ロリータ・コンプレックス   作:茶々

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第十九Q 好きだよ?

 

ある日のSNSにて。

 

まほまほ「アイリーンすげーじゃん!きょうは25mばっちり泳げたし!」

ひな「おー、あいりえらい」

あいり「えへへへ……けど、みんなのお陰だよ」

紗季「そうね、長谷川さんや葵さんも手伝ってくれたもんね」

智花「けど、愛莉が自分で頑張ったから出来たんだよ。お疲れ様」

あいり「うん……ありがとう」

まほまほ「いやーそれにしてもアイリーンかわったよねー。これもすばるんのコーチのおかげだよねー」

あいり「うん、長谷川さんにもいっぱい感謝しないとね」

ひな「おー!」

紗季「……変わったって言えばさ」

智花「どうしたの?紗季」

紗季「水崎もこの頃、少し変わったよね。こう、クラスの中でも夏陽以外の人と話しているのちょくちょく見かけるし」

まほまほ「うーん……そっか?」

紗季「ま、ニブい真帆には分からないだろうけど」

まほまほ「なんだとー!?」

智花「ま、真帆!落ちついて!」

ひな「おー」

 

昂や葵による水泳のコーチの甲斐あってか、プールの授業においてそれまで水の中に入る事も覚束なかった愛莉は無事に25mプールを泳ぎ切り、その感動を皆で分け合っている様子を実は五人がSNSで思い出しているのと時を同じくして彼女達のコーチがビデオで眺めている事など知る由もない少女達は、紗季が話題に上げた進のここ数日間の様子を思い起こしてみた。

 

智花「私は部活のない時とかに偶に水崎君とバスケするけど、そんなに変わった風には思わないよ?」

あいり「けど、言われてみれば確かに少しだけ話し易くなった……気がする」

ひな「おー?水崎、変わった?」

まほまほ「そっか?サキのおもいすごしじゃね?」

紗季「……そうかなぁ。まぁ愛莉のは自信がついたって事だろうから省くとして」

あいり「ふぇぇ!?」

智花「紗季、もう少し優しく言わないと……」

 

と、そこで智花が不意に動きを止めた。

 

まほまほ「どったのもっかん?」

紗季「長谷川さんからのラブコール?」

ひな「いいなー、ひなもおにーちゃんからラブコール欲しいなー」

智花「ち、違うよっ!!えと……水崎君からメールが来たみたい」

まほまほ「みずっちから?なんて?」

紗季「またあだ名変えてるし……」

智花「えっと……『次の土曜日、県立総合体育館前に朝10時集合』だって」

まほまほ「しゅーごー?なんの?」

紗季「アンタ聞いてなかったの?この間夏陽が言ってたでしょ、次の土曜日に県大会があるって」

あいり「じゃあ智花ちゃんは、試合を見に行くの?」

智花「うん、この前水崎君に『参考になるよ』って誘われたから」

まほまほ「おぉー!?ここでみずっちがもっかんにもうあぷろーちかー!?」

紗季「『俺の勝利を君に捧げるぜ、I LOVE YOU』……って訳ね!?」

あいり「智花ちゃん大人……!」

智花「ふぇええぇ!?違うよ!そんなんじゃないってばぁ!!」

 

と、本当ならこんな感じのからかいの後で紗季辺りが「まぁトモには長谷川さんがいるものね」とかなんとか言って終わる筈だったのだが、

 

ひな「いいなー、ひなもいきたいなー」

 

何て言いだしたのが事の始まり。

 

智花「ふぇ?」

あいり「けどひなちゃん、朝早いのは苦手じゃないの?」

ひな「けど水崎、いつもひなに優しくしてくれる。だからひなは、水崎をおーえんしたいです」

まほまほ「じゃあやんばるにむかえにいかせよーか?」

ひな「おー、だいじょーぶ。ひな頑張る」

紗季「トモやひなが行くっていうなら、私達もいかないとね」

あいり「うん、私もみんなの事、応援したい」

紗季「っていう訳でトモ、水崎に連絡しといて」

智花「うん、分かった」

まほまほ「じゃあすばるんにもれんらくしとかないと」

紗季「そうね。トモ、悪いけど二人に連絡するの頼める?」

智花「分かった。じゃあまた明日」

あいり「うん、またね」

ひな「おー」

 

