十一、四   作:なんじょ

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バレンタインデイ

「バレンタイン? あぁ、そういえば、そういう時期ですね」

 書類棚の整理をしながら言う雪音に、乱菊がブーッと口を尖らせた。

「なぁに、その気のない返事。もうちょっとさー、若い娘らしく、キャッ☆ 張り切らなきゃ♪ みたいな反応ないの?」

「……何期待してんだか知りませんが、ありません。

 っていうか、あたしとそう年かわんないでしょ、乱菊さん」

 雪音は口を曲げて、棚に視線を戻す。

 乱菊がこういう事を言い出す時は、大抵人で遊ぼうとする時だ。相手にしない方が良いのは、これまでの経験で良く分かっている。

「でもさー、あの人にあげたいとか、そういうの無いの?」

「無いです」

「全然? 一角とかは?」

「は?」

 思いもかけない名前に、思わず振り返る。乱菊はにやー、と笑った。

「ほら、ちゃんと居るんじゃないの。チョコは手作り? それとも現世に買いにいく?」

「いや、何でそこで一角が出てくるんですか」

「だって、付き合ってんじゃないの?」

「誰が」

「あんたが」

「……誰と」

「一角と」

 ばさばさばさ、と手からファイルの山が落ちる。雪音は心底嫌そうな顔で乱菊を見、深々とため息をついた。

「……松本副隊長。仕事さぼってないで、もう戻ったらどうですか。あほな事を考えすぎです」

「違うの? あんだけ仲良いくせに」

「何いってんですか、全く」

 確かに仲は良いが、付き合った覚えはない。どうせまた、乱菊が好き勝手な妄想を働かせてるだけだろう。

 もう本当に相手をするのはやめようと心に決め、落としたファイルを集めていたが、ふと思い出す。

「あぁ、でもバレンタインにいつもあげてる人なら、いますね」

「えっ! 誰?!」

「山本総隊長」

「はぁ!? あんた、じじいコンだったの」

「違う!」

 相手にしないと決めたのに、あんまりな言い様に思わずつっこんでしまう。

 護廷十三隊総隊長を、仮にも副隊長がじじい呼ばわりとは何事か、不真面目にもほどがある!

 そこのところをこんこんと説教しようとしたが、乱菊はこっちの話など全く聞く耳持たず、

「じゃあ何で?」

 あっさり話の腰を折って尋ねてくる。本当にマイペースな人だなとため息をつきながら、雪音は答えた。

「何でって、総隊長にはいつもお世話になってるから、せめてものお礼です。

 そうだ、富貴屋の芋羊羹、買って来なきゃ」

 人気だからすぐ売り切れちゃうんだよね、と呟く雪音に、乱菊は再びブーッと声を上げた。

「何それー、雪音が一角に何あげるか、皆で賭けてたのにー」

「何してんですかあんたは!」

 人のいないところで、何遊んでるんだこの人は!

 

* * *

 

「弓親、いるー?」

 声をかけながら乱菊が入ってくると、弓親が顔を上げた。昼日中から酒盛りをしているのだが、きちんと正座して手中の杯を傾けている。

「あらっ、飲んでるの? あたしも入れて~」

 うきうき声を弾ませて座に加わった乱菊に、弓親と対面して座っていた一角が嫌そうな声を漏らした。

「何だよ、またサボリに来たのかよ、松本」

「あ、一角居たんだ」

「居たんだ、じゃねぇだろ。ここは十一番隊だぞ。お前が居る方が、おかしいだろうが」

 文句を言うも、乱菊はまぁいいじゃないとあっさり流して、勝手につまみ始める。差し出された杯に、弓親が仕方なく酒を注ぎながら、

「で、何? 僕に用があったんじゃないの、乱菊さん」

 尋ねると、乱菊は酒を煽ってから「そうそう」と口火を切る。

「雪音のことだけどさ、一角に何もあげるつもりないんだって」

「へぇ、そうなんだ。じゃあ、この賭けはお流れかな」

「ブッ!」

 いきなり名前が出てきたので、一角は酒を吹いた。汚いなぁと顔をしかめる弓親に食いつく。

「ちょっと待て! 賭けって何の話だ!」

 弓親は僕が言い出したんじゃないよ、と言い訳しつつ答えた。

「今度のバレンタインの時、雪音ちゃんが一角に何あげるか、皆で賭けてたんだよ。僕はお酒関係と踏んでたんだけどな」

「あたしは超可愛いチョコと、雪音本人♪」

「本人、って……おまっ、お前ら、何勝手にやってんだ! まさかそれ、雪音に話したのか!?」

「うん。だって結果が分からないと、賭けにならないし」

「なに『聞くの当たり前じゃない』みたいな面してんだ、お前はっ!」

 しれっと告白する乱菊に、一角は思わず拳を固めた。

「そんな馬鹿な事してんじゃねぇっ!

