十一、四   作:なんじょ

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※こちらは公式小説「BLEACH THE HONEY DISH RHAPSODY」をもとにしたお話です。


戦い、その後に

 ソウルソサエティを混乱に陥れた旅禍騒動から、数日後。

 瀞霊廷はひとまずの落ち着きを取り戻しつつあった。

 だが、隊長格の戦闘があちこちで起こっていた為、崩れ落ちた建物の瓦礫はまだ全て撤去出来ていない。四番隊には怪我人があふれかえり、通常の状態とはほど遠い。

 とはいうものの、雪音はそちらの手伝いに入る事は出来なかった。

 藍染が反乱を起こしたあの日。

 原因不明の霊力暴走を起こしてしまったので、総隊長から、十二番隊・技術開発局での精密検査を命じられていた。

 その為連日、開発局に詰めっぱなしになっているわけだが……。

 

 モニタや機械のランプの明かりに照らされ、隅は闇に沈んだ不気味な部屋の中。

 立ち並ぶ試験管をいじり回して、何かの液体を混ぜてはのぞき込んでいる涅(くろつち)隊長に、雪音は恐る恐る話しかけた。

「……あの……涅隊長?」

「何かネ」

「そろそろ、検査の結果を教えて頂きたいんですけど」

「まだ出ていないヨ」

「ま、まだですか?」

(日に何時間も変な機械につながれたり、人の背丈くらいあるビーカーの中に入れられて水浸しにされたり、思わず暴れ出したくなるほど怪しい検査をいくつもいくつもやらされてるのに、まだ何も分からないの!?)

 というような事を、どうやって角の立たない形で伝えようかと思っていたら、振り返った涅が白塗りの顔を苛立ちに歪め、ぎょろりと目を剥いた。

「キミはバカかね?」

「は!?」

「キミの霊力暴走は昨日今日、始まった症状じゃあない。

 これまでも毎日、こういう検査を行ってデータを蓄積し、分析する事が出来ていれば、こうも手間取る事はなかったのだがね」

「うっ……」

 それを言われると、口答え出来ない。

 涅が開発局の局長に就任してからというもの、足が遠のいていたのは事実だ。

 前任者も何を考えているのか良く分からない人ではあったけど、涅は何をされるか分からない気持ち悪さを感じるのだ。

 人を実験動物のように扱う相手とは、出来るだけ関わりたくない。

 そう思うのは他隊の(もしかしたら十二番隊も)死神全員に共通する認識だと思う。

「良いから少し黙っていたまえ。私はキミのために特別に時間を割いてやってるんだ。少しは感謝してもらいたいものだネ」

「はぁ……」

(そんなの、嬉しくなさ過ぎる「特別」なんですけど……)

 座っているように言われた診察台の上でもぞ、と動いた時、ふと視界の隅に何かがかすった。そちらへ目を向けると、

「うわ!?」

 いきなり視界一杯、顔が大写しになったので、思わずのけぞった。

「お静かに、鑑原五席」

「く、涅副隊長!」

 いつの間にやってきたのか、そこには漆黒の髪を三つ編みに結った女性、涅ネム副隊長が立っていた。

 涅隊長の娘というだけあって、彼女もかなり独特な雰囲気で、黒目がちで整った顔立ちはいつも無表情。正直、この人は涅隊長とはまた別の意味で苦手だ。

「あの、あんまり近寄らないで下さい」

 顔がぶつかりそうな程接近され、思わず抗議の声を上げる雪音に、涅副隊長は「申し訳ありません」と下がった。

 その手には首の長いフラスコを持っていて、丸い底にはなにやら虹色に光る液体が、どろりと淀んでいた。何だこの危険物質っぽいものは。

「遅いぞネム。早くその薬を寄越すんだ!」

 涅隊長が振り返って乱暴に手招きする。居丈高な物言いにも動じる事無く、副隊長はそちらへ歩み寄ってフラスコを手渡した。

 局長は「そうそう、これだヨ、これ」と呟きながら、机の上のビーカーに口を傾けた。

 長い首を伝い、虹色の液体がビーカーの中に落ちたと思った瞬間、ボンッ!!!!と大きな音がして、周囲に何とも言えないきつい臭いが広がった。

「うぷっ……!」

 吐き気をもよおす、ゴミの固まりをぶちまけたような凄まじい悪臭。鼻と口を覆ったけど、たちまち目が痛くなって涙ぐんでくる。

 な、何コレ、何の臭いなの!?

