夜を染める黒(旧題 : 俺ガイル×ブラック・ブレット)   作:つばゆき

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オーバーロングレンジ

不意に鋭い針が神経に突き刺さるような痛みが走り、比企谷八幡は右脚を抑えながら膝をついた。

制服のズボンを膝の上まで捲り上げると、下腿の外側、脛からふくらはぎにかけて大きな裂傷が亀裂のように走っている。

ティナのダガーによる鋭い一閃は、並みの威力ではなかったらしく裂傷部分からブラッククロームに覆われた義足部分が覗いて見えた。

対峙した両者とも並みの技量ではなかったため、痛覚のカットオフが間に合わなかったのである。むしろそんな事に気を回している余裕など微塵もなかったと言っていい。

狙われたのは胴体、それも回避が難しくそれでいて致命傷となりやすい肝臓部分。後ろに避けられてもすぐに肉薄出来るよう深く踏み込み、結果として斬撃の威力も高まっている。恐るべきはティナの手練である。幼ながらに相当の修練を積み、それをイニシエーターの身体能力で昇華させたのだろう。生半な腕では深手を負っただけでは済まなかっただろう。下手を打てばこの部屋には八幡の骸が転がっていたとしてもおかしくはない。

容易い相手ではない、と八幡は考察する。なにより情報が足りない。遠近中距離どれを得手とするのかも、弱点はあるのか、得物はなにかすらわからない。わかったのは少なくとも並外れた近接格闘能力をもつ事、兵器の扱いにある程度精通していることくらいである。

あれを相手にするにはまずは情報が必要だと八幡は断じた。

その為には聖天子とコンタクトを取る必要がある。彼女なら国家元首の権限で機密事項など関係なく情報を手に入れられる。あとはこの最近ティナとそれなりの頻度で会っていた蓮太郎からも話を聞くべきだろう。得られる情報は多いに越した事はない。

そう黙考に耽っていたとき、小山となっていた部屋の隅の瓦礫が音を立てた。

稲妻もかくやという反応速度で抜き放たれた銃口の先で、灰に汚れた三毛の猫がのそりと瓦礫から這い出てくる。

 

「お前か……」

 

身体に幾ばくかの裂傷を負っている八幡よりもなお不機嫌そうに、三毛猫──カマクラは尻尾でフローリングを叩いた。

昔からそうだが、この猫は飼い主に似てなかなかどうして悪運の強い所がある。

八幡は銃を太腿のホルスターにしまうと、革の部分が破れスポンジが飛び出たボロボロのソファに座り込む。本人も気づかぬうちに呆れたような薄い苦笑いがその口元には浮かんでいた。

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

蓮太郎が八幡のマンションに駆けつけたときにはもう、八幡の住処である八〇八号室は惨憺たる有様だった。

部屋へ入るドアは、蝶番が爆発物で粉砕されており忽然と消え去っている。マンションのエントランスの前のアスファルトで舗装された道路に落下していたものがそうだったのだろう。

踏み込んだ室内の様相は蓮太郎の予想を裏切る物ではなく、局地的な台風に曝されたかの如く滅茶苦茶に荒らされている。質素な形の椅子やテーブル、シンプルな造形の食器など家具や調度品は軒並み粉砕され、遮光カーテンはずたずたに破れその機能を失っている。

 

一体ここでなにがあったのか──問うまでもない、家主が襲撃にあったのだ。それが誰に依るものなのかはともかく、少なくとも軍事的な訓練を受けた『兵士』であることは間違いないだろう。

蓮太郎は生唾を飲み込むと、家主を呼ぼうとする気持ちを抑え、慎重に部屋の中に踏み入った。

じり、と蓮太郎のブーツが瓦礫の欠片を踏みにじる音がする。油断なく愛銃であるスプリングフィールドXDを構えながら室内を探索する。ベランダに続くガラス戸に、申し訳程度にかかっていた遮光カーテンを取り払うと、山の稜線に消えかかっていた夕陽が室内をオレンジ色の光で満たした。

差し込む陽光に蓮太郎が目を細めたその刹那、部屋の隅の暗闇に溶けるように潜んでいた影が、蓮太郎へと忍び寄り静かに銃口をこめかみに押し付ける。

蓮太郎はもはや誰かも分かりきっていた銃の持ち主を視線だけで確認すると、前にもこんな事があったと懐かしむように息をついた。

 

「インターホンくらい押せ、不法侵入者」

「押すべきインターホンが消し飛んでたんだよ」

 

