ロリータ・コンプレックス   作:茶々

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第二十一Q 全力で応えてやる

 

―――初めて出会ったのは、バスケ部の男女合同練習の折だっただろうか。

入学早々即決で女子バスケットボール部に入部した自分は、同年代の中ではそれなりに上手い方だったが市立の名門である芝浦小においては中の下程度の実力しかなく、毎日の様にレギュラー組の球拾いや雑用に追われていた。

 

期待していた楽しい筈の毎日は疲労と絶望に充ち溢れ、入部して間もないというのに何人もの部員が涙を流しながら辞めていった。

そんな中で行われた合同練習で、自分と同じ1年生の、ある男の子が視界に止まった。

 

背丈が突出して高い訳でもなく、体つきだって年相応に幼い印象を受ける。

 

だがプレーを見た瞬間、そんな先入観は一瞬にして吹き飛ばされた。

荒削りながらもしっかりと骨格を持ったプレイスタイルから繰り出されるドリブル、パス、シュートの一つ一つが洗練されていて、力強くコートに弾ける。

同い年の選手では相手にならないからとコーチが判断し、二ゲーム目からは上級生を相手に試合をしていたその子の名前を知ったのはそれから間もなくの事。

 

話しかけようと思った。

同い年だし、色々と教えて貰いたかった。

 

だが、そんな少女に立ちはだかる様にして部活内の空気は見えない壁の様に厚く、そして高かった。

 

レギュラー組、控え組、補欠組に割り振られた中で自分は最下層の補欠組、彼はレギュラー目前の期待のスーパールーキー。

格の違いはそのまま二人の距離となり、その差は幾ら縮めようと少女が努力しても大海の様に一向に先が見えない程だった。

 

諦められたら、いっそ楽だったのかもしれない。

 

だが知ってしまったのだ。

一度目に焼き付けてしまったその光景は脳裏に焦げ付く様にして残り、そしていつまでも頭の中から離れようとしない。心の底から消えようとしない。

 

それが原動力となって、今も尚力強く自分自身を後押ししてくれている。

 

対外試合で見せた、彼の戦いぶりが。

シュートが、パスが、ドリブルが。

 

―――何もかもが輝いて見えたあの瞬間が。

 

 

 

 

 

 

「不幸な、事故……だと?」

「あの子をクラスの中で孤立させた起因が私でも、それに乗っかったのはその当時私と同じクラスだった39人の生徒で、それを知っていながら見過ごしたのは教師の無能と怠慢と体裁ばかりを気にする学校が原因。様子の変化に気付けなかったのは貴方の所為で、縋る様に寄って来たあの子に手を出してしまったのは貴方のお兄さんでしょ?」

「………………」

「それで私だけを責めるのも貴方が自分を追い詰めるのも筋違いじゃない?本当に罪を償うというのなら私や貴方だけじゃない、あの時同じクラスに居た39人の生徒も当時の担任も学校の関係者も、そして貴方のお兄さんも一緒に贖罪しなければならない。けどそんなのは全然現実的じゃないって分かっているから、貴方は自分一人を苦しめて罪の意識を消そうとした。それはただの自己満足でしょ?」

「…………黙れよ」

「もういい加減認めなさいよ、進。貴方一人がそうやって自分を痛めつけても、何一つ戻りはしないのよ?貴方のお兄さんだってきっと―――」

 

―――バキッ!!

 

突如響いた鈍い音に、物陰から二人の様子を見ていた愛莉は思わず目を瞑った。

 

「……ッ、そうやって自分を痛めつけて、自分一人の所為にして、周りにも冷たく当たって近づけない様にして、そんなに自己満足に浸りたいの?それで周りが同情してくれれば満足なの?」

「―――黙れっつってんだろ!!!」

 

右腕を振り抜いたままの姿勢で進は最大級のボリュームと共に怒鳴った。

 

「俺の事は幾らほざこうが勝手にすればいい!けどな!!兄さんの事をテメェ如きが知った風に語るんじゃねぇ!!!」

 

尻もちをついたままの少女に詰め寄る様にしてその襟首を両手で掴んだ進は、鼻先が擦れそうなくらいに至近距離に少女と顔を近づけて尚も怒鳴った。

 