「ぐっ、げほげほげほっ!!」

 耐えかねて覆った手の中で咳をする雪音に、涅隊長がくるりと振り返った。靴音高くツカツカ近寄ってきたかと思うと、にい、と口を横にひいて、

「さ、これを飲み給え、鑑原五席」

「げほっ、な、うげほっ」

 へどろ色としか言いようのないそれを突き出してきたので、逃げて身をよじる。けど、音もなく近づいてきた副隊長が、

「失礼します」

 後ろから雪音を羽交い締めにする。何するのよ、と怒声を浴びせようとしたが、臭いが喉に詰まって声も出ない。

 げっほげっほとむせまくるのを全く無視し、涅隊長は顔を掴んできた。

「ぐっ」

「これを飲めば、キミの霊圧の動きがもっと良く分かるんだヨ。大人しくしていたまえ」

 そのまま無理矢理口を開かされ、ビーカーが傾けられ……

(い、いやーーーーーーーーーー!!!!!!)

 

* * *

 

 ぜぇっ、ぜぇっ、ぜぇっ……。

 雪音は一時間ほど走り続けてようやく足を止め、長く伸びる壁にもたれかかった。

 走るのが苦手なので、息が切れて頭がくらくらして、滅茶苦茶苦しい。

 ……だけどあんな毒薬みたいなのを飲まされるくらいなら、これくらい、苦しくとも何ともない!

(ったく、涅隊長はっ……薬は嫌だって言ったのに……!)

 何を飲まされるか分からないから、検査はしても薬は飲みません、と最初に宣言していたのに。

 平気で約束破るんだから、あの変態科学者がっ!

 何とか振り切って逃げてきたけれど、まだ検査を続けるのなら、総隊長か卯ノ花隊長に訴えた方が良いかも知れない。このままでは身の危険を感じる……。

「とにかく……一旦、四番隊に戻ろうかしら」

 乱れた襟元を直し、息を整えた雪音は、隊舎に向けて歩き出した。

 その道すがら目に入るのは、崩れ落ちた壁を取り除くために黙々と働く人々や、今回の騒動についてああでもない、こうでもないと議論を戦わせている死神達。

 誰もかれもまだ、気持ちの整理がついていないのだろう。

 そう思いながら視線を流した時、遠くの方に双極の丘が見えて、思わず足が止まった。

「……」

 かすんではっきりとは見えないけれど、磔架は破壊されたまま、修復されてはいない。

 まだ戦いの爪痕が生々しいその姿を見ていたら、胸が締め付けられる。雪音は持ち上げた右手を見下ろし、唇を噛む。

(どうして)

 答えの出ない、何度となく繰り返し問い続けてきた疑問が、また蘇る。

(どうして、あんな事になったのだろう)

 

 

『……兄様! 恋次!』

『!』

 耳に飛び込んできたのは、切り裂くような悲鳴だった。

 目を閉じたままの黒崎からハッと視線を動かすと、黒い死覇装に身を包んだ人々の中一人、真っ白な着物を身につけた少女が見えた。

『朽木さん!』

 ひっくり返った声で思わず叫ぶ。

 藍染に気を取られてすっかり失念していたけれど、そう言えばルキアと阿散井もあの場に居たんだった。

 自分が気を失った後どうなったのか知らないが、ひとまず彼女は無事らしい。

 ほっとしたのもつかの間、呼びかけに気づいてこちらを振り返ったルキアが、大きな目を見開き、

『鑑原五席……助けて下さい!』

 絶叫にも似た声を絞り出した。

『え?』

『兄様が、私をかばって怪我を……恋次も……!』

『なっ……』

 そこでようやく気づく。膝をついたルキアの前には、朽木隊長と阿散井が二人、横たわっていた。

 茶色い岩の地面にじわり、と広がる重たい赤が目に入り、背筋が凍り付く。

『阿散井君、朽木隊長!』

 咄嗟に駆け寄り、膝をついて二人を見下ろす。

 ……どちらも、どこがどうとも言えないほど、酷い。

 全身切り刻まれてぼろぼろになった死覇装の下から、骨まで見えるほどぱっくり傷が開き、泉のように滾々と血があふれ出している。

 顔から血の気が失せ、呼吸が今にも絶えそうなほどか細い。このままでは遠からず、二人とも命を手放してしまうだろう。

『鑑原五席、早く、早く……お願いします!!』

 ルキアが必死の形相で雪音の袖をきつく掴み、叫んで懇願する。

『分かってる、静かにして!』

 それを振り払うように右手を伸ばしたところで、雪音はぎくりとした。

(あたし今、治癒の力が無い)