SNSから落ち、自分の携帯を手に取った智花は――話す内容の多さをふと思いなおして――メールよりも電話の方がいいかと電話帳から進の名前を選択しコール。二回程呼び出し音が鳴った所で、押し当てた耳に聞き慣れた声が響いた。

 

『どうした湊?』

「あ、あのね……次の土曜日なんだけど、みんなと一緒でもいいかな?」

『別に大丈夫だけど……』

「だけど?」

『行くこと前提で尋ねるのはやめてくれる?』

「ふぇえ!?」

 

何で分かっちゃったの?

問いかけるより早く、向こうの声は答えた。

 

『湊が女バスに相談しないでそんな事聞く訳ないし、相談してもみんながいかないなら聞く必要ないだろ?』

 

見透かした様に洩れる微笑を集音器は拾い、智花の鼓膜を震わせる。

うぅ、と声を洩らす智花は、恐らく携帯を耳に当てながら微笑を湛えているだろう進の姿を幻視して、ふと先程までの会話を思い起こした。

 

「水崎君」

『ん?』

「水崎君さ、少し変わった?」

『変わ、った……?』

 

何のことだ、と小首を傾げる様な声が智花に届く。

 

「さっきみんなと話してたんだけどね、水崎君がこの頃明るくなったって話してたの」

『その言い様だと、以前の俺はさぞ暗い人間に見えたんだろうな』

「ふぇ!?違うよ!そういう意味じゃなくて」

『いや……まぁ割と自覚はあったし、別に気にしてる訳じゃないから』

 

「けどさ」と、進は続ける。

 

『もし変わったんだとしたら、それは湊のお陰だと思うよ』

「ふぇ?私?」

『ん。湊みたいに頑張ってみよう、変わってみようと思ったから俺なりに色々やってみて、その結果として湊とかが言う様に変わったんじゃないかな』

「そ、そうかな…………」

 

何だか褒められている様で少し照れくさい。

血の気が少し強く感じられる頬を掻きながら、智花は微苦笑を湛えた。

 

「えへへ、何だか恥ずかしいね……」

『恥ずかしい?何で?』

 

月が何で上るのか、太陽は何故輝くのか。

そんな疑問を問う様な声音で、世間話でもするかの様な口調で酷くサラリと、

 

『俺は湊の事好きだから、全然恥ずかしくもなんともないけど』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

間。

空恐ろしい程の間がそれまでの気恥ずかしさや微妙にほんわかしていた空気をあっさりと奪い去り、告げられた言葉を脳内で正確に認識した瞬間、それまでの血の気など比べ物にならないくらいに凄まじい熱量が智花の顔面どころか全身を襲った。

 

「え……え?」

 

何度も瞬きを繰り返して、既に電源の落ちたパソコンを見て、常日頃から整理整頓を心がけている甲斐あってか随分と綺麗な部屋で視線が花火の様にあっちへいったりこっちへいったりして、背筋が定規でも入れたのではないかと思うくらいにピンと張りつめて、

 

『どうしたの?湊』

「お……あ、え?あ、あの……え、えと……あれ?」

 

言ってる事は言葉にすらならない雑音の羅列に、表情も定まりがつかない程の滅茶苦茶で、

 

「…………い、いまの、って……」

 

もしかしたら紗季とか真帆とかの様に、自分をからかっているのではないだろうか。或いは打ち解けて早速の冗談の類ではないのだろうか。

一瞬、そんな逃げの思考が頭を過って、

 

『好きだよ?俺は、水崎進は、湊智花の事が、大好きです』

 

改めてハッキリと、一言一句を噛み締める様にして告げられた台詞に、今度こそ言葉を失った。

 

「ぁ…………と、あ……あの、えと……」

 

口が上手く開かない。

喉がちゃんと動かない。

 

困惑して、混乱して、困りに困った思考回路がそれでも酸素を求めて活発に動き回り、何度かの深呼吸を経て姿勢をピシッと正した智花は、

 

「……ご、ごめんなさい」

 

見えない筈の相手に深々と頭を下げながら、そう告げた。

 

 

 

 

 

 

