夜を染める黒(旧題 : 俺ガイル×ブラック・ブレット)   作:つばゆき

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アニゴジ面白い
実に虚淵っぽい脚本でした


目には目を、兵士には兵士を 前編

 

 

「第二回非公式会談の会談場所となったのがこの“鵜登呂亭“。その正面から狙撃地点となった建設途中の高層ビルの間の距離は、約一五〇〇メートル──前より遠いけどここから奴さんが撃ってきたんはまず間違い無い」

 

世界有数の重工業産業を担い、東京エリアにその本社を置く司馬重工本社ビル──その一角に敷設された司馬重工の令嬢たる司馬未織の私室に、比企谷八幡は招き入れられていた。

八幡の目の前では和服を纏った未織が青白く光るホロディスプレイを手に持った扇子で操作している。案の定映し出されているのは、狙撃地点と着弾地点を模した3DCG映像である。

以前勾田高校の生徒会室に似たような理由で招かれたことがあったが、司馬重工の令嬢の私室はかつての生徒会室とは一線を画していた。

最先端技術によって組み上げられた、機械的で整然とした部屋である。ホログラムによって組まれるディスプレイも、未織の動きを察知して作動するセンサーも、部外者である八幡を今も追尾し続けているカメラも、悉くが最先端技術の結晶だろう。一部では……というより、かなりの分野で菫の研究室を上回っているだろう。そもそも、たまに来る里見が掃除をしなければ足の踏み場もないほど雑然とした部屋と比べるほうがどうかと思うが。

なるほどこれでは年頃の女子が男を自室に招いたところで、不安要素など欠片もあるまい。それ以前にこの部屋で未織に邪な感情を抱ける男のほうが相当肝が座っている。

 

「これが、今回の狙撃で使用された弾丸。口径は既存の弾丸のどれとも一致せず、どれよりも大きい。勿論これが使用できる銃なんて存在しない」

 

八幡の目の前に差し出されたのは警察の鑑識が使うような証拠品袋に入れられた計五発の弾丸である。

八幡は証拠品袋の中に入った弾丸をまじまじと見て、かぶりをふった。

 

「12.7mmより明らかにデカイな。まさか14.5mm弾か?」

 

そう言って八幡は弾頭の僅かに歪んだ弾丸を袋の上から弄んだ。そして改めてその大きさに閉口する。こんなもので狙撃されたら原型を留めないどころの話ではない。威力はアンチマテリアルライフルすら優に超え、装甲車ですら貫通を許すだろう。上半身を打ち抜かれれば木っ端微塵に四散することは想像に難くない。既にその光景を八幡は目の当たりにしている。

護衛隊のポリカーボネート製のバリスティックシールドを粉砕し、機動隊の頑強な防護服をもろともに四散させた悪夢の如き光景。頭部を衝撃波で頸部もろとも吹き飛ばされたバンのドライバーも同様、痛みすら感じることなく──いや、自分が撃たれたことすら理解せず絶命したことだろう。人型に向けるには過剰極まりない殺傷力ではあるが、その点についてだけはむしろ慈悲深いとも言えるかもしれない。

弾丸を手に弄んでいた八幡が、ふとなにかを見咎めたかのように弾丸をしげしげと見つめる。弾丸が鈍色ではなく、見慣れた黒い光沢を放っているのだ。

 

「こいつは……まさか、超バラニウムか?」

「せや。ただでさえ特注の弾丸で金かかってるってんに、バラニウム製じゃなく更に高コストな超バラニウム合金を使うとる。なんでわざわざそんなことしたのかは、まあ心当たりがないわけでもないんやけど……」

 

そう言って、未織は言葉を切った。どう説明したものか思案している様子である。

そも、今回の狙撃で何故超バラニウム製の弾丸が使用されたのかは、八幡としてはとんと理解が及ばない。そも、今回の狙撃の対象は聖天子であり、言うまでもなくガストレアではなく人である。わざわざバラニウムを使う意味はなく、超バラニウム合金であっても同様だ。ティナの得物がアンチマテリアルライフルをなお超える破壊力を持つ以上、弾芯の硬度を高めて貫通力を上げるという意味合いも薄い。

思索に耽る八幡に、未織が声をかけた。

 

