十一、四   作:なんじょ

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俎上の新人

「れーんーじークン。こないなところにおったんやね」

「え……あっ、市丸隊長?!」

 隊舎の休憩室で休んでいた阿散井恋次は、不意の呼びかけに顔をあげて慌てた。

 いつ来たのか、六番隊隊長の市丸ギンが、畳の上に座っている恋次を見下ろしている。

「あぁえぇて、バタバタせんと。虚退治で足怪我してきたんやろ? 雛森ちゃんに聞いたから、お見舞い」

 ギンは無理に動こうとする恋次を手を振って止め、畳に投げ出された足を見る。

「わざわざ、すんません。恥ずかしながら……不覚をとりました」

 護廷十三隊に入ってようやく最近慣れてきたところで、こんな怪我をしてしまった。情けないと落ち込む恋次に、ギンは気楽な笑い声を上げた。

「なにゆうてんの、怪我なんてこれからいくらでもするんやから、今の内に慣れとき」

「は、はぁ……」

 そんなに軽くていいんだろうか、とに不安を覚える恋次。そんな不信をあおるように、そーや、とギンは手を打った。

「えぇ機会やし、恋次クン、ここらで一発肝試ししとこか」

「は……き、肝試し? いや、俺、これから四番隊に行くつもりなんですけど……」

 打ち身やかすり傷ばかりで大した怪我はないが、右足だけは歩けないくらい痛い。

 誰かに手を借りて、総合救護詰所へ行こうと思っていたところで、ギンの遊びに付き合ってる暇はない。と思ったのだが、

「せやから」

 なぜだかギンは、にー、と口を真横に引いて笑った。

「肝試しや、ゆうてんの」

 

「すんません。隊長に肩貸してもらうなんて……」

 ようやく詰所へ辿り着き、恋次は恐縮して謝った。

 恋次の腕を肩に回し、歩くのを手伝ってきたギンは、へらっと笑う。

「さっきからすんませんばっかりやねぇ、恋次クン。えぇよ、ボクも久しぶりに肝試ししたかってん」

「あの、市丸隊長。さっきから肝試し、肝試しって言ってますけど……何の事ですか?」

 いぶかしげに尋ねると、ギンは慣れた様子で詰所の中を辿りながら、

「護廷十三隊に入ったら誰でも、いつかはここのお世話になるんよ。で、そのままやめてく奴もおるん。泣きながら」

「な、泣きながら!?」

 厳しい試験をくぐり抜けてやっと入隊できたのに、何で!? ハテナマークを浮かべつつ蒼白になる恋次。

 そういえば、四番隊の怖い噂を、一足先に入院した同期のイヅルから色々聞いていた気がする。

 四番隊でいったいどんな試練が待ち受けているというのか、なんだかだんだん怖くなってきた。

 ギンはにまーっと笑って、足を止めた。

「ほら、着いたで。いっちょ肝試してきなや」

 気軽な口調で言うと、いきなり、恋次を目の前の部屋にひょいっと放り込んだ。

「え、わ、あぁ!!?」

「ひ、えゃっ?!!」

 突き飛ばされるままふらふら、と入ったところで、人と真正面からぶつかった。転ぶ、と反射的にこらえようとして右足をダンッと踏ん張り、途端、

(ギャーーー!!)

