夜を染める黒(旧題 : 俺ガイル×ブラック・ブレット)   作:つばゆき

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えーみなさんお久しぶりです。
一応言い訳させて貰いますと、今回のは話の都合上カットする事が出来ず、さりとてオリジナルがめちゃくちゃ書きにくいシーンがあったのですごい遅れました(適当)
待たせてすごいすみません。
前半は原作と似通ってしまう結果になりましたが、後半はちょっと頑張ったので見ていただけると幸いです。



夜闇に紛るる猛禽

東京、大阪両エリア首脳による非公式会談の終了後、八幡は聖天子を伴って高層ホテルのフロントからリムジンまで向かおうとしていた。

既に時刻は夜の帳も下りる頃合い。案の定ホテルの外は十数メートルも見渡せないような濃い闇に覆われている。

ホテルの外に出た八幡は、夜間にも関わらず頬を撫ぜた生暖かい風に不快感を隠そうともせず顔をしかめた。

迎えのリムジンに乗り込んだ八幡と聖天子は、互いに言葉を発する事なく沈黙を貫いていた。

 

リムジンが滑らかに発車し、僅かな振動が車内の二人を揺らす。車の質もドライバーの腕も標準以上、文句のつけようも無いのだろうが、数時間前の八幡の内心の荒れようからは僅かな揺れすらも気に障った。

向かう先は聖居だ。本日の依頼は彼女を聖居まで送り届けることによって完遂する。願わくばこのまま何も起こらずに、無事到着してくれと切に願う。会談の相手が悪名名高い斉武からすると、移動中すらも油断出来なかった。

濃い闇が支配する夜の中では、都会の光が目に眩しい。街灯が暗い車内を照らす中、八幡は窓の外から視線を戻した。

膝の上で手を重ねたまま窓の外を眺める聖天子は沈鬱な表情を浮かべていた。

それもそうかもしれない。

純粋に自らを侮辱され、愚弄されるだけに留まった八幡からすれば、聖天子は自らが正しいと疑わなかった信条を真っ向から否定されたに等しいのだ。

瀟洒な礼装の裾を握りしめたまま溜め息をつく聖天子に、何かしら声をかけようとして──かける言葉も見つからず、八幡は口を閉じた。

 

「私は……」

 

車内の静寂を破るように、聖天子が重い声で呟いた。

 

「私は、今まで……どんな相手でも、こちらが誠意を持って真摯に話し合えばわかってくれるものとばかり思っていました」

 

まるで独白するかのように内心を吐露する聖天子の姿には、何処か哀愁が漂っていた。

街灯に照らされるその横顔には、色濃く疲労が滲んでいる。

一昨年、彼女の母である先代の聖天子が病没してから齢十六歳である彼女が三代目聖天子として即位し、一政治家として活動を始めてから約一年半。一般家庭の少女ならただの女子高校生として学校生活を送っていてもおかしくない年齢である。その神がかったカリスマと美貌、手腕によって東京エリア市民からは熱狂的な支持を受けてはいるものの、その内面はただの十六歳の少女なのだ。

 

「……貴女に非がある訳ではありません。斉武大統領が一筋縄ではいかない人物であるのはわかりきっていたことです。どうか、お気になさらぬよう」

 

相手はあの(・・)斉武大統領だ。数あるエリアの元首の中でも抜きん出て異常な人物といえば彼の名が真っ先にあがる。聖天子とは思想が百八十度違うと言っても過言ではない。そんな人物と対話を求めようとする考え自体が間違っていると言わざるを得ないが、八幡は口には出さなかった。

人の善性を信じられるというのは聖天子の美徳ではあるが、そのような考え方は八幡から言わせてみれば“甘い”としか言いようがない。そう思いつつ八幡自身その考えを嫌いにはなれないが。そこは彼女の補佐である菊之丞や側近達が上手くフォローしているのだろう。

 

「……お気遣い、ありがとうございます。存外に優しいんですね」

 

聖天子は驚いたように目を瞬かせると、八幡の不器用な気遣いにはにかんだ。

彼女にとって自分はどのように映っているのだろうか。今まで接点がそれほど多い訳では無かったが、まさか冷血動物のような人物像を持たれているのだとしたら八幡からすれば心外である。無論、表情に出すようなことはしないが。

