ロリータ・コンプレックス   作:茶々

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第七Q みんなと一緒に

 

キュキキキキィ!ダンッ―――パスッ

 

興奮と歓声の渦に包まれた体育館で、戦女神の一人舞踊が鮮やかに演じられる。

戦女神―――智花の通算八本目となるシュートに、その点差はとうとう僅かな所まで詰められた。

 

巻き起こる歓喜の渦。

興奮に盛り上がる体育館。

 

その渦中に一人佇む智花の表情は―――酷く鋭く、強張っていた。

 

 

 

「―――ッ!タイムアウト!」

 

小笠原顧問が最後のタイムアウトをコールする。

その声に、女バスの面々は一様に智花の元へと駆け寄った。

 

「凄いねもっかん!さっすが女バスのエースだよっ!」

 

いの一番に駆け寄った真帆が、滴る汗も気にせず満面に笑みを湛えて智花に話しかけた。

 

「………………」

「……もっかん……?」

「智花……」

 

だが、返答がないどころか聞こえてすらいない様子で智花は黙々とベンチに戻り、昂の呼びかけすら殆ど無視に近い状態で自分のタオルとボトルを取った。

 

「智花ちゃん……?」

「ともか、具合悪い?」

 

愛莉やひなたの言葉にも、軽く首を横に振るだけで言葉を返そうとしない。ただやや乱れた呼吸音だけが響き、上下する肩がその疲労具合を物語っていた。

 

 

 

空気が重苦しいのは、男バスも同じであった。

 

先程の、進が智花に抜かれたあの後から、ただの一本も男バスは智花のシュートラッシュを止める事が出来ないでいた。

 

ドリブルやシュートの精度、速度が段違いに上がり、後半になってやや疲れが見え始めていた状態では対応しきれないでいるのである。

 

「……先生」

「何だ、水崎」

「湊には俺があたります。女バスの他の面子はもう殆ど動けず、ロクなサポートも出来ません。それに多分……」

 

そこでふと、言いにくそうに言葉を区切ったが、

 

「―――今のアイツを止められるのは、俺だけです」

 

尋常でない量の汗を滴らせながら、そう断言した。

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

幾度目かも分からない1on1。

進と智花による、一対一の真剣勝負。

 

「……それが、アンタの全力か」

「…………」

「いい顔してるじゃねぇか。勝ちに拘る、本当の『湊智花』ってのはそういう顔をするのかよ」

 

ダムッ、ダムッ

 

「こっから先は全部本気で行こうぜ。後腐れするのは、正直もう勘弁だからな」

「…………」

「捕まえて見せろよ湊智花。こいつが今の俺の―――フルスピードだ」

 

ダンッ―――キュキキキキキ!

 

「!」

 

驚く暇すら儘ならない。

 

バシッ!

 

一瞬で弾かれたボールはそのまま3Pゴール目がけて放り―――かけられて瞬間的にコートに爆ぜる。

打てば取られる、直感がそう告げたからだ。

 

キキキキィイキキキッ!

 

そこには魔法もトリックも存在しない。

純粋な速度と力と、瞬間的な判断力の真っ向勝負。

 

キキキュ―――ダンッ!バシッ!

 

「遅ぇ!置いてくぞ湊!!」

「ッ!」

 

進が細かくステップを刻む。右、左。

バウンド直後のボールに智花の手が伸び―――それより早く触れた進の手がボールを弾く。

 

グリンッ!キュキキキキュイ!パスッ

 

愛莉のディフェンスも全く間に合わない速度で進がレイアップを決め、女バスのネットを揺らす。

 

 

 

「ッ!」

「さぁ来い湊ッ!!」

 

キュキュキュ!

キキキキュキュキィ!

 

ドリブルが、シュートが、フェイントが。

全ての動きの一つ一つが、まるで協奏曲の様に美しく、猛々しく、素早く繰り返される。

 

最早観客も、ベンチも、コート内も全てが二人の決闘に魅了されていた。審判すらも笛を吹く事すら忘れ見入っている。

 

全ての動きが次への動きに、シュートへの道に。

 

パスという選択肢が存在しないドリブルが、まるで機関銃の様な轟音と共にゴールに迫る。

 

体力の限界などとうに超えている。

全身が苦痛と疲労に悲鳴を上げている。

 

ダンッ!