 つーか大体、あいつがそんな気の利いた事するわけねぇだろ! 俺はこれまでだって、一度も貰った事ねぇよ!」

「あー、そうなんだ。寂しいわね」

「るっせぇ!」

 少なからず気にしていたのでちょっぴり傷ついて、思わず怒鳴る一角。弓親は魚をつつきながら、言う。

「そういや雪音ちゃんって、イベント事にはあんまり興味ないみたいだね。僕も貰った事ないな」

 乱菊は詰まらなさそうに、酒を口に運んだ。

「でもさぁ、最近一角とデキたっぽいから、そういうのもありかと思ったんだけどなー」

「何だよ、そのデキたってのは」

 一角は、また何を言い出すかと顔を引きつらせる。だからぁ、と乱菊は人差し指を立てて、振ってみせた。

「雪音と一角が付き合ってるみたいーって噂があるからさ」

「付き合ってねぇよ。どっから出た噂だ、そいつぁ」

「あたしの名推理」

「お前かよ! 変な妄想してんじゃねぇよ!」

「えー、だって二人でご飯とか良く行ってるでしょ」

「ダチでも行くだろ、それくらい」

「飲み会終わったときだって、つぶれた雪音をお持ち帰りしてるじゃない」

「部屋に送ってるだけで、何もしてねぇ!」

「何だ、そうなの。意気地なし」

「……!!」

「一角、食事中に乱闘はやめてよ」

 こめかみに青筋を浮かべた一角が、刀を抜こうとする前に止めて、弓親は猪口をくい、とあおった。満足げなため息をもらして、

「ま、付き合ってないにしても、雪音ちゃんと一角、仲はいいからね。

 今年こそは何かしらあるかな、と思ったんだけど、やっぱり駄目だったか」

「そうみたいねー。雪音も『ありえない』くらいの勢いで否定してたし。もうね、天地がひっくり返っても無いって感じだった」

「……だぁら、そうだって言ってんだろうが」

 雪音を女として見た事はないが、そう断言されてしまうのも、何となく気に障る。一角はむすっとして、そっぽを向いた。が、

「でも、バレンタインに毎年あげてる人はいるってよ」

「は?」

 乱菊の言葉に、思わず顔の向きを戻してしまう。

「へぇ、雪音ちゃんにそういう人が居たなんて、初耳だな。もしかして、長年の思い人が居るとか?」

 弓親も興味を持って、身を乗り出した。たまに男と付き合ってるのは知ってたが、今はフリーなはずだ。一体誰のことかと思いきや、

「山本総隊長、だって」

「はぁ!?」

「……ずいぶんと、渋好みなんだね。雪音ちゃんって」

 意外な名前に、一角も弓親も目を丸くしてしまう。そうよねぇ、と乱菊は髪をかきあげた。

「雪音曰く、いつもお世話になってるから、そのお礼ってことらしいんだけどさ。なぁんでよりによって、バレンタインに山本のじいさんなんだか、よくわかんないわ」

「でも、確かに山本総隊長に可愛がられてるっぽいよね、雪音ちゃん。お爺ちゃんと孫っぽいというか」

「富貴屋の芋羊羹、あげるみたいよ」

「あぁ、あそこのが好物なんだっけ、総隊長」

 ぺちゃくちゃとお喋りをする二人を斜めに見やって、一角はハ、と息を吐き出した。

「別にどうでもいいじゃねぇか、そんなの。あいつはそういう色気のない奴なんだから」

 話をそれで打ち切るつもりで、投げやりに言い捨てる。が、

「なーによ一角、貰えないからって、拗ねる事ないじゃない。もしかしたら気が変わって、ラブラブなのくれるかもよ?」

 慰めるつもりか煽るつもりか、乱菊がそんな事を言い出したので、一角は思わずガァッと吼えた。

「そんなのある訳ねぇだろうが、馬鹿野郎!」

(賭けのネタにされたなんて聞いたら、あいつぁ意地でも持ってこねぇよ! 雪音はそういう奴だ、畜生!)

