夜を染める黒(旧題 : 俺ガイル×ブラック・ブレット) 作:つばゆき
全身の体重を柔らかく受け止める革張りのシートに、重厚なドア。豪勢な内装には備え付けの小型の冷蔵庫やテレビすらあるというのに、閉塞感など微塵も感じさせない。大の大人数人が身を投げ出してくつろいだとしても尚余裕のあるほどの開放感。豪奢なカーテンや車内を照らす光源は、俗に言うセレブ感を出しながらも決して装飾華美ではなく、上品な高級感を醸し出している。
八幡はそのあまりにも場違いな空間に辟易としながら、目の前の人物に気取られぬよう密かに息を吐き出した。
現在八幡がいる場所は、高級リムジンの車内────もっと言えば、今回の八幡の依頼人、そして東京エリアの君主たる聖天子の搭乗するリムジンである。
無論、八幡とてリムジンに乗るのはこれが初めてという訳ではない。過去の依頼で二、三度乗った程度だが経験はあるにはある。故に慣れているとは言い難いものの八幡はこういう状況のときに自分が取るべき態度というものを弁えていた。
「…………」
八幡は窓の外に向いていた視線を、さりげなく前方の人物へと移す。視線の先にいる人物は凛とした表情で、先ほどの八幡と同様窓の外を見つめていた。東京エリアの君主、聖天子その人である。
弱冠十六歳にして国家元首として東京エリアに君臨し、まだ目立った実績がないにも関わらず国民から圧倒的な支持を得ているこの少女は、なるほどその支持率に納得出来るほどの容姿と人徳、器量を兼ね備えていた。
色白の端整な美人────否、美人というのも烏滸がましいと言えるほど、人間離れした容姿と神々しさを持つ人物。大きく、それでいて切れ長な瞳や、すっと通った鼻梁は異性だけに留まらず同性をして感嘆の溜め息を禁じ得ないほど整っており、銀を溶かしたかのような銀髪は遠目から見ても柔らかさが伺えて神々しさに拍車を掛けている。
白く精緻な刺繍をあしらった瀟洒な礼装はいつもより若干露出が多く、後ろから覗けばうなじや肩など聖天子の白い陶器のような肌が窺えるだろう。
八幡はそこまで考えてから、思考に
「…………」
何か声を掛けるべきかと口を開けるが、結局良い言葉も見つからずに再び口を閉じる。
ボディガードと言うのは依頼主のメンタルケアも仕事の内に入っているのだろうかと疑問に思うが、八幡の観点からすれば仕事は依頼主の身の安全を護る護衛だけで、精神面の管理などその手の仕事は専門家に任せるべきだろうと結論が出る。結局要らぬ世話だったのだろうが、自然に気遣おうとしてしまうあたりは相手である聖天子の人徳か、はたまた彼女の立場ゆえか。どちらにせよ八幡にその答えなど出るはずもなく、そんな己に若干の不甲斐なさを感じながらも視線を伏せた。
これが雪ノ下雪乃の姉たる陽乃ならば、こういうときの淑女に対する気遣い方などまるで説法をするかのように説いたのかもしれないが、八幡にそんな気遣いなど求めるべくもない。もとより聖天子ほどの立場の人間を完璧にエスコート出来るほどに経験が豊富ならば、八幡はとっくの昔に執事にでも転職していただろう。
特に気まずい訳でもない、妙な空気に終わりが訪れたのは、非公式会談の目的地たる超高層ビルに到着したことを告げるリムジンのドライバーによってだった。
車内に揺れらしい揺れをほとんど感じさせず滑らかに停車したリムジンから一足早く出た八幡は、久方ぶりながらも一切の無駄のない洗練された動きでリムジンの反対側まで移動し、ドアを開け放つ。
このような動きをしたのはもう何ヶ月も前なのにも関わらず、存外に衰えていない事に内心驚きつつも黒い手袋を外し聖天子に手を差し出した。
