十一、四   作:なんじょ

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やがて辿り着く場所へ

 一角達と別れた雪音は、やちるを追って走っていた。

 遠ざかる背後の戦場で、地響きや轟音が響くのが聞こえてくるたびに足を止めたくなったが、歯を噛んでこらえる。

 本当は、止めたい。

 同じ死神同士で戦って何になるの、やめてと叫びたい。

 それに一角達が、一角が、傷ついてしまったらと思うと、ぞっとして泣き出したくなる。

 けれど自分には、

『お前はルキアちゃんを助けるんだろ』

(……あたしには、やらなきゃいけない事がある)

『邪魔する奴は俺がたたきのめしてやるから、早く行け』

 そう言ってくれた一角の気持ちを、無視したくない。

 だからここで立ち止まるわけにはいかない、自分のすべき事に集中しなければ。

「……っ」

 ぐ、と顎に力を入れて決意を固めた時、道の先に死覇装の人だかりが見えた。その中にピンク色の髪がちらりと揺れる。やちるだ。良かった、追いついたみたいだ。歩を緩めて、

「やちる……」

 声をかけようとした時、会話が耳に飛び込んできた。

「……だから、君の道案内じゃ頼りにならないって言ってるんだよ!」

「そんな事ないもん!」

「ないもん、じゃない! ただ当てずっぽうに走ったって意味ないだろ。大体君は……「このメガネ何してんのよ!」

 考えるより先に口と手が動き、

「うぶっ!?」

 幼女に食ってかかる石田に投げつけた鞄がヒットする。

 そのままひっくり返る眼鏡をよそに、駆け寄った雪音はやちるを抱き上げて、頬ずりした。

「大丈夫ですかお怪我ありませんか、やちる副隊長!!」

「わーいゆっきー、おいついたんだね」

「すみません、こんな無礼で野蛮な旅禍の中でお一人にしてしまって……!」

「いや、俺もいるんだけど……」

「だ……誰が野蛮だ……」

 荒巻と、鞄を放り投げた石田が同時に突っ込んできたが、雪音はじろりと睨み付けた。

「うるさいわね、こぉんな可愛い女の子にかみつくなんて男として、いや人として恥ずかしくないの!?」

「人聞き悪いな! 僕は別にいいがかりをつけていたわけじゃない!」

 石田は陰険に光る眼鏡の向こうから、刺すような視線を返してくる。

 お互い険しい顔でそのままにらめっこをしていると、

「あの雪音さん、落ち着いて下さい!」

「……ム」

 見かねた井上と茶渡が割って入ってきた。

「石田君とやちるちゃんはケンカしてた訳じゃなくて、これから先どっちに向かったらいいかって、話し合ってたんです」

「え? どっちって」

「黒崎君のところに行きたいんですけど、霊圧が感じられないから、どこにいるのか全然分からなくて」

「そんなの……わりと今更じゃない?」

 分からないからさっきまで、あちこち走り回ってたんだし。思わず呟くと、石田が眼鏡を押し上げ、嫌な笑みを浮かべる。

「だから、その子が言うまま当てずっぽうに行動しても仕方ない、と話をしていたんだよ」

「うっ……」

 そういう事なら、あまり強く言えない。

 やちる副隊長、方向音痴……いやいや、勘を働かせて道を選ぶから、その勘が外れる事もあるのよね。

「えー、えー、っと……まぁそれなら仕方ないっていうか……」

「……まず謝ってくれないか。この鞄、かなり痛かったんだが」

「……悪かったわよ」

 言いがかりだったようなので、雪音は渋々謝って鞄を受け取る。それで、と話を続けた。

「黒崎がどこに向かうか、あてはないの?」

「あて、と言われても……」

「そりゃ、あの死神のところだろ。一護はあいつを助けに来たんだからよ」

 壁によりかかった岩鷲が、なぜか苦々しげな表情で口を挟む。

「朽木さんのところっていうと……」

「……懺罪宮というところにいた、と聞いた」

 茶渡が指さしたのは、一際高くそびえる白い塔。確かにルキアはあそこに収容されていたはずだ。だけど、と石田が手を振った。

「あそこは黒崎や岩鷲君達が突入したんだろ?

 向こうだって馬鹿じゃない。僕達の目的が朽木さんと知って、いつまでも同じ場所に監禁してるとは思えないな」

「……」

 何となく口に出して同意したくないが、確かに石田の言う通りだ。ルキアはもう別の場所に移送されてる可能性が高い。

 しかしその「別の場所」が何処なのか、雪音は知らない。

 処刑に関する情報は隊長格にしか報告されていないはず……そう思ったところで、はたと気づいた。

「そうだ、やちる副隊長!」

「え? なぁに、ゆっきー」

 腕の中の愛らしいお顔を見下ろし、雪音は勢い込んで尋ねる。

「何か、朽木さんの処刑についての通達はありませんでしたか?」

「るっきーの事? う~~~んとねぇ」

 やちるは小首を傾げ、しばらくう~~~んと、難しい顔で考え込んだ後、「あ、そうだぁ」と明るい声を上げた。

「あのね、るっきーのしょけいね、今日のお昼にするってきいたよ!」

「なっ……」

「え」

「……」

 

『えええええええええ!!!!!???』

 複数の叫びが重なり、空をつかんばかりの勢いで響き渡る。

 

「ちょ、ちょっと待ってやちるちゃん、今日のお昼って、お昼なの!?」

「どうして、まだ刑の執行までには日があるはずじゃなかったのか!」

「このチビ、何でそんな大事な事をもっと早くいわねぇんだ!」

 泡食った面々に詰め寄られ、あたし知らないもーん、と頬を膨らませたやちるはとても可愛らしい。……が、さすがに今はそんな事を言ってる場合じゃない!

