十一、四   作:なんじょ

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咲き初める

 ルキアの処刑回避のために、何かしたい。

 そう思いながらどうすることも出来ず、雪音は鬱々とした日々を過ごさなければならなかった。

 そして、処刑の日がいよいよ一ヶ月後に迫った時――事態が急変した。

 

 ソウル・ソサエティに旅禍が現れたとの知らせがあったその日の夜、瀞霊廷にその侵入を知らせる警報が鳴り響いた。

 死神達は斬魄刀を腰に携え、殺気だって警邏に走る。

 万が一に備えて四番隊も準待機状態となり、隊舎に詰め、皆一様に緊張の面持ちで黙々と業務をこなしていく。

 だが、夜更けて空が白み始めても、瀞霊廷は静かなままだった。

 そのため、長時間に及ぶ緊張による疲労も手伝って、もう何も起こらないのではと隊員たちの気がゆるみ始めていた。

「ふあ……あ、あぁ~……」

 隊舎の一室で、雪音と一緒に書類整理をしていた花太郎が大あくびをしながら、ファイルを棚に押し込む。それにつられそうになって、雪音は慌ててあくびをかみ殺した。

 ついで、花太郎の後頭部に紙くずを投げつける。

「あいたっ」

「そこ、気ぃ抜かない」

「うう、すみません……」

 花太郎は紙くずをゴミ箱に入れた。そうして目元をこすりながら、雪音の方に振り返ってくる。

「それにしても旅禍、どこにいるんでしょうね。皆が一斉に探してるのに、全然見つからないなんて」

 雪音はそうね、と書類に視線を落とした。

 旅禍がどんな奴らかは知らないけど、死神達であふれかえったこの瀞霊廷内で、長い時間逃げ隠れ出来るとは思えない。

 花太郎は床の上で分類した書類をファイルに挟みつつ、

「そもそも、旅禍なんて本当に来るとは思いませんでしたよ。

 ソウル・ソサエティにわざわざ乗り込んでくるくらいだから、よっぽど強い虚なんでしょうか」

「虚じゃないみたいよ」

「え?」

「今度の……って、あたしも旅禍なんて初めてだけど、今度来た旅禍は現世の人間達らしいわ」

 ええっ、と花太郎は目を丸くした。

「現世の人間が、どうしてソウル・ソサエティに来たんですか?」

「あたしに聞かれても知らないわよ」

 四席以下の席官はまだ、事の次第を詳細に聞いてはいない。

 いや、おそらく上の者も旅禍の正体を掴みきれていないのだろう。

 現世の人間「らしい」というだけで、その目的も人数も全く分かっていないので、漠然とした不安はぬぐえない。

「何にしても、早く見つかれば良いのに。ただでさえ……このところ、ゴタゴタしてるんだから」

 とんとんと書類を調えて、雪音はため息をついた。最後の言葉は、自分に向けてだ。

 ルキアの減刑嘆願は聞き入れられず、朽木隊長もすげない返事しか寄越さない。

 それでもどうにかしたいと奔走していたのに、烈にやんわりと、それでいて有無を言わさず止められてしまった。

 そうして結局、何も出来なくてへこむ雪音を、周囲の人達があれこれ慰めてくれた。

 その中でも率先して気遣ってくれたのは一角だった。

 雪音が処刑の事を思い出してため息をつくと、すぐに他の事で気をそらしたり、逆に愚痴を延々聞き続けてくれたり。

 もう忘れろなどとは言わず、きっと大丈夫だなんて気休めも言わず、ただ雪音の悲しみや怒りを受け止めてくれる。

 一角は粗雑に見えて、人との距離の取り方が上手いので、彼といる時が一番心が落ち着いた。

 だが……一角と居ると、今度は別の事に悩まされる羽目になる。

 ふとした拍子、例えば指が触れたとか、目が合ったとか、そういう何気なくふれあう瞬間が訪れた時、空気が変わってしまう。

 一角の目がすっと細くなって、肩に力が入って、雪音、と呼ぶ声が甘くなる。

 そうなると、雪音は一角から必死で逃げ出す事しか考えられなくなった。

(あたしは、怖い)

 一角の巨大すぎる霊圧に刺激されて、自分の霊力を封じる鬼道が解けてしまうかもしれない。

 そうなれば、自分が、一角がどうなるか分からない。

 だから一角と近しくなりたくない。

 ――そう思うけれど、一方で一角に触れられる事が、嫌ではないから、困る。

(……そう、嫌じゃないんだ)

 今思えば、最初に押し倒されたあの時からずっと、一角に求められる事は嫌ではなかった。

 むしろ、大きな手で肩を抱かれたりされると、身体がしびれたように動かなくなってしまって、ちょっと……かなり、ドキドキするというか。

(……っだぁぁぁぁっ!!!! 違う違う、そうじゃなくて!)

