ロリータ・コンプレックス   作:茶々

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第四Q 勝ちたいんじゃない

 

女子バスケットボール部対男子バスケットボール部。

体育館の使用日数の分配と、女子バスケットボール部の存続を賭けた対決。

 

試合日が近づくにつれて露骨に対決姿勢を深めていった――何故か当人達ではなく――両部の顧問が宣伝効果を成したのか、日曜日だというのに多くの生徒が観戦に訪れた。

そんな多数の生徒達が群れをなすキャットウォークの片隅で、進はコート中央に整列する両チームをぼんやりと眺めていた。

 

進としては別に来るつもりがあって来た訳ではなかった。だが何時の間にか自分の携帯の番号を入手していた夏陽からの再三に渡るコールに観念して休日だというのに態々登校せざるを得ず、だからここに居るのは自分がバスケットの試合を見たいからとか、あれだけ毎日自分に1on1を挑み続けた夏陽がどんな動きをするのか気になったからとか、決してそういう心づもりがあった訳ではない。そうに決まっている。

 

誰に対して言い訳しているんだと一人でツッコミをしている内に、選手がコートに散らばる。

中央に残ったのは夏陽と、クラスメイトの湊智花だ。

 

あちこちから「頑張れー」だの「しっかりー」だの、実に他人事な呑気な応援が飛び交っている中に暫しの静寂が訪れ、

 

―――ピッ!

 

始まりの笛が鳴り響く。

 

 

 

 

 

前半戦は大衆の予想を裏切る形で、意外な展開を見せていた。

運動神経に定評のある真帆、弾道予測に優れた紗季がボールを確保して智花にパス。最初に高さを生かした愛莉のシュートを連続でたたき込む事でマークを集中させると、今度は左右に広がった真帆と紗季がそれぞれにゴールネットを揺らす。かといってそちらに意識を裂けば、元々高いポテンシャルを誇る智花が自在に攻め込んで得点を重ねる。

 

俄仕込みなんて生易しいものじゃない。それぞれに役割がキチンと割り振られ、各々がその役目をしっかり果たした立派な戦術と化している。

 

(くそっ!くそっ!!)

 

夏陽は苛立っていた。

焦燥感ばかりが募り、咄嗟の判断を僅かに間違える。

 

そしてその隙を見逃す程、智花は生易しい選手ではない。

 

「あっ!」

 

パスミスを拾われ、瞬く間に切り込まれる。そのまま愛莉にパスが回り、再びネットが揺らされた。

 

「……ッ、タイムアウト!」

 

顧問の小笠原教諭の声に、一瞬安堵にも似たため息が洩れた。

コートに戻ろうとした矢先、駆け寄って来た戸嶋がポツリと呟く。

 

「らしくねぇな、竹中」

「あ?何がだよ」

「まだ試合は半分も過ぎてねぇんだから、もう少し楽に行こうぜ」

 

ポンポン、と肩を叩かれる。

 

確かに戸嶋の言う通り、まだ試合は半分も過ぎていない。充分に追いつけるし、逆転だって出来る差しかない。

なら、どうして自分は焦っているのだろうか。

 

―――こんな光景が、前にもあったからじゃないか?

 

ふと見上げた先に――本当にただの偶然なのだろうが――進の姿が見えた。

瞬間、夏陽の脳裏に『あの』試合が蘇る。

 

 

 

県大会本戦、第一回戦。

私立慧心学園初等部対市立芝浦小学校。

 

地区大会初優勝の看板を引っ提げて臨んだ初戦でぶつかったのは、県下屈指の強豪と名高い市立の名門、芝浦小。相手にとって不足なしと意気込んで臨んだ試合は、前半戦に夏陽を主軸としたパスワークと、一対一の場面においても負けない勝負強さを発揮して善戦。少しのリードを許したが充分に逆転を狙える位置まで近づけて前半戦を終えた。

 

しかし後半。

高さを生かして得点を重ねていた相手Cに代わって入って来た――夏陽より頭一つ分程高いだけの――背番号5番を中心に、試合は一変した。

 

