ロリータ・コンプレックス   作:茶々

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第二十Q 凄く、大きいです

 

金曜日。

翌日に県大会初戦を控えた男バスの面々は、軽い調整とミニゲームでこの日の練習を終えて、今は体育館から場所を移してミーティングをしていた。

 

内容は主に、明日の試合のスターティングメンバーとベンチメンバーの選別。

本来であれば当日や前日に自分達にそれを告げてくれる筈の小笠原顧問は急用でゲーム途中から席を外しており、この場にもまだ現れていない。

 

その為全体の司会進行を務める事となったキャプテンの夏陽は、教室の脇にあったボードにメンバーの名前を書き込み、明日の先発メンバーをある程度選ぶ事になったのだが、

 

「…………」

 

十数人が席に座りながら、それぞれにボードを眺めたり、或いは俯いたりして重苦しい沈黙が空間の中に鎮座していた。

顧問の決定であれば皆が納得するし、部員全員から信頼を寄せられており、部内における実力も傑出している夏陽の選抜であれば文句はない、といった空気の中、しかし夏陽は先発する部員の名前を書きだす事が出来ないでいた。

 

候補は既に上がっている。

自分を含め、これまでレギュラーだった者が五人。この数カ月で実力をつけた者が数名いるが、それでもレギュラー陣にはやや劣る。

 

問題なのは進だった。

 

「………………」

 

男バス対女バスの対抗試合、それと前後して『白昼決闘(マッチ・ディ)』、更にここ数週間の練習において昨年の全国大会準決勝進出校のエース足る実力を存分に示した進をレギュラーとして使うべきか否か。

もし使うのであれば、これまでのレギュラーから誰を外すべきなのか。

 

その選択肢を何時の間にか迫られていた夏陽も、そしてその選択を迫ってしまった部員達もいつしか無言に陥り、時間の経過を知らせる様な時計の針が進む音だけが教室の中に響いていた。

 

「…………」

 

これまで共に戦ってきた仲間を切り捨てる様な真似はしたくない。それは誰だって同じだった。

だが今回は初戦に秋の新人戦優勝校である三草小、二回戦にはシードで昨年の覇者である芝浦小という強敵が立て続けに立ちはだかり、どう考えても苦戦は必至。であれば、チーム全体を通しても群を抜いた実力を持つ進をレギュラーで使った方が当然対抗できる可能性は大幅に引き上げられる。

 

チームワークを重視すべきか、勝利を引き寄せるべきか。

両立し難い二択を迫られた夏陽に、しかし救いの手を差し伸べたのはその渦中の中心たる進だった。

 

「あのさ、夏陽」

「……何だ?」

「もし俺を使うかどうかで迷ってるなら、その必要はないよ」

 

一瞬、張り詰めた弦の弾かれる様な音が幻聴となって聞こえた気がした。

部員全員の視線を集めながら、しかし相変わらず夏陽以外の部員は顔と名前が今一一致しない進は当たり前の事の様に淡々と告げた。

 

「もともと小笠原顧問にも話した事なんだけど、初戦の三草小との試合に、俺は前半出ないつもりだったから」

 

 

 

 

 

 

明けて土曜日。

夏本番の到来を告げる様な喧しい蝉の声と燦々と大地に照りつける灼熱の太陽の輝きと共に、全国で最も熱い時節がやってきた。

 

夏の全国小学校バスケットボール大会、県大会。

県内各地の地区大会を勝ち上がった地区代表校が一堂に会し、そして全国大会への切符を賭けて熱戦を繰り広げる夏の祭典。

その開会式会場であり、初日にして早くも第一回戦を戦う事となる慧心学園初等部男子バスケットボール部の面々は、昨年も足を運んだ県立の総合体育館を見上げる様にして並んでいた。

 

休日の朝方にも関わらず、総合体育館前に設けられた広場の様に開けた公園にはそこかしこにジャージに身を包みバッシュやユニフォームを詰め込んだであろうバッグを持った小学生やそれらを先導するコーチの姿が見え、空間全体がある種の異様な雰囲気に包まれていた。

 

「前にも見たけど、やっぱり凄いな……」

 