蓮太郎の返答に鼻で笑うと、銃を押し付けていた影──八幡は銃を下ろした。

久々に見る制服姿はところどころが破れているが、本人には大した負傷があるようには見られない。部屋の惨状からは考えにくい姿である。

八幡は部屋の隅に横倒しになっていた半壊の冷蔵庫からコーヒー缶を取り出すと、蓮太郎に投げ渡す。

 

「いきなり銃を押し付けんのはやめろよ。肝が冷えるだろうが」

 

この手の遭遇戦では蓮太郎より八幡の方が一枚上手である。兵士であると同時に武術家気質も持ち合わせている蓮太郎にとってはそもそもが苦手な分野でもあった。姿を見せての殴り合いならば話は違ってくるのだろうが──悪態をつきながら缶コーヒーをあおった蓮太郎は、むせ返るような甘さに大いに顔をしかめる。

 

「うげっ甘え……マックスコーヒーかよ」

「あとはブラックだけだぞ。諦めろ」

 

コーヒー以外は置いてないのかと思いながら蓮太郎は残った缶の中身を思い切り飲み干すと、一際大きい瓦礫の山に放り投げた。間抜けな音を立てて空き缶が部屋を転がるものの、家主の八幡は気にも留めない。最早廃墟も同然の自室に何を気遣う意味があろうか。

 

「里見」

 

声をかける八幡に、なんだよ、と蓮太郎は鷹揚に応じる。一切の声音を変えず何気なく語られた話の内容は、蓮太郎にとってある意味で予想通りであり、またある意味で予想外であった。

 

「襲撃の相手は、ティナ・スプラウトだ」

 

その言葉に蓮太郎は表情を強張らせた。雰囲気を一変させる蓮太郎に対し、八幡はまるで世間話でもするかのように何気なく、発せられる雰囲気も自然だった。

 

「あいつは聖天子狙撃事件に大なり小なり関わっている。首謀者なのか末端の使い捨てなのかはわからんがな」

「…………」

「情報が足りない。お前からも話を聞く必要がある。次の護衛計画まで可能な限り情報収集をすべきだ」

 

蓮太郎はボロボロのソファに前屈みで座り込んだまま、俯くように転がっている空き缶を見つめていた。

つい先日まで会っていた少女がそういった世界の人間であることに戸惑いを隠せないのか、そもそも信じられないのか。八幡ほど血生臭い世界に生きてきた訳ではないが、そういったものにも理解は出来ていたはずだった。しかし、いざ直面すると存外に衝撃は大きいらしい。

まだ思考がまとまらないままに、蓮太郎は口を開いた。

 

「…………それで、どうすんだよ」

「必要なら当然、殺す」

 

蓮太郎の漠然とした問いに、八幡はどこまでも素っ気なく応じた。さも当然だと言わんばかりに。

その態度に思わず蓮太郎は顔を上げる。そこで蓮太郎が見たのは、八幡のどこまでも冷めた目だった。

銃撃の余韻も消え、熱も冷めてフローリングの床を転がるばかりだった空薬莢を拾い上げ、長い指先で弄びながら視線を蓮太郎へと向ける。

お前だって、部屋に害虫が出たら殺すだろう? ──そう言外に問われた気がした。

蓮太郎は八幡の目から視線を逸らす事が出来なかった。その目に映っていたものは、毅然と突き進む意志でも、悲壮を滲ませた覚悟でもない。そこにはただ“斯く在れかし“と定められた数式のように、機械的な思考によって導かれた“解“が存在しているのだろう。

 

──阻むなら、除くまでだ。

 

蓮太郎から逸らした瞳が僅かに揺れる。八幡の自身に言い聞かせるように呟いた言葉は、夕闇の中で溶けるように消えていった。

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

「ティナ・スプラウトですか……? いいえ、聞いたことのない名前ですが……」

 

困惑したような声音でティナの名前を反駁する聖天子に、八幡は予想通りだと言わんばかりの表情で頷いた。

もとより、聖天子の記憶にその名があるかなど期待はしていない。八幡が求めているものは、聖天子本人などではなく国家元首たる聖天子の権限である。無論そう言ったら側近たちが激怒するだろうが。

 

「聖天子、貴女の権限でその名を調べて頂きたい。民警だけでなく、各国の医療機関や東京エリアの空港、ホテルの顧客名簿に至るまで」

 

