十一、四   作:なんじょ

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酒の徳

 隊舎の二階をつなぐ渡り廊下を歩いていると、

「おーい、パゲー」

「あぁっ!?」

 失礼きわまりない呼びかけが耳に入って、一角はぐりっと振り返った。

 廊下の後ろからとたとた、と松本乱菊が歩み寄ってきて、手に持った伝令神機を振ってみせる。

「ちょうど良かった、今連絡しようかと思ってたのよ」

「松本ぉ~……てめぇ、今何ていいやがった」

「ん? 連絡をしようかと」

「そこじゃねぇ! さっき俺に声かけた時だ!」

「あぁ、パゲ?」

「けろっと悪びれずに言うなコルァ! 俺はハゲじゃねぇ!」

 何だそんな事、と乱菊は肩にかかった髪を背中に払う。

「あんたこそ何言ってんの、見事にツルーッとした頭じゃないの。遠くからでも分かるのよねー、太陽反射して」

「……大概にしねぇと、女だからって容赦しねぇぞ……」

 背後に炎を背負い、指の骨をならす一角。しかし松本は全くもって斟酌せず、

「そんな事よりさ、今日の飲み会の場所決まったのよ。風弦洞って知ってる?」

 さっさと自分の話を進める。

 一角はこめかみにビキビキと青筋を浮かべたが、これ以上こだわったところで、乱菊は相手にしないだろう。ため息をついて、仕方なく話に付き合う事にした。

「あぁ、行った事はねぇけど知ってる。六時からだっけか」

「そそ。メンバーは……あっ」

 乱菊は不意に通路の手すりから身を乗り出した。何事かと思いきや、

「おーい、雪音ー! 今日の飲み、風弦洞だからねー!」

 辺りを憚らない大声で叫ぶ。ちょうど下を歩いていた雪音が、その呼びかけに足を止めて、乱菊を見上げた。

「はーい、分かってます、さっき、京楽隊長から聞きましたからー。

 ちょっとぎりぎりになるけど、ちゃんと行きますー。じゃ、また後でー!」

 手を振って、そのまま去っていく。一角はひく、と顔をひきつらせた。

「おい、松本。今日もしかして、あいつも来んのか」

「ん? そうよ。あんた雪音と一緒に飲むの、初めてだっけ?」

「……俺ぁいかねぇぞ」

「はぁ?」

 乱菊は予想外、と言いたげに目を丸くした。

「何よ、いきなり。あんた雪音嫌いなの?」

「ったりめーだろ、あんな無法四番隊員! 入院中、あいつのおかげで何度死線を渡ったか……!」

 屈辱的な日々を思い出し、思わず拳をぎゅう、と固めていると、乱菊はからから笑った。

「それなら尚更、今日来なさいって。お酒飲むと雪音、すっごい面白いんだから」

「あ? 何だそりゃ。酔って暴れでもするのかよ」

 鼻で笑ったが、乱菊は意味ありげに口の端をあげて、ちっちっ、と指を振ってみせた。

「そ・れ・は、来てのお楽しみ♪ ちょっと他では見られないもの、見られるわよ?」

 

* * *

 

