夜を染める黒(旧題 : 俺ガイル×ブラック・ブレット)   作:つばゆき

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穿たれた銃弾の先

 何度か電車を乗り継いで来た聖居の内装は、一般の人間が一生掛かってもお目にかかれないような様相だった。一言で表すと、派手だ。

 

 装飾華美だとか、金をかけ過ぎだとか、その金をもっと違うところに使えだとか、言いたいところは山ほどあるが、目がチカチカしてそれどころじゃない。

 

 まぁ、要するに八幡が招待されたのは、蛭子影胤追撃作戦の叙勲式である。

 

 作戦に参加したほとんどの民警は影胤の手にかかって殉職し、この叙勲式での主賓は八幡と蓮太郎のみだ。

 

 正直、肩身が狭過ぎて死にそう。今すぐにでも帰りたいまである。

 

 それでも着慣れない上質なスーツに袖を通し、ここまでやって来たことには褒められて然るべきではないのか。もし八幡が普通の民警だったら諸手を挙げて喜んでいてもおかしくはない状況なのだが、生憎そういうものは好まない性分である。面倒臭いものはとことんやりたくない。

 

 目が腐っているというのも考えもので、聖居に来たときに不審者を見るような目で守衛に見られたので、仕方なくトイレでコンタクトをつける。あらやだイケメン。でも慣れないコンタクトのせいでトイレを出た今も目がゴロゴロして痛い。

 

 式典会場に続く大扉の前には、黒いドレスをまとった木更が立っていた。

 

「こんにちは、比企谷くん」

 

「……天童か」

 

 こうして見ると、木更は凄まじい美人だと思う。見た目に関しては言わずもがな、美和女に通う頭脳といい、スタイルの良さといい、およそ欠点の見つからないような美人。極貧ということを除けば凄まじい優良物件だ。とことん蓮太郎には爆発しろと思う。

 

 どこか雪ノ下にも通ずるところがあるような気がする。…………いや、あいつは金持ってる代わりに貧相だよな。どこが、とは言わないが。

 

「天童と言うのはやめてっていつも言ってるでしょ」

 

「悪かったな、社長さん」

 

 少しの間木更は半眼で八幡を睨んでいたが、反省の色がないのを見て嘆息する。

 

「里見くん、見なかった?」

 

「いいや、見てないな」

 

 木更のふくよかな胸部に目が行きそうになるのを堪え、今しがた通って来た道を見ながら言う。すると、木更はこめかみに手を当てて大きく溜め息をついた。

 

「まったく、何をやっているのかしら。今日は大事な式典だっていうのに」

 

 八幡は正直蓮太郎は叙勲式自体を放り出すんじゃないのかとすら思っている。実際そんなことされたら絶対恨むけど。一人で叙勲式とか死ねる。

 

 そんなこんなでしばらく木更と待っていると、やっとこさ蓮太郎がやって来た。ぶすっとした不幸面に真っ白なフォーマルスーツを着ている。着ている、というよりも服に着られている、といった印象の方が強いか。

 

 八幡は蓮太郎の姿を見て、自分の黒いスーツというチョイスは間違いだったか、と思った。だが、溜め息とともに首を振る。今更遅い。

 

「……比企谷。なんだか地味に似合ってんな」

 

「そいつはどうも。そういうお前は全然似合ってねぇぞ」

 

「うるせえ」

 

 蓮太郎よりも背の高い八幡はこういう服が上手く着こなせているのだろう。高校生っぽさがないと言われると少し複雑だが、似合ってないよりは数段マシだ。

 

 隣では木更が蓮太郎のずれていたネクタイを締め直していたりイチャイチャしていた。もう結婚しろよこいつら。

 

 八幡は菫に作って貰った即席の義足を庇うように歩くと、式典会場に続く大扉を開けた。

 

 想像以上────いや、ある意味想定内の様相に息を飲む。想像以上なのが想定内。やはり、派手だ。

 

 入り口の大扉から、大理石の階段を登った上座まで一直線にレッドカーペットが伸びている。

 

 レッドカーペットの両側、やや離れた位置では、豪奢なドレスや上品なスーツに身を包んだ上流階級の人々が、東京エリアの救世主の姿を見ようとひしめいている。まるで、中世の貴族のようだ。