八幡の聖天子に対する言葉遣いは、以前と比べて幾分くだけていた。蓮太郎ほど雑な態度ではないにせよ、一般市民にとっては雲の上の存在と言っても過言ではない聖天子に対し敬語の一つもない言い草は、聖天子付きの侍女がその場に居たりしたらまず間違いなく眉を顰めるだろう。

襲撃より数日の間、八幡は情報収集に奔走したが、これといった収穫はほぼないに等しかった。蓮太郎に対する接触もあれ以来ないらしい。それも当然である。蓮太郎の連絡先を紹介したのは他ならぬ八幡であり、そもそも蓮太郎に情報戦での活躍などはなから期待しては居なかった。

苦肉の策として八幡が提案したのは、聖天子が乗るはずだったリムジンを囮にし、聖天子本人は八幡が事前に用意したライトバンに乗車して貰うことで、襲撃者の目を眩ますというものである。最早作戦というのも烏滸がましい、土壇場での方針変更であった。更に八幡は、既に漏洩しているもののと言っていい護衛計画を完全に無視し、全く違うルートで会談場所である料亭 に向かうという案を出した。この提案は八幡自身が疑惑の対象となりかねない致命的なものである。しかし、聖居職員の非難がましい視線を受けながら出した八幡の案に、聖天子は粛々と従った。八幡が疑惑の対象となること、聖天子を民間用の乗用車に乗せるという非常識な部分を除けばこの案は確かに有用ではある。もちろん、襲撃者がこちらが聖天子の護衛計画が漏洩しているという事実に全く気付いていないものだと踏んでいる限りではあるが。

聖天子自身形式に囚われない人間性であることも幸いし、八幡の提案は受け入れられた。

それよりも聖天子が気にかけたのは、襲撃を受けた八幡のマンションについてである。間接的にとはいえ己の所為で住む場所を失った八幡に、聖天子は眉根を寄せ申し訳なさそうな表情で頭を下げる。

 

「此度の襲撃……その責の一端は貴方に依頼した(わたくし)にあります。せめて損害の保証はさせてください」

 

それを押し留めながらも、八幡は聖天子の申し出を受け入れた。八幡のマンションの一室が人が住めるような部屋ではなくなった理由は、間違いなく聖天子の依頼を受けたからだ。そこに筋は通っている。

ただ、聖天子が最初に狙撃された段階で八幡自身襲撃される可能性を想定していなかったわけではない。事実として、八幡は東京エリアに移住してきた段階で別の拠点を複数用意していた。ただ、こんなに早く襲撃されるとは思ってもみなかったが。

 

聖天子を乗り込ませる直前に聖居職員によって簡易的ながら最低限の“掃除“を受けたライトバンは、ただでさえ良いとは言えなかった乗り心地を更に悪化させた。最早数日前に乗ったリムジンとは比べるべくもなく、中堅以下の一般家庭もかくやである。

 

「狙撃犯の黒幕……目星は?」

「……」

「……状況証拠だけを言うなら──」

「言わないでください」

 

能面のような無表情に反し、内心焦れていた八幡の口上を聖天子は遮った。

 

「確たる証拠もないままで、迂闊な事を口走ってはなりません」

 

静かに、しかし断固とした姿勢でそう断じる聖天子に八幡は目を細める。

そう、状況証拠だけでいうなら間違いなく黒幕は斉武宗玄大統領である。聖天子と斉武の間で行われる“非公式“会談では、その特性上両者とその側近以外にはまず知られることのないものである。

それが、漏れた。聖居職員へ箝口令が敷かれている事を考えると、まず大元となったのは斉武と考えていい。

そして八幡がそれを確信するに至ったのは、八幡自身斉武の人柄を知っているからである。今の地位にのし上がるためにライバルを蹴落として来た斉武……その斉武のやり口を一時とはいえ見届けたことのある八幡だからこそ、確信出来た。おそらく蓮太郎も八幡と立場が変わらなければ、同じことを言っただろう。

 

聖天子は聡明である。過去二代敏腕を奮った聖天子と比べても遜色ないと言っていい。そんな彼女が八幡と同じ結論に至っていない筈がない。八幡には聖天子の頑なな態度が、今となっては何処までも愚かしく見えてならなかった。

 

「貴女は──」

 

愚鈍だ、と言いかけて、辞めた。

毅然とした態度を貫く、聖天子のその視線に射竦められた訳ではない。

聖天子は揺るがない。もとよりそれは承知していたはずだ。愚鈍なのはむしろ、それを知っていてなお諫言を弄しようとする八幡の方なのだ。

そもそも、八幡は護衛を依頼されただけのボディーガードという立場である。聖天子の行動に口を挟むのは筋違いも甚だしい。

 