辺りを見回しながら、感嘆した様に夏陽が呟く。

するとその隣に立ち、帽子で直射日光を避けながらも鬱陶しそうに突き抜ける様な青空を睨んでいた進がその横顔に声をかけた。

 

「去年までの大会成績を統合して上位4チームはシード、それ以外の地区大会を勝ち上がったチームが全部で40校ちょい…………といっても、今日一日で六割近くは消えるんだけどね」

「今日と明日の二日で県代表が決まる、か…………」

 

何かを噛み締める様にしながら、夏陽が独り言の様に呟いた。

 

「……なぁ、進」

「ん?」

 

ふと、見合わせる様に視線を交錯させた二人だったが、

 

「おーい!みずっちー!ナツヒー!」

 

闖入者……もとい、応援に駆け付けた女バスの中でも一際大きい真帆の声が鼓膜を揺らした。

その声にげんなりした様な表情を浮かべながらも振り向いた夏陽だったが、ブンブンと手を振る真帆の後ろの方に居た少女を見止めた瞬間、その顔が一瞬で紅潮した。

 

「おー、たけなかー」

 

喜色を浮かべながら手を振る、儚くも可憐な現世の天使―――まぁぼかすまでもなくひなたの事であるのだが、普段の制服や合宿の時に見た体操服とも違った私服の装いに夏陽の気恥ずかしさと嬉しさは一気に天元突破しそうになった。

フリルのあしらわれたピンク地の服に身を包み、さながら中世期の上流貴族を模した精巧なアンティークドールの様に美しいひなたの姿に、夏陽のみならずすれ違う様に通り過ぎていった他校の男子生徒も結構な数が見惚れていた。

 

別段ひなたのみに見惚れていた訳ではなく、ただ普段から見慣れている為かあんまり自覚に乏しいだけで実は女バスの面々は容姿的には全体的にかなり高いレベルを誇っており、他にもノースリーブの真帆とか薄手の紗季とかどっかのお嬢様みたいな愛莉とか結構隙の多そうな智花とか、そういった面々に見惚れている者や、付き添い兼引率の様にそんな少女達の後ろを歩く昂と葵の物珍しさにひかれている者もいたりするのだが、夏陽にしてみればひなたが薄汚れた目で見られる事が酷く不快で、本人としては少しだけのつもりだったが隣に立つ進にしてみれば「いきなりどうした?」と首を傾げたくなるくらいにかなりの度合いで顔が不機嫌さを露わにしていた。

 

「……何でお前らが此処にいんだよ」

「俺が湊を呼んで、湊がみんなを呼んだ」

 

目の前で「にししっ」と笑みを湛える真帆に問うたつもりの疑問は隣から即座に返答が返り、思わず「はぁ?」と眉を顰めながら夏陽は進の方を見やった。

 

「試合観戦も、立派な練習の一つでしょ?」

「……そりゃ、そうだけど」

「まぁまぁ、そんなにしかめっ面しないの」

 

何時の間にか進とは反対側の隣に寄っていた紗季が夏陽の脇腹を小突きながら耳打ちする。

 

「それに、ひなたにいいとこ見せるチャンスでしょ?」

「おま……っ!!」

 

思わずひなたの方を見やり、ひなたが「おー?」と小首を傾げた所でその余りの可愛らしさに眩暈を覚え、ぶっきらぼうにそっぽを向こうとして同じ様に首を傾げて興味深げに自分を見る進の視線を感じて反対側を向いて、意地悪く笑みを浮かべる紗季の顔に再び戻った。

 

「今日はしっかり応援してあげるから、頑張りなさいよ」

 

バシッ、と音がなるくらい背中を叩かれ思わず前のめりになる夏陽。

図らずも滑稽に映ってしまい、真帆に大笑いされてしまったのは御愛嬌。

 

ついでにそれで不機嫌になりかけても後でひなたに「おー、たけなか頑張れー」とエールを送られてあっさり御機嫌になったのも御愛嬌。

 

 

 

 

 

体育館に入り受付を終えると、早くもコートで練習時間を与えられた。

この段階で夏陽達試合組と別れた昂達観戦組は、取りあえず座席確保の為に観客席へと向かった。

 