「あ、荒巻、今何時!?」

「へ!? え、えーっと……」

 裏返った雪音の声に荒巻は慌てて伝令神機を引っ張り出し、時刻を告げる。

 それを聞いて、さぁっと血の気が引いた。

「あ、あと四半刻しかないじゃない!」

「四半刻、三十分か! それなら朽木さんは処刑場へ移動してるんじゃないか?」

「処刑場……じゃあ、もう双極の丘に……!」

 ばっと振り仰いだ先、瀞霊廷の端のほうへ身体を向けると、こんもり盛り上がった小高い丘の上に、磔架の姿が微かに見える。

 斬魄刀百万本の威力に匹敵すると言われる矛も見えたけど、まだ解放されてはいないようだ。

「朽木は、あそこで処刑させられるのか」

 茶渡が同じ方へ目をこらし、それなら、と大きな手を握りしめた。

「一護は、必ず居る」

「そうだよね、黒崎君なら、絶対朽木さんを助けるはずだもの!」

 井上もまた小さな手を拳にして力説する。石田が口の端を上げた。

「なら、これで目的地は決まったね。闇雲に走る羽目にならなくて助かったよ。それじゃあ「決まったらさっさと行くわよ!」

 嫌みったらしいその声を遮って宣言し、雪音は先頭切って走り始めた。

 黒崎があそこに居るかどうかなど分からない。そもそも、そんな事はどうでも良い。

 それよりも何よりも、ルキアの処刑まであと四半刻しかないという事実が、絶望と恐怖と焦りを煽る。

(朽木さん……間に合って!)

 歯を食いしばって祈りながら、雪音は力を込めて地面を蹴った。少しでも早く、あの場所へ辿り着くために。

 

 

 刑の執行まで間が無い事に焦りながら、一行は双極の丘に向かった。

 途中、他隊の死神達と出くわしたが、やちるはもちろん、旅禍達も意外と強く、大した戦闘にもならなかった。

(なるほど、こんな少人数でソウルソサエティに乗り込んでくるだけあるわね……)

 いくら治癒したとはいえ、大怪我した後で本来の力は出せないだろうに、石田と茶渡は明らかに雪音より強い。

 これは普通の死神じゃ手を焼くはずだわ、と変に感心していたら、

「なぁっ、あんたっ、鑑原とか言ったよなっ!」

 大きく手足を振って走る岩鷲が、急にこっちへ寄ってきた。

「ちょっと、聞きてぇ事が、あるんだけどよっ」

「な、何っ?」

 切れる息の下で何とか答えると、相手は眉根を寄せた難しげな顔で言葉を継いだ。

「あんた、何で、俺達に、着いて、きたんだ?」

 ……えっ、今更何それ。

 と思ったが、よく考えたら一角以外にはきちんと理由を話していなかった気がする。

(……そうね。旅禍はともかく、岩鷲君には言っておいた方がいいかもしれない)

 雪音は岩鷲の目を見て、強い口調で告げる。

「それは、もちろん、朽木さんを、助けるためよ!」

「あいつをっ?」

 途端、岩鷲の顔が大きく歪む。あからさまな怒りの表情に、雪音は思わず怯んでしまう。

(えっ、あたし何か変な事言った?)

 戸惑うこちらへ、岩鷲は険しい表情で低く唸った。

「何でだ」

「え?」

「何で、あいつを、助けたいんだ」

「何で、って……だって、朽木さんは、海燕さんを、連れて帰って、くれた、から」

「連れて帰ってきただ!?」

 いきなり叫び、岩鷲は足を止めてその場に踏みとどまった。

 不意の大声に驚いて皆が立ち止まる中、岩鷲は怒りに燃える目でこちらを睨み付けてくる。

「お前、あいつがアニキに何したのか知らねぇのかよっ」

 突然の問いかけに反応出来ず、雪音は黙り込んでしまった。

(……朽木さんが、海燕さんに何をしたのか?)

 どういう意味だろうか。

 確かに雪音は、あの日の事を見聞きしたわけではない。

 都を殺した虚を、海燕と浮竹隊長、ルキアの三人で倒しに行ったが、

「……あの時、海燕さんが虚に身体を乗っ取られたんでしょう? だから……」

 彼らが相対したのは、死神の身体を乗っ取り、意のままに操る虚だった。

 そのせいで浮竹隊長が海燕を、その手にかけるしかなかったと聞いている。

 岩鷲が怒っているのはその事だろうか。

 だが、それとルキアに何の関係があるのだろう。共に戦いながら、兄を救えなかった事が許せないのだろうか。

「あぁそうさ。だから、あいつはアニキを」

 戸惑う雪音に、岩鷲がずいと詰め寄ってきたその時。

 

 ……ブンッ!

 

 不意に空気が揺れた。ついで冷たい烈風が一瞬吹き抜け、地響きで地面が震え始める。

「!?」

「な、何だろう、あれ……」

 呟く井上の視線が向いていたのは双極の丘だった。

 同じように丘を見上げて、雪音は息を飲む。

 丘の上に立つ、巨大な矛。百万本の斬魄刀にも匹敵する威力を持つといわれる双極が、ゆらりと揺らめいて見えた。あれは……もしかして解放の前触れか!

「やちる副隊長!」

「……始まったかな? 処刑」

 焦る雪音にぽつり、と呟いたやちる副隊長。石田が驚いて目をむく。

「えっ!? それなら急がないと……!」

 そうだ、こんなところで立ち止まってる場合じゃない! 慌てて足を踏み出そうとしたところで、

「あたし、先行くね」

 不意にやちるが気楽な口調でそう言い出したので、雪音はええっと声を上げてしまった。

「やちる副隊長、何でっ!?」

「処刑はどっちでもいいんだけど、あそこにはいっちーが来てるかもしんないからね。いっちーは手伝ってやんないとね」

「あ……ありがとう……」

 突然の申し出に驚いたのか、井上が驚き顔のままお礼を言うと、やちるは弾けたように笑った。

「へーんなの、なんでぷるるんがお礼?

 いっちー助けるのなんてあたりまえじゃん、いっちーは剣ちゃんのともだちだもん」

「……」

「やちる副隊長……」

「……隊長と旅禍が友達……?」

 何の理屈もない、やちるのまっすぐな言葉に旅禍達は言葉を失う。そんな中でこっそり一人首を傾げる荒巻をよそに、

「つよいやつはあたしが片してとくからねっ! ザコはよろしく!」

 言葉が終わるか終わらないかのうち、その小柄な身体がぐっと沈み、

 ドンッ!