「俺はただの護衛だが、その上で一言言わせていただきたい」

「なんでしょうか」

「俺は依頼は遂行する。だが、自ら進んで死にに行くような奴を守ることは出来ない」

 

言いたいことは言ったとばかりに、八幡は目を閉じた。あくまで八幡は聖天子を守るつもりではあるが、叶わずに聖天子が死ぬようであればそれまでの事。仕方のない事と割り切って他のエリアに高飛びでも図ろうと決めた。

 

「……承知しております」

 

八幡の言葉を聖天子はどのように受け取ったか、あくまで厳粛な態度を崩さず静かに受け止める。

聖天子の態度に目を眇めた八幡は、黙したままシートに背中を預けた。

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

寒風吹き荒ぶ高層ビルの屋上で、ティナ・スプラウトは眼下の街並みを睥睨した。

今宵の夜空には月明かりなどなく、ティナの矮躯を照らす光源は眼下に見える人工灯のみだ。

高さ故の強風と、日も沈んだあとの冷気に身を竦ませながらも猛禽の目を標的へと向ける。

標的たる聖天子は、ティナのマスターの雇用主たる斉武宗玄大統領と、午後九時に非公式会談をする予定だ。聖天子を射殺する──固い決意が総身を強張らせる。

彼女は聖天子が会談場所たる高級料亭“鵜登呂亭“に入店すべく、料亭の前に停めた車から降りて店の入り口に歩いている間にのみ、トリガーチャンスは与えられる。それは時間にして、約十数秒間しかない。

時計の針は、間も無く九時に至る。

『──間も無く聖天子が会談場所に乗り付ける。今度はしくじるなよ……確実に排除しろ』

「はい、マスター……仰せのままに」

 

耳元のインコムから響く冷たい声に、ティナは感情を押し殺して応える。

聖天子を、殺さなくては。

ティナの心を支配するのはそれだけである。

ティナは東京エリアに来てから二度もミスを犯した。一度目は最初に聖天子を狙撃したとき。二度目は聖天子の護衛の民警を襲撃したとき。

どちらとも、ティナのマスターからすればただの一度でティナを見限るに足る理由になっただろう。だが、こうしてティナが三度目のチャンスを与えられているのは、ひとえにティナのマスターが寛大であったことと、聖天子暗殺を遂行出来るのが彼女だけだったが故だ。

幸いにして、非公式会談はあと数回続く。聖天子は愚直なまでの誠実さでもって会談には足を運び続けるだろうし、護衛計画の漏洩元である聖居職員をどれほど洗おうともこちらの情報収集態勢は万全だ。

ティナは何も気負う必要はない。ただいつも通りに事を成し遂げ、大手を振ってマスターの元へと帰還するのだ。それだけの実力と自信がティナにはある。

だが──それでもまた失敗したら?

万が一、あと数回の非公式会談をすべて行って、それでもなお聖天子を抹殺することが叶わなかったら? きっとティナは捨てられる。もう必要ないと、手元に置いておく意味はないと、まるで子供が飽いた玩具をごみ箱に放るかのように処分される。

“もう要らない“と言われるのが怖かった。人を殺すことでしか自分の価値を証明出来なかった。今までも、きっとこれからもそうだろう。ティナにとって“誰にも必要とされなくなる“という事実は何よりも恐ろしい事だったのだ。

任務を達成しろ。聖天子を射殺して、自分の存在価値を証明するのだ。そして自らのマスターに、自分はやり遂げたと、自分を必要としてくれと、任務の完了を報告しなければ。そうでなくては、自分は──

 

ティナの手元に、極限まで艶消しされた銃身が横たわる。それは、今までにティナが手にしてきたアンチマテリアルライフルよりも、なお長大な鋼の銃身だった。

バレット社製M82をモデルとして、ティナのマスターが改造を施した彼女の専用火器である。

その本質は、加工された銃身にある。

薬室(チャンバー)から通常圧力で激発された砲弾の通過に伴って、銃身側面に複数配列された薬室が随時点火し弾丸を極音速にまで加速させる。

これは、第一次世界大戦でドイツが研究したV3 15センチ高圧ポンプ砲と呼ばれる多薬室砲──俗称“ムカデ砲“からヒントを得たものであり、弾丸を複数回加速する事で初速と射程を大幅に増大させる事を目的として設計された。

