十一、四   作:なんじょ

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恋愛マニュアル

「あ」

「お」

 廊下の角を曲がったら、雪音と鉢合わせた。

「お……おぉ」

「う……うん」

 顔を見合わせて、お互い、意味のない言葉を交わし合う。

 一角はとっさに言葉が出てこず、雪音も視線を下げて、無言で立ちつくしている。

 前までなら、そのそぶりを見て、まだこちらを避けてるのかと思っただろう。

 だが、今は違う。俯いた雪音の顔が少し赤らんでるのだって、ちゃんと見えている。

(雪音……)

 顔を見たら、つい唇に目が引き寄せられた。

 この間、やちるの邪魔がなけりゃ、本当に後もう少しで触れるところだった唇。

 あの時、嫌なら振り払えるくらいの余裕は残したのに、雪音は逃げなかった。

 どころか目を閉じて、受け入れるそぶりさえ見せた。

(ってことは、あれだよな。雪音はもう俺の事、ダチじゃなくて、ちゃんと男だと思ってんだよな。むしろ好きなんだよな?)

 そう思ったら、途端に顔が緩みそうになった。

 やべ、今すげー間抜け面してるぞ俺。

「あー……雪音、これから昼飯、食いにいかねぇか? その。……二人で」

 口の辺りを手で隠しながら、とりあえず誘ってみる。

「えっ」

 雪音はぱっと顔を上げた。が、一角と視線を合わせた途端、落ち着きなく目をさまよわせる。

「あの……えっと」

 言いたい事は何でも言う雪音が、こんな風に口ごもるなんて、らしくない。

 しかし、眉を八の字にして困惑しつつ、頬が赤らんでいるせいで、照れてるようにしか見えない。もう一押しすればいけそうな感じだ。

「……行こうぜ」

「あっ」

 だから一角は強引に腕を掴んで、軽く引っ張って、歩き出した。

 雪音は一瞬足をもつらせたが、そのまま大人しくついてくる。ちらっと振り返ったら、まだ困った表情のままだ。

(でも、嫌じゃねぇんだよな?)

 その証拠に、草履を履く時に手を離しても、隊舎を出て店に向かうようになっても、素直についてきているのだから。

「時貞で、いいよな。近ぇし」

「う……ん」

 目を合わせないで躊躇いがちに頷きながら、並んで歩き続ける雪音。

(いけるか。いける、よな?)

 一角は首の後ろをぼりぼりかいた後、思い切ってその手をそのまま、相手の肩に回した。

「!」

 ぐっと肩を抱いて引き寄せると、雪音が身体をびくっと強ばらせた。

 目だけ動かして見下ろしたら、柔らかそうな頬をぱぁっと赤らめて、雪音は恥じらうようにまつげを伏せた。それを見て、一角の顔も熱くなる。

(うわやばいってお前、何だその顔、すっげー可愛いんだけど)

 何だよ、普段あんだけ口うるせぇくせに、どうしてこんな初々しい反応すんだよ。

 意識しちまうじゃねぇか、つーかこの間の続きしてぇだろうが。

「雪音」

「ひゃっ……ちょっと近いっ」

 足を止めて前に回り込むと、赤面した雪音は顔を背けた。その顎を掴んでこっちを向かせて、

「……いい、よな?」

「……っ」

 目をのぞき込んで問うと、雪音は更に赤くなって縮こまった。口が微かに開いて何か言おうとしたが、声が出ないのか、何も言葉にならない。

(よし、これならいける!)

 心の中でガッツポーズしながら、ぐ、と顔を近づけようとした……時、

「あ、一角さん! ちょうど良かった、聞いて下さいよ!」

「うおっ!」

 背後から大きな声がかかって、一角はがくっとこけた。がしがし足音をたてて近づいてきたのは、恋次だ。

「へへっ、俺、六番隊にいく事になっ「…………恋次ィ~~~~…………」「おわっ?!」

 振り返った一角を見て、へらへら笑っていた恋次が顔を引きつらせて後ずさった。

 どいつもこいつも、何でいつも良いところで邪魔しにきやがるんだ!

「な、なんすか、何でそんな怒ってるんすか一角さんっ!?」

 お前のせいだ馬鹿野郎! と怒鳴りつけようとしたら、雪音がするっと一角から離れて、恋次のほうへ駆け寄った。

「いやっ、阿散井君、何でもないわよっ!」

「あ、あれ、居たんすか、雪音さん」

 一角の影になって見えなかったのか、恋次が目を瞬かせた。雪音はぱたぱた、とせわしなく手を振り、

「う、うん、居たの。えっと、何? さっき六番隊がどうって言ってなかった?」

「え、あぁ。あの俺、今度の異動で六番隊に行く事になったんス。正式な任官はまだなんすけど……なんか、副隊長とかで」

「えっ……副隊長?! うわ、大出世じゃない、すごい! 良かったね、おめでとう!」

「あ、有り難うございますっ」

「いつも頑張ってたもんね、阿散井君。そうだ、これからご飯食べに行くんだけど、せっかくだからおごってあげようか」

「あぁ?!」

 雪音が妙な事を言い出したので、一角は思わず苛立ちの声をあげてしまった。

 ちょっと待て、俺ぁさっき『二人で』って言っただろうが!

「え、それは……ええっと、それは……その」

 雪音越しに思いっきり不機嫌な一角の顔を見たせいか、恋次が頬を引きつらせる。

 だが、こちらに背を向けた雪音は気づいてないのか、恋次の腕に触って……って、何だよその妙に親しげな態度は!