 その夜。瀞霊廷の歓楽街、その一角に位置する居酒屋、風弦洞に人々が集まる。

 天井につきそうなほどの巨体を揺らし、店内を軽快に駆け回る店主のかけ声が響き渡る中、死神の一行が卓を囲み、和やかな宴を開いていた。

 しかし、時間ぎりぎりになって飛び込んできた雪音は、駆けつけの一杯を干した後、

「……で、何であたしの席がここに決まってるんですか、乱菊さん」

 心底不愉快そうに顔を歪めて、卓の角に座っている乱菊に尋ねた。

 乱菊はだぁってぇ、とからかうような声を漏らす。

「一角がどうしても雪音と飲みたいっていうから、特別にとっておいたのよぉ」

「口が裂けてもそんな事言うか!」

 雪音を挟んで向こう側にいる一角が、ガァッと吠えつけた。雪音はますます眉間のしわを深く刻む。

「唾飛ばさないでよ、あんた。お酒がまずーーーくなるでしょ」

「あぁ? そりゃこっちの台詞だ、ボケが。何が悲しくて、てめぇのその不景気な顔見て飲まなきゃいけねぇんだよ」

「ハゲよりはマシでしょ。ハゲよりは」

「ハゲじゃねぇよ俺は! 剃ってるんだって何度言ゃ分かるんだ!」

「十円ハゲとかあるんじゃないの? それ誤魔化すために、全部剃ってるんでしょ」

「てめぇ……そんなに鬼灯丸の錆になりてぇのか……」

 ちきっ、と鯉口を切る一角。

 しかし乱闘になる前に、その正面に座った京楽春水が宥めた。

「まぁまぁ落ち着いて、こんなところで刃傷沙汰起こしたら、お店に迷惑かかるでしょ? ほら二人とも、杯空いてるじゃないの」

「あ、どうも」

「頂きます、すみません」

 銚子を差し向けられて、一角と雪音はそれぞれ杯を受けた。

 一角はゆっくり、口の中で転がすようにして含んだが、雪音のほうは、まるで水を飲むような自然さでくいっと飲み干し、すぐさま京楽に返杯する。

「どうぞ、一献」

「ありがとう、雪音ちゃん。ン~、可愛い女の子にお酌してもらえると、一段とお酒が美味しくなるねぇ」

 やに下がり、さりげなく雪音の手を握った京楽だったが、いえいえとんでもない、とにこにこ笑う雪音に思い切りつねられた。

「アイタッ!」

「伊勢さんが居ないからって、悪さは駄目ですからね、京楽隊長」

「ちえ~っ、雪音ちゃん冷たいなぁ……」

「普通です! 全く……」

 京楽をいなしながらも慣れた手酌で酒をつぎ、杯を進めている。

 そのペースの速さに、一角は半ば呆れて、

「おい、お前飲み過ぎじゃねぇのか。ンな勢いで飲んで大丈夫かよ」

 つい口を挟むと、雪音は別に、とそっけなく応えた。

「いつもこれくらいよ、ご心配なく」

「そそ。雪音ねー、相当イケる口なのよ、一角」

 机に頬杖をついて、乱菊がにやっと笑った。

「この間も朝まで一緒に飲んだもんねー。どんだけ空けたっけ?」

「んーと……吟醸三本、そば焼酎二本、現世のお酒……ワイン、でしたっけ、あれを一本」

「飲み過ぎだろそれ!」

 どう考えても女二人で飲む量じゃない。一角は盛大につっこんだが、「あ、それと麦酒五本?」平然と付け足す雪音。

「さすがに次の日は参ったわよね、酒臭くて」

「お風呂入っても、全然取れなかったんですよねー。久しぶりに深酒しすぎちゃった」

「しすぎちゃった、ってレベルじゃないよねぇ……」

 これじゃ酔いつぶす事も出来ないよ、と呟いた京楽の頭に手刀をお見舞いして、雪音は銚子を傾けた。

 ぽつ、としずくが杯の中に落ちる。

「あれ、無くなっちゃった。すみませーん、兎鳴き、お代わりー!」

「本気で酒豪なんだな、お前。オヤジかよ」

 ほとんど一人で空けたのに呆れて、一角は杯に口をつけた。雪音はむっ、として睨み付ける。

「うるさいわね、あんたには関係ないでしょ? ちびちびちびちび、男の癖にみみっちい飲み方して」

「あぁ?! 何抜かしやがる、俺はてめーみたいな馬鹿飲みはしねぇんだよ!」

 そういう一角も流魂街に居た頃は、手に入る安酒を片っ端から浴びるように飲んでいた。

 が、旨い酒の味を知るようになってからは、じっくり味わって飲むようになっている。

「てめぇのこった、どうせ酒の善し悪しもわかんねぇような馬鹿舌なんだろ。

 量入りゃ満足するような味音痴に、文句をつけられる謂われはねぇよ」

 吐き捨てるように言うと、何ですって、と雪音が眉をつり上げた。

「ふっざけんじゃないわよ、誰が馬鹿舌の味音痴ですって!? その台詞、あんたにそっくり叩き返すわこのハゲ!」

「ハゲは関係ねぇだろ!」

「ちょっと、止めなさいよ」

「うわっ!」

「きゃっ?!」

 額を付き合わせて言い合っていると、間に冊子がばしっと挟み込まれた。乱菊があきれ顔で言う。

「あんた達ね、酒の事で喧嘩なんて野暮するくらいなら、いっそ勝負でもしてみれば?」

「は、勝負?」

「何を」

 乱菊は、二人を遮った品書きをぶんぶん、と振ってみせた。

「ほら、ここって酒の種類、こんだけあるから。どうせなら利き酒勝負なんてどうよ」

「利き酒勝負……」

「そ。それなら、あんた達のどっちが味音痴か、はっきりするでしょ?」

 一角と雪音はじろりとにらみ合った。しばしの沈黙の後、同時に顔を乱菊へ向けて、

「「その勝負、乗った!」」

 声を合わせて宣言する。乱菊はそうこなくちゃ、と手を打ち、

「すいませーん、ちょっとお願いがあるですけどぉ~」

 妙に弾んだ声音で、店員に声をかけた。

 