「凄く、大きいです…………」

「県立の総合体育館だからね。もっと大きい所だと、コートがもっと沢山あるところもあるんだよ」

「すっげー!天井があんなに高い!」

「ちょっと真帆落ちつきなさい!恥ずかしいでしょ!!」

「おー、人がいっぱい」

「はぐれない様にしないとね。お手洗い行きたい人、いる?」

「あ、じゃあわたし、飲み物用意しておくね」

 

気分は小旅行か遠足的な雰囲気である。

 

「水崎君達は第一試合だそうです」

「へぇ……今日一日でベスト16まで出そろうのか」

「試合数も結構あるよね……小学生にはキツいんじゃない?一日に二試合三試合やるのは」

「これでも夏の大会はトーナメント方式になって随分とラクなんですよ?冬の大会なんかは未だにリーグ戦で、多い時には一日四試合の強行軍ですから」

「へぇ……って、うぉ!?水崎!?」

 

感嘆した様に息を吐いた昂を驚かせたのは、何時の間にか客席の方に居た進だった。

 

「び、吃驚した……脅かすなよな、全く」

「水崎君、練習は?」

「ん、もう終わり。流石に参加校が多いと割り振られる時間も少なくてさ。後は試合前にちょっとあるだけだから」

「おー、みずさきー」

 

両手にジュースを持って戻って来たひなた達に軽く手を振った辺りで、ふと気付いた様に葵が声をかけた。

 

「……もしかして、君が?」

「ん?……ああ、何時かの不法侵入者さん」

「ふぇ!?」

「あ、違うか。この間女バスと試合やってた…………えーと……」

「葵さんだよ水崎君、昂さんと同じ学校の」

 

智花のフォローに「ああ」と思いだした様にポンと手を叩きながら進は声を上げた。

驚いたように目を見開いている葵を余所に、進はひなたから差し出されたジュースを口に含んで踵を返した。

 

「じゃあ、俺はこれで」

「何処に行くんだ?もうすぐ開会式だろ?」

「ちょっとそこら辺を走ってこようと思いまして。開会式は出ようと出まいと一緒ですし、試合は途中からしか出ませんから」

 

疑問符を浮かべる昂を余所に進はさっさと客席から姿を消し出入り口の方へと消えていった。

その背中を眺めていた昂だったが、隣に座る葵から恐る恐るといった風に呟かれた言葉に耳を傾けた。

 

「ねぇ……昂」

「うん?」

「もしかしてあの子が……水崎先輩の?」

「…………ああ」

 

肯定を示し、それきり昂は口を噤んでしまった。

不安そうな面持ちを浮かべる葵を余所にはしゃいでいた真帆達も、開会式を告げる放送の音にやがて静かになっていった。

 

 

 

 

 

右を見る。

何処かのフロアに通じているらしき大仰な入口が魔窟の口の様にぽっかりと開いている。

 

左を見る。

やたらだだっ広い公園には休日だと云うのに人っ子一人おらず閑散としている。

 

後ろを見る。

きちんと整備された、延々と続いているのではないかと錯覚するぐらい長い舗道がある。

 

前を見る。

きちんと整備された以下省略。

 

「…………えぅ、どうしよう……」

 

傍から見れば、休日の昼前に少しお散歩に出かけた何処かの箱入り娘にしか見えないいでたちで、しかし実際は完全無欠の迷子状態に陥った愛莉は大きな目を潤ませてしょげていた。

 

ひなたや葵達と一緒に飲み物を買いに向かった愛莉だったが、その途中で試合前にお手洗いに行った方がいいと判断した愛莉は途中でひなた達と別れた。

一緒に行こうか、と引率担当の葵が尋ねたが、すれ違った観客や出場選手と思しき男の子達が足早にコートの方に向かった事から開会式が近い事を悟り、自分一人でも大丈夫だと勇気を出したのが裏目に出たか。

 

紗季や智花の言う様にちょっとだけ自信の付いた自分がこの時ばかりは恨めしかったが、それも後の祭りである。

 

「うぅ…………」

 

