十一、四   作:なんじょ

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そして彼女は往く

……き……ゆ……ん、雪音さん!」

「!」

 不意に肩を掴まれたので、咄嗟に振り払った。うわっと驚く声に顔を上げれば、そこには後輩の友実が、目を見開いた状態で硬直していた。

 一拍遅れて我に返り、雪音は慌てて立ち上がる。

「ご、ごめん、大丈夫?」

「あ、いえ、そんな。雪音さんこそ、大丈夫ですか? こんなところに座り込んで、また具合が悪くなったんですか」

 こんなところ? 言われてようやく、周囲が目に入るようになる。

 ここは隊舎の廊下。救護詰所へ繋がる場所で、居るのは雪音と友実だけだ。

(何であたし、こんな所でへたりこんでたんだろう。阿散井君の治療をして、詰所に帰ろうとして……)

 

『雪音ちゃんは、そう思わへんの?』

 

「――!」

 耳に蘇った声に、ざわりと全身が総毛立った。

 そうだ、あたしは。

 

『隊長サンが居なくなって、嬉しいと思わへん?』

 

 市丸隊長と、話を、していて……

「雪音さん?」

 怪訝な声が市丸の含み笑いをかき消す。ハッと我に返ったら、友実が心配そうにこちらを見上げている。

「雪音さん、やっぱりまだ詰所で休んでた方が良いと思いますよ。顔色、真っ白になってます」

「え、あ……いや」

 刺すような寒気に襲われながら声を漏らした時、ふと相手の全身を改めて見直した。

 よくよく見ると、救護鞄は普通として、非常時以外身につけない斬魄刀を腰に帯び、手には麻酔薬を持っている。

「その薬、もしかしてまた誰か、大怪我したのっ?」

「わっ」

 思わずぐぐいっと詰め寄ってしまった。友実はち、違いますと首を横に振った。

「これは、さっき地下救護牢に行ってきたからで」

「地下……救護牢? 何でそんな所に」

 救護牢といえば、その名の通り牢屋だ。

 捕らえた犯罪者が、四番隊での手術治療を必要とする場合のみ使われる牢で、今収容者は居ないはずだが。

「あ、雪音さん、まだご存じなかったんですか。今、そこに旅禍が居るんですよ」

「…………」

 今度は言葉を理解するのに二拍かかった。ついで、耳の側でドキン、と鼓動が大きく鳴った。

「……え、え? りょ、かが、捕まった、の?」

「はい。えーと、確か八番隊と、十三番隊と、九番隊の隊長がそれぞれ一人ずつ、計三名の旅禍を捕らえてこられたんです。

 いやーさすが隊長格ですよね。どの旅禍も手強い相手だったみたいですけど、あっさり捕縛されたとかで」

「黒崎」

「は?」

「その旅禍の中に黒崎って居なかった!?」

「うわ!」

 がばっと肩を掴んで問いつめると、友実が目を白黒させた。

「ちょ、ちょっと待って下さい、クロサキ、ですか? ……えぇと、居なかったと思いますけど……」

 その言葉にがくっと肩を落とした雪音を見て、更に焦る。

「な、何ですか雪音さん、クロサキって旅禍に何かあるんですか?」

「何かっていうか……」

 もし黒崎と話が出来たら、このめちゃくちゃな状態を少しは理解出来るようになると思ったのだけれど。

 だが本人じゃないにしても、その仲間から話を聞けば、ソウルソサエティに乗り込んで暴れる理由が分かるかもしれない。それに……

「……旅禍が居る牢って、何番?」

 口から漏れた声が掠れる。低い声音に違和感を覚えたのか、友実は眉根を寄せて答えた。

「七十五番ですけど、それが……え、雪音さん? どこに行くんですか!? 休憩した方が……っ」

 

 引き留める声を振り切るように走る。

 その勢いに驚いて道を開ける人々の間をすり抜け、救護詰所の中を駆け抜けた、その先。

 地下救護牢へ続く階段の前に立った雪音は、そこで一旦、切れた息を整えた。

(黒崎、阿散井君と闘った旅禍が、いないとしても)

 胸にあてた手を握りしめると、手のひらに爪が食い込んで痛む。

(旅禍の仲間なら、その目的を知ってるはず)

 ぎゅっと唇をかみしめて、雪音は顔を上げた。

(仲間なら、……藍染隊長を殺したのが誰か、知ってる、はず)

 

