十一、四   作:なんじょ

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差し伸べた手

 染み一つ無い、真の闇。

 自分の指先さえも見えないような漆黒の視界の中、ちりちり、と微かに音が聞こえる。

 小さい鈴を細かく揺らしているような、甲高く細いその音は、耳の奥に突き刺さって、どうしてか言い様のない不快感を催させた。

 ここは嫌だ。逃げ出したい。

 そう思うのに、身体が動かない。

 瞬き一つ出来ない、それどころか自分の身体が今ここにあるのかさえ分からない。

 今まで確かにあったはずの手の感覚が溶けるように消えていく。

 怖い、と思うその感情さえ薄くなり始めた時。

 闇の中に白いものがぽ、と浮かび上がった。

 それは、人の足だった。

 透けるように白い肌の足。

 余計な肉のない細い足を、指先から足首、ふくらはぎ、と徐々に上へなぞっていくと、視線の動きに合わせるように少しずつ相手の身体が見えてくる。

 闇の中にあって輝くその身体は、細かなところは分からないが、女性のそれだった。

 柔らかな線を描く身体は眩しいほどに美しく、確かな存在感があった。

 消えそうな己を保つため、必死になってその裸身を目で追う。

 その視線が顔にかかった時、どきりとした。

 白い肌に浮かび上がる赤い唇。それがにぃ、と笑みを形作る。

 美しさよりも悪意を感じさせるその微笑みを保ったまま、唇が動いた。

 ――ちょい、待ちや。

 漏れたのは男の声だった。

 穏やかな、優しいその声はけれど、身体にまとわりつくような艶めかしさがある。

 ――焦ったらあかん。

 手が動いて前に伸びる。白い指が自分に触れてくる。

 ――もうちょいやから。

 指が髪の間に潜り込んで、しゃらりと撫でる。

 ――せやから、待ちや。良い子やから、ね?

 冷たい指がつ、と唇をなぞって……

 

「……!!」

 ビク、と大きく震えて目が覚める。

 そのまましばし硬直してから、止まっていた息を吐き出した。息と一緒に全身の力を抜いて、雪音は目を瞬かせた。

 視界に、見覚えのない天井が広がっている。

「……?」

 どこ、ここ。

 半分寝ぼけた頭を起こして部屋を見渡し、あぁ、とため息をついた。

 そう、思い出した。

 昨日は一角の見舞いをした後、吹き荒れる霊圧の嵐に影響されて立っている事も出来なくなり、仕方なく休憩室に結界張って寝たのだった。

「あー……、……情けな」

 こんな緊急事態に寝込むなんて、どれだけ役立たずの席官なんだろう。

 雪音は右手を広げて、見下ろした。

 意識を集中して霊力を集めようとして、しかし砂のように力はこぼれ落ちていくだけで、形にならない。

 何度試してみても同じなので、雪音はもう一度ため込んだ息を漏らし、頭を抱えた。

(あぁ、本当に情けなさすぎる)

 霊力の安定しない死神なんて、何の役にも立たない。

 鬼道を使えなければ、治癒能力も駄目になる。

 一角のように剣が使えるのならまだしも、それもない。雪音が四番隊の五席でいられるのはせいぜい、人より薬を作るのがうまいからというだけだ。

 毛布に頭を埋めたまま、雪音は際限なく落ち込んだ。

(どうして、あたしはこうなんだろう)

 不安定な力に振り回されて、仕事もままならない。

 本当なら今、傷ついた一角を自分の手で治してあげたいと思うのに、それさえも出来ない。

 それが、悔しくて悲しい。

「……最悪」

 おまけに夢見も悪かったし、と思った後、あれっと顔を上げた。

 夢を見た。それは覚えてるのに、内容が思い出せない。

 あまり夢を見ない質なので、たまに見た時には大抵覚えてるのに、思い出せない。

 何か綺麗なような、怖いような、そんな夢を見た気がするのに。

「……ま、いっか」

 思い出せないくらいだから、大した夢ではなかったのだろう。

 雪音は寝台から下りて立ち上がった。寝間着のままうん、と伸びをして、障子を開ける。

 霊圧の嵐は収まったっようだ。ほっとして、空の明るさに目を細め、ついで気がついた。

「げっ、始業時間過ぎてる!?」

 やばい、いくら昨日遅くまで仕事してたとはいえ、寝過ぎた!

 慌てて放り出してあった死覇装を掴んだ、その時。

 

 ――いやぁぁぁぁぁっ!

 

 甲高い悲鳴が、空気を裂いて響き渡った。

 

 

 

 突然響きわたった悲鳴に雪音は一瞬硬直した。近い、東大障壁のほうだ。

(旅禍がきた!?)

 反射的に考えたのはそれだった。

 内であんな悲鳴が上がるような事態など、ほかに考えられない。もしかしたら誰かが襲われたのだろうか。

 そう思ったら居てもたってもいられなくなって、雪音は寝間着を脱ぎ捨て、死覇装を着るのももどかしく、部屋を飛び出した。

 声が聞こえた方向へ、帯をしめ救護鞄を背負いながら走る。

 走りながら、手を握り締めて集中してみたが、治癒の力は霊圧の不安定さのせいで、まだ回復していないようだった。

(……っ、でも!)