連絡しようにも、そんなに遠出をする訳でもなかったから携帯は置いてきてしまったし、じゃあ受付を探せばいいと思っても今自分が何処にいるのか、受付に行くにはどう行けばいいのか、それすらも全く分からない。

 

あっちだろうか、こっちだろうか。

誰か通りかかってくれればありったけの勇気を振り絞って道を尋ねるだけの気構えをしていながらも、こういった時に限って誰も通りかからない。

まぁ愛莉が知らないだけで、体育館内では既に開会式が始まっており関係者各位は皆一様に会場内に入っているから誰もいないだけなのだが。

 

迷いながらも愛莉はテクテクと歩を進め、俯きかけていた顔を不意にちょっとだけ上げてみる。

 

と、

 

「…………ぁ」

 

遠目に誰かの背中が見えた。

やや横向きではあるが顔は見えず、しかし背丈から推察するに恐らくは小学校高学年から中学生と思しき……少女、だろうか。腰元に手を当てて遠目からでも随分と威圧感を感じる様相は、もし真正面から立ち合えば思わず萎縮してしまいそうなくらい愛莉には恐ろしく感じた。

 

だが、そんな小さな恐れなど今は構っていられない。

兎に角出来るだけ丁寧に道を尋ねて、相手の機嫌を損ねない様にしよう。

 

気質そのままが出た様な思考回路に気づかぬまま、愛莉は歩を進めて声を掛けようと口を開き、

 

「―――へぇ……この間の総合大会でも見ないと思ったら、慧心なんて三流校に行ってたんだ」

 

ピクリ、と、少女の口から紡がれた『慧心』の二文字に動きを止めた。

 

「…………今更何の用だ」

 

次いで愛莉の鼓膜を震わせたのは、ここ最近随分と距離感が近くなった様に感じられる進の声。

だがその声音は彼らしくも無く酷く嫌悪を露わにしており、会話を続ける事自体を嫌っている様な印象さえ感じられるものだ。

 

「何の用、って随分な言い草ね?それが元とはいえ『彼女』に掛ける台詞?」

「誰が何時お前なんかを『彼女』にした。俺はただの一度もお前の事を好きになった覚えなんかねぇよ」

「ふふ……けど、私はずっと貴方の事をこんなにも好きなのよ?愛してさえいるわ。そして貴方はバスケの上手い人はみんな好きなんでしょ?それなら両想いじゃない?」

「残念ながらお前はたった一つにして最大の例外だ。俺はお前が嫌いだ。大っ嫌いだ。お前なんかとは口もききたくなかったし顔も合わせたくない。今すぐ消えろ」

「やだ。もしかしてまだ『あの時』の事を怒ってるの?あれは貴方の為だったのに……」

「そのうぜぇ口を今すぐ閉じろっつってんだよ!!聞こえねぇのかっ!?」

 

突如轟いた怒声に、愛莉は全身を竦ませて思わず目を閉じた。

イラつきを前面に押し出す様に、相手を圧迫するかの様に上げられた怒鳴り声は、しかし眼前の少女にはまるで意味をなしていない様に進はその顔を苦渋に歪める。

 

「『あれ』は私一人の所為?違うでしょ?それは貴方自身が一番良く知っているじゃない。私も、貴方も、あの子も、そしてあの時私達に関わっていた人間全ての所為。それなのに貴方が一人だけ罪の意識に苛まれる必要が何処にあるの?あの時の人間は、私や貴方を除けば誰一人としてあの惨劇を忘れたかの様に毎日を送っているわ。にこやかに、健やかに……」

「―――るせぇ、うるせぇ!うるせぇ!!」

「貴方一人が苦しんで何になるの?それはただの自己満足でしかない。自分一人を痛めつけて、悲劇の主人公を気取って……そんな事をして、一体何の意味があるというの?」

「黙れっつったのが聞こえねぇのか!?今すぐ失せろ!!」

「……ねぇ進、もうやめましょうよ?」

 

諭す様な口ぶりで。

酷く冷淡な声音で。

 

「―――貴方のお兄さんが退学に追い込まれてしまったのも、あの子が退学を迫られたのも、全ては『不幸な事故』だったのよ」

 


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