 

「それと、意外と感情は豊かなようです」

「……お戯れを」

 

隠し通せたとは思ったが、聖天子は八幡の憮然とした雰囲気を察したようだった。経験が薄いとはいえ腐っても政治家である。人の感情の機微を察するだけの能力は備えているようだった。

くすくすと笑う聖天子に更に八幡は仏頂面になっていくだけだったが、蓮太郎に影響されたのだろうか。以前は一切の表情を出さずポーカーフェイスを貫けたというのに。

 

「今日は驚かされました。比企谷さんは斉武大統領と面識があったのですか?」

「それは……以前、民警の依頼の関係で」

 

八幡が僅かに口ごもる。しかし、聡い彼女はそれだけで過去のことをある程度察したようだった。

 

「すみません。差し出がましい真似を」

「構いません」

 

いずれこのことは話してくれると嬉しい、と思いながら聖天子は話を切る。目の前の人物について分かっていることは、有能な民警であり、自分と同年代であることくらいしか無いのだ。

八幡自体は全く予想していないが、聖天子はいずれ子飼いの民警を持つことを視野に入れている。里見蓮太郎、藍原延珠ペアに続き、八幡もその中の有力候補の一人ではあった。傘下に入れれば、優秀な駒となってくれる事だろう。

 

「比企谷さん。斉武大統領は外国との関係が噂されています」

 

一度会話が途切れたことで、聖天子は本題を切り出した。

重要な響きを帯びたその話題に八幡も顔を上げる。

 

「……続けてください」

「アメリカ、ロシアなどの二大国を始めとした諸外国が秘密裏に斉武大統領と接触し、資金、武器等の給与を行っている疑いがあるのです」

 

八幡は眉をひそめた。

 

「……外国側のメリットは?」

「比企谷さん、貴方も予想は出来るでしょう。人類がガストレアに対抗する為に必要不可欠で、同時に政治的影響力も大きい──」

「──バラニウム」

「その通りです」

 

バラニウムは、各国軍隊や八幡のような民警が使用する武装に使われている、鉄鉱に代わる地下資源だ。

十年前の時点では碌な対抗策も得られなかったガストレアに対し、現状唯一と言って良い対抗可能な可能性を秘めた鉱石。

およそ弱点が存在しないガストレアでさえ、バラニウムに対しては著しい忌避性を示す。ダメージを与えることは出来ても再生し、殺し尽くすことは至難だった通常兵器でも、バラニウムを混合した兵器ならばその再生能力を阻害することが出来る。

そのバラニウムは火山列島、わけても日本列島に偏って偏在している。その埋蔵量は他を圧倒するほどであり、ガストレア戦争後日本の経済的優位を保っているのもバラニウムの恩恵である。

 

「バラニウムを得た後も、人類にとってガストレアは依然として脅威です。世界に偏在するバラニウム……そのすべてを掻き集めても、ガストレアを殺し尽くすことは不可能。そして、ステージⅤ──ゾディアックガストレアはバラニウムを以ってしても撃滅は困難です。比企谷さん。これがどういう事なのか、貴方なら想像できないことは無いでしょう」

 

バラニウムという資源を巡った政治的な争いが、世界中で起こっている──

それほどの価値を持つバラニウムが、政治的にどんな意味を持つか。

 

「では、斉武大統領が外国の援助を得てまでしたいことと言うのは……」

「おそらく、大阪エリアを中心とした、東京、札幌、仙台、博多エリアの武力統一。外国に対する見返りは、バラニウムの安定供与としか考えられません」

「…………。……斉武大統領のバックに外国が……」

 

八幡は自分で反駁しながらもその内容の違和感を感じていた。

あの斉武大統領が、ただ諸外国に操られることを良しとするのか。

短い間とはいえ、八幡は斉武からの依頼を請け負っていた時期がある。その人間性の強烈さは記憶に新しい。

 