食事を終えて、昂と葵は昂の部屋に引き揚げてビデオを見ていた。

聖が編集した愛莉の水泳の様子を映した映像を繰り返し見ては、昂も葵もその表情を和らげて愛莉の努力の結実を我が事の様に喜んでいた。

 

「はぁ……やっぱり何度見ても感動するなぁ」

「そうだね。愛莉ちゃん凄いや」

 

感嘆した様に息を洩らす昂の様子に葵は同意を示しながらも、停止ボタンを押してビデオを取り出した。

 

「あれ?どうすんだよそれ」

「私が管理しといてあげる。アンタが変な事に使わない様に」

「使わねぇよ!?」

「分かってるって……うん、最初っから分かってた」

 

一瞬笑みを浮かべた葵だったが、やがてその表情は申し訳なさそうな面持ちに変容してどんよりと淀んでいった。

 

「ほんと、馬鹿だよね私。……昂が、バスケそっちのけで子どもたちにいかがわしいコトしてるなんて、そんなのありえないのに」

「葵…………」

「アンタはほんとにただのバスケ馬鹿で、バスケの事となると他の事なんか全く頭に入んなくなっちゃう様な奴なんだって、分かってたのにさ……」

 

葵が言い辛そうに語尾の音量を徐々に下げていき、やがて突き立つ様な沈黙の空気と静寂が二人の間をすり抜けていく。

妙に重苦しくなってしまった空気を振り払う様に、たった今思い出したとでも言いたげに顔を上げて昂が口を開いた。

 

「そ、そういえばさ!今度の土日は特に予定ないんだけど、良かったらどっかに出かけないか?」

「え、えぇっ!?」

「この間、ちゃんと埋め合わせする、って約束したからさ。どうだ?」

「そ、そうね……そういう事なら、一緒にどっか買い物でも」

 

と、先程までの痛い様な空気は何処行ったんだと誰かがツッコミを入れたくなる様なくらいに初々しいバカップルみたいな雰囲気を醸し出した幼馴染二人が、どちらともなく笑みを浮かべた、そんな時、

 

―――プルルルル!!プルルルル!!

 

「うん……?」

 

ナチュラルな着信音と共に震えだした自分の携帯を開いた昂は、そこに表示された『湊智花』の文字に疑問符を浮かべながらも応答した。

 

「もしもし、どうしたの智花?」

『あ、あの……す、昂さん』

 

第一声からしてどうした、と思わず昂は小首を傾げた。何やらプランを空想しているらしき葵が一人百面相を繰り広げているが、それよりも智花の様子が気になった昂は尋ねた。

 

「どうしたの智花、もしかして何処か具合でも悪いのか?」

『い、いえ…………そういう訳じゃ、な、ないんです、けど……』

 

じゃあどういう訳でそんなぎこちないんでしょうか。

ちょっと意地悪な気もするので尋ねるのは止めて、昂は取りあえずそろそろ葵の様子が気になり始めたので手短に済ませようと口調を速めた。

 

「何か用事?」

『あっ、は、はい……あの、次の土曜日なんですけど、その……あ、空いてますかっ?』

「次の土曜?一応空いてるけど、どうして?」

『そ、その……みんなで男バスの応援に行こうって話になって』

「男バスの?…………ああそっか、次の土曜って県大会の」

『はい。それで、その……』

「分かった。次の土曜だよね、時間と場所は?」

 

かくて、すぐ隣であれやこれやと妄想している幼馴染を余所に勝手に休日の予定を埋めてしまった昂はその数秒後に渾身の右上段回し蹴りを喰らう事となる。

 

 

 

 

 

「はふぅ…………」

 

携帯を切り、ベッドに仰向けに倒れた智花は木目が模様の様に浮き出る天井を眺めた。

未だに心臓の動悸は鳴りやまず騒音とも思えるくらいに大合唱を奏で、一向にその演奏を止めようとしない。

 

「…………」

 

何気なく携帯を弄り、電話帳に並ぶ名前の中から『水崎進』の欄を引っ張り出して表示する。

たったそれだけの事で、顔に血の気が集まる事が容易に察せた。

 

『――――――好きだよ?』

「……ッ」

 