元々は炸薬の複数点火による砲身の耐久性と、薬室の点火タイミングを精密に測る機械制御技術が未発達さが設計段階で問題視されお蔵入りとなった兵器であり、それを個人携行火器の域にまでスケールダウンしようという時点で実現の困難さは想像に難くなかった。しかし、ティナのマスターたる天才、エイン・ランドは砲身の耐久、耐熱性を超バラニウム合金で、点火タイミングを測る機械制御技術は自身の開発した最新の精密機械で克服し、見事実現にまで至ったのだ。

結果、バレットM82“改“はその特性である炸薬の順次点火による恩恵を十全に受けるべく、その銃身は個人携行火器としては異様なほどに長大に、また弾丸もアンチマテリアルライフルの域を超えた大口径となり、装甲車程度の装甲であれば容易く貫通するほどの威力を得た。そも、聖天子一人の暗殺の為に過剰なまでの火力は必要では無いが……着弾速度の向上は、弾道計算などの点であらゆる状況に置いて恐ろしい程の有用性を誇る。

無論、メリットに比例してデメリットも数多くある。

まず、アンチマテリアルライフルの域を超えた大口径の弾丸は個人携行火器としては存在せず、完全な特注品としてしか入手が出来ない事。多薬室銃であるが故に超バラニウム合金でさえ強度は十全とは言えず、約二十発撃つたびに完全分解整備(フルオーバーホール)が必要な事。銃の特性上、装填、装薬に時間がかかる事。

兵器としてはどれもが致命的な欠陥ではあるが、コンセプトとしては完全なティナの専用火器だったが故にコスト度外視で設計されたため、さしたる問題にはならなかった。

そしてティナの手元には、二メートル余りもの銃身を誇る鋼鉄の異形が納められている。これこそが、ティナの専用火器バレットM82“改“である。

有効射程は二八〇〇メートル。その初速は秒間一三〇〇メートル。モデルとなったバレットM82の実に一・五倍の速度である。まさに怪物と言っていい非常識な性能に、ティナは聞かされた当初は耳を疑ったものだ。

そして、今こそ怪物狙撃銃はティナの腕の中で咆哮を上げる時を待っている。

吐き出した弾丸が、標的を粉砕せしめるその時を──

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

間も無くライトバンが高級料亭に到着する。

料亭の看板が見えて来た頃にあたって一人の男の姿を見咎めた八幡は辟易とした溜め息を禁じ得なかった。

素早くバンを降りた八幡は聖天子側の席へと周り、ドアを開け放つ。

聖天子をバンから降り立たせ、振り向いた頃には白い護衛官の制服を纏った保脇が、つかつかとブーツの音を響かせながら八幡に詰め寄った。

 

「貴様──! 聖天子様をこのような粗末な車に乗せるなど! 不敬だぞ!」

 

憤怒の表情で口角から泡を飛ばしながら八幡に詰め寄る保脇は、聖天子の前であることすら失念してヒステリックに怒鳴り散らす。

 

「リムジンでは危険だと判断した。警護計画が漏れている可能性がある以上、現場の判断で奇襲の機会を潰したまでだ」

「黙れッ! 貴様がその情報漏洩者だろうが!」

「だが結果として聖天子様は襲撃を受けていない。俺が狙撃犯の黒幕と繋がってるなら護衛計画のルートを外れた時点で襲わせているはずだ」

「貴っ様ぁぁ……!」

 

激して鼻先が触れんばかりに詰め寄る保脇が、怒り余って腰元のホルスターに手を伸ばす。その挙動に目を眇めた八幡は、保脇の手がルガーに触れるより先にその行動を目で制した。

 

「……止めておけ。聖天子様の御前だぞ」

「ぐっ……!」

 

保脇が引き下がるとともに弛緩した空気の中で、八幡の神経が警報を発する。

八幡の耳に、聞き覚えのある風切り音が響いた。例えるなら、蜂や虻が耳元で飛んでいるときに聞こえる、不快な虫の羽音のような……

またか、と八幡の心境は知らず臨戦態勢に切り替わっていた。

一度目の狙撃のときにも聞こえた、あの音である。油断なく周囲を警戒しながら傍に控える八幡に、聖天子もまた何かを察したかのように寄り添うように立った。

もとより、八幡は他者の視線には敏感な性質(たち)である。それが悪意の類であればすぐにそれと察しがつき、実戦で鍛えられた第六感は既に殺意の視線を感じ取っていた。

 

