ロリータ・コンプレックス   作:茶々

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第八Q どうせお前も

 

微妙な緊張感が張り詰めていた。

 

本来であれば祝勝会……とはいかなくても、無事に女子バスケットボール部存続が決まった事を祝うささやかな宴を催す筈であった長谷川宅のリビングに迎え入れられたのは、家の住人である昂や七夕、身内の美星を除いて『七人』。

 

五人は女バスの面々であり、その他二名は本来なら招かれざる客である筈の男バス部員―――夏陽と進であった。

 

「…………」

 

痛いくらいに張り詰めた沈黙の空気が異様に重苦しく、それぞれがそれぞれに困惑の色を浮かべて周囲の顔を見比べたりしている。若干名、あからさまに敵意むき出しに睨みつける様な視線を向けている者や非難する様な視線を向けている者もいる中で、事の元凶である美星はいつもの様に猫っぽく「にゃふふ」と笑いながらグラスを傾けている。

そのオレンジ色の液体は未青年お断りの飲料水ではあるまいな、とジト目になりながらも、甥っ子であり未青年代表として昂が口を開いた。

 

「どういうつもりだよ、ミホ姉」

「ん?どういうつもりって?」

「どーして男バスの俺達が女バスの打ち上げに連れてこられたんですか篁先生」

 

不満気に口を開いた進は、しかししっかりとグラスを傾けてオレンジジュースを呷る。

 

「や、もう後半のスーパープレイの連続に私は大感激しちゃってさ。折角引き分けっていう形で終わったんだし、みんなC組のクラスメイトとして互いの健闘を―――」

「チームの輪を乱すに飽き足らず大事な試合を私物化した人間をどう讃えろと?」

 

追撃の様な一言に、思う所があったのか智花が少し顔を俯かせる。

それに気づいた真帆がいきり立って立ち上がり、進を指差して叫んだ。

 

「なんだお前はっ!?もっかんを苛めるつもりならアタシが許さないぞっ!!」

「別に真帆に許してもらう必要なんてないけどな」

「んだと夏陽ィ!?」

「あぁ!?やるかぁっ!?」

 

横から口を挟んだ夏陽とそのままあわや大乱闘でも起こすか、というタイミングを見計らったかのようにキッチンから呑気な声が舞い込んだ。

 

「はいは~い、お料理が出来上がりましたよ~」

 

芳しい香りに、それまでの重苦しい沈黙が嘘の様に皆が目を輝かせた。

 

「わぁ……!美味しそう!」

「おー、ひな、おなかペコペコ」

「ほら、真帆も夏陽も座りなさいよ。行儀悪いわよ」

「……あれ?昂さんは?」

 

ふと、思い出した様に智花が口を開いた。

その言葉に他の面々もリビングを見回すが、そこに昂の――そして進も――姿はなかった。

 

 

 

「ご飯、食べていかないのか?」

 

バッグを背負って靴ひもを結ぶ背中に、昂が問いかけた。

ピクリと反応した様に一瞬動きを止めた進だったが、直ぐに靴ひもを結ぶ作業を再開して立ち上がった。

 

「家に帰る途中で何か買えば済む」

「折角だし食べていけばいいだろ?母さんの料理、マジで上手いからさ」

「いらない」

 

取り付く島も与えないつもりか、吐き捨てる様に言うと進は扉に手をかけた。

―――と、それとは逆の手を掴んで昂がその動きを止めた。

 

「待てって。何でそうやってみんなの事を避ける様な態度を取るんだ」

「別に……そんな態度をとった覚えはない」

「じゃあ何で、竹中にも黙って帰ろうとするんだ?」

 

沈黙が降りた。

 

「真帆の事だってそうだ。ちゃんと誤解を解けばいいのに、何でそうやって―――」

「……るせぇ」

 

ピクリ、と影が揺らめいた。

一瞬そちらの方を見やった昂は、

 

「―――うるせぇ!!」

 

唐突に腹部を襲った衝撃に身体をよろめかせた。

 

「ッ!?っ、うっ……!」

「さっきから大人しくしてりゃあつけ上がりやがって!年上だからって上から目線で説教かよ!?随分な御身分だなぁえぇっ!?」

 

鈍痛に顔を顰めながらも、昂は顔を上げて暗がりの中で必死に進の姿を捉える。

 

「どいつもこいつも分かった風な口ききやがって!うざってぇんだよいい加減っ!!そうやって同情されりゃあ俺が騙されるとでも思ってんのか!アァッ!?舐めんのも大概にしやがれっ!!」

 

怒鳴って、蹴破る様に扉を開けた進は弾かれた様に夜道へと駆け出した。

リビングの方で何事かとドタドタ音が聞こえるし後ろの方から自分を呼ぶ声が聞こえた気もしたが、昂にそれらを確認する余裕はなかった。

 

「水崎ッ……!」

 

靴をまともに履いた覚えはない。

どこに向かって進が駆け出したかなど、最早分からない。

 

だが、追いかけなければならない。

 

追いかけて―――あの震えていた声の主を捕まえてやらなければ。

 

 

 

 

 

 

『流石、あの水崎先輩の弟さんね』

『この調子でお兄さんの様に頑張りなさい』

『やっぱ水崎なら、これくらい余裕だよなー?』

 

『大丈夫。貴方とお兄さんは違うから』

『お兄さんの事、本当に残念だったわね……』

『悪い、また今度にしようぜ……』

 

『―――どうせお前も、同じ事をするんだろ?』

 

ガッ!!

