十一、四   作:なんじょ

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鑑原

「……はい、地獄蝶の返却、承りました。現世任務、お疲れ様でした。斑目三席」

 恋次に似た刺青を額に入れた六番隊の隊員が、一角の周囲を飛んでいた地獄蝶を紐につなぐ。

 おう、と応えて手を振り、部屋の出口に足を向けた。

 現世での任務を終えた後はいつも、良い酒か良い女が欲しくなる。

 前までなら遊郭に行けばそのどちらも事足りたが、今は無性に雪音の顔が見たかった。

 一週間の短期駐在でも、顔が見られないのは落ち着かなかった。

(とりあえず、また飯誘ってみるか。今度こそ二人きりで、そのまま夜まで一緒にいられりゃ御の字だが、そうはいかねぇんだろうなぁ)

 健全な付き合いをしろと弓親に忠告された事だし、そこは自重しなきゃな、と顎を撫でたところで、何かが視界の隅にひっかかる。

 何気なくそちらへ視線を向け、一角は動きを止めた。

 一角が出てきたばかりの六番隊隊舎に入っていく女、背中しか見えなかったが、後姿と頭に付けた簪に見覚えがある。雪音だ。

(ちょうど良いじゃねぇか。もしかして俺が帰ってくるの待ってた……なんてな)

 そんな都合のいい事あるわけがないと思いながら、一角は踵を返した。

 再び隊舎の敷居をまたいで入ると、部屋から出てきたさっきの六番隊員が、訝しげにこちらを見た。

「あれ? 何かお忘れ物ですか?」

「いや、……ん?」

 辺りを見渡し、一角は眉をあげた。雪音が居ない。

 ついさっきここに入ったばかりなのに、姿が見えなかった。おかしいな、見間違いって事ぁ無かったと思うんだが。

「おい、さっき雪音……鑑原の奴が来なかったか?」

 念のため尋ねてみると、隊員はあぁと頷いて、反対側の戸口を指で示した。

「いらっしゃいましたよ。たった今あっちの出口から、穿界門へ向かわれました」

「穿界門って、あいつ現世に行ったのか?」

 珍しいこともあるものだ。雪音は瀞霊廷のあちこちで忙しく仕事をしているが、一角の知る限りでは、現世に降りるような仕事はしない。

 そもそも四番隊は戦闘より治療がメインの隊なので、単独での現世出向任務なんて、ほとんど無いはずだ。

「何だ、救援にでも行ったのかよ」

 虚退治などで現世に降りた隊員が手に負えない怪我をした場合は、四番隊が後から出向く事もある。

 そう思って聞いてみたが、相手は首を振った。

「いえ、仕事ではなくて、私的なことみたいですよ。

 鑑原五席、時々ですけど、ふらっと現世に出かける事があるんです。いつも同じ場所ですから、何か思い入れのあるところを訪ねてるんじゃないですかね」

「へぇ。思い入れ……ねぇ」

 呟いて、一角は天井を見上げた。雪音が現世にそれほどこだわってるなんて、これまで聞いた事が無い。

 一人でこっそり出向くくらいだ、よほど気に入ってるところなのだろう。

(……そうと知りゃ、気になるな)

「おい、地獄蝶をもう一回貸せ」

「え? でも一度返却されましたし、貸与申請をあらかじめして頂かないと……」

 隊員がきょとん、と目を瞬かせて言うのがじれったくて、一角は奴の胸倉をつかんで引き寄せ、

「良いから貸せって言ってんだよ、ぐだぐだうるせぇ!」

「ヒィッ?!」

 カッと怒鳴りつけてやった。

 