八幡はすばやく周囲を見渡すと、既にあたりをつけておいた狙撃ポイントを確認した。鵜登呂亭の入り口を狙える狙撃ポイントは数箇所に限られている。接近して奇襲を仕掛けてくるのでなければ、その何れかから狙撃を仕掛けてくるはずだ。

油断なく構えていた八幡の視界の中で、ビルの屋上が明滅した。

それを狙撃の銃口炎(マズルフラッシュ)と断じるよりも早く、半ば脊髄反射とも言えるほどの反応速度で聖天子を押し倒す。僅かに一瞬後、大気を切り裂きながら飛翔した弾丸は八幡と聖天子がいた場所を通過してコンクリートで舗装された地面を粉砕した。

八幡は聖天子とともにコンクリートを転がりながら遥か先に立つビルに顔を向けた。

 

超長距離狙撃(オーバーロングレンジ)──ティナ・スプラウトか……!“

 

一瞬ののち、場に絹を裂くような悲鳴が響き渡る。悲鳴と叫声が入り混じる中、八幡に僅かに遅れて護衛隊が聖天子を囲むように展開した。そのまま聖天子をリムジンまで護送しようとするが、再び飛来した狙撃弾の第二射が、護衛隊のバリスティックシールドを粉砕し、構えていた護衛官の胴体を文字通り四散させた。

飛び散った四肢や臓物、転がる頭部を目の当たりにした護衛隊は、今度こそ壊乱状態に陥った。上半身を失った下半身が無様に痙攣し、パニックをさらに助長させる。

既に意識が完全に切り替わっていた八幡は、至近距離で血飛沫を浴びて真っ青になっている聖天子を抱きかかえると、既にドアの開いていたライトバンに飛び乗った。

 

「南からの狙撃だ! 建物の陰に隠れろ!」

 

八幡の意を汲んだドライバーは、ドアが閉まることすら待たずに急発進する。

轍を引きながら発進したバンに向けて、三度目の狙撃弾が迫る。背部のリアガラスから既に銃口炎(マズルフラッシュ)を察知していた八幡は、後部座席から運転席のステアリングを蹴り上げて強引に方向転換させる。しかし、バンが強引な方向転換にスピンするよりも早く飛来した弾丸が、ルーフを突き破ってドライバーの頭部を吹き飛ばし、ステアリングごとエンジンを粉砕させる。

 

“馬鹿な──着弾が早すぎる!“

 

完全に操縦不能に追い込まれ、滑走するバンからドアを蹴り破って八幡が飛び出した。腕に気を失った聖天子を抱きながらアスファルトの上を転がった八幡は、傍にあったビルの地下駐車場を見咎める。駆け込もうとするも、背筋が凍るほどの殺意に晒された八幡は退路を断つように放たれた第四射を辛くも回避した。

 

「──クソッ!」

 

粉砕され、粉々になったコンリートの破片が飛び散る中、聖天子を抱えたままの八幡はなんとか態勢を立て直そうと藻搔いた。人一人抱えて行う回避行動に他ならぬ八幡自身が焦燥を募らせる。

 

“不味い、足を止めたら確実に殺られる──!“

 

咄嗟に義足を解放し回避行動を取るも、それを見越したかのように飛来した第五射を八幡はついに避け損ねた。

風切り音を響かせながら飛来した弾丸は、高硬度の金属同士が衝突したとき特有の不快な怪音とともに超バラニウムの義肢に衝突する。常人なら下半身が泣き別れしてもおかしくはない衝撃である。アンチマテリアルライフルをなお超える衝撃に八幡は藁屑のように吹き飛ばされた。幸運にも義足で受け止めた弾丸は八幡の痩身を抉ることはなく、しかしその衝撃を余す所なく伝えるには十分だった。

 

吹き飛ばされ、アスファルトの地面に(したた)かに打ち付けられた八幡は、揺れる頭でふらつきながらも起き上がる。軽い脳震盪に陥ったらしく、もつれるばかりで言うことを聞かない両脚を叱咤する。よくよく見てみれば、言うことを聞かない足は──ブラッククロームの義足の片方は、スラスターユニットを粉砕され、義足としての機能すら半ば維持できていなかった。

ならば立ち上がることも出来ないのは道理だと足をもつれさせたその瞬間、横合いから伸びてきた腕に支えられ、すんでのところで硬い地面に倒れこむのを逃れた。

 

「何してんだ馬鹿野郎! 死ぬぞ!」

 