「狙撃対象が人であり、ガストレアではない。貫通力を高めるにも、聖天子はせいぜいリムジンに乗る程度だから、それなら軍用のフルメタルジャケット弾で事足りる。

なら、なんでわざわざ高価な超バラニウム合金を使うたのか──それはな、比企谷ちゃん。目的が狙撃対象やなく、銃身のほうやったからや」

「……つまり?」

「比企谷ちゃん、ムカデ砲って知っとる?」

「……確か、第二次大戦時にナチスが開発した固定砲台だろ」

 

未織の唐突な質問に間を空けて答えながらも疑問符を浮かべる。質問してきた以上そこに答えがあるのだろう。それに兵士としてそれなりに兵器に精通する八幡は、その概要をある程度知識として修めていた。

 

「せや。正式名称V3 15センチ高圧ポンプ砲は、ナチスドイツがロンドンに直接打撃を与えるために作られた報復兵器。その本質は長大な砲身内で砲弾を複数回加速することによる超長距離砲撃にあったんや」

「砲弾を複数回加速……? そうか、それならあの弾速にも説明がつく」

 

未織の説明により、八幡に理解の兆しが現れる。もとより頭の回転は早い方である。丁寧な説明を受ければ概要を理解することに苦労はなかった。

 

「狙撃手の使用する銃にもその構想を落とし込んだという仮定が正しければ、や。ただ、もともと砲全長が数十メートル単位の兵器を個人携行火器にまでスケールダウンしたんやから、相応の無理があったはずや。それでも、最先端技術を結集させれば、理論的には不可能やない」

 

最新の発射薬、高価極まる精密機器、メンテナンス用の機材、etc etc……

それらにかけるコストの割に合うかはともかく、完全な個人専用の銃器としてチューニングを施せば、運用自体は理論的に不可能ではないだろう。

 

「あとは弾丸と銃身に使用する素材……高い耐熱性に一定の軟度、そして圧倒的な硬度……フルメタルジャケットよりも超バラニウム合金の方が適任や」

 

八幡は手元で弄んでいた弾丸をテーブルの上に投げ出すと顔をしかめ、頭をかいた。

つい先日、行方不明だった延珠がモノリス郊外の廃墟で発見された。彼女は致死量の数十倍もの麻酔を静脈投与されたのち用済みの道具を放るかの如く捨て置かれていたという。

保護され緊急入院した延珠に縋る蓮太郎の憔悴ぶりは記憶に新しい。延珠は負った負傷の回復の為に費やした代謝促進による極度の飢餓、そして栄養失調に侵されていたが、逆に言えばそれだけの症状で済んだとも言える。被弾したときの弾丸や破片が体内に残ったまま再生することもなく、あれだけの負傷を負ったにも関わらずを経過は良好、安静にしていれば数日後には目を覚ますとだろう。むしろ入院すべきは蓮太郎の方だと医師より宣告を受けていた。

蓮太郎は延珠と違い肉体面ではただの人間である。延珠が死んだと聞かされ発見されるまで何も口にしなかったに違いない。発見が遅れれば蓮太郎は餓死していたことだろうという程の憔悴ぶりだった。

彼らの責任は自分にある。その自覚はあるが、それ以上に現状の打開策が八幡には思いつかなかった。

 

「司馬。欲しいものがある」

 

渋い顔をしながら口を開いた八幡に、未織は首を傾げながら話を聞き──それでいいのかと胡乱な表情を見せながらも納得した。

 

「別に構へんけど……あんなアナクロなこと本気でやるん?」

「めんどくさいのはわかるが、とにかく頼んだ」

 

現状で出せる案はこれしかない。それの可能性がいくら低かろうと、少なくとも義足が片方大破し八幡が取れる案の中では一番マシだと言えるものだった。

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

司馬重工本社ビルを後にした八幡は、そのままの足で勾田市の大学病院地下を訪れていた。

『四賢人』室戸菫の住居たる地下研究室である。

照明が壊れているのか市販の豆電球のような頼りない光源しかない研究室は、乱雑に積まれた資料や怪しい液体の入ったビーカー、更にはアダルトゲームといった類のパッケージの山が所々に散乱しており、混沌とした様相を呈していた。

典型的な整理整頓の出来ない人間の住む部屋だと思いながら、八幡は勝手知ったる風体で山々を避けながら奥へ奥へと歩いていく。気分はまるで秘境探索者だ。ジャングルの奥地にだってこんな珍妙な場所はあるまい。

とんがり帽子の魔女がプリントされた人よけをくぐり、刺激臭のような強烈な芳香剤の匂いに鼻をつまみながらアダルトゲームの小山を跨いだ先には、よれた白衣を纏った菫が長い足を組んでスツールに座り込んでいた。