「時貞行くところだったの。お魚大丈夫だよね、阿散井君」

「え、えぇ、まぁそれは……。……あの、一角さんと一緒、なんですよね?」

 どす黒い殺気を放つ一角が気になるのか、若干青ざめた恋次がこちらと雪音を見比べる。

 雪音はちらっと振り返り、何とも言えない表情をしてから、

「うん、そう。……行こうよ、一角。後輩の栄進なんだから、お祝いしなきゃ」

 普段通りの声を装って誘いをかけてくる。

「……おう」

 どうやらすっかり機会を逸したらしい。

 一角は心中で不満の声を盛大に上げながら、それでも渋々、喉の奥から同意のうなり声を漏らした。

 

「……あぁっ、わっかんねぇな、畜生」

 どっ、と勢いよく道場の床に座り、手ぬぐいで汗をぬぐいながら唸ると、

「どうしたの、一角」

 書類を手にした弓親が入ってきて、声をかけてきた。一角になぎ倒されて、救護室へ運ばれていく隊員たちを横目に見て、

「何か今日はいやに荒れてるね。嫌な事でもあった?」

 少し距離を置いた場所に座る(汗くせぇから近くは嫌だとか思ってやがるな、こいつ)。

 どうもこうも、と木刀で苛々と床を叩きながら、昼の一件を弓親に話した。

「ふーん……それで? 何が気にくわないのさ」

「あぁ? ンなもん決まってんだろ、雪音だよ。あいつ絶対俺に惚れてんのに、何で他の奴に愛想ふりまきやがるんだ」

「愛想ふりまくって、恋次相手だろ? 雪音ちゃんは元々、恋次の事を結構可愛がってたじゃないか」

「だからってよ! 二度もちゅーしかけた俺の前で、なれなれしく男の腕さわったりするか?!」

「するんじゃないの、別に。……うわ、その顔不細工だよ、一角」

 ほっとけ、くそっ。惚れた女が他の男にべたつくのを、黙って見過ごせるか。

「……まぁ、前後の関係から考えてみたらあれかな。雪音ちゃん、照れてたんじゃないの」

 むすっとして黙り込んだ一角を宥めるように、弓親は言う。

「一角の話聞いてると、雪音ちゃん、結構シャイみたいだからさ。キスしかけたところに恋次が来たから、恥ずかしくて、一角から敢えて離れたんじゃないのかな」

「……だとしてもよ、恋次まで飯に誘う事ねぇだろ」

 結局あの後、三人で食う羽目になって、俺は心底がっかりしたんだぞ。

 というより、おそらく自覚している以上に怒り丸出しだったろう、恋次は飯が喉を通らないという顔で食べていたから。

「うーん」

 弓親は首を傾げ、顎に手を当てて考え込んだ。

「……もしかして雪音ちゃん、段階踏んで付き合いたいと思ってるんじゃないの?」

「あ? 段階?」

「うん。ほら、一角と雪音ちゃんって、付き合いましょうって告白して、始まったわけじゃないだろ。一足飛びで」

「……まぁな」

 最初は友達、次は一角が雪音を押し倒して、ぎくしゃくしてしまった。

「だから一度リセットして、今度は一からやり直そうって思ってるんじゃないかな。

 今日のも、いきなりキスされそうになったから警戒して、間に恋次を入れたとかさ、ありそうだと思うけど」

「今更、警戒なんてする必要ねぇだろ。何だよ、一からやり直すって」

「がっついてキスするのは、まだ早いってこと」

「何でだよ、あいつだって嫌とは……」

「言ってないかもしれないけど、良いとも言ってないんだろ?」

「ぐっ……」

 それは、確かに。今日だって言葉に詰まって、固まっていた。

「雪音ちゃん、けっこう真面目だからさ。いくら好きでも、そういうところは、きちんとしたいんじゃないの。

 だから、一角も雪音ちゃんと付き合いたいなら、もう少し相手に合わせてみたら」

「……何すりゃいいんだよ」

 相手に合わせると言っても、雪音が何をしたいかなんて分からない。困惑して尋ねると、弓親は髪をさらりとかきあげて、

「そんなの自分で考えなよ。ま、たまには健全なデートから始めるってのも、いいんじゃないかな」

 すっと立ち上がった。

「おい、弓親……」

「あぁそうだ、忘れるところだった。この書類、字間違ってるから、提出し直して。今日の定時までだよ」

 弓親は一角が呼びかけるのを無視して、持っていた書類を鼻先にずいっと差し出してくる。

「げっ、何かすげー赤入ってるぞ、これ。どうせチェックするなら、お前が直して出しゃいいだろ。いつもそうしてんだし」

「駄目。いい加減書類の書き方くらい覚えてもらわないと、僕の負担がちっとも減らないんだよ。

 それに仕事も女も、手を抜くとろくな事にならないよ」

「うっ……」

 そんな風に言われたら、ぐうの音も出ない。

「じゃ、宜しく」

 弓親はひらひら手を振って、すたすた道場を出て行った。書類を両手で持った一角は、

「……ちっ、しょうがねぇな」

 深々とため息をつくと、腰を上げる。

 弓親の指摘はいつも的を射て、逆らいがたい。

 特に雪音の事に関しては、第三者の視点で為になる意見を相当聞かせてもらっている。弓親が段階を踏んで行けというなら、それは間違いではないのだろう。

 もう二度と雪音を傷つけないと約束したのもあるし、ここは慎重にいくしかない。しかし……

「健全な、でぇとねぇ……」

 何だよ、健全なってのは。何すりゃいいんだかわかりゃしねぇぞ、ったく。


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