 穿界門をくぐった先は、森の中だった。

 鬱蒼と生い茂る木々の合間から、白っぽい陽光がちらちらと瞬き、風が吹き抜けて葉擦れの涼やかな音を立てる。

 遠くで鳴く鳥の声は暢気なほど明るくて、人のいる気配は微塵も感じられなかった。

「色気のねぇところに来てんだな、あいつ」

 澄んだ霊子は気持ちいいが、若い女ならもっと賑やかなところに遊びにいきゃいいものを。松本なら絶対、町に繰り出して大騒ぎするぞ。

 そう思いながら、目を閉じて雪音の霊圧を探す。

 人間が居ない分、あいつの低い霊圧でも探しやすくて、すぐに見当がつく。

「こっちか」

 俺は獣道に足を踏み入れ、歩き出した。多分雪音も同じ道を辿ったんだろう、ほんの微かだが、あいつの霊圧の欠片が残っているのが感じられる。

 途中、狸に出くわした他はこれという事もなく、しばらく歩を進めていると、前方にきらきら光るものが見えてきた。森はそこで一度途切れている。

 戦闘時の癖で、広い場所に入る手前で足を止めた俺は、木の影から前をすかして、へぇ、と呟いた。

 そこにあったのは、湖だった。

 かなりでかい湖で、鏡のように澄み切った湖面には空の色を青々と映し出し、向こう岸は若干霞がかかって見える。

 そっち側にもまた木々が生い茂っているらしいが、奥に行くほどなだらかな坂になっている。それを目で追っていくと、森の背後には山がそびえていた。

 それほど高い山じゃないが、上にいくほど急峻で、山の表面にはちらほらと山桜が咲いているのが見える。

 雪音は、湖の前に居た。

 普段は空の腰に斬魄刀を差していて、その周りを地獄蝶が、ひらひらとあてどもなく飛んでいるのが見える。

 俺は何となく息を潜めて、しばらくの間眺めていたが、雪音は特に何をするわけでもなく、ただじっと眼前の風景を眺めているようだった。

(何してんだ? あいつ)

 風光明媚なといえば聞こえは良いが、いかにも鄙びた光景だ。

 目を楽しませるほどの絶景というわけでもなし、何をそんなに見入ってるのだろう。

 不思議に思いながら、俺は無意識に足を横に動かした。と、草鞋の下にあった枝がぱきん、と乾いた音を立てて折れる。

(あ)