チームワークを意識したパスも、毎日練習してきたドリブルも、シュートも。何もかも全てを否定し、見下す様な圧倒的な強さ。最早暴力としか言い様のない芝浦小のプレイスタイルにかき回され――――――気づいた時には最早追いつく事すら叶わないトリプルスコアの大惨敗。

 

試合終了を告げるブザー音に心が折れてしまいそうになった夏陽を、しかし『彼』の言葉がコートに夏陽を引き止めた。

 

『楽しかったよ!またやろうね』

 

コート内において魔物としか思えない様な強さを見せつけた選手と同じ人物とは思えない程に朗らかで―――楽しそうな笑顔。

 

それがどうしようもないくらいに癪で、どうしようもないくらいに悔しくて―――だけど、相手を恨む気にはなれなかった。

だから差し出された手を叩く様にして握った。

 

そして誓ったのだ。

 

『次は……負けないッ!』

 

 

 

 

 

約束したのだ。次は必ず勝つと。

誓ったのだ。絶対に負けないと。

 

だから―――だから!!

 

「竹中ァ!!」

「ッ!」

 

智花の手がボールに迫る。

 

バウンドの直後を狙われたこのタイミングでは捌き切れない筈。

天性のセンスと多くの経験が成すその一歩は防御不可の一撃―――!!

 

刹那、世界が止まった。

 

 

 

 

 

 

『なぁ水崎』

『ん?』

『お前ってさ、何であんな無茶苦茶な体勢からでもシュートが打てるんだ?』

『なんでって…………まぁ、前は結構練習してたから、かな』

 

ボールをつきながら、少し渋る様な口調で進は答えた。

 

『フォームなんて、ぶっちゃけた所重心を安定させておく為に必要な形なんだから』

 

グッ、と溜めこむ様に膝を曲げ、

 

『重心がコントロール出来れば、フォームなんて身体を痛めない為のおまけみたいなものだし』

 

手から放たれたボールは綺麗な放物線を描き、吸い込まれる様にしてネットを揺らす。

 

『レイアップみたいな、際立ったボールコントロールを必要としないシュートなら、俺はむしろこっちの方が打ちやすいんだ』

 

 

 

―――つま先を軸にターンを返す。手首のスナップを利かせて、前にボールを弾きだせ。

 

「ッ!?」

 

―――踏み込みは強さよりも速さ。一歩よりも半歩短く、細かくステップを刻め。

 

脳裏にあの試合の―――幾度となく繰り返した1on1の光景が蘇る。

もっと早く、もっと速く。

 

―――余計な高さは不要。姿勢は低く、相手の懐を抉る様にドリブルを切りこめ。

 

誰も追いつけない。

誰も追いつかない。

 

あの背中を幻視する。芝浦小の、漆黒のユニフォームの、背番号5番。

 

―――重心は全身を使ってコントロール。走れば足、跳べば指先に巡らせろ。

 

高さを誇る愛莉が前に立ちはだかる様に跳ぶ。

コースが塞がれた。誰もがそう思った筈だ。

 

――――――けれど、見えた。

 

―――コースはどんな状況でも常に存在する。自分と相手の動きから、次に打てるコースを読み切れ。

 

「勝ちたいんじゃない……ッ!」

 

思いだせ、あの悔しさを。

そして何千、何万本と繰り返した一瞬の動作を。

 

「絶対に―――勝つんだァッ!!!」

 

跳べ、誰よりも高く。

届け、誰よりも遠く。

 

ゴールに。

ゴールに!!

 

―――最後に勝負を決めるのは、根性と、気合いと、気迫だ。

 

此処で勝たないで―――此処で勝てなくて、何が雪辱だ!!