 断言しつつ、しかしそれもちょっぴり寂しい気がする一角だった。

 

* * *

 

 終業時間後も仕事に追われ、あちこちの隊舎を回っていた雪音は、十番隊隊舎で、妙に甘い匂いと、焦げ臭い匂いが混じって漂っている事に気づいた。

「ん……何これ?」

 何気なく匂いの元を辿っていったら、炊事場のところにたどり着いたので、覗いてみる。

 そこには何故か八番隊の伊勢七緒、五番隊の雛森桃が、十番隊の乱菊と一緒にいた。

「伊勢さんに、桃ちゃん? 乱菊さんも、こんなところで何してるんですか」

「あ、鑑原さん! 今、ケーキ作ってるんですよ」

 言いながら振り返った雛森は、手の中にホイップクリームのボウルを抱えている。ココアパウダーの量を計りながら、乱菊がにこやかに言った。

「バレンタインの準備中なの。良かったら、雪音も参加してく?」

「結構です。遠慮します」

 ついこないだ、乱菊が自分をネタに妙な賭けをしていた事が発覚したのだ。ここで参加したら、どんな遊びに使われるか、分かったものではない。

 雪音が冷たく即答すると、乱菊はそう? と言って、再び作業に戻った。途端、悲鳴を上げる。

「うわ、七緒! 何で塩なんか入れてんの?!」

「え、あ、隠し味になるかと……」

「ならない! ならないからそれ!」

「あっ、こっちのチョコレート煙出てます!」

「わ、火強すぎ! 焦げてる焦げてる!」

「きゃー、ちょっと、待ってください!」

 乱菊や七緒がどたばたと走り回る炊事場は、まるで戦場のようだ。

「……えーと。頑張ってください」

 周囲に漂う何とも言いがたい匂いに、雪音はそーっと遠ざかって、その場をこっそり逃げ出した。

 

「皆、一生懸命ねー」

 隊舎の外に出た雪音は、遠くなってもまだ聞こえる騒動に、独り言を呟いた。と、

「何がっスか?」

「うひゃあっ!」

 不意に後ろから声が降ってきて、思わずびくっとする。

 振り返ると、そこには恋次が立っていた。仕事帰りらしく、鞄を背負っている。

「あ、阿散井君、いきなり声かけないでくれる!? びっくりするじゃないのっ」

「すんません。そんな驚かれるとは思ってなかったんで」

 怒られてばつが悪そうに謝る恋次。まぁいいけど、と雪音が胸をなでおろすのを見て、

「で、何が一生懸命なんすか?」

 あらためて質問してきた。雪音は十番隊隊舎を指で示して、

「炊事場で、乱菊さん達がバレンタインのお菓子を作ってたから。皆一生懸命やってんだなーと思って」

「あぁ」

 恋次はへら、と顔を緩めた。

「さっきから甘い匂いがすると思ったら、チョコだったんスね。そうか、もうすぐバレンタインかー」

「嬉しそうね、阿散井君。チョコくれるような彼女が出来たの? あ、もしかして、朽木さんからもらえるとか」

 何気なく言ったら、恋次の笑みが、苦笑に変わった。

「いや、そういう訳じゃないですよ。

 俺甘いもの好きなんで、バレンタインになると、現世から色んなチョコとか和菓子とか入ってくるんで、色々食べられて嬉しいんス。

 つか、ルキアはそういうとこに気が回るような奴じゃないし」

「あぁ、そうなんだ」

 また軽く地雷を踏んでしまったか、と頭をかいた。すると恋次が、

「雪音さんは? 誰かにチョコあげるんスか?」

 なんて尋ねてきたので、雪音の眉間にぎち、としわが寄った。

「……まさか阿散井君、あんたもあの賭けに参加してたんじゃないでしょうね」

「は? 賭け? って、何すか」

 きょとん、と目を瞬くところを見ると、全く知らないらしい。

「あぁ、いいや。知らないなら気にしないで」

 手を振って、雪音は肩をすくめる。

「あたしはそういうの、興味ないから。総隊長に芋羊羹を差し上げるくらいよ」

「あ、もしかして富貴屋の奴ですか? あそこの芋羊羹、総隊長ご贔屓なんすよね。俺も好きっすよー高いからたまにしか食えないけど」

 味を思い出すように、目を閉じて口を動かす恋次を見て、雪音はくすっと笑ってしまった。

「そんなに好きなら、阿散井君にもあげようか?」

 何気なく言うと、恋次は「え!」と背筋をビンと伸ばして、目を丸くした。

「マジっすか?! 良いんですか、俺なんかが貰っちゃって」

「良いわよ。ついでだし」

「うわ、ほんとですか! すげー嬉しい、ありがとう雪音さん! 後でちゃんとお返ししますよ!」

 恋次は心底嬉しそうに笑って、雪音の手を握ってぶんぶん上下に振った。雪音は、そのあまりの喜びように押されながら、

「ど、どういたしまして」

 と答えたのだった。

 

* * *

 

 二月十四日、バレンタインデイ。

 男も女も何となく落ち着きが無く、瀞霊廷内に浮ついた空気が漂うその日、仕事を終えた雪音は、総隊長の私室を訪れていた。

 

