夜を染める黒(旧題 : 俺ガイル×ブラック・ブレット)   作:つばゆき

11 / 20
みなさん超お久しぶりです。
ぶっちゃけ原作二巻分出来てないけど他に書きたいものも増えちゃったのでこれじゃあ二巻分完成まであと何ヶ月かかるかわからん。
というわけで今出来てる分の投稿行きまーす。


聖天子狙撃事件編
舞い込む依頼


 

 

涼しい、というよりもやや肌寒い、という表現が似合うような早朝。八幡は古びた道場を前に腰に手を当てて溜め息をついていた。

 

何故八幡がここにいるかと問われると、数日前に蓮太郎と木更が道場で稽古をつけるから来てくれ、と頼まれたのだ。無論八幡は間髪入れずに断ったのだが、結局木更に押し負けてしまった。なんだか妙に迫力あるのね、あの子。

 

本来八幡はこの時刻、まだ自宅のベッドで暖かい毛布にくるまれながら微睡んでいる時間帯なのだが。ちなみに俺は昨日夜更かししたため絶賛寝不足である。

 

帰りたい気持ちも山々なのだが、このまま帰ったら木更にどやされるのは明白だった。道場の前で突っ立ってる訳にもいかないので、とりあえず入る事にする。

 

「邪魔するぞ」

 

一応声を掛けて道場に入ると、刀に手を掛けて腰を落としている木更と、正座してその様子を見守っている蓮太郎がいた。

 

木更の正面約五、六m程離れたところに、腰を落とした木更と同じくらいの高さの的がある。

 

木更はふぅっと吐息を漏らし、目を見開いた。

 

「天童式抜刀術一の型一番」

 

たおやかな指が刀の柄に絡まり、一切の淀みのない動作で刀が抜き放たれる。

 

「『滴水成氷』」

 

ほとんど視認不可能な速度で斬り払われた刀は、数m先にあった的を過たず切り裂いた。

 

吹き飛んだ的の上半分が放物線を描きながら飛来する。入り口の八幡に向かって。

 

「危ねっ」

 

八幡はそれを難なく避けながら歩いていく。避けられた的の残骸は畳敷きの床に何度かバウンドして動きを止めた。

 

「よお」

 

「ちょっと比企谷くん、避けないでよ。道場の畳に傷が付いちゃったじゃない」

 

「いや普通避けるから」

 

相変わらずの木更の破天荒ぶりをいなし、欠伸を噛み殺しながら素直な感想を言う。

 

本当に凄まじいと思う。飛ぶ斬撃と言うのは、木更と出会うまではマンガの世界でくらいしかお目にかかれなかったから、初めて見たときなにそれラノベ? ってなったほどだ。

 

材木座のなんちゃって剣術とは格が違う。ほら、秘剣鏡たる千剣の閃光(サウザンブレイド・オブ・ミラージュ)とか、秘太刀『虚無』とか。なんかあったじゃん。

 

飛ぶ斬撃は属性的に鈍い『打撃』ではなく、文字通り鋭い『斬撃』であるから、最初から受けるという選択肢がない。相手に避けるという行動を強制させるから中々に面倒だ。下手したら八幡や蓮太郎の義肢さえ損傷させるかもしれない。

 

抜刀術には、いや抜刀術に限った話では無いが、刃の届く間合いというものがある。達人の域となるとその間合いが文字通り視える(・・・)ようになるらしい。神速の斬撃と、完全なる間合いの把握。木更レベルの剣客ともなると、たとえ蝿程度でも間合いに入って来た瞬間に両断出来るだろう。木更は自身の周囲に不可視の結界を持っているに等しいのだ。個人的には飛ぶ斬撃よりもこちらの方が恐ろしいが。

 

「相っ変わらずとんでもねえのな、お前んとこの社長さん」

 

「全くだな」

 

