十一、四   作:なんじょ

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紐帯

 月が傾き、夜はすぎていく。

 昼間はあれほど騒々しかったというのに、嘘のように静かに。

 少しずつ位置を変える月を、一角はまんじりともせずにらみ続けていた。

 時間は蝸牛のごとくゆっくりすすみ、何事も起きない静寂は、心に不安をまき散らしていく。

「くそっ」

 何度目になるかわからない悪態をつくと、隣に座った弓親が落ち着きなよと呟いた。

 その冷静さが気に食わなくて、一角はじろりと目を動かす。

「これが落ち着いてられるかよ。隊長が死にそうになってるってのによ」

 吐き出す言葉はかみつくような勢いだ。

 剣八は今、救護詰め所の集中治療室で手術を受けている。

 昼に運び込まれてからすでに半日以上、卓越した治療技術をもつ四番隊席官たちの手でもこれだけの時間がかかるのは、それだけ傷が深いということなのだろう。

 一角と弓親は剣八が運び込まれてからずっと、手術室近くの縁側で吉報を待ち続けていた。

 本当はそばで見守っていたかったのだが、治療の邪魔だと追い払われてしまったのだ。

「苛ついたところで、何も変わらないじゃないか」

 風に吹かれて乱れた髪をおさえて、弓親は庭へ目を向ける。

 その視線を追うと、小さな池の前に座り込んだ小さな人影が見えた。

 桃色の髪を揺らして、少女は一人、池に石を投げ込んでいる。

 無表情な少女の横顔は、哀を映し出さないだけによけい、見る者に悲しを感じさせる。

「僕らは十一番隊だ。喧嘩で死ぬなら本望、いつもそういってるじゃないか」

 少女を見つめて弓親が言う。一角は再度、悪態をもらした。

 あぐらをかいて、その上に肘をつく。

「んなこたぁわかってる。俺はただ、こうやって待つだけってのが嫌なんだよ」

 無事なのか、そうではないのか。不安と期待がごちゃまぜになって、気分が悪い。

 おまけに自分の傷もずきずき痛みだしてきて、ますます気持ちがささくれ立つ。

 肩から腹にかけて走る傷を手でおさえて、一角はため息をついた。

 旅禍の侵入からまだそれほど日が経ったわけではないのに、一刻ごとに驚天動地の事件が起きるのは、どうしたことか。

「一護のやろう、まさか眼帯はずした隊長まで倒しやがるとはな……全く、むちゃくちゃな奴だぜ」

「隊長があそこまで深手を負うほどやり合ったんだ。今頃死んでいるさ」

 対する弓親の声は、刺すように鋭い。

 思いがけず尖った返事に驚いて弓親を見た一角は、ここに座ってからずっと、彼の左手が膝の上で堅く結ばれたまま、解かれていない事に気づいた。

 血管が浮き出るほど強く握りしめた拳は震え、着物の裾に深々としわを刻んでいる。

「たかが人間に、隊長が殺される訳はない。そうだろう、一角?」

 確かめるように、願うように紡がれる言葉は、冷静を保っているように見える弓親の心の揺れを表しているようだ。

 一角は血の気を失った手を見下ろし、

「……そりゃ、そうさ。あの隊長が死ぬわけねぇ」

 己の不安をかき消すためにも、わざと軽く言葉を放って、庭へと視線を戻した。

 その時、廊下の奥の扉がかすかにきしみ、開いた。

 ハッ、と目をやると、その向こうから疲れ切った顔の伊江村が現れる。

 一角と弓親が腰を上げて駆け寄るより先、疾風が駆け抜け、

「剣ちゃんは! 剣ちゃんはどうなったの!?」

 やちるの甲高い声が静寂を引き裂いた。

 少女にしがみつかれた伊江村は驚いて後ずさったが、すぐに冷静を取り戻した。角張った輪郭の眼鏡を押し上げ、

「――更木隊長は危険な状態を脱しました。いまは眠っておられます」

 静かに告げる。

 その言葉に一角は思わずよしっと拳を握り、弓親はやれやれと安堵のため息をもらし、やちるは剣ちゃん! と呼びながら手術室に突進した。伊江村が慌てて行く手を阻む。

「いけません、草鹿副隊長!」

「やー! 剣ちゃんに会うの!」

「だからまだ眠っているんですよ、面会謝絶です! お見舞いなら明日にぐへっ!!」

 襟首を捕んで吊り下げたやちるの蹴りが鳩尾にめりこみ、よろける伊江村。

 見かねた一角が、ひょいとやちるを引き受けた。

「副隊長、暴れちゃ駄目ですよ。隊長はひとまず大丈夫みたいだし、今日のところは大人しくしときましょうって」

「やー! やー!」

 じたじた暴れるやちる。その顔を弓親がのぞき込み、

「副隊長。もう遅いですし、一角が一緒に寝てくれますから、お休みしましょう」

「おいこら! 何勝手に決めてんだ、弓親!」

 承諾どころか話にも出ていない事をいきなり決めつけられ、一角が噛みつく。

 しかし弓親はいいじゃないかそれぐらい、と応えた。

「いつも隊長と一緒なんだ。こんな夜に一人で寝床に入れなんて、かわいそうじゃないか」

「う……」

 確かに、やちるにとって親代わりといってもいい剣八が、生死の境を彷徨うような目に遭ったのだ。

 大人の自分でも不安と恐怖に苛まれるような時に、子供を一人にしておくのは気がひける。一角はしばらく逡巡したが、

「……ちっ、しょうがねぇな。行くぞ、ちびすけ」

「むー」

 不服そうなやちるを腕に抱え直して、救護詰所であてがわれた部屋へ足を向けた。弓親は息を漏らし、伊江村に視線を向けた。

「ご苦労だったね、伊江村三席。今日ばかりは礼を言うよ」

「! ……いえ、仕事ですから。皆さんも浅からぬ傷を負っておいでなのですから、養生してください」

「あぁ、そうするよ。……お休み」

 そう言って一角の後を追う弓親へ、伊江村は静かに頭を下げる。

 疲労にこけた頬には、しかし穏やかな微笑みがゆっくりと広がった。


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