「粗末なものですが、どうぞ」

 畳の上に菓子の包みを差し出し、頭を下げる雪音。その前に座した山本は、ほうほう、と軽い笑い声をあげた。

「ありがたく頂戴するぞ。毎年気を遣わせてすまんのう、雪音」

「そんな、とんでもないことです」

 顔を上げて、雪音はにこっと笑った。実の祖父のように慕っている山本に、こうして感謝の気持ちを表せるのは嬉しい。

「山本お爺様には、いつも大変お世話になっていますから。こんなものでは足りないくらいです」

 素直に言うと、山本はまた笑った。

「何を言うておる。お主が元気に笑っていてくれる事こそ、最上の孝行じゃ。

 これで後は、結婚でもして落ち着いてくれれば、言う事はないんじゃがの」

「……えーっと、それはまぁ、おいおい」

 やばい、話が長くなる。そう思って言葉を濁した雪音の顔を見て、山本はんん? と白い眉毛をあげた。

「なんじゃ、おぬしにもそろそろ良い男が出来たのかの。この後、誰ぞかにちょこれいとを渡しにいくのか?」

 妙な勘違いをされて、雪音は手を振った。

「いえいえ、居ませんよ、そんな相手。あたしはまだまだ半人前ですから、結婚だの何だの、考える余裕なくて」

「ふぅむ、ならばわしが一つ二つ、見繕ってやろうかの? 折りよく、縁談話を持ってきたのが、確かここに……」

 山本がそういって棚に手を伸ばすのを見て、雪音は慌てた。

「それではっ、職務がありますのでこれで失礼致します、総隊長!」

 がばっと平伏し、相手に何か言う隙を与えずにすばやく退出する。

 写真を手にしていた山本は、雪音の足音が遠ざかっていくのを聞いて、残念そうにそれを棚に戻した。そして、

「……梅」

 小さく呟く。と、どこからともなく黒尽くめの男が、山本の背後に現れた。

「はっ、ここに」

「雪音が誰ぞかにちょこれいとを渡すようなそぶりは、あったかの?」

「いえ。ですが、十一番隊第八席の阿散井恋次が、富貴屋の芋羊羹を雪音様より頂く約束をしているようです」

 山本の細い目が、ぎらっと開いた。その全身からゆらり、と霊圧が立ち上り、梅と呼ばれた男が萎縮して身を縮める。

「ほほう……十一番隊の小僧がの……」

 山本は煙管を手に取って、火皿に刻み煙草を詰めながら、淡々とした口調で言った。

「梅。この後も雪音を見張り、もし小僧が雪音に何ぞ無理強いするような事があれば、斬れ。わしが許す」

「はっ」

 答えた梅は、すぐさまその場から消え去った。

 火をつけた煙管をくわえた山本は、雪音が置いていった包みを開くと、しわだらけの顔を緩めて笑う。

「……さて、わしは芋羊羹を頂くかの。これ、誰か。茶を持て」

 

(あー、危なかった。また縁談話につかまるところだった……)

 瀞霊廷の中を走りながら、雪音はふーっとため息をついた。

 こんな自分に目をかけてくれる山本には、感謝しきれないほど感謝している。

 しかし雪音は結婚なんて、まだ興味がないので、勧められても困るだけだ。

 大体、貴族のように血脈を作る必要のない一般人にとって、結婚は現世のそれほど重要なものではない。

 護廷十三隊でも、結婚している、もしくはしていた者の方が少数なのだから、無理に縁談をする必要だってないはずだ。

(まぁ、お爺様のあれは、ありがたい親心ってものなんだろうけど)