 頭の芯まで揺るがすような激痛が突き抜け、バランスを崩す。

 ぶつかった相手が恋次より小柄だったので、そのままなすすべもなく、どたー! と床に転んだ。

「あいっ、て……!」

 床に額をぶつけたのと、足を踏ん張ったせいで痛みがいや増し、恋次はほとんど泣きそうになった。そこへ、

「あらら、あかんよー恋次クン。昼間っから、女の子押し倒したりしちゃぁ」

 ギンの至極のんびりした声が降って来た。いったい誰のせいだと声を上げようとした時、

「うぐ……ちょっと……重い……!」

 下からくぐもった声が聞こえた。はっとして見下ろすと、そこには女の人がいた。ぶつかったのはこの人か、と認識すると同時に、自分が下敷きにしてる事に気がつき、

「あ、す、すんません! 怪我無いすか」

 床に手をついて、何とか上半身を持ち上げた。

 女の人は恋次の下からさっと抜け出した。恋次を見、ついで後ろのギンを見て、もの凄く嫌そうにため息をつく。

「市丸隊長……怪我人の怪我を増やすような真似、しないで下さいよ。連れてくるなら普通に連れてきて下さい」

 言いながら、恋次の腕を掴んでぐいっと引っ張る。その手を借りて立ちかけた恋次は、そのまま後ろの寝台に突き飛ばされた。

「うわっ!」

「雪音ちゃんも大概乱暴やないの。ボクとそう変わらんと思うけどなぁ」

 ひょこひょこ、と中に入ってきたギンは、二人の間に立った。

「ほな、自己紹介せなね。雪音ちゃん、こっちは藍染さんとこにこないだ入った、阿散井恋次クン。

 ちょーっととんがった外見しとるけど良い子やから、仲良うしたってや」

「はぁ……」

「恋次クン、こっちは四番隊第六席の鑑原雪音ちゃん。口悪いけど腕はえぇよ。別名、四番隊の『鬼瓦』ゆわれてるんよ」

「お、おにがわら……」

「あの、そのとことん失礼な渾名(あだな)はやめて下さい。呼んでるのは市丸隊長だけでしょうが」

 雪音はげんなりした顔のまま、恋次を見た。恋次は彼女の名を反芻して、さーっと血の気が引く音を聞いた。

(四番隊……六席……鑑原雪音……鬼隊員ーーー!)

 

* * *

 

 以前、四番隊の入院から帰ってきた時、イヅルは細面をさらにげっそりさせていた。

 療養中の食事がそんなにまずかったのかと冗談で聞いたら、彼は真っ青になって、

『阿散井くん、もし四番隊にいく事になったら、鑑原六席には絶対近寄っちゃいけない!』

 そう力説してくる。勢いに驚いて何でだ、と聞くと、イヅルはぶるぶる震えながら胃の辺りを押さえ、

『鑑原六席、怖いんだよ……。

 治療している間ずっと怒ってるわ、ちょっとでも動こうとすると、体を押さえて怒鳴りつけてくるわ……ぼくはもう救護室で息が詰まるかと思ったよ。

 しかも最初にいきなり「あんな虚相手に怪我するなんて、才能ないんじゃないの」って言われたんだよ! 真央霊術院主席のこのぼくが!』

 最後は関係ないのでは、と思いつつ、入院してそれじゃきついな、と言った。

 そしたら、目に涙までためたイヅルがきっと顔を上げて宣言した。

『ぼくはもう金輪際、救護詰所には入院しないと誓うよ。あの人の世話になるくらいなら、死ぬ気で虚に立ち向かっていった方がマシだ』

 そのあまりにもきっぱりした様子に、それは無理じゃないか、という突っ込みが入れられなかった。

 気休めに、じゃあ怪我しないように頑張れ、と返したのだった、が。

 

「…………」

 怖い。鑑原六席の周囲に漂うぴりぴりした空気が、怖い。

 寝台の上に足を伸ばして座った状態で、イヅルの話を思い出し、恋次は早くも青ざめていた。

 あの時は、気弱な同期が大げさに言っているだけだ、と軽く流していたが、いざ自分が怪我をして動けない状態で対峙すると、六席は、確かに怖い。

 眉間に深くしわを刻み、この上なく不機嫌な顔で恋次の怪我の具合を調べ、時々乱暴とも思える手つきで体の向きを変えさせてくる。

 所作一つ一つがどことなく攻撃的で、しかも一言も口を利かない。だから余計に怖い。

 まないたの上の鯉はこんな心境なのだろうか。これから何をされるのか、ものすごく不安になってしまう。

 恋次はほとんど硬直状態で、雪音の触診を受け続けた。

「雪音ちゃん、恋次クンの怪我、どない?」

 それを見物するように、腕を組み、救護室の壁にもたれたギンが雪音に尋ねてきた。雪音はちらりとそちらを見、

「打撲と擦過傷、それから右脛骨(けいこつ)の骨折です。入院の必要はありません」

「へぇー、そう。アッシドワイヤー相手にそれくらいで済んだのやったら、大したもんやね、恋次クン」

「は、はぁ」

「そうですか? アッシドワイヤー程度なら、こんな怪我をせず、もっとスマートに倒せていいと思いますけど」

(ぐっ)