 一瞬地面が揺れるほどの勢いで前に跳びだした。

 そのまま土煙だけ残して、あっという間に消え去ったやちるに驚いたのか、

「は、迅い……!」

 石田が目を瞬いたので、雪音は胸を張った。

「当たり前じゃない、やちる副隊長は凄いんだから!」

「……何で君が偉そうなんだ」

 不服そうに眼鏡を押し上げる石田。

 その横で、やちるを見送った井上が小さく「ありがと」と呟いた。

 ……何だろう、嬉しそうな、優しい声。

 気持ちが込められた感じの物言いは、単純にやちるへの感謝を示しているだけ、ではないような気がする。

(良くわかんないけど……よっぽど、黒崎を助けたいのかな)

 そうでなかったら、黒崎に助力するやちるにわざわざお礼なんて言わない気がする。

「……俺達も急ごう」

 今まで黙っていた茶渡がぼそり、と言い放って再び走り始める。

(あぁそうだ、だからこんなところでぐずぐずしてる場合じゃない!)

 気を取り直して走り出した雪音を、岩鷲が追い抜かしていく。すれ違いざま、

「……俺は、一護があいつを助けるって言うから行く。それだけ、だからな」

 ぶっきらぼうに言い捨てて、前に出る。

 怒りさえ含んだその言葉に何も返せず、雪音は黙ってその背中を見送った。

(……何だろう。海燕さんと朽木さんの間に何があったの?)

 もしかしてあの日の事は、何か自分の知らない事実が隠れているんだろうか。

(気になる)

 知りたい。聞きたい。教えて欲しい。

「……!!」

 急速に大きくなっていく好奇心を、けれど口に出すより先にぐっと飲み込んだ。

(余計な事を考えちゃ駄目)

 もう処刑が始まってしまう。

 今はルキアを助ける事に集中しなければ。

 

 

 岩鷲の口ぶりが気にかかったものの、それはひとまず頭の片隅に追いやり、雪音は旅禍とソウルソサエティを駆けた。

 立ちふさがる死神達を振り払い、時に傷つけて突破する。

「鑑原五席、なぜあなたが……!」

「いったい何のつもりだ! 旅禍を庇うのか!?」

 旅禍と行動を共にする雪音を見て驚く人達も居て、驚愕と怒りを投げつけられるたびに、返す言葉を失ってしまう。

(あたしはただ、朽木さんを助けたいだけ)

 そう思っていても、今の自分がしている事は、ソウルソサエティへの裏切りに他ならない。だから言い訳が出来ない。

(ごめんなさい)

 烈や勇音の悲しそうな顔を思い浮かべたら、胸に刺すような痛みが走った。

 雪音は爪が食い込むほどきつく拳を握りしめ、荒く息を吐き出した。

(ごめんなさい。今は、今だけは……!)

「……なのか!?」

「えっ!?」

 不意に大きな声が耳に突き刺さり、びくっとしてしまう。我に返ると、石田が苛立った顔をこちらに向け、

「双極の丘はこの上で良いのかって聞いてるんだ!」

 指で示した先には、垂直にそびえ立つ巨大な岩壁があった。

 その壁に刻まれた石の階段はジグザグと何度か折り返しながら、長く長く伸び、頂上まで繋がっている。

「そうよ! あがって!」

「あぁ」

 茶渡が無愛想に応えて、石段を一気に駆け上る。けれど半ばまで上ったところで、頭上に影が差した。

「!?」

 顔を上げると、空にぽっと浮かんだ黒い点が見えた。

 みるみるうちに近づいてきたそれは塔ほどの大きさの巨大な柱で、ブォン! と重く空気を引き裂いて、階段のすぐ側を通り抜けた。

「きゃあっ!?」

「井上さん!」

 殴りつけるような風に煽られて皆よろけ、階段の縁から外に放り出されそうになった井上を間一髪、石田が腕を掴んで引き戻す。

「大丈夫、井上さん」

「う、うん、ありがとう石田君……」

 彼女の無事を確認した石田は、ほっと息をついてから空を見上げた。

 途端、色白のその顔から音を立てて血の気が引く。

「……何だ、これは?」

「え?」

 何事かと視線を上げた雪音は、そこで声を失った。

 それまで何事もなく頭上に広がっていた青空が、白く輝いている。

 いや違う、空よりもなお明るい光が、辺りを眩しく照らしている――空全てを覆い、焼き尽くすほど圧倒的に巨大な、炎の羽根が。

「やばい……双極が、解放されたんだ!」

 顔色を失った荒巻が、震えながら愕然と呟く。なっ、と岩鷲が息を飲んだ。

「じゃあ今、処刑の真っ最中かよ!?」

「もう間に合わない……っ」

 囁いた声は自分でも聞き取りにくいほど、掠れていた。絶望に目の前が暗くなり、足が萎えてへたり込みそうになる。

 解放された双極を止められるものなど、何もない。

(駄目だ、朽木さんが、朽木さんが死んでしまう、また、また目の前で人が死ぬ……!)

 救いを求めるように曲げた指が、血を流して泣く虚ろな目が、山となって積み上がる死体が、半身を失い物言わぬ死体となって戻ってきた都の顔が、眼前に迫って、雪音の意識を覆い尽くす、その瞬間。

 

 ……ギキィィィィィィン!!!!!

 

 何百本もの刀を一度に折ったような甲高い音が、世界を引き裂いた。

「うあっ!」

「きゃぁっ!!」

 耳をつんざく音に耐えかね、手で塞ぎ思わず膝をついた時、辺りを煌々と照らしていた炎の影がふ、と消える。

 ――双極が、処刑を終えたのだろうか。

 本来の色を取り戻した視界で事実を見るのが恐ろしくて、耳を塞いだまま、雪音は俯き震えていた。けれどその耳に、

「……この霊圧は、何だ?」

 驚きのような、恐怖のような疑問の声がこもった音になって届く。

「……え?」

 霊、圧?

