ロリータ・コンプレックス   作:茶々

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第十二Q まさに今の状況が戦争なのですが

 

うなされる様にして開いた視界に飛び込んできたのは、朝日が差し込んで幾筋かの線が模様の様に奔る天井だった。

練習後のストレッチを欠かさなかったお陰で合宿最終日を明日に控えた本日も体調は良好、身体も昨日よりむしろ軽く感じる程であった。

 

だが、

 

『―――止めた方がいいよ』

 

昨日、戒める様に囁かれたあの一言が胸の奥底に打ちつけられた様にして離れない。

自分の様になるなと、自分とは違うのだと、たった一度だけ案じる様にして云われたそれが、まるで古びたレコードの様に断片的に、しかし何度も何度も繰り返して智花の頭の中をぐるぐると廻った。

 

「…………あの時」

 

泣いていた様に見えた。

あの後すぐに進は姿を消し、智花は自分を探しに来た紗季に連れられてお風呂へと向かったから廊下で彼の涙の痕を確かめる様な事も出来ず、かといって比較的早く起きた今から探りに行くと云うのも何だか良心の呵責が心をチクリと諌める様に痛めた。

 

部屋の中に響く真帆の乙女らしからぬ鼾やひなたのちょっとアブナイ気がする寝言も耳をすり抜けるだけで、智花はギュッと掛け布団を握り締めて顔を埋めた。

心の中にもやもやした何かがしこりの様に残り、まるで真っ白な紙の隅の方にツンと鉛筆の先で突かれた黒点の様に小さく、しかししっかりとその存在感を示す様にして言い知れぬ感覚を覚えさせる。

 

「……水崎、進くん」

 

ふと、何となく彼の名前を呟いてみる。

特に意味なんてないそれを、何度も、何度も繰り返して。

 

 

 

―――だから智花は、その呟きにずっと気を傾けていたから気づけなかったのかもしれない。

布団を被って自分に背を向けていた少女が、ほんの僅かではあっても身動ぎしていた事に。

 

 

 

 

 

昔、どっかの偉い人は白鷺城を眺めながらこういったらしい。

 

「大学より上の仲間で何か食べる時、お好み焼きだけは止めろ」

 

お好み焼きの起源は安土桃山時代、天下の茶人千利休が作らせた茶菓子『麩の焼き』にその端を発すると云われている。この麩の焼きは「秋の膳」に出されたれっきとした茶菓子であり和菓子であり、小麦粉を水で溶いて薄く焼いたものに芥子の実などを入れて山椒味噌や砂糖を塗って茶会の席に出したものである。江戸末期には味噌の代わりに餡を巻いた――今で言うどら焼きの様な――『助惣焼』が生まれるが、これがどうした事か明治期には東京で『もんじゃ焼き』『どんどん焼き』へと変貌し、昭和期に大阪へ伝わると鉄板料理各種へと派生して『お好み焼き』へと姿を変えた。

 

所でお好み焼きには大きく分けて「関西風」と「広島風」の二種類がある事は皆さんもご存じの事だと思う。何で広島一県で関西相手に出来るんだとか突っ込んではいけない。どこからともなくはだしの少年が現れるかもしれないから決して触れてはいけない。

 

ではこの二つ、何処がどう違うのだろうか。

そんな事を大学の打ち上げでうっかり聞いてしまったどっかの偉い人は、後に述懐してこう語る。

 

「私は大学の仲間と一緒にとあるお好み焼き屋で楽しく卓を囲んでいたと思ったら、何時の間にか先輩方が関西派と広島派に分かれて第一次お好み焼き戦争を勃発させていた。な、何を(ry」

 

……要するに、嘗て関東大震災後に主食として大流行し、それ以前から間食として高い人気を誇っていたお好み焼きは、地域によっては時としてこだわりを持つ人々によって談義という名の戦争が起こりうる程に愛されており、親しまれている一品なのである。

 