 市丸隊長が。死神が、死神を殺すなんて事、あるはずがない。

 それを、確かめに行く。

 

「…………っ」

 一度鋭く息を吸い込んで、雪音は前へ進んだ。

 勢いよく踏み出したその足下で、階段がぎしっと、不吉なほど大きくきしむ音を立てた。

 

 

 

 ……一、二、三。

 声に出さず、扉に書かれた数字を数える。

 地下に位置する救護牢。階段を下りたその先には、廊下の左右にずらりと扉が並ぶ。

 全部で十まである各扉の奥にはさらに牢が十部屋あり、計百の牢屋がある。

 ……四、五、六、……七。

 部屋の奥にあるその番号の前で足を止めて、立ちすくんだ。

 勢いでここに来てしまったけれど、良いのだろうか。

 ……もちろん良いわけがない。

 治療や尋問など仕事でならともかく、雪音がここに来たのは、個人的な疑問や不安を解消するためなのだから。

「……」

 扉の前で、迷う。

 今、旅禍に話を聞いてどうするというのだろう。

 もし彼らが藍染をあんな目に遭わせたと分かっても、自分にはきっと何もできない。

 敵討ちも、亡くなった人を生き返らせることも。

 そしてもし仮に……旅禍ではなく、仲間の死神が藍染を手にかけたとなったら、その時こそ、どうすればいいのだろう。

 そんな恐ろしい事あるはずがないと、先ほどから何度も思っているのに。

 まさかこの人が、藍染隊長を。

 市丸を前にして頭をよぎった考えが、離れない。

「……」

 戸に伸ばした手が力なく落ちる。

 そうだ、このまま帰ろう。こんな意味の無い事をしているより、詰所で一人でも多くの怪我人を看た方がいい。

 そう思った時、不意に恋次の声が耳に蘇った。

『あいつは。黒崎は、そんなみせしめみたいな事、しません』

 絶対の確信に満ちた言葉、

『あいつはルキアを助けに来たんだ』

 絶対の信頼を寄せる、その言葉が。

「……っ」

 雪音は下ろしかけた手をあげて、取っ手に指をかけた。

 余計な事を考えるより先に引き戸を開き、中へ足を踏み入れる。

 牢屋は全部で十、左右に五つずつ配置されている。

 牢といっても怪我人を収容する場所なので、他の隊とは部屋の雰囲気は異なっている。

 地上すれすれの高さに格子のはまった窓があり、そこから光が差し込むので明るく、清潔に保たれている。

 そして空の部屋が並ぶ中、一つだけ騒々しいところがある。

 格子脇の柱に七十五と書かれたそこからは、何事か言い争っているような声が聞こえてきていた。

「……大体、僕のこと呼び捨てにしないでくれるかな! キミとそんな親しくなった覚え無いよ!」

「なにィ!? こっちだってテメーと親しくなった覚えなんかねーよ!」

 ……何これ、仲間割れ? 捕らえられて、多分大怪我してるだろうに、悠長な。

「だったら呼び捨てにしなきゃいいだろ!」

 そっと近づいて、気づかれないように中を窺ってみると、眼鏡をかけた黒髪の少年の姿が見えた。神経質そうな顔立ちの痩身で、雰囲気が少し伊江村三席に似てる。

「大体キミは全体的になれなれしいんだよ!」

「ンだとぉ!?」

 眼鏡の言葉に反応したのは、……人相も分からないくらい全身包帯まみれの男だ。

 友実が麻酔を使って治療したのは、こちらかもしれない。

 あれほど大怪我してるのに、何故あんなに元気なのだろう。大人しく寝ていればいいのに。

 しかし次の言葉を聞いて、雪音は仰天してしまった。

「なれなれしいのは志波家の家風なんだよ! 文句あんのかコラ!」

「志波家!?」

 驚いた拍子に声が口から飛び出した。

 途端、喧嘩していた二人がバッとこっちを振り返った。いきなり視線が合って気後れしたが、それどころではない。

 雪音は牢屋の前に立って、包帯男に注視した。

「何だテメェ。死神が何の用だ、ガンつけてんじゃねぇぞ!」

 包帯男が凄みをきかせて唸る。その姿は、包帯まみれだからというだけではなくて、見覚えが無い。

 けれど今、この男は確かに、志波家の家風といった。だとすれば、

「……あんた、海燕さんの身内なの?」

「あん? 兄ちゃんを知ってんのか」

「にいちゃ……って、お、弟!? じゃあ、もしかして空鶴さんも」

「姉ちゃんだよ、わりぃか」

「わ、わりぃかって……」

 あまりの事態に頭がくらっとして、思わず格子にすがった。

 悪いも何も、今ここに収容されてるのは旅禍、確か現世の人間という話だったのに、 「何で海燕さんの弟が一緒に入ってるのよ!?

