十一、四   作:なんじょ

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恐れと畏怖をもって

 救護詰所に向かって、廊下をどすどす音を立てて歩いていく。

 烈に見つかったら、はしたないと窘(たしな)められそうな歩き方だが、腹が立って仕方がない。

(何が、あいつはやらない、よ! 阿散井君の阿呆!)

 男は殴り合いの喧嘩をした後に仲良くなるっていうが、あんな大怪我をさせた相手を信頼してどうするというのだ。

 どう考えても恋次は、自分の立場が分かってない。

 負けた上にその敵を庇うような事を言っていたら最悪、逃亡幇助の罪科まで着せられかねないのに。

 相手は、旅禍だ。

 瀞霊廷をこんな大混乱に陥れて、一角や阿散井や、他にも数え切れないほどの死神達を傷つけて、そして――藍染を、殺した旅禍。

『あいつは、そんな事しねぇ』

 途端、恋次の声が耳に蘇って、雪音は思わず足を止めた。

『あいつはルキアを助けに来たんだ』

(朽木さんを、助けに来た?)

 恋次の思いがけない言葉にとまどった。

(だって、どうして旅禍が朽木さんを助けに来るの?)

 人間の身でソウル・ソサエティに乗り込んできて、護廷十三隊を敵に回してまでルキアを助けに来るなど、考えられない。

 どれだけの人数で来たのか知らないが、今知らされている情報を顧みても、おそらく軍勢といえるほどの規模ではない。

 どう考えても多勢に無勢、劣勢は火を見るより明らかだろうに、どうして。

「黒崎……だっけ」

 恋次が闘った旅禍は、確かそんな名前だった。

(どうでもいいし、あたしの仕事でもない。……んだけ、ど)

 旅禍の動向が、何だかとても気になってきた。

 旅禍が本当にルキアのために動いてるのか、藍染を手にかけたのか、そうでないのか……。

 そういえば一角も旅禍に負けて入院中だが、彼は誰と闘ったのだろう。その時、旅禍から何か聞き出しているだろうか。

 ふと思い出したらいてもたってもいられなくなって、雪音は頭(かぶり)を振った。

 ぐるぐると頭の中を巡る疑問や不安に、一角ならもしかしたら明確な答えをくれるかもしれない。何よりこの不安を払しょくしたい。そんな思いでまた歩き出そうとした。

 だが、

「――雪音ちゃん」

「!?」

 不意にかかった声があまりにも近くて、雪音は声もなく飛び上がってしまった。ばっと振り返ったら、間近に人の顔があって、

「~~!」

 これまた言葉もなく後ずさる。な、な、な、何事!?

「あららぁ、そんな反応されると傷つくなぁ」

「え、あ……い、市丸、隊長」

 どっどっどっと跳ねる鼓動を押さえ、改めて見直すと、そこにいたのは市丸だった。

 い、いつの間にそばに来てたのよこの人! 隊長格は気配消すのがうますぎて、心臓に悪いわ!

「も、申し訳ありません。突然だったもので」

 口ごもりつつ謝ると、市丸はいつも通り、へらりと笑った。

「いややなぁ、気にせんといて。冗談、冗談」

「は、はぁ……」

 生返事を返してから気がつく。

(あれ、三番隊はさっき隊舎から出て行ったのに、何で市丸隊長だけここにいるんだろう)

