ロリータ・コンプレックス   作:茶々

3 / 38




第二Q そう考えていた時期が私にもありました

 

―――歓声の中にあって、驚く程に意識は集中していた。

 

まるで自分の周りだけが静寂に包まれているかの様に静かで、ボールが跳ねる音も、バッシュが床を擦る音も聞こえない。途切れそうになる息すら落ち着いている様に感じ、次にどう動けばいいのか―――ただそれだけに神経を注ぐ事が出来る。

 

キュッ……キュ!キィ!キッ!

 

身体が軽い。まるで羽でも生えたかの様に素早く、鋭くコートを駆け抜けられる。

 

進路を塞ぐ様に身体を割り込ませる―――身体を翻してかわす。

ボールを奪わんと手を伸ばす―――ドリブルを止める。一歩、二歩。

二人の相手が一斉に迫り来る―――遅い。もうコースは見えている。

 

放った瞬間から綺麗な放物線を描いたボールは、吸い込まれる様に一直線にゴールへと向かう。

止められない。止まらない。

 

止まる訳がない。

 

全てが予定調和であるかの様にネットを揺らしたボールがコートに落ちる。と同時に、けたたましいブザーを皮きりに周囲の歓声が一気に押し寄せてきた。

 

それは終了の合図であり、同時に勝者を決めた瞬間だった。

その瞬間の光景は、今尚目に焼き付いて離れない。

 

――――――世界があんなにも輝いて見えたあの瞬間を。

 

 

 

 

 

 

その日、教室に入った愛莉を真っ先に出迎えたのは「転校生が来る!」と喜色を満面に浮かべて知らせてきた友人、三沢真帆の笑顔だった。

 

「さっき聞いたんだけどな!今日転校生が来るんだって!しかもウチのクラス!!」

 

あっちこっちに忙しなく動き回りながら騒ぎ立てる真帆に、呆れた様に彼女の幼馴染である紗季がため息を洩らした。ちなみにもう一人の幼馴染は窓の向こう側を眺めながら何だか憂鬱そうな雰囲気を漂わせている。

 

「今からそんなにはしゃいでどうするのよ真帆」

「何だよー、紗季は楽しみじゃないの?ねっ、ねっ!ヒナは楽しみだよねー?」

「おー」

 

真帆の言葉に、こちらも顔を綻ばせながらヒナこと袴田ひなたが同意を示す。

 

「どんな子が来るのかな?」

 

と、疑問符を浮かべたのはこちらも一年程前に転校してきた元転校生の湊智花。

小首を傾げる友人に「そういえば」と一拍置いて紗季が口を挟んだ。

 

「芝浦小からの転校生、って聞いたわね……」

「芝浦小って?」

「バスケの強豪校だよ。男子も女子も、去年の全国大会に出場しているんだよ」

 

愛莉の問いかけに、バスケ経験者である智花が素早く返した。と、その言葉を聞いた真帆は真夏の太陽よりも輝かんばかりに顔を綻ばせた笑顔を浮かべて跳ねた。

 

「じゃあさ!じゃあさ!!もしかしてその子もバスケ経験者かな!?」

「いや。別に経験者とは限らないでしょ……第一、男だったら女バスには入れないわよ?」

「なんだよ紗季ー、まだ男だって決まった訳じゃないだろ?」

「女と決まった訳でもないけどね。それに、仮に経験者だったとしても、こっちでもバスケ部に入るとは限らないでしょ?」

 

冷静な紗季の指摘に、一転して真帆は不機嫌そうな面持ちになった。

 

そんな話を聞きながら、愛莉はふとどんな子が来るのだろうかと想像してみる。

男だろうか、女だろうか、得意なスポーツはなんだろうか、仲良く出来るといいな……等々。クラス内のそこかしこで似た様な話が飛び交い、一部誇大妄想とも思える様な話も飛び出している。

 

「ほらー、チャイム鳴ってるわよ。席着きなさーい!」

 

と、チャイムと同時に担任の美星が笑顔で教室に入ってくる。普段であればその一言で皆がテキパキと席に戻るのだが、今日ばかりは担任の二歩後ろを歩く新顔の登場にその動きも鈍り、むしろざわつきが一層高まる。

 

「ほーら!さっさと席に着く!」

 

パン!と手を叩き、その音に漸く教室内に普段の空気が戻り皆が椅子に座る。女バスの仲間と共に愛莉も急いで自分の座席に座り、鞄を置いて前を向いた。

 

「じゃあ今日はまず最初に、みんなも知っての通りでお待ちかねの転校生の紹介から始めるぞー!」

 

その声に、クラス中が一斉に活気づいた。真帆などは椅子から飛び上がらんばかりに悦びを露わにしており、隣に座る紗季に宥め躾けられている。

 

転校生は男の様である。着ている制服が男子用の青いものである事からも容易に察しがつく。髪の毛は一般的な黒で、しかし茶髪や金髪など様々な色が揃っているこのクラス内にしてみれば少し真新しいものを感じる。緊張はしていない様だが、何処となく硬い感じの表情はどうにか作りましたという申し訳程度の微苦笑を湛えており、隣であれやこれや質問や紹介をしている美星の攻勢を凌いでいる。

 

「水崎進と言います。これからどうぞ、宜しくお願いします」

 

―――大人しそうな、ちょっと無口な感じの男の子かな?