まとまらない思考の中、見上げた視界に映ったのは──余りにも見慣れた不幸面。手入れのされていない黒髪を乱れさせながら必死の形相で叫ぶ姿に、何処か他人事のように滑稽なものを感じる。

 

「聖天子は……聖天子は、どうした」

「今延珠が駐車場まで運んでる! ここから動くぞ!」

 

肩を貸されて逃げ込んだ先は、やはり八幡が予想した通りバンの入り損ねた地下駐車場だった。警備員は既に退避していたらしく、無人の空間が二人を出迎える。いや、他にもう二人、蓮太郎と八幡の姿を見咎めた聖天子と延珠が駆け寄ってきた。

 

「八幡!」

「比企谷さん! 大丈夫ですか!」

 

駆け寄る聖天子の姿を見て安堵する。一時は危機に陥ったものの、予期せぬ救援に聖天子の命は救われた。依頼はまだ、終わっていない。

 

「聖天子……すまない、あんたを──ぐっ」

 

不意に膝をつき、喀血する。半壊した義足でなく、目に見える傷の他にもう一つ。アスファルトに舗装された地面に叩きつけられた際、肋骨が折れて肺腑を傷つけたらしい。こみ上げられ吐き出した血はコンクリートの地面を紅く濡らした。

色を失って駆け寄ろうとする聖天子を手で制し、打開策を模索する。外に出れば狙撃される。かといっていつまでもここに留まるわけにもいかない。現状ではそれもまた一つの手だが、狙撃手をみすみす逃せばまた次回も襲撃を許す可能性があった。

黙り込んでいた延珠が顔を上げ、決心したように言う。

 

「……妾があの狙撃手を追う」

「延珠っ!」

 

その言葉に反応したのは蓮太郎だった。

 

「今すぐに追わないと間に合わない……八幡は怪我してるし、妾の足なら追いつけると思う」

「何言ってんだ! 相手はどんな奴かわからない! 危険だ!」

 

蓮太郎が延珠を諭す中、八幡は冷静に思考を巡らせる。他に手立てはないか、致命的な見落としはないか──逡巡したのは一瞬だった。

 

「……延珠。頼めるか?」

「大丈夫だ! 妾は狙撃手には相性が良い、きっと何とかなる!」

「……巻き込んじまって悪いな」

「……お前」

 

蓮太郎は僅かに迷ったあと、延珠の肩に両手を置いた。

延珠にティナと殺し合って欲しくはない。今でもティナが犯人とは信じがたい──だが、仮に犯人がティナだと言うのならば、それを見過ごすことなど出来ない。

 

「延珠。絶対に帰ってこい」

「……うむ! 妾に任せるが良い!」

 

延珠は一瞬ぽかんとした顔を見せたが、腰に両手を当てると胸を張って満面の笑みで宣言する。

行ってくる、と瞳を赤熱させると、手近なビルの側面を駆け上がり次々と高いビルへ飛び移っていく。

せめて義足が無事ならば、と八幡は歯噛みした。スラスターユニットを装着し、機械化歩兵の中でも随一の機動力を持つ八幡であれば延珠とともにティナを追うことはそう難しくはなかったはずだった。もしくは銃があればカウンタースナイプの算段が立てられたものを……

野次馬の喧騒が鬱陶しい。普段ではそう気にしない喧騒も、身を焦がすような焦燥の中であっては八幡の神経を逆撫でするも同然だった。だが焦燥のほどで言えば、蓮太郎の方が遥かに上だろう。延珠の保護者も同然である蓮太郎からすれば、彼女をティナ追撃に差し向けることは苦渋の決断であった筈だ。

ブウウウン、と虫の羽音のような音を八幡の耳が捉えたのはその時だった。

聞き覚えのある音。まるで雀蜂が羽ばたいている時のような鈍い羽音。一度目の狙撃の時にも経験した、八幡にとっては既知のもの。

またか、と八幡は周囲に視線を巡らせる。数瞬後、八幡が視界に捉えたのは飛翔する球状の黒い物体だった。拳大の球体が蜂や蜻蛉のようにホバリングし、ほとんど音もなく飛び回る様は、悪い夢でも見ているかのようだ。そしてその球体が生物のような挙動で中心のカメラを向けている事に気付いた瞬間、八幡は懐のホルスターからグロック拳銃を抜き放っていた。一目で知れた。これは“目“だと。そしてその脅威度まで察せられた瞬間、八幡は球体のカメラアイを撃ち抜いていた。