それに同意の言葉を返したのは蓮太郎だ。天童式の木更の弟分でもある。蓮太郎は木更にタオルを投げ渡しながら話しかけて来た。

 

「流石は天童式抜刀術皆伝。このくらいはお手の物ってか」

 

「そんなことないわ、里見くん。私はまだまだ未熟だもの」

 

まったく謙虚なことで。

 

そんな皮肉を堪えつつ再び欠伸を噛み殺す。どういうわけかここ数日木更の八幡に対する扱いが冷たい。特に何かした記憶は無いが、面倒事を増やすのは御免被る。

 

「…………ふむ、天童。突然なんだが俺なんかした?」

 

というわけで直接聞いてみる。あまりに直球過ぎたかなーとか思ったが、生憎とこういう聞き方しか出来ない。

 

対する木更はそんな八幡をキッと睨み付けると、苛立たしげに鼻をならした。

 

「なんかしたって、なんかしたに決まってるじゃない」

 

「は?」

 

木更はここぞとばかりに捲し立てる。そんな強く言われても、心当たりが無いものは無い。

 

「最近の貴方の行動よ。この前ガストレアが出たときは里見くんたちが到着する前に倒しちゃうし、襲われてた民間人だって一足早く救出しゃうし、飛行型が出て里見くんたちが四苦八苦してたときだってすいっとライフルで撃ち落としていっちゃうし、天童民間警備会社に何か恨みでもあるの!?」

 

……………………。

 

「…………その、なんかすまん」

 

あー、あったわ、そんなこと。なるほどだからか。

 

「でもなぁ、俺もこの仕事を生業としてるし。狩れなかったら死活問題な訳よ。それにさ、ほら、民警って出現したガストレアをいかに他の民警より早く狩るか競争みたいなもんだろ? しょうがないじゃん」

 

「貴方の言は確かに一理あるわ。……じゃあ聞くけど、なんでピンポイントで私たちが行こうとしてたところに居るのよ」

 

「…………すまん」

 

なんか、あれじゃね? 波長的な? うん、あれ。……違うか。だがまぁそこはわざとじゃないので勘弁願いたい。

 

木更は再びふんっと鼻をならすと、髪をかき上げた。

 

「貴方の所為で里見くんや延珠ちゃんに払う給料もなくなっちゃうのよ」

 

「…………え、マジ?」

 

確認の意味を込めて蓮太郎の方を振り返ると、蓮太郎は苦笑いを浮かべながら頷いた。

 

「…………今度飯奢ってやるよ」

 

彼等のその状況に思わず憐憫の情が浮かぶ。あ、原因俺か。

 

そんな事を考えていると、ふと木更の手にしている刀に目がついた。

 

「…………殺人刀(せつにんとう)雪影(ゆきかげ)、か」

 

「木更さん、最近その刀を取ることが無かったのに、急に持ち出したんだ」

 

八幡の呟きに呼応したように蓮太郎が告げる。木更の事については八幡より近くにいる蓮太郎の方が詳しいだらう。

 

「そうよ。里見くんには殺人刀の意味って言ったことあったかしら?」

 

「いや」

 

「禅で、活人剣(かつにんけん)の対極に在って人の妄執を否定する刀。……これはね、全ての天童を狩る為の刀なの」

 

木更の笑みに蓮太郎が息を飲む。対して八幡は冷めた表情でそれを見ていた。

 

────ああ、またこの眼だ。

 

木更が時折見せる眼。復讐者の眼。八幡とて天童家で二人が巻き込まれた事件は聞き及んでいる。先ほどの天童を『斬る』ではなく『狩る』という表現から木更の復讐心がどれだけのものか伺えるほどだ。十年間という長いときを経て未だに身内を手にかけようとしている。木更は本気なのだ。八幡にそれを止める気は無いが、いずれ自滅するのではないか、という何の益体の無い予想を立てていた。

 

 

結局そのあと延珠と稽古をつけたり、むくれた木更を宥めたりして解散した。

 

あれ? 俺なんで呼ばれたの?