皺のよった資料をぶつぶつと言いながらめくる菫の様子は、傍から見ても苛立ちを隠しきれていない。

 

「センセ」

「……ん、八幡くんか。遅かったじゃないか、蓮太郎くんはもう来たよ」

 

資料に落としていた視線をこちらに向けた菫は、手入れを怠っているのか艶を失った髪を手櫛で雑に梳いた。

目の下に隈を作り、苛立ちを隠さない菫には普段の美貌もみる影もない。

 

「どうしました、ひどい顔してますが」

「まずはかけたまえ。コーヒーはいるかね? 少なくとも豆だけは上等だよ」

「いただきます」

 

菫は立ち上がると手元の資料を八幡の方へ放り、コーヒー豆をサーバーに突っ込んだ。八幡は宙をひらひらと舞う紙束を掴み取ると、内容にさっと目を通した。

 

「君が先日に拾ってきた球形物(ビット)、あれの解析が済んだ。細かい精査はまだだが、ある程度の内容は解明したといっていい」

 

ガリガリとミルが硬い音を響かせるのを尻目に菫が振り返る。

 

「それにはあの球形物(ビット)のおおまかなスペックを書き記してある。君がカメラアイをぶち抜いてくれたおかげで、大雑把なことしかわからなかったがね」

 

ついでに自爆装置の信管もぶち抜いてくれたからプラマイゼロかな、と菫は鼻で笑った。

 

「このサイズに爆薬まで埋め込んでるのかよ」

「とはいっても微々たる量だ、自壊用だろうし至近距離で起爆しても死にはしないさ。私も怪我をせずにすんだ」

 

八幡にコーヒーが注がれたビーカーを差し出すと、菫もまたコーヒーを啜りながらどっかとスツールに腰を下ろした。

 

「さて、これは蓮太郎くんにも話したが、件の狙撃手のプロモーター、そいつは私の既知だ。以前に話しただろう? 『四賢人』が一角、エイン・ランドだよ。奴について君はどれほど知っている?」

「『NEXT』の責任者ってことぐらいですが。生憎彼とは面識がないもので」

「ふむ。当然だね」

 

菫はやや型の古いノートPCを作業台の隅から引っ張り出した。内蔵されたドライブには既にディスクが入っているらしく、ほどなくして起動したノートPCはプロジェクターと連動し、画面を映し出す。

再生された動画の画質は荒く、BGMもなければろくに編集された気配もなかった。まさしくただの“記録”といった風情だ。

動画の中では、軍人と思しき屈強な体格をした禿頭の男が、アイマスクをしたまま拳銃を構えていた。白い殺風景な部屋だ。射撃場とでも言うべきか、男の約一五メートルほど前方には人型のターゲットが置いてある。

盲目のまま標的を撃ち抜こうというわけではないらしく、禿頭の男は纏っていたジャケットのポケットから見覚えのある拳大の球形物(ビット)を三つほど取り出した。虚空に放り投げると球形物(ビット)はそのままコンクリートに落下することは無くふわりと浮き上がり、男の周囲を旋回しはじめた。

男がまるで行け、とでも言っているかのように腕を振り下ろすと、旋回していた球形物(ビット)は一斉に標的へと飛んで行った。男が拳銃を構え、銃爪を引く。ぱん、と乾いた音が何度か響き、標的の中心に弾痕が刻まれた。

 

「……これは?」

「君はブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)という単語に聞き覚えはあるかい?」

 

いいや、と首を振る八幡に菫は続ける。

 

「その名の通りBMIは被験者の思考によって動く。古くは生体工学(バイオニクス)に端を発する生体電流によって駆動する機器さ。君や蓮太郎くんの義肢にも幾らか応用されている技術だよ。これは被験者の脳に極小のニューロチップを埋め込んでいるのさ」

「それがこの球形物(ビット)のカラクリの正体だと?」

「その通りだ。今回の狙撃手に施された手術はこれだけじゃない。狙撃には拳銃や突撃銃(アサルトライフル)以上に手ブレの影響は大きいと言うじゃないか。おそらく体内に金属製のバランサーを仕込んで心臓の鼓動と呼吸による手ブレを完全にシャットアウトしているはずだ。このくらいの処置なら、仮にも天才と言われた奴なら鼻くそをほじりながらだってできる」

「──何?」

 

菫の放った聞き逃せない言葉に、八幡は反駁した。

 