 せめて、せめて薬を使った応急処置くらいなら。救護鞄の紐をぐっと握り締め、雪音は前を見据えた。

(早くいかなきゃ)

 地面に横たわる一角を見つけた時の、身も凍るような恐怖。

 もうあんな気持ちは味わいたくない。

 まだ悲鳴が聞こえてからそう時間は経ってない、今ならきっと。

 自分に言い聞かせるように口の中で繰り返しつぶやき、足を早め……そうして、東大障壁その場所にたどり着いた時。

「あら、雪音?」

「鑑原……」

「乱菊さん、日番谷君!」

 そこにいたのは、十番隊の隊長と副隊長だった。

 こっちを見て軽く驚いた様子を見せた二人より更に、唖然としてしまう。

 棟と棟をつなぐその場所は屋根のない、広々としたただの廊下で、普段はほとんど人気の無いところだ。

 しかし今は……廊下の真ん中や棟の端にいくつもの大穴が穿たれ、そこいら中に焦げた臭いが漂っている。

(な、何があったの……?)

 生々しい戦いの跡が残っている事に気おされて、ひとまず事情を聞こうと雪音は口を開き、しかしぎょっとして叫んだ。

「あ……藍染隊長!?」

 二人の影になっていてすぐに気がつかなかったが、その足元に人が……血に染まった隊長羽織をまとった藍染が、静かに横たわっていたのだ。

「……今救護要請を出したばかりだが、早いな」

 日番谷が沈んだ声で発した言葉を理解するより先に、雪音は走りよって、藍染の首に手をあてる。

 脈が……ない。

「っ……」

 藍染の口元や手首にもふれて、命の証がないかを確認したけれど、無駄だった。

 ふるえる指で羽織をめくり、血を吸って重たくなった着物の胸元を開いて、息を飲む。

 そこには深く大きな刀傷があった。

 鎖結を完全に刺し貫いた、見間違えようのない致命傷。

「ら、乱菊さん、何で……っ」

 雪音は乱菊を見た。すがるような、助けを求めるような、そんな情けない顔をしただろう自分に、乱菊はしかめっ面で肩をすくめる。

「そんな顔しないでよ。……あたし達がここについた時は、もうこの状態だったのよ。そこの壁に……磔にされてて、ね」

 見上げた白壁には、筆で刷いたかのような赤黒い線が、上の方から長く伸びていた。

 もし鎖結を砕かれていなくとも、これだけ大量の血が流れてしまっては、いくら隊長でも……。

「……嘘……」

 事態が理解できずに呆然とつぶやく。同じように壁を見上げた日番谷は、さっと顔を背けて、

「事の次第はこれから調査する。松本」

「はい」

「俺は総隊長へ報告しにいく。お前は藍染の部屋を押さえておけ。何か手がかりがあるかもしれないからな」

「分かりました」

 てきぱきやり取りする二人の言葉に引っ掛かりを覚えて、雪音はばちばち、と目を瞬いた。

「手がかり? ……え、どういう事? それって、藍染隊長と旅禍に何かつながりがあるって事?」

 尋ねると、今度は日番谷が訝しげな顔をする。

「何でここで、旅禍が出てくるんだ」

「だって……藍染隊長は、旅禍に……」

 殺されたんでしょう。という言葉はあまりに生々しくて、つい飲み込んでしまう。

 だが今、このソウルソサエティで護廷十三隊の隊長に敵対する相手といえば、旅禍しかいない。

 藍染と並ぶくらい強い、現世の人間がいるなど信じられないが、考えてみれば、あの一角を倒したほどの猛者がいるのだから……

 しかし日番谷は目を細め、低く、吐き捨てるように呟いた。

「それは、どうだかな」

「えっ」

 その語気の鋭さに雪音はびくっとしてしまう。

 自分よりずっと年下なのに、今の日番谷はずいぶん大人びて見えて、少し怖いくらいだ。

 日番谷は目を伏せて小さく息を吐き出すと、羽織を翻した。

「とにかく、ここは頼む。そろそろ卯ノ花がくるはずだ」

「あ……は、はい」

 決然とした小さな背中に圧倒されて、雪音はあわてて返事をする。

 そして乱菊は、日番谷が瞬歩で姿を消すのを見送った後、ぽん、と雪音の肩を優しく叩いた。

「……雪音、大丈夫? ここ、任せちゃって」

「え……」

「顔色悪いわよ。あんた、こういうの苦手じゃなかっけ」

「それは……」

 昔、都が物言わぬ体となって戻ってきた時の事が頭をよぎったが、雪音はそれを振り払った。

(あの時あたしは、烈様に誓ったんだ)

 例え親兄弟が目の前で亡くなる事があっても、迷うことなく、自分を見失うことなく、心を毅(つよ)く持つのだ、と。

(あの時のあたしと今のあたしは、違う。違うはずだ)

 ぐ、とこぶしを握り締めて、雪音は乱菊を見上げて頷いた。

「大丈夫です、乱菊さんは仕事に行ってください。後のことは四番隊で引き受けます」

「……そう。なら、お願いね」

 乱菊は目を細めてふっと笑い、それから日番谷と同じように姿を消した。

 残った雪音は、とりあえずおろした救護鞄から取り出した布を水で濡らし、藍染の頬に飛び散った血をぬぐう。

 その肌からはもう、温もりをかけらも、感じる事が出来なくて、

「……っ」

 なんだか無性に悲しくて、悔しかった。


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