 

 上座に向かって歩いていると、自然周りからの視線が強くなる。その途中、何気なく周囲を見回したとき、八幡はそれを見咎めた。

 

「…………」

 

 その人物は黒く長い艶やかな髪を後頭部でひとまとめにしており、艶かしくうなじを見せている。限りなく黒に近い紺のドレスは肩口を露出させており、スレンダーな体型をより引き立てていた。

 

 雪ノ下雪乃、その人である。

 

 上座……いや、玉座に歩いている途中、足を止めてしまう。すると、向こうもこちらに気付いたようで大きく目を見開いていた。その隣には対照的にワインレッドのドレスを着た姉の陽乃が悠然と立っており、何故ここに居るのかとまるで咎めるかのように目を細めている。

 

「おい、比企谷?」

 

 不意に蓮太郎に声を掛けられ、硬直していた時間が元に戻る。八幡は何事も無かったかのように視線を前に戻すと、歩き始めた。

 

 

 玉座の前にまで来ると、座っていた聖天子が柔らかい笑みを浮かべながら大理石の階段を降りてくる。

 

「比企谷さんに里見さん。お二人とも、よく来られましたね」

 

 初めて生で見るのだろう、その神々しさに息を飲む。隣の蓮太郎も背筋を正していた。

 

「怪我は大丈夫なのですか?」

 

「はい。問題有りません」

 

 この場では蓮太郎の代わりに八幡が代表して答える。聖天子も了解したらしく、澄んだ声で問い掛けた。

 

「如何ですか?東京エリアの救世主になった感想は」

 

「はい。周囲からの反応が一転して変わり、未だ慣れません」

 

「そうでしょう。当然です。貴方方は今回の作戦を経て正に英雄となられたのですから」

 

 あの後、東京エリアで展開された蛭子影胤追撃作戦は、史上最大数の民警を動員し、多数の犠牲者を出したにも関わらず、東京エリア市民にはその内情な明かされていない。

 

 突如出現したゾディアックスコーピオンを《天の梯子》周辺にいた民警が、レールガンによる超長距離狙撃によって撃滅した、ということになっている。

 

 八幡は同時出現した多数のガストレア────およそ数百体を撃破した武勲を讃えられてここにいる、ということになっているらしい。

 

 隣で蓮太郎が何か物思いに耽っているような表情を見せている。

 

「貴方方のような有為な人材が東京エリアに居てくれたことを、私は誇りに思います。比企谷さん、里見さん。これからも東京エリアの為に尽力してくださいますか?」

 

 聖天子の問いを受けて、八幡はその場に優雅に跪いた。蓮太郎もそれに倣う。

 

「────はい、一命に替えて」

 

「────はい、この命に替えても」

 

 聖天子はその返答に満足したように頷くと、両手を広げた。

 

「お集まりの皆様、お聴きになられたでしょうか? たった今、ここにいる英雄はこれからも東京エリアの為に戦ってくれると誓いました。

 ────ゾディアック『天蠍宮』の撃滅、並びにIP序列元134位、蛭子影胤、蛭子小比奈ペアの撃破。以上のことから私とIISOは協議の結果、今回の戦果を『特一級戦果』と見なし、里見蓮太郎、藍原延珠ペアをIP序列千番、比企谷八幡をIP序列500位に昇格することと決めました」

 

 聖天子の言葉に周囲のギャラリーが歓喜に沸き、賛辞の言葉と拍手が送られる。聖天子は頷くと、八幡に向かって微笑む。その様子に息を飲みながらも、その目を見返した。

 

「比企谷八幡、並びに里見蓮太郎。貴方方はこの決定を受けますか?」

 

 八幡と蓮太郎は恭しくこうべを垂れた。

 

「至らぬこの身に、願ってもない御言葉。感謝の言葉も有りません」

 

「その決定、謹んでお受け致します」

 

 八幡の言葉に蓮太郎が続く。

 

「では最後に、何か言っておきたいことは有りますか?」

 

「いいえ────」

 

「あります」

 

 本来ならここでいいえと言うのが正しい。八幡はそれを知っていたし、蓮太郎にも木更がしっかりと言い含めているものだとばかり思っていた。

 