 

その転校生―――水崎進に対して、香椎愛莉が抱いた最初の印象は、そんなものだった。

 

 

 

 

 

大人しそうな、ちょっと無口な感じの男の子かな?

そんな風に考えていた時期が私にもありました。

 

「もっぺん言ってみろ!」

 

鼻息荒く詰め寄る男子生徒数名を真正面に相手取りながら、酷く冷淡な声音で進が淡々と口を開く。

 

「ロクな練習をした事もないくせにバスケをつまらないとか決めつけた挙句、負け組の分際で八つ当たりとか、もう一度幼稚園からやり直してこい……って言ったんだけど、もしかして日本語通じないの?」

 

可哀そうなものを見る様な目つきで、酷く憐れんだ様な口調で、無表情なのに何だか物凄く怖い雰囲気を漂わせながら進の言葉は続いた。

 

「何語なら通じるの?ばか語?幼稚園児語?悪いけどどっちも習得してないからせめて日本語が理解出来る頭になってくれる?ああ、出来ないから通じてないんだっけ。悪いとは全く思わないけどとりあえず謝ってあげるからその臭い息吹きかけるの止めてくれる?君の存在が環境汚染の一端を担っているって事を数万分の一でも理解出来るんだったら今すぐ呼吸を止めるか人間を辞めてくれれば二酸化炭素による環境汚染が六十億分の一も止まるんだよ?ワォ、地球に優しいエコロジー精神万歳だね」

 

事の発端は何だっただろうか。

確か体育の時間にバスケをやる事になって、いつもの様に女バスの面々がチームを組んで、いつもの様に徐々に熱中し始めた智花の孤軍奮闘というか一騎当千な無双ぶりで男子のチームを蹴散らして、そうしたら相手チームがぶーたれたというか臍を曲げたというか、そんな感じでそのうちバスケそのものに対する不平不満になった途端、物凄く分かりやすい程に馬鹿にした嘲笑を浮かべて進が口を開いたんだっけか。

 

初めは苦々しそうな表情だった女バスの面々も、何か言いたげだった夏陽も、今や揃いも揃ってぽかーんとした表情で事の成り行きを見続けている。

 

「んだと……テメェ!」

 

ぐいっ、と襟の辺りを掴んだ男子生徒が今にも殴りかからんと拳を振り上げる。どこからかひっ、と悲鳴が聞こえるが、まるで他人事であるかのように落ち着いた進の声が尚も続いた。

 

「すぐ手を上げる時点で頭の出来が知れるよね。馬鹿語も幼稚園児語も通じないって理解出来るんだったらもう少しその足りない脳みそ絞って自分の存在が間違っているっていう事を認識したらどう?そこの床に這いつくばって地球に生まれてきてごめんなさいとか言ってみなよ、盛大に笑ってあげるから」

 

言って、進があくどい笑みを湛える―――瞬間、中立静観を保っていた美星が両者の間に割って入った。

 

「はーい、そこまで」

 

一瞬で、それまで張り詰めていた空気が一気に霧散する。何処からともなく安堵の息が漏れ、体育館の中にいつもの空気が戻ってきた。

 

「アンタ達は一人相手に寄ってたかって詰め寄らない。ゲームに負けたからってぐちぐち文句をいうのも男らしくないな。男だったらスパッと負けを認めなさいよ」

 

次いで進の方を向いた美星は少し眉を顰め、

 

「アンタも、そうあからさまに喧嘩を売るんじゃないの。分かった?」

「はい」

 

返事だけはしっかりとして進は先程まで自分が座っていた壁際に戻って行く。

対面の壁に寄りかかる様にして座っていた愛莉には、その背が何故か大きく見えた。

 

 

 

その頃からだろうか。

水崎進という転校生の立ち位置が、クラス内で微妙に浮いた存在となったのは。

 

別段いじめの対象になったとかそういう訳ではない。

ただ何となくクラス内の輪から微妙に距離を取って、何処か客観的な視点から教室を眺めるというスタンスを取り始めたのだ。

クラスの人間も、初めの頃は休み時間になれば興味津津にあれこれ問いかけようと彼の机に迫ったというのに、今となっては教室内で彼と接触するという事すら殆どなくなっていた。

昼食も一人で黙々と食べるし、登下校のスクールバスの中でも一人で窓の外をぼんやりと眺めている。割り当てられた係の仕事や日直などはしっかりとこなしているし、誰かと言い争いになったりなどはしていない為か取り立てて問題視されている訳でもないというのに、まるで異物を取りこんでしまったかのようにクラスの空気がどんより重くなる。

 

その内、女子バスケットボール部の廃部存続云々の話が持ち上がると愛莉もそちらに意識を傾ける様になり、次第に進を観察する事も少なくなっていった。

そして、女バスの存続を賭けた対抗試合が徐々に迫ってきたある日―――

 

「水崎、バスケしようぜ!」

 

そんな声が真昼の教室内に響いた。

 

 




誰得な個人情報・その二(捏造篇)

[名前] 竹中 夏陽
[生年月日] 8月9日
[血液型] A型
[クラス] 6年C組
[身長] 149cm
[ポジション] SF
[所属係] 飼育係
[学業] 中

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。