 自分でも手際が悪かったと思っていたので、その言葉はきいた。

 恋次は思わず歯を食いしばり、雪音を睨み付ける。苛立ちを含んだ顔は、我ながら人相が悪かったろうと思う。雪音が何か言いたいのかと鋭い視線を返してくる。

 あわや喧嘩が始まるか、というところで、

「まぁまぁ、恋次クンはまだ入ったばっかりやし、長い目で見たってや。

 才能あるよって、将来の席官候補やて、藍染さんも言うてたよ」

「あ、藍染隊長がそんな事、仰ってたんスか?」

 ギンがとりなすように言ったので、恋次はつい照れてしまった。

 護廷十三隊に入るのならぜひ五番隊に、と誘ってくれた藍染隊長は、穏やかな容貌と性格ゆえに、およそ戦闘に向かないようにも見えるが、その実力は隊長の役に相応しい。

 いつかあんな風になれたら、と憧れてしまうような人だから、その人に認められるのは、嬉しかった。

「この調子では席官はまだ、遠いですね」

 しかし雪音は水を差すように言って、袴をまくった恋次の足に添え木を当てた。それをしっかり固定したところで治癒術をかける。

 雪音の手から光が降り注いだ、と思った時にはもう痛みがすう、と引いていく。

 ものの数十秒で雪音が治癒をやめ、添え木を外した時には、

「すげぇ……もう治ってる」

 骨折していたのが嘘じゃないか、と思うほど、足が普通に動かせるようになっていた。ギンがぱちぱち、と手をたたく。

「さすが雪音ちゃん、仕事速いわぁー。すぐ治って良かったね、恋次クン」

「は、はい! ありがとうございます、鑑原六席」

 まさかこんなに早く怪我が治るとは思わなかった。感動して勢いよく頭を下げ、また上げる。

 と、雪音は驚いたように目を丸くしていた。視線が合った途端、すう、と頬に赤みが差す。

「礼を言われるほどじゃないわよ。仕事だし」

 ふい、と目をそらして言った台詞は相変わらず刺々しいが、表情がさっきより柔らかくなったような気がする。

(なんだ。いい人じゃねぇか、鑑原六席って)

 イヅルが散々脅したから無闇に怯えてしまったが、そんな必要は無かったのかもしれない。鑑原の言葉や態度は確かにきついが、治療が手早くて、少しも辛くなかった。

 ほっとして、肩の力を抜きかけた恋次だったが、

「じゃ、次。上脱いで」

 再び仕事の顔に戻った雪音の言葉に、再度硬直した。

「は、ぬ、ぬぐ?! も、もう治療終わったんですよね?」

 慌てて問うと、雪音はしかめっ面になって、

「終わってないわよ、まだ上半身に打撲とか色々あるでしょ。一応他の怪我が無いかちゃんと看たいから、脱いで」

「い、や、あの、他のは大した事ないっスから。わざわざ見てもらう必要は無いっス!」

 思わず胸元をかき合わせ、壁際にずざっ、と逃げてしまう恋次。

 一瞬呆気に取られた様子でぽかん、と口をあけた雪音は、あほか、と一言いい捨てると、

「良いから大人しくしろ!」

 がんっと寝台に乗って恋次に迫り、

「わ、わー!!」

 暴れるのをどうやってか押さえ込んで、勢いよく上着をはいだ。わぉ、とギンが楽しそうな声をあげる。

「えぇねぇ恋次クン、女の子に脱がしてもろて。しかもはなから上に乗ってもらえるなんて、役得やなぁ。おねーさんにえぇ事いっぱい教えてもらい」

「な、何言ってんすか、市丸隊長!! ちょ、助けてくださいよ!」

 ギンの言葉がどういう事を指してるかに気づき、体勢も体勢なので恋次は真っ赤になったが、雪音はあのですねぇ、と呆れ声を出した。

「市丸隊長、あほな事言ってないで、職務にお戻り下さい。さっき副隊長が探しておいででしたよ」

「えぇー、いやや。今戻たら、書類仕事せなあかん。そんなんより、ここで恋次クンと雪音ちゃん見てるほうが、面白いわ。

 あ、それとも、ボクがいない方がえぇんかな。雪音ちゃん、恋次クンとはよ二人きりになりたい?」

「ち・が・い・ま・す。別に襲ったりしませんから、安心してとっととお引取り下さい。

 市丸隊長がいると、治療の邪魔です」

「つれないなぁ、雪音ちゃんたら。まぁえぇわ、いくよ。恋次クン、後でどないやったか、ボクに教えてね」

「「市丸隊長!」」

 雪音と恋次の叫びをうけて、ギンはするっと救護室を出ていってしまった。

 