 何の事かと顔を上げると、旅禍達が揃って双極を見上げている。その顔には一様に、驚愕の表情が浮かんでいた。茶渡が低く呻く。

「何て巨大な霊圧なんだ……」

「これは……、……黒崎、か?」

「……まさか! あいつ、ここまでデケェ霊圧じゃなかっただろ!? こんなの、更木よりもすげぇじゃねぇか!」

 鳥肌の立った腕をさすり、岩鷲が叫んだ。そうなんだが、と言いよどむ石田の横で、

「……でも、黒崎君だよ」

 不意に井上が、確信に満ちた口調で言った。迷いのない真っ直ぐな視線で頂上を見上げ、

「霊圧がどんなに大きくなっても、根っこのニオイは変わらない。……黒崎君の他に、こんな人いないよ」

 はっきり言い切った。

「井上さん」

 石田があるかなしかの声で呟いた時、

 

 ドォン!!

 

 今度は地面が揺れた。頂上付近でぶわ、と土煙が上がり、微かにざわめきが聞こえてくる。

「……さっそく、暴れてるらしいな」

 茶渡が呟き、石段に足をかける。

「行こう。一護と朽木のところへ」

「うん!」

「……あぁ。そうだね」

「だな」

 茶渡の言葉に仲間が頷き、再び走り始める。

 取り残された荒巻は正気かよ、と青ざめた顔で後ずさった。

「何であんなのが居るところに行かなきゃならねぇんだよ、冗談じゃねぇ……おい鑑原、俺らはもうここらで良いんじゃ……おい?」

 こっちに向けて言葉をかけられている、それは分かっていたけれど、荒巻の声は耳を素通りする。雪音はきつく拳を握りしめ、震えていた。

 何かが、起きている。

 旅禍の言う通りなら、ルキアの処刑は黒崎によって止められたのかも知れない。彼女を助ける事はまだ出来るのかも知れない。

 それは良い。それは良いのに、どうして。

 

 どうしてあたしは、それほど巨大な霊圧を、何も感じられないの?

 

「……っ!」

「ま、待てよ鑑原、置いていくなって!!」

 足下から立ち上ってくる恐怖から逃れるように、雪音は走り出した。

 いくら霊圧感知の能力が低いといって、一筋も霊圧が分からないなんて、あり得ない。

 そうだ、黒崎と思われる霊圧以前に、解放された双極の霊圧だって何も感じなかった、それだっておかしすぎる。

 これじゃまるで、まるで……ただの人間のようだ。

(嘘よ!)

 石段を削るような勢いで踏み込み、駆け上がりながら、歯を食いしばる。

 霊力が無くなってしまったなんてそんな事、あるわけない。

 そんな事になったら自分は、鑑原雪音という死神は、居なくなってしまう。

(そんなの、嘘よ!)

 髪をかきむしり叫び出したいほどの衝動に駆られながら、雪音はひたすら階段を上った。

 息が切れ、無茶苦茶に動かした足に鋭い痛みが走り、つんのめりそうになる。

 それを無視して段を踏み抜いた時、不意に視界が開けた。

 立ち並ぶ白い枯れ木の林。それを目にして足を止めた途端、ゴォッ!と音を立てて烈風が前方から叩き付けられた。

「!」

「黒崎君!」

 林をなぎ倒すように吹き付けるそれは、どうやら黒崎の霊圧が発する圧の風らしい。

 重てぇな、と岩鷲が呻いて額の汗をぬぐう。

「嘘みてぇだぜ、これが一護の霊圧だなんてよ」

「……妙だ……」

 ふ、と茶渡が呟き、林の向こうを透かすように顎を上げた。

「え?」

「朽木の霊圧が無い……。この先で磔になってる筈じゃないのか?」

「あの子ならもう逃げたよ」

「やちる副隊長!」

 割り込んできた声に見上げると、樹上の枝にやちるが腰掛けているのが目に入った。そちらへ顔を向け、

「どういうことだ? 朽木を逃がせたなら、どうして一護はまだ戦ってる……?」

 問いかけた茶渡に答えたのは、石田だった。

「……甘い相手じゃないって事だよ」

 眼鏡を押し上げ、静かに言葉を紡ぐ。

「朽木さんを本当に助ける為には、相手の全てを叩き折って、『朽木さんを処刑する』という相手の気構えそのものを砕く以外に方法は無いんだ。……だから黒崎は戦ってる」

 ひた、と視線を林の向こうへ据えて、告げる。

「おそらく自分の全てを賭けて……!」

「……!」

 自分の全てを、賭けて。

 その言葉が重く、胸に落ちた。

 黒崎がどんな奴なのか、自分は知らない。

 旅禍は、ソウルソサエティに禍をもたらす忌まわしい存在に過ぎない。けれど……。

「……あんたら、どうかしてるぜ……。朽木ルキアはあんたらの何だ、ただの仲間だろ!? ただの仲間のために、そこまでして戦うか!?」

 全く理解出来ないという表情で身体を震わせる荒巻の言葉に、

「ただの仲間じゃないよ」

 柔らかく井上が応えた。

「黒崎君にとって、朽木さんは大切な人」

「井上さん」

 彼女を何故か気遣うように、石田の声が揺れる。井上は胸の前で手を組み、そっと言葉を落とした。

 

「だって朽木さんは黒崎君の、――世界を変えた人だから」

 

 ――しん、と落ちた沈黙の中、あたしは自分の腕を掴み、握りしめた。

 そして足をひねり、身を翻す。

「……おい、どこへ行くんだ」

 背中にかかる石田の声に、振り返らずに答える。

「決まってるでしょ、朽木さんを助けに行くのよ。ここにいないのなら、探しにいくしかないわ」

「えっ……でも」

「黒崎が死のうが何しようが、あたしにはどうでもいいわ。朽木さんが無事なら、もうあんた達に関わる理由なんて無いのよ」

 吐き捨てるように言うと、後ろがざわめいた。何を、と気色ばむ石田の気配がしたけれど、それより先に、

「鑑原さん、有り難うございました!」

 予期しない感謝の言葉に、思わず足が止まった。

 肩越しに振り返ると、井上がこちらに向かって深々と頭を下げている。

「有り難うって……」

「ここまで一緒に来てくれて、有り難うございます。朽木さんの事、お願いします!」

 そう言って顔を上げた井上は、こんな状況にも関わらず、優しげな笑みを浮かべてこちらを真っ直ぐに見つめてきた。

 曇りのない笑顔は虚を突かれるほど綺麗で、雪音は怯んだ。張りつめた気持ちが緩み、つい苦笑する。

「……本当にあんた、変な子ね」

「え?」

 自分はただルキアを助けたくて来ただけで、礼を言われるような事なんてしていないのに。

 まるで我が事のように、当然のごとく感謝の言葉を差し出すなんて、馬鹿みたい。

「……じゃあ、行くわ。やちる副隊長、お気を付けて」

「うん、まったねー! ゆっきー」

 このまま一緒に居たら、余計な情が移ってしまいそうだ。雪音は井上から副隊長へ視線を移し、振り切るように走り出した。

「……気を付けていけよ!」

 階段を駆け下りる時、石田の声が聞こえたような気がした。

 