 一人ごちながら、目的地が近くなったので、足を緩める。

 走ったせいで乱れた髪を手櫛で直しながら歩いていたら、前方から、五番隊隊長の藍染惣右介がやってくるのが見えた。

「あっ、藍染隊長」

 ぴっと背筋を伸ばして挨拶をすると、藍染もこちらに気がついて、ふわっと笑った。

「やぁ、鑑原君。もう仕事は終わりかい?」

「は、はい。藍染隊長……は、それは、チョコレートですよね」

 藍染は両手に紙袋を持っていた。その中にはぎっしり、色とりどりの包装がなされたチョコレートが詰まっている。

「あぁ、そうなんだ。ちょっと外を歩いていたら、次々と渡されてしまってね。

 気持ちは嬉しいんだが、これでは身動きが取れないから、一度隊舎に戻ろうと思うんだ」

 少し困ったように苦笑を浮かべる藍染。

「慕われてらっしゃるんですね。さすが、藍染隊長」

 緊張しながら言うと、藍染は目を細めて、苦笑をまた優しい笑みに変えた。

「鑑原君は、どうなのかな?」

「は?」

「君からチョコレートを貰えたら、僕はとても嬉しいんだが。一つ、頂けないかな?」

「……え、えぇっ!?」

 雪音はぎょっとして、思わず大声を上げてしまった。

 藍染は温和で優しく、身分が低い者にもわけ隔てなく、気さくに接してくれる。

 また、穏やかな外見とは似つかわしくなく、戦闘においても自ら前線に立って虚を鮮やかに退治していく姿も頼もしく、非常に多くの隊員に好かれていた。

 だがその高潔さ故か、あるいは清澄な霊圧のせいか、雪音は藍染と対峙するたび、妙に緊張してしまうのだ。

 雪音にとって、藍染は好悪を云々できるような相手ではなく、ましてやチョコレートを渡すなんて、軽々しいことが出来るわけがない。

 そんな思いがつい声に出てしまったのだが、

「あっ、し、失礼しましたっ」

「冗談だよ。まさか脅し取ろうなんて、思ってやしないさ」

 失礼な反応だったと焦って謝る雪音に、藍染はくすりと笑って済ましてくれた。

「それじゃ、僕は戻るから。鑑原君も頑張りなさい」

 そういって、爽やかに手を振って、五番隊隊舎に向かって歩いていく。

「は、はい! お疲れ様でした!」

 雪音はその背中にぺこっと頭を下げた。十分遠くなったか、と思う頃に頭を上げて、胸をなでおろす。

「あぁ……びっくりした。藍染隊長もあんな冗談言うのね……」

 あの雛森が尊敬して止まない人だから、もっとまじめな感じかと思っていたのだが。

 まぁ、実直なだけでは、あれほど慕われる事もないのだろうけれど。

「……っと、早く行かないと」

 ふう、と息を吐いた雪音は、気を取り直して再び歩き始めた。すでに日が傾きはじめている。

 

* * *

 

 ようやく十一番隊隊舎についた。雪音は、一度立ち止まってふう、と息を吐き出す。

 四番隊から一番隊、そして十一番隊と隊舎を移動してきたので、結構な距離だ。

(遅くなっちゃった)

 さっき伝令神機で連絡をしたので、恋次はまだ隊舎にいるはずだ。

 そこで中をのぞき、すみませーん、と声を出したところで、

「あっ、雪音さん! 待ってましたよっ」

 どすどす床を踏みしめながら、恋次が出迎えに走ってきた。雪音は顔の前に手を立てて、「ごめん、待たせて!」謝る。

「いやいいっすよ。

 それより、わざわざ来てもらっちゃってすんません。俺の方から出向くのが筋なのに」

「それこそ別に良いわよ、どうせ十番隊に資料持ってく必要あったし。……じゃ、はい、これ。約束のもの」

 そういって、雪音は抱えていた包みを差し出した。恋次がぱっと顔を輝かせて、それを受け取る。

「ありがとうございます! すげー嬉しいッス!

 うわー、富貴屋の羊羹、食うのいつぶりだろ。この重さがまたいいんスよねー、食べ応えあって」

 今にも包みを破いてかぶりつきそうなはしゃぎように、雪音は思わず笑ってしまった。

「あはは、そんなに喜んでもらえるなら、あげた甲斐があるわ。味わって食べてね」

「はい、頂きます! あ、どうせなら、雪音さんも一緒に食べませんか?」

「え?」

 思いがけない言葉に、きょとん、と目を瞬く。

 恋次は隊舎の敷地にある食堂棟のほうを示して、

「今なら夕飯前で食堂空いてるし、こないだ阿虎(あこ)で玉露買っておいたんスよ。旨いっすよー」

「良いの? あたしも貰っちゃって」

 それだけ好きなら、最初から最後まで、自分だけで味わいたいのではなかろうか。

 そう思って聞いたが、恋次は気さくに笑う。

「当然っすよ、雪音さんがくれたもんなんスから。時間があるなら、一つどうっすか?」

「ほんとに良いの?」

「もちろん」

 雪音はんー、と小首を傾げた。

 この後はどうせ部屋に戻るだけだし、あの芋羊羹は人にあげるばかりで、自分は久しく食べていない。

 夕飯前で小腹も空いているし、恋次がこうまで言ってくれるのなら、それに甘えていいだろうか。

「うーん、じゃあ、ちょっとだけ頂こうかな」

 そう答えると、恋次は早くも歩き出して、「じゃ、こっち来て下さい」うきうき弾んだ声で、雪音を誘った。

 