「これ、何でしょう」

「……黒鷺」

「じゃ、これは?」

「一気呵成だ」

「当たり。次は……これ、どうよ? 雪音ちゃん」

「ん~……逢坂の誓い」

「うわ、これも当たり。すごい、どっちも外れなしだわ」

 雪音と一角の名前を書いた紙に正否を記していた乱菊は、感嘆の声を上げた。

 急遽始まった利き酒勝負は、一角も雪音もひかぬまま、既に一人十本、二人合わせて二十本目に入っていた。

 綺麗に丸の並んだ表をのぞき込み、京楽もすごいねぇと、ほとほと感心した様子で言う。

「これだけやれば、どっちが味音痴って事もないんじゃないの? もういい加減、勝負なんてやめたら」

「いいや、こうなったら勝ち負け決まるまで、絶対やめねぇぞ!」

 酔いが回ってきた勢いもあって、一角は鼻息荒く怒鳴った。杯を差し出し、

「おら、次だ次、十本目だ! 早く出せコラ!」

 脅すような勢いで酒を要求してくる。

 いやだなぁ酔っぱらいは、と肩をすぼめながら京楽が杯を受け取り、二人から見えない位置に置いた酒瓶の群れに向かおうとした時、

「……うにゅ~ん」

 不意に緩んだ感じの声が響いた。

「あ?」

「ん?」

「お?」

 一斉に疑問の声を上げた三人が、発生源へ同時に視線を動かすと、そこには頬を赤らめ、目をとろんとさせた雪音がいた。

 雪音は杯を煽って、至極旨そうに酒を飲み干すと、そのままぐらり、と大きく身体を揺らした。

「お、おいっ、何してんだ!」

 突然の事に驚き、一角はとっさに手を伸ばしてその背中を抱き留める。と、雪音は夢うつつの表情で一角を見上げた後、

「わぁい、ハゲ坊主だぁっ!」

 妙にはしゃいだ声をあげて、一角に抱きついてくる。

「ギャーッ?!」

 勢いよくしがみつかれた一角は、そのまま後ろに押し倒された。

「な、何しやがる、てめぇ!」

 慌てて起きあがろうとするも、雪音はしっかり一角の首に手を回して、ごろごろと喉を鳴らしそうな表情で、

「やーん、このハゲ胸ひろーい、おっきーい、きもちい~♪」

 などと言いながら、胸に顔をすりつけてきた。

「ば、ばばばばばかっ、よせ!」

 予想外の行動に、一角はぶわっ、と全身に汗を噴き出しながら雪音を引っぺがす。突き放された雪音は、今度はそこにいた乱菊に、

「乱菊さぁん、ハゲに突き飛ばされたぁっ」

などと言いながら、がばっと抱きついて、ふくよかな胸に顔を埋めた。

「あぁいいなぁ、僕も仲間にフゴッ!」

 でれ、と鼻の下を伸ばして覗き込んできた京楽に裏拳を入れた乱菊は、よしよし、と雪音の頭を撫でた。

「はいはい、酷いわねーあのハゲ。雪音は何もしてないのにねぇ?」

「ば、ばかやろ、何もしてないじゃねぇだろ、いきなり襲いかかってきやがって!」

 起きあがり、乱れた死覇装の前をかき合わせて一角が怒鳴ると、乱菊はにや、と笑って、

「んふふ、驚いた? 言ったでしょ、他では見られないものが見られるって」

 なぜか得意げに胸を張った。

 何の事だ、と聞き返そうとして、一角は思い出した。そういえば昼間、雪音の事で乱菊が何か言っていた気がする。

「ま、まさかこれかよ、こいつが酒飲んだら面白いってのは」

「はれ、ひりゃなかったの?」

 殴られた鼻を押さえて、京楽がのほほん、と言った。

「雪音ちゃんは酔っ払うと、とっても甘えん坊になるからカーワユイんだよねぇ」

「そうそう。いっつもツンケンしてる反動なんですかね~、子供みたいになっちゃって」