 それどころか霊力自体、消えてしまったかもしれないのに。

『鑑原五席!?』

 手を伸ばしたまま硬直している雪音を見上げ、ルキアがせっぱ詰まった表情で名を呼んだ。

 その表情を見るだけで、彼女にとってこの二人は、とても大事な存在なのだろうと思えた。どうしても助けてほしいという切実さが伝わってくる。

(あたしだって助けたい。でも力が無いんじゃ……)

『……ん?』

 そこで思わず首をひねる。

 自分は先ほど、井上の霊圧が変わっている事に気づきはしなかったか。霊圧を感じる為には勿論、霊力が無ければ無理な話だ。

 井上の霊圧を感知する事が出来たのなら、もしかして――

『……』

 ごく、と唾を飲み込み、雪音は縮みかけた手をもう一度伸ばし、朽木隊長の上に広げた。

 そのままゆっくり、恐る恐ると言っていいほど慎重に意識を集中した、その時。

 指先にぽっと明かりが灯り、それはすぐ手全体に広がった。

 自分でも戸惑うほど簡単に力が流れ出し、それはそのまま二人を包み込む。

『あ……』

 で、きた。出来た!

 雪音は一瞬息が詰まるほど驚き、それから安堵のため息を吐き出した。

 良かった、これで治療、出来るんだ!

 

 

「……どうして、なんだろう」

 手を見ながら再び歩き出した雪音は、ぽつりと呟いた。

 あの後。

 朽木隊長と阿散井は重傷で、自分には完治させる事は出来なかったけど、四番隊の治療隊が辿り着くまでの応急処置は行えた。

 もしあの時何も出来なかったら、二人は手遅れになっていたかもしれない、と三席から珍しく褒め言葉を頂戴した、けれど。

 ――でも、どうしてだろう。

 双極に辿り着くまでの間、霊力が人間並みに無くなってしまったのも、その後復活したのも、原因が分からない。

 開発局でみっちり検査を行ったけれど、結局、雪音の霊力が不安定になった理由はまだ分からないままだ。

(霊力が戻ったのはいいけど……すっきりしない)

 なぜ、どうして、分からない。

 それは今までもずっと、自分の中で繰り返されてきた疑問と答えだ。

 いつも自分を不安にし、悲観的にさせてきたけれど、今回の疑問はより重たくのしかかってくるように思える。

 それはきっとあの男が、これまでにないほど大きな恐怖を引き起こしたからだ。

(藍染……)

 最後に覚えてる藍染の、誘うような笑顔を思い浮かべたら、ざわっと身体が騒ぐ。

 鳥肌の浮いた腕をなでさすり、雪音は歯を食いしばった。

 何故、藍染の言葉で霊圧が暴走したのか。

 そもそも何故、藍染は雪音の力を知っていたのか。

(だって、そんなに親しくした事、無いのに)

 藍染は尊敬出来る人だと思っていたし、藍染も自分に対して友好的ではあった。

 とはいえ元々他隊で、時折気まぐれのように構われる事はあったけれど、普段それほど仲良くしていた覚えも無い。

(それなのに、何故)

 そう言えば檜佐木は、東仙が自分を抱えて連れて行こうとしていたと、言っていた。

 という事は、藍染達は雪音を仲間に入れようとしたのだろう。

 だが、雪音は彼らの裏切りなんて全然知らなかったのに、

(仲間に加わる保証もないのに、何で仲間に引き入れようとしたの)

 考えてみても分からない。疑問は増えていくばかりで、いっこうに解消されない。

 雪音は右手を握りしめてあぁもう、と唸り、頭を振った。

 駄目だ、こんな風に一人でごちゃごちゃ考えていたって、何にもならない。

 こういう時は、誰かに話を聞いてもらった方が良い。

 しかし自分の事情と、今回の事件の顛末を両方知っている人と言えば、総隊長、卯ノ花隊長、涅隊長くらいだ。

 最後の一人は論外だとしても、他の二人は忙しすぎて、そんな事に構ってはいられないだろう。

(どうしよう……井戸でも見つけて、その中に叫んでやろうかしら)

 若干やけっぱちになってそんな事を思った時、角からいきなりぬっと人が現れて、

「きゃっ!?」

「うわ!」

 ぶつかりそうになってお互い、慌てて避けた。咄嗟にごめんなさい、と言おうとした雪音は、

「え……あ、黒崎一護!!」

 目に入った人物に驚いて、思わずフルネームで叫んでしまった。

 