 

 

 

 

今日の稽古を見て思ったことだが、蓮太郎はともかく木更と延珠は以前見たときよりも更に強くなっていることが推察された。

 

木更の飛ぶ斬撃も前回見たときよりも射程が伸びていたようだし、構え、抜刀、斬撃、残心と心なしか洗練されていた。

 

延珠の動きもだが、こちらは純粋にスピードが上がったといった感じだろうか。対イニシエーター戦に於いて、その下地となる身体能力の差は大きい。特に延珠は優秀なイニシエーターで、実戦を経て動きに無駄が無くなって来ている。

 

個人的には未だ木更の方が誰よりも恐ろしい。相性が悪いという訳でもないが、時折見せる復讐者の表情や、殺気を浴びせられたとき、近くを通ったときに感じる仄暗い感覚に、長年培ったぼっちのセンサーが反応しているのだ。わかりやすく言えば、アホ毛が反応している。

 

それに彼女は天童を狩るという行為を邪魔されたら、八幡は言うに及ばず、蓮太郎や延珠でさえ寸分の躊躇いなく刃を向けるだろう。

 

藍原延珠というイニシエーターは、八幡が今まで見てきたイニシエーターの中では小比奈同様に突出している。特に、スピード特化型イニシエーターである彼女のもつスピードは、銃器を主武装とする人間にとってすこぶる相性が悪い。

 

八幡も過去の仕事の関係で対イニシエーター戦もこなしてきたし、可能な限り慈悲も与えて来たが、必要とあらば情け容赦無く排除して来た。

 

身体能力でプロモーターに対して圧倒的優位に立つイニシエーターの彼女等が彼らに後れを取る場合。基本的に戦闘が開始される前に無力化される場合が往々にしてある。

 

無論、食物に毒を仕込まれた、とか罠に嵌められたという訳ではない。刃物や銃器を構え、剥き出しの戦意や掛け値なしの殺意を向けられた場合、彼女等は十歳の女児という精神的な脆弱性を晒す。

 

今まで八幡は戦場で彼女等と相見えたとき、効率を最優先とする八幡は、非発見時は不意打ち、発見時は可能であればこれで彼女等を無力化してきた。戦う相手が特定出来れば麻痺毒や罠を仕掛けていたが(戦闘の回避が出来ない場合)、突発的な戦闘が頻発する戦場ではそうはいかない。そして、稀、とまではいかないが刃物や銃器を恐れないイニシエーターもいる。やはり最も苦戦させられたのが彼女等だ。そして彼女等を八幡は実力でねじ伏せてきた。

 

その事に罪悪感が無かった訳では無かったが、当時心が荒んでいた八幡はそんな感情自体が稀薄だったし、目的を阻害する相手には現在の木更同様一切の容赦をしなかった。イニシエーターには比較的温情を与えて来たが、あくまでも比較的だった。

 

 

道場を出ると道が違う蓮太郎たちと別れる。彼等と同様今日は学校なのでさっさと準備をしなければならない。と、大きな欠伸をしながら足早に家に向かった。

 

 

 

 

 

家に着くと意外なことにカマクラ氏がお出迎え。蛭子影胤追撃作戦後に妙に菫に懐いた状態で帰ってきたカマクラは、俺の顔をみるなりうへぇ、という顔をした。

 

菫の意外な動物好きという一面を知れたので一応溜飲を下げたが、カマクラの反応は物凄く微妙である。でも文句も言わずここに居座っているのは家族だから、ということでは無いのだろうか。だからこの態度も家族だから、ということに違いない。え、違う?

