮太郎の様子を目の当たりにした木更は瞬時に顔を真っ赤にすると、胸元を突き飛ばして乗り出していた身体を元に戻す。
「あだっ」
「ばっ、な、なに意識してるのよ! 真面目な話してたのに! ばか! このおばか!」
「そんな無茶な……」
掌底をくらった胸元を撫でさすりながら蓮太郎がぼやいた。控えめな抗議にジト目を向けた木更は、頰の紅潮を隠すようにそっぽを向いてふんと鼻をならす。
「ごめん」
「……まあいいわ。それと、実は比企谷くんから伝言があるの。電話かけても出ないっていうから」
「比企谷から?」
制服の尻ポケットからたスマートフォンを取り出した。電源ボタンを押しても沈黙したままだ。延珠が負傷してから使う機会がなかったため存在すら忘れていた。最後に充電したのは一週間近く前だった気がする。
「……どうせそんなことだろうとは思ってたわ」
項垂れる蓮太郎に助け舟を出すように木更は口を開いた。
「再充電するのも面倒だから口頭で伝えるわね。心して聞きなさい。
──ティナ・スプラウト捕捉の算段がついた。概要の説明をするため今夜十八時までに司馬重工本社ビルまで来られたし。なお強制はしない。だそうよ」
蓮太郎の目が驚愕に見開かれた。一瞬だけ瞑目すると、力強く頷いて立ち上がる。
願ってもない提案だ。断る理由なんてどこにもない。
× × ×
司馬重工本社ビルに着くや否や小さな会議室と思しき部屋に案内された蓮太郎を、未織と八幡が出迎えた。
明かりはなく無機質なシステムデスクと椅子が並ぶばかりである会議室は青白いホロディスプレイやホログラムに支配され、やや薄暗いものの光源に困ることはない。
勾田高校の生徒会室もまた日進月歩の現代科学を実感させたが、それを差し置いてなお一線を画す最新のテクノロジーを結集したような部屋である。
「里見ちゃん、いらっしゃい」
いつものように着物を纏った未織は、手元で扇子をくるくると弄びながらホロディスプレイを操作する。各種センサーが未織の一挙手一投足を逐一観察し、それに応じた操作を完了させる。蓮太郎にはセンサーの位置もそれらのハイテク機器の理屈もわからない。畳とちゃぶ台で生活している彼には意識しづらいことだったが、目の前でこれだけ情報が目まぐるしく動くと現代の科学がどれほど進んでいるのか再認識させられる。しかもこれがただの小さな会議室で、数あるうちの一つだというのだから驚きだ。
対する八幡は未織と対照的だ。薄暗い会議室の隅に配置されたL字型のソファに腰掛けた八幡は、頬杖をついてデスクの上にノートパソコンを開いている。ブルーライトカットと思しき銀縁の眼鏡をかけた彼は、普段の目の腐り具合が緩和されより理知的な印象を受ける。
「とりあえずは次の警護計画について話そか」
「ああ」
八幡も作業を終えたようで、薄型のノートパソコンを閉じると向き直る。会議進行は八幡が務めるようで、ちらりと未織を見ると口を開いた。
「ここ一週間程度の間に聖天子暗殺未遂事件が二度起こった。どちらも普段は政務でほとんど聖居にいる聖天子が、非公式会談をするために外に出たときのことだ。どちらとも狙撃、しかも一キロ以上離れた超遠距離狙撃だ。ここまではいいな?」
蓮太郎は頷いて続きを促した。
「過去二回の狙撃で……いや、二回目の狙撃で、俺は負傷及び義足が片方破損した。推進剤漏れこそ起きなかったが、スラスターノズルと可変翼機構をやられて事実上戦闘機動は不可能だ。更には応援にきて貰った延珠も重傷……これについては、謝罪のしようもない」
八幡はそう言って深々と頭を下げた。
本心だった。延珠に狙撃手の追撃を任せ、結果として一時的に行方不明、重傷を負わせるという事態を引き起こした。
「い、いきなり謝んなよッ。それにその件は別にお前が悪いわけじゃないだろ。提案したのはお前だけど、延珠にティナの追撃をさせたのは俺だ」
唐突に頭を下げられ、誰よりも面食らっていたのは他ならぬ蓮太郎だった。蓮太郎にとっては、自分たちが勝手に助けに行って勝手に負傷したようなものだ。
そうか、と八幡は頷くと話を戻す。
「件の狙撃手──ティナ・スプラウトの捕捉だが、そうだな。里見はまだ見ていないだろうからこの警護計画書を渡しておく」
そう言って手渡されたのは数枚の資料。第一区にある聖居から会談場所の高層ホテルまでの地図と、警護ルート、警護手段と護衛官の配置まで詳らかに言及してある。
「おい、これって機密資料だろ。未織や俺みたいな部外者に見せちまっていいのかよ」
「どっちにしろ襲撃は確定してるんだからいいんだよ。それにその計画書はダミーだ」
「なんだって?」
ほら、とデスクの上に広げた資料の地図部分を八幡が指差す。よく見れば色付きボールペンで但し書きがいくつも書いてあり実に見やすい。
「ここのルートにあからさまに狙撃できるポイントがある。他に通る道なんていくらでもあるのに、だ。そして今回の会談場所である高層ホテル。最上階は全方位ガラス張りだ。これらを餌にティナ・スプラウトを釣る」
なるほど、と蓮太郎は得心した。
八幡が未織に視線をやると、頷いた未織は手元でくるくると扇子を操って虚空に浮かぶホロディスプレイを操作する。次の瞬間青白い光を放ちながら聖居から高層ホテルまでの3DCGがホログラムで表示された。警護ルートと予測できる狙撃地点が表示され、直線で結ばれる。