「全部俺の所為なんだよ!!!自己満足でも何でもない!!それが事実なんだ!俺がアイツを家に連れていかなければ!!俺が兄さんとアイツを惹き合わせなければ!!俺がアイツの事をもっと気にかけてやっていれば!!こんな事にはならなかったんだ!!全部全部俺が悪いんだよ!!!それが自己満足だと!?一人で何でもかんでも背負い込んでるだと!?俺はなぁ!!身内でも何でもない赤の他人が俺の事を分かった風に喋るのが一番嫌いなんだよ!!!」

「……怒った顔の進も綺麗ね。また惚れ直しちゃいそうよ」

「―――ッ!!テ、メェ……ッ!!!」

 

既に切れていた堪忍袋が袋ごと弾け飛ぶ破滅的な音が聞こえた気がした。

勢いよく振り上げられた拳が、弾丸の様に少女の顔面に叩きつけられる―――そんな未来が幻視され、愛莉は思わず目を硬く瞑った。

 

――――――だが、響いたのは少女の顔面に叩きつけられる拳の音ではなく、砲弾の様に力強く振り下ろされる腕を止める乾いた音だった。

 

「―――そこまでだ進。安条も、それ以上煽るな」

 

唐突に鼓膜に響いた第三者の凛然とした声音に、愛莉は目を見開いてその光景を見つめた。

背丈は目測で進よりも頭一つ半から二つ程高い。切り揃えられた濃い茶髪としっかりした体躯はいっそ中学生にも見えそうだったが、安条と呼ばれた少女の「あら、キャプテン」という言葉から恐らくは自分や進と同い年なのだろうと推測が付く。

 

「ッ!!放せ憲吾!!」

「放すか馬鹿者。一応そんなんでも女子のエースなんだ、殴るなら傍目からは見えない所にしておけ」

「こんな下衆野郎共と同じ真似が出来るかッ!!」

「なら止めておけ。顔は流石に不味い」

 

憲吾、と呼ばれた少年の言葉に盛大な舌打ちを響かせながら、射抜く様な鋭い眼光のまま、しかし一応受け入れたかの様に進は二人から距離を取った。

図らずもその体勢は覗き見ていた愛莉に背を向ける格好となり、相対的に二人からこっちが見えてしまうと思った愛莉は慌てて柱の陰に身を潜めた。

 

「……開会式の会場に姿が見えないから、どうせまたいつもの様に外を走っているかと思えば…………」

 

嘆息した様な少年―――憲吾の声が響く。

 

「進、もうすぐ第一試合が始まるというのにいきなり暴力沙汰で出場停止になりたいのか?」

 

その言葉に即座に進が返した。

 

「元はと云えばそいつが原因なんだよっ!!人のウォームアップの邪魔どころか集中すら奪いやがって!!猿轡でも填めて何処ぞの倉庫にでも放り込んどけそんな女!!」

「酷い言い草、折角袂を別ったとは言っても元『恋人』にエールでも送ろうと思ってこっそり後をつけてきたのに……」

「ッ!どの口がぬけぬけと…………ッ!!」

「進、落ちつけ。安条の非礼は俺が詫びるからその拳を収めろ。安条、お前はもう喋るな」

 

じゃじゃ馬の扱いに手慣れた様な憲吾の言葉に、恐らくはいきり立っていたであろう進も口数の減らなかった安条も口を閉じた様だった。

 

「進。俺はお前と安条の間に何があったのかは知らんし詮索するつもりも全くない。それが例えどれだけお前や安条にとって重大な事でもだ、だ」

 

「だが」と一拍置いて、

 

「大事な試合を前にして、お前がすべきことはなんだ?生意気な口をきいた女を殴り飛ばす事か?怒りに我を忘れる事か?違うだろう、それぐらいの事はお前なら分かる筈だ」

「………………」

「安条と争った事を責めるつもりはない。お前がこいつを毛嫌いしている事は重々承知しているし、こいつの生意気さなど今に始まった事ではないからだ。……が、どんな理由があろうと、スポーツ選手以前に人間として、暴力で物事を解決しようとする事は絶対に看過出来ん。俺と同じ、バスケを愛するお前なら尚更だ」

「…………」

「幸い、という言い方もおかしいが、俺達は皆バスケをやっている。決着をつけたいなら、試合で勝負をつければいい。丁度、第二試合で当たる予定だからな」

 