「外国は斉武大統領を上手く飼い慣らすつもりでしょうし、斉武大統領は外国を上手く出し抜くつもりでしょう。彼がただ外国に操られるような人物とは思えません」

 

八幡は聖天子の言葉に頷いた。

聖天子が居住まいを正す。

 

「戦後より今に至るまでの十年間、各国は国力を回復するためだけにエリア周辺にモノリスを建設し、その中に閉じ籠って来ました。これより先は、内にではなく、外へ向かう領土奪還の時代となります。そしていち早く国力を回復した国が、次世代を導く存在たり得るという斉武大統領の思想に間違いはありません。その為に必要なのはバラニウム。つまりバラニウムを制した国こそが世界を制するのです。

比企谷さん、これからは世界中の国がバラニウムを求めて、協力的、非協力的問わず日本へ接触してくるでしょう。次世代の戦争とは、弾道ミサイルや爆撃機を用いた直接的なものではなく、世界の軍事バランスを単独で左右するような民警の高位序列者ペアによる暗殺や破壊工作が中心となります。

……里見さんはゾディアック・スコーピオンを撃滅し、貴方は蛭子影胤ペアを撃退してしまった。今の東京エリアに有能な民警を遊ばせておく余裕はありません。貴方達にはこれからも働いてもらう必要があります」

 

勝手な話だ。

自分の為に、東京エリアの為に、彼に戦えと言うのか。それがどんな意味を持つのか分かっていながら。

 

「……勝手は承知しています」

 

八幡の視線を受け止めた聖天子は、沈鬱な表情を浮かべて俯いた。その両手は、下腹部へと当てられている。

 

「……私も、いつ騒動の渦中で斃れるかわかりません。先代のように病に斃れるかもしれませんし、私を狙った民警に暗殺されるかもしれません。

私はもう子供を産める体なので、世継ぎを残すよう聖室の側近から散々言い含められています。傲慢かもしれませんが、私は有能な遺伝子を残すため機械的に産んだ子供より、愛によって産まれた子供が欲しいのです」

「……」

 

それは、確かに傲慢だ。

聖天子は仮にも国家元首。権謀術数乱れる今の世の中で愛で産まれた子が欲しいなどと、他の政治家にとっては失笑ものだろう。

しかし、八幡はなにも言わなかった。彼に政治は理解出来ようとも政治家ではないし、精々が利用される程度のものだ。

だが、聖天子の気持ちは理解出来ない訳ではなかった。彼女は政治家としてではなく、人として子を産みたいのだ。

 

「……何も、仰らないのですか?」

 

聖天子が、おそるおそると言った風体で顔を上げた。八幡はその言葉の意図がわからず首を傾げる。

 

「何、とは?」

「菊之丞さんは、私に戦えと仰りました。死ぬことを考えるなと、外国に屈するなと。私はそうは思いません」

 

聖天子は一度言葉を切った。

 

「私はこれから東京エリアの領土をガストレアから取り戻して行き、やがては仙台エリアや大阪エリアと土地を直結させるつもりです。いつの日か、すべてのエリアが繋がったとき、国民は思い出すでしょう。十年前、日本は一つの国であり、同じ空を見上げていた同胞であったことを。

私は侵略行為は行いません。暗殺にも謀殺にも、政治的圧力にも決して膝を屈しません。復讐など以ての外です。

比企谷さん、貴方は戦争で最初に犠牲になるのが誰だかご存知ですか? それは目も開かない子供や老人です。私は戦後の混乱期、荒廃した東京エリアの各地を先代の聖天子と視察に回りました。そこにあったのは何だと思いますか?」

 

聖天子の声音に悲嘆の色が入り混じる。両手を胸の前で握り締める姿は、まるで恐怖に怯える少女のようだ。

 

「劣悪な衛生環境の中、病気になり身動きのとれない子供や老人達が、けれど私が微笑みかけると懸命に微笑み返してくれる。私は次代の聖天子という自覚がありました。病に斃れる人々に駆け寄り手を取ることも、悲哀に顔を歪ませることも許されず、ただ笑顔を向けることしか出来ませんでした。そして私に微笑み返してくれたその笑顔は、次の日には冷たい骸となって蝿がたかっている……!」