 ってまさかあんた、旅禍と共謀してこんな騒動起こしてるわけ?

 バカじゃないの、何考えてるのよ、空鶴さんはどうしてるのよ!」

 混乱して思わず言いつのると、包帯の合間からのぞく男のこめかみに、ビキッと筋が浮き上がる。

「誰がバカだ、俺が何しようと関係ねぇだろ!! そういうテメェは何モンだこの野郎!」

「うわっ!」

 格子越しに襟を掴まれそうになって咄嗟に後ろへ下がると、男は壊そうとするように格子を握ってギシギシ揺らし始めた。慌てて、仲間が止めに入る。

 離せこんにゃろーと怒鳴る包帯男の首根っこが、後ろから不意に掴まれた。

 今まで気づかなかったが、もう一人居たらしい。体格の良いもじゃもじゃ頭の男は、包帯男を易々と引き戻して、

「……あんたは、誰だ。俺たちに用があるのか」

 低い声でぼそっと呟いた。

 他の二人と違って、この男は随分落ち着いた感じがする。その冷静な態度に混乱が少し収まったので、雪音は腰に片手を当てて名乗った。

「あたしは、四番隊五席の鑑原雪音。あんた達に聞きたい事があって来たのよ」

「……尋問ってわけかい?」

 寝台に腰掛けた眼鏡の男が言う。雪音は三人の男を順に睨み付けて、そして息を吸った。

「あんた達は、」

 ドドドドドド……

「ん?」

 だがその時、遠くの方から何か地響きのようなものが聞こえてきた。

「何だこの音?」

「さぁ……」

「……何……?」

 旅禍も雪音も、音が聞こえてくる天井を見上げて首を傾げた。

 地響きはどんどん大きく近くなっていき、しかもそれに伴って「ギャー!」「何をなさいます!」「ご乱心! ご乱心!」という悲鳴や、物をなぎ倒すような音と共に天井が大きく揺れだし、そして突然消える。

「あ」

「止まっ……」

 ドッゴァッ!!!!

「うわっ!?」

「だァーーーーーっ!!!?」

 いきなり目の前で天井が砕け、砕けた石が格子越しに飛んできた。

 反射的に顔をかばったが、牢屋中に厚い粉塵が舞って視界を塞ぎ、しかもそれが口や鼻に入って、

「うっげほげほげほっ!!」

 盛大にむせてしまう雪音と、

「ギャーー!! ギャーー!! ギャーー!! ギャーー!!」

「な……何だ何だ、何なんだこれは!?」

 パニック状態に陥った旅禍達の悲鳴が聞こえる。

(な、何が起きたのこれ!?)

 ほこりを手で払い、せきをしながら牢の中をもう一度見た雪音はそこで、かくっと顎を落とした。

 天井の穴からどすん! と降りてきたのは、その天井に頭がつきそうなほどの巨体を、死覇装と白い羽織に包んだ死神。

 他の誰とも見間違えようのない、その人は――

「更木剣八!!! 十一番隊隊長!!!」

 

 

 

「更木剣八!!! 十一番隊隊長!!!」

 包帯男が恐怖と驚愕の様相でその名を告げる。

 そして、更木のそばに降り立った人影を見て、雪音は落ちた顎を、かくんと元に戻して叫んだ。

「な、い、一角!?」

「! 雪音!」

 背を向けていた一角がこちらに気がついて、向き直る。

「お前何してんだ、こんなとこで」

「な、何って……」

 至極平然と声をかけられて、一瞬言葉が出なくなる。

 一言で説明出来ないからというのもあるが、そもそもそれはこっちの台詞だ!

