十一、四   作:なんじょ

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※雪音以外の女性キャラとの絡み。カレイドスコープの裏話です。


いずれ枯れ落ちるのならば

「……ねぇ、旦那。ゆきねって、だぁれ?」

 訊こうか訊くまいか、悩んだ末に自分の口から出てきたのは、やはりそんな質問だった。

「あん?」

 うとうと寝入りかけていたせいか、相手の返事はぼんやりしている。だから、と言葉を継いだ。

「ゆきねって誰なの、そう訊いたのよ」

「……あぁっ? 何でお前知ってんだ」

 途端、眠そうだった目がぱちりと焦点を結び、訝しげな表情に変わる。

「さっき、旦那が言ってたじゃない」

 いつになく荒れた仕草で抱いて、それでも最後、自分にすがりつくようにしがみついた時、小さい声で、確かにその名をつぶやいたのを聞き逃せなかったのだ。

「……っな、……」

 旦那はびっくりしたみたいに目を瞬かせた後、黙り込んだ。珍しく顔を赤くして、気まずそうな、恥ずかしがっている様子に、こっちも驚いてしまう。

 横たえていた上半身を起こして、相手の顔をのぞき込んだ。

「旦那。覚えてないの?」

「……全然、覚えてねぇ」

「……そう。それはまた、重症なのね」

 ちくり、と胸を刺す痛みを無視して、ちゃかすように笑って見せた。

「なぁに、その子、旦那のイロなの? それとも、手が出せないから代わりにあたしを抱いたの?」

「……いや、あぁ……いや、そんなつもりじゃあ、なかったんだけどよ」

 一角は困ったように首の後ろに手をやった。

 この人は嘘やおべんちゃらを言えない性格だから、ごまかせない。一角は自分ではなく、その女を抱いたのだ。

「……余程いい女なのね、その子。旦那みたいないい男を袖にするなんて」

「まぁ……何だ、色々あってな。ちょっとめんどくせぇ女なんだ」

 一角はそういって、脱ぎ捨てた着物を引き寄せる。苦い笑いを浮かべた顔は、遠くを見るような眼差しは、その女を思っての事なのだろう。

 ――あたしの知らない、旦那の顔。

 それから目をそらして、言葉を継ぐ。

「帰るの?」

「明日、早番の仕事があるんでな。……わりぃな、忙しなくてよ」

「そんな事」

(良いのに、と言えない)

 自分も間着をまとって旦那の身支度を手伝う。

(ほんの瞬きの合間でも、あなたに会えるだけで嬉しいのに、と言ってしまいそうで)

 顎にぎゅっと力を込めて、口を開かないようにしながら。

「それじゃ、行くぜ」

 帯ひもを締め、刀を肩にかついだ旦那がこちらに向かって笑いかける。

「……っ」

 その笑顔に胸がぎゅうっと締め付けられて、くらりと目眩を覚えた。ふすまを開けようと背を向けた旦那に走り寄って、ぶつかるように抱きつく。

「お? 何だ?」

 一角が戸惑って身じろぎする。当然だ、こんなふうに引き留めるような真似、これまでした事がない。してはいけないと、自分を律してきたから。

「旦那……」

「どうした、かごめ」

 優しい声が、身を引き裂くような痛みをもたらす。耐えるように息を吐き出し、一角の手に触れた。袖の下の、引き締まった力強い腕をさすり、なぞり、そして思い切り、爪を立てる。

「!? いってぇぇぇ!!!!?」

 力一杯やったせいか、不意をついたせいか、一角はこっちがびっくりするくらいの声をあげて飛び上がった。あたしを振り払い、袖をめくると、太い腕の表面に長々と赤い線が走っているのが見える。

「な、おま、何しやがるんだいきなり!」

「知らない」

「はぁ!?」

「旦那のばか、もう来ないで!」

「ちょ、おい、待てよ何……」

 混乱してる一角を廊下に突き飛ばし、勢いよくふすまを閉める。

 一角の力ならこんな薄い壁なんてあっさり破れただろうけど、廊下から「何だよ、何怒ってるんだよ、おい、かごめ」と話しかけてきただけ。

 何も応えないこちらに音を上げたのか、そのうち何かぶつぶつ言いながら、立ち去っていった。

 一角の気配が遠ざかって消えた後、かごめは畳の上に座り込んだ。

 膝を引き寄せ、体を小さくして、唇を噛む。見下ろした指に赤いものを認めて、手を持ち上げた。

 尖った爪の先に、一角の血がついている。

「……ばか」

 もう一度呟いて、引き寄せた指先を口に含む。血の味はやがて、塩気を帯びた涙の味へと変わっていった。


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