例えば関西風は具と生地を混ぜて鉄板で焼くが、広島風は小麦粉を水で溶いた生地をクレープ状に伸ばして焼いて、その上に具を重ね焼きしていく。関西では麺類を入れず山芋を入れる事が多いが広島は真逆。ソースは地元愛からオタ○クソースをかける広島と市販の中濃ないし特濃ソースや各々にブレンドしたソースをかける関西etc。

 

先輩方のご高説を賜ったどっかの偉い人は、その後広島風と関西風の二種類の食べ比べ談義という名の戦争に強制召喚され、そのヘビーパンチも真っ青な重量にそれからの打ち上げではお好み焼き屋を選ぶ事は決してなかったという…………

 

余談ではあるが、その道の人を前にして「関西風」とか「広島風」とか、そうした呼び方は口にするだけでもタブーらしい。そういった差別的な(別に差別でも何でもないのだが)呼称は結構癇に障るものがあるとかないとか。

 

 

 

「っていう話を前にミホ姉……美星先生から聞いたんだけどさ」

「……まさに今の状況が戦争なのですが」

 

何処か遠い目をしながらそんな事を語る昂と、現在進行形で目の前で繰り広げられる談義という名の戦争に顔を引き攣らせる智花。

ひなたはよくわかっていない様で終始楽しそうに笑顔、愛莉は引き攣らせるを通り越して顔面蒼白、そして戦場の真っただ中に取り残された夏陽と真帆は、まだ敗残兵の方がマシな待遇を受けられるかもしれない程に過酷な状況下で、

 

「だぁかぁらぁっ!何で具と生地を別にしてる訳!?信じらんないっ!!」

「はぁっ!?んなぐちゃぐちゃにかき混ぜた挙句、だし汁入れるわ山芋入れるわそれだけでも堪忍出来ないっつぅのに、あまつさえ焼きそばは入れないとかどんだけ邪道な代物で最後の晩餐を飾ろうとしてるんだよ!?しかも何でソースが○スターなんだよ舐めてんのか!!普通にオ○フク一択だろ常識だろ掟だろ!買い出しは……昨日って事はお前だったよな夏陽ィ!!」

「は、はひっ!?」

「真帆!!アンタは何でわざわざモダン焼きにしようとしてんのっ!?お好み焼きは青海苔・ソース・マヨネーズの三種の神器をかけてからそのまま食べるのが一番美味しいのよ!?何で分かんないの信じらんない理解出来ない認可出来ないーっ!!」

「は、はぃっ!?」

「第一何だこの火力は!?こんなチビチビチビチビ子供の火遊びじゃあるまいし何でこんな弱い火力しか出せねェんだよ!?ふっつーに鉄板持ってこいよ鉄板!!」

「何よ!?確かに鉄板が無い事は不服だけど、ない物はしょうがないからそこにある物を上手く使うしかないでしょっ!?ああもうっ!これだからお高く止まった広島風は嫌いなのよっ!!ひっくり返すのだって一苦労だってのにぃっ!!」

「えぇえぇ客引きに奔った挙句お子様仕立ての二流に成り下がった御方は流石に云う事が違いますねぇっ!!散々ソースで浮気した挙句マヨネーズなんて玩具に頼る様な焼却ゴミの分際でお好み焼き語るなんて十年早ぇんだよ!!」

「何ですってぇっ!?」

 

……過去、進がバスケ以外の事でこれ程激しく感情を露わにした事があっただろうか。

智花や愛莉の反応を見る限りなかったんだろうなぁと昂は遠い目をして、所で進の夏陽の呼び方が何時の間にか「竹中」から「夏陽ィ!」に変わってるのは何でだろうなぁとふと思ったが、多分言っている本人も気づいていないのだろう。だって夏陽も気づいている感じじゃないし。顔真っ青だし。つぅか汗が尋常じゃないよマジ二人ともパネェっすよ。

 