 

「はいはい、飯な」

 

エサを催促するカマクラの頭を一撫でし、キッチンに向かってエサ皿にキャットフードをザラザラ流し込む。ちなみになんだかんだ言って八幡も動物好きであり、ちゃんと分量とか体調管理とかには気を使っている。おかげでカマクラは健康体そのものだ。菫の所から帰って来たとき妙に毛並みがツヤツヤしていたのはなんだったのかと考えながら学校の準備をした。

 

 

 

 

 

学校のHRに滑り込むようなギリギリのタイミングで登校した八幡は、由比ヶ浜や戸塚、葉山に変な視線を向けられていることに気付いた。

 

そういえば、蛭子影胤追撃作戦から初めての登校になるのか、と思い出し、納得する。

 

八幡は菫から新しい義脚を受け取るまで登校しなかったので、蓮太郎より遅くから学生生活に復帰したことになる。蓮太郎は包帯ぐるぐる巻きのミイラ状態で学校に行ったことがあるらしく、それでも誰からも気に留められなかったので片腕喪失状態でも普通に登校したらしいのだが、周囲に民警であることを隠している八幡ではそうはいかない。

 

右脚ぶっ飛んだ状態で松葉杖付きながら学校なんざ行ったらとんでもないことになるのは目に見えている。左脚が残っていたのも奇跡だったってのに。

 

それでも今まで休んでいたことの詰問はあるだろう。雪ノ下は何も言わないと思うが、由比ヶ浜にそれが当てはまるとは思えない。幸いなことに平塚先生に職員室に来るよう言われたので、逃げるようにして教室を後にした。

 

 

 

 

 

職員室の中にある応接室に通され、ソファに座らせられる。その途中に他の教師達の視線を感じたが、そんなことで同様する八幡ではない。

 

平塚先生は対面のソファに座り、いつも通りの態度で紫煙を吐き出すと本題に入った。

 

「どうだ? 東京エリアの救世主になった感想は」

 

やはりその事か、と溜め息を吐く。口調こそこれだが、平塚先生がからかっているのではない事を悟ると、素直に口にした。

 

「いいえ、別段変わりありませんよ」

 

そんな八幡の簡潔な答えに苦笑を漏らすと、平塚先生は再び紫煙を吐き出した。おっさん臭い動作が妙に様になる先生である。

 

「……まぁ、そうだろうな。民警やその筋の中では君はかなりの有名人だが、基本的には調べないとわからないしな。テレビで放送もされたが幸いなことに君の知名度は校内では低い。由比ヶ浜たちも気付いていない様だから安心していいぞ」

 

「はぁ、ありがとうございます」

 

「ん、気にするな。だがまぁ校長や他の教師は結構知っているからな。まさか生徒にバラすような事はすまいが、そこのところは留意しておきたまえ」

 

もしかしたら後で校長に呼ばれるかも知れん、と付け足される。めちゃくちゃ面倒臭いのが顔に出ていたのか、先生は苦笑すると手をヒラヒラと振った。

 

無言で平塚先生に礼をすると、応接室を後にする。相変わらず好奇の視線が気持ち悪かったが、それらは全て無視した。

 

 

 

 

 

「ほむん、久しいな英雄よ!」

 

「なんでてめぇがそれを知ってんだよ材木座」

 

昼休み。誰に話しかけられるより早く教室を出た八幡は、いつものベストプレイスに来ていた。

 

え? 誰も話しかけないって? そういうツッコミは無しだゾ☆ そんで、まぁ目の前の中二デブは俺を待ち伏せしていたのだろう。いつも通りの鬱陶しいオーラを発しながら仁王立ちしている。

 

「けぷこんけぷこん。愚問であるぞ比企谷八幡! 世の中には便利なものがあってだなぁ、その名も、internet!」

 

「なんでちょっと発音良いんだよ腹立つなお前」

 

確かに今じゃ検索すればすぐに八幡の名は出てくるが。

 

ちなみに、材木座は八幡が民警だという事実を知っている数少ない人物だったりする。あの平塚先生よりも前に知っていたのだ。

 

