十一、四   作:なんじょ

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硝子細工

 全部、欲しい。だから、壊せない。

 

* * *

 

 日が傾き、仕事を終えた死神たちが帰り支度を始める頃。

 飲み仲間達とわいわい騒ぎながら、道を歩いていた松本が、道の向こう側を走っていく雪音の姿に気がつき、

「あ、雪音ー! これから飲みにいくんだけど、一緒に行かなーい?」

 口に手をあてて、声をかける。相手は立ち止まるも、大きく手を横に振った。

「すみません、あたし宿直なんで!」

 大声で返事を寄越して、走り去っていく。

「忙しそうっすね、雪音さん」

 その姿を見送った檜佐木が言うと、松本は不満そうに唇を尖らせた。

「最近、付き合い悪いのよねー。前は残業の後でも飲みに来たのにさ」

「そういやそうだねぇ」

 同意した京楽が、後ろを歩く弓親を振り返った。

「雪音ちゃん、三度の飯より酒が好きって感じだったのに、どうしちゃったの? 何か知ってる?」

 問われた弓親は、髪を指ですきながら、ちら、と自分の隣に連れ立つ一角を見やった。

「さぁ、知りませんよ。僕達も四六時中、彼女と一緒にいるわけじゃないですし。ね、一角?」

「…………」

 声をかけられて、一角は眉間のしわを更に深くした。

 あからさまに不機嫌なその様子に、松本が「なによう、雪音が来ないからって、そう怒る事ないじゃない」とからかい半分に言ってきたが、返事に出たのは唸り声だけだった。

 

 一角と気まずくなってからというもの、雪音は飲み会に顔を出さなくなった。

 飲むのも、皆で集まるのも好きだと言っていた雪音だから、急に参加しなくなったのは、やはり自分との事があったせいか、と思う。

(くそっ。あくまで、顔合わさねぇつもりかよ)

 どんちゃん騒ぎを端で見ながら酒を煽り、一角は鋭く舌打ちする。隣に座った弓親が、嫌そうに顔をしかめた。

「一角、そんな不景気な飲み方しないでくれる? こっちの酒までまずくなるよ」

「うるせぇな。嫌なら向こう行きゃいいだろ」

「向こうは静かに飲めないから、嫌なんだよ。醜いものまで見なきゃいけないし」

 興に乗ってか松本に乗せられてか、脱ぎ始めた檜佐木を拒絶するように、視線をそらす弓親。そうかよ、とそっけなく言い捨てたこちらを見て、言う。

「そんなに気になるなら、会いに行けば?」

 一角は、焼き魚を箸でほじくった。

「……あいつは会わねぇよ。どんだけ避けられてると思ってんだ」

 頭から尻尾まで、綺麗に骨を持ち上げると、口の中に放り込んでばりばり噛み砕く。

「だからって、いつまでもこのままじゃ、お互いすっきりしないだろ?

 今回の件はどう考えても一角が悪いんだから、土下座でも何でもして、謝りなよ」

「だから、そうしたくても、あいつが俺に会いたがらねぇって言ってんだろ?!」

 いらっとして噛み付くと、弓親はとんできた骨の欠片を手でさえぎって、

「そんなの、一角が本当に雪音ちゃんに会いたい、謝りたいって思ってるなら、どうにでも出来るじゃないか。部屋に押しかけるなり、何なりさ。

 こんなところでうじうじしてるなんて、らしくないよ」

「…………」

 一角は顔を背けて、箸を握り締めた。

 らしくないのは分かっている。普段の自分なら、さっき雪音を見た時に追いかけて捕まえて、何が何でも話をしようとしていたはずだ。

 だが。

 これ以上避けられ続けるより、面と向かって罵られた方がましだ、と思う気持ちと。

 顔を合わせて、そのまま引導を叩きつけられるくらいなら、今のように避けられ続ける方がまだましだ、と思う気持ちと。

 その二つが心中で、激しくぶつかり合っている。

 会いたい。けれど、会えば拒絶されるかもしれない。それが怖い。

 惚れた女であり、気の合う友人でもある雪音を、一角は手放したくなかった。失いたくなかった。

 だから、今一歩、踏み出せない。

「……まぁ、僕には関係ないけどね」

 黙りこんだ一角の様子に、弓親はため息をついた。猪口を傾け、すいと飲み干し、

「でも、何もしないより何かした方が、後の悔いは少ないと思うよ。お互いに、さ」

 静かな声で言う。

「……おう」

 一角は呟いて、魚の身を食べ始めた。肝の苦い味が口の中に広がる。

 