 雪音は立ち上がって格子にすがりつき、隙間越しに怒鳴りつけた。

「あんたこそ何やってんのよ、大怪我して入院してたくせに! っていうか! 弓親! あんたも居るし!」

「あーっ! てめー、あん時の変態オカッパナルシスト!!」

 振り向きかけた弓親の周囲に、怒りのオーラが浮かび上がった。涼しげな、けれど怒りを帯びた声で、

「……どちら様かな? 悪いが僕は醜い顔は覚えられない体質でね」

 皮肉を言うものだから、包帯男がヒートアップして言い返し始める。そしてそれを遮るように、

「石田くん茶渡くん岩鷲くん!! みんな無事だったんだね! よかった!!」

 更木の背中からぴょこんっと長い髪の少女が顔を出して、旅禍達に嬉しそうに笑いかけた。

 井上さん、と眼鏡男が目を丸くして呼びかけるのに至って、あの少女も旅禍なのかと気づいた雪音は、混乱の極地に達した。

(な、な、何がどうなってるのこれ!?)

 突然飛び込んできた更木がなぜ、旅禍を連れているのだ。一体何が起きているのかと事態を把握しようにも、背後でギャーギャー口げんかを続ける弓親達がうるさい。

 旅禍達は慮形で、「怪我はないかい、井上さん」「あたしは大丈夫! 石田君達のほうが大怪我してるよ、治してあげるね!」とか何とか和んでいるし。

「……ちっ、一護の野郎、ここにはいねぇか」

 それらを尻目に、呟いた更木の言葉を聞きとがめて、雪音は声を上げた。

「ざ、更木隊長、何で旅禍と一緒に居るんですか!?」

「そんなの決まってるよ、ゆっきー!」

 雪音の問いに答えたのは、先ほどの少女と同じように、更木の背中から顔を出したやちるだった。

 今日も愛らしくて一瞬胸がきゅうん、としたけれど、

「剣ちゃんはいっちーと闘いたいから、ぷるるんと一緒にさがしてたんだよー」

「え? いっちー……ですか?」

 やちるにいっちーというあだ名をつけられてる人は知らない(っていうかぷるるんも誰?)。きょとんとする雪音に、一角がフォローを入れる。

「黒崎一護、旅禍だ。俺と闘った奴だよ」

 くろさき、いちご。

 その名前に、どきりと鼓動が跳ね上がる。黒崎といえば、恋次とも一戦交えた旅禍のはずだ。

(……え? って事はもしかして……黒崎って旅禍は、阿散井君、一角、更に更木隊長とも闘って、まだ生きてるの?)

 まさか。

 即座に否定しようとしたのは、彼らが全員上位席官で、しかも更木剣八に至っては、護廷十三隊最強と呼ばれる、桁違いに強い死神だからだ。

 この三人と闘って生きてるだけでもあり得ないのに、ましてや勝つなんて、信じられない。

 しかし、三人が闘いに負けて大怪我したのは確かな事実だ。

 本当の事とはとても思えないが、しかし少なくとも黒崎という旅禍が、隊長格に匹敵する強さを持っているのだろう。

「……じゃあ……やっぱり」

 混乱しながら至った思考に、声が震えた。じゃあ、やっぱり、あれは。

「藍染隊長を殺したのは、黒崎なんだ」

「!」

「!?」

 揺れる声はさほど大きくなかったが、その言葉は周囲を圧する力があったらしい。

 騒々しかった牢の中が不意に静かになり、皆が驚いた表情でこちらに視線を向けてくる。

 雪音は震える手で格子を握りしめた。

 胸をよぎるのは、

『だって隊長サン、邪魔やったから』

 藍染を手にかけたのが死神でなかったという安堵。ついで、怒り。

 目に力を込めて、雪音はキッと旅禍を睨み付ける。

「あんた達はどうして、ソウルソサエティへ来たの」

「おい雪音、そんな話はあとに」

「黙ってて」

 取りなすように言う一角にぴしゃりと言い返す。

「ただの人間がソウルソサエティにまで乗り込んできたのは、余程の理由がなければ出来ない事でしょう。何が目的なの」

「ちょっと待って下さい、話が見えない。黒崎が誰を殺したって?」

 眼鏡男が訝しげに問う。これがもし演技だとしたら、随分達者だ。

 その態度に苛ついて、雪音は格子を拳で叩いて、低い声で告げた。

「五番隊の藍染隊長が昨日の朝、殺害されているのが見つかったのよ。……胸を貫かれて、壁に磔にされた状態で」

「!」

 旅禍達が目を見開いて硬直する。しかし次の瞬間、

「黒崎君じゃありません!」

 強い言葉が凍り付いた空気を一気に砕いた。

 思わずビクッとした雪音を、更木と一緒にいた少女が、真剣な眼差しで見つめてきた。

「黒崎君はいつも、誰かを護るために闘ってるんです。その黒崎君が、誰かを傷つける為の闘いなんて、するはずありません」

「誰かを、護るため?」

 ついオウム返しに呟くと、少女は力強く頷き、そして言った。

「黒崎君は、朽木さんを助けに来たんです」

 