 雪音は慌てて記憶を振り払った。ぶんぶん勢いよく首を振ったその動きがいかにも唐突だったので、

「か、鑑原さん、どうしました?」

 花太郎が驚いて声をかけてくる。やばい、あたし多分いま真っ赤になってる。慌てて顔をそらし、何でもない、と答えようとしたその時。

 

 ずっ、と空気が揺れ、同時に頭を貫くような激痛が走り抜けた。

 

「なっ……!?」

 肌が粟立つような空気の震えに、花太郎は声を詰まらせた。反射的に窓へ目を向け、うわ、と引きつった声をあげる。

 それまで青一色だった空が、白い光に染まっている。何事かと花太郎は窓に駆け寄って、外へ身を乗り出した。

「な、何だろうあれ。鑑原さん、空に何か……鑑原さん?!」

 何を見つけたのか、不安顔で振り返った花太郎が、今度はこっちに駆け寄ってきた。

「鑑原さん、どうしたんですか?!」

「あっ……は、はぁっ、はっ、うぐっ……!」

 雪音は言葉にならないうめき声を返した。

 椅子の上から滑り落ちて、床に倒れ込んだまま、激しく息をついた。

 きぃぃぃぃん、と甲高い音が耳の奥で響いて、身体が床に押しつけられるほどの圧力にあえいでしまう。

 まずい、と頭の片隅で警報が鳴る。

 空気を振るわせるほどの強い霊圧の衝突がどこかで起きている、それに雪音の霊力が反応して、封印を解いて暴れようとしている。

 焦って懐から銀の棒を取ろうとして、けれど手が震えて上手く動かない。

 このままじゃまずい、抱き起こしてくれた花太郎まで巻き込んでしまう、そう思った時、ドォン!!!! と腹の底に響くような破裂音が鳴り響いた。

「!」

 途端、頭痛がすうっと引いて、視界が明るくなる。雪音は何とか起きあがり、よろめきながら窓に近寄った。

「か、鑑原さん、大丈夫ですか?」

 気遣いの言葉をかけてくる花太郎に返事も出来ないまま、見上げた空。そこには尾を引きながら落ちていく四つの光が見えた。

 目をこらしても遠くて判然としないけれど、あれは人、だろうか。

「何なの、あれは、一体……」

 頭痛の残る頭を押さえ、乾ききった喉に唾を飲み込んで呟く。と、それに答えるかのように、再度警報の甲高い音が鳴り響いた。

「旅禍、遮魂幕突破のち分断! 各隊はただちに索敵・戦闘態勢を取って下さい!!」

「りょ、か?」

 あれが旅禍? 一瞬遅れて警告の意味を理解し、雪音は混乱した。

(何で、旅禍はもう瀞霊廷に侵入していたんじゃないの? あれは誤報? それとも、先に侵入していたのとは別部隊が、空からつっこんできたの?)

「鑑原さん、顔色悪いですよ。ちょっと、椅子に座って下さい」

 同じく混乱の表情を見せながら、花太郎がこちらの腕を引っ張った。

 引かれるまま椅子に戻った雪音は、いやそれどころじゃない、とすぐ立ち上がる。

「花君、ここはもう良いから、班に戻って頂戴。きっとすぐに出撃命令が出るはずだから、準備しておかないと」

「え、でも……うわっ」

「でもじゃない、早く」

 言いよどむ彼の背中を押しながら、雪音は部屋を出た。

 あれだけ派手に侵入してきたのだから、瀞霊廷中の死神が旅禍と闘う事になるだろう。

 大人しく捕まってくれればいいが、もし一人でも隊長格と渡り合える人間がいるのなら、負傷者は一人二人じゃ済まない。

 四番隊も戦場に出撃して、怪我人の治療と収容にあたらなければ。

 さきほどの発作のせいでまだ頭が痛くて、指先も冷たいけれど、もうぼうっとしている場合ではない。

 雪音は廊下を早足に歩きながら、背中にぐっと力を入れて前を見据えた。

 

