ロリータ・コンプレックス   作:茶々

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第二十四Q 強い奴が勝つんじゃない

 

水崎新にとって、水崎進とは何なのか。

そう問われた時嘗ての彼なら、バスケ選手としての『水崎新』なら、芝浦小のスーパーアタッカーであった『水崎進』を指して恐らくは少し考えた後に、自信を持ってこう答えただろう。

 

「根っこの末端から幹の天辺に至るまで一色に染まったバスケ馬鹿」

 

天才とは5%の才能と95%の努力で形成されるものだという言葉は世界最高峰の野球選手を指して云うものだが、それは上限を100%で区切って考えた場合の話である。

進のバスケを形成する比率を100%という区切りの良い上限で区切る様な真似は、少なくとも彼の事を最もよく知る血を分けた肉親である所の新はしない。

 

彼ならば、苦笑しながらこう告げる。

 

「水崎進のバスケは100%の努力に5%の才能が上乗せされている」

 

要するに才能すらも努力で補い、且つその上に才能がプラスされるというのである。

 

その原動力となったのが何であったのかは新は正確に把握する事はなかった。というより気づく事が出来なかった。

進が何かに追われる様に、急かされる様にバスケに一層打ち込む様になった頃には彼自身にも周囲を気にする程の余裕はなく、何時しか毎日の様に繰り返していた兄弟での練習も少なくなって自主錬が多くなり、その関係がそのまま影響したかの様にやがて両親の間にも冷えた風が吹きつける頃になるという悪循環が堂々巡りを始め、最早惰性の延長線上に成り立っていた『家族』という名を借りた同居人達の繋がりは件の事件によって遂に崩壊を迎えた。

 

 

 

 

―――もし、という仮定の話。『if』の未来に逃避するのであれば、それが許されるのであれば。

 

新は力の限り弟を抱きしめてやりたかった。

 

離れて初めて気づいた、あれ程に小さく弱弱しく震えるその肩を抱きしめて、凡そ年頃の少年に似つかわしくない程に溜めこまれた思いの全てをぶちまけてほしかった。

 

進がそうしなかった―――そうしたくなかった原因が自分であると気づいた時には全てが遅く、何もかもが手遅れで。

だから自分にはもうその資格はないんだと、新はそう思っていた。

彼を追い詰め続けた自分には、そんな資格は存在しないのだと、そう思い込んでいた。

 

――――――だが、その考えすらも過ちであったと気づいたのは正に今この時。

 

コートに立ち、敵陣を鋭く切り裂く様なドリブルで観客を湧かせる実弟の、あの今にも壊れてしまいそうな程に脆く弱弱しい仮面の『笑み』の下に隠された、血を分けた兄だからこそ見抜けた『怯え』を見止めたこの瞬間だった。

 

 

 

手すりを握る手に力が籠る。

奥歯が音を立てて噛み締められる。

 

どうして、と新は顔を歪めた。

 

どうしてそんな笑顔を浮かべられるんだ―――どうしてそんな、自分を『演じ』続けようとするんだ。

 

―――ダンッ!!

 

コートの上で進が飛ぶ。誰にも邪魔されない空を駆ける様に飛び上がる。

相手のCが立ち塞がった。巨大な城壁の様に、その滑空を阻害する様に。

 

僅かに腕が交錯する―――だがボールは未だ放たれない。

腕が速度を上げてコース上からボールに迫る―――まだ、まだボールは進が持ったままだ。

 

―――そして、その腕がボールを持つ腕を横殴る様にぶつかった瞬間、ぐらりと中空で体勢を崩しながら、しかし既に腕へと移っていた重心を軸にしてボールが虚空へと舞い上がる。

実に手本の様な緩やかな放物線を描きながら、コンパスで半円を描く様な軌道でふわりと動くボールはまるで吸い込まれる様にしてゴールへと迫り、

 

――――――ビーーーーー!!!