教科書通りというべきか、こういった当然の事を当然のようにこなす事なら出来るのだが、とポーカーフェイスの裏で思う。
差し出された手を少し驚いた顔で見つめる聖天子を目にしたとき、八幡は己のミスを痛感した。彼が本当に執事だったならばこの行動は正しかったのだろうが、要人警護で──それも、聖天子のような身分、地位の人間に対してはむしろ失礼にあたるのではないか、という考えに至ったのだ。
自らのミスに若干の羞恥を覚え、渋い顔をしながら戻そうとした八幡の手に、白くたおやかな指先が重ねられる。
まさか予想だにしなかった細く柔らかな感触に、八幡は思わず瞠目する。そんな八幡の心情とは裏腹に、八幡の腕は半ば反射的に聖天子を引き上げていた。実のところは聖天子も、ところどころ硬さが有りながらも何処か繊細さの窺える八幡の手に驚きを抱いていたが。
「……失礼」
「いいえ」
礼を失したことによる八幡からの謝罪を、聖天子は小さく微笑んで応えた。
できた人だ、と八幡は思う。
なるほどこれほどの人格者ならば、人に好かれ、民に慕われるのも道理だと。
理想を掲げ、理想を体現し、人の上に立つ者として能力と人徳を兼ね備えた人物。
清廉にして潔白。だがそれゆえに野心を持った他者からすれば、疎ましく受け入れがたい。
彼女の掲げる理想。それは未だ迫害の続けられている『呪われた子供たち』の人権を保証すること。
ガストレアの因子を持っているならば、我が子ですら躊躇わず捨てる世の中では、実現しがたい理想とも言えるだろう。
しかし、その理想は八幡にとっては歓迎すべきものである。
八幡がガストレアを屠る理由が、彼が救えなかったイニシエーターに対する贖罪と復讐であるならば、似た目的を持つ聖天子に八幡が協力することに何の不満があろうか。
姿勢を正して歩み始める聖天子を傍らに、八幡もまた歩を進めた。
超高層ビル────というよりは超高層ホテルと言った方がより正確だろうか。
八幡自身このような建物自体利用する機会など無いに等しいため、どう言ったら良いものかわかりかねる部分もあるが。どちらかと言えば八幡は、素性を隠す場合などに適当なビジネスホテルを利用することが多い。最も利用客の客層が広いからだ。
今回来たホテルの様に無駄に高級感の漂う調度品やソファなど、八幡の趣味にはとてもでは無いが合わない。
聖天子の来訪に慌てて出てきた、引き攣った笑顔の支配人に取り次ぎ、エレベーターに乗り込む。会談の場所は超高層ホテルの最上階。普通の客であれば本来利用出来ないどころか、支配人を含めた一部の人間しか立ち入りの出来ない場所である。
「聖天子様」
上昇するエレベーターの微かな倦怠感を覚えながらも、八幡が口を開く。この場には聖天子と八幡の二人しかいない。よって多少の言動を咎める人間もいない。もっとも、八幡自身粗相を働くつもりは毛頭無いが。
「なんでしょう? 比企谷さん」
問いを受けた聖天子が澄んだソプラノの声で応える。
「何故今回の護衛役に私が選ばれたのでしょうか。里見、藍原ペアのように他にも民警はいたと思いますが」
疑問はそこなのだ。戦力という面に於いては単独で依頼を遂行する八幡よりは、ペアで行動する蓮太郎達の方が高いのだ。無論、八幡とて戦闘能力で蓮太郎達に劣るつもりは無いのだが。やはり一人よりは二人の方が良い筈だろう。
「里見さん達は……その、品位、というべきか。……斉武大統領に粗相を働いてしまう可能性があるので」
それを聞いて八幡は納得した。というよりは納得せざるを得なかった。
蓮太郎は東京エリアの国家元首にして最大権力者である聖天子に対し、一切の躊躇いなくタメ口で接するのだ。大阪エリア国家元首の斉武大統領にも同様の態度をとったとしても何ら違和感がない。それどころか、蓮太郎は多くの政治家を輩出している天童家の元養子である。下手に交流などもっていたとすれば、タメ口どころか挑発すらしかねない。