 さほど大きな音じゃなかったが、静まり返った森の中じゃ、十分響く。しまったと思った時には、雪音がこっちを振り向き、

「……い、一角?!」

心底驚いた様子で目を丸くした。

「あー……よ、よぉ」

 まずった、見つかった。

 今更逃げるわけにもいかず、俺は仕方なく茂みを踏み越えた。ずかずか近づいていくと、雪音は最近お決まりの、少し困ったような顔で向き直る。

「ど、……どうしたの。こんなところに、居るなんて。任務でも、あった?」

「いや……」

 一瞬誤魔化そうかと思ったが、そんな事をしても意味が無いばかりか、雪音を警戒させかねないと考え直し、俺は額をかいた。

「現世の駐在任務から戻った時、お前が六番隊に来たのを見たからよ。現世に行くなんて珍しいと思って、つい追って来ちまった」

「つい、って……それだけで、わざわざ後ついてきたの?」

 雪音は目を瞬き、それからぽっと赤くなった。

 俺の視線から逃れるように、慌ててそっぽを向いたが、手が死覇装の袴をつまんで、もじもじしている。

 ……あぁくそ、何でそういう反応しやがるんだお前は、それは俺が追っかけてきて嬉しいって事かよ畜生、いい加減にしねぇと本気で押し倒すぞ、今度は逃げ無しで。

「あー、なんだ、いいところだな、ここは。お前、良く来るんだって?」

 照れる雪音があんまりにも可愛くて、自制が利かなくなりそうになったので、俺もあさっての方向に無理やり顔を向けた。

 それでもちらっと目線をやると、雪音は赤くなった顔を手で覆いながら、うん、と頷き、

「……ここに来ると、何だか落ち着くの。綺麗だし、静かだし、人も来ないし」

 再び湖に目を転じた。途端に表情が和らぎ、口元にふわ、と笑みが浮かぶ。

 ……驚いた。こいつがこんなに穏やかな顔してるのを見るのは、初めてだ。

「……何か、良い思い出でもあるのか?」

 気になってつい尋ねたら、雪音はもう一度頷き、はにかんだ。

 うわ、だからよせってそういう顔、やばいから。

 赤面して焦る俺に気づかず、雪音は湖に向かってよいしょ、としゃがむ。斬魄刀の鞘がガチャリ、と鳴った。

「ここ、烈様に初めて、現世へ連れてきてもらった場所なの」

「卯ノ花、隊長に?」

「そう」

 手で周囲を漠然と示して、

「今はもう残ってないけど、ここは冬になると、雪が積もってすごく綺麗なのよ。あたし、自分の名前に雪ってついてるけど、見たことなくて」

「まぁ……そりゃそうだろうな。現世ならともかく、ソウル・ソサエティで天気が悪くなる事ぁ、そう無いしな。雪を見られるとすりゃ、十番隊の……あー、何つったか、今度隊長になった、あの」

「日番谷君?」

「あぁそうそう。あのガキが斬魄刀解放するくらいでしか、見られねぇだろ」

「……ぷっ」

「あん? 何笑ってんだよ」

「だって、雪見たいから解放してなんて言ったら、きっと怒るわよ、日番谷君。俺の斬魄刀は見世物じゃねぇ、とか何とか言って」

「いいじゃねぇか、減るもんじゃなし」

「そういう問題じゃないでしょ、もう」

 俺の前では久しぶりに、くすくすと楽しそうに笑って、雪音は湖に向けて腕を伸ばした。

 指先をぬらしてみて気に入ったのか、袖をおさえ、水の感触を楽しむように湖面に手を滑らせる。

 きらきらと輝く水面の光を受けて、細く白い手が輝いて見えて、思わずどきりとしてしまう。

(あーくそ、あの腕にちゅーしてぇ)