 くちきさんを、たすけに。

 

「――!」

 その言葉に、雷で打たれたような衝撃が全身を貫く。

『あいつはルキアを助けに来たんだ』

 恋次の言葉がまた思い出して、体が震える。

「……俺もそう思うぜ、雪音」

 硬直する雪音に、一角が静かな声をかけた。

 そちらへ視線を向けると、自分が怪我している場所を親指で示して、

「テメェと闘りあった相手を、わざわざ手当するような奴だぜ。藍染隊長をそんな殺し方するとは思えねぇ。

 あいつ自身、ルキアちゃんを助けに来たってはっきり言ってたしな」

「……じゃあ……」

 旅禍は、朽木ルキアを、助けに来た。

 人間の身で、瀞霊廷の全死神を相手にして、命がけで、無謀で、絶望的な、救出劇を演じようとしてる。

 雪音自身があれほど望んで、どうしても叶わなくて、あきらめてしまったルキアの命を、救おうとしている。

「……」

 声がでなくなって、雪音はその場に座り込んだ。

 しん、となった牢の中で、しかし不意にがしゃん、と重たい音が響いた。

 視線を上げると、更木が刀を肩に担いで、首をごきりと鳴らしている。

「どうでもいいが、さっさと一護を探しに行くぞ。あいつが誰を殺ろうがどうでもいいが、俺以外の奴にやられちゃ、つまらねぇ」

「……そうですね、いつまでもここにいたんじゃ、他の死神が集まってくるでしょう」

「じゃあ、石田君たちも一緒に連れていって下さい。お願いします!」

 少女が勢いよく頭を下げる。弓親は一瞬考えた後、隊長を見上げた。

「いいですか? 隊長」

「好きにしろ」

 そっけなく言うと、更木はドンッと床を蹴って、一階とつながる穴へ跳んだ。それをきっかけにして、また牢の中が騒々しくなる。

「早く手錠を壊すんだよ」

「えぇー!? マジでこいつら逃がすんですか? ちょっと、何かあったら責任取って下さいよ!」

 弓親に命じられた荒巻が、ぶつぶつ言いながら旅禍達の手錠を壊した。自由になった旅禍達が次々と、穴の向こうへ姿を消していく。

 旅禍が堂々と脱走してる。止めなきゃ。

 理性はそう告げているのに雪音は動けず、ただ、彼らを見つめる事しか出来なかった。

 そして。

 穴の縁に手をかけ、やっとの事で上にあがった荒巻に「ちょっと待ってろ」と一声上げ、最後に残った一角が、くるりとこちらを振り返った。

 瓦礫を蹴りながらこちらへ近づいてきて、格子を挟んで向かい合わせに立つ。

 あっけにとられて見上げる雪音と、座り込むこちらを見下ろす一角。

 細い目を更に細くして雪音をじっと凝視した後、

「雪音。下がれ」

 一角は有無を言わさぬ口調で命じた。

「え……」

 何を言われたのかも分からず、咄嗟に格子から手を外すと、次の瞬間、光が走った。

 間を置いて、ズッ……と格子がずれ、地響きを立てて傾いだかと思うと、自重でそのまま全面が床に崩れ落ちる。

「うわっ!!」

 頭の上に倒れかかってくる、そう思って腕でかばったが、衝撃も痛みもない。

 顔を上げると、一角は雪音の前方にあった格子だけを手で支えていた。

 手中に残った格子を脇へ投げ落とした一角は、すっ、とこちらへ手を伸ばす。

「な……なに、してんのよ、あんた」

 状況が理解できずに茫然と呟く雪音に、一角が怖いほど真剣な眼差しを向けて言った。

「雪音。お前、ルキアちゃんを助けてぇんだろ」

「!」

 ドキン。また、鼓動が大きく鳴る。

 跳ねた鼓動は最初は緩く、ついで速さを増して、うるさいほど体の中で響き始める。

 

 朽木さんを、助ける。あたしが。

 旅禍と、一緒に?

