ロリータ・コンプレックス   作:茶々

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第十三Q このまま隠して持ち帰る

 

「―――ハァッ……!ハァッ……!」

 

胸の動悸が止まらない。

鼓動は早鐘の様に盛大に打ち鳴らされ、嘗てない程の緊張と困惑に身が竦みそうになる。

 

しかし立ち止まる訳にはいかない。

 

例えどんな物を犠牲にしても、何があろうと。この身、この命が尽きる事になろうとも、これだけは死守せねばならない。

 

この――――――ひなたのパンツだけは!!

 

 

 

 

 

「…………」

 

三度左右と後方を確認した夏陽はそぉーっと部屋の中を覗き、同部屋の進や昂がまだ戻っていない事を確認して室内へと戻った。

そして驚異的な速度で自身のタオルや衣類を仕舞い――その過程で脱衣所で入手した『ブツ』を隠す事も怠らず――早々に布団を敷いて床につく体勢をとった。

 

進は風呂に入る前にもうひと汗流すつもりなのかランニングに出かけ、多分その足で風呂に入ってから戻ってくるだろう。早朝といい夜中といい、この合宿中も自主錬のペースをしっかり管理したその徹底ぶりからも平生のあの底知れぬ実力の一端が窺い知れるというものではあるが、だからといって練習終了後のこのどっと疲れが押し寄せてくる時間帯にそんなもんこなすとかお前は本当に同じ小学生なのかと疑いたくなる。が、今はむしろその化け物染みたバスケバカぶりに感謝しよう。

昂は……よく確認しなかったが気づいていない様子だったし、恐らくは就寝前に一度女子部屋の方の様子を見て戻ってくるだろう。そして女子部屋に行けば十中八九真帆にとっつかまって就寝間近まで抑留されるに違いない。

 

結論付けとして、恐らく後小一時間はゆっくりと対応を練る事が出来る。

最も、その内容は決してゆっくり出来る様な代物では断じてないのだが。

 

「…………」

 

立ちあがり、もう一度部屋の周囲や廊下に誰もいない事を確認する。

右、前方、左。右、前方、左。

 

「……よしっ」

 

念には念を入れて扉には鍵をかけておこう。

これで万一二人の内のどちらかが戻ってきても大丈夫。扉をあける前に『ブツ』を隠せば無問題。

 

そして布団の上に座った夏陽はおもむろに―――そして丁重に『ブツ』を目の前に広げて置いた。

 

「………………」

 

もう一度確認する。

 

淡いピンクの布地に描かれた可愛らしいパンダのプリント。その上に達筆ながらもその人と成りを表しているかの様な柔らかなタッチで書かれた文字は『5-C はかまだひなた』のアルファベット三文字、ひらがな七つの計十文字。

洗剤特有の匂いの中に仄かに香る芳しくも悩ましい蜜の様な香りは、無垢な花弁の中に潜む魔性の毒の様に蝶を集めそして永劫の虜にして二度と放さなくする様に―――

 

「ハッ!?」

 

本能のままにひくひくと匂いをかぎ分けようとする鼻をつまみ上げ正気を取り戻す。

 

危ないどころの話ではない。これではただの変態だ。日々嫌悪するあの変態ロリコンコーチと同類だ、同族だ、同種だ。

 

それだけは死んでもいやだ、と夏陽は頭をブンブンと左右に振る。

 

そう今の問題は匂いをかぎ分ける事ではない。

『これ』をどうするか、だ。

 

「…………」

 

夏陽は考える。普段は男バスキャプテンとしてコート上で瞬間的な采配に長ける明晰な頭脳を以てこの窮地の打開を図った。

最早頭脳の無駄遣いだとかそういったツッコミの一切を彼は聞き入れない。そんな余裕は全くない。本能の赴くまま匂いをかぎ分けそうになる余裕はあっても他人のツッコミに耳を貸す余裕は夏陽には存在しないのだ。

 

 

 

プランA:ひなたの所に持って行く。

……女バスの面々と切り離してひなただけを連れていく事は現段階では至難に近い。今頃彼女は部屋でまったりと仲間内の遊びに興じている事だろうしそれを邪魔するなど到底出来ない。仮に出来たとしても二人っきりになった途端自分のパンツを他人――それも男――から渡されてどんな反応が返ってくるか、想像に難くない。よって却下。

 

プランB:脱衣所に置いておく。

……まだ進が風呂に赴くという確定的未来が残っている以上、下手をすれば今し方から現時点の自分と同じ事態に陥る可能性はかなり高い。いや進なら平然と女子部屋に行ってひなたにパンツを渡しそうだが、そんな事をすれば今後ひなたとお近づきになるどころではない。下手すれば第二次男女バスケ部対抗戦争が勃発しかねない。よって却下。

 

プランC:誰か他の人に持って行って貰う。

……誰に頼めというんだ。真帆や紗季は面子的な意味でも精神的な意味でも当然却下。智花では無茶苦茶追求されそうだし、愛莉では真帆辺りに追求されてうっかり自分の名前が出てしまったらアウトなのでどちらも却下。昂は考えるまでも無く却下。進は……うん、プランBの悪夢再びなのでこれも却下。よって全滅。

 

プランD:このまま隠して持ち帰る。

―――アホか!!」

 