 

「え、な、何だ!?」

 出会い頭に名前を呼ばれたせいか、黒崎は目を丸くした。死覇装に身を包んだその手には、なぜか寸胴を持っている。

「あんた誰だ? 何で俺の名前知ってんだ」

「え……あ、あぁ」

 そうか、自分は旅禍を知ってるけれど、黒崎がこちらを知らないはずだ。

「あたしは、四番隊の鑑原雪音。あんたの事は……」

 説明しようとしたら、寸胴を持ち直した黒崎が眉を上げた。

「かんばら……あぁ、もしかしてあんた、茶渡達と一緒に居た四番隊の奴か」

「え? 知ってるの?」

「あいつらから一通り、話は聞いてる。あんたもルキアを助けるために、手ェ貸してくれたんだろ? 井上が礼言ってたぜ。ありがとうな」

「……別に、あんたからお礼を言われる筋合いは無いわよ」

 旅禍に礼を言われても、困る。

 結果として放免になったとはいえ、本来捕らえるべき罪人の旅禍と行動を共にし、仲間達に刃を向けたのだ。

 もう少し事が落ち着いたら、きっと何かしら処分が下されるに違いない。それを思うと、今から気が重くなる。

「でもあんた、石田達の怪我治してくれたんだろ?」

 一人げんなりする雪音をよそに、黒崎は話を続ける。

 それはまぁ、と答えようとして、雪音はハッと相手に視線を向けた。

 一見普通に見えるが、よく考えたら黒崎は身体をまっぷたつにされて、死にかけていたはずだ。寸胴抱えてのんきに歩き回ってる場合じゃ……!

「黒崎一護、あんた怪我は!!」

「うわっ!?」

 思わず黒崎に飛びかかり、襟を掴んで思い切り開いた。

 着物の下から現れた黒崎の腹と、肩から袈裟懸けに包帯が巻かれている。そしてすでに閉じているとはいえ、真新しい傷痕が数々見られた。

 それだけでも、この旅禍がくぐり抜けてきた闘いの凄まじさを感じられる。

 けれど、ほぼ分断されていたはずの胴体は、

「……くっついてる?」

 きつく巻かれた包帯の上に手を当ててみた感触からして、ほぼ元通りになっているようだ。まさか、と思わず腰を掴むようにして確認していたら、

「ちょ、何やってんだよあんた!? 人の身体にベタベタ触んな!!」

 寸胴を頭上に持ち上げてバンザイ状態になっていた黒崎が、悲鳴じみた声を上げて身をよじった。

 顔を真っ赤にして後ずさる様子を見て、ようやく自分の行動がまずかった事に気づく。

 ……よく考えたら、いきなり男の服むいて身体触りまくるってちょっと、変態っぽいかも……。

 ついごめんと呟き、でもそれどころじゃないと、顔を引き締めて黒崎を見上げる。

「あんた、お腹の怪我はもういいの?」

「え、あ、あぁ。問題ねぇよ。さっき卯ノ花さんにも言ったけど、ほとんど痛くねぇし」

「ほとんど痛くないって……あんな大怪我だったのに」

「俺が藍染にやられた時、井上がすぐ手当してくれたのが良かったって、花太郎……あんたの同僚か、あいつがそう言ってたぜ。

 その後、井上もしばらく寝込んじまったらしいけど……」

「……井上さん、が」

 あんな酷い怪我を、こんな短期間で治してしまうなんて……信じられない。

 そう思った時に脳裏をよぎったのは、双極の丘で、息も絶え絶えの黒崎へ懸命に力を注ぐ井上織姫の姿だ。

(まるで逆回転するように少しずつ、分かたれた胴体が繋がっていく様は、現実のものとは思えない光景だった。

 どうしてあんな事が出来たのだろう――井上さんって、ただの人間じゃないの?)