「……全く、あの人は」

 ギンの気配が完全に消えた頃、雪音がため息混じりに呟いた。それから恋次を引っ張り起こし、

「ほら、座って」

 寝台の端に座らせ、自分はその前に椅子をひいて座った。足に車のついた棚を引き寄せて、恋次の体を看始める。

 途端、恋次は先ほどとは違う意味でがちがちに体を強張らせてしまった。

 細い指が傷口に塗り薬を擦り付けるたびに、びくっと震えてしまう。

(ひー、はやく終わってくれ……)

 耳まで熱くなってきて、ほとんどパニック状態に陥りかける恋次を、ちらちら見上げながら薬を塗っていた雪音は、その作業が終わると同時に口を開いた。

「ちょっと、市丸隊長に何吹き込まれたんだか知らないけど、そうびくびくしないでくれる? やりにくくてしょうがないわ。

 別にあんたを襲ったりしない、って言ってるでしょうが」

「あ、や、その、そういう事じゃなくて、俺恥ずかしくて」

 苛々した口調に慌ててしまい、つい口がすべる。

「恥ずかしい?」

 言葉をとらえて首を傾げる雪音。しまった言うんじゃなかったと思っても、もう遅い。

 カーッと顔中赤くして小さくなる恋次の様子に、理由を理解したのか、

「あぁ」

 雪音は塗り薬を棚の箱に戻し、湿布を取った。

「無理やり脱がしたのは悪かったわよ。

 でも、こっちはあくまで患者として扱ってるだけなんだから、そう意識しないで。恥ずかしがるだけ、無駄に手間かかるだけでしょ」

 至極冷静に説明してくる。

 なるほど、常日頃、男女問わず怪我人に接している四番隊の人間なら、確かに裸は見慣れたものなのかもしれない。

 しかしそう言われたところで、こっちは女性の前で服を脱ぐ事に慣れていないのだ、照れたって仕方ないだろうとも思う。

 そう言おうと思ったら、湿布をぺとり、と胸の打ち身に貼られた。

「おぅわっ!」

 突然の冷たさに思わずのけぞる。その反応に驚いて身を引いた雪音は、きょとんとした後、吹き出した。

「何つー声出してんのよ、あんた。ほら、これで終わり。服着ていいわよ」

「え、あ、あぁ、はい」

(わ、笑った……)

 それまでずっと不機嫌顔だった雪音が笑った事に驚いて、恋次は間延びした返事をする。ごそごそ服を着なおして、立ち上がった。

 右足でとんとん、と地面を蹴ってみるが、痛みは全く無い。

「特に心配いらないと思うけど、どこか調子悪いところがあったら、また来なさい。あたしが居なくても、ここの誰かに言えばいいから」

「は、はい。あの、鑑原六席、本当にありがとうございました。おかげで楽、に?」

 頭を下げようとしたら、手で額を止められた。びっくりして雪音を見ると、彼女はにやっと笑って、

「お礼はもう良いから、稽古の一つでもしてきなさいよ、新人君。

 今みたいに弱っちぃままだと、そのうち本当に押し倒されるわよ。護廷十三隊の女は、強いんだから」

「いてっ!」

 ぺんっ、と恋次の額を叩いたのだった。

 

「なんか……意外と、普通の人だった、な」

 叩かれた額を撫でながら、恋次は隊舎への道をてくてく歩いていく。

 イヅルから聞かされていた話から想像していたほど、恐ろしげな人ではなかった。

 確かに口は悪かったし、少々怯えさせられたけども、最後に笑った顔は、結構人なつっこかったと思う。

「怯えただけ損だったか」

 やれやれと開放的な気分でのびをした恋次は、ふとある事に気づく。そういえば四番隊舎へ行く前、ギンが言っていた事――

「……もしかして肝試しって、鑑原六席の診察の事か……?」

 確かにある種の肝試しではあったが……しかし。

 鬼瓦なんていう恐ろしげな渾名をつけたり、肝試しと称したり、ギンは雪音の事が嫌いなのだろうか。それとも、気に入っているからこそのちょっかいなのだろうか。

(とりあえず、今度会う時があっても、六席には言わない方が良いんだろうな)

 告げ口した時の事を考えると、双方からとんでもない事をされそうで怖い。

 恋次は自分の腕を抱えてぶるっと震えると、逃げるように足を速めた。




俎(まないた)の上の鯉。雪音が機嫌悪かったのは、ギンがいたからです。

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