* * *

 

 時間は、苛々するほどゆっくり流れていった。

 昨日の飲み会から明けて、今日こそ雪音と話をしようと決めた一角は、朝から落ち着きがなかった。

 気晴らしにと始めた部下との手合わせも、全員叩きのめして終わっただけで、一向に気分が晴れない。

(何いらついてやがる、斑目一角。たかだか女一人に会いに行くだけじゃねぇか、もっとドーンと構えてろ)

 心中でそう自分を叱咤するも、そう簡単に落ち着ける訳もない。みっともないと思いながら、道場の上座に腰を下ろして貧乏ゆすりをしていると、

「あ……あのう、三席……」

 青ざめた顔をした隊員が、ぶるぶる震えながら声をかけてきた。

 目を向けたら、相手はびくっと大きく震えて後ずさる。一角の顔がよほど凶悪に見えたらしい。

 震え上がって声も出せない様子なので、短く舌打ちして、

「何だよ。用があんなら言え」

 ぶっきらぼうに命令する。隊員は床板に額をこすりつけるようにして叫んだ。

「あ、ああああああの、よ、四番隊の鑑原が、三席にお会いしたいと来てるんですがっ!」

「…………。あ、あぁ?!」

 

 雪音は、道から外れた木の陰の下に立っていた。

 地面をえぐるように蹴って、足早に近づく一角に気づくと、改まった様子で向き直る。

「ごめん、急に呼び出したりして。今、大丈夫だった?」

「……おう」

 一角は言葉すくなに答えて、その前で立ち止まる。

 久しぶりに間近で見る雪音は、以前とは違って見えた。

 憔悴しているとか、一角に対して嫌悪の表情を浮かべているとか、そういうマイナスの意味ではない。

 例えば、髪を軽く払うとか、躊躇うように目を伏せるとか、そういう何気ない振る舞いが、妙に女らしく見えて仕方がない。

 雪音が変わったのか、自分の見方が変わったのか。

 どちらだろうと考えて、まず後者だろうな、と思う。

(何だこれ。目が合わせられねぇ)

 雪音がそこにいる、というだけで、体の霊子ひとつひとつがざわめき、鼓動が早くなる。

 落ち着け、と言い聞かせながら、あの夜奪った唇に目が吸い寄せられて、釘付けになる。

 やべぇ、今すぐ抱きてぇ。

 こんな時に、昼日中、野外で考えるような事でないのは分かってたが、これまで我慢してきた分、箍(たが)が外れたようだ。

 無意識に雪音へ手を伸ばしそうになって、一角は慌てて止めた。

 ここで手を出したら、本気で止められなくなる。

 中途半端なところで固まった腕を下ろそうと四苦八苦していたところで、突然、

「ごめん!」

 雪音が勢い良く頭を下げた。

「…………は?」

 虚を突かれて、思考が停止した。凍りついた一角の前で、雪音は頭を下げたまま、早口にまくしたてる。

「あの時の事、部屋上がり込んだり、無茶言ったり、その後避けまくったり、その……色々、すっごく無神経だった。

 こんな事、謝って許されることじゃないかもしれないけど、どうしてもちゃんと言いたかったの。本当に、ごめんなさい」

「……おま……ちょ、待て雪音、お前何言ってんだ?!」

 硬直から立ち直った一角はぎょっとして、雪音の肩を掴み、上体をぐいと押し上げた。

 だが、手の下でびくっと細い体が震えるのを感じ、間近に迫った顔が強張るのを見て、慌てて離れる。

「な、何でお前が謝るんだ、悪いのは全部俺だろ!?