「…………」

 考え込む雪音に、黒崎が訝しげな表情を向けてくる。

「……じゃあ俺、そろそろ行くけど良いか?」

「あ……うん。どこに、行くの」

 気の抜けたまま何気なく尋ねると、黒崎は寸胴を持ち直す。

「いや、こいつを十一番隊に持っていこうと思ってさ」

「? 何それ」

「カレーだよ」

「カレイ?」

「いや、それ違うって。ホラ」

 かぱん、と寸胴のふたが開かれると、一種形容しがたい臭いが目に突き刺さった。

「うっ!? 何これ!」

 目が痛み、ピリピリした鋭い臭いに思わず鼻をつまんでしまう。

 寸胴の中には、黄土色のどろりとした泥のようなものがいっぱいに詰まっていた。

「何なのそれ、新手の武器!? まさか一角とか更木隊長に再戦申し込むつもりなんじゃ……」

 あの二人と黒崎は確か一度やり合ってるはずだ。

(怪我が治って落ち着いたから、ここで一戦仕掛けるとか、ろくでもない事考えてるとか)

 そう思ったけれど、黒崎は眉をつり上げ、何でだよ! と声を荒げた。

「これは食い物だよ、食い物!! カレーっていう現世の食い物で、飯にかけて食うんだ」

「食べ物……本当に? 何かすごい臭いだけど」

「本当だっつの。大体、これはルキアが作ったんだぞ」

「え? 朽木さんが!?」

「あぁ。最初白哉に食わそうとしたんだけど、卯ノ花さんに、病人には合わないんじゃないかって言われてさ。

 他のメニューに変えたから、こいつは貰ってきたんだ。今回の件で十一番隊の奴らには世話になったし、一緒に食おうと思って」

「朽木さんが……朽木隊長のために、ご飯を?」

 その事実に驚き、雪音は再度口を閉ざしてしまう。

 ルキアの処分が発表された後。

 雪音がどれだけ助命嘆願をしても、朽木隊長は義妹の処刑に対してどこまでも冷淡だった。その無関心なほどの冷やかさは、もしや家名を汚したルキアを憎んでいるのでは、と感じられるほどだったくらいだ。

 けれど、藍染が正体を現した時、彼は我が身を呈して彼女を助けた。

 ルキアも、治療する自分の横で泣きだしそうな表情になったまま、傷つき倒れた義兄に寄り添って、その手をしっかり握りしめていた。

 二人の間に、どんな気持ちの交換があったのかは知らない。

 しかし今、ルキアと義兄は向き合い始めている。これからはお互いに、歩み寄れるのかもしれない。

 そう思ったら心に重くのしかかっていた気持ちが、少し軽くなったような気がした。

「……良かった」

 ぽつり、と独り言を漏らすと、黒崎は軽く目を瞠って雪音を見下ろした。それから口の端で笑って、

「なぁ、あんたも一緒に行かないか? 十一番」

 気安い口調で提案してきた。

 え? 十一番隊? 一瞬何のことかと思ったが、この泥……もとい、ご飯、おかず、良く分からないけど、これを十一番隊に持っていって食事しないか、と聞かれているらしい。

(十一番隊。そうだ、一角はどうしてる?)

 そう言えば事件の後はずっと検査尽くしで、四番隊はもちろん、十一番隊にも顔を出していない。

 一角もかなりの大怪我を負っていたから、急に心配になってきた。

(まぁあいつはバカみたいに頑丈だから、もう動き回っていそうだけど)

「……うん、そうね。一緒に行かせてもらうわ」

 一角の事を考えながら、少し上の空気味に応えると、

「おう。場所うろ覚えだから、道案内頼むわ」

 黒崎は死覇装の袂をひらりと翻して歩き始める。まるで怪我などしていないかのように軽やかな仕草に、雪音は目を奪われた。

 あれほどの重傷を、ただの人間の身で治してしまった、井上織姫。

(こんな簡単に人の命を救ってしまうなんて、……何者?)

 彼女の並はずれた力の結果に、少しの羨望と混乱を覚えながら。

 

 

 人間達や黒崎の怪我の具合を尋ねたりしながら、雪音達は十一番隊までやってきた。

 けれどいざ隊舎の前まで来た時、ハッと気づく。

(……よく考えたら、ここに一角がいるのよね?)

 何も考えずに会いに行こうと思ったけれど、旅禍騒ぎのどさくさにまぎれて、一角に色々……なんか思い出すのも怖いくらい恥ずかしい事を色々してたような……。

(ちょ……ちょっとーー、顔合わせにくいんだけどーー!!?)

 カーッと身体が熱くなってきて、思わず足が止まってしまう。

「? どうした。入らねぇのか?」

 先に進んで門の前に立った黒崎が、こちらを訝しげな顔で振り返った。

「あ、えっと……いや……その……」

 一角と会うのが恥ずかしいなんて、何も知らない黒崎に説明出来るわけがない。ごにょごにょ口ごもっていると、

「何だよ、一体」

 少し苛立った口調で、黒崎がつかつかと歩み寄ってきた。と同時に、

「いっちーーーーーーー!!」

「おわぁっ!? ちょ! 危ねっ!!」

 いきなり黒とピンクの塊が黒崎の頭上から降ってきた。

 黒崎は避けようと機敏に動いたけれど、それは空中で回転して角度を変え、あやまたず黒崎の肩に着地した。

「あ……や、やちる副隊長!」

「ゆっきー、いっちー連れてきてくれたの? ありがとー!」

「あ、いえ……?」

 連れてきたというか、逆についてきただけなのだけれど。しかもお礼言われてるけど、何で?