「腕の立つ者、という事ならば他にも適任は居たでしょう。例えば……式典のとき会場に居た者とか」
それを口にした瞬間、聖天子の眉がぴくりと動いた。その反応に八幡は僅かに目を細める。
八幡が気になっている存在はそれなのだ。式典会場で、蓮太郎が聖天子に掴みかかろうとしたときに感じた圧倒的なまでの殺意の奔流。気を抜けば瞬時に命を刈り取られていただろう実力差。実際に戦ったところで八幡では数分と持つまい。
「……さて、何のことだか私にはわかりかねます」
予想通りの反応だった。
世界で七十万ペア存在する民警のトップランカーは、単独でエリア間の軍事バランスをも左右する。聖居で感じたあの存在は、民警のIP序列で鑑みれば優に百番台は超えてくるだろう。それだけの実力者ならば、政府がその存在を隠蔽するのも頷ける。
エレベーターの階数をふと見てみれば、まだ半分に到達した頃だった。エリア内有数の超高層ホテルならば、地上数百メートルに達するまで相応の時間がかかるというものだろうか。
「聖天子様。今回何故斉武大統領は会談の場を設けたのですか?」
会話が途切れたのを察した八幡が、ふと疑問に思った事を口に出す。
「……わからないのです」
聖天子は、やや困惑したような声音で答えた。
「私は、今まで斉武大統領と一度も会った事がありません。過去二代の聖天子は何度かこういった会談などで面識があるのでしょうが」
なるほど、と八幡は納得する。
聖天子の母君にあたる二代目は、一代目が崩御してからたった一年弱で病没しているのだ。聖天子は現在十六歳。即位してから一年未満で、未だ政治家としては未成熟なのだ。
(だからあんなに緊張していたのか)
八幡は車内での聖天子の表情を思い出す。普段の凛とした印象からは想像出来ない、強張って緊張した表情。
「里見さんが言っていました。斉武大統領はアドルフ・ヒトラーのような人物だと。ガストレア大戦後の荒廃期よりたった一代でエリアを立て直した猛者とも」
アドルフ・ヒトラー。
確かに言い得て妙だと八幡は思った。上手い例えだ。
斉武大統領や日本の他のエリアの国家元首達が一代でそれぞれのエリアを立て直したように、ヒトラーもまた第一次世界大戦で荒廃したドイツを、たった数年足らずで再び世界を相手に戦争を仕掛けられるほどにまで立て直した人物である。
ヒトラーは戦争さえ起こさなければドイツの歴史上最も偉大な人物として後世に語られただろうと言われているが、斉武もまた好戦的な性格さえ無ければ同様の評価が得られたのだろうか。
聖天子の顔を見ると、先ほどまでは強張っていた面持ちが、今では眉根を寄せて随分と不安げな表情をしていた。
八幡は内心であのバカ、と蓮太郎を罵る。会談の前で余計なプレッシャーを与えてどうするのだ。
聖天子は不安がありありと見てとれる表情で八幡を見上げた。
「……比企谷さん、私の
こちらの眼を覗き込むような濡れた瞳に息が詰まる。八幡は一瞬だけ瞑目すると、口を開いた。
「……は、お側に」
聖天子はそれを聞き、ほんの少しだけ安心したように表情を和らげると、小さな声で礼を述べた。
頼られているとするならば男冥利に尽きる。
八幡はらしくもなく思考を意識的にポジティブな方向に切り替えると、ごくり、と唾液を嚥下した。
ごく普通の──例えば、安価なビジネスホテルでのエレベーターとは比べ物にならないほどの装飾華美な重々しい扉がゆっくりと開く。