「待ってくれ、先生。狙撃手に手術だって? 今回の狙撃手はイニシエーターで、イニシエーターに外科手術なんか……」

 

そうだ。もちろんバランサー程度なら八幡も菫の手によって仕込まれている。しかしそれは八幡が《奪われた世代》であって、ガストレアウイルスの恩恵を受けていないがためである。《無垢の世代》のイニシエーター達は、そもそもがバラニウム以外による外傷をほとんど受け付けない。手術のしようがないのだ。

 

「……まさか」

「そう、そのまさかだ。エイン・ランド、あの外道はね、健康体の《子供たち》に成功率極小の機械化兵士手術を施しているんだよ。バラニウム製の機器を使ってね」

「そんな馬鹿な。プロモーターが機械化兵士だって線はないのか? IISOに情報がある以上民警だろう。相方のプロモーターがいるはずだ」

「それはない。ティナ・スプラウトのプロモーターはエイン・ランド本人だと言ったろう? 幾ら天才でも自分の脳みそに自分自身でニューロチップを埋め込むなんて芸当はできないよ」

「……他に協力者がいる可能性は?」

「その確率も低いだろう。奴はプロ意識が高い。己のイニシエーターだけで事を成し得ようとするはずさ」

 

《子供たち》はバラニウム以外による外傷に対し強い耐久性と再生能力を誇る。それは翻ってバラニウム製の機器による手術をエインは敢行したことと同義だ。

もともとが成功率の極めて低い機械化兵士手術である。蓮太郎や八幡のように手術を受けるか、さもなければ死ぬかの二択しかなかった人間しか機械化兵士の是非を問われることはない。

再生能力を阻害するためにバラニウム性の機器で身体を開けば、再生能力はもとより生命力すらも大きく減じられる。身体の未発達な《子供たち》に対しては、瀕死であろうとも通常の機器で施術される一般人よりも成功率は更に低かったに違いない。一体何百人の《子供たち》が手術室に連れ込まれ、そしてそのうちの何人が生還したのだろうか。

 

「機械化兵士プロジェクトに携わった私やエインを含む四人の責任者はね、結成前に一つの誓いを立てたんだ。『我々は科学者である前に医者であろう』とね。それは手術の圧倒的成功率の低さもあったが、なにより患者の意思を尊重し、生命に対する畏敬の念を忘れないためだ。覚えているかい? 君が下半身を丸ごとガストレアに食い千切られ、瀕死のまま私のラボに運び込まれてきた日を。あのとき私は君に問うたね。手術を受け、私に命以外の全てを差し出すか、あるいはこのまま死ぬか、と」

 

そして八幡は超バラニウムの義肢を手に入れた。

忘れた事はない。あの日、朦朧とする意識の中、白衣を纏った菫が八幡に問うたあの言葉を。生という名の報復か、汚辱にまみれたままの死か──彼は受け入れた。報復と言う名の未来を。あの呪わしいガストレアへの報復のため、悪魔に魂を売り払う事も厭わなかった。俺から奪っていった分だけ、今度は貴様らから奪い尽くしてやると。もう五年近くも前の話だ。

しかし思えば、確かに菫は八幡の意思を尊重していた。生か死かという究極の二択ではあったが、八幡には選択の余地があったのだ。

 

「我々は医者だ。私たちの技術は人の命を救うためにある。外傷を治療し、病魔を癒し、失われた四肢を取り戻して、死に瀕した患者をこの世に繋ぎ止めるのが私たちの責務だ。決して患者に望まぬ施術を強いるためにあるんじゃない。まして右も左もわからぬ《子供たち》に、生きて帰れるかもわからない機械化手術を施すなどと……ッ!!」

 

菫が台に拳を叩きつけた。衝撃で台の上のビーカーが跳ね上がり、リノリウムの床の上に落下する。ぱりん、という高い音と共にビーカーが砕け散り、半ばほど残ったコーヒーが広がっていく。

ビーカーの破片を拾い上げながら、八幡は菫の怒りの度合いを感じ取った。薄暗い照明と、普段から資料や器具が散乱しているが故に気付かなかったが、見てみれば菫の周囲には飛び散ったフラスコや試験管の破片や、破れた資料の束が散乱している。八幡が訪れたときから苛立っていたのは傍目からでもわかったが、事前に蓮太郎がこの事実を伝えていたのが原因だろう。菫の激昂の具合は今回の比ではなかったはずだ。