 帯刀こそしているが、市丸は袖の中に両手をしまって、なんだか妙にのんびりして見える。

「あ、あの、市丸隊長」

「ん?」

「三番隊は、旅禍掃討に出られたはずでは……」

「そっちは三席に任してあるよ。ボクはイヅルの様子、見にいったんよ」

「イヅル……吉良副隊長、ですか?」

 怪我人が多すぎて雪音にはもう全く把握できてないが、吉良も傷を負ったんだろうか。

「そ。イヅルは繊細やからね。好きな子ぉに刀向けた言うて、えらい落ち込んではったよ」

「??」

 全然意味が分からない、というのが思いっきり顔に出たのか、市丸は肩をすくめた。

「あぁ、雪音ちゃん知らへんの。ほら、あれ。ちょっと前に、五番隊の隊長サンが殺されてしもたやろ」

「……はい」

「それ最初に見っけたの、雛森ちゃんやったん」

「え? ……え!?」

 びっくりして、声が裏返った。頭にぱっと浮かんだのは、壁に磔にされた藍染の死に姿。

 直接見ていない雪音でも、その光景を想像するだけでショックを受けたのに、藍染を誰よりも尊敬していた桃が、それを見つけたとは……。

「……そんな、ひどい……」

 桃の心情を思うと言葉が出てこなくて、雪音は口元を手で覆った。市丸は話を続ける。

「そんで気が動転してもうたんやろね。雛森ちゃん、斬魄刀を解放して暴れ出してしもて」

「えぇっ!?」

 更にびっくり。いくら気が動転したからといって、あの真面目な桃が、あんな場所で斬魄刀を使うなんて。

「で、それを押さえるためにウチのイヅルが雛森ちゃんに抜刀したんよ。

 最終的には十番隊の隊長サンが止めてくれはったけど、二人とも牢行き。

 で、そろそろ頭も冷えてきた頃やし、ちょっと顔見よ思て来たんよ」

「そ、それは……大変、でしたね」

 知らない内に事がどんどん大きくなってきてる気がする。

 旅禍騒ぎどころか、隊長格同士が瀞霊廷内で暴れて、しかも牢屋行きなんて。

 そういえば、雪音が藍染のところへ向かうきっかけになったのは、女性の悲鳴だった。今思えば、あれは桃の悲鳴だったのかもしれない。

 それにあの廊下には、戦闘の跡も生々しく残っていた。

 てっきり旅禍と藍染が闘った跡かと思っていたが、もしかしてあれは桃と吉良が争ったからなのかもしれない。

(桃ちゃん……大丈夫かな)

 藍染の死は相当な打撃だろうし、元々真面目な子だから、感情にまかせて刀を振るった事をきっと後悔している。

 おまけに取り押さえたのが幼なじみの日番谷と来れば、迷惑かけてしまったと自己嫌悪に陥っていそうだ。

 それに吉良も……そういえば先ほど、市丸が「好きな子に刀向けた」と言っていた気がする。

(吉良君、桃ちゃんが好きなの? それなら暴れる桃ちゃんに抜刀したなんて、地の底まで落ち込んでそう)

 様子を見に行ってみた方がいいだろうか。しかし桃はともかく、吉良には怯えられているんだった、と考えてたら、

「雪音ちゃん、どないしたん?」

「わッ!」

 市丸隊長の顔がどアップになったので、のけぞってしまった。こ、こ、この人はいちいち何でこんな事するか!

「い、いきなり近づかないでください!」

「せやかて、雪音ちゃんむつかしい顔で考えこんでるから、何悩んでるんやろって心配になったんよ」

(……何か市丸に優しい言葉かけられると、とっても胡散臭く聞こえるのは何でかしら……)

 と思ったものの、雪音は一歩離れて咳払いをした。

「何でもありません。ただ、桃ちゃん……いえ、雛森副隊長が心配だな、と思って」

「せやね。多分、落ち込んではるやろね。けど、これでよかったんちゃう?」

「は?」

 何がよかったというのだろう、と市丸の顔を見返す。

「だって雛森ちゃん、隊長サンにいつもべったり甘えとったやろ。親代わりみたいなもんやったろうけど、親は子より先に死ぬもんや。

 死んで初めて、子は自分の力でたてるようになるもんやろ。せやから、よかったんちゃう。旅立ちの機会が出来て」

「な……な、何馬鹿な事言ってるんですか!」

 カッとなって思わず声を荒げた雪音は、市丸に詰め寄った。

「雛森副隊長は自分が尊敬してた人があんな形で亡くしたんですよ!?

 そりゃ、時間がたてばそんな風に考える余裕だって出来るでしょうけど、今そんな事言わなくてもいいでしょう!

