十一、四   作:なんじょ

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脱兎のごとく

「本っ当に、雪音はいねぇのか?」

 苛々しながら問うと、四番隊の女は怯えた様子でおどおどと、一角を見上げた。

「は、はい、先ほど外へ出て行きまして……どこにいるかは、ちょっと……。あの、もしお急ぎでしたら、探しにいきますけど」

「……いや、良い。邪魔したな」

 チッと舌打ちして隊舎を後にする。

 たまたまそこにいただけの隊員に当たったところで、意味が無いのは分かってたが、どうにも気分が収まらない。

(ちくしょう、雪音の奴。絶対、俺の事避けてやがる)

 あの夜以来、一角は雪音と顔を合わす機会が無かった。

 仕事の合間を縫って、あるいは怪我をして、四番隊隊舎と綜合救護詰所に何度となく足を運んだが、いつ行っても雪音は居なかった。

 どこかで仕事をしているには違いないのだが、どうも一角が来ると、逃げるらしい。

 隊員の連中もきつく口止めをされてるのか、あるいは本当に知らないのか、一角が雪音の行方を聞くと、決まって「知らない、どこかへ行ってしまった」と答えるだけで、役にも立たない。

 一角は怒りのままに、ドンドン、と床板を踏みしめながら、廊下を歩いていく。

(少しくらい、話をさせろってんだ)

 胸中でそう愚痴るが、雪音が逃げるのもしょうがない、とも思う。

 自分を力尽くで犯そうとした男の話なぞ、聞く価値もない、顔を合わせるのも御免だっというのなら、それは当然だろう。

 だが一角自身、ああいう展開を望んだわけじゃなかった。

 雪音に惚れてるとはっきり自覚した今、あんな事をやらかした自分に心底嫌気がさしていた。

 一時の感情にまかせて襲ったりしなければ、今頃いつも通り、雪音と口喧嘩でもしてただろう。

 こんなに長い事、雪音と言葉を交わさないのは初めてで、情けない話だが、彼女の顔を見られないのが嫌だった。

 勝手な話だが、激怒していても構わないので、とにかく雪音の顔が見たい。

 なのに、あいつは話さえさせてくれない。顔を合わせる事も出来ない。それが、腹立たしいし落ち込む。

(会うのが避けられるてんなら、手紙でも送った方が良いのか?)

 そう思って文机に座っては、白い紙を前に何を書いたらいいか思いつかず、結局挫折してるのだが。

 そういやこないだ硯を割ってそのままだったか、と視線を何気なく動かした時、

「あっ」

 一角は思わず声を漏らした。

 庭を挟んで向こう側の通路に雪音が居る。手に持った書類に目を落としているので、こちらに気づいた様子はない。今なら、捕まえられる。

「おい、雪音!」

 そう思った一角は、すぐさま名を呼んだ。静かな空間にその声が響き渡り、木に止まっていた鳥がばさばさと飛び立つ。

 そんなに大声を出したつもりは無かったが、雪音がびくっと背筋を伸ばした。

 一瞬、こっちを向くか、と思わせる間があいた後、しかし彼女はいきなりダッシュで建物の中に逃げ込んだ。

「あっ、こら雪音、待ちやがれ!」

 一角は手すりを飛び越え、反対側の廊下へ走った。

 床板が割れそうな勢いで廊下に踏み込み、方向転換して後を追う。

 たまたま通りかかった連中が何事か、と驚いた顔で道を空ける中、雪音は一瞬だけ後ろを振り返り、スピードを上げた。

(野郎、この俺から逃げ切れると思ってんのか!)

 あくまで一角から逃げようとするその態度にムカムカして、更に足を速めた。

 瞬歩まではいかないが、かなりの速さで走り、どんどん雪音との距離を縮めていく。

 それを避けるように雪音はダンッ、と床を蹴って角を曲がった。一角もその後に続いて、向こう側へ飛び出す。と、

「きゃあっ!?」

「うわっ!」

 ちょうど行き会った相手と思い切りぶつかった。

 一角はその勢いで吹っ飛ばされて後ろの壁にぶつかってしまった。相手も弾き飛ばされ、床をごろごろ二・三回転して、ようやく止まる。しばらく沈没した後、くるくる目を回したまま顔を上げたのは、

「あ、あいたたた……あ、あぁ……、ま、斑目さん、せき?」

「おま……、虎徹、か?」

 四番隊の虎徹勇音だった。

「悪ぃ、怪我ないか?」

 慌てて駆け寄って、立つのに手を貸す。虎徹はくらくらするのか、頭をおさえたまま、大丈夫ですと答えた。

「び、びっくりしました……。どうしたんですか、三席。凄い勢いで走ってたみたいですけど、何かあったんですか?」

 そう言われてパッと周囲を見渡すが、どこにも雪音の姿が無い。耳を澄ましても、足音さえしなかった。

「お前、今雪音を見なかったか? こっちに来たはずなんだけどよ」

 念のため聞いてみたが、虎徹はさぁ、と頼りない様子で首を傾げた。

「私は向こうから来ましたけど、誰ともすれ違いませんでしたよ」

「そうか……」

 この廊下はまた壁がなくなって、両側に庭が広がってるから、虎徹とぶつかってる間に、そちらへ逃げたのかもしれない。

 あと少しで捕まえられたってのに、くそっ。

「悪かったな、虎徹。俺急いでるから、行くわ」

 一角は虎徹に謝って、廊下の先へと足早に向かった。もしかしたらそちらで、雪音が捕まえられるかもしれないと思いながら。

 

* * *

 

 ぺこり、と下げた頭を上げた勇音は、一角が遠ざかっていくのを黙って見送った。

 角を曲がって、気配がもう十分遠くなった、というところで声を出す。

「行っちゃったわよ、雪音」

 と、屋根から影がドンッと落ちてきた。地面に着地した雪音はすぐに立ち上がって、

「勇音、ありがと。助かったわ」

 顔の前に手を立てて感謝してくる。勇音は思わずため息をついてしまった。

「もう、びっくりした。どうしたの? いきなり、斑目三席が来ても、あなたの事は言わないで、なんて。喧嘩でもした?」

「別に何でも。あ、さっき頭打ってたでしょ、たんこぶできてる。お礼に治すわ」

 質問にそっけなく答えた雪音が、勇音の頭に手をかざして術をかけた。すうっと痛みがひいて気持ち良いのはいいが、はぐらかされたのは嬉しくない。

「雪音」

 私にくらい相談してよ、そういう気持ちを声音に込めて見つめたが、雪音は首を傾げて苦笑すると、

「ほんとになんでもないから。じゃっ、またね」

 一角が向かった先とは反対方向へ歩いていってしまう。

「……もう、ゆきねぇ~……」

 雪音はいつも自分だけで悩みを抱え込んで、ちっとも頼ってくれないから、悲しくなる。本当に水臭いんだから。

 転がったせいで緩んだ襟を正して、勇音はもう一度ため息をついたのだった。


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