* * * * *

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」

 双極の長い階段を降り立った雪音は一人、ソウルソサエティの道を走り続けた。

 ルキアを探すと言ったは良いものの、今の自分には霊圧を感じる事が出来ない。

 これではどうやって見つければ良いのか、と途方に暮れたが、

(もしあたしが朽木さんなら、とりあえずソウルソサエティから抜け出す事を考えるわよね)

 そうなれば瀞霊門から流魂街へ抜けるか、あるいは穿界門から現世へ行くか。

 それならきっと穿界門の方を選ぶだろう。

 案内役の地獄蝶が居ないので、入った途端に断界へとばされて、下手したら拘流に飲み込まれてしまうかもしれない。が、ソウルソサエティの追跡を逃れるなら、そっちの方が確実だ。

 そこまで考えた雪音は今、穿界門へ向かっていた。

 ルキアがそちらに向かってる確証なんて全く無いが、何もしないでオロオロしてるよりはマシだ。

(朽木さん……っ)

 どうか、無事でいて欲しい。死なないで欲しい。

 海燕のためにも、ルキアの為に戦ってる黒崎のためにも、生き抜いて欲しい……。

 唇に血が滲むほど強く、そう願いながら道の角を曲がった時。

 同じタイミングで、前方の角から人影が勢いよく飛びだしてきた。

「あっ……雪音さん!」

「えっ!?」

 いきなり名前を呼ばれて、思わず足が止まる。肩で息をしながら見返した相手は、

「あ、阿散井君っ」

 同じように息を弾ませた恋次だった。

 旅禍に倒されて重傷を負ったはずの彼が何故こんなところに?

 疑問を投げかけるより先に、その腕に抱かれた白い着物姿の少女に気がつき、雪音は息が止まりそうになった。

「く……朽木さん!」

 距離が開いていたから表情までは見えなかったが、その姿かたちは間違いなくルキアだった。

 力のない様子で顔を上げたルキアが「……鑑原五席……?」小さく囁いた声が聞こえたか否か、の刹那――

 黒い影が視界を遮った。

「え?」

 音もなく現れたのは死神の男だった。こちらに背を向けていたので、一瞬誰か分からなかったが、

「……と……東仙隊長……? 何で……こんなところに……」

 驚愕にひび割れた恋次の声で、それが九番隊の東仙隊長だと気づく。

「と、東仙隊長……朽木さんを追って、来たんですか?」

 まずい、ここで隊長格に見つかってしまったら、ルキアを逃がすなんて到底無理だ。

 だが情に厚い東仙なら、もしかしたら見逃してくれるかもしれない。そんな思いで背中に問いかけると、

「…………」

 盲目の男は無言で肩越しにこちらを振り返り、そして手を横に伸ばした。その手に持っていた布がシュルリ、と音を立てて揺れ、

「な!?」

 そして突然渦を巻くように広がった。

「きゃあっ!」

「何だよこれは……!」

 布は東仙を中心に凄まじい勢いで回り、雪音と恋次達を取り囲んだかと思うと、次の瞬間視界を塞いだ。

 思わず顔を手でかばったけれど何の意味もなく、身体がふわと浮かぶ上がる。

 足下の地面の感触が消え、不意に空中へ投げ出され、どこまでも落下していくような感覚に喉から悲鳴がほとばしるが、その奇怪な感覚もすぐ溶けるように消えた。

 始まったのと同じように突然視界が明るくなり、草履の下に固い地面の感触が蘇る。

「あうっ!」

「うっ、げほっげほっ!」

 落下感に堪えられず、雪音も恋次も膝をついて咳き込む。何だってんだ一体、と呻いた恋次が、

「何だ、ここは……双極の丘!?」

「えっ!?」

 そう叫んだのが耳に突き刺さり、雪音は慌てて顔を上げた。

 そこは確かに双極の丘だった。

 先ほど旅禍と居た入り口の場所ではなく、双極の磔架が高々と立つ、処刑場の方だ。

 何があったのかは知らないが、磔架は二本の柱を結ぶ横棒がまっぷたつにされ、周囲にもあちこちの地面に穴が開いていて、激しい戦闘の跡を窺わせた。

 ここで黒崎が誰かと戦っていたらしいから、そのせいでこんな有様になっているのかも知れない。

 周囲を見回したけど、処刑の際に揃っていただろう隊長格の姿は、東仙以外、誰もなかった。

「東仙隊長……あの、これは……?」

 どうやら雪音達は、ここへ強制移動させられたらしい。

 しかし磔架は破壊されてるし、総隊長も居ないこの状況で、ルキアを処刑なんて出来ないだろうに、なぜ双極の丘へ来たんだろう。

 そう思いながら、未だ無言のまま立っている東仙へおそるおそる声をかけた、時。

 

「ようこそ。阿散井君、鑑原君」

 

 聞き慣れた声が耳を打ち、雪音は身体を打ち抜かれたように硬直してしまった。

 心地よく響く落ち着いた、優しく柔らかい、低い声。もう二度と聞く筈のないその声は。

 

 まさか。そんなはずは。

 

 真っ白になった頭の中で響く二つの言葉を、唇だけ動かして発しながら、雪音はそちらへ、ゆっくり振り返った。

 

 まさか。そんなはずは。だって。この人は。

 この人は、亡くなったはず……!