カツン、と、舗装された道にやたら甲高い音が響いた。

 

「文句も怒りも、全てを力に変えてコートでぶつけてこい。全力で応えてやる」

 

そのままカツ、カツ、と音が徐々に遠のき、やがて聞こえなくなった頃になって今度は怒りに震えた様な歯軋りの音が聞こえた、かと思うと、

 

「――――――アァッ!!!」

 

ダン!!と地面を叩きつける様な轟音。そのまま萎縮していた愛莉に気づいた様子は欠片もなく進はずんずんと愛莉の横を通り過ぎ、そのまま体育館へと姿を消した。

 

ややあって、へなへなとすっかり抜け落ちた腰から波打つ様に身体をへたり込ませた愛莉はそのまま地面に座る様にして気抜けた表情を浮かべていた。

何が何なのか何一つ理解出来ず、しかし言葉の端々にあった単語が断片的に頭の中をぐるぐると駆け巡る。

 

「…………ぁ……ぅ」

 

やがて、体育館の外まで響き始めたブザー音と歓声が耳を打っても、愛莉はそのまま一歩も動けずにいた。

 

 

 

 

 

 

夏の県大会、第一試合は例年以上の観客によって大いに盛り上がりを見せていた。

 

昨年秋の新人戦で、県下屈指の名門である市立芝浦小を破った私立三草小学校が初戦から登場する事に、大衆の下馬評では今年の県大会は二回戦にして早くも夏の覇者と秋の王者が激突する、と信じて疑う者はいなかった。

三草小と姉妹校に当たる全寮の私立女子校・硯谷女学園バスケットボール部顧問の野火止初恵や、その妹で高等部所属の麻奈佳も、大勢の予想通り三草小が勝つであろう事を予測していた。

 

だからこそ、正に今観客を興奮して止ませない慧心学園の一人の選手の動きが信じられなかった。

 

―――ビーーー!!

 

既に何度鳴ったのか数えるのも億劫になるくらい響くブザー音。

それはこの試合において、本来であれば三草小のリードを知らせる為だけに存在した筈なのに―――

 

「……凄いね、あの5番」

「…………ええ」

 

普段の性格そのままに頑なな態度を崩さないにしても、初恵の頬にも冷や汗が一筋垂れているのを麻奈佳は見止めた。

 

「あの子だっけ?結構前にお姉ちゃんが言っていた……」

「水崎進。三草小のスポーツ推薦を蹴って芝浦に行ったかと思えば、今はあんな三流校でエースを気取っていたとはね」

「気取る……って、実際エースじゃん。一人で三草小の子達からバシバシ点奪っているんだから」

 

言いながらも、麻奈佳の表情は何処か硬い。

コート上の進を見つめる目は真剣そのもので、いっそ剣呑な雰囲気さえ漂わせている。

 

「……けど」

「けど?」

 

囁く様にして呟かれた妹の一言を、オウム返しの様に姉が聞き返す。

麻奈佳はそんな姉の様子に気づいた様子もなく、誰に聞かせる訳でもない、まるで独り言の様に呟いた。

 

「……あの子、何でバスケをやっているんだろうね?」

 

 

 

 

 

進の様子が異常だと夏陽が感じたのは、彼が更衣室に入って来た瞬間だった。

開会式に姿を見せなかった彼が試合開始直前になって戻ってきて、「何をやってたんだ」と尋ねる小笠原顧問に、

 

「―――小笠原先生、俺をスタメンで使って下さい」

 

形振り構っていられないとばかりに早口に言ったかと思うと、射抜く様な鋭い眼光が真っ直ぐに顧問の双眸を捉えた。

何かを噛み締める様な、堪える様な口調で紡がれた嘆願を、少しの思考時間を経て顧問は了承し進は先発出場となった。

 

いきなりどうした、と尋ねる者はいなかった。夏陽すら尋ねなかった、否、尋ねられなかった。

 

獣が完全な空腹の状態で格好の獲物を目の前にした時の様な、幾星霜も掛けて漸く見つけた一族の仇を捉えた様な、形容する事すら憚られるくらいにおぞましい闘気を全身に漂わせ、今か今かと開始のゴングを待つ挑戦者の如く息まいた呼吸音は普段の様に整っていながら、夏陽には嵐の前の静けさにしか感じられなかった。