 汚れのない雪面に、足跡を残したくなる心境と似てるかもしれない。真っ白な肌に赤い跡を山ほどつけてやりたい。

 そんな事を思い、思った自分に思わずため息を吐く。

 本当にやばいな俺、雪音を見てると、ところ構わず盛っちまう。

 女は昔からそれなりに好きだったが、ここまで節操なしじゃあなかったよな、本気で惚れるってのはこういう事か。理性も糞もあったもんじゃねぇ。

 つーかマジでやばいだろ、こんな調子じゃ俺、いつまで耐えられるんだ。

「……ここで雪景色を見て、初めて自分の名前が好きになったの、あたし」

 自分の衝動を抑えようと深呼吸する俺とは逆に、雪音は至極落ち着いた顔で話を続ける。

「烈様に教えてもらうまで、名前に意味なんて何も無いと思ってた。誰がつけたのかもしれない、無意味な記号でしかなかった。だから、…………」

「……だから、何だよ」

 不意に言葉が途切れたので促すと、雪音は手の水を払い、膝頭に顔を伏せた。上から見えるその表情は、どこか物思わしげだった。

「……うん、だからね、ここの名前を貰ったの」

「あん?」

 意味が分からない。つい、つっけんどんに声を上げたら、雪音は棒を拾った。鏡原、と地面に書く。

「ここの地名、鏡原っていうのよ。この字でかんばらって読ませるんだけど、昔は鑑原って言う名前だったんだって」

 原の上、鏡の横に、鑑を書き足す。

「あたし、ここの名前を貰う時にどっちにしようか迷って、姓名判断してみたら、鑑のほうが良かったから、この名前を苗字につけたんだ」

「じゃあお前、昔は名前違ったのか?」

「烈様が卯ノ花家に養子で迎えて下さったから、卯ノ花雪音って言ってたわよ。だけど、色々知るうちに、その名前が重くなってきちゃって」

 卯ノ花、と書いて、雪音は膝の上に頬杖をついた。短く息を漏らす。

「烈様は気にしないでいいと言って下さったけど、あたしは元々貴族じゃないから、分不相応な名前だったのよ。

 それに、いつまでも烈様のご好意に甘えていられないと思ったから、自立の意味もあって、鑑原雪音に改名したの」

「……へぇ」

 こいつの苗字にそんな由来があるとは、知らなかった。

「名前につけるくらいなら、よっぽどこの場所が、気に入ったんだな」

 何気なく言うと、雪音は頬杖を外して、俺を見上げた。そして湖に視線を戻し、ふ、と優しく笑う。

「……うん。ここは、特別なの」

「!」

 俺はその顔を見て、さっきとは違う意味で、どきりとした。

 昔を懐かしむような、慈しむような笑み。

 ここじゃないどこか、遠い、遠い場所を見つめるような瞳。

 それは俺が今まで見てきた雪音の表情の中で、もっとも無防備で、もっとも近寄りがたいものだった。その顔は言葉よりも雄弁に、雪音の気持ちを物語っていた。

「……」

 俺はざ、と地面を蹴って背を向けた。唐突な動きに驚いたのか、

「え、一角?」

雪音が素っ頓狂な声をかけてくる。立ち上がる気配を感じて、俺は背を向けたまま、手を振った。

「そこいらうろついてくるから、帰る時に声かけろ」

 素っ気なく言い捨てて、足早に森のふちに入った時、有り難うという言葉が聞こえたような気がした。

 俺はそれには応えず、茂みをかきわけ、張り出した木の枝を払い、道なき道を歩いて、湖から遠ざかる。

 ――特別。この場所は、雪音にとって、本当に特別なところなんだろう。

 忙しい仕事の合間、時々一人でやってきて、ぼうっと見つめているだけで、穏やかな気持ちになれる、そういう特別。

 あんな雪音を、俺は知らなかった。俺の知らない雪音がまだ居るのが悔しくて、全部自分のものにしたくて、歯がゆい気持ちになる。

 だが、思い出に浸るのを邪魔するような野暮はしたくねぇ。あいつが一人でいたいってんなら、そうしてやるさ。

 てめぇがそうしたいからって、遠慮もなしにずかずか相手の懐に踏み込んでいけるほど、俺もガキじゃねぇし。

 俺は腕を上げてぐっと伸びをし、頭上に覆いかぶさる木々を見上げた。

 日の光を透かした葉は青々と輝きながら揺らめき、息を吸い込めば草いきれの匂いが、胸いっぱいに広がる。

「……良いところじゃねぇか」

 ついぽろっと呟いてから、俺は苦笑した。あいつの特別な場所だからって、さっきより景色が綺麗に見えてくるなんて、俺も大概単純だな。

 

 一角は急に背を向けて、森の中へ姿を消してしまった。

 唐突な退場は、多分こちらに気を遣ってくれた為だろうと思ったから、「有難う」と言ったけれど、聞こえたかどうかは分からない。

 草を踏み分けるがさがさという音にしばらく耳を澄ましていたけれど、やがて周囲は静寂に戻った。

「…………」

 雪音は棒で地面を削りながら、再びぼうっと考え事に浸る。

 陽光を受けて輝く湖は、空の青と森の緑と山の稜線を見事に映し出して、それは綺麗だった。

 けれど、今自分が見ているのは、烈の凛々しく、そして少し悲しげな顔だけだった。

 

* * *

 

