十一、四   作:なんじょ

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繋がり、結び

 時を経て、春。一度の不合格の後、雪音は真央霊術院に入学した。

 そこでこれまで自身が知らなかった事を学ぶ楽しみ、また、得た知識を実際に活用することの喜びは例えようのない幸福で、雪音は寝る間も惜しむほど熱心に、勉学に勤しむ日々を送っていた。

 

* * *

 

「……では、今日はここまで。次回レポート提出を忘れないように」

 鐘と同時に講師が教本を伏せると、それまで静まりかえっていた教室が、わぁ、と息を吹き返す。

 生徒達がばらばら出て行く中、最前列に座って、黒板の内容を写していた雪音は、

「……よし、っと」

 ノートを閉じて立ち上がった。

 次の講義は隣の棟の教室だから、早く移動しなければならない。急ぎ鞄に本を詰めて立ち上がり、教室を出て歩き出す。が、

「……あっ」

 びくっと立ち止まった。廊下の向こうからやってきた三人の少年達が、雪音の姿を見て顔をしかめ、ついで、冷ややかに笑ってみせたのだ。

 彼らは雪音に近づいてくると、進路を阻むように取り囲んだ。顔をのぞき込んで侮蔑に満ちた口調で、

「何だ、まだ居たのか、お前」

「とっくの昔に退学したと思ったのに。さすが流魂街の奴は、しぶといよな。神経が図太いっていうか」

「おいおい、そう言うなよ。何しろこいつは卯ノ花様に拾われたんだから、れっきとした貴族様なんだぜ。俺たちと同じ、さ」

「……っ」

 鞄を抱えて、雪音は身を引いた。

 真央霊術院に入学してから知った事だが、この学院は貴族出身の子弟が圧倒的に多い。

 学院の門戸は広く開かれていて、霊力の素養があって入学試験に合格すれば、出自を問わず入学することが出来る。

 しかし建前はどうあれ、貴族と平民の間には歴然とした溝が存在し、流魂街出身者はそれと知られると、影でいじめを受けることがある。

「そうだったな。うまくやったよな、卯ノ花様にどうやって取り入ったんだか」

「そりゃあれだろ、土下座して飯食わせてくれって泣きついたんだろ」

「卯ノ花様はお優しいからなぁ、野良犬でも放っておけなかったんだな」

 同期生のこの三人は、雪音にとってそういう相手だった。

 何故か知らないが、こちらの素性をある程度知っているらしい。

 顔を合わせるたびに雪音をこき下ろし、実習などで組む時があれば、わざと雪音に失敗させるなどの嫌がらせをしてくるのだ。

 雪音はぐ、と唇をかみしめて俯いた。

 面罵されるのは、慣れている。じっとこらえていれば、いつかそれが過ぎ去っていく事は分かっていた。

 しかしそれを反抗と受け取ったのか、少年の一人が雪音に近づいてきて、どん、と肩を押した。

「何シカトこいてんだよ、お前。何とか言えよ」

「あっ……」

 押されたせいで鞄が手から滑り、床に落ちた。口をきちんと締めていなかったので、どしゃ、と中身が散らばる。慌てて拾おうとしたが、

「どんくさいな、何やってんだよ。床が汚れるじゃないか」

 少年が邪魔をするように、荷物をぐちゃぐちゃとかき回した。その手が紙をひょいと拾い上げ、

「あん? 進路希望書じゃないか」

「あっ!」

 取り戻そうとしても、少年は立ち上がって、雪音の手に届かない高さまで持っていってしまう。

「か、返してっ……」

「へーぇ、護廷十三隊……あぁ? おい、見てみろよ、これ」

「どれどれ」

「……おいおい、四番隊希望って! マジかよ!」

 紙を覗き込んだ少年達の間で、どっ、と笑いが上がる。

「?」

 あからさまな嘲笑に、雪音は戸惑って眉根を寄せる。紙を持った少年は顔を歪めて、冷ややかに笑った。

「四番隊をわざわざ希望する奴なんて、普通いないぜ」

「ど、して」

「どうして? 何だよ、知らないのかよお前。

 四番隊はな、護廷十三隊で一番弱い連中がいくところなんだぜ。霊力がない、虚一匹殺せない、雑用しか脳のないおちこぼればっかりだもんな」

「な……」

 違う。

 否定の言葉を口にしようとして、しかし息が喉に詰まった。

 四番隊の力がどれだけ、人々の救いになっているかも知らないのか。胡蝶や烈の顔が頭をよぎり、カッと体が熱くなる。

「ま、でもそうだよな。卯ノ花様の引きがなきゃお前なんか、護廷十三隊にも入れやしないだろ」

 違う。

 烈のひいきなど無い。

「入隊しても四番隊しか入るところしか無いよな。流魂街のおちこぼれはさ」

 腹の底から沸き起こる熱いものが何なのか分からないまま、拳を固める。

「そうそう。それにお前、めちゃくちゃ霊圧低いしな。能無しの吹き溜まりがお似合いだよ」

 ……違う!