 

決着のブザービートが響いた。

 

 

 

 

 

 

―――あと6秒

 

夏陽は相手の一瞬の隙をついてボールを進に回す。

やや右サイド寄りに駆けあがって来た進がボールを受け取ると、一気に中空へと跳ねあがった。

誰も追いつけない、誰も近寄れない空へ。

 

「行か、せるかぁっ!!」

 

―――あと5秒

 

否、一瞬にして障害が現れた。

突如として立ちはだかった城壁は瞬く間にその高さを上げ、更に高い位置からボールを狙う。

剛腕が、巨木の様に進を襲う。

 

「進っ!!」

 

―――あと4秒

 

腕が、激突した。

弾かれる様に進の腕が、ボールを持った手がぐらりと下がる。

 

終わった。

 

誰もがそう思った瞬間、夏陽は駆け出した。

相手をぬう様にして駆け抜け、進からボールを貰ってゴールに叩きこむ為に。

 

―――あと3秒

 

進の腕が、弧を描く―――違う、弧をなぞっているのはボールだ。

弾かれた筈の腕がぐるんと回り、手首のスナップによってボールだけが空中へと舞い戻る。

 

完全に崩れた体勢からの強引なシュート。

誰も入る訳がないと思った筈だ。

 

――――――けど、夏陽にはその意味が見抜けていた。

 

―――あと2秒

 

審判が笛を吹く仕草を見せる。

相手Cの反則を取るのだろう。そんな事はわかってる。

 

ボールはゆっくりと、放物線を描きながらゴールへと向かう。

 

何時の間にか、夏陽は自分の口元に笑みが浮かんでいるのを感じた。

 

―――あと、1秒

 

―――パサッ

 

予定調和の様にゴールへと吸い込まれたボールが、乾いた音を会場に響かせる。

瞬間、審判の声が夏陽の耳を打った。

 

「イリーガルユースオブハンズ!!」

 

時が、止まる。

 

 

 

終了間際、点差は僅かに3点。

しかし『普通』なら、例え3Pを決められても最悪延長戦に入るだけ。

 

それならば問題はなかった。

 

そう、『普通』なら。

それ『だけ』だったのなら。

 

「本当(マジ)かよ……」

 

得点を示す電光版を見て、誰に聞かせる訳でもなく昂は呟いた。

 

進のシュートのカウントは3点。

本来であれば、あんな崩れた体勢からそもそも平時ですら入れる事が困難な、そういった諸々の事情を鑑みれば入る筈もないフォーム無視の無茶苦茶なシュートは、しかしまるでそうある方が当たり前であるかの様にゴールネットを揺らした。

 

そして、ファウルによるフリースローが一本。

得点は、1点。

 

―――パサッ

 

会場にいる誰もがその目を疑った事だろう。

誰がこんな事態を予測出来ただろうか。

 

秋の新人戦の王者が、今年の全国大会出場候補と目されていた名門私立が―――

 

―――ビーーーーー!!!

 

1回戦で、その姿を消すなど。

 

 

 

歓喜の声が響く。

どよめきを覆い隠す程に雄々しく、騒々しくその声が会場を揺らし、コートへと降り注ぐ。

 

Cだった少年がボールの擦りぬけたリングをただ呆然として眺めていた。

ありえないと、そう叫びたかったのかもしれない。

 

自分が、強者である筈の自分達が負けるなど、ありえないと。

 

それでも、誰一人としてその言葉を口にして出す事はなかった。

分かっているからこそ、誰も云わなかったのだ。

 

「強い奴が勝つんじゃない、勝った奴が強いんだ……か」

 

強かに打ちつけられた腕を見やりながら、進はひとり言のように呟いた。

 

悔しさに涙を堪える者、喜びに涙が溢れかえる者。

どちらも同じ液体を流している筈なのに、どうしてこうも姿が違って見えるのか。

 

進には、まだ分からなかった。

分かろうと、そうは思わなかった。

 

グッ、と握り締めた拳を階上の男に向ける。

その眼光は既に標的をしっかりと捉えて離さず、それは向こうも同じなのか口元に歪な笑みを湛えながら猛禽類の様な瞳に攻撃的な色を浮かべて自分を見つめる。

 

―――次は、テメェの番だ。憲吾

―――いいだろう。相手になってやる

 

声に出さずとも、両者は互いの言葉を理解して背を向ける。

次に相対するのは、コートの上で。

 

二人は歩き出す。

嘗て同じ地で共に戦い、今再びコートの上で―――今度は相対する者として。

 

 

 

夏の県大会、第一回戦。

私立三草小学校対私立慧心学園初等部。

 

38-39で、慧心学園の勝利。

二回戦に対するのは、昨年の覇者にして今大会最有力候補。

 

市立芝浦小学校。

 


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