バレた理由は護身用に隠し持っていた銃が見つかったから。……あれ、間違って持ってきたんだっけ? 咄嗟にエアガンって誤魔化したんだがこのデブ一発で本物って看破しやがった。そのとき一緒に民警ライセンスを落としてしまったのが最大の失態である。

 

「ガストレア数百体とか我が戦ったらマジ死ねる。お主も無茶したよのぉ八幡」

 

「ちょっと黙ろうかお前。それバラしたらお前の贅肉物理的に削ぎ落とすからね?」

 

「ほほぅ、お主、まさか我に話す相手がいるとでも思ってはいるまいな?」

 

「いないな」

 

それなら納得だ。なんだかんだ言ってこいつは口が固いからまだ良いんだが。

 

八幡は、今日何度目かわからない溜め息を零した。

 

 

 

 

放課後になって奉仕部を早退する旨を告げ、一度帰って荷物を置いてから家を出る。

 

夕方になって気が進まないまま空を見上げると、想像以上に外は明るかった。嫌だなぁ億劫だなぁ帰りたいなぁなどと開いた口からはそんな言葉しか出てこない。

 

家出た瞬間から帰りたがるとか超俺ホームシック。全く実家は最高だぜ!

 

物凄くどうでもいい思考に脳内を支配されながら重い足をなんとか前に送り出す。面倒臭きことこの上なし。今すぐ回れ右して家に帰りたいまである。あ、また同じこと言ったな。要するにそれだけ行きたくないってことだ。

 

数日前と同じように電車を何度か乗り継いで東京エリア第一区に向かう。荷物は少なく財布とグロックと暗器くらいだ。…………暗器はもう性分というか、あったら落ち着くので持って行っている。

 

依然として景気の悪い表情をしながら八幡は聖居前に降り立つ。

 

白を基調とした洋風建築物。全体に幾重にも曲線が描かれており、細部まで精巧に作られている。

 

現在八幡が来ている所。

 

そう、さっきも言ったが聖居である。

 

正門の守衛に要件を告げ、取り次ぐこと数分。胡乱な目で見られながら通されたのは無駄に広い記者会見室。本来であれば所狭しと並べられたパイプ椅子に記者たちが座っているのだろうが、今は数人しかいない。

 

そして、壇の上で演説……いや演説の練習でもやっているのだろう、そこには聖天子がいた。

 

こうして生で彼女を見るのは二度目だが、贔屓でも誇張でもなく凄まじい美人だ。同じ美人としてのジャンルに入る雪ノ下姉妹とは違うベクトルの美しさを持っている。近付きがたい雰囲気というのは同じだが、聖天子には神々しさが加わっている。

 

部屋の隅で演説の終了を待っていると、切り上げたらしい聖天子が近づいて来た。

 

「ごきげんよう比企谷さん」

 

聖天子の柔和な対応に、八幡も姿勢を正す。

 

「聖天子様、先日は失礼致しました」

 

「いいえ、気にしていません」

 

「本日はどのようなご用件で?」

 

はい、と言って聖天子は人払いをする。後には聖天子と聖天子の秘書らしき人物、そして八幡が残された。

 

「比企谷さん、大阪エリア代表の斉武大統領が明後日、非公式に東京エリアを訪れます」

 

八幡がその言葉に少しだけ目を細める。

 

「……あの斉武大統領が?」

 

「ええ。東京エリアに寄る用事があるので会談を用意したとの事です」

 

斉武大統領。現在の日本の五つのエリアのうち、大阪エリアを統治する大統領だ。その手腕でガストレア戦争後荒廃した土地をものの数年で立て直した人物だ。

 

何故今になって、というのは想像出来ない話では無かった。斉武大統領は、東京エリアの天童菊之丞聖天子補佐と政治的なライバル関係にあるのだ。その菊之丞が現在他国のエリアを訪問中で不在である。タイミングとしては申し分ない。

 

だが、

 