 

聖天子は強く首を振った。それが彼女の原風景だ。それが彼女を急き立てる過去の罪科だ。

彼女は飢え渇き、病に悶え死んでいく国民の姿に、他でもない彼女自身が彼女を罰している。

 

「……あんな恐ろしい事はもう二度とあってはなりません。私は平和を体現しなければなりません。言葉ではなく行動によって」

 

聖天子はその手で自分の体を抱き締めた。その肩は小さく震えている。

 

「私はこれ以上この世界に悲しみの種が撒かれることに耐えられない……ッ」

 

衝撃が八幡の総身を震わせた。

聖天子は、十代の少女に科せられるには重すぎる責務に震えているのではない。苦しむ国民に何もしてやれなかった己の無力を罰しているのだ。

八幡は何も言えなかった。かける言葉も見つからなかった。慰めの言葉ですら。もとより彼女は慰めの言葉など求めていなかった。

彼女はどうしようもないほどの夢想家であり……どうしようもないほどに愚かだった。だが、八幡はその愚かさが嫌いではなかった。

 

「……俺は別段、貴女の考えに思うところはありません」

 

微かに驚いたように顔を上げた聖天子の表情には、縋るようなものが混じっていた。

 

「貴女の好きにすればいい。俺はそれに従います。俺はそれが間違ってるとは思わない」

 

八幡のその台詞に、聖天子は顔を綻ばせた。胸に手をあてて安堵の溜め息をつく。

 

「……ありがとう。少し楽になりました」

 

聖天子は張り詰めていた緊張をほぐすように、今まで伸ばしていた背をリムジンの背もたれに預ける。安堵の表情を浮かべる彼女は、年相応の少女のようだ。

 

「比企谷さん、貴方に一つお願いがあるのですが……」

 

こちらの顔色を伺うように控えめに声をかけてくる聖天子に、八幡は反射的に身構える。

 

「……なんでしょうか」

「私に対してそんな改まった態度ではなく、もっと気安く接して欲しいのです」

「……はっ?」

 

まさか予想だにしなかった聖天子の『お願い』に、八幡は素っ頓狂な声を上げた。

何故? 意味がわからない。そして何故自分に?

 

「……駄目でしょうか?」

「ええと……理由を聞かせて貰っても?」

「私には同年代の友人がほとんど居なくて……里見さんのように私にもはっきりと物を言う人が新鮮で」

「……だから、俺にもと?」

「はい」

 

まさかの展開に、八幡といえども脳がついていけない。混乱する八幡は、頭痛を抑えるかのように頭を抱える。

一方の聖天子はまるで子供が大人の機嫌を伺うかのように八幡の顔を覗き込んでおり、普段とのギャップに八幡は再び思考を乱される。

葛藤の末、ようやく八幡は声を絞り出した。

 

「……お戯れを。俺と貴女はあくまでも一市民と国家元首の関係です。周囲の誤解を招くような事はどうかお控えください」

「そんな事は些末な事です。それに比企谷さん。私は、貴方の主なんでしょう?」

 

……なんだって?

 

「……俺が、そんな事を?」

「ええ。斉武大統領との会談中に」

 

聖天子の言葉に、八幡の脳裏で斉武との会談中の出来事がフラッシュバックする。

自陣へ八幡を引き込もうとする斉武と、それを毅然とした態度で拒む八幡……。

 

『──俺は既に東京エリアの民であり、今の俺の主は聖天子様です。貴方に与する事はありません──』

 

愕然とした表情で顔を上げる八幡に、聖天子は悪戯を成功させた幼子のような表情を浮かべた。

してやられた。

腐っても政治家、人が発した言葉はしっかり覚えているらしい。

とうとう八幡は項垂れた。

 

「……せめて、敬語を抜きにするのは二人きりのときだけで」

「はい」

 

八幡は聖天子の前だというのに深々と溜め息をついた。

渋い顔で項垂れる八幡を見て、聖天子がくすりと微笑む。唐突に嫌な予感のした八幡は、反射的に聖天子の顔を見つめた。

 