 がらっ、と食堂の扉を開いた恋次は、そこに一角と弓親の姿を認めて、あれっと声を上げた。

「一角さん、弓親さん、お疲れ様っす。もう飯っすか?」

「おう、恋次。飯前に、ちょっと一杯な」

「お疲れ様。……あれ? 雪音ちゃん」

 弓親が恋次の後ろになかば隠れている雪音に目ざとく気がつき、声をかける。

 雪音は恋次に続いて中に入りながら、や、と手をあげる。

「ちょっとお邪魔するわよ」

「珍しいね、雪音ちゃんがうちに顔出すなんて。何か用? あ、もしかして一角にチョコあげにきたとか」

「なっ」

 いきなり話題に出てぎょっとする一角と、「はぁ?」と眉をあげる雪音。

「何でそうなるのよ。違うわよ」

「何だ、違うんだ。残念だったね、一角」

「あ、あのなぁ! 俺は別に、こんな奴からチョコ貰いたいとか言ってねぇだろ!」

「指差すなハゲ」

 唐突にこんな奴呼ばわりされて、雪音は軽くキレかかった。

 しかし、事情が分からないながらも、不穏な空気を察した恋次がまぁまぁ、と場をとりなす。

「良かったら一角さん達も、羊羹食べませんか。雪音さんから貰ったんすけど」

 が、その言葉で弓親の目がきらん、と光った。すばやく立ち上がって恋次の手元を覗き込み、

「富貴屋の芋羊羹だ。雪音ちゃんの本命って恋次だったんだね」

 不穏な台詞を吐いたものだから、

「「「はぁっ!?」」」

 その場の三人がいっせいに、素っ頓狂な声を上げてしまった。

「恋次、お前いつの間に、ンな事になってんだ!!」

 一角に鋭く問われて、恋次は少し赤くなって、イヤイヤイヤ! と勢い良く手を振った。

「し、知らないっすよ俺! 何で羊羹でそんな話になるんすか!」

「だって、雪音ちゃんがバレンタインに、総隊長以外の男に贈り物なんてしなかったんだよね?

 それなのにわざわざ、恋次の好みに合いそうなものを寄越すなんて、これはもう本命以外の何者でもないじゃないか」

「え……え、えぇ?!」

 予想外の指摘に、耳まで赤くなって狼狽する恋次。その様子に思わず顔を引きつらせながら、

(落ち着け俺、本命が居るんなら、義理チョコでも俺によこさねぇのは当然だろ、当然!)

 恋次に先を越されたと何故か苛立つ気持ちを抑えようと、一角は心中念じる。

 その二人と雪音を見比べて、何やら楽しそうな笑みを浮かべる弓親。

 しかし、話題の渦中にあって雪音は、ないない、と冷静に手を振って否定した。

「これは、総隊長に芋羊羹差し上げるって話をしてたら、阿散井君も好きだっていうから、ついでに買ってきただけよ。含みはありません。

 大体、本命ならそれこそチョコあげるでしょ、何で羊羹よ」

「何だ、そうなんだ。つまらないな……」

「……弓親、あんた乱菊さんの影響受けすぎじゃないの……?」

 いや、そもそも似ているから意気投合しているのかもしれない。雪音は呆れ顔で、恋次の袖を軽く引いた。

「ほら阿散井君、いつまでもぼーっとしてないで。皆で食べるんでしょ? お皿と湯飲み、どこにあるの」

「え、あ、あぁ、はい、すんません。こっちです」

 まだ赤面したまま、炊事場に入る恋次と雪音。二人を見送った弓親は座りなおして、一角を見た。にや、と笑う。

「一角、顔緩んでるよ」

「……あ!? べ、別に緩んじゃいねぇよっ」

 言われて、ぴしゃりと頬をたたく一角。確かに、緩んでいる。

「はいはい、良かったね、恋次が雪音ちゃんの本命じゃなくて」

 軽くいなされて、一角はぴき、と眉間にしわを寄せた。

「あ、あのなぁ弓親、お前なんか勘違いしてねぇか? 俺はあいつの事、女だなんて思っちゃいねぇんだ。あいつが誰に惚れてようが、関係ねぇよ」

「うん、そうなんだろうね」

「あ?」

 あっさり肯定されて拍子抜けしていると、

「でもチョコは欲しいんでしょ?」

 ずばっと言われて、思わず言葉に詰まってしまった。「な、ち、ちげぇ……」慌てて否定の言葉を口にしようとしたところで、

「大体、何でそんなにチョコが欲しいわけ?」

「うわっ!?」

 いきなり後ろから雪音が話に加わってきたので、一角はびくっと肩を震わせてしまった。

「おまっ、いつのまに戻ってきやがった! つか、どこから話聞いて……」

「あ? のあたりからっス」

 盆を手に戻ってきた恋次が答えて、各々に切り分けた羊羹を配り、弓親の隣に腰を落ち着ける。

 雪音は持ってきた急須で茶を入れ、湯飲みを皆の前に置いて、一角の隣に座った。

「だからさ、バレンタインになると、チョコチョコって皆騒ぐけど、あれって何なわけ?