「それが、自分と何の関係が?」

 

「貴方には、菊之丞さんが不在の間、私の護衛をして貰います」

 

八幡は眉をひそめる。

 

「つまり私に菊之丞閣下の代役を担え、と」

 

「端的に言えばそうなります」

 

「……しかし解せませんね」

 

「……どういうことですか?」

 

「貴女には専属の護衛が居たはずですが」

 

そうだ。聖天子には、専属の護衛隊のようなものを組織して周囲を守らせていたはずだ。なのに、菊之丞一人居なくなっただけで代役をたてるなど、意図が読めない。

 

「それを今、紹介しようとしていたところです。……入って来て下さい」

 

聖天子が声をかけると、規則正しい軍靴の音と共に、部屋の中に数人の男が入ってくる。そして、聖天子のやや後ろで足を止めた。

 

白い制服。腰に差した拳銃。ぱっと見て思った感想は、なんだかナチスドイツ時代のゲシュタポのようだ。国家保安省(シュタージ)という方がよりしっくりくる。

 

「こちらが、隊長の保脇さんです」

 

整列した白服の中から、一人の男が歩み出てくる。

 

「ご紹介に預かりました、隊長の保脇卓人三尉です」

 

保脇卓人と名乗った男は、顔に柔和な笑みを浮かべながら手を差し出して来た。歳の頃は三十を過ぎたあたりだろうか。

 

その男の目を見て八幡はすっと目を細める。

 

……気に入らない。

 

この世に生を受けて十数年間悪意や侮蔑、嘲笑を受けてきた八幡は、その表情の裏側に秘められた感情を敏感に察知する。

 

「あの…………比企谷、さん?」

 

聖天子から上がる困惑の声。大方動かない八幡を怪訝に思ってのことだろう。だが、八幡はそれには答えず、能面のような無表情をその顔に貼り付けていた。

 

たっぷりと間を置いてから、ゆっくりと保脇の手を握る。そして、力の込められる事のない手を見て確信した。

 

この男は、八幡に対して敵意しか抱いていない。

 

「…………どうも」

 

限りなく簡潔に、短く返答する。

 

その反応を不快に思ったのか、保脇は眼光を一瞬だけ強めると、手を下げて一歩さがった。

 

「では、依頼を受けて頂ける場合はこの契約書にサインを」

 

聖天子の側に控えていた秘書から契約書を受け取る。事は済んだようで、一言断って聖天子は去って行った。護衛隊もそれに続く。

 

部屋には、八幡だけが取り残された。

 

 

 

 

 

聖居内での用事も済んだ八幡は、あまりお目に掛かれない聖居を眺めながら出口へと向かう。

 

この聖居だが、無駄に広い。雪ノ下あたりなら絶対に迷いそうな構造をしている。

 

ふと、八幡は足を止めた。

 

後ろに、五、六人ほどの気配がする。八幡が止まればあちらも止まり、歩けば距離を離さず着いてくる。まず確実に尾けているのだろう。

 

八幡は手近な場所にある広々としたトイレに入った。そして、振り返る。

 

「何の用だ」

 

入って来たのは先ほど記者会見室で見た聖天子付護衛官。隊長の保脇と他五人だ。随分と剣呑な雰囲気を醸し出している。

 

保脇は鋭い眼光で八幡を睨むと、後ろの五人に告げた。

 

「拘束しろ」

 

近付き、拘束しようと手を伸ばしてくる護衛官。八幡はその手を払い、再度問いかける。

 

「……もう一度言う。何の用だ」

 

保脇は忌々しげに舌打ちをすると、再び八幡を睨み据える。そして八幡に歩み寄ると、おもむろにナイフを取り出して首筋に押し付けた。

 

余談だが、八幡が保脇にここまでの行為を許したのは、ひとえにこの状況下から全員を無力化する算段がついていたからである。保脇の挙動を見る限りは、彼の動きは多少刃物の扱いに慣れた程度であり練度の低さが見て取れた。