 疑問に思うよりも早く、こいつは何か良くないことを言う、という感覚が脳内を支配し、八幡は蓮太郎を止めるべく動き出していた。

 

「里見」

 

「俺は……ケースの中身を見た」

 

 だが、八幡が蓮太郎を制止するよりも一瞬早く蓮太郎が告げる。

 

 周囲は聖天子と蓮太郎の話についていけなくなり、徐々に喧騒が大きくなりつつある。

 

 それよりも、これは八幡にとっても気になる案件だったのだ。制止しようと思っても、止まってしまう。

 

「スコーピオンを倒したあと、教会でケースを取り返し、開けたんだ。中には────壊れた、三輪車が入っていた。聖天子様、どういうことなんだ。なんであれがステージⅤを喚び出す触媒に成り得たんだ!? そもそも、ガストレアって一体何なんだ! 教えてくれ、聖天子様!」

 

 聖天子は目を伏せると八幡と蓮太郎にだけ聞こえるような小声で告げた。

 

「七星の遺産は未踏査領域に隠しておいたものなのですが、その一つが今回奪われてしまったのです。あれは破壊したらどうなるか予想のつかないものでした。ゾディアックはそれを奪い返しに来たのです。…………それ以上は、お教え出来ません」

 

「お教え出来ませんって……」

 

「民警には序列が向上するごとに様々な特権が与えられます。擬似階級から機密情報アクセスキー。里見さんは現在序列千番なのでアクセスレベルは三、500位の比企谷さんは四です。IP序列十番以内に入れば最高のアクセスレベルが与えられます。里見さん、貴方がそれを知るのは今では有りません」

 

 聖天子は息を吐くと、蓮太郎を見据えた。

 

「里見さん、強くなりなさい。貴方が里見貴春と里見舞風優の息子を名乗るのなら、貴方はそれを知る義務がある」

 

 蓮太郎は聖天子の言葉に目を見開くと、立ち上がって詰め寄る。

 

「どういうことだよ! どうしてここで父さんと母さんの名前が出てくんだッ!」

 

「里見ッ、よせ!」

 

 里見を制止するがもう遅い。里見は聖天子に掴みかからんばかりの勢いで捲し立てている。

 

 前に出ようとした瞬間、聖天子の冷めた眼光に背筋を凍らせた。

 

「やめなさい。この場で私に掴みかかれば不敬罪で処刑されますよ」

 

 ふと、凄まじい殺気が会場に満ちていることに気付いた。

 

 腰に手が伸びそうになるのをすんでのところで堪え、そこで武器を持っていない事を思い出した。

 

 相手の実力は知れないが、八幡や蓮太郎がどう足掻いても勝ち目がないほどだというのは嫌でも分かる。

 

 蓮太郎は俯いて拳を握り締めると、大きく息を吐いた。

 

「…………失礼します」

 

 それだけ言うと、蓮太郎は去って行った。

 

 あのバカ……!

 

 舌打ちを堪え、聖天子に礼をすると、足早に蓮太郎の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  数日前

 

 

 空が白み始め、夜の闇が淡く溶け出している。

 

 あれから意識を取り戻した八幡は、悲鳴を上げる身体に鞭を打ち、戦場となった海沿いの市街地が臨める小高い丘に来ていた。

 

 分解しかかっている義脚を庇いながらなんとか歩く八幡は、ここにくるまでの間相当な時間を費やしていた。

 

 歩いて行くにつれ、徐々に血臭が濃くなっていく。血と硝煙の混ざりあったこの臭い。慣れ親しんだ臭いでありながら、一生かかっても好きになることは出来ない臭いだ。

 

 ガストレアの死骸が増えていく。ステージⅠの小さな個体からステージⅣの最大種まで。ある個体は首から上を吹き飛ばされ、ある個体は胸部を撃ち抜かれ、ある個体は四肢をもぎ取られている。

 

 

 そう、ここは蓮太郎と影胤が戦闘をしていたときに、八幡が夏世とガストレアの集団を食い止めていた場所だ。

 

 …………多い。あまりにも多い。

 

 点在する岩石や、森ということもあって木々が生い茂っていたが、それでも視界を覆い尽くすほどのガストレアの死骸が転がっている。

 

 八幡でもこれだけの数を相手に勝ち抜くことは難しい。ましてや密集格闘戦など、八幡の最も不得手とする分野だ。

 