実家がお好み焼き屋の紗季は云うに及ばず、手際の良さからその情熱から、進もお好み焼きでは一家言持つ様なお好み焼き奉行だったのかなぁと、先輩でもないのに何となく一成辺りのノリで体育会系的挨拶をしたくなった昂だった。

 

「あ、あわ、あわわ、わわ、はわわ、はわわ、はわわ、はわはわ」

「あ、愛莉!?恐怖のあまり蟹の様に口から泡をっ!?というか何だか身体が変な踊りを踊りだしてるっ!?」

「何だとぉっ!?」

「何よぉっ!?」

「おー、二人とも、仲良し」

「ひ、ひなたちゃん?あれは仲良しとはちょっと違うんじゃないかなぁ……?」

「だ、誰でもいいから……」

「助けてくれぇ……」

 

折角真帆と夏陽が仲直りしたというのに、今度はその保護者と付き添い人が騒動を起こして、そんなこんなで第二次お好み焼き戦争を経て合宿最後の夜は騒々しくも最後に相応しく楽しさの中で更けていった。

 

……と思ったのだが。

 

 

 

 

 

 

「いなくなった?」

 

ジュースを買った帰り、玄関で待っていた智花から告げられた一言に昂は目を丸くした。

別に着物で三つ指ついて待っていた訳ではないし、見れば並んで立つ三人―――女バスの面々も一様にやや俯き気味に暗い面持ちである。

 

「はい。夕食の後から……」

「ひながいなくて……」

「手分けして探したんですけど……」

「夏陽の奴、ひなが好きだからってとうとう我慢できなくて誘拐を……!」

 

一人だけ言っている内容が違うし若干どころではなく飛躍している。誰なのかは云うに及ばず。

 

「いやいや……まだ探してない所は?」

「学校の中で行ける所は大体……」

 

昂の問いかけに智花が答える。

暫し思考を巡らせた昂が口を開こうとした矢先、

 

「あっ、もしかして裏の神社かも!」

 

天啓を得た様に紗季が顔を上げた。

 

 

 

普段の練習でも人一倍努力する夏陽は、しかし女バスとの折り合いから練習が出来ない日は一人で自主錬に励むという。

その為に自作したゴールが学校裏の山奥に建てられた神社にあり、ひょっとしたら夏陽はそこに行ったのではないか、というのが紗季の意見である。

進は第二次お好み焼き戦争で同盟国だと思っていた『いのせんと・ちゃぁむ王国』国王の夏陽が自分が推す広島風よりも『スットン共和国』首相の紗季の関西風を選んだ事にロシア参戦を告げられた大日本帝国軍総司令部幕僚長よりも驚き、食事が終わると戦争末期の神風特攻隊もかくやと云わんばかりの速度でさっさと不貞寝してしまった。

ちなみに夏陽が関西風を選んだのは幼馴染の好云々ではなく、単純にひなたが昂の真似をして関西風を選んだからだったりする。更にちなみに智花は昼間の進との1on1で相当に体力を消耗して空腹加減が凄まじかった事からついつい昂の前だという事も忘れる程にボリューム感たっぷりな広島風を選び、進と紗季の剣幕に押しに押された愛莉は結局二つ食べるというヘビーパンチを選択した。

 

後日二人は乙女の測定器に乗って愕然とする未来が待ちうけていたりするのだが今の彼女ら+男一名には関係のない話である。

 

「真っ暗だな……」

 

夏とは云え既に夜中の八時半を回っている時分。流石に山の中ともなれば周囲は真っ暗で、ライトを手に持つ昂でさえも時折囁く様に揺れる木々の音に警戒心を抱いてしまうのだから、その灯りを頼りに暗い山道を歩く少女達はもっと不安を感じているだろう。

 

「うぁぁ……」

 

『こういった』話が実は一番苦手だという真帆は大量のペンライトで完全武装してすら怯えを露わにしている。

 

「竹中はともかく……本当にこんな所を通ったのかな?ひなたちゃんは」

「と、通ってないよぉ……!別な場所をもっとよく探した方がいいってぇ……!」

 