 

「……藍染……隊長……!?」

 

 

 

「藍染隊長……ど、うして……」

 今目にしているものが信じられず、自分の声さえ遠くに聞こえる。もしかして幻でも見ているのかと思ったが、

「僕が生きていて、驚いたかい? 鑑原君」

 藍染はいつものように落ち着いた柔らかい笑みを浮かべる。それは、だって、と雪音は言葉に詰まった。

 あの時、藍染の刺殺体を見つけた時、雪音自身がその体に触れて確認した。

 確かに、間違いなく、藍染の息が、脈が止まっているのをこの手で、胸に負った致命傷をこの目で確認したのだ。

 藍染惣右介が生きてるはずがない。それは確かだ。

 ……それなのに、今目前にいるのは、紛れもなく藍染隊長その人で……。

「嬉しないの? 雪音ちゃん」

 不意に飛び込んできたのは、からかうような調子の声だった。ハッと目を瞬いてから、雪音は思わず息を飲む。

「い、市丸……隊長?」

 いつからそこに居たのだろう。藍染の後ろには市丸が立っていた。

「えらい驚いてはるねぇ。でも、アコガレの藍染隊長にまた会えて、嬉しいやろ?」

 市丸もまた普段と変わらず、何を考えてるか分からない笑顔をこちらに向けてくる。

(……どうして、この人が藍染隊長と一緒に居るの?)

 隊長同士であれこれある中でも、この二人は特に仲が悪そうだった。

 こんな風に二人連れだってるところなんて、これまで見た事もないのに、何故こんな時に?

 混乱する雪音に、市丸がそれとも、と意地の悪い声音で続ける。

「それともやっぱり、藍染隊長は死んどった方が良かった?」

「……なっ!」

 そんなわけ無いじゃない、藍染隊長本人の前でこの人は、何て事を言うのよ!

 カッとなって立ち上がった雪音は市丸を睨み付けたが、瞬間的にわき上がった怒りが喉に詰まり、言葉が出てこない。

 市丸はおどけるように肩をすくめ、

「いややなぁ、冗談、冗談。そんなに怒らんどいて」

 軽く言い放つ、その軽薄な態度がまた腹立つ……。

 そこへ、雪音の後ろにいた恋次が、

「……あの、状況が良く分かんねぇんすけど……もしかして藍染隊長、死んだフリしてたって事っすか?」

 おずおずと疑問を口にした。

「あぁ……」

 藍染は恋次へ視線を投げた。眼鏡が光を反射してその目を隠し、すぅ、と唇の端が上がる。

「君は後だ、阿散井君」

「え」

「今は彼女と話をしたいのでね。君は朽木ルキアを離さず、そこにいたまえ」

「……は?」

「……ッ!」

 意味が分からず、恋次が気の抜けた声を漏らす。

 一方雪音は、聞いたこともない冷淡な藍染の声に、背筋にぞくりと震えが走った。

(何?)

 不意にわき上がってきた強い違和感。何だろう、これは。

 姿形も、仕草も表情も、何もかも藍染惣右介その人に他ならないのに、今目の前にいるこの人は、他人かと思うほど、まとう雰囲気が全く違う。

 穏やかで、全てを包み込む優しい空気は跡形もなく消え失せ、冷たく、重い『何か』が、藍染の全身から発せられているようで、見ているだけで息苦しくなってくる。

(何なの、これは)

 正体の分からない恐怖に、雪音は思わず後ずさった。だが開いたその距離を埋めるように一歩、藍染が前に足を踏み出した。

「さて。ずいぶん長く、待たせてしまったね」

「え……?」

 待たせる? 何が? 問い返そうとしたが、

「時が来た。君がそこに居る必要はもう無い。だから」

 藍染隊長の眼鏡の奥で、感情の見えない眼が、嗤った。

 

 

「解放したまえ――君の、全てを」

 

 

 その声が耳に届いた瞬間。

 世界が形を残さないほど歪んでひび割れた。

 

 

 それはあまりにも突然で、あまりにも急激な変化だった。

 自分の中のどこにあったのか、全身から霊力が沸き上がり、爆発するような勢いで吹き出す。

「あ、あ、あ、あ、あ!」

 身体の内側で爆発が起こるような衝撃に悲鳴が迸り、それが脳を揺さぶり響き渡った。全身の毛が総毛立ち、産毛の一本一本まで逆立っていくのが分かる。暴走する霊圧で風が渦巻く、その音で耳がふさがり、ビシッと音を立ててひび割れた足下の土が宙に浮かび飛ばされる、その一つ一つまでが、気持ち悪いほどはっきり見えた。

(ま……ず……い……!!)

 今にも途切れそうな意識の中で、雪音は戦慄した。

 自分を取り巻く周囲の環境がぞっとするほど鮮明になるこの感じは、封じた霊力が解放される前兆だ。このままでは、溢れる霊力に全てが飲み込まれ、暴走してしまう……!

「あ、うぅ、あぁあっ……!」

 身体がバラバラになりそうな感覚に抵抗しながら、必死の思いで胸元に手を寄せる。しかし着物の下に、なじみ深い感触が無い事に気づいて、凍り付いた。

(あぁっ……封じの、銀棒を……持って、ない……!!)

 あれが無いと力の制御が出来ない、鬼道が使えない……!

「あ、あ、あ!!」

 このままじゃあたしは、あたしは、あたしは、あ・た・し・は……! まとまらない思考の中で救いを求め、揺らぐ視界をぐるりと回した時、藍染が見えた。

「……さぁ」

 噴出する霊圧の風に髪や服をなびかせながら、藍染は緩やかに微笑みを浮かべ、すっ、と手を差し伸べてきた。

 心を溶かすような、甘く毒を含んだ艶めかしい声で囁く。

 

「お い で」

 

「あ、あ、あぁ、あああぁぁぁぁああああああああああ!!!!」

 

 それに誘われるように霊圧が更に高まりあたしを飲み込む、もう駄目助けて誰か消えたくない、声無き声で精一杯叫んだその時、闇に閉ざされかけた意識の中に針のように鋭い光が差して刹那の合間に一角の顔が浮かび消え、

 

「ああああああ、あ、あ、あぁ、うあぁああっ!」

 

 喉を突き破る絶叫が迸り、空をつく。雪音は髪に挿したかんざしを勢いよく引き抜いた。ほどけた髪の一筋一筋が背中に触れる感触に吐き気をもよおしながら、簪の銀の柄を祈るように両手で握りしめ、