 そしてその一刻後。

 旅禍と闘った第一の負傷者の名前が四番隊に報告された――斑目一角、その名前が。

 

 

 オレンジ色の頭が見えなくなってから、一角は息を深々と吐き出した。

 旅禍の大刀で斬り裂かれた胸や腕は少し動かすだけでも激痛が走って、思わず顔をしかめてしまう。

 これだけの傷を負って生きてるのは奇跡だ。

 一護が鬼散膏で血止めなんかしなきゃ、今頃とっくに死んでいるだろう。情報聞き出すためだったとはいえあのガキ、余計な事をしやがって。

「……くそっ」

 低く悪態を吐く。

 戦いに敗れて、さらに敵に助けられるなど、生き恥もいいところだ。あのまま息を引き取っていれば、いい死に様だったのに。

 だがそう思ってすぐ、雪音の顔が思い浮かんで、つい苦笑する。

 この後四番隊の世話になったら、あいつはどれだけ怒るだろう。

 こんな怪我をしてくるなんて本当は弱いんじゃないの、弱虫が無茶してんじゃないわよハゲ、とか罵りながら手当する姿が容易に思い浮かんで、は、と息をもらして笑った。

 途端、全身を貫くような痛みに呻くはめになる。

(あー痛ぇ。一護め、今度会ったら覚悟しとけよ)

 口の中で唸りつつ、さすがに疲れてぐったり地面に頭をつけた時、石畳を伝って微かに足音が響いてきた。

 顎をあげ、上下さかさまの視界のなかで、足音が聞こえる方向に検討を付けて眺めていると、やがて集団がこちらへ走ってくるのが見えてきた。

 どこの隊だ。目を細めて見たが、隊章を確認するまでもなかった。先頭を走っているのが雪音だったからだ。

 彼女は一角の姿を認めた途端、ぐん、と足を速めた。

 隊を置いて一足早く駆けつけてきて、一角の傍へ崩れるように膝をつき、

「一角っ……」

 切れる息の下で名前を呼ぶ。意外なほど必死な様子に、一角はふ、と目を細めた。

(こいつがこんなにまっすぐ、俺を見るのはいつぶりだろうな)

 一角が迫ると赤くなってへどもどするあの顔も好きだが、今にも怒鳴り出しそうな怒り顔はいかにもらしくて、ひどく愛しく思える――そんな事を言葉にするのは照れくさいから、絶対言わないが。