 部屋上がり込むとか、そんなんどうでもいいっつーか、気にしてねぇよ。あれはとにかく俺が、その何だ、あぁっと、機嫌悪くてキレただけで、お前は全然悪かねぇよ」

 一部嘘だと思いながら言うと、雪音はでも、と俯いた。強張った頬がすうっと赤くなる。

「でもあたしもお酒入ってたとはいえ、無用心だったから。その……、ああいう事になっても、仕方ない状況ではあったと思う、し」

「………」

 頬を紅潮させ、もじもじと指を絡ませる雪音は、いつもよりかなり可愛らしく見えて、かなりやばい。

 しかも見とれて言葉を失う一角を、とどめとばかりに上目遣いに見上げ、

「あの……でもね、あたし、いつまでもこんな風に、ぎくしゃくしてるの嫌なの。またあんたと喧嘩したり、飲んだり、遊びに行ったり、色々したいから、だから……仲直り、したいなって」

「ぐっ……!」

 そんな事を言い出したので、思わず後ずさった。腹から胸にかけて、熱いものが駆け抜けて焦る。

(こいつ、わざとやってんのか? 色々ってなんだ、色々って! つかこれはあれか、告白か告白じゃねぇのかどっちなんだ!)

 感情的にはこのまま雪音を押し倒したいくらいだが、理性的に考えて言葉だけ汲み取ると、単純に仲直りをしよう、というだけで、他の意図が無いようだ。

 雪音がその気になって、付き合おうというつもりで言っているのならともかく、そうでない場合、ここで手を出したら、永遠に絶縁しかねねぇ。

 だとしたら、どう答えれば良い。

 ただの友人になんて、今更戻れるわけがない。だが、それ以下になるのはごめんだ。だが、だが。

「……」

 進退窮まり、ぐるぐる考え込む一角をしばらく見上げた後、雪音は小さくため息をついて俯いた。

「……そうだよね、虫が良すぎるよね、こんな事」

 そして顔を上げると、無理に明るい笑みを浮かべて、

「これからはもう、一角に迷惑かけないようにするね。仕事中にお邪魔してごめんなさい。じゃあ」

 そのまま身を翻した。

 その後ろ姿を見た途端、一角の胸にズキ、と鋭い痛みが走る。

 誕生日にやって以来、雪音がいつもつけていた簪が、今日は無い。

 雪音が、離れていく。

 手を伸ばしても、届かない場所まで。

「……ま、待て、行くな!」

 一角はその場に膝をつくと、がばっと土下座して、大音声で叫んだ。

「雪音、俺が悪かった!」

「い、一角、ちょっと何してるの!?」

 驚いた雪音が駆け戻ってきて、起き上がらせようと服を掴んだが、一角は頑として動かなかった。

「許してくれなんて、都合の良い事はいわねぇ。けど俺は、お前を傷つけるつもりは無かったんだ。

 あの時のことは何もかも、俺が悪かった。もう二度と、あんな事しねぇ! 済まなかった!」

「一角……」

 気持ちのまま言葉を迸らせると、ここしばらく胸に居座っていたつかえが軽くなった気がした。許されなくてもいい、やっと謝れたと息を吐く。

「……いいよ、もう。顔上げて」

 すると雪音が優しい手つきで触れてきたので、どきりとして起き上がる。

 雪音は正面に膝をつき、穏やかな表情で一角を見ていた。

 視線が合うと、目を細めて笑い、

「これでお互い謝ったから、もう帳消しって事にしようよ。全部忘れてさ、今日からまた友達になろう。ね?」

「雪音」

 ――許して、くれるのか。あんな事した俺を。

 柔らかい笑顔に見惚れて、湧き上がる喜びに顔が緩みそうになる。

 が、雪音の言葉が引っかかって、今度は頬がひきつった。

(ちょっと待てお前、友達ってそれは結局もとの木阿弥って事か? こっからお付き合い始めましょうとか、そういう話にはならねぇのか?!)

 盛大に突っ込みを入れたかったがしかし、嬉しそうにニコニコ笑う雪音にこれ以上どうこう言えるはずもなく、

「お……お、おう。そうだな」

 軽くなったはずのつかえが、再び重みを増してドン、とのしかかってきたような気がして、一角は複雑な思いでそう呟くしかなかった。




雪音がぶりっこしてるわけではなく、一角の見方が変わってしまったというお話です。昼日中に何を考えてるのかw

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