「か、い、揺るがす世、界をしょ、う握し、押し、つぶし、新たなる、いちを、爆ぜろ! 縛、道の、三十、二、過墜天!」

 体中の力を振り絞って、呪を詠唱した。途端、頭をたたきつぶされたかと思うような、強烈な衝撃に襲われる。

 封じの鬼道と霊圧がぶつかり合い、互いを押し戻そうとして耳障りな音を響き渡らせた。

 膨大な圧力を受けて歪んだ霊圧は生き物のようによじれ、暴れ、あらがい、今にも爆発しそうなほど膨らみ……だが抗しきれず、突然ぐん、と縮んだ。

 霊圧は風船がしぼむようにぐんぐん小さくなり、それに従って開かれた五感が閉じていく。

「うっ……!」

 あまりにも急激な変化に身体がついていかず、雪音は膝から崩れ落ち、地面に倒れる。

 そしてそのまま暗闇の中に突き落とされ、あっという間に意識を放り出してしまった――

 

* * *

 

「……驚いたな」

 音を立てて倒れた雪音を見下ろし、藍染が呟いた。言葉とは裏腹に、その顔は変わりなく落ち着いている。

「ここまで来れば、封じる力も無くしているだろうと思っていたんだが」

「雪音ちゃんも成長したって事や。藍染さん、嬉しいやろ?」

 藍染は、からかう市丸に涼しく笑って、隊長羽織の裾を払った。

「まぁいい。後は連れて行くだけだ。頼んだよ、要」

「はい」

 言葉少なに応えた東仙が、雪音に歩み寄るのを見やって、藍染がひた、と恋次に視線を据えた。

「……さぁ、こちらも待たせてしまったな」

「藍染隊長、市丸隊長、東仙隊長……」

 恋次はカラカラに干上がった喉から、辛うじて声を絞り出した。

 おかしすぎる、何なんだよこれ、何が起きてるんだ。

 雪音があんな大きな霊圧を持っていたなんて知らなかった。なぜこの人達は、それが当たり前のように話しているのだろう?

「恋次……っ」

 小さな呼びかけにハッとして見下ろすと、ルキアが小さく震えながら、恋次の襟をきつく握りしめた。先ほどの霊圧に当てられたのか、白い肌から血の気が失せて、殊更青くなっている。

「……大丈夫だ、心配すんな」

 そうだ、俺はルキアを守らなきゃならねぇ。

 倒れた雪音さんも心配だし、ぼうっとしてる場合じゃねぇんだ。

 腹に力を込めて気合いを入れ、恋次は藍染を睨み付けた。

「あんたら……一体、何の話をしてるんだ?」

「君が知る必要は無いよ、阿散井君。君は」

 斬りつけるような恋次の言葉に、しかし藍染はその整った顔に、愉悦にも似た笑みを浮かべて、

 

「朽木ルキアを置いて、退がり給え」

 

 ――むしろ慈しむように柔らかく、そう言いはなったのだった。

 

 

 

……ね……ん、……音さん……雪音さん!!」

 呼ぶ声に揺さぶられて、意識を包み込んでいた闇が、少しずつ晴れていく。

 耳に音が蘇ってくるのを感じながら、重たいまぶたを持ち上げると、光が目に刺さった。

「うっ!」

 思わずぎゅっと目を閉じ、手で覆う。誰かがぐい、と上体を持ち上げ、後ろから手を回して肩を支える感触がして、

「雪音さん、しっかりして下さい!」

 心配そうに声をかけてくる。

 何度かの瞬きではっきりしてきた視界に映ったのは、顔に三つの傷痕を刻んだ、目つきの鋭い男だった。

「ひ……さぎ、君……?」

「良かった、目が覚めたんですね」

 どうやら支えてくれてるのは、檜佐木らしい。

 雪音はえぇと、と呟きながら自分で身体を起こした。途端、突き刺すような頭痛に襲われて呻く。

「大丈夫ですか。無理しないで下さいよ、今四番隊が来ますから」

「うん……大丈夫……」

 疼痛のせいで、頭が働かない。

 額に手を当てながら、雪音はぼんやりと辺りを見回して、え、と呟いた。

 そこは双極の丘だった。

 気を失う前のぼんやりした記憶では、破壊された双極と、藍染達、恋次とルキアの5人しか居なかったはず。

 その場所に今、各隊の隊長と副隊長達がずらりと勢揃い……いや、隊長格だけではない、総隊長まで来ている。一体いつの間にと考えて、ハッとした。

「雪音さん、横になってた方が良いんじゃないですか」

 心配そうに言う檜佐木に視線を戻し、尋ねる。

「檜佐木君……藍染、隊長は……?」

「!」

 途端、檜佐木の顔が強ばった。「藍染隊長は……」言いよどんで間を置いてから、檜佐木は眉間にしわを寄せ、言葉を続けた。

「『藍染惣右介』は、『市丸ギン』と『東仙要』の両名を伴い、逃亡しました」

「逃亡……どうして……?」

 意図的に外されたらしい『隊長』と、『逃亡』という言葉が不吉な状況を表しているようで不安になる。

 恐る恐る問いかけたら、檜佐木は小さく首を振る。

「詳細はまだ分かりません。が、藍染は虚を従えて、その本拠地に姿を消したようです」

「虚……!?」

 何で藍染隊長が虚と!?