そして、扉が開ききったあとに見えた景色を目の当たりにし、八幡は目を見開いた。階層のほぼ全方位がガラス張りの部屋は、開放感に溢れており、地上二百メートル越えの高さからは東京エリアの景色が一望できる。確かに各エリア首脳の非公式会談に利用されるだけはある、と八幡は感嘆の溜め息を飲み込みながら思った。
気配のする方向にちらり、と視線を向けると、背の高い八幡に比べてもなお高く感じられる逞しい身体付きの、おそらく斉武の護衛官と思われる男が一礼した。その相手は当然の如く聖天子だろう。
聖天子は目礼だけすると、会談の為に設けられたのだろう豪奢なしつらえのソファに向かってしずしずと歩を進める。
ある程度の距離まで近づくと、先に着席していた白髪の男がソファから腰を上げこちらへ振り向いた。
「はじめまして、聖天子様」
このがっしりとした体躯の高身長の男こそが、大阪エリア国家元首の斉武宗玄大統領だ。既に還暦を過ぎて数年と経っているのにも関わらず、歳を全く感じさせない立ち居振る舞い。顎髭や口髭が不敵な印象を持たせる、傲岸不遜な態度が様になる男である。
「隣にいるのは……ほう、貴様か」
斉武の視線がこちらに向いたのを感じ取り、八幡は何を発するでもなく恭しく
「久しいな、比企谷」
「…………」
いやらしい笑みを浮かべる斉武に対し、黙したまま応える八幡。こちらからは何も語ることはない、という意思表示。
「つれないな、比企谷。久々の邂逅よ、何か言ったらどうだ?」
「……お久しゅうございます斉武閣下。ご壮健なようでなにより」
「他人行儀な奴だな。俺とお前の仲だろう? 全く可愛げのない」
斉武の言葉に早々に唾を吐き捨てたい気分に陥る八幡だったが、不快感を一切顔に出さずにポーカーフェイスを貫く。すると、何が気に入らなかったのかつまらなそうに斉武は鼻を鳴らした。
八幡にとってはあまり良い思い出では無いのだが、実は八幡と斉武は面識がある。とはいっても、プライベートな関係というものではないのだが。そんなものは八幡自体お断りである。単純に依頼する側とされる側だった、というだけだ。
八幡はかつて要人警護から暗殺まで様々な依頼を請け負ってきたが、その中でも相当数の暗殺の依頼を八幡に課したのは斉武である。
彼は純粋な政治的手腕も去る事ながら、ライバルを蹴落とすだけでなく闇に葬る事も躊躇なくやってきたのだ。八幡としては思い出したくもないが、過去二回ほど、見せしめの為に公衆の面前で狙撃をさせたり原型を留めぬような惨殺をさせた事もある。最も狙撃に関しては逃走経路など様々なバックアップがあったが。
それ以来対抗馬となる存在が随分減ったらしい。
嫌な思い出に顔を顰めそうになるのを堪える。その様子を斉武が察したのかはわからないが、先ほどと変わらぬいやらしい笑みから鑑みるに察したわけではないようだ。
斉武が聖天子に席を勧め、聖天子が頷いて応える。両エリアの首脳は、ほとんど同じタイミングで向かいのソファにおさまった。
八幡も斉武の護衛に倣い聖天子から数歩ほど離れた場所に立つが、聖天子の縋るような視線を受けて、エレベーター内で聖天子に言われた言葉を思い出す。
『私の傍、離れないでくださいね────』
聖天子の斜め後方に位置していた八幡は、その位置から数歩ほど移動し、聖天子のすぐ後ろ──手を伸ばせば彼女の肩に触れられるほどの位置に立つ。
先ほどのやり取りは斉武には気付かれていないようだが、やはり弱味はなるべく悟られない方が良い。後で彼女には言い含めておく必要があるかもしれない。
聖天子は政治的手腕も人徳もあるが、まだ十六歳という事もあって精神的な脆弱性が窺える。それは政治家として老練した斉武を相手にするには致命的だ。
「……比企谷。蓮太郎もそうだが、貴様、ステージⅤのガストレアを倒す際、レールガンモジュールを使って修復不能な状態にまで破壊したそうだな。随分な事をやってくれたものだ」