 八幡は自責の念に押しつぶされそうになりながら死骸の山を歩き回る。

 

 蛭子影胤ペアとの戦闘を終えて、満身創痍の彼の身体は血がこびり付いて紅く染まっている。視界が霞み、足元も覚束ない。

 

 それでも八幡は歩き続ける。血臭の濃い方へ。硝煙の臭いの強い方へ。

 

 歩いて、歩いて、歩き続ける。

 

 何度も倒れこみそうになりながら、

 何度も崩れ落ちそうになりながら。

 

 

 

 

 

 歩いていると、まだ年端のいかない子供のものだろうと推察できる右足が転がっていた。

 

 更に歩くと、無造作に食い千切られたのだろう左腕が転がっている。

 

 そして見えたのは空のマガジン。半ばから折れ曲がっている見覚えのあるフルオートショットガン。

 

 聞こえるのは、砂利の音。八幡の靴が踏み締める砂利の摩擦音。

 

 そして、微かにだが。微かに聞こえる、とても浅い呼吸音。

 

 

 ────見つけた。いや、見つけてしまった。

 

 一枚岩に背を預けた、浅い呼吸音の持ち主。

 

「…………千寿」

 

 その浅い呼吸音の持ち主は、声を掛けられたことに気付いたのか、ゆっくりと顔を上げた。

 

「ぁ…………比企谷、さん……」

 

 千寿夏世。息も絶え絶えなほど消耗仕切った彼女は、疲弊と苦痛の残滓が色濃く残った表情を見せた。

 

 八幡は声を掛ける。表面上は無表情に、内心は罪悪感に苛まれながら。

 

「…………あれからずっと、戦っていたのか」

 

 すると彼女は返答に窮したのか、困ったような、申し訳無さそうな笑みを浮かべた。

 

「……約束、……守れなくて、すみません…………」

 

 ああ、そういえば。そんな約束をしていたっけ。

 

 その言葉に、何も気に病む必要はないと、ゆっくりと首を振る。

 

「……いいんだ。お前は、よくやってくれた。……ありがとう」

 

 ガストレアを食い止める。その役目を十全に終えてくれた。その労いを込めて、礼を述べる。

 

 夏世は、きっと咎められるものだと、予想だにしなかった礼の言葉に一瞬戸惑い、……やはり、困ったような笑みを浮かべる。

 

 

 その光景に、声が詰まった。

 

 あのときの光景と全く同じだったから。

 

 喪われた左腕と右足。腹部に空いた大きな穴。凄まじい速度で再生されるそれらと、全て悟ったかのような笑みを浮かべる少女。

 

 何もかもが同じだったのだ。あのとき失った彼女と、目の前の彼女の姿が重なり、どこか穏やかな目で八幡を見据えていて。

 

 もっとかけるべき言葉があるはずだったのに、言わねばならない言葉があったはずなのに、枯れきった喉はただの一言も発してくれない。乾いた唇は微かに痙攣するだけだ。

 

「比企谷さん、将監さんは……?」

 

 そうだ。彼女に、告げなければいけないことがあったのだ。

 

「…………死んだ。影胤に、殺された」

 

 どこまでも冷静に、ただ事実を告げる。ともすれば残酷なその言葉を、夏世はしっかりと受け止める。

 

「ありがとう、ございます……正直に答えてくれて……」

 

 不意に、夏世が咳き込んだ。血を吐きながら何度か苦しそうに咳をする。血で汚れた口元を残った右腕で拭おうとするが……拭おうとした右腕は、持ち上がらなかった。

 

「比企谷さん……私は…………」

 

 もう分かりきっているだろうに、それでも発せられる確認の言葉。もしかしたらそれは、それを見ている八幡の覚悟を問う問いだったのかもしれない。

 

 そんな彼女に、意思とは裏腹に鉄面皮を取り戻した八幡の唇は、冷徹に彼女の状態を紡ぎ出す。

 

「……ああ。侵食率が確実に50%を超えている。……もう、助からない。お前はここで、死ぬ」

 

「……そう、ですか…………」

 

 

 そこで、決壊した。

 

 八幡は彼女の前で両膝をつくと、まるで大切な壊れ物にするかのように彼女を胸にかき抱く。

 