 

「比企谷八幡。この依頼を断れ」

 

保脇は押し殺した声でそう呟く。

 

「……理由は?」

 

「目障りなんだ。何故貴様のような一介の民警が聖天子様の護衛役を任される? そこは本来僕の場所だ。貴様がいていい場所じゃない」

 

八幡はその言葉で大体の事情を察した。つまるところこの男は八幡に嫉妬しているのだ。

 

「天童閣下は留守中にその場所を僕に託された。そこに貴様が入って来ていい道理はない」

 

表情を憤怒に歪め、首元でナイフを揺らしながら言う。

 

「それに、だ」

 

保脇は嗜虐的な笑みをその顔に浮かべながら囁いた。

 

「聖天子様は今年で十六歳になられた。何が起こるか分からない世の中だ……貴様も、次代の東京エリアの世継ぎが必要だと、そう思うだろ?」

 

「…………」

 

首元にナイフを押し付けながら言う目の前の男を、八幡は冷めた目で見据えていた。

 

保脇は一歩下がると、ナイフを八幡の鼻先に突き付けながら言った。

 

「返答を聞こうか」

 

これはもとより脅しだ。返答もクソも無いだろうと考えながら八幡は吐き捨てる。

 

「本来なら断るつもりだったが……気が変わった。貴様に指図される謂れはない」

 

保脇は無表情のまま八幡の返答に応えると、背後の護衛官たちに向けて軽く手を振った。

 

「手足の骨を粉砕しろ」

 

どうやら保脇は想像以上の屑だったようだ。八幡は冷めた思考の中そう悟ると、向かってくる男たちに冷たい視線を向けた。

 

視線を向けられた男はうっと呻き声を漏らし、動きを止める。

 

「何をしている! 早くしろ」

 

保脇に叱咤され動き始めた男たちが、八幡に歩み寄る。

 

八幡は伸びて来た腕を捻り上げると、腹に膝蹴りをかまし、力の抜けた身体を投げ捨てた。

 

「貴様ッ!」

 

殴り掛かって来た男の拳をいなし、顎に掌底を繰り出しながら脚を刈る。顎から伝わる衝撃と、硬質な床に後頭部を強打した男は脳震盪を起こし昏倒。

 

八幡に向けて拳を振り上げる二人の男。一人は頭を屈めて回避しながら肘を鳩尾に叩き込み、横合いからの拳は腕を絡めるようにして巻き取ってバランスを崩させた上で壁に叩き付ける。

 

もう終わりか、と言った目で五人目を睨み付けると、その表情を憤怒に滲ませながら掴みかかってくる。八幡はそれを難なく避けると、足払いをかけ関節を極めながら床に組み伏せた。

 

保脇は、僅か十秒足らずで五人を無力化した八幡を、恐怖と憎悪の入り混じった表情で見つめる。

 

彼らとて八幡が何故序列500位に昇格され、護衛役に抜擢されたか経緯は知っているはずだ。事実はどうあれ、自分たちが八幡に手も足も出ないことは想定出来た筈なのだ。それなのに襲い掛かってくるのは相手の力量も推し量れないほどの馬鹿なのか、隊長がそれほど無能なのか。

 

「貴様……ッ、殺す。必ず殺してやる」

 

保脇は物騒極まりない捨て台詞を吐き、未だ床で呻いている護衛官を叩き起こして去って行った。

 

「…………ふん」

 

唇を皮肉げに歪め、自嘲するように鼻を鳴らす。

 

ああ、そうだ。この扱いだ。昔からよくこんな扱いを受けて来たが、最近はご無沙汰だった。幾らなんでもいきなり暴力沙汰にまで発展した事は少ないが、あそこまでクズだともはや清々しい。

 

この後、八幡が依頼の受理を決意したのは言うまでも無い。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。