これから権謀術数を巡らした政治的な交渉が展開されるのだと思っていたばかりに、八幡は再三に渡る斉武からの問いかけに胡乱な表情を隠しきれなかった。
レールガンモジュールについては八幡が直接関与したわけではない為弁明など幾らでも出来るが、蓮太郎とは既知の仲だ。それに、斉武には幾ら言い繕ったところで無駄なのは知れている。聖天子も、こう何度も無視されていては眦を釣り上げて何かしら言ってもいいだろうに、未だ緊張が緩んでいないのか。だが、少なくとも良い気分をしているわけでは無いだろうが。
「その件についてはこちらの配慮が足りなかったこと、大変申し訳なく思っております。なにぶん東京エリアの危機でしたもので」
話を振られたからには返さなければならない。この返しは及第点といったところだろうか。とはいっても、これ以上の返しを八幡自身思い付かないが。
「全く、余計な事をしてくれたものよ。いいか、比企谷八幡。戦争とはな、常に敵の上をとった者が勝つと古来より決まっておるのだ。丘の上より矢を射掛けた軍が勝ち、爆撃機で制空権を奪った軍が勝ち、衛星で敵の行動を予測した軍が勝つ。では次はなんだ? 次は────」
「……月面、ですか」
斉武の演説にかぶせるように放たれた八幡の言葉に、斉武が眉根を寄せる。
「ほう……? 貴様、それを何処で知った?」
八幡は黙して答えない。
過去に斉武より依頼を受けていたときなら聞く機会など幾らでもあったのだ。それをわかっているのか斉武は、にやり、と口元を歪ませる。
「そうとも。あのレールガンモジュールは本来月面に移設し、月面より地表を狙撃する算段だったのだ。全く、それを貴様らは……」
「そこまでです斉武閣下。それ以上は比企谷さんに対する侮辱と受け取ります」
顎髭をさすりながら忌々しげに八幡を睨め付ける斉武を、凛とした声で聖天子が制する。
月面にレールガンモジュールを移設し、地表を狙撃するとは言ったが、ガストレア
「あれは次代の抑止力としても機能する筈だった。月面よりのレールガンは今までの大陸間弾道ミサイルとは異なり地表の何処でも狙い撃てる。月面よりの高威力高速度にして、迎撃不可能な兵器よ。これほどの兵器を保有しておれば、ガストレア戦争終結後に日本を世界の超大国に押し上げる事も不可能ではあるまいて」
「貴方は……貴方は武力で他国を脅そうというのですか……!?」
聖天子が口を挟むが、斉武は全く動揺した素振りもみせず、さも当然の如く言い放った。
「聖天子様、貴女にはビジョンがない! 我々は全てのガストレアを駆逐した後の世界のことまで見据えねばならないのだよ。ガストレアを駆逐したのちに、どの国よりもいち早く国家を回復させた国こそが次代の世界を導き統べる者としての権利を得られるのです。日本は、世界の超大国として君臨すべきなのだ」
聖天子の理想論は八幡にとっても結構なものだが、それは斉武を超えてなお、ある意味楽観的すぎる。そんな綺麗事が世の中まかり通るならば世界はもっと平和だったろうし、何より十年前のガストレア大戦時に人類は滅亡していただろう。
ガストレアを根絶し世界の覇者になるという世迷言を大真面目にのたまう斉武も斉武だが。
八幡はそんな斉武を見て、人間とは随分醜いものだと他人事のように思っていた。
ガストレアを駆逐するなど理論上ほぼ不可能だと世界中の科学者が声を大にして言っていると言うのに、この後に及んで人間間の戦争をしようというのだ。各エリアの首脳が如何にして他エリアより有利に立とうと権謀術数を巡らせているというのに、この男はよりにもよって、日本を世界のリーダーに押し上げるなどと豪語している。