肩で息をしていた菫が大きく息を吐き出し、再び脚を組んだ。やや落ち着いた様子の菫が口を開く。

 

「思考駆動型インターフェイス『シェンフィールド』。奴が切ってきた手札はそれだ。失敗作だと思っていたんだが、どうやらこの数年で完成させたらしいな」

「失敗作?」

 

八幡の問いに菫は頷いた。手元の完全に動作を停止した球形物(ビット)──『シェンフィールド』を長い指で弄びながら続ける。

 

「ああ。映像にあるこいつのプロトタイプはね、脳に埋め込まれたニューロチップが強い熱を発して被験者の脳を焼いてしまうんだ。映像の男も結局死亡しているし、失敗作のまま終わったと思っていたんだがね。『シェンフィールド』自体の性能も上がっているようだ」

 

言い切った菫はさて、と前置きし八幡の方へ振り返った。

 

「八幡くん。グッドニュースとバッドニュースがある。どちらから聞きたい?」

「じゃあ、グッドニュースを」

「いいだろう。まず、プロモーターであるエイン・ランドの戦闘力は皆無だ。断言しよう。そこらの中学生だって金属バットがあれば殴り殺せる」

「バッドニュースの方は?」

「IP序列九十八位という数字は、ティナ・スプラウト単体の戦闘力によって保持されているという事だ」

 

国際イニシエーター監督機構(IISO)が発行するIP序列──その『IP』は、イニシエーターとプロモーターの頭文字であり、序列は民警ペアが挙げた戦果プラス、ペアによる戦闘能力の総合値によって算出される。

つまりエイン・ランドの戦闘力が皆無である以上、その九十八位という規格外の数値はティナ個人の戦闘力によってもたらされているものであり──極論すれば、かつて死闘を繰り広げた蛭子影胤、蛭子小比奈ペア、あの二人よりもなおティナ個人の戦闘力は高いということである。

八幡はふと頭を上げた。蓮太郎が事前にここに来ていたというのなら、菫からこの話を聞かされていたはずだ。

 

「先生、里見は?」

「行ったよ。ティナ・スプラウトを倒すってね」

「何故止めなかったんです」

「止めたさ。理詰めでも説得したし、情にも訴えた。私の声は彼には届かなかったようだがね」

 

やれやれ、と菫はかぶりを振った。力無い笑みの奥には諦観が滲んでいる。

言葉では蓮太郎は止まらない、というのには八幡も同意見だった。菫を責めるのは筋違いだ。

 

「彼は私の希望だった。表面上こそひねくれてはいるが内面はまっすぐで、そのありようは私には眩しい。眩しいくらいの光だ。闇に生きる私に止められるはずもないのさ」

「先生……」

「蓮太郎くんが行くんだ、どうせ君も行くのだろう? リスクは避けながらも結局は首を突っ込む君の性質(たち)はわかってるんだ。『シェンフィールド』の性能を記した資料は君にあげるよ。 餞別だ」

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

生温い湿気を含む空気が肌にまとわりつく中、ティナ・スプラウトは覚醒した。

カーテンの隙間から差し込む月明かりが肌を青白く照らす。午前三時。夜中だ。

時刻を確認しながら汗を拭う。湿った前髪や下着が肌に張り付くのが酷く不快だ。

仮拠点にしているアパートの中には、食べ散らかしたジャンクフードの残骸が散乱し、脱いだ衣服がそこかしこに散らばっている。すぐにでも引き払う拠点故にそこまで頓着しなかったというのもあるが、それにしても生活感に溢れすぎている。

ずきずきと痛む偏頭痛めいた頭痛に頭を抑えながら簡素なベッドから起き上がると、不意に傍のテーブルに転がった端末が振動した。

液晶に写し出される発信者の名は──

 

「私です」

『何をしていた。何度もコールしたのだぞ』

「申し訳ありませんマスター。……少し仮眠をとっていました」

『……第三の警護計画書が流れてきた。そちらの端末に送る』

 

簡素な電子音を響かせ送られてきた情報をホロディスプレイモードに切り替えて確認する。虚空に投影されたホログラムは東京エリアの複雑な地形を映し出し、警護ルートを詳らかにする。

ティナはそのルートの拭いきれぬ違和感に眉をひそめた。

 

「マスター」

『なんだ?』

「この警護計画ですが、違和感があります」

『……ふむ? 何が言いたい』

「この警護ルートですが、あからさまな狙撃ポイントが一つ、あつらえたようにあります。しかも会談の場所も以前のガラス張りの高層ホテル──まるで狙撃してくれと言わんばかりです」