 それじゃまるで、藍染隊長が死んでよかったみたいな……、!」

 勢いに任せて口走った言葉に自分でぎょっとして、硬直してしまった。いくら市丸隊長が飄々としてるからといって、これは言い過ぎだ。

「あのっ、すみま」

 慌てて謝ろうとした時、市丸の薄い唇が、笑みを刻んだ。

 

「雪音ちゃんは、そう思わへんの?」

 

(……え? 今、なんて言ったの?)

 言葉が理解できなくて、動きを止める。市丸は噛んで含めるような優しい口調で繰り返した。

「雪音ちゃんは、隊長サンが居なくなって、嬉しいと思わへん?」

「なっ……そっ……」

 そんな事を思うわけがない。

 あまりの事に、抗弁しようとして言葉が出てこない雪音に、市丸がすっと手を伸ばしてくる。たん、と軽い音を立てて、その手が後ろの壁についた。

「――!」

 ふわりと重さの無い動きで近づいてきたと思ったら、壁と市丸の間に挟まれて、雪音は動けなくなってしまう。

 市丸の細い目がふっと開き、こちらを見下ろす。囁き声が降ってくる。

「あの隊長サン、優しい顔して次から次へと女の子たぶらかして、あかん人やなぁと思ってたんよ。いつか痛い目に遭うやろ思てたわ」

「な、に、言って」

「雪音ちゃんかて、そやろ? あん人の笑顔に騙されて、弄(もてあそ)ばれてたやろ。何もしらへんままに」

 騙、され? 言っている事が全然理解出来なくて、雪音は立ちつくしてしまう。

 藍染を尊敬していたけれど、弄ばれた記憶はないし、そもそも女性をたぶらかして悪さするような真似をするような人ではない。

「そ、んな事、ありません。亡くなった人に、ひどい事、言わないで下さい」

 必死で言い返す声がかすれた。急に動悸が激しくなり、耳鳴りがして、足が震え、体が末端から冷たくなっていく。

(何、これ……)

 意志に反して、体が萎縮し始めている。市丸は何もしてないのに、どうしてこんな。

 異変にあらがうように短く息を吐き出した時、相手が囁いた。

「ボクは嬉しいよ。だって隊長サン、邪魔やったから」

 

『藍染隊長は旅禍に殺されたんでしょう』

『それは、どうだかな』

 

 不意に日番谷の苛立たしげな声が耳の奥で蘇った。雪音はぎょっと目を見開いて、市丸を見上げる。

 壁面に長く尾を引く血の花。

 深くえぐられた胸の傷。

 血の気を失った白い肌。

 目を閉じたまま息一つしない藍染惣右介、その人。

「ま……さか」

 まさか、そんなはずはない、そう思いながら、一度頭をよぎった考えは消えない。

 

 まさか、この人が藍染隊長を。

 

「おっと」

 がくん、と膝が崩れて倒れそうになった雪音の腕を、市丸がつかむ。

 袖越しでも分かるくらい冷たい感触に、つかまれた場所から全身にざわっと鳥肌が立つ。

「や、は、はなし、て……っ」

 体に力が入らない。振り払おうとしても、細い指が食い込んでいる。

 市丸は雪音を引きずり上げるように立ち上がらせると、顔を寄せた。

 笑みを浮かべているのに感情の読めない顔がふっと横にそれ、雪音の肩に市丸の顎が乗った。

 

「ちょい、待ちや」

 優しい、笑いさえ含んだ声が耳の中に注がれる。

 

「焦ったらあかん」

 穏やかな、優しいその声はけれど、身体にまとわりつくように艶めかしい。

 

「もうちょいやから」

 声に侵されて頭が麻痺する。何も考えられなくなる。

 

 ――せやから、待ちや。良い子やから、ね?

 

 その言葉を最後に、市丸の顔が離れ、手が離れ、体が離れる。

 雪音は糸が切れた人形のようにその場へ崩れ落ちた。

 見開いた目で何も見ず、動きを止めた頭で何も考えず――ただ、呆然として。


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