普段の勝気な姿からは想像を絶する程に想像出来ない様な弱気な真帆の声は既に震え上がっている。

そんな幼馴染の姿に紗季はため息交じりに呟いた。

 

「だから留守番してればって言ったのに……」

「それはそれで怖いだろぉっ!?」

 

情けない事を何故か逆切れして叫ぶ親友の姿に、今度こそ隠す事無くため息を洩らす紗季。

そんな二人のやり取りに苦笑していた昂が、淡いピンクが混じった白い『ナニカ』と遭遇するまであと三秒。

 

 

 

 

 

竹中夏陽は上機嫌である。

ニヤニヤと締まりのない笑みを満面に湛えたそれは、普段クラス内ではクール&エリート+イケメンという有望株で高評価な女子達には見せられない程に締まりのない顔であった。

おまけに鼻歌まで謳いだして顔を赤らめた姿を見られた日には、こいつとうとう妄想癖に目覚めたかとクラスの面々から可哀そうな目で見られてちょっとどころではなく距離を置かれる事必至である。

 

とはいえ、夏陽が上機嫌なのも無理はないと言えよう。

 

シュ……ガコッ

 

『よしっ!ナイスシュッ!』

『おー、竹中直伝のシュート』

 

パンッ!

 

「へへっ……」

 

顔の筋肉という筋肉の一切が緩みっぱなしの笑みのまま、夏陽は寝間着用の上着を着た。

 

以前から恋心を抱いていたひなたとこの合宿の期間だけでも急接近したに飽き足らず、今し方はマンツーマンでの指導にハイタッチをかわす程の間柄に成長したのだ。真帆がこの間「今日一日だけでレベルが5上がったぜっ!」とか言っていたがそんなものは今の夏陽には相手ではない。さっきの二時間程度で最早夏陽のレベルは10をも数えんばかりに上昇している。

 

―――こんな調子で、合宿が終わった後も色々話せたらいいなー……

 

自分は飼育係だし、ひょっとしたら一緒の当番の時にはもっと話せるかもしれない……いやいや、クラスで顔を合わせたら些細な世間話でも……もしかしたら登下校時のスクールバスの中で隣の席に座ったり出来るかも……

 

そんな淡い幻想で、甘い妄想に浸りながら服を整えて―――ふと、淡いピンクが混じった白い『ナニカ』が目に映った。

 

「ん?何だ?」

 

手に取り、確認の為にその両端を握る。

そして何気なーく広げて、

 

「―――ッ!?」

 

愕然とした。

否、愕然と云う言葉すら生ぬるい驚愕の事態が夏陽の脳内に緊急警報・第一種戦闘配備命令を下した。シグナルレッドは最早真紅すら凌駕せんばかりに赤々と光り輝き戦術レベルは一瞬にして最大級まで引き上げられる。

 

「こ、これは―――ッ!?」

 

淡いピンク、可愛いパンダプリント、5-C はかまだひなた

 

―――最早その瞬間に夏陽の脳内にはオゾンホールから降り注ぐ紫外線やら赤外線よりも濃厚にそして濃密にして濃縮された映像が駆け巡り瞬時に永久脳内保存、五重のパーフェクトロックは鉄壁のディフェンスを誇りながらしかし主の命令とあらば即座に閲覧可能状態へと移行できる万能型ハイスペックな、

 

―――――ガラッ

「すっかりのぼせたなぁ……」

 

昂が浴場のドアを開けた『ガ』の音が聞こえた瞬間に夏陽は衣類、タオルが丁寧に畳まれた状態にプラスαを抱えてダッシュ。普段から進との一騎打ちによって日々練磨された脚力を如何なく発揮して咄嗟にその場から逃走した。

後に残された昂が暫しその背中を呆然と眺め、やがてその挙動が『アレ』に拠るものだと気づくまであと五秒。

 

――――――そう。対球技大会用バスケットボールチーム強化合宿最後は、まだ眠らない。

 

 

 


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