「乱菊さぁん、もっとお酒のみたぁい~……」

「ああ、そうね。じゃ、ここはしきり直しで……雪原(ゆきばら)でも飲む?」

「わーい、雪原だいすきぃ、飲む飲む~~♪」

 るんるん、と歌い出しそうな上機嫌で乱菊にすり寄る雪音。その様子を、やけにほんわかした表情で見守る乱菊と京楽。

 一人蚊帳の外に置かれた一角は、

「…………何なんだ、あいつは一体……」

 常とは全く違う雪音の様子に、何だかものすごく疲れを感じて、ぐったりと肩を落としてしまった。

 

* * *

 

 翌日。

「あ」

「お」

 一角と雪音は廊下でばったり出会った。

 昨日の有様を思い出し、とっさに言葉が出ず口ごもる一角。しかし雪音のほうは全く頓着せず、

「昨日は無事帰れたの? 何かふらっふらしてたけど」

 いつものはきはきした口調で話しかけてきた。

 ふらふらしていたのは事実だが、それは酔ったせいじゃなく、あの後も散々雪音に絡まれて疲れたせいだ。

「誰のせいであぁなったと思ってんだ、てめぇは……」

 恨みがましい声音で呟くと、雪音は眉根を潜めた。

「何よ、あたしのせいじゃないでしょうが。たかだか十種の利き酒で酔ったあんたが悪いんでしょ。

 酒弱くて勝負に負けたからって、逆ギレしてんじゃないわよ」

「あぁ? 誰が酒弱くて、勝負に負けたって!?」

 何すっとぼけてんだ、と一角は噛みついた。しかし雪音はハッ、と小憎らしく鼻で笑う。

「だってあんた、結局十本目のお酒がわかんなかったんでしょ? 乱菊さんがちゃーんと記録取ってたんだから」

「十本目……って馬鹿やろ、あれはてめぇが邪魔してきたから、勝負が流れちまったんじゃねぇか!」

「はぁ? 何言ってんのよ、あたしは邪魔なんてしてません。夢でも見たんじゃないの」

「夢ってお前、……ちょっと、待て」

 更に言いつのろうとして、一角ははたと気がついた。

 雪音は口が悪いが、こうもあからさまな嘘をつくような奴でない事は、短い付き合いでも何となく分かる。

 では、これほどはっきり否定するのは、もしかして。

「お前……まさか、全っ然、覚えてねぇのか」

 おそるおそる尋ねてみると、雪音は「何が?」と、まるっきり分かってない様子で応える。

 とてもとぼけているように見えないその表情に、一角は愕然とした。

 飲み過ぎて正気を失い、何をしていたか覚えていないと言うのは、一角も経験がある。しかし、

(こいつ、記憶無くしてる事にも気がついてねぇのかよ!)

 雪音の場合は、もっと重症のようだ。覚えていない事さえ、自覚していない。

「何よ、その顔。人を化け物にでも見るみたいに」

 驚愕して目を剥く一角に、雪音が不快感を訴える。

 普段ならこれに応酬して喧嘩に発展するところだが、今日ばかりはそんな気分にはなれない。

「……お前な」

 ぽん、と雪音の肩に手を置いた一角は、珍しく真面目な顔で、心からの願いを込めて言った。

「酒は飲んでも、呑まれるな」

「…………はぁ?」

 しかし雪音はその言葉の意味がさっぱりつかめず、間の抜けた声をあげたのだった。




雪音は都合良く記憶をつなぎ合わせて覚えているので、記憶が抜けてる事に気づいてません(笑)
タイトルはことわざ「酒の徳 弧なく必ず隣あり」より。酒を飲む人は、常に隣に座ってくれる友人ができるという意味だそうな

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