「それと比企谷さん。貴方が斉武大統領にそう言ってくれたとき、私は結構嬉しかったんですよ?」

 

笑顔で聖天子が特大の爆弾を投下する。

その言葉に、今度こそ八幡は聖天子から顔を逸らした。

してやられた、という思いよりは最早圧倒的に羞恥の方が勝っていた。

 

「……勘弁してくれ」

 

くすくすと笑い声を漏らす聖天子に八幡は小さな声を漏らす。当初車内に満ちていた重い雰囲気は、今はとうに霧散していた。

八幡も聖天子も願っていた。浮かべた笑顔の裏で、どうかこのまま無事にリムジンが聖居に到着する事を。

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

深夜の街中を走る黒塗りのリムジン──その車内を覗く猛禽の眼があった。

場所はリムジンの走るビル街より南東に約一キロ強。東京エリア南端部と外周区にほど近い人気のなくなった廃ビル群。その乱立するビル群の中でも一際高いオフィスビルの屋上に、金糸のように繊細な金髪を強風に煽られながら眼下を見下ろす少女の姿があった。

名を、ティナ・スプラウト。

暗い色を基調としたドレスのような戦闘服に、身の丈ほどもある銃を携えた狙撃手。

高位序列者たるティナは、彼女の主より一つの重大極まる密命を受けていた。

聖天子暗殺指令。

彼女がスコープの先に覗く白き国家元首こそ、今回の暗殺のターゲットである。

 

「こちらティナ・スプラウト。目標(ターゲット)を捕捉。これより任務を開始します」

『了解した。速やかに対象を抹殺せよ』

 

ティナは口元のインコムへ囁くように告げると、通信機越しに主より指令が下る。

ティナは伏せ撃ち(プローン)の姿勢で銃を構えたまま深く呼吸を落ち着けた。息を吸って、長く吐く。それだけで、ティナは一人の少女から一個の暗殺機械へと変貌を遂げる。

機械的な思考のままティナは、細い指先で黒塗りの銃身を撫ぜた。

単に狙撃銃と呼ぶには余りにも長大な銃身を持つそれは、俗にアンチマテリアルライフルと呼ばれる大口径、高火力を誇る対物狙撃銃である。

バレット・ファイアーアームズ社の開発した大型狙撃銃。“バレットM82”こそが、この銃の正式名称。

使用される弾丸は、弾道直進率の高い12.7mm弾。風の影響も受けにくく、描く弧の大きさもある弾丸を使用するこの銃ならば、超長距離狙撃においてこれ以上の適任はない。

今こそティナは、スコープ越しに映る聖天子に殺意の視線を送る。常人とは掛け離れた視力を持つティナは、一キロ以上の距離を離れた移動目標すら難なく捉えていた。

天候は雨天、そして横殴りに叩きつける強風。並の狙撃手ならば狙撃を諦めるような条件ですら、ティナにとっては狙撃を取り止める理由足り得ない。何故なら、彼女はその程度では外さない(・・・・・・・・・・)

信号に足止めされたリムジンが、再びエンジンを吹かせ走行を始める。狙点を左へ、零点補正(ゼロイン)調整された一キロ点より照準を僅かに上へ……

必殺の確信を得たティナが、ついに極限の集中でもって銃爪を引き絞る。

銃爪と同化した指先が、鋼鉄製の機構を介して12.7mmNATO弾の雷管を叩き、炸薬の轟音を無人の空へと響かせる。

マズルブレーキより噴出した燃焼ガスが廃ビルの屋上に積もった塵を吹き飛ばし、十分な加速を果たした必殺の弾丸が標的を穿たんと飛翔する──

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

信号のLEDライトが赤から青へと変わり、止まっていたリムジンが再び動き出す。

車内に重苦しい雰囲気はすでになく、あとは聖天子を聖居へと送り届けるのみとなっていた。

 

余談ではあるが。比企谷八幡は、民警であると同時に暗殺者である。それゆえに当然狙撃の経験もあったし、その膨大な経験からなる狙撃の際に生じる殺意というものを敏感に感じ取ることが出来た。