 

「い―――っけぇーーー!!!」

 

裂帛の気勢と共に放たれたボールが、ネットの擦れる音と共にコートを叩くバウンド音がいやに大きく響いて――――――

 

何かがぶつかる鈍い音が、衝撃と共に夏陽の意識を刈り取った。

 

 

 

 

 

「竹中!!」

「夏陽!?」

 

歓喜の声が、一瞬で悲鳴の渦に様変わる。

驚愕の色を隠せないままでいた進が、弾かれた様にコートへと走り出して辿りついた頃には、夏陽は尻もちをついたまま片手で頭を抑えていた。

 

「竹中!」

「ん……?あぁ、水崎か。ちゃんと試合には来てた、みたいだな……」

 

進の姿を視界に捉えて微苦笑を浮かべた夏陽は、しかし次の瞬間激痛に顔を歪めた。

 

「ッ!?」

「動かんでいい竹中!!誰か、担架を持ってきてくれ!!」

 

何時になく取り乱して叫ぶ小笠原顧問の声に周囲が慌ただしくなる中、コートに居た面々が慌てて夏陽の元に駆け寄った。

 

「大丈夫か夏陽!?」

「へっ……大丈夫に決まってんだろーがバカ真帆。てめぇに心配される程、やわじゃね、え……ッ!」

「大丈夫なわけないでしょ!頭を打ったのよ!?下手したらどうなっていたか、アンタ分かってるの!?」

 

幼馴染の怒鳴り声に顔を顰めながらも夏陽は立ちあがろうとする。が、それを制したのは急かされる様にして体育館に来た羽多野養護教諭ではなく、

 

「バカはお前だ大バカ野郎」

 

頭を打った怪我人への所業とは思えぬ程に無情な進の強烈なグーパンだった。

 

「~~~ッ!?」

「ちょ、水崎!?」

「お、おまッ!?夏陽に何すんだー!?」

 

突然の暴行に夏陽は更に強まった激痛に顔を歪ませ、普段の冷静さの欠片もなくした様に紗季は声を上げ、最も激昂し易い真帆は今にも喰ってかからんばかりに怒鳴り声を上げた。

周囲を見れば他の面々も目の前で散弾銃をばら撒かれた伝書鳩の様に目をまんまるにして驚いているが、今の進の双眸には夏陽しか映っていなかった。

 

「あんな無茶苦茶なシュート打って、しかも着地に失敗して頭部強打だぞ?普通に脳震盪起きているだろうし、そうでなくても滑らした足を痛めているに決まってる。そもそも俺だって初めの頃は何度も失敗して昏倒間近な経験繰り返して、つい最近になって漸く完成形が見えたばっかりの必殺技をパッと見ただけの形で完璧に再現できると思ってるの?お前何様?自称俺様のつもり?バカだろ、死ぬだろ。つうか今すぐ死ね、でなけりゃベッドに帰って寝ろ超バカ野郎」

「へっ……ったく、少しは怪我人を、労われっての……」

「そう思うんだったら怪我人らしく寝てろ宇宙最強デラックスハイパースペシャルレジェンドクラス最大特級テラバカ野郎」

 

グッ、と夏陽のユニフォームを鷲掴むと、鼻先が擦れるくらいに間近に顔を寄せた進がニヤリと笑んだ。

何時ぞや、クラスの男子数名に対して向けたあのあくどい笑みだ。

 

「火ぃつけたのはお前なんだ。あの時の約束、しっかり果たして貰うからな」

 

言うだけ言って、突き放す様にユニフォームから進が手を離す。羽多野の指示で持ってこられた担架が夏陽の横に置かれる中で、進は小笠原教諭に向き直った。

 

「水崎……?」

「小笠原先生、以前打診して頂いた入部の件ですが、此処でご返答させて頂きます」

 

言って、進が取り出したのは一枚の用紙だった。

夏陽に手渡され、幾度となくペンを奔らせようとして、留まって、そうして今日の彼の姿を見て、漸く決心をした文字がそこには書かれていた。

 

「慧心学園初等部6年C組在籍、出席番号39番水崎進。男子バスケットボール部への入部を強く希望するものとして、入部届を提出します」

 


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