『要領を得んな。簡潔に言え』

「罠ではないかと」

 

端末を介してエインは沈黙した。情報を整理し黙考する気配が伝わってくる。

 

『聖居内に内通者の存在が露見した形跡はない。杞憂だ』

「あからさま過ぎます、マスター。なんらかの罠が仕掛けられているのは明白でしょう」

『杞憂だ、と言った。貴様は余計なことを考えるな』

 

にべもない。しかしティナは食い下がった。

 

「嫌な予感がします。会談はまだ続くのでしょう、今回ばかりは様子見に徹した方がいいかと」

『ならぬ。我が主は二度の機会を逃して大変ご立腹だ。今回で確実に仕留めろ』

「……」

『おい……ティナ。ティナ・スプラウト』

 

ふと、エインの声が俄かに剣呑な響きを帯びた。知らず身体が硬直する。

 

『前回、暗殺を失敗した貴様を追ったイニシエーターがいたな』

「はい」

『先ほど、そいつが生きているという情報があった』

「……確かに殺したと思ったのですが」

 

苦しい言い訳だった。大袈裟に驚いてはみたが、相原延珠の情報をエインがどれほど掴んでいるかに賭けるしかない。現状を知れば手心を加えたことは露見するだろう。

 

『ティナよ、貴様よもや……私の命令に背いてはいまいな?』

「無論です、マスター」

 

不気味な沈黙が場を支配した。張り詰めた空気の中、ティナは電話の主に悟られぬよう、手汗を拭い、唾液を嚥下する。

 

『……ティナ。私の可愛い作品。今一度貴様に問う。貴様の主は誰だ?』

 

エインの声が殊更に硬く冷たく、しかし微かに嗜虐の色を帯びる。自らの道具(ティナ)に、今一度刷り込もうというのだ。そしてそれは自分の存在がなんなのかティナに再び自覚させるものだ。

 

「……貴方です。プロフェッサー・ランド」

『貴様は誰のおかげで生かされている?』

「すべて貴方のおかげです。プロフェッサー・ランド」

『貴様はなんだ?』

「貴方の道具です。プロフェッサー・ランド」

『……ならばいい。自覚せよ。忘れるな。貴様が私によって生かされていることを』

「はい」

『もはや後はないぞ、ティナ。失敗は許されん。見限られなくなければ事を成せ』

「……もし、罠だった場合は?」

 

ティナは反駁した。精一杯の抵抗だったと言っていい。

しかしエインはどこまでも頑なだった。

 

『罠ならば食い破れ。その上で聖天子を抹殺しろ。あの程度の民警風情に遅れをとることはあるまい。だが万が一、敗北するようなことがあれば──』

 

エインは言葉を切った。

 

『死ね』

 

ティナは目を閉じた。小さな手を痛いほどに握りしめる。見限られることなどわかっていた。

 

『自害しろ。私の作品に失敗作はいらん』

 

それだけ告げると、エインは通信を切った。ティナの返答すら聴く間もなく。

ティナはベッドの上に座り込むと、そのまま膝を抱えてうずくまった。あれほど不快に感じていた汗は冷え、濡れた髪や下着が体温を奪っていく。

前回の襲撃の時点で、ティナの狙撃を妨害した民警──比企谷八幡は無力化したと見ていい。アンチマテリアルライフルをなお超える威力と貫通力の弾丸をその身に受けたのだ。当てた、という直感はあった。ならば、その弾丸が身体のどこに当たっていたとしても即死ないしは致命傷、最低でも戦闘力は喪失したのは間違いない。ならば、目下の敵は里見蓮太郎のみ。

もし、とティナは空想する。もし、八幡のコンディションが万全で、蓮太郎と組んで挑んできたとしたら、ティナもまた遅れをとったかもしれない。しかし、残る蓮太郎一人ではどう足掻いてもティナを破ることは不可能だ。まるで赤子の手を捻るかのように蓮太郎は翻弄され、その身を四散させるだろう。

向かってきたなら殺すしかない。助けてくれたのに、面倒を見てくれたのに──

 

「──お願い、来ないで……」

 

ティナはシャワーすら浴びずに手元の毛布をかき抱いた。窓にかけられたカーテンの隙間から白みはじめた空が見える。もうすぐ、夜明けだ。

もうここも引き払わなければ。

 

 

 

 

 

 

 


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