 そりゃ、片思いの子とか、恋人同士とかで盛り上がるなら分かるけどさ、あんたみたいに全然関係なさそうな奴らも、ものほしそうな顔してるじゃない」

「……悪かったな、関係なくて」

 思い切り急所をつかれ、一角はむすっと頬杖をついた。まぁしょうがないわよね、と追い討ちをかける雪音。

「十一番隊の男なんて、皆むさくるしくて乱暴なあほばっかだもん。可愛い女の子からチョコ貰うなんて、無いわよねー。

 さっき藍染隊長に会ったけど、両手の紙袋一杯持ってたわよ。欲しいなら、一個貰ってきたら?」

「馬鹿か! いらねぇよ、そんなもん!」

「ま、だからこそ欲しいって事なんだと思うけどね。

 バレンタインのチョコって、女の子にもてる度合いを測るって面もあるから、男としては、一つくらいは貰いたいのが心情なんだよ」

 ずずー、と茶を飲みながら、他人事のように弓親が言う。

 「そうなの?」と雪音に話を振られて、一角は頑として答えまい、とそっぽを向いた。

「何だ、要するに面子の問題ってわけか」

 雪音は羊羹を菓子切りで切って、口に運んだ。ん~美味しい、と幸せそうに味わってから、

「馬鹿みたい。本命で貰えるんならともかく、お義理でもらったってしょうがないじゃないの。

 ねぇ、全然心こもってなくても、それでも欲しいもんなの?」

 ばっさり切り捨てて、かくっと肩を落とした一角を肘でこづいた。一角はぎろっと鋭く雪音をにらみ付けると、

「うっせぇ! てめぇのなんか、死んでもいらねぇよ!」

 ガッと怒鳴りつけて、羊羹をつかみ、そのまま口に放り込んだ。むしむし、と味わう事も無く食らう一角に、

「あっそ。あげるなんて、こっちも言ってないし」

 雪音は湯飲みを持ち上げて、茶をゆっくり飲む。

 その二人を前にした弓親と恋次はそっと顔を見合わせると、お互い小さく肩をすくめてしまった。

 

* * *

 

 草木も眠る丑三つ時。ほの白い街灯の下、人気も無くなった道を、二人の人影がふらりふらり、と歩いていく。

「おら、しっかり歩けよ、お前は」

「え~、歩いてるよぉ、まっすぐまっすぐー」

「どこがだ! ンなふらふらしてると、どぶに落ちるぞ!」

 足元が頼りない雪音を見かねて、一角は腕を掴み、引きずるようにして歩き始めた。

 あの後四人で流れた居酒屋で、例によってへべれけになるほど飲んだ雪音を、また例によって一角が送る羽目になった。

『お前のほうが部屋近いだろうが。送ってけよ』

 一角はそういって恋次に押し付けようとしたのだが、

『いいの? 雪音ちゃん直々に芋羊羹もらったことだし、恋次が思い余って押し倒すかも』

『しませんよ、そんな事!! いつまでそのネタ引きずるんすか!』

 真顔の弓親の冗談に、頭まで赤くなって噛み付いた恋次が、

『送っていって妙な噂を流されるのは雪音さんに悪いし、俺だって嫌です。

 一角さんがいつも送ってるんだから、そうすりゃいいじゃないですか』

 断固拒否したので、仕方なく一角が雪音を預かったのだ。

「ったく、お前なぁ、飲むなら人に迷惑かけない分だけ飲めよな。何で俺が毎度毎度……」

 ぶつぶつ文句を言うと、雪音はなによう、と拳を振り上げた。

「チョコ一つ貰えないような奴にぃ、そんな事言われる筋合いありませんー」

「チョコはこの際関係ねぇだろ!?」

 まだ言うか、と吠え掛かると、雪音は突然、両手で抱え込むように一角の腕にしがみつき、酔って焦点の合わない目でこちらを見上げてきた。

「な、何だよ……」

 いきなり密着したので、ついどぎまぎしてしまう。

「ねぇ一角、ほんとにそんなにチョコ欲しいのー?」

 雪音がろれつの回らない口調で尋ねてきた。

「だっ、おま、俺はいらねぇって何度も何度も言ってんだろ!」

 人の話を聞け!と怒鳴る一角だが、雪音は動じなかった。むー、と唸って、

「もし一角がぁ、阿散井君みたいに素直に喜んでくれるならぁ、あげてもいいと思ったのにぃ」

「なっ……な、何だよ、それ」

 思いがけない言葉に、一角は思わず赤くなってしまった。

(こ、こいつ酔ってんのか? それともマジなのか?)