 驚いて声を上げたがその一方で、この丘で対峙した藍染隊長の雰囲気は、今思うと確かに虚のそれに近かったようにも感じられて、妙に納得出来る気もした。

「じゃあ……藍染隊長……藍染、は、裏切り者だったって事……?」

「……市丸と東仙隊長も、です」

 身を切られたように痛みを抱えた表情で、檜佐木が呻く。そこでようやく気づいた。

 東仙が裏切り者だったという事は、部下の檜佐木にとってもショックだったに違いない。まさかあの人が裏切るなんて、誰も思わなかっただろう。

「檜佐木君……大丈夫……?」

 思わず呟くと、檜佐木は一瞬顔をしかめ、それから無理に笑った。

「俺は大丈夫です、怪我の一つもしてませんから。むしろ雪音さんの方こそ、問題ないですか。もう少しで、東仙隊長に連れて行かれるところだったんですよ」

「えっ……そ、そうなの?」

「えぇ。俺達がここに来た時、東仙隊長が雪音さんを抱えてたんです。俺が動きを封じた時に手離したんで、良かったですけど」

「……あたしを連れて行って、どうするつもりだったんだろ……」

「さぁ……雪音さん、覚えないんですか」

 問われて、今度は雪音が顔を歪めた。あるわけないじゃない、と声を尖らせる。

「藍染が裏切り者だったなんて今知ったんだから、彼らが何のつもりだったかなんて分からないわよ」

「そりゃそうっすね」

 檜佐木は肩をすくめて、立ち上がった。

「まぁ何にしても、ひとまず騒動は一段落ついたっぽいですから、雪音さんは念のため身体休めた方が良いですよ。俺は隊の方をまとめてきます」

「うん……分かった。有り難う」

 素直にお礼を言うと、檜佐木が笑う。

「大人しい雪音さんは調子狂いますね。マジで、無理しないで下さいよ」

「……余計なお世話よ」

 いつもの事ながら一言多いわね、こいつは……。

 むくれる雪音に、ひらひらと手を振って立ち去る檜佐木を見送った後、改めて辺りの様子に視線を巡らせた。

 檜佐木と話をしている間にも、幾人かの隊長が姿を消している。

 瀞霊廷中が今混乱に陥っているから、騒ぎを収拾させるために動いているのかもしれない。

 総隊長は立ち去ろうとしているところで、雪音と目が合うと、

「……」

 無言で頷いた。後で話がある、という合図。

 そうだ、さっきあんな事があったのだから、総隊長や烈に報告と相談をしなければならない。

 こく、と頷き返すと、総隊長は背を向け、瞬歩であっという間に居なくなってしまった。

「総隊長……」

 組織の長としてしなければならない事があり、些事に関わっている暇は無い、のだろうけど。

 総隊長の姿が消えてしまって、雪音は俄に不安になった。

 藍染達の裏切りに驚きはしたがそれ以上に、爆発するような勢いで吹き出したあの霊圧の事が、怖くてたまらない。

 確かに自分の中にあるはずなのに、自分ではどうする事も出来ない、圧倒的な力。

 それに押し流され、自分という個が飲み込まれていく感覚。

 久しく、いや、記憶にある中では初めての暴走に肌が粟立ち、身体が震え出す。

(怖い)

 何故あんな事になったのだろう。何故自分にはこんな力があるのだろう。

 唇を噛みしめ、ぎゅ、と手をきつく握りしめる。

 と、そこで初めて何か持っていた事に気づき、自分の手を見下ろした。白く筋が浮かび上がるほど握った手から伸びているのは、簪だった。

「あ……」

 親指と人差し指に持ち替えて、思わずまじまじと見つめる。

 とんぼ玉一つだけの飾り気のないこの簪は、以前一角から誕生日に貰ったプレゼントだ。

 何かの折、そう言えばこれも銀の棒だから、鬼道で霊圧を封じる時に使えるかも、と思ったけれど、あの土壇場で良くそんな事を思い出せたものだ。

(これが無かったら、あたしはどうなってたんだろう)

 もし一角が簪をくれていなかったら。

 そう思ったら、これをくれた時、ぶっきらぼうに、けれど少し照れくさそうにしてた一角の顔が思い浮かんで、顔が熱くなってきた。

(……有り難う、一角)

 ぎゅう、と胸を締め付けるような感覚に、涙が出そうになる。

 雪音は急いで目を拭った。

 こんなところで泣いてる場合じゃない。頭はまだ痛むけど、何か皆の手伝いをしなければ。

 そう思って立ち上がると、目眩はしたけど、足はしっかりしてるし、怪我をしてる様子もない。

 これなら大丈夫そうと辺りを見回すと、もうすっかり見慣れた面子が目に入って驚いた。

 さっきまで行動を共にしていた旅禍達が、倒れている人を囲み心配そうにのぞき込んでいたのだ。

「岩鷲君……井上さん!」

「あ? 鑑原じゃねぇか! 何でお前、こんなところに居るんだ?」

 雪音の声を聞きつけて岩鷲が振り返り、大仰に目を見開く。

「何でって言われても……、え、何?」

 そちらへ歩み寄ったあたしは、そこで違和感を覚えた。

 何か不思議な、柔らかくて暖かい力の感覚が、心に触れる。

(これは……霊圧?)

 いや、霊圧にしても、何だろう、普通のものとは何か違う感触だ。治癒のそれに似ている気がするけれど……。

 戸惑いながら力の源へ意識を動かした時、雪音の目に入ってきたのは、地面に横たわる橙色の髪をした男を包み込む、淡い光のドームだった。

 見たこともない男、いや、まだ少年と言ってもいいくらい若いその人は、目を閉じ、脂汗を流して荒く息を吐き出している。

 その身体の半ば、腰の辺りがほとんど切断寸前にまで斬られているのを見て、雪音は息を飲んだ。見るからに、生きているのが奇跡と言えるほどの重傷だ。

 これはいくら四番隊でも手の施しようがないと思ったけれど、その傷が今、非常にゆっくり、少しずつ、少しずつ『繋がって』いく。

「……何これ……」

 思わず、呻く。

 まるで逆回しをしているように、傷がふさがっていく様は、奇跡というよりむしろ奇異だ。

 目の前で起きている事が信じられず、雪音はただぽかん、と口を開いてしまった。

 一体どうやってこんな事をと、光のドームに手をかざしている井上に聞こうと口を開きかけたが、一心に集中している横顔に声が出なくなった。

「黒崎君……絶対、助けるからね……!」

 掠れた囁き声は、強い決意に満ちている。

 気後れした雪音は質問をとりあえず仕舞い込み、もう一度横たわる男を見下ろす。

 派手な橙色の髪。

 眉間にしわを寄せた厳しい表情は目を閉じているせいで酷く苦しそうで、時折咳き込む。

 死覇装はあちこち引き裂け、血を吸って重たく地面に広がり、手には斬魄刀をきつく握りしめたまま。

 格別大きな体格でも、異相でもない、ただ普通の少年に見えるこれが、

(……黒崎、一護)

 ぎゅ、と握りしめた手に、簪が食い込む。

 雪音は声もなく黒崎を見つめた。

 命を賭けてルキアを助けようとした人間の顔を、目に焼き付けるように、ただ、じっと。


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