『……では、もう決めたのですね』

 前に置いた死覇装を見つめていた烈が、いつもの落ち着いた声で尋ねてくる。ぐっと顎を引いた雪音は、

『幼き頃から今まで、烈様には大変お世話になり、言葉に尽くせぬほど感謝しております。護廷十三隊の死神となった今、やっとその御恩に報いる事が出来るようになりました。

 本日より私は、卯ノ花家より籍を抜き、新たに鑑原雪音と名乗り、烈様にお仕え致したく存じます』

 そう言って平伏した。烈は細いため息を漏らす。

『あなたがそうと決めたのなら、仕方ありません。ですが、雪音』

『はい』

『例え卯ノ花家から離れても、あなたは私の子で、私はあなたの母です。それは終生、変わる事の無い絆なのですよ。

 もし何か辛い事があれば、私の元へおいでなさい。私はいつでも、あなたの味方ですからね』

『烈様……』

 顔を上げたら、烈はにこりと笑いかけてくれた。

 昔から変わらない、包み込むような優しさに満ちたその微笑はとても美しく、雪音は胸が一杯になってしまった。

 卯ノ花家から出て、一人で生きたいなんて我が儘を聞いてくれただけでなく、傷ついた時の逃げ場所まで引き受けてくれるなんて。

『……有難う、ございます』

 あまりの嬉しさに、つっかえながらお礼を言う。すると烈は畳の上の死覇装を取り、にじり寄って雪音の手に渡した。

『死神の職務は決して、生易しいものではありません。

 時に己の心が張り裂けそうなほどの悲しみや苦しみに出会い、苦悩する事もあるでしょう。

 ですが、あなたはきっとそれを乗り越えられる。あなたにはその強さがあると、私は信じています』

『烈、様?』

 烈は不意に表情を曇らせた。

 雪音の姿を焼き付けるように、長い事見つめ続けた後、烈はぎゅ、とこちらの手を握りしめた。そして躊躇いを消した決意の表情で告げる。

『一人の死神として立つあなたに、大切な事をお話します。

 あなたはこれから先、今から私が語る事を心に刻み、その荷を負っていかねばなりません。

 ……例えそれが、どれだけ重い荷であったとしても』

『何、……でしょうか』

 これほど真剣な、それでいて悲しげな烈の顔は、見たことが無かった。

 半ば怖気づき、聞きたくないと思いながら言葉を発した雪音に、烈は真っ直ぐな視線を向けた。

『骸鴉。あなたが生まれ育ったあの街が何故、滅んでしまったのか――その、真相です』

 

* * *

 

 ぴしゃん、と水が跳ねる音で我に返る。

 はっと目を向けたが、湖の上には波紋が広がっているだけで、魚や鳥の姿は見えなかった。

「……は……ぁ」

 雪音は緊張した身体の力を抜き、いつの間にか折れてしまった棒を、地面に落とした。

(骸鴉……空骸)

 名を思い浮かべるだけで、身体に寒気が走る。

 心の奥にしまいこんだ過去の記憶が引きずり出され、頭の中に赤い情景が次々と蘇る。

 仰向けに倒れた身体。

 闇に塗りつぶされた口。

 落ち窪んだ眼窩。

 空をむしりとろうとするかのように伸ばされた手。

 それらが数え切れないほど折り重なって、目の前一杯に広がる。

「……っ」

 腹からせりあがってきた吐き気に、雪音は膝をついた。熱は喉まで駆け上ってきたが、

「ぐっ……」

 辛うじて飲み下し、口の中に広がる酸っぱい味に顔をしかめる。

 あの時聞いた烈の言葉は、一字一句違わず覚えている。いや、それ以前に身体が、あの街の有様を覚えている。

 それは、自分の業だ。

 決して逃れらない、一生背負っていかなければならない業だ。

 しばらく肩で息をついて落ち着かせた後、雪音は顔を上げた。

 どの季節に来ても、どこか懐かしい、不思議な暖かさで受け入れてくれるこの景色が大好きだ。

 だが今日、目の前に広がる光景は変わらず美しいままだったけれど、雪音の目には何故か色あせて見える。

(……あの時の事を、思い出したから?)

 一角に話をして、思い出してしまったせいだろうか。雪音は小さく首を振って、頭の中を駆け巡る暗い情景を振り払おうとする。

 と、不意に場違いな電子音が鳴り響いた。

「!?」

 驚いて懐の伝令神機を取り出すと、画面には虚の出現を知らせるメッセージが書かれていた。

 ぱっと表示が切り替わり、虚の居場所を示すアイコンが地図上を移動し始める。

「こんなところに虚が出るなんてっ」

 雪音は鋭く舌打ちして伝令神機をしまい、そちらの方へ走り出した。

 森に飛び込み、走るというより飛ぶように先を急ぐと、横手から黒い影が飛び出してきて、横に並んだ。

「一角!」

 こちらをちらっと見、一角はすぐに前方へ視線を戻した。その口元に苦笑いが浮かぶ。

「お前も指令受け取ったのかよ。ったく、上の連中は人遣い荒ぇな。お前、非番だろうが」

「しょうがないでしょ。虚出現時は、直近の死神が対応する事になってるんだから」

「かーっ、くそ真面目だなお前は! こういうのはな、俺に任せておきゃいいんだよ」

 と言って、一角はぐんとスピードを上げた。

(う、うわ、さすが十一番隊、速い!)