カメラアイを撃ち抜かれた球体は一瞬激しい挙動で飛び回ったものの、高度を保つことは叶わず硬質な音とともにコンクリートの地面に落下した。

 

「こいつは……」

「なんなんだよ、それ」

 

飛翔する球状のカメラ、としか形容のしようがなかった。一見コンパクト化されたドローンのようではあったが、その隠密性は比べ物にならないだろう。操作方法がどのようなものであれ、的確な使い方をすれば恐ろしい補助兵装になることは想像に難くない。

 

「里見さん! 比企谷さん! 今すぐ延珠さんを戻して!」

 

球体をつま先で小突く蓮太郎と八幡に、聖天子が走り寄る。蒼褪めた表情で半ば悲鳴のような声をあげる姿は、普段の落ち着き払った姿とは似ても似つかない。

 

「聖天子? おい、どうしたん──」

「比企谷さん、私の権限でティナ・スプラウトの名前をIISOに照会しました!」

 

蓮太郎の言葉を遮ってまで堰を切ったように話す聖天子。だが八幡にとっては狙撃犯の可能性がある相手の情報は喉から手が出るほど欲しいものである。

八幡は続きを聖天子に促した。

 

「ティナ・スプラウトの序列は九十八位。『NEXT』と呼ばれる強化兵士で、モデル・オウルのイニシエーターです。延珠さんでは殺されてしまいます! 早く彼女を戻して下さい!」

 

序列──九十八位。

聖天子の言に蓮太郎と八幡は戦慄する。

怨敵蛭子影胤よりもなお高い、序列百番の壁を超えた猛者。

かつて蓮太郎と八幡が撃破した影胤でさえ、勝利できたのは影胤が蓮太郎、八幡と連戦したからであり、それ以上に運の要素が絡んでいたからである。それ以上の強さを持つ相手に延珠が単騎で挑んだりなどしたら──

 

慄然とする思考の傍ら、八幡は状況を冷静に分析していた。

モデル・オウル。フクロウのイニシエーター。フクロウは夜闇を見通し、人間を超える動体視力を持ち、その視力は人間の八倍にも及ぶ。

そしてその序列九十八位と言うのが真実であるならば、八幡がマンションで襲われたとき生きていられた筈がない──彼女が遠距離戦闘を主体とするイニシエーターでない限りは。

つまり、今回の狙撃事件の実行犯は彼女である可能性が高い──そこに思考が至ってから、八幡は己の致命的なミスを痛感した。ティナが確かな戦術眼を持つならば、自分の位置が特定され距離を詰められる事態も想定している筈だ。だとすれば、延珠は自ら罠にかかりに行くようなものだ。フクロウの動体視力を持ってすれば、ウサギの挙動を捕捉することはそう難しいことではない。近接されない限り狩人とはティナ(フクロウ)であり、獲物は延珠(ウサギ)なのだ。

 

「里見! 連絡を!」

「今延珠にかけてる!」

 

里見の声は八幡以上に切羽詰まっていた。蓮太郎が八幡と同様に事態を把握しているのかは不明だが、決して頭の回転が悪い男ではない。八幡の声音を察した事で蓮太郎の焦燥に拍車をかけたらしい。

不意に、スマートフォンに耳を当てていた蓮太郎が弾かれたように頭を上げた。

 

「延珠? 延珠かッ! 良かった! 今すぐ戻ってこい、態勢を立て直すぞ!」

 

返答はなかった。聞こえるのは、電話口から漏れ出る僅かな呼吸音のみ。

 

「延珠……?」

 

反応のない電話口に、蓮太郎が怪訝な声で問いかける。答えはない。そも──電話の向こうでスマートフォンを手にとっているのが、果たして彼女であるのかどうか。

 

「おい……まさか……ティナ、なのか……?」

 

蓮太郎の問いかけに答えはない。

その沈黙が、何よりも雄弁に物語っていた。

延珠のスマートフォンがティナの手にあるという事実は──藍原延珠は、ティナ・スプラウトに殺害ないし無力化された。そう捉えて間違いはない。

嘘だろ、と蓮太郎の乾いた唇からうわ言のように漏れ出る。そのまま蓮太郎は冷たいコンクリートの地面に両膝をついた。

手元のスマートフォンは既に延珠の連絡先とは繋がっておらず、画面には不通表示が映し出されている。

 

蓮太郎のスマートフォンが手元から滑り落ちる音が、閑散とした駐車場に虚しく響いた。

 

 


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