咄嗟に叫び、瞬間に口を塞ぐ。

ドアに耳を当てて外の様子を確かめる。用心の為に一度ドアをゆーっくりと開けて目で見て、耳で聞いて再度確認。

 

……無音。どうやら誰もいないようだ。

安堵の息が洩れた。本番の試合でも感じた事のない程の疲れに軽く眩暈を覚えるが、こんな所で立ち止まってはいられない。

 

どうすればいい?どうすれば―――

 

……コン、コン

 

考えろ、竹中夏陽。お前はこんな所で終わる様な男じゃない筈だ。もっと冷静になれ、もっともっともっと―――

 

「……何してんの?竹中」

「くぁWせdrftgyふじこlp@!!??」

 

心臓が止まったなんてもんじゃない。

口から心臓が飛び出るとかそんなちゃちなもんじゃない。

 

恐ろしいなんて言葉じゃ表せない程に凄まじい驚きが脳天から足先を一瞬で駆け抜けて―――

 

(――――――ハァッ!?)

 

進の穢れを知らない深く澄んだ双眸はジィッと夏陽の顔を見つめ、咄嗟に夏陽が確認する様にして見た自身の後方に隠した『ブツ』に、まるで視線誘導される様にその瞳が―――

 

「そうだ水崎っ!本読もうぜっ!?」

 

気がつくと夏陽は、ビシィッ!と効果音が聞こえてきそうな程に軽快なサムズアップと共に「ヒャッホゥッ!」な掛け声が似合いそうな作り立てホヤホヤな作り笑顔を満面に浮かべてかなり上擦った声で進を誘っていた。

 

一瞬、間を置いて、

 

「……バスケの本?」

「あ、あぁっもちろんっ!!一昨日発売したばっかの『月刊バスケ』最新号だぜっ!?」

「読む」

 

即答だった。何の迷いもない即答だった。

言われるまでも無く進は夏陽のバッグをガサ入れに入り、その間に夏陽は自身の枕の下に『ブツ』を隠した。

そして今の今まで自分がやった事言った事の全てに凄まじい羞恥を覚えて死にたくなった。進が嬉々として本を胸元に抱えて小躍りしそうな程に軽妙なステップで自身の隣に座らなければ、夏陽は布団の上で身をちぎらんばかりに悶えていたかもしれない。

 

「あっ、インハイ特集やってる」

「マジ?どこどこっ!」

 

が、そこら辺はやはり子供というか、年相応というか。

進が指差した記事に自覚がないだけのバスケバカはあっさりと興味を惹かれて進の横に座り、『インハイ特集 今年注目の新人!』という見出しに目を奔らせた。

 

「『歴代屈指の黄金世代集結!今年のインハイはルーキーズが熱い!』……かぁ」

「去年の全中は凄かったしなぁ……特に志津野中のあの人とか」

「……ん?今年のルーキーって事は、コーチもだよね?確かコーチも高一でしょ?」

「え?……あぁアイツか。アイツは出ねぇよ」

「何で?」

 

疑問符を浮かべて小首を傾げた進は、しかし次の瞬間息を呑んだ。

 

「何か先生が言ってたんだけどさ、アイツの高校のバスケ部はキャプテンが問題起こして一年間の活動停止処分が下されたんだってよ。けど中学からバスケのスポ薦で入った実力は本物だからって女バスのコーチに推薦したらしいんだけどよ―――」

 

―――え、と進が言葉にならない呟きを洩らした。

気づいた様子もなく、そして事情を知る由もない夏陽は淡々と続けた。

 

「何つってたっけか……そう!確かそのキャプテンが顧問の子供の、それも小学生の娘に手ぇ出したっていうのが理由らしいぜ?全く困るよなぁ、よりにもよって女バス(ひなた)のコーチにそんなロリコン一味の変態を推すなんて…………まぁ、バスケの指導はそこまで悪くはないけどな」

 

何時の間にか一人で喋り出している事に全く気づいていない夏陽を余所に、進は胸が張り裂けそうな程に痛みを覚えていた。

 

よく憶えのある痛みだ。罪悪感に拠る贖罪の為の痛み。甘んじて受け入れなければならない痛み。自分が招いた痛み。

 

自分の所為で兄はバスケを奪われた。

自分の所為で家族は崩壊してしまった。

 

―――そして、自分の所為でバスケを自由に出来なくなった人が、そこにいた。

 

「竹中……と、水崎。帰ってたのか」

「遅かったな。どうせ真帆に捕まってたんだろ?」

「ああ、まあな……と、どうした水崎?顔が青いぞ?」

 

心配そうに顔に不安の色を浮かべて自分を覗きこむヒト。

額に手を当てて熱がない事を確認して、一応の安堵を浮かべるヒト。

気遣う様にして自分の分の布団を敷いて、寝かしつけようとするヒト。

 

「ほら、横になって。……ったく、合宿の最後の夜ってのは一番疲れが出るんだから、ゆっくりしてなきゃ駄目だろ?」

「大丈夫か水崎?」

 

声が上手く出せない。

言葉が捻り出せない。

 

罪悪感に押し潰されそうになる。

責任感に張り裂けそうになる。

 

何もかも自分の所為なのに。自分の所為で全てがコワレテシマッタのに―――

 

『―――ゴメンな、進』

 

どうしてアナタは、そんなカオヲシタノデスカ?

 


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