 

進が渾身の力でコートを蹴り跳び上がる。誰も追いつけない、何者にも縛られない空へ。

 

―――違う。すぐ横、否、真上?

そこに智花がいた。身動きすらロクにとれなくなる中空に。

 

『次は俺達が勝って、全国に行くんだ!』

 

少年は誓った。

一度は諦めかけた夢を、あのロマンチストなバスケバカの夢を、現実のものにすると。

 

『勝ちに拘るとしたら、その大切な場所をなくしたくない……それだけです』

 

少女は誓った。

失いかけた情熱を、失くしかけた大切な思いを取り戻せたあの場所を、守り抜くと。

 

「エア・ウォーク……」

 

誰かが呟く。

だがそんなものは一瞬で掻き消される。

 

「あああぁぁああぁあっ!!!」

 

どちらのものかも分からない絶叫が会場に轟き――――――

 

ブーーーーーーーーーー!!!!

 

 

 

 

 

 

鳥の囀る声が鼓膜を揺らす。

闇の中、浮上する意識の端の方で、ふと智花は考えた。

 

夢だったのかもしれない。

たまに、何だか物凄く面白くて楽しい夢を見ていた事を覚えていて、目が覚めてから五分くらいはその事を思い出して凄く興奮したりするのだが、顔を洗ったり歯を磨いたりしている辺りで徐々にその光景がぼやけていって朝食を取る少し前くらいになると霧散し、結局食卓を囲む頃には「物凄く面白い夢だった」という輪郭しか残らない。

そして少しも面白くない夢ばかり詳細が明確にいつまでも脳裏にこびりついて離れない事も何度も経験した。あるいは夢の様で夢でなかったり、その逆だったり。

 

「…………ていうかさぁ、普通今の今まで戦っていた敵同士を並べて寝かせるか?普通」

 

瞼を開き、疲労感たっぷりな愚痴が隣から聞こえてきた時、智花が思った事はそんな事だった。

 

「……ここ、は?」

「保健室。羽多野先生はついさっき職員室の方に行った」

「私、どうして…………」

「試合終了と同時にぶっ倒れたってさ、俺も湊も。で、そのまま保健室に放り込まれた。一時は救急車でも呼ぼうかっていう話にもなったらしいけど、どうせ原因は疲労に決まってんだから寝てれば回復するだろうって」

 

言って、進が上体を起こし、

 

「―――オゥ!?」

 

思いっきり激痛に顔を歪めた。

 

「だ、大丈夫っ!?」

「っつぅ……やっぱここ最近ロクにトレーニングしてなかったくせにあんな動いたから、全身がハンスト起こしやがった……ッ!」

 

痛いなんて次元じゃないだろう。

何しろ横になっている智花すら、手足どころかあらゆる筋肉の痛みに身体を動かす事もままならない状態なのだから。

 

と、不意に智花が弾かれた様に上体を起こそうとして、

 

「そういえッ!?」

 

実に不穏な音と共にビクン、と全身を震わせて身体を硬直させる。

プルプルというか、ピクピクというか、何だかイッパイイッパイな感じが体中から滲み出ている。心なしか、顔がどんどん青ざめている気がした。

 

「……大丈夫か」

「…………う……うん。た……ぶん」

 

 

 

少し間をおいて。

 

「それで……試合は?」

「ドロー」

 

答えは三文字で帰って来た。

 

「へ?」

「日本語で言うと引き分け。おあいこ。五分五分。両成敗。……最後のシュート、入ったはいいけど2Pだったらしくてドローゲーム。ゆーあーあんだーすたん?」

「お、おーるらいっ……」

「…………別に無理して乗っからんでもいいよ」

 

「まぁいいや」と進が一度区切った。

 

「……女バスは」

「ん?」

「廃部に、なっちゃうのかな……?」

「―――さぁね」

 

問いかける様に呟いた智花の言葉に、酷く冷淡な口調で進が返した。

 

「さぁね、って……」

「さっきの試合中にも言っただろ?あんなぬるま湯に浸かってたら、湊の才能は腐って駄目になっちゃう。そんなの勿体ないって」

 

進の言葉に、智花が僅かに頬を膨らませた。

 