 突然の事に頭が回らない雪音。落としそうになった鍋を持ち直し、黒崎は怒りの表情をやちるに向けた。

「テメェ、危ねぇだろ!! 零れたらどうすんだ!」

「なになに? なにこれ?」

 やちるは黒崎の怒りもどこ吹く風、地面に降りると、鍋のふたを開けて覗き込んだ。

 ついで「ぺぷちん!」と可愛いくしゃみ。うえ~~と顔を歪め、鍋から離れて雪音にしがみつく。

「からい匂いするぅ~~~~~~!!」

 やだ、今日もなんて可愛いらしい……とうっかり和みつつ、雪音はしゃがみこんでやちるに説明する。

「やちる副隊長、これ現世の食べ物で、かれーっていうそうです。朽木さんが作ったんですって」

「メシにかけて食うんだ。お前んとこ、これから晩メシだろ?」

「ちょっと、副隊長になんて口の利き方を……」

「うん! みんなもう食べてるよ!」

「だったら早く持ってかねーと、メシがなくなっちまうな」

 黒崎の不遜な態度を咎めようとしたけど、二人は一向に構わず、すたすたと隊舎に向かってしまう。

 やちるはもともと大らかなので、多少の無礼は気にしないが、黒崎は旅禍のくせに態度が大きすぎる。

「ちょっと黒崎、あんたね……」

 思わず捕まえて説教しようと後を追って門をくぐり、廊下を行く少年に声を尖らせた時。

「たっだいまぁーー!」

 その先でやちるが、食堂の木戸を勢いよく開いた。中に駆け込み、最奥に座した更木のもとへ一気に飛びつく。

「剣ちゃんにおみやげ!」

「よォ、一護。……いい土産じゃねぇか、やちる」

 副隊長に続いて食堂に入った黒崎へ、更木のざらついた声がかけられる。

(……ちょっと、何か霊圧上がってる感触がするんだけど……)

 霊圧に押されて入るに入れず、入り口より手前で立ち止まった雪音の耳に、

「一護! 腹の傷はもういいのか?」

 不意打ちのように飛び込んできた一角の声。

(わっ……い、っかく!)

 久しぶりに聞く声にドキッと胸が弾み、ふらっと足が動いて、中を覗いてしまう。

 更木から離れた、手前の長机に数人の男達が夕飯の膳を囲んでる。

 背筋を伸ばして端然と箸を進める弓親。古巣に遊びにきたのか、その隣で徳利を煽ってる射場。そして……行儀悪く立て膝しながら、嬉しそうに黒崎を出迎える一角の姿。

(一角)

 本当に、ずいぶん長いこと会っていなかったような気がする。その姿を目にした途端、ぎゅううう、と胸が締め付けられるように痛くなった。

 同時に、あんな大怪我をしたのにその名残も見られないほど元気な様子に、安堵感がこみ上げてくる。

(よかった……)

 血まみれで横たわっていた姿を見た時は、本当にもう駄目かと、目の前が真っ白になったけど、

「あっ、隊長! そんな飲み方したら、すぐなくなっちまうじゃないスか! お猪口使ってくださいよ!」

「がたがた言うんじゃねぇよ、一角」

「そーだそーだ! ぱちぱち言うなー! ぱちんこ玉ー!!」

 更木や、やちると言い合う一角は普段と全然変わりなくて、安心しすぎて涙まで出てきそうだ。

(やだ、もう……最近、涙もろいわ)

 視界が歪んだ事に慌てて目をこすっていると、

「……あれ、雪音ちゃん? こんなところで、何してるのさ」

「わっ!?」

 いきなり目の前に弓親が現れたので、思いっきりのけぞってしまった。

「ゆ、弓親」

「雪音ちゃんも来たんだね。今カレーとかいうものを皆で食べるから、雪音ちゃんもどうぞ」

「え、あの、ちょっと……」

 断る暇もなく、あれよあれよという間に中へ引き込まれ、気がついたら雪音は一角の隣に座らされていた。

(ちょ……ちょっとーーーーーーーーーーーー勘弁してーーーーーーー!!!?)