「比企谷八幡。俺もまた、将たる器の一人よ。貴様に贖罪の機会をやらんでもない……」
再び話し掛けられた八幡が怪訝そうに目を細める。今度はどんな世迷言を吐くのか。
「貴様はIP序列元百三十四位のペアを単独で下したらしいな。比企谷よ、東京エリアなどという脆弱なエリアはいずれ滅ぶ。他のエリアもまた然りよ。悪いことは言わん。俺の下へ来い。我ら二人で国取りをしようではないか。二人で盃片手に見渡す創世の風景、さぞや見物となろうぞ」
顎髭をさすりながら破顔する斉武に聖天子が激昂しかけるが、八幡は立ち上がりかける聖天子を押しとどめ、淡々と告げた。
「────お断りします」
そこには何事にも揺るがない断固とした意思があった。
「……蓮太郎。あやつもそれなりの実力者よ。あやつも誘いをかけるつもりだが?」
「俺は現在は既に東京エリアの民であり、今の俺の主は聖天子様です。貴方に与する事はありません」
いつになく強い口調になってしまったが、これで良い。相手は斉武なのだ。曖昧な態度だと押し切られる可能性がある。
聖天子が驚いたように目を見開いてこちらを見上げるが、八幡はそれに気付かずその目は斉武を見据えていた。
斉武は豪奢なソファに尊大な態度で寄りかかると、口角を釣り上げて笑う。
「俺の権力ならば貴様の望むものなど容易く揃えられるぞ? 貴様の大好きなあの
斉武はそこで一旦口を噤むと、ちら、と意味ありげに聖天子に目をやってから下卑た笑みを浮かべた。
「それとも……貴様は清純そうな女が好みか?」
瞬間、部屋の中の空気が変わった。
八幡から表情の一切が消え失せ、総身を支配する激情をすんでのところで抑え込む。
いつもと変わらぬ彫像のような無表情に見える八幡の表情も、その憤怒に煮え滾る眼を直視すれば誰もが異常を悟るだろう。否、眼だけではない。八幡が押しとどめている殺意が、それでも尚抑えきれずに全身から垂れ流される。
その中で身構えたのは斉武の護衛ただ一人のみだった。
八幡の全身から垂れ流される濃密な殺気は、その男からするとまるで大瀑布の水圧と見紛うほどのものであっただろう。
全身に冷や汗をかきながら、せめて斉武の盾になるべきと一歩前に進み出ようとするも、自らの足はまるで石になったかのようにぴくりとも動かなかった。
「……殺気が漏れているぞ? 比企谷八幡」
対しソファに身を預ける斉武は、押し殺しきれなかった八幡の怒気を全身に浴びているにも関わらず、悠然と座して構えていた。
この男とはどうあっても相容れない。その頸椎を手ずからへし折ってやりたい衝動を堪えつつ、八幡はそれを理解した。
「斉武閣下。そろそろ本題の方に入っても?」
緊迫した空気の中、居住まいを正した聖天子の声が響いた。
突如響き渡った澄んだ声に八幡が振り向く。すると、こちらを諭すような視線の聖天子と目が合った。
総身を支配していた怒気がすっと収まっていく。
「……ああ。わかった」
途中で遮られ憮然とした表情をかくそうともしない斉武は、忌々しそうに眼を細めると適当な相槌を打った。
そして数時間ののち、第一回非公式会談が終了した。
八幡は最後まで、斉武の聖天子を見る目が剣呑な光を帯びていたことに気付かなかった。
感想の欄でも言いましたが八幡の初期設定って二十五歳くらいなんですよね。
だって蓮太郎と同じ年代であの強さとか戦闘経験とかどう考えてもおかしいでしょ? おかしいですよね。おかしいに違いない。
でも一応年代同じくしないとなんかアレだし……ってことで蓮太郎と同年代に。高校二年生が十七歳じゃないといけない決まりはねえ!
というわけで八幡の年齢は十八〜二十歳。
まあ二十手前でいいよね!