 まさか雪音が、そんな事を言い出すとは思ってもいなかったので、急にどきどきしてくる。

 酒を飲んで熱くなった体で、こんなにくっつかれて、チョコをあげてもいいなんて言われると、その気が無くても、その気になってしまいそうで、焦ってしまう。しかも胸が。胸が、腕に。

「ねぇ、どーなのー、一角。ほんとに、チョコ、ほしくないの?」

 一角を上目遣いに見上げ、つやつやした唇を尖らせて、雪音が言う。一角は、いよいよ激しくなってきた鼓動に狼狽しながら、

「俺は……その、俺は……」

 ごくっと唾を飲み込んで、

「ほ……。ほ、欲しい」

 言葉を搾り出すように、やっとのことで言った。

 しん、と沈黙が落ちる。一角は引きつった顔で、雪音は口を尖らせたままの顔で互いを見つめあった。と、

「……ぶ、はー! 言った、とーとー、ほしいって言ったー!」

 不意に雪音がげらげら笑い出した。

 目の前で盛大に吹き出され、事態が理解できなくて目が点になる。腕を放し、腹を抱えて笑う雪音の姿を見て、さっきとは違う意味で一角は耳まで赤くなった。

「てめぇ雪音、からかいやがったのか!!!!」

 思わず拳を振り上げると、雪音はえー違うもん、と笑いながら手を振った。

「ちゃぁんとあげるよぉ、明日でもいいならねー。でもやっぱ欲しいんじゃーん一角ぅ、自分に嘘ついちゃ駄目じゃーん」

「う、ぐっ……」

 つい本音を言ってしまっただけに、ぐうの音も出ない一角。雪音は頼りない足取りでスキップらしきものをしながら、

「わたくしこと、十一番隊第三席の斑目一角はぁ、バレンタインにチョコもらいたくって仕方ありませーんっと」

 節つけて、とんでもない事を大声で言い始めたので、

「ば、ばかやろ、やめねぇかっ!」

 一角は走っていって雪音を押さえつけた。

 雪音はきゃー襲われると言いながら、またきゃらきゃら笑い出す。その、いっそ無邪気なまでに楽しそうな顔を見て、一角はこめかみに青筋を浮かべた。

(くそっ、こんな奴に少しでもその気になった俺が、馬鹿だった!)

「いいからさっさと帰るぞ、この酔っ払いが!」

 言って、さっきより乱暴に腕を掴んで引っ張ると、雪音はハーイと良い返事をして、歩き出す。

 妙に上機嫌で鼻歌まで歌いだすその能天気さに、一角は思わずげんなり、ため息をついた。

 このネタでしばらくはからかわれまくるのは、もう目に見えている。

 いっそこの後こいつの部屋で飲んで、酔い潰して記憶を消させようか、なんて事まで考え始めてしまう。

 しかしそうなれば、きっとチョコは貰えなくなるだろう。

(たかがチョコ一つに、こんなこだわってどうすんだ、俺も)

 本当はチョコなんて、どうでもいいはずだ。

 小さな事にこだわる自分が馬鹿馬鹿しくて、しかし諦めてしまうのも癪で、一角は苦虫を噛み潰したような顔でがしがしと道を進んでいく。

 その一角に引っ張られて歩く雪音が、痛いよーだの、歩けないだの言っていたが、全部無視した。

 

 そして、その次の日。

「はい、これ。約束通り持ってきたわよ」

 二日酔いの気配もなく、すっきりした顔の雪音は、一角にぽんと包みを手渡してきた。

「お……おう」

 昨日の事を思い出し、複雑な顔でそれを見下ろす一角に、雪音が不満そうな声を漏らす。

「ちょっと、折角持ってきてあげたのに、お礼の一つも無いわけ?」

「うるせぇっ、分かってるよ! その……、あ……」

「あ?」

「…………ありがとう、ございましたっ!」

 半ばやけくそで言い放つ。雪音は笑って、ぱちぱち、と手を叩いた。

「良く出来ました。じゃ、そういうわけで、それ開けて」

「あ?」

 何でそんな事を指示されるのか、と思ったら、

「あたしも食べたいんだもん、それ。現世で有名なブランドのチョコで、すっごい美味しいんだって」

 きらきら輝く目でそんな事を言い出す。一角はひく、と顔を引きつらせると、

「てめぇが食いてぇだけかよ!」

 思いっきり怒鳴り声を上げた。

 しかし、雪音がけろっと「そうよ。良いじゃない、お情けであげるんだから、それくらい」と、至極冷たいコメントを返してきた。一角はくっと歯を食いしばって、包装紙を破き始める。

(畜生、バレンタインなんてくそくらえだ……!)

 それでも情けない事に、今年はチョコを貰えて、どうしても嬉しさを感じてしまう一角なのだった。


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