「俺、こう見えても兄貴以外の相手に抜かれた事なんて殆どなかったんだよ?それなのにあんなあっさり抜き去るわ、俺のドリブルバシバシ止めるわ……」

「…………」

「湊はもっとちゃんとした指導者の元でしっかりと教わった方がいい。そうすれば速ければ全中、遅くたってインターハイや国体も充分狙える。同年代の選手で湊に比肩する女子なんて、数えるくらいしかいないんだから」

「―――それでもっ」

 

進の言葉を遮る様にして、智花が口を開く。

 

「それでも私は、みんなと一緒に楽しくバスケをしたいから……楽しむ事の大切さを、みんなが教えてくれたから…………だからっ」

 

ギュッ、とシーツを握り締めて、絞り出す様に智花は続けた。

 

「だから私は、みんなと一緒にバスケがしたい……」

「―――でも、さっきの試合の事は覚えているんだろ?」

 

突き立てる様な声音で進が言った。

顔を見せようとせず、智花に背中を向けたまま喋る。

 

部屋の中に舞い込んだ風が、ゆるやかにカーテンを揺らした。

 

「たまにいるんだよ。所謂『天才』って奴の中にも、生まれついて何かしらの才能が突出した本当の化け物みたいな奴が」

「…………」

「今はいいかもしれない。まだ湊の力の全てが出しきれている訳じゃないから、他のメンバーも辛うじてついていける。けど三年先、六年先の事を考えてみなよ?中学生、高校生になった時、今いる女バスのメンバーの中で何人が湊と一緒にずっとプレイ出来ると思う?」

「…………」

「そうやって頑張って頑張って、頑張り続ければ続ける程―――報われる事無く、結局一人ぼっちになるんだ」

 

進がどんな表情をしているかは分からない。

けれど智花には、進の言葉が他人事を話す様な単純な事ではない様に思えた。

 

「ぬるま湯につかって仲良しこよしで続ける事と、バスケを楽しくやる事とは全くの別物だよ。いつか必ず、湊も周りの状況にイラつく時がくる。足を引っ張るだけの周囲と自分との違いに絶望して、失望して―――」

「そんな事無いっ!!」

 

突然、個別にベッドを区切っていたカーテンが開け放たれた。

声の主は長い金髪を怒りに揺らし、目に怒りの色を浮かべて叫んだ。

 

「もっかんとアタシ達はずっと一緒だっ!!何があったってどんな事があったって、アタシ達はずっとずっともっかんと一緒にバスケを続けるんだっ!!お前なんかが知った風にもっかんの事を言うなっ!!」

「ま、真帆っ!?」

「俺達もいるよ、智花」

「す、昂さんっ!?それに紗季達まで……っ!」

 

唐突な闖入者に智花は驚きを露わにして目を白黒させるが、対極の様に進は落ち着き払って迷惑そうにその双眸に五人の姿を映す。

 

「盗み聞きですか?随分と良い趣味をお持ちの様ですね」

「そのつもりはなかったんだけどな……出るタイミングをなくしちゃって」

「放せ紗季っ!そいつ殴れないっ!!」

「殴るなバカ真帆」

 

と、進の視界に六人目の姿が映った。

 

「なんだよ夏陽っ!」

「竹中……お前もか」

「このロリコン野郎と一緒にすんな。俺にそんな趣味はねぇよ」

「竹中君、もう大丈夫なの……?」

「お前も人の心配している場合かよ……特にそっちの宇宙最強デラックスハイパースペシャルレジェンドクラス最大特級テラバカ野郎」

「誰かさんの猿真似の負債を抱えたお陰で全身筋肉痛だよ銀河無双ウルトラエクセレントロイヤルキングオブギガントオメガバカ野郎」

「はーなーせー二人ともっ!もっかんを泣かせる奴にてんちゅーをーっ!!」

「ああもうっ!試合が終わったばかりなのにどうしてアンタはそうバカ力なのっ!?」

「あわっ、み、みんな落ちつこうよ!ね、ねっ!?」

「おー、ひなもてんちゅーするぞー」

「ひなたちゃん、せめて意味を分かってから言おうね……真帆も落ち着いて、相手は怪我人なんだから」

 

やんややんやと、先程までのシリアス風味たっぷりな空気はどこいったとツッコミたくなる様な騒がしい空間に、羽多野養護教諭の鉄槌の言が飛び出すまで、あと三分。

 


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