ビル街の十字の交差点を過ぎた直後、抑えがたい悪寒が八幡の総身を襲った。

幾度となく戦場を渡り歩いてきた経験が、幾度となく死線を潜り抜けてきた勘が、なによりも雄弁に八幡の本能へと語りかける。

──誰かが、見ている。定められた標的を仕留めんと、車内の二人へ殺意の視線を向けている。

南東──

弾かれたように窓の外へと八幡が顔を向けた。その刹那、視線の先の廃ビル群の中央、一際高いビルの屋上が確かに明滅した。

それが狙撃だと判断するよりも早く、本能と戦闘勘に従った八幡が聖天子に覆い被さるように引き倒す。

その僅かに一瞬後、耳をつんざく轟音と衝撃が二人を襲った。

リムジンの防弾ガラスを容易く粉砕した狙撃弾は反対側の分厚いドアを紙屑同然に穿ち貫通し、金属のひしゃげ捻じれ曲がる不快音を響かせる。

唐突に襲い来る厄災にパニック同然に陥ったドライバーがハンドルを切りながら急ブレーキを入れ、リムジンが盛大にタイヤ痕を引きながらスピンする。

怪我をさせまいと聖天子の頭を抱えながら体を丸める八幡は、受ける衝撃を一手に引き受け全身の至るところを車内に打ち付ける。

回転する車体が電柱に激突し、吹き飛ばされるように横転する。激突した衝撃で肺の空気を強制的に全て吐き出された八幡は、咳き込む暇も惜しいとばかりにひしゃげたドアを蹴り破る。

聖天子の手を引きながらなんとか車外へ脱出した八幡が再びビルへと目を向けると、二度目の銃口炎(マズルフラッシュ)が夜の闇で閃いた。

僅かに一秒後、八幡達が脱出したリムジンのエンジンを狙い過たず撃ち抜き、黒塗りの車体を爆発炎上させる。

吹き付ける熱波と爆発の衝撃波に八幡と聖天子が吹き飛ばされるようにして転倒する。身を起こした八幡は、首を巡らせて数メートル先の聖天子を見咎める。今の衝撃で聖天子との距離が離れてしまったことに愕然とした。

 

「──聖天子様!」

「ひ、比企谷さん、私、腰が抜けて……」

 

声をかける八幡に、聖天子が強張った表情で首を振る。駆け寄ろうとしても間に合わない。彼我の距離は数歩の距離だ。たかが数メートル、されど数メートル。駆け寄るときに生じる隙は致命的だ。飛来した弾丸は八幡を貫通し、今度こそ聖天子を撃ち抜くだろう。

ビルの屋上から現在の交差点まで目算で約一キロメートル、弾丸の到達まで約一秒。使用されている弾丸はおそらく12.7mmの大口径。命中は死を意味する。

そして、三度目の銃口炎(マズルフラッシュ)が廃ビル群の頂上で明滅する。

寸分の躊躇いもなく、八幡は義足を解放した。

鋭い痛みと共に義足をコーティングしていた人工皮膚がダークスーツを破りながら剥離、ブラッククローム特有の金属光沢を放つ。

弾丸の撃発から到達まで一秒強。脳内で所要時間(タイム)を慎重に推し量り、脚部に装着されたスラスターユニットを解放する。

八幡が庇うように立った背後には、聖天子がぺたんとコンクリートの路上に座り込んでいる。

彼の狙撃手に、その必殺の弾丸が八幡を貫通せしめ聖天子へ命中させ得るだけの技量と自負を持つならば、躊躇うことなく二人を葬らんとするだろう。

 

“いちかばちか……ッ!”