 雪音も全速力で走っているのに、一角が一歩進むごとにどんどん距離が開いてしまう。

「一緒に来るつもりならとろとろすんなよ、雪音!」

「う、うるさいっ……!」

 息を切らして走りながら、離れていく一角の背中を追いかけた。広々としたその背中を見つめていたら、胸にずきり、と痛みがよぎる。

(もし、一角があの事を知ったら、どう思うだろう)

 烈が雪音に告げたあの事を知ったら、一角はどんな目で自分を見るだろう。

 恐れるだろうか、軽蔑するだろうか、それとも今みたいに、離れていってしまうだろうか。

「……っ」

 それを想像したら、胸の痛みが激しくなっていく。

 雪音は奥歯を噛んで、下を向いた。想像するだけでこんなに苦しいのに、それが現実になったらと思うと、恐ろしくて身体が震えてしまう。

 言えない。とても言えない。言ったら、一角はきっと。

「ボケっとすんな、来るぞ、雪音!」

「!」

 森を抜けたところで、一角の声が響く。

 反射的に顔を上げると、向こうから咆哮をあげてやってくる小山のような大きさの虚が視界に入ったので、雪音は慌てて鞘を払った。

 けれど、構えるより早く、黒い影が虚の眼前にこつぜんと現れ、

「ひゅうっ!」

 一呼吸のうちに白銀の光が走って、虚の仮面を断ち割った。

 虚は悲痛な叫び声をあげて後ろに倒れ、地面が揺れる。悶え苦しみながら、その身体が雪のように溶け始めた。

「……」

 それを見ながら、雪音はぽかんと口を開いて硬直してしまった。

 何、これ。今何が起こったのか、全然見えなかった。

 辛うじて分かったのは、さっきの影が一角だったという事だけ。

 身軽く地面に降り立った一角は、刀を鞘に納めて不満そうに鼻を鳴らした。伝令神機を取り出し、

「ちっ、手ごたえねぇな、あっさり終わっちまった。追加給金もねぇし、雑魚だったな」

 そして雪音を振り返り、いきなり盛大に噴出す。

「お前、なんだその腑抜けた顔! すっげー間抜け。俺様の戦いぶりに見とれてたのか?」

「うっ……」

 悔しいけれど、否定できない。慌てて顔を手で隠して、雪音は言葉に詰まった。

 霊圧高いのは知ってたけれど、一角がこんなに強いなんて、知らなかった。全く動きが見えなかったし、虚を切り伏せても息一つ乱れていない。

 まるで、自分とは全く違う生き物のようにさえ思えるほど、一角は強かった。

 だけど、笑う一角の顔は、いつもと同じ、悪ガキみたいな顔だ。

 そして一角の背後に広がる空が、目にしみるほど青く、澄み渡って見える。

 

 ――あぁ。空が、一角が綺麗だ。

 

(……って! 何それ! 一角が綺麗とかおかしいからその感想!)

 自分でツッコミを入れて、雪音は赤くなってしまった。

 だっておかしい、さっきまで沈んでいた風景が、いつの間にかとても色鮮やかに見える。

 しかも、その中で一角がとても輝いていて、格好よく見えて、すっごくおかしい。

 やだ、もう見ていられない。このままじゃあたし、熱があがって爆発するかも。

「も、もう、他に虚いないみたいだし、帰るわよ!!」

 雪音は焦って背中を向け、遅れてこちらへ飛んでくる地獄蝶のところへ、刀をしまいながら歩を進めた。

 だがその仕草が不自然だったせいか、一角がずんずん近寄ってきて、

「何だよ、もう帰って良いのか? 雪音」

 ぱっと顔を覗き込んできたので、雪音は咄嗟にその顔を押し戻してしまった。

「ムげっ!」

「い、い、いいの! 帰るの!」

「おま、何すんだおい、今首の筋グキッていったぞ、いてぇだろうが!」

「う、うるさい! 急に近づかないでよ!」

 頭がぐるぐるして、胸がどきどきしてくるから、ほんとに近づくな!


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