 いや、そりゃ、この面子で、あたしが黒崎や射場さんの隣に座ったらおかしいし、弓親と一角どっちかっていったらそりゃ一角の隣が自然でしょうけど、でも今は、顔合わせるだけでも恥ずかしいのに、袖もぶつかりそうなほど近くにいるなんて、今のあたしの許容量超える事態なんですけどーーー!!

「雪音」

「は、はひっ!」

 多分真っ赤になってるだろう顔を上げられず、がちんがちんに硬直してる雪音に一角が声をかけてきたので、思わず飛び上がって返事してしまった。

 素っ頓狂な声に何事と皆が目を丸くする中、雪音の目の前にずい、と椀が差し出される。

「え」

 端の欠けた椀の中には、ご飯の上にさっきのかれーが山盛りにかかっている。

 反射的に顔を向けると、一角がこちらをじっと見つめて、

「……これ、うめぇぞ。お前も食ってみろよ」

 それからふ、と表情を和らげて笑った。

 途端、心臓がひっくり返ってとんでもない勢いで動悸し始めてしまう。

(ちょ……な、何なのその笑顔ーーーーー!!)

 今まで見た事ないような、凄く優しくて、何て言うか、こう、い、愛しくてたまらないみたいなっ、そういう、何かもう心臓に悪いくらい、カッコイイ笑顔なんだけど!!!!!

「あっ、あああああありがとう!」

 数秒と正視出来なくて、雪音はひったくるみたいに椀を受け取ると、勢いよく食べ始めた。

 ――礼儀も味も知った事か、早くこの場を立ち去りたいですあたし!!

 

 その後。

 かれーの凄まじい匂いに根負けしたのか、更木はすぐに退室してしまい、他のメンバーはそのまま無言で食事を続けている。

 射場と一角は茶漬けのようにかっ込み、弓親は髪を押さえながら一口ずつ慎重に、やちるは顔をお皿に突っ込んで、黒崎は小さな匙で少しずつ。

(うう、多い……)

 雪音はといえば、飯の量に負け気味だった。

 辛いものは好きだけれど、十一番隊の椀は普通より大きくて、目一杯盛られると、結構きつい。

 しかもこのかれーという奴は、味が濃いからお腹にずっしり来る感じがして、多くは食べにくい。

(後で胃もたれしそう……胃薬飲んでおこうかな……)

 そんな事を思いながら、やっとの思いで椀を空にした。お茶を飲んで大きくため息をつくと、

「あの、それじゃあたし、行きます」

 慌ただしく立ち上がる。

「えーっ、もう行っちゃうの? ゆっきー」

「なんじゃ鑑原、そんなに仕事がせっぱ詰まってるんか」

 忙しないのに驚いたのか、やちると射場が同時に声を上げる。

(まぁ、そうよね。これまでだったら、もうちょっとのんびりお喋りとかしてたもの)

 けれど今はもう一角のそばにいるだけで、色々爆発してしまいそうで怖くて恥ずかしくて、一刻も早く逃げたい。

「今日は様子見に来ただけですから。あの、黒崎、かれーごちそうさま。朽木さんに美味しかったって、伝えておいて」

「おお、分かった」

「雪音ちゃん、忙しくないんだったら、もう少し休んでいってもいいんじゃないかな」

 弓親が一角と雪音を見比べて、そんな事を言う。

 こ、こいつは、あたしが今どんな気持ちになってるか、分かった上で言ってるわね……。

「い、忙しいのよ。休んでた分仕事たまってるから、片づけなきゃいけない事多いし」

「……そう?」

 まだしばらく検査漬けの日々だろうから、いつもの仕事とは違うのだが。勘が良い弓親は疑わしげな視線を向けてきたけど、

「それじゃ、失礼します」

 雪音はそれを振り切るようにして席を立った。

 戸口で腰を下ろし、草履に足を通して紐を手に取った時、

「雪音」

 いきなり背後からずしっと何かがのしかかってきて、耳元に低い声が響いた。

(えっ)

 一瞬やちるかと思ったけど、重さも気配も全然違う、もちろん声だって違う。

 ぐ、と肩を掴む、手の大きさだって……ちが……

(なっ……い、一角!?)

 誰が後ろにいるのか分かって、雪音は再度硬直してしまった。

 一角が後ろから、ぴったり覆い被さってきて、あまつさえ肩を抱いて、その反対側の肩口に顔まで寄せてる……ちょ、今振り返ったら、顔が、顔が間近にあるんですけど何何何なのこれーー!!