「すまない…………助けられなくて、すまない」

 

 胸に抱いた状態からは、彼女の表情は伺えない。そう考えると、そんな笑い方を見たくなくて、逃げているかのようで。そんな自分が嫌になる。

 

 普段は自分が大好きだと、愛していると大言壮語していたのが嘘のようだ。

 

「…………すまん」

 

「比企谷さん……お願いだから、もう、謝らないで」

 

 何度も謝罪の言葉を述べる八幡を諭すように夏世はゆっくりと首を振る。

 

「……東京エリアを、救ってくれたんですね」

 

「いいや…………やったのは里見たちだ。俺は何もしていない」

 

 八幡の否定の言葉を、夏世は更に否定する。

 

「いいえ……確かに、見えるところで貴方がやったのは些細なことかもしれません……。でも、貴方があそこであの決断をしてくれなかったら、蛭子影胤の足止めをしてくれなかったら、東京エリアは破滅していました」

 

「…………」

 

 八幡は、答えない。ただ彼女の末期の言葉を聴き続ける。

 

「…………里見さんに、お礼を言っておいて下さい。私には、もう無理ですから」

 

「ああ」

 

 夏世は目を伏せると、息を吐いた。呼吸するごとに生命力が抜けていくように、夏世の眼窩も虚ろになっていく。

 

「比企谷さん」

 

「……なんだ?」

 

 彼女は、その顔に微笑みさえ浮かべて言った。

 

 

「私を…………ヒトのまま、死なせてください」

 

 

 八幡は目を閉じる。避け得ない結末だと、半ばまで受け入れていたものが、今八幡に突き付けられる。

 

 あのときの、かつて八幡が介錯をしたイニシエーターと同じ言葉。聴いてしまえば心が折れてしまうかもしれないと覚悟をしていたが、不思議と八幡の心情は冷静だった。

 

 腰のホルスターに手を伸ばす。銃撃の余熱も消え、冷たくなっていたグロック拳銃を抜くと、夏世を胸にかき抱いたままこめかみに銃口を押し付けた。

 

「…………ねぇ、比企谷さん。私、貴方に感謝しているんです。

 あのとき、貴方は私を人間だと言ってくれた。生きてて良いんだと、人殺しの私を赦してくれた。だから、頑張れた。貴方のために、戦えた」

 

 夏世が途切れ途切れに言う。

 

「私の人生には、慚愧も、悔恨も有りません。それらは全て貴方が取り払ってくれた。今、私の胸は感謝の念で一杯です。……貴方を守るために戦えて、良かった」

 

 運命に翻弄され、呪われていると罵られ。ガストレアの血が混じっているという理由だけで良いように使われてきた少女が、自らの人生に何の悔恨もないと、思い残すことは何もないと、…………生きてて良かったと言う。

 

 その痛烈な皮肉に、八幡はただ歯を食い縛ることしか出来なかった。

 

「こんな役目を貴方に押し付けてしまって、申し訳ありません」

 

「…………いいんだ」

 

 胸の中で、夏世が微笑んだ気がした。

 

 夏世を切り捨てると決めたのは自分。蛭子影胤と戦って東京エリアを救うと決めたのも自分。その果てに辿り着いた結果がこれならば、それにケリをつけるのも自分でなければならない。

 

 彼女が、もう話すことはないと、これで終わりだと告げるように言う。

 

「比企谷さん」

 

「……ああ」

 

 八幡は目を閉じた。細い腕に、華奢な肩に、手を回したままゆっくりとトリガーを引き絞る。

 

「……ありがとう」

 

 乾いた銃声が、澄み切った夜明けの空に響き渡った。

 

 あとに残ったのは大きな後悔と、残り僅かだった命を奪った銃の冷たい感触だけ。

 

 八幡は、自分が殺した少女を腕に抱きながら、いつまでもその空を見上げていた。

 

 胸の中の彼女は、もう動かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人災に於いて東京エリア史上最大規模の戦いとされる蛭子影胤追撃作戦は、イニシエーター、千寿夏世の犠牲を伴って完遂した。

 

 

 

 ────比企谷八幡は、また守れなかった。

 

 

 

 

 




一巻分しゅーりょー!
ちなみにpixivにもマルチ投稿してます!

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