「い、一角、負けたって、旅禍にっ……怪我、怪我はっ?!」

 雪音は肩で息をしながら真っ青な顔で、勢い込んで叫んだ。

 混乱してるのか、言ってる事が支離滅裂だ。一角は大丈夫だ、と顎を引いて笑った。

「なんて面してやがるんだ、雪音。俺はまだくたばっちゃいねぇぞ。お前の薬のおかげで、死に損なっちまった」

「っ!」

 いきなりだった。

 雪音が手を振り上げた、と思った次の瞬間には、頬を力一杯張られた。

 バシーン、と弾く音が空に響き渡った後、遅れて頬がじんじん痛み、頭がくらくらしてくる。

「おおおおいちょっと待てよ! いくら口より先に手が出るつったって、お前本気で殴りすぎだろ! 俺ぁ怪我人だぞ、重傷、で……」

 覚悟していたにしても理不尽な仕打ちに、いつものごとく並べた文句は、しかし尻すぼみになった。

 視界いっぱいに、雪音の顔が広がっていた。

 雪音はぐ、と顎と眉間に力を入れ、懸命に感情の爆発をこらえようとしながら、それでも耐えきれずに唇をわななかせる。

 雪音はおぼつかない手つきで傷を探り、深手と知ってか、更に顔を歪め、

「この馬鹿いっぺん死んでこいっ!!」

 腹の底から罵声をはき出すと、顔を手で覆って嗚咽し始めた。ぽろぽろぽろ、と涙が一角の顔に降り注いでくる。

「…………」

 一角は言葉を失って、呆然と雪音の顔を見上げた。

 怪我をして、雪音に罵られるのはいつもの事だ。

 だが、これまでの長い付き合いの中で、死ねと言われたのは二回だけだった。初めて会った時と、今。

 最初の一回目は、怒りだけだった。戦うしか脳のない男がむやみに命を粗末にする事に、雪音は心底怒っていた。

 だが、今は違う。怒ってはいるが、それだけではない。

「……泣くなよ」

 良い方の手を伸ばして、顔を覆う雪音の手に触れると、彼女はびくっと後ろに下がって、乱暴に涙をぬぐった。

 ぬぐった先からまたぽろぽろ、と涙の珠が落ちるが、

「ないっ、泣いてっ、ないっ!」

 しゃっくりあげながらそんな強がりを言う。はは、と一角は笑ってしまった。筋がいくつも出来た柔らかい頬に手を当て、親指で粒をはじく。

「どこがだよ、ぼろぼろじゃねぇか」

「う、うるさいっ、あんた、なんかっ……うわっ!」

 へらず口を叩く雪音の頭を、無理矢理胸に引き寄せる。

 雪音は一角に引かれるまま、勢いよく倒れ込んできたので、飛び上がるほど傷に響いたが、一角はやせ我慢して笑ってみせた。

「雪音。俺は冷たくなってねぇし、魄動もとまっちゃいねぇだろ」

「……」

「俺ぁ、死んじゃいねぇだろ。まだ、お前を抱けんだろ」

「……」

「だから泣くなよ。な?」

「……」

 雪音は向こう側に顔を向けたまま、微動だにしない。

 だが冷たい感触を肌に感じないところを見ると、もう泣いてはいないらしい。

 身体の震えもとまり、一角の腹の上で、ぎゅ、と拳を握りしめる。

 やがて「……馬鹿一角」と小さく呟いた声が、吐息と共に一角の身体をすべっていったので、こんな時だというのに、背筋にぞくぞくするものが走った。

(あー、今おっぱじめたら、確実に傷が開いて血まみれになるだろうな、俺。

 腹上死ってのも男の本懐だよなー、やっぱ死ぬなら闘いの中でってのが理想なんだが、雪音抱いて死ねるんなら、それはそれで……)

 とか何とか、雪音の背中に手を回して考えてたら、

「あ……あのぅ、鑑原班長……」

 おずおず、とした声が不意に割り込んできた。

 声の方に顔を向けるとそこには、雪音の後を走っていた四番隊の連中が、もじもじとした様子でこちらを窺っている。

 一角と目が合った隊員は、真っ赤から真っ青に顔色を変え、

「あ、あああああの、お取り込み中済みませんけどっ、斑目三席を詰所に移送しませんとっ!!」

 ばたばた忙しなく手を振りながら、早口にそんな事を言ってくる。

「!!」

 途端、雪音が一角の手をふりほどいてがばっと起きあがった。

「す、すぐに移送開始! その前に応急手当をしてっ! あたっ、あたしは詰所で準備してますっ!」

 隊員に怒鳴りつけて命令したかと思うと、首筋まで真っ赤になったまま、脱兎の如く逃げ出してしまう。

 取り残された連中はあっけにとられた様子で硬直してたが、やがて額を突き合わせ、

「……鑑原さんって、やっぱり斑目三席と付き合って……」

「前は思いっきり否定してたのに……」

「でも、この間肩組んで歩いてた……」

 そんな事をぼそぼそ話し始める。おいお前ら、本人を前にして良い度胸だな。人を肴に盛り上がってんじゃねぇよ。

「ところでいつまで患者を道ばたに放っておくんだよ、てめぇらは。とっとと仕事しろよ」

 嫌みったらしく言うと同時に、霊圧をどっ、と上げてやる。

 すると隊員達はひぃぃっ、と悲鳴をあげて、すみませんすみませんすみません、と高速で謝りながら、一角の処置を始めた。

(ったく、物見高い連中だな。お陰で雪音が逃げちまったじゃねぇか)

 惜しい事したと思いつつ、雪音にひっぱたかれた頬へ手を当てた。そこに残っていた涙がつうっと落ちて、指先に触れる。

(そういや)

 ふ、と雪音の顔を思い出す。

(あいつの泣き顔なんて、初めて見たな)

 そう思ったら、口元が緩んだ。

(良いな、俺のために泣く女がいるってのは。それが雪音だってのが、ますます良いじゃねぇか)

 旅禍との闘いに負けて悔しいとか、生き恥さらしとか思う気持ちはまだあったが、一角は馬鹿みたいに嬉しくてニヤニヤしてしまったのだった。


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