寝返りを打ってうつぶせになる。枕に埋めた顔は酷く熱く感じられ、怒っているのか照れているのか、何と云えばいいのかよくわからない感覚がぐるぐると全身を巡る様な、そんな感じがする。

血の奔流が止まらない。体中が火照った様に熱いのに、それでいて胸の奥底が氷の様に凍てついている。

 

 

 

『……ごめんなさいって、別に付き合って下さいとか結婚して下さいとかそういう意味合いで言った訳じゃないのに何か結構傷つくな』

「ふぇ、ふぇぇえっ!?」

 

携帯越しに淡々と紡がれた言葉に智花は飛び上がりそうになった。

付き合うとか、結婚とかの辺りに。

 

「で、でも、その……」

『ん。分かってる分かってる。湊はコーチの事が好きなんだよね?』

「―――ふぇ?ふぇぇええぇぇっ!!ち、違う違う違うよぉっ!!す、昂さんの事はたた確かに尊敬してるけどその、す、好きとかそういう訳じゃなくてああでも嫌いって訳でも全然ないわけであのあのあの!!!」

『……ああ、だったらこっちの方が都合いいか』

 

思いっきり動揺しまくりな智花を余所に、一人得心が行った様に進は洩らした。

 

『ん。そうだね智花、もっかい言ってくれる?』

「だからあの、おおお付き合いとかもっとちゃんと順序を…………ふぇ?」

『ふぇ?じゃなくて、もう一回ごめんなさいって、ちゃんと断って』

「あ、あの……それってどういう」

『だからそういう事。俺は湊の事が好きだけど、湊はコーチの事が好き。だから俺の好きは届かないって事で、それをちゃんと認識させて』

「…………」

『それでちゃんと区切り付けるからさ。サッパリすっぱり、俺は後腐れが嫌いだから……って、これは前にも言ったっけ?』

「…………して」

『ん?』

 

沸々と、智花は自分の腹の底で何かが滾る様な感覚を覚えた。

 

「……どうして、そんな簡単な事みたいに言えるの?」

『どうしてって、何が?』

「人を『好き』になるって、そんな簡単な事なの?そんな風に、簡単に割り切れるものなの……?」

『……湊、何が言いたいの?』

 

怪訝そうな声音が鼓膜を震わせる。

それが、決壊の合図だったのかもしれない。

 

「―――どうしてっ!!そんなに自分の気持ちを大切にしないのっ!?」

 

家の中に声が響いたかもしれない。

父や母が心配したかもしれない。

 

けれどそんな事は今の智花にとってみれば瑣末な事でしかなかった。

 

「自分の事をどうでもいい事みたいに扱って!!自分の気持ちをいつも押し殺して!!水崎君はそれでいいの!?ねぇ、ねぇっ!!!」

『み、湊……?何でそんなに怒って、らっしゃりますか?』

「割り切れるとか、そんな簡単なものじゃないんだよっ!?誰かを好きになるのって、そんなに、かなしい、こ、とじゃ……ッ!!」

 

声が詰まりそうになる。

何時の間にか目からは大粒の雫が幾つも零れ落ちて、声も怒気を孕みながらも震えてロクに伝わりそうにない。

 

両者の間に若干の静寂が訪れる。

智花の啜り泣く様な声だけがやたら大きく響く中、

 

『―――何でそんなに怒ったり泣いたりしてんのかはよく分からないけどさ』

 

心底不思議そうな、他人事の様な口調で進が智花の鼓膜を揺らした。

 

『ドラマとか小説みたいに、ずっと想い続けていれば何時か二人は結ばれるなんてのは夢物語でしかないんだよ。世間はそんなに寛容じゃないし、社会はそれ程優しくもない。想い合ったって叶わない悲劇なんて腐る程あるのに、片道切符でしかない気持ちなんてあるだけ無駄じゃない?』

「……ッ、そんな……事!」

『ない、って?どうして言いきれるの?湊は何を知ってるの?その身で成功例を経験した事があるの?片道切符でしかない気持ちが報われた事を、両想いの二人があらゆる障害を乗り越えた事を。知ってるなら教えてよ湊、ねぇ』

 

―――だからもう一度、ごめんなさいって言ってよ。

 

救いを求める様な彼の声音に、智花は応える事が出来なかった。

 

 


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