「その二点をスナイプできる地点は、ここの外周区の廃ビル群。そして海岸沿いの一際高い高層マンションの屋上だ。このどちらかにおそらく奴は現れる」
「えらく自信ありげに言うな」
「確証があるからな。それと、偽の警護計画書は聖居内の情報リーク容疑者全てに流してある。本物はこっちだ」
八幡の言葉に呼応するように、浮かんでいたホログラムに上書きされるように新しい警護ルートが表示された。こちらは偽の警護ルートに比べると随分慎重で、建物の影に隠れ、狙撃しづらいように巧妙にルートを選択している。当然ながら聖天子は偽の方を外れ本物のルートで高層ホテルまで向かうことになる。
「今の俺には機動力がなく、近接戦闘が不可能だ。だから俺は奴に対しカウンタースナイプを仕掛ける。廃ビル群と高層マンション、この二点を狙い撃てるポイントでな。
だが、それだと一手足りない。奴の狙撃手としての技量は確実に俺以上だ。『シェンフィールド』の恩恵なしで先制しても五分がいいところだろう。だから里見にはティナ・スプラウトを捕捉次第、接近して襲撃をかけてほしい」
わざわざ直接対決の機会を譲ってくれるということか。願っても無い相談だと蓮太郎は戦意を漲らせる。もとより蓮太郎には狙撃の素質がなく、近接戦闘に特化したプロモーターである。ティナが聖天子と八幡に気を取られてくれるなら接近は容易いだろう。
「どちらに奴が現れても対応できるように二点間のちょうど中間……ここに待機してくれ。現場に急行できるように司馬がバイクを貸してくれる。運転はできるよな?」
「民警ライセンスとってから一年くらい運転してないけど、たぶんいけるだろ」
「なら、明日までに慣らしておいてくれ。当日は最悪乗り捨ててもいい」
説明を続ける八幡にホログラムの操作を止めた未織が、会議室の隅にあった一メートル強ほどある長物を差し出す。
「比企谷ちゃん。これ、頼まれとった銃。整備済みですぐにも使えるけど……試射はどうする?」
「射撃場を貸してくれ。仮眠とってからでも慣らしておきたい」
「ええよ」
そういって未織は八幡に銃を手渡した。長大な銃身に重厚感のあるフォルム。見覚えのある銃身に蓮太郎が声をあげる。
「L96狙撃銃か?」
「いや、違う。こいつはL96の銃身を.338ラプアマグナム弾用に改良したL115A1だ。ティナ・スプラウトと超遠距離狙撃で張り合うならこのくらいじゃないとな」
八幡は銃身を抱え、取り付けられたスコープや銃身下部の
もとより精度の面ではほかの狙撃銃の追随を許さないほどの性能を誇るL96A1だが、その優秀さゆえに他国へ輸出、ライセンス生産がされているほどである。国や軍、法執行機関など使用条件により様々なモデルが開発されてきたが、中でも特に長距離狙撃に適しているモデルがこの『L115A1』だった。
「対策の手段はこれだけじゃない。狙撃地点を予測できるってことは先手をうてるってことだ」
「まだあるのか?」
「とりあえずはティナ・スプラウトの出現予測地点をこの二点と断定したうえで、予測地点付近に通信妨害装置を設置した。局地的な
予想だにしなかった手段に、蓮太郎は面食らった。如何なる天候条件、狙撃対象でも意に介さず撃滅してきた神算鬼謀の狙撃兵。蓮太郎は圧倒的索敵能力の差の不利をやむなしとした上で対決しようとしていたが、八幡はその索敵能力そのものを無効化する手段に出ようというのだ。
「とはいえ奴もまた機械化兵士だ。ある程度の
ティナを止めると決意した当初こそ、延珠を下したティナに対し絶望的戦力差を覚悟して挑もうとしていたが、『シェンフィールド』の無効化、更に八幡による狙撃の援護があれば、近接戦闘によるティナ無力化もにわかに現実味を帯びてくる。
今日まで未織のもとで積んでいた対狙撃手シミュレータの戦闘訓練も無駄にはなるまい。
「おおまかな説明は以上だ。他に何か質問は?」
ふむ、と蓮太郎は腕を組むと、ややあって説明中に感じた疑問について口を開いた。
「……ティナの位置を今のうちに捕捉して会談前に叩くってことは出来ないのか? 準備ができていない段階で奇襲をかけた方が成功率は高いと思うんだが」
「今朝未明にティナ・スプラウトらしい少女が拠点と思しき古アパートを焼き払った。明日の夜まで拠点を棄てて街中に潜伏する気だろう。こうなったら当日夜まで捕捉は困難だ」
質問はもうない様子の蓮太郎に、話は終わりだと八幡は立ち上がった。
「細かい指示は後で伝える。何かあったら連絡してくれ」
「里見ちゃん。今日は一日ゆっくり休んで、明日また午前中にシミュレータ訓練でおさらいしたろ。比企谷ちゃんはどうする?」
「家に帰る時間も惜しい。悪いが仮眠室を貸してくれ」
「ええよ。比企谷ちゃんの貴重な寝顔たっぷり撮ったる」
八幡は欠伸を嚙み殺しながら伸びをすると、銀縁の眼鏡と外して目元を拭う。切れ長の眼の下には薄っすらと隈ができており、彼の疲労具合が窺える。
L115A1を収納したライフルケースを担いだ八幡が自分の肩を揉みほぐしながら未織と共に会議室を後にする。
彼らを見送った蓮太郎は、両手で頰を張って気を引き締めた。
後は明日の夜を待つだけだ。
ティナ戦は次回です