 

その予感が的中していたと知ったのは、コートに進が立った瞬間だった。

 

「―――ッ!?」

 

彼の背を追う格好でコートに入ろうとした夏陽は、しかしその背中を見た瞬間に身体が完全に硬直してしまったのだ。

 

何故か、なんて疑問は全く意味をなさない。

何故なら夏陽は人間以前に生命体としての『本能』でその危険を察知したからだ。

 

恐れるとか怖がるとか、そんなチャチな言葉では到底言い表せない。

対抗試合の時に見た智花の小6離れしたバスケテクや、それに合わせる様に飛躍的に高みへと向かっていった進の動きが赤子の様に可愛く思える。

今にも弾け飛びそうなくらいに限界ぎりぎりまで凝縮されているであろうその躍動は、今か今かと爪を研いで静かに開始のブザーを待つ。

 

「これより県大会一回戦、私立三草小学校対私立慧心学園初等部の試合を始めます」

 

審判の言葉などまるで耳に届いていないだろうその双眸には、しかし眼前の敵を捉えていた訳ではない。

目の前の敵をその照準で捉えず、誰を見ているのか?

 

答えを知らぬまま、進と相手のジャンパーを残して夏陽達はコートに散った。

 

 

 

 

 

―――見つけた。観客席の、今俺が立つこの場所と相対する様に二人がいた。

 

「へっ……!まさかアンタとこんな所でやりあえるとはなぁ」

「…………」

 

―――相変わらず、目の前のデカブツも、ゴールも透けて見えるくらいに圧倒的な存在感を感じさせる。

 

「覚えてるだろ?黒岩颯太、秋の新人戦で最優秀選手に輝いた得点王。アンタがいた芝浦小を下した王者だよ」

「…………」

 

―――流石は憲吾、と云った所だろうか。思えば一年の頃から、アイツには世話になりっぱなしだった気がする。

 

「……チッ!おい聞いてんのか!?ビビっちまったのかよ!?」

「…………」

 

――――――つぅか、さっきから目の前の三下がうぜぇなオイ。

 

「誰だよ」

「アァ!?」

「テメェなんかしらねぇし興味もねぇ。黒岩だか黒ゴマだか知らないけど、テメェにもテメェらにも、俺ァ割いてやれる程の時間がねぇんだよ」

 

―――俺が闘わなきゃいけないのは、こんな蠅どもじゃない。

 

「どけ、俺の邪魔をするな」

 

――――――ピッ!!

 

 

 

 

 

「鈴本キャプテン、あのデカブツは何ですか?」

「ああ……確か三草小が去年の新人戦で優勝した時に、得点王とかで最優秀選手になった黒岩颯太だ。中学生クラスの巨体を生かした当たり負けしないフィジカルが自慢で、ことリバウンドにおいてはかなりの得点力を持つ」

「へぇ……ま、『私の』進には到底及びませんけど。第一何ですかあの顔?顔面崩壊なんてレベルじゃありませんよ」

「…………あの強面のお陰で、相対した相手DFが悉くビビったというのが得点王の要因らしい」

「けどそれにしたって、去年の新人戦は進やキャプテンが出なくて、ウチの控え組と補欠組にお鉢が回って来たからとれたものでしょ?それに、総得点は新人戦初出場の時の進より下だって言うじゃありませんか」

 

チームの輪を離れ、二人で試合観戦をしながらぼやき続ける。

その目に映るのは誰あろう進であり、進が胸中で、安条が口頭で『デカブツ』と形容した黒岩を強引に抜き去ってゴールネットを揺らす様に、熱の籠った視線と声音で安条が呟いた。

 

「……はぁ、やっぱり進のプレイはいつ見てもゾクゾクしちゃう」

 

 

 

―――ある者がそのプレイに疑問を感じ、ある者が歓喜に身を捩らせる中、都合十回を数える進のシュート音が体育館に響いた。

 




誰得な個人情報・その四

[名前] 鈴本 憲吾
[所属] 市立芝浦小学校男子バスケットボール部
[生年月日] 1月21日
[血液型] A型
[身長] 174cm
[ポジション] C
[背番号]4

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