 

ビル群の頂上から聖天子までの直線、弾道予測。12.7mmNATO弾を使用するその銃が真に一撃必殺の威力を持つならば、頭部に命中させることにこだわりはすまい。

瞬時に狙撃手の思考を脳内にトレースし、弾道を推し量るとついに八幡は跳躍した。

八幡の痩身が空中で旋転し、義足から発される炎が夜の住宅街に蒼い軌跡を残す。

次の瞬間大気を切り裂いて飛来した弾丸と、超バラニウム合金の義足が空中で衝突した。

掠め過ぎるように大口径の弾丸と衝突した義足は、甲高い金属の擦過音を立てながら遂に12.7mmNATO弾の軌道を逸らす事に成功した。強制的に軌道を逸らされた弾丸は聖天子の直上から背後のコンクリート壁を粉砕し、破片と粉塵を飛び散らせる。

舗装された交差点の道路に靴の後を引きながら着地した八幡は、スラスターユニットによる加速で聖天子を抱き上げ、通りの影へと身を滑り込ませた。

ようやく事態を飲み込んだのか、聖天子付護衛官が浮き足立った様子で聖天子の下へと駆け寄ってきた。

 

「ひ、比企谷さん……」

 

彼らの一人に聖天子の矮躯を任せると、聖天子が恐怖に上擦った声音で八幡の名を呼んだ。護衛官達に周囲を固められながら後退していく彼女の顔は、真っ青になって怯えが色濃く浮かんでいた。

彼女に軽く手を上げて応えると、八幡は通りの陰から小型のハンドミラーで廃ビル群の様子を観察する。やがてもう弾丸が襲って来ないことを確認した八幡は、今回の襲撃者が撤退したことを悟った。

それを悟った直後、八幡の耳に虫の羽音のような音が響いた。咄嗟に首を巡らせるが、何もない。

事態を乗り切ったことでようやく八幡は周囲の様子に気を回すことが出来た。

残骸となったリムジンは炎上し、吹き付ける熱波と市民の狂騒は野次馬を次々と呼び寄せる。雨脚が強くなり、しとしとと八幡の身体を濡らしていた雨は舗装された地面を強く叩いている。

髪が濡れ、つたった雨が顎から滴り落ちながら、八幡はオフィスビルの陰から廃ビル群の頂上を観察した。

目算にして距離は一キロ強。放たれた狙撃弾は雨天、強風の中移動目標に対し寸分の狂いなく飛来してきた。それよりあとの二発、計三発の弾丸すら、至近弾ではなく全てがそうなるべくあったかの如き正確さで目標を追い込んできた。

凄まじい技量だ。射撃の名手たる八幡ですらこの芸当は到底不可能だろう。

八幡は雨に濡れることすら厭わずに、廃ビルの頂上を睨み上げる。

雨脚は次第に強くなり、やがて深夜の喧騒すら雨音が覆い隠していった。

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

ティナ・スプラウトは驚愕に息を飲んでいた。

コンディションは万全だった。他一切に問題はなかったはずだった。だが、彼女が放った計三発の弾丸は全てが回避され、最後の一発に至っては弾丸を弾かれたのだ。

初速二八〇〇フィート、一三〇〇〇フットポンドにも及ぶ運動エネルギーを、イニシエーターですらない一般人の範疇に収まらないプロモーターが防いだのだ。

 

「……すみませんマスター。任務は失敗です。護衛に手練れの民警がいました」

 

内心の驚愕を押さえつけるようにティナは努めて冷静にインコムから主へと報告する。

 

『馬鹿な、民警だと……!? 情報にないぞ、聖天子の周囲を囲っているのはあの無能な護衛官どもではないのか!?』

 

ティナの主が無線越しに激昂する。民警というイレギュラーさえなければ、最初の狙撃で目的は達していたはずだったのだ。

ティナはM82アンチマテリアルライフルをカモフラージュ用のバイオリンケースに収納すると、廃ビルの屋上で立ち上がって眼下の闇を見下ろした。

相手は一体何者なのか? ティナの持つアンチマテリアルライフルは、個人携行火器の中では最高峰の威力を保有する武装だ。それを弾いたのだ。只者ではないだろう。

バイオリンケースを担いだティナは、一度だけ背後を振り返ると、金髪をたなびかせながら廃ビル群の闇の中に身を翻した。

 

 

 




今更だけど、ティナと八幡の相性ってかなりいいと思うの。
四巻でティナは木更と組んじゃうけどね。
やっぱりティナの狙撃能力は規格外だわ。八幡の能力もかなり盛ってるけど一キロ級の狙撃って幾ら何でも無理ゲーすぐる……

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