「雪音、お前さ」

 あまりの事にだらだら汗をかいて凍り付く雪音に、一角は低い、空気を吹き込むみたいな囁き声で語りかけてくる。

 耳に息がかかって、くすぐったいわ恥ずかしいわでどうしようもないんですけど、

「ちょ……は、離れて……」

 辛うじて声を絞り出すと、一角は軽く笑って、肩を抱く手に力を込めた。ひゃっ、ちょ、く、口が耳にあたっ、

「今日、俺ん家に来いよ」

 …………。

 …………。

 …………。

 …………。

「は、はぁっ!!? なっ、あっ、あんたっ、なななななな何言ってんの!!!?」

 耳に入ってきた言葉が頭に達するのに数秒かかった後、雪音は天も裂けよとばかりに絶叫してしまった。

(い、今まで一角の家に行った事はそりゃあるけど、大体いつも飲み会で、皆で気兼ねなくわいわいするために行ってただけで、一人で行ったのは、あの、その、一角にごにょごにょされそうになった時だけで……ってこの状況で一角の家に行くってのは、つまりそういう事になるしかないでしょうよ!)

「むっ、無理! ムリムリムリ!!」

 思わず一角の手を振り払い、自分の身体を抱えて逃げるように後ずさった。

 とはいっても戸口の事なので、それほど距離が空くわけでもなく、背中が戸に当たってしまう。

 これじゃ駄目だ、すぐ外に出ないと。そう思ったのに、一角は雪音の腕を掴んでつなぎ止めてしまう。

「無理じゃねぇ。俺達、色々あるだろ? 話し合わなきゃならねぇことが、色々」

「い、いろいろ……」

 それは……あるような……無いような……いや、ある、けど。だけど、でも!

「い、いきなり、家とか……そんな、無理だって……」

「……別にどうこうしようってんじゃなくて、話だけでもしてぇんだけど」

「えっ」

 そ、それは……あ、うん、そりゃそうよね! あたしいきなり変な事考えすぎかも! と思ったら、一角がニヤッと口の端を上げて、

「まぁ、『どうこうする』のでもいいぜ? 俺は」

「ばっ……馬鹿、何言って、」

「……嫌か?」

「いっ……」

 嫌、と即答できない自分に今凄くびっくりしてるんだけど、本当になんなのこれは!

 だ、だって今、顔見るのも出来ないくらい恥ずかしくてたまらないのに、その上一角とごにょごにょするなんて無理だと頭では思ってるのに、

「雪音……」

 火が出そうなくらい真っ赤になってるだろう顔を隠したいのに、一角は覗き込んできて、優しくて低い声で名前を呼ぶ。

 真っ直ぐにこっちを見つめる瞳を見ていられなくて目を閉じると、一角の息づかいが、頬に、唇に触れるのが分かる。

(あ、キスされ、る?)

 前もこんな事あったっけ、どうしよう、逃げなきゃいけないのに。そう思いながらも身体が動かなくて、ただただ硬直していると、

「あくとうせいばーーい!!」

「ごふぅっ!!」

 不意に無邪気な声と共に重い打撃音が響いて、気配が遠ざかる。

 何事かと目を開けると、土間に落ちた一角の上にやちるがのしかかっていた。

「もー駄目だよゆっきー! いやならいやって言わなきゃ、ぱちんこ玉調子に乗るんだからー!」

「や、やちる副隊長……」

 ……これも前に似た光景を見たような……。

「場所選べぇ、一角。こげなところじゃ、邪魔入るんは当たり前じゃろ」

「一角……お前、ちょっとは周りを気にしろよ……」

「そもそも、よくこんな臭いもの食べた後にしようと思うね。気配りが足りないよ一角」

 続いてかかった声にハッと振り返ると、今までご飯に集中していたはずの面々が皆、あきれ顔だったり、顔赤らめたりしてこっちを見ていた。

 ちょ……今の全部見られてた!? てか見るわよね、こんな間近でこんな事してたら見るわよねそりゃそうよね!

「しっ……失礼します!!!!」

 雪音は勢いよく立ち上がると、草履の紐を締める間もなく、十一番隊を飛びだした。

「雪音、ちょっと待てこら!」

 背中から一角の、怒りを帯びた声が聞こえてきたけど、もちろんそれで立ち止まれるわけがない。

 あぁ、恥ずかしくて誰とも顔合わせられないわよ、もうこんなのやだーーー!!


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