 

フェンスが歪な音調を奏でた。

何時の間にか降り出したとおり雨に全身はびしょ濡れ、バッグの中もこれでは悲惨な状態になっている事だろう。

金網が不快な音を立てながら錆ついたその身を削って行く。力を込めてその速度を速め、元の形さえも歪ませていく。

 

「……ッ!ゥ、ア…………ッ!」

 

指に傷が奔る。血が滴って、地面を僅かに赤黒く滲ませて―――消えていく。

血が消えて、なくなって、失せて、失せて、失せて――――――

 

「アァアァァァアアッ!!!」

 

殴る。渾身の力でフェンスを殴りつける。

何度も、何度も何度も何度も何度もなんどもなんどもなんどもナンドモナンドモ!!

 

「ッ!?止めろ水崎ッ!!」

「あぁああぁっ!?放せッ!!放しやがれぇっ!!」

 

後ろから腕を抑えつけようとする何かを振り解く。柵の様に絡みつくそれを振り払って、両の拳をフェンスに叩きつける。

 

血が弾ける。弾けた血が顔に付く。

 

―――あの人と同じ、穢れた血が。

 

「ッ!?うあぁああぁぁぁああっ!!?消えろっ!!消えろォッ!!!」

 

金網の歪は大きくなり、やがて音を立てて食い千切られた様な穴が開く。そこに腕を突っ込み、引き抜いて―――彼岸花の様に艶やかな血飛沫が一瞬舞い上がり、雨の中に散った。

 

「ッ!水崎ッ!!」

 

その光景に一瞬我を忘れていた昂は、しかし思い出した様に慌てて正面から肩を掴み、抱き締める様にして進の動きを強引に封じる。

尚も赤子が愚図る様に身動ぎを繰り返した進は―――やがて嗚咽と共に身体を震わせた。

 

「うぐっ……えぐっ……ぁ、うぁ……!」

 

雨は小振りになって、徐々に夜の空に星の光が戻り始める。

だが進の心が空の様に晴れる事はなく、そのまま涙と共にその胸中に再び雨が降り始めた。

 

 

 

 

 

パチパチと音を立てて、鮮やかな光と色と共に花火が弾けた。

満天に星がまたたく澄んだ夜空の下で、少しだけ肌寒い中敢行されたプチ花火大会with女バスをぼんやりと眺めながら、昂はこの場所にいない少年―――進の事を思い出していた。

 

結局あの後、女バスの面々や美星が来るまで泣き続けた進はそのまま病院へ直行となり、幸いにも大事には至らなかった。

だが、腕に奔る傷が余りにも多く、そして深い為に完全に消える事はなく、少しではあるが一生残る傷もあるそうだ。

 

「…………アイツ」

 

狂った様に泣き叫びながら、何度も「消えろ」と叫んでいた進。

その背景にあるのは、やはり――――

 

「……先輩」

 

『春先に転校してきたばっかりの子でね。今も実家じゃなくて、叔父夫婦の家から通っているの』

『どいつもこいつも分かった風な口ききやがって!うざってぇんだよいい加減っ!!そうやって同情されりゃあ俺が騙されるとでも思ってんのか!』

 

身内が―――それも実の兄が、世間から追い落とされる様な事態に小学生やそこいらの子供が直面し、あまつさえ転校を余儀なくされ、実家からも離れ。

 

その歪んだ環境が、彼を歪にしてしまったのだろうか。

 

「……くそっ」

 

同情は簡単だ。

「お前の事を分かってやれる」、口で言うだけなら容易い事だろう。

 

だが、それでも結局人間は心の何処かでそういった人を侮蔑し、軽蔑する。

ましてや彼はまだ多感な子供。そんな大人達の歪んだ思惑に侵食されて、歪みを抱えたまま今まで過ごしてきた彼に、自分の様な部外者の声が届くのだろうか?

 

―――届く訳がない。

そんな事で解決するくらいなら、とっくの昔に解決している。

 

「どうすりゃいいんだよ……」

 

答えの返って来ない問いかけは、打ちあげ花火の音に掻き消えた。

 

 


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