 

 ――これがもし他の事だったら、きっと、その手は取れなかった。

 大恩ある護廷十三隊、烈様や総隊長に背くような真似は出来なかった。

 けれどその願いは、雪音にとって切実だった。

 久しぶりに聞いた志波の名前が、海燕や都の笑顔を、そして遠くからそれを見つめるルキアの、少し悲しそうな顔を、目の前にまざまざと蘇らせる。

「なら来いよ、雪音」

 惹かれるように、恐れるように、すがるように。雪音はこわごわと、一角の手に触れた。

 指先がかすめるかかすめないか、迷いに満ちたその仕草を振り切るように、一角はその手を強く握り、そしていきなり引き寄せた。

 視界が黒に包まれ、太い腕が腰に回る。

「きゃっ!?」

 腕の力強さに驚き、着物越しに感じる体の熱があまりにも近くて焦る。

 さらに、顔を上げた拍子に一角の顔をすぐ眼前にあったので、血が逆流するような感覚に襲われた。

 ちょ、近! 近すぎる!

「よっ」

 慌てるこちらの気持ちに気づきもせず、一角は雪音を抱えたまま跳んで、一階へ移動した。

 小窓からの明かりだけが光源だった地下とは一転、陽光差し込む明るい廊下へ風景が切り替わる。

 そこには先に上った人々が待っている。その中でたまたま目が合った弓親が急にニヤッとしたので、気がついた。

(うわっ、やばい、顔真っ赤になってるってあたし!)

「は、離してよ、バカっ」

「うおっ!? いてぇな、蹴るこたねぇだろ!」

 一角の足を蹴りつけ、慌てて身を剥がした雪音は、熱い頬を隠そうとする。

 しかし離れた先で、何かに蹴躓いて倒れそうになった。

「わわっ!? 何、……って、ちょ、な、何これー!?」

 見下ろした床に倒れた死神を、あちらにもこちらにも見つけて、雪音は思わず絶叫した。

 よくよく見れば、廊下はあちこちに穴が開き、部屋の扉が吹っ飛ばされ、四番隊の隊員がそこかしこで目を回したり、うめき声をあげている。

「だって、みんな剣ちゃんのじゃまばっかりするんだもん!」

「や、やちる副隊長……」

 やちるがにこにこと、それはもう天使の笑顔で言うものだから、完全に言葉を無くしてしまった。

 さながら戦場のような有様に絶句する雪音とは裏腹に、弓親は白い着物をまとった旅禍達を頭からつま先まで見、

「それにしても、その格好じゃ目立ってしょうがないね。君たち、着替えた方が良いよ」

「そんな事言ったって、服なんて取り上げられちまったよ。どこにあんだ?」

「醜いだけじゃなくて馬鹿なのか、君は。あんな格好でうろつき回ったら、旅禍だと大声で宣伝しているようなものだよ。少しは頭を使ったらどうだい」

「なんだとテメー!?」

 いきり立つ包帯男を無視して、弓親は倒れてる死神の脇に膝をつき、着物に手をかけ……ってちょっと待て!

「弓親! あんた何しようとしてんのよ!?」

「何って、死覇装の方が目立たないだろ」

「だからって隊員の服はぐんじゃない! わ、やちる副隊長駄目です!」

 弓親の真似をして、死覇装を脱がそうとするやちるを慌てて抱き上げ、

「あっちの更衣室に予備の死覇装があるから、それ持っていってよ、頼むから!」

 半ば怒り、半ば懇願するように叫ぶと、旅禍達は「じゃあ、お借りします」そそくさと更衣室へ入っていく。

「ちっ、どいつもこいつもとろくせぇな。置いてくぞ」

 更木が不機嫌そうに唸って廊下を歩き出す。

 雪音が抱きしめていたやちるは「あ、待ってよ剣ちゃん!」と飛び跳ねて、隊長の背に乗った。

 弓親はその後に続き、一角は「隊長、外で待ってて下さいよ」と声をかけて他の者達を待つ態勢を取り、荒巻はどうすればいいのかとおろおろ頭を巡らせ。

 そして、雪音と目があった旅禍の少女は、にこっと笑った。

「……えへへっ、あたし、井上織姫です。よろしくお願いします!」

「……あー……よろしく、ね……」

 場違いに可愛らしいその笑顔を見た雪音は、脱力して壁にもたれかかってしまった。

 ……今あたし、人生の中で一番やっちゃいけない選択をしたような気がする。

 それはもう取り返しのつかない、最悪で無茶苦茶で、けれど逃れようのない絶対の選択で――もう、どうしようもなかったのだけれど。


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