「……あ、あ、あああああああっ!」

 

 次の瞬間、雪音は少年に飛びかかっていた。

 

* * *

 

「……や、やめなさいっ!」

 不意に後ろから衝撃が来た。背中から腕が回って身体を拘束し、ぐん、と引っ張られる。

「っ」

 雪音は反射的に暴れたが、足が床を離れたので、我に返った。

 後ろから羽交い絞めにされ、しかも空中に浮かんでいる。ぎょっとして振り返ると、見知らぬ少女が、困った顔をしながら雪音を抱え込んでいた。

「はなっ、離して……」

「だ、駄目、喧嘩なんて駄目よあなた、落ち着いてっ」

 じたばたしたが、この少女は雪音よりもずっと背が高くて、力も強かった。

 拘束から抜け出そうともがきながら、雪音は廊下を見下ろす。そこには鼻から血を流した少年が座り込んでいた。

 ぺ、と口から血を吐き出し、怒りの形相で少年がよろりと立ち上がった。仲間がもうやめろよ、と止める手を振り払って、

「てっ……めぇ、野良犬のくせに、何しやがる……!」

「あっ、駄目!」

 少女の制止も聞かず、少年は羽交い締めにされた雪音の胸ぐらを掴み、拳を振り上げる。が、

「そこまでになさい」

「!?」

 凛、とした声が、その動きを縫い止めた。いつの間にか、少年の拳に細い手が重なり、ゆっくりと下に下ろさせる。

「誰だ!」

 殺気だった少年が振り返った先には、女性が立っていた。

 黒髪を頭の後ろでまとめ、整然とした空気を身に纏ったその女性は、端正な顔に厳しい表情を浮かべて、少年を抑えている。

「あっ……都先輩」

 雪音を押さえている少女が呟くのが聞こえた。都と呼ばれた女性はちらりとこちらへ視線を向け、

「虎徹さん、その子を下ろしてあげなさい」

 穏やかな口調で促すのに従って、少女は雪音を地面に下ろした。その手が離れた途端、

「っ」

 雪音は足から崩れ落ちるようにして廊下に膝をつく。雪音もまた、少年にあちこち殴られたらしい。

 重たい痛みがどっと襲い掛かってきて、萎えた足は体を支える事が出来ず、細かに震えて少しもいう事を聞かない。

 拳はあまりにも強く握りしめたせいか、固く結んだまま開く事が出来ず、あちこちすりむけてじんじん痛んだ。

「……廊下で喧嘩なんて、何事かしら。原因は?」

 都は両者を見比べた。しかし雪音は答えるどころではなく、自分の体を抱きしめてうずくまるだけだった。

 弱ったその様子にかえって勢いづいたのか、少年は鼻血をぬぐいながら、

「俺は何もしてないのに、こいつが突然殴りかかってきたんです! 悪いのはそいつだ!」

 声を裏返して叫び、雪音に指をつきつける。頭に響くその声に、雪音は違うと言い返したかったが、全身をかけめぐる痛みで声が出ない。

 都は雪音を見下ろし、

「……」

 思案するように眉根を寄せた。と、

「あの……都先輩。それ、違うと思います」

 おずおず、とした声が割り込んできた。

(え?)

 不意の言葉に驚いて、雪音が顔を上げると、先ほど雪音を押さえつけていた少女が広い肩をすぼめて、

「私、そこでたまたま見ていたんですけど……この人たちが一方的に、この子を悪く言ったから、それでこの子が怒っちゃって、こんな喧嘩になっちゃったんです」

 訥々と主張する。思いがけない非難に、顔を腫らした少年は息を飲み、

「な、何言ってんだお前! こんな野良犬に味方する気かよ!

 こいつが悪いんだ、俺にこんな怪我させたんだ、とっとと退学処分にすればいいんだ!」

 逆上して、廊下の端にまで聞こえそうなほど絶叫し始める。何事か、と周囲に人が集まり始めたので、都は顔をしかめて、

「分かったわ。確かに取っ組み合いの喧嘩を始めたのは、彼女が先だったようね。でも、それはあなた達にも十分非があるのではないかしら」

 少年の腕を取り、他の二人へも視線を送った。

「ひとまず保健室へ行きましょう。話は治療が終わってから聞いてあげますから。

 ……皆さん、早く次の授業へ向かいなさい。見世物ではありませんよ」

 都は人垣に向かって手を振って解散を命じ、雪音の方を振り返った。目が合うと、労わるような優しい表情で微笑み、

「虎徹さん。彼女を連れてきてあげて下さい」

 雪音の脇に立つ背の高い少女へ言う。

「は、はいっ! 分かりました!」

 少女はハッと背筋を伸ばして返事をし、少年を連れて歩き出した都を見送った後、雪音のそばに膝をついた。

「大丈夫? あなた」

「……っ」

 辛うじて頷いたが、立ち上がる事も出来ないのが分かったのか、

「無理しないでいいわよ。鞄は私が持つから、ほら、肩貸して?」

 少女は高い背を折って、雪音の体を支えて立たせてくれた。

 見知らぬ人に触れられるのは苦手なので、雪音は体を強張らせて「いいっ……」と断ろうとしたが、か細い声だったので聞こえなかったらしい。少女はそのまま歩き出してしまう。

「酷かったわね、さっきの。あの人たち、何であんな事言うのかしら。あなたは何もしてないのに」

「…………」

 そんな事は知らない。だが、もし理由があるとすれば、多分自分にあるのだろうと思う。

 彼らのいう事はまちがっていなかった。

 自分は確かに汚泥のような街で育った野良犬で、烈が同情で手を差し伸べてくれなければ、こんなに明るく綺麗な場所にいられるはずがなかったのだから。

 しかし少女はそんな雪音の気持ちなど気づく事なく、

「もしかしたら、あれかしら。あなたをやっかんでるのかもしれないわね」

 ふと思いついたように言った。

「……やっかん……?」

 やっかんで。嫉妬、という意味だったか。言葉を頭の中で変換して、雪音は首をかしげた。何故、彼らが自分に嫉妬する必要があるのだろう。

 少女は雪音が首を傾げるのを見て、ふふ、と息を漏らした。

「だってこの間の試験、あなた一番取ったでしょう?

 それも二番と圧倒的に差をつけてたもの、頭が良くて羨ましいと思う人がいてもおかしくないわよ」

「……そ、なんだ」

 授業は楽しいし、良い点を取ると、烈がいつも言葉を尽くして褒めてくれる。

 それが嬉しくて、期待に応えようと一生懸命勉強していたのだが、それで人に嫉妬されるなんて、考えもしなかった。

 そういえば、彼らがいつにも増して絡んでくるのは、試験の後だった気がする、と思い起こしていると、少女がこちらの顔を覗き込んできた。

「な、……なに?」

 突然近くに顔が来たのにびっくりして、雪音は顔をひいた。少女は「あっ、ごめんね」と謝って、

「あのね、知らないかもしれないけど私、結構あなたと同じ講義を取ってるの。

 先生に指された時もすらすら答えるから、すごいなぁっていつも思ってて」

 ばつが悪そうに顔をしかめる。

「それで、ごめんね、聞くつもりなかったんだけど、さっき進路希望の話聞こえてきちゃって。四番隊、入りたいのね」

「……う、うん」

 自分ではそんな事考えもしなかったが、周囲の目から見た四番隊はおちこぼれ集団なのかと思うと、胸の奥が痛くなる。

 眉間にしわを寄せた雪音に、少女はにこっと笑った。

「あのね、実は私も四番隊の入隊を希望してるの」

「……え?」

「私は先頭切って戦う事より、人の手助けのほうが性に合ってて、能力的にも、治癒の方が向いてるみたいだから。

 でも四番隊って、さっきの人たちが言ってたみたいに、護廷十三隊の中で最弱だって陰口叩かれてるらしくて……でも、だからあなたも四番隊を目指してるって聞いて、嬉しかったの。

 四番隊に入りたいのは、私だけじゃないんだって思って。それで……」

 そこまで話して、少女はあ、と口を手で覆った。顔を赤くする。

「ご、ごめんなさい、勝手にぺらぺら喋っちゃって。私の志望動機なんて、どうでもいいわよね」

「……ううん」

 雪音は小さく首を振った。四番隊をけなされたショックは未だ大きかったが、自分以外にも四番隊を志望している人がいるという事は嬉しかった。

 自然、顔がほころぶ。すると少女はこちらの顔を窺うように、

「あの、もしよかったら……友達に、なってもらえないかな?

 私、知り合いも居なくて、ちょっと心細かったの。あなたと一緒に勉強出来たら、嬉しいんだけど……」

 遠慮がちに申し出てくる。

 友達。

 その言葉に、今度は雪音が赤くなった。

 今まで大人の中にばかりいて、同じ年頃の友達など、いたことが無かった。こんなに優しそうな少女なら、出自の卑しい自分でも構ってもらえるかもしれない。そばにいる事を、許してくれるかもしれない。

「う……うん、有り難う。友達、嬉しい」

 どきどきしているせいでぎこちない片言で了承すると、少女はぱぁっと顔一杯に笑みを浮かべた。

「良かった! じゃあ改めて、私は虎徹勇音よ」

「あたしは……卯ノ花。卯ノ花雪音。えっと……宜しくお願いします……いたっ!」

 ぺこ、と頭を下げたら、肩に痛みが走った。

「きゃっ、大丈夫?! ごめんね、保健室すぐそこだから、頑張ってね」

 勇音は励ましの言葉をかけながら、雪音を抱え直した。

 しっかりと自分の身体を支えてくれる少女の腕の温もりを感じながら、雪音はうん、と小さく頷いた。

 初めて出来た、友達。

 その言葉が、